018 脱出と勇者様
歩き始めて、どの位の時間が経過しただろう。
蝋燭の火の光は遠い昔に途絶え、自身の姿すらも見えぬ暗黒に、俺はあった。
これは生半可な神経じゃ長いなぞ出来た者では無い。
洞窟の時の様に荷物が無い分、平然と通れる道であるものの、この光が届かぬ世界で人が正気を保っていられるとは到底思えなんだ。
であれば恐らくは、普通ならもっと前段階で歌を捧げたことだろう。
ただ俺は、信仰心なんてものは皆無な人間だ。
神の耳元で歌う位の感覚で前に進まねば、歌が届く事なぞなかろうて。
進めども、進めども、あるのは足に感じる水の冷たさだけ。
優人は俺が闇に消えてからすぐにその場を離れただろうか。
結構な時間を歩き通しだし、待っているということはないだろう。
……ベルンハルドは窓から抜け出せただろうか。
放置してきた時点でかなり薄情だが、別に心配していない訳では無いのだ。
その後も、足の冷たさと歩く度に鳴り響く水の音を聞きながら、足を進めたが、何と無くの境界線を見つけ、そこで静止した。
これ以上先に進んではならない。
全身がそう訴える。
恐らくここが、人の世と神の世の境界線。
神の身で此方に来ることを許されぬように、人の身で其方へ行く事は許されない。
その境界線を、手が超えたらどうなるんだろう。
そんな考えが、俺の中で生まれて消えた。
手を伸ばすことも許さぬと、世界が言う。
俺は溜息を吐いた。
必要量の発声練習をした後、目に見えぬ境界線を見る。
そして、ドミニカに教わった技法で、ドミニカに教わった歌を、ドミニカが奏でた声にて神へ歌を贈った。
ドミニカの歌は、ドミニカの声でこそ輝き、完成する。
俺の声で奏でられるメロディーなぞは、邪道でしかない。
ロックでもポップでもジャズでもイージーリスニングでもフュージョンユーロビートでもラップでもスカでもブラックミュージックでもレゲエでもブルースでもバラードでも、ドミニカの声が最高で、ドミニカが一番だった。
俺はそのレプリカに過ぎないが、幸いにも俺には一欠けらの才能が有った。
奏でる旋律は、全ての人間の耳に優しく届く。
ドミニカの最終目標は正にそこにあった。
しかし、1000人いれば、1000の感覚が有る。
ドミニカですらもその境地に辿り着くことが出来なんだ。
全く、笑えぬな。
レプリカだけが存在し続けて、本物は呆気無くも短命に、歌だけ残して去って行ったのだから。
何故表舞台に立たなかったのか、俺は何時までもそう思い続ける。
歌い終えると、体が微かな光を帯びた。
その光はすぐに消えたが、俺は境界線の先を見た。
フハハ、まさか本当に聞き届けた相手が居たとはな。
ドミニカの歌はどうだった、戦の神よ。
歌の余韻に浸る邪魔をしてはならない。
俺は光が消えてすぐに、元来た道を戻り始めた。
何も言わずに去るのだから、水の音位は勘弁しろよ。
なんて、今はもう見えない境界線の先の観客に心の中でそう告げた。
戻るのには、それ程時間を要さなかった。
長かった筈の道のりが、数分足らずで地上へ続く階段へ辿り着かせたのは、神の早々に去れというお告げだろうか。
ここは、神に近い場所だとアニェッラが言っていたな。
協会では届かなくなった歌が、ここでは届く程に近い場所。
不思議なことの一つや二つ、容易に起こり得る、か。
「あ、久遠さん」
「……待っていたのか?」
蝋燭のほのかな光と共に視界へ入って来たのは、先程別れた優人に他ならなかった。
まさか待っているとは思わなんだだけに、少しであるが驚いた。
「てっきり先に行ったものだと思っていたがな」
「はは、久遠さんを置き去りにしてはいかないよ。用事は済んだ?」
「あぁ、神に会って来た」
「マジで? 奥へ進むと会えるの?」
「多分そう言う訳では無いな」
あれは戦の神がドミニカの歌に釣られたからこそ見えた姿だ。
多分、灯を持って境界線前で張っていても、その姿を拝むことは叶わんだろうな。
優人は少し残念そうに「そっか」と言うと、地上へ続く階段を上り始め、俺もそれに続く。
ただ、地上へ出たら優人を撒き、ベルンハルドを救出した後、城外へ脱出しなければならないだろう。
……そういえば、カードの表示はどうなったのだろう。
千壌土 久遠 15歳
職業:武人 Lv1
おぉ、『Lv』の後ろに数字が。
多分、これがレベルというもので、経験値が上がれば数が増加するのだろう。
職業が傭兵でなく武人であるのは、城内侵入作戦を決行すると決めた時点で、組合を抜けたからである。
もしも何かあった場合に、組合へ迷惑が掛かるのは本意ではない。
俺は確認する為に必要だったから持って来ているが、ベルンハルドにはカードそのものを置いて来させている。
余程顔が知れ渡ってなければ、あの顔面凶器状態のベルンハルドをベルンハルドと認識するのは不可能だろう。
長い階段が終わり、明るい雰囲気の城内へと戻ると、先程とは違い、兵士達が何やら慌ただしい様子だった。
「……何か、あったのか?」
正直、何と無く予想出来るが、敢えてそう口にする。
「すみません! 何があったんですか!?」
優人は、そんな兵士たちの様子を見て異常事態だと察したのか、通り過ぎようとした兵士を止めて尋ねる。
「侵入者だ! なんでも、紙袋で顔を隠した巨漢らしい! 女子トイレの窓を壊している所を家政婦に目撃した!」
「何だと!」
ベルンハルド……他に抜け出す方法は無かったのか?
