017 出会い波紋立て
現在地は、城壁内にある王宮の裏庭といったところだろうか。
芝生の床に色々の花が花壇に咲き誇る等、手入れの行き届いた感じから、恐らく、といった感じだが。
人に見つかってしまったのは、手洗い場の窓前からベルンハルドを放置し離れてからすぐのことだった。
その巨体のせいで、物量的に不可能に近かったベルンハルドが無理に窓から出ようとした結果、出ることは勿論の事、戻る事すら叶わなくなってしまい、俺はベルンハルドを放置して城内探索へ突入したのだが、ついうっかり気配を読見ながら進むのを忘れ、結果一番目の曲がり角で人と遭遇してしまったという訳である。
……どうする、俺……!
よくよく考えたら、男の恰好に戻るべきでは無かったのかもしれない。
俺の持って来ていた服は、民族衣装丸出しの袴だ。
それよりは村娘の恰好の方がまだ言い訳のしようもあったのだ。
あの兵士達の居ない前でなら、迷子の振りでも良い。
だが、今の恰好は何と言って誤魔化せば良いのだろう。
武士で通るか? いや駄目だ。
ベルンハルドは武士という単語を知らなんだ。
「あの」
「……何だ?」
相手方に、声を掛けられた。
髪は長く、明るい茶髪。
眼の色も……茶色。
それに……日本人顔?
いや、それはおかしいだろう。
今までこの世界で出会って来た人間の顔のパーツが違い過ぎる。
というか、ああいう顔のつくりをしているのはアジア人位だが、同じ国の人間と違う国の人間位の見分けは、愛国精神皆無な俺の目にも分かる。
10年は間違いなく過ごした国ではあるのだ。
顔の造形は、かなり良い。
属に言う『いけめん』とか『はんさむ』とかいう部類に入るだろう。
背も高いし、異性にモテモテだろうな。
そいつは、汗だくで、片手には木剣を持っていた。
恰好はラフなもので、この国の服だろう。
「僕、沖田 優人っていいます。初めまして、だよね?」
日本人、か。
つまりは……同郷の人間が居るのかそれとも……同種の民族が居るのか。
前者であった場合には、現状絶対に素性を知られる訳にはいかない。
後者であったなら、母国の話は不味いな。
「……俺は久遠という。別に覚える必要性も無い何の変哲も無い名前であり、記憶に留めておく価値なぞゼロに近い名前だけに、名乗りたくは無いのだがな」
「えっ。久遠さんで合ってるってことでいいんだよね?」
「合っているかも知らないし、合っていないかも知れない。人の言葉なぞ当てにしていても真実なぞ得られぬぞ。優人だったか? 禅問答はお好きかな」
「ユニークな人だね」
ふむ、どうやら、俺を不審者だとは思っていないようである。
となれば、話しは結構簡単になって来る。
ベルンハルド無き今、優人に場所を尋ねてそこまで行けば良い。
「お前は訓練中だったか」
「うん、そうだよ。聖剣を持つに相応しい男になる為、猛特訓中さ!」
……政権?
何だこの男、貴族か何かか?
となれば後者だな、奇しくも俺が日本人であることには気づいて無いようであるし、もし尋ねられても知らぬで通すか。
……というか、政権獲得に剣術が必要なのか?
実力主義……というやつか? 物理的な。
……それで魔王に勝てないとか、そんな国潰れてしまいたまえよ。
「俺は戦の神に歌を捧げんとする場所を探しているのだが、何処にあるか知らぬか?」
「歌? ってあそこかな……うん、知ってるよ」
「すまぬが案内して貰えぬか。俺はそこでしなきゃならんことがあるらしくてな」
「んー……良いよ。丁度休憩しようと思ってたし」
「そうか、感謝する」
フハッ、その疲労で休憩する程度の訓練を猛特訓とは呼ばぬがな。
なんて、口には出さないが俺は思う。
成長期は良く寝て良く食べることは体を作るのに必須であるが為に仕方が無いにせよ、ある程度成長してしまえば、後は寝ずの訓練もザラ。
何かを掴めるまで決して止めぬと誓える信念こそが、強くなる秘訣であると俺は思うがな。
「ただし!」
「ん?」
「僕と手合わせしたら勝ったら。ってことでどうです? 僕、約束は死んでも守るって決めてますよ?」
「ほほぅ?」
身体もロクに出来ていないような若造が俺と手合わせ、ねぇ。
あっ、今は俺もロクに出来てないか。
まあそれでも、若造に負ける程度の力しか持っていないつもりは、毛頭無い訳だが?
