015 成功への定石
その後、アニェッラは一時的に席を外した。
帰って来るのには1時間を要し、帰って来たアニェッラの手には、随分と大きなトランクが持たれていた。
ベルンハルドが待ってましたとばかりにアニェッラを迎える中、俺は怪訝とした表情を二人に向けたままだ。
「フッフッフ……」
「ウフフ……」
「お前らかなりキモいぞ。気付いてるか?」
何やら危険な目をした二人に指摘するが、二人とも気にした様子は無い。
アニェッラはトランクをテーブルに乗せて開く。
真正面にいるせいで、そのトランクの中身は見えない。
女性の鞄の中を覗きこむなんてことは極力避けるべきことだ。
そのせいで覗き込む事も出来ず、むずかゆい感覚に苛まれていると、アニェッラがトランク越しに此方を見ている。
ベルンハルドと何かを話し合っているが、ベルンハルドがまともに返せなかったのか直ぐに苛立ったようで罵倒に変わっているが。
取り敢えず、俺を抜きにして俺の話をするのは止めて欲しい。
始めて行った土地で言葉が通じなかった時のことを思い出す。
「何で分からないのかしら。あ、馬鹿だからだったわね」
アニェッラが罵倒し、
「分かるか! いや、むしろ分かったらヤバいだろうが!」
ベルンハルドが返す。
このやり取り、今日既に何回見ただろう。
俺は欠伸を噛み殺しながら思う。
火と油の様な関係の二人だが、火がつきさえすれば愛もこの位燃え上がるのだろうか。
「あら? それは私がヤバいって言ってるのかしら? 飲みに行くの、止めようかしら」
「いやそうじゃなくてだな……男が知ってるのがおかしいって意味であって……」
「ベルンハルド。そろそろじーちゃんキレちゃうぞ。主にお前の肋骨が何本が無くなっちゃう的な被害がでちゃうぞ」
「ごめん、じーちゃ……いや誰がじーちゃんやねん」
何故に関西弁やねん。
まあ、確かにベルンハルドの祖父ではないけれどもな。
でも有言実行はするぞ。
「クオ君クオ君」
「む?」
「これ、なんだか分かる?」
「マスカラだな」
「これは?」
「リップか口紅だな」
「これは?」
「ファンデーションだな」
「ほら見なさい。クオ君は知っているわ」
「何……だと」
トランクの中から取り出されたのは化粧道具だった。
俺は淡々と問われるままに答えたが、それがベルンハルドとアニェッラの言い争いが続いていた事を証明しているのは明らかだ。
よし、肋骨を2、3本頂こうか。
なんて考えたところでふと、思ってしまった。
あれ、何故アニェッラがわざわざ取りに行ったであろうトランクの中に、化粧道具が? と。
確か話し合いの内容は、どうやって戦の神からギフトを受け取るかという話だった筈だ。
……まさか。
なんて、最早フラグ以外の何ものでもない、結論に相違無い事実を、俺は思い浮かべてしまった。
「……その化粧道具は、アニェッラの私物か?」
「え? えぇそうよ」
アニェッラが頷く。
「今の議題から、それを必要とする場合にする行為って、一つしか思い浮かばないのだが……」
「多分、合ってるな」
ベルンハルトが肯定する。
「あー……それ、成功すんのか?」
「それは、五分五分かしら」
「絶対成功する! 俺を信じろ!」
二人言ってること違うんだが。
というか、ベルンハルドもアニェッラも、笑いを堪えながら言っている時点で微塵も説得力が無い。
俺は、にじり寄る二人を見て溜息を洩らす。
この程度の状況で動じる程薄い人生は送って来てないのだ。
ただ、問題があるとすれば。
敵意の無い、悪戯っ気しかない女性を傷付けるのは出来ないと言うことだけである。
1時間後、当然が如く、揺るがぬ信念のせいで逃げ場を失った俺の身体は、二人に弄ばれた後だった。
今この部屋に、武士道を語るに相応しいシンプルな袴を身に纏う男の姿は無い。
茶色の地味なワンピースに、薄く汚れた白いエプロンを身に纏い、靴だけは山越えにでも耐えうる丈夫な革靴を履いた、大きなトランクを持つ黒髪の村娘の姿が、そこにはあった。
薄く化粧をして、長い睫毛が印象的な、アニェッラすらも霞んで見えるような美人が、そこにいるのである。
というか、俺なのだけれど。
「ふふん!」
俺は、唄の師匠であるドミニカの歌を完璧に歌いたく思い身に着けた声帯模写を使い、完璧なる美しいソプラノの声で、勝ち誇るように言った。
当然が如くドヤ顔で。
そんな俺に、二人は唖然とした様子である。
「い、いや驚いた……まさかここまで輝くとは……」
「もっと新鮮なリアクションを期待してたのに。ベルンハルド、つまらないわ、あなたも女装なさい」
「いやなんでだよ!」
一度トランクを床に置くと腰に手を添えて、俺は勝ち誇るように言う。
「甘いな! 俺はこの程度の辱めなど慣れている!」
過去に、森の奥深くにあった女性しか住まぬ村では、この格好が基本だった。
じゃないと食われてしまう。
年老いた村長より道具を借りることが出来なければ俺はここに居ない!