俺は頭痛で眉間にしわを寄せ、手で目を覆う。
器物破損を理由に、言い逃れできない状況を作りだすとは。
一応、この後の予定としては再び女装して、何らかの方法で家政婦になることを放棄。
正規のルートで脱出を考えていたのだが、それは無駄となった。
……まあ、挟まっていた説明を求められたらどうしようも無かっただろうが。
兵士がすぐに走り去って行き、優人はすべきことに出会ったかのような顔を、此方に向ける。
「久遠さん! 俺達も行こう!」
「あー……待ってくれ」
「何故だ!? 女子トイレを壊すヘンタイを野放しにしたら、女の子達が安心できない!」
「あのな、優人……」
「こうしている間にも、ヘンタイが女の子に……」
「多分それ、俺のツレ……」
「えっ」
空気が、死んだ。
いや、本当のことを言うのが、一応ベルンハルドの友達としての行動かな、と。
例え優人が俺に向かって来たとしても、俺は負けない訳だし、道を教えて貰った借りもある。
ただ問題は、優人の顔がどうすれば良いのか分からないという顔に変わったことにある。
「俺はそいつを助けに行かなきゃならない。一応、酒を酌み交わした友人であるのだ」
「でもその人、ヘンタイだよ?」
「いや、多分窓に挟まって抜け出そうとした結果、窓が壊れただけだ」
「…………」
「…………」
沈黙。
ただ、今度は空気は死んでいないから、一歩前進だ。
優人は考える様に腕を組み、俺はそんな様子を何を考えているのか考えながら見ていた。
「……悪い奴では、ないんだな?」
「あぁ、それだけは絶対に無い。無償で他人に何かをしてやれる善人だ」
「……分かった。僕もその人の救出に力を貸す」
「は?」
俺は一瞬、優人の言っている言葉の意味が理解出来なかった。
しかし、その真剣な眼差しを見ながらに数秒の間をおいて、漸く言葉の意味を理解する。
「一応最初に、交渉させて欲しい。もし駄目だった場合にのみ、武力を行使して助け出そう」
「いや、それは構わぬが……お前まで共犯になってしまうぞ?」
「構わない。久遠さんは良い奴だし、その友達が困ってるなら、助けるべきだと思う」
自分の考えを持つことを忘れるな、でしょ? なんて、優人は笑いながら言うと、現場へ急ごうと言って走り出した。
俺はそれに続く形で、優人を見失わないよう気を付けながら走り出した。
一応、城内の通った道の地図は頭の中に入ったが、完全じゃない。
優人について行くのが一番なのは、明らかだった。
そして現場に着いた時、俺と優人は何とも言えない顔をした。
「……えっと、久遠さん」
「……何だ?」
「一応聞くけど……アレ?」
「あぁ……残念だが……アレだ」
そんな俺達の視線の先には、槍を持つ沢山の兵士に囲まれた筋肉が盛り上がった巨体に張り付く女物の服を身に纏った、若干ボロボロの紙袋を被り、身長に合わぬ剣を片手に持ったキモい奴があった。
いや、ベルンハルドなんだけど。
汗で服が体に引っ付いたのか、キモさが増している。
兵士達の間でも、「お前が行け」「いやお前が行け」等と言った、捕縛の押し付け合いが繰り広げられ、包囲したは良いが、攻めるに攻められぬ状態が出来上がっているようだった。
「……アレってあの人の趣味?」
「いや、俺達って不法侵入なんだが、黒髪黒眼の家政婦募集のアレを利用して入って来たんだ。アレは……まあ、変装?」
「サラッと罪状が増えたのに、あの人が濃すぎてどうでも良いとしか思えない……!」
「すまん、俺もそんなことどうでもよく思えてしまった結果サラッと言った」
……帰っちゃう? なんて、俺と優人は救出作戦を急遽取りやめにし、この場を離れる算段を立て始めたのだが、そうは問屋が下さななんだ。
