010 色恋不適切な某
朝、深夜まで続いた酒盛のツケとして、睡眠不足という活動に支障を来す程では無い状態異常に見舞った俺が、欠伸を噛み殺しながら一階へ降りると、エウフラージアと女将がカウンターの前で話している場を目撃した。
規則正しい起床を常としてきた俺は、どんな夜更かしの後も、窓さえあれば太陽の位置的観点から同時刻に起床してしまうという何とも言えない体質から、それなりに早い時間だっただろうが、エウフラージアは何処かへ出かけるようだった。
昨日の服装とは打って変わり、その地域の風習を感じさせないその服装は、何処となく制服を彷彿とさせた。
「おはよう。女将、エウフラージアはこんな朝早くから何処へ行こうと言うのだ?」
「あら、えっと……アンタ名前何てんだい? 昨日のアレ、読めなかったんだよ」
「だろうな、母国語だ。俺は久遠、千壌土久遠という」
「へぇ……クオ……ンって言うのかい。この子は今から学校だよ」
トラウゴットやベルンハルドと話していて思ったが、やはりこの地方で俺の名は呼びにくいものであるらしい。
ただ職業柄か、女将はイントネーションが怪しいながらも久遠と言えている。
トラウゴットやベルンハルド達とも慣れ親しむうちに俺の名前がちゃんと呼ばれる様になるかもしれない。
ただ、ベルンハルドは洒落にならない量の請求が行っただろうから、余り友好的な関係は気付け無さそうではあるが。
昨日のことを思い出すと、笑みが零れる。
楽しい酒盛りというのは色々なところであったものだが、あそこまで楽しいのは久し振りだ。
飲み比べの後の話は、俺の今後の旅路に興味や好奇心、楽しみを作らせた。
人それぞれによって違う視点で見られる同じ景色。
その場所へ行って、話に出て来た見方をしてみれば、違う視点から見てみることが出来るのだ。
さて置き、エウフラージアが学校、か。
「ほう、学生だったのか。学校はこの場所から通える場所にあるのか?」
「少し遠いけどね。……って、本人が前に居るんだから直接聞きなさいな」
「これから行く先を尋ねられるほど、親しくしていないのでな」
俺は苦笑する。
もし俺に行く先を伝え、その結果何かしらの問題に直面したら目も当てられない。
いや、そうなった場合は十中八九どころか必ずと言って良い程に俺が犯人であろうが。
「今後親しくなる予定は?」
「お母さん!」
「エウフラージア次第、かな」
興味の視線で俺と娘を一瞥する女将に、エウフラージアは怒った風に母を呼び、俺は当たり障りのない返答を返す。
まあ、どちらにせよそこまで長居する気は無い。
王に条例を取り消させるために動くにしても、この宿に泊まる一週間だけだ。
その時間でそれが叶わなければ恐らく、俺には無理だろう。
それに、酒場で聞いた男たちの話は、余りに俺を刺激して、一秒でも早く沢山の物を見て回りたいのだ。
過去の旅路では、一か国に数年、数か月単位で滞在したことも多かった。
しかし、話を聞いていてこの国で学べることは案外少なそうだ、と俺は印象付けた。
ここは綺麗な町だ。
ある意味、完成されている町だ。
完成品の中を歩くのは楽だが、心地よくは無い。
不完全であるが故の安らぎがあると、俺は思う訳なんだ。
「もう、久遠さんも母に乗らないで下さい」
「フフ、案外ふざけている訳では無いかもしれんよ? 年寄りはからかわれるのを嫌うが、からかうのはとても好きな生き物だからな」
「アンタは何若いうちからお爺ちゃんになってんだい! 若者は若者らしく一直線に突撃なさいな!」
「ほう、例えば?」
「お母さん! 久遠さん!」
俺と女将は笑う。
もしこの様な孫が居たら、俺の人生は変わっていたのだろうか。
なんて、子供と関わると思ってしまうからいけない。
俺は何一つ捨てずに来たつもりだったが、その辺の幸せはそもそも、拾う事すらしなかったんだな。
「ほらエウフラージア。俺や女将を構って居たら遅刻してしまうぞ。おじいちゃん遅刻は許さんぞ。もしなりそうなら俺の背に乗れ。久遠さんタクシーは年中無休で活動する」
「タクシー?」
「む、人力車か」
「……。…………って、そんな恥ずかしいこと出来ませんよ!」
「……あぁ、スカートだものな。この辺にあるかは知らないが、今度下着を隠すために履くスパッツか何か縫ってやろう」
「そういう問題じゃないです!」
「ぬう?」
「クオン……アンタ本気で分ってないね?」
何を言う。
俺に触りたくない場合を除き、歩かずとも学校へ行けるのだぞ?
俺は体の位置を全く変えずに走る歩法を身に着けているから、揺れ何か一切無い。
多分、馬車より乗り心地は良いんじゃないか?