「構わぬぞ? ただし、約束違えし時は死す時と考えよ。それで良いなら……始めよう」
俺は口端を吊り上げながら、ユラリと体の力を抜く。
優人は、木剣をこちらに向け、剣道の上段構えを取る。
……よもや、剣道の型からも抜けられぬ状態で俺に挑もうと考えているのでは無かろうな。
「……その腰の、抜かないのか?」
「抜くと思うか? 今のお前には、刀身無き小刀すらも、必要性を感じない」
優人は挑発と受け取ったのだろう。
俺の言葉を流し、木剣を握る力を強めた。
「行きます!」
「言わずもかな、不意打ちしてでも俺に一撃当てて見よ。雛にも満たぬ、卵の剣士よ」
バネは中々だった。
10mは軽く離れていたであろう場所から、一歩で俺の目前まで迫り、剣を振るって来る。
だが、来るまでが遅い。
剣速も、箸があれば容易に受け止めてしまえる程に遅い。
つまりは、ハエと何ら変わりない。
俺は迫りくる刀身を避けはしない。
そもそも、刃の付いていない棒程俺にとって怖く無い物は無いのだ。
何故ならそれは、例え他人の武器であったとしても、攻撃を仕掛けられた瞬間既に、俺の物へ早変わりしているからだ。
優人が振るった筈の木剣は、俺の手に収まっていた。
無刀取り依然の問題だ。
どんなに強く握ろうとも、振るっている物が棒である時点で、容易に剥がすことが可能だ。
ただ、これからが問題だ。
変哲の無い木剣でさえも、俺が持てば、名刀に変わる。
「えっ!?」
「デュァァ!」
反射神経は良いらしい龍一が、即座に木剣を握れていないことに気付く。
だが、俺の攻撃には気付けても、間に合えない。
何故なら間合いに入ってしまえば、俺の剣戟命中率は。
100%だ。
が、ギリギリ。
本気の意味でのギリギリで、俺はその剣を止めた。
筋力の衰えが今回は功を成した、というべきなんだろうな。
何時も通りの気持ちで剣を振るっていたが、思ったより力が乗らず、何とか止めることに成功した。
いや、本気で危うかった。
もう少しで、殺すところだった。
「…………ま、まいり、参りました」
「……すまない、反射で殺してしまうところだった」
「あ……やっぱり、僕、走馬灯って漫画の中だけだと思ってた」
なまじ気付いてしまっただけに、その剣戟の恐怖だけを恙無く受け取ってしまったらしい優人は、少し震えた声で言う。
俺は、本気になる必要も無く、人を殺せてしまう。
それこそ、常人が眼前に拳が飛んできた際、目を閉じてしまうのと同じ感覚で。
つまりは、反射で人を殺せてしまうのだ。
だから俺は、人に教えるのに向かない。
どんなにその道を究めても、教える立場に回る事は出来ないのだ。
「久遠、さんって強いんだな。一体何レベルなんです?」
「フハハ、質問の前に、俺達の間には約束が有っただろう?」
「あ、そうだね。ごめん、今すぐ案内するよ」
俺は、脱力して倒れこんでいた龍一に手を貸して起こし、優人はふら付きながらもしっかりと立つ。
何というか、危機管理能力の薄い人間だな。
俺という『生き物』の力を知った人間は、必ずといって良い程に一線を置く。
大切なものを、壊されないように。
俺が世界を回り、沢山の友人に恵まれたのは、俺の人柄からだ。
ただ、それでも俺の中である一線を越えてからは、そう簡単に本気を出さなくなったのだが。
優人は、「ついてきて」と言って、先に歩き始めた。
俺はその後に続いて歩く。
城の人間と共に歩いていれば、怪しまれる可能性は減る。
ただ、見つかる可能性は格段に上がってしまうから、俺自身も気を付ける必要がある。