フハハ、甘い、甘いのだよ若造共が!
この程度で俺が新鮮な反応などするものか!
「ま、まあいいや……慣れてるなら慣れてるで」
「あぁ。だからお前もさっさと着替えろ」
「…………」
「…………」
「…………え゛?」
「む?」
しばしの沈黙の末、やっと出て来たベルンハルドの反応は、藪を突いたら大蛇が出て来たようなものだった。
「ベルンハルドも……やるんですか?」
「む? 逆にやらぬのか? なら何処でベルンハルドは活躍するのだ?」
「お、俺はお前を連れてく役じゃ……」
「顔が割れているだろう。先程の兵士にはかなりの印象を与えただろうから、お前も覚えられているぞ」
「あぁ……そういえば。でも、何故ベルンハルドが必要なんです?」
「俺は場所を知らんのだ。案内人が必要だ」
ベルンハルドの考えた作戦。
俺はまだその概要を伝えられてはいないが、恐らくそれはこんな感じだ。
勇者が探していると言う黒髪黒眼の家政婦。
それに成り済まして場内へ侵入するというのが本作戦の主流だろう。
侵入に関しては現在の様な女装で、募集していた黒髪の家政婦を演じることによって行う。
その際、気を付けなければならないのは外で待たされるのではなく城壁の中で待たされることだ。
先程の様に門前払いを受けるのはご免だからな。
後は、瞳の色が黒では無く茶であることを悟られないことか。
先程の二人の反応から見るに、一見見分けがつかないのだろう。
そして、何らかの方法で兵士の目を抜け、自由に行動できるようになってから歌う場所を探す。
こういう流れであろうが、場所を全く知らない人間が探す場合には、探すのに必要な時間がかなり上がってしまうだろう。
そうならない為のベルンハルドだ。
ベルンハルドはその口調から察するに歌を捧げる場所を知っている。
ならばベルンハルドはこの作戦においてかなり必須な存在となってくる。
「黒髪の人間を連れて行く人間が必要なのであれば、アニェッラが担当しろ。ただ、絶対に城の中へは入るな」
「どうして?」
「やってる行為が不味い。間違ってもあのカードの提示なんかするなよ。提出を求められても忘れて来たで押し通せ」
もし俺達の行動がバレるのにそう時間を要さなかった場合、アニェッラに危険が及ぶ可能性もある。
というか、本当なら付添人は居て欲しくすら無かったのだが、金は欲しいだろうしな。
「なぁ、クオ」
「何だ?」
「俺が女装……ってのもわかんねーが分かった」
「どっちだよ」
「分かったんだよ。まあそれはさて置いてだ。お前……」
「どうしたんだ、ハッキリしない」
「……何時まで声変えてるんだ? 女と話してるような錯覚に苛まれるんだが」
「…………」
「…………」
「馬鹿野郎め」
「クズね」
「いや待て、お前ら俺の心境をどう想像した!?」
こいつ今の状況でそれ指摘してる場合かよ。
というか、この格好で俺の地声だと気持ち悪いのだ。
それは遠慮したいと言うか遠慮する。
元々、この位の年齢の時は威厳ある声では無かったが、それでもやはり、女の声とは違うものだ。
それにいざという時地声が出たら全て終わりだぞ。
ドミニカも言っていた。
やるなら完璧にやれと。
「取り敢えず、アニェッラ。ベルンハルドの女装も頼む」
「分かったわ。……服は私のじゃ駄目ね……」
「身体の隅々まで女にしてやれ」
「隅々まで……! 分かったわ。ちょっと同僚にベルンハルドに合う服借りて来るわね」
おい、こいつに合う服を持つ体した女が居るのか……?