……いや、女将の口調からそういうことじゃないんだろうな。
「まあ、寝坊した時にでも俺を頼れ。どうせ体を動かそうと思っていたのだ、俺もトレーニングにはなる」
「……絶対寝坊しません」
「…………今のは流石に傷付くぞ」
とどのつまり、俺の考えは正しく、俺に触りたくないということじゃなかろうか。
藪蛇の気分だ。
思わぬ大打撃に俺のテンションはだだ下がりだが、そんな俺をみてあたふたするエウフラージアを見た感じ悪意が無いことは分かるから、表面上に出さず心の中で落ち込んでおくとする。
「取り敢えず、本気で遅刻するぞ? 家から近い訳では無いのだろう?」
「あ、はい。そうですね! お母さん、久遠さん、いってきます!」
「はいよ、いってらっしゃい」
「いってらっしゃい」
俺は、どんな場合に置いても見送る際は笑顔でと決めている。
心の底から笑い、手を振りながら言った俺にエウフラージアは一瞬驚いたような顔を見せた後、慌てた様に宿屋の外へ走り去ってしまった。
「……で、実際の所アンタはどう思ってるんだい?」
「どう、とは?」
「エウフラージアの事。好きなのかい?」
「ふむ、好きだぞ」
「あらまあ!」
「孫の様に思っている」
「…………」
女将が黙り込み、俺は首を傾げることになる。
その顔は、その歳でどうしてそうなったと言っているが、実年齢111歳なんだから普通なのだ。
良く考えたら精神年齢は遠い昔に爺さんな訳で、今更恋心なんて気付けるものなのだろうか。
その答えは否、というのが現状から導き出された答えな訳なのだが……。
いや、それを他人へどう伝えればいいのか、と言う問題な訳だが。
俺がエウフラージアを好きと言ってから『孫の様に~』のくだりを言うまでの少しの時間、この宿屋の厨房方面から殺気に相違ない敵意が俺を突き刺していた訳で。
「女将よ」
その殺意にして敵意にして悪意にして、悪鬼羅刹が如く邪悪な何かを突き刺してきた相手は、何と無くながらに予想が付きそうなものだが、それでも問うべきだ。
「何だい?」
「今の時間、厨房に立っている人物は……」
「ん? 旦那だけど?」
「…………」
その答えは、予想外でもなんでもない。
間違う訳も無かったといえば、間違う訳も無かった。
過去何回か。
似たような視線を浴びせられた経験があるのだ。
一番怖かったのは、メリーさん。
何時でも何処に背後へ這いより片手に包丁。
いや、あそこは父娘セットで恐怖の対象だったから論外か。
兎に角。
なんというか、愛されておるなエウフラージアよ……。
あやつの夫となる男児は苦悩を強いられそうではあるが、その両親の愛は羨ましいものがある。
愛される子がいれば、愛されない子も、この世にいる。
だから、この場に満ち溢れている親の子への愛は宝だろうな。
ただ、このような老害にまで悪鬼が如くのオーラを突き刺すのはどうだろう……。
あ、見た目若いのだった。
しかも、アンディシュ曰く若きし頃の俺は、女&その親の敵だそうだ。
……先程、女将は厨房に立つのは旦那だと、エウフラージアの父だと言っていた。
少し仲よくする努力をしておかなければ、俺だけ対人間抹殺料理が出てきそうな予感を感じた。
美味しいご飯を美味しく頂くため、その後俺は朝食まで色々頑張ることになるのだが、それは美味しく頂いた朝食と共に飲み込んで忘れようと心に決める俺だった。
さて置き、いや、リアルに波瀾万丈であった朝食を、さて置くには時間経過がそれ程でない現在なのだが、俺はカウンターの奥に居る女将と項垂れながら小言を洩らす。
「斬ってはならぬだろうな……娘への愛が故なのだから……しかし、関係無い老害にここまでの被害を……」
「疲れてるねぇ」
それは、な。
「元気の源になる筈の朝食が、一転して愛娘を持つ父親との死合へ早変わりしたからな……」
「ものっそい本末転倒だねぇ」
だよなぁ。
取り敢えず美味しくはいただけたものの、その代償として朝っぱらからエネルギーを根こそぎ奪われては元気もクソも無い。
宿の選択ミスったか。
ただ、今更変えようとも思えないのが俺である。
旅先で出会ったそんな環境も、楽しみの一つだ、なんて考えてしまっているのだからもう駄目だろう。
クク、一週間でゆっくり飯位食えるようになるか、勝負だな。
「あぁ、そうだ」
「何だい? 旦那を丸め込む作戦でも思いついたのかい?」
「いや」
「ん? じゃあ何だっていうんだい?」
「そんなことを考えて過ごしてちゃそれこそ本末転倒だろ。それより、短剣を買いたいんだが良い店を知らないか?」
「んー……そっち系は旦那が詳しいんだけどねぇ」
「……聞けると思うか? 俺は一言も交わさぬ内にあの若造の敵と成り果てたのだぞ」
あっ、今は年下だった。
「無理だろうねぇ。あっ。エウフラージアが剣を買う友達の付き添いに行ったって言ってたねぇ。そこなら何かあるんじゃないかい?」
「場所は分かるのか?」
「一応ね。……あ、その