本当なら、場所を聞きだし隠れながらに向かった方が安全なのだが、今更道だけ教えてくれれば良いというのは不自然だ。
仕方が無い、俺は怪しく無い……そうだ、女垂らしのベルントに教わった『いけめんオーラⅢ』を使おう。
これは女性限定であるが、相手の警戒心を著しく低下させることの出来る、ベルトンが日頃ナンパする際に使って居た技だ。
まさか、そんな技が有るとは当時俺も思わなんだが、現実に学んでみると、確かに使えて驚いたのは今でも覚えている。
フハハ、まさか実用するとは思わなんだがな。
早速使ってみたところ、優人が振り向いた。
「その、なんだっけな。『フレームが薔薇』? 的な奴僕の親友の前では使わない方が良いよ? 何か凄い罵倒される」
……フレーム? 薔薇? 何の話だ。
いけめんオーラⅢだぞ。
というか、優人も使えるのな。
女垂らしか。
いや、その辺はどうでも良いし、さて置くが……。
「いや、意味も分からず罵倒されるのはたまったものじゃないが……」
「だよね……」
「だよねって……弁解は?」
「無駄」
「……横暴な親友だな」
「でもそいつ必ず正しいし。多分僕が悪いんだよ」
「その考えは過失を生む。必ず自分の考えを持つことを忘れるな」
じゃないと、使い捨てにされて来た戦友達のようになってしまう。
それ程深刻に考える必要が無いのは分かっているが、それでもだ。
優人は分かったと言った。
再び城内へ入ると、先程は集めなかった視線までも、此方に向くようになっていた。
どちらかというと女児の視線が増えたが、基本は男女問わず。
横を通る際、会釈する人間が殆どで、優人に黄色い悲鳴をあげる女児まで居る。
……不味った。
どうやらこいつ自身は警戒心ゼロの甘々だが、どうやら知名度はかなりあるらしく、完全に目立ちまくりである。
そう言えばさっき政権がどうのと言っていたんだった。
不覚、気付くべきだったな。
ただ、幸運なことに俺へツッコミが入ることは一度たりともなかった。
途中、優人は近寄って来た兵士と談笑にふけるなどの寄り道をしたが、俺への指摘は無い。
というか、俺は男から舌打ちを受けるばかりだ。
……俺が一体何をした。
「ついた。ここだよ」
そう言った優人と共に来たそこは、かなり暗い場所で、とても神に言葉が通るとは思えない場所だった。
ある灯といえば、降りて来た階段前にある二本の蝋燭立てに立てられた蝋燭の小さな灯火。
現在地は地下であり、一歩進めば水面が広がっているという、何とも不思議な形の部屋である。
暗闇のせいか、横と奥に終わりが見え無い。
水に一歩足を進めれば、水面下に波紋が立つ。
「えっと、奥に行けば奥に行くほど、神様に近付くんだってお姫様が言ってたけど、何処で歌っても届けば結果は変わらないんだって」
「ふむ。道案内助かった。ありがとう」
「いえいえ、でもここってギフトを受け取る場所だよね? 言わばスタート地点。こんなところに一体何の用があるんだ?」
「フハハ、秘密、ということにして置こう」
俺はそう言って、一歩、また一歩と先へ進んでいく。
水は深く無い。
せいぜい、足首に水が付く程度だ。
波紋を立てて、暗い水の中を前へ、前へと着実に神との距離を縮めていく。
戦の神だかなんだか知らないが、神だと名乗るのなら、俺という存在に異議を唱えさせて貰うがてら、耳元でボリュームMAXの歌声を聞かせてやるからよ。
せいぜい楽しみにしていてくれよ、姿すら見知らぬ観客よ。