あまり考えたくないんだが……。
一般論として、やはり女は痩せていた方が好まれると思うんだが……。
ふくよかな奴が好きと言う男も居るが、そいつらはどちらかと言うと特殊な部類だしな。
「なあクオ」
「ん?」
「マジにするん……だよな?」
「当然だ。何を今更」
「そうか……」
何やら遠い目をしているベルンハルドだが、その後10分足らずで帰還したアニェッラによって、服をひん剥かれたり着せられたり化粧させられたりと、余りにやり慣れないことの眼路通りで、最終的には元のテンションに戻って居た。
強固な肉体を持ち、鎧で身を固めた屈強な男の姿はもう無い。
そこにははち切れんばかりの胸筋を持ち、女とは思えないごつごつしい肉体に、ピチピチの服がフィットして、筋肉が浮かび上がる。
それだけで既にお腹いっぱいだというのに、スカートなのに蟹股で、とても下着を気にしているようには思えない。
そんな、デリカシーどころか女も捨ててそうな女が、そこに居た。
というか、ベルンハルドなのだけれど。
「キメェ」
「キモいわ」
「お前ら喧嘩売ってんだろ」
「特に顔が酷いな」
「えぇ、高価な化粧道具が台無しよ」
「お前ら喧嘩売ってんだな? そうなんだな?」
「あぁ確かに。化粧以前の問題だな」
「えぇ、無駄に長い後ろ髪が気持ち悪さを倍増させてるわね」
「お前ら、俺が泣かないとでも思ってんのか?」
まあ、そんな俺とアニェッラの感想はさて置き、これは余りに酷い。
客観的に見なくても分る。コレは酷い。
ベルンハルドの元々の瞳の色がグレーということで、髪をカツラで黒に見せようという話になり、ロン毛のそれを利用した結果、ヤバい。
多分、今なら貞子を抱擁出来る自信がある。
前に井戸の前であいつに出会った時は二秒で逃げ去ってしまったが、今それ以上に不気味な黒髪を見てしまった以上、貞子も良いものに感じる。
流石にどうにかしなければと、辺りを見回していて、職員の昼食だろうか。
パンの入っている紙袋を発見。
結構な量が入っていたそれを全て一纏めにしてテーブルに置き、ベルンハルドに被せた。
するとどうだろう。
気持ち悪さが激減したのだ。
「おぉ、これなら」
「うん、これなら良いわね。見れる見れる」
「お前ら……ガチで泣くぞ……」
「涙で紙袋濡らすなよ。使うからな」
「…………」
どうしたのだろう、ベルンハルドが駄目ってしまった。
……あ。
「見る為の穴をあけなきゃ駄目だったな。すまんベルンハルド、気付かないで」
「あ……確かにそうね。愚鈍なベルンハルドが視界を失ったら歩くのもままならないものね」
「…………」
ベルンハルドは、無言のままに俺達の言葉を聞いてか聞かずか一つだけ穴をあけ、そこからグレーの瞳が此方を除いている。
……目が充血しているような気がするのだが、気のせいだろうか。
……え、ベルンハルド泣いてる? 泣いてるの?
「クッソォォォォ! さっさと行くぞクオこのやろぉぉぉ!」
「む? おう、やる気だな」
俺はトランクを持ち、立ち上がる。
猛獣の様に吠えるベルンハルドを横目に、アニェッラへ本当に行くのかと眼で尋ねる。
アニェッラは行くと返してきた。
まあ、そこまで言うなら止めないがな。
「ウォォォォォ! やってやるぞぉぉぉぉ!」
……あ。
「ベルンハルド、お前は喋るなよ」
「あ、声が低すぎるものね」
「…………畜生」
ベルンハルドはそう呟いた以後、何も言わなくなった。
……いや、役に入るの早すぎるぞ。