「あ! クオてめぇぇぇぇぇ! 良くも俺を放置しやがったなぁぁ!」
なんて、此方に気が付いたベルンハルドが、俺に怒鳴り散らしたのである。
吠える様に此方へ怒鳴りつけて来た際、怒鳴られたのは俺なのに優人までもビクッと萎縮してしまう。
そして、兵士達の視線が全て此方に向いた。
……えぇと、コレは道連れを目的としたベルンハルドの策略か、はたまた単なる怒りの声だったのか。
絶対後者だ。
分かっているさ、そんなこと。
「……優人、交渉……するか?」
「いやー……なんか、そいつ城外へ追い出しときますとか言えば抜け出せそうな気がする」
「確かに……」
だが、それで済ませようとしない人間は、絶対に居るものだ。
「勇者様だ! 勇者様がおいでなされた!」
「良かった! 勇者様、アイツを何とかして下さい!」
「勇者様が居ればもう大丈夫だ!」
口々に、兵士達が言う。
その中には随分と物騒に「殺せ」等の言葉が混じっており、その言葉を向けられた優人はどうしようと言わんばかりに此方を見ている。
……ん?
「勇者?」
「え? あ、うん。僕、勇者としてここに召喚されたんだよね」
「…………えっ」
つまり……アレか?
優人の言っていた『せいけん』とは、『政権』では無く『聖剣』であったと。
あの訓練は、魔王を倒す為のものであったと。
優人は、勇者4人の中の1人であると、そういうことか?
……はは、この国終わった。
「……取り敢えず、交渉は必要になったようだな」
「みたいだね。……おい皆! 聞いてくれ! 彼は悪い人間じゃない、僕が責任を持って城外へ連れて行く! それで納得しては貰えないか!」
そう、優人は言う。
希望としては、『勇者様が言うなら~』的な反応を期待したかった訳だが、現実はそうもいかない。
「いえ、お言葉ですが、不法侵入者は死刑にせよと国王からの命でして」
「なっ……入っただけで死刑!? 何故そんなことに!」
「それは勇者様をお守りする為です!」
「僕達の為だというなら僕はそんなこと望んでない!」
「それでも、国王様の命なのです!」
ふむ、固いな。
いや、というよりはまだ若い優人の言葉を子供の我儘程度にしか受け取っていないのだろう。
勇者、勇者と囃し立てておきながら、結局は子供扱いとは。
滑稽すぎて笑えぬぞ、若造共よ。
「優人」
「うん、仕方が無い……みたいだね」
優人は潔く諦めたようで、相手に警戒させぬよう構えはしないものの、手にした木剣を握る力が強くなる。
俺は、昔の様に速く走れない。
恐らくは、先程の優人のバネにすら、遠く及ばないだろう。
となれば、俺ではベルンハルドを救えない。
いや、正確には救うとなると、この場にいる兵士全てを皆殺しにする必要があるというべきか。
兵士の数は30から40といった感じか。
まず一人殺って剣さえ奪えば、後は何とかなる気がする。
ただ、それは駄目だ。
味方に優人が居る以上、ここの兵士は一人も殺すわけにはいかない。
「優人、お前はベルンハルドを頼む。味方だといえば普通に信じる奴だ」
「分かった。久遠さんは?」
「俺は、殺さない程度に兵士を甚振って注意を引き付ける」
「……気を付けて」
「目標完遂時間、4分だ」
「了解!」
俺と優人は、同時に動き始めた。
優人はあっと言う間にベルンハルドの前まで行くと、ベルンハルドのその巨体を軽々持ち上げ、城門の方へと走り出した。
これでは注意を引き付ける必要なぞ無いではないか。
俺はそう思いつつ、反射的に俺の進む道を遮って来た相手を、物っっっっ凄く手加減して鎧通しを炸裂させ、相手の意識を飛ばしながら優人の後を追う。
城門は、何故か開いていた。
俺と優人は好機とばかりに城を後にし、街道を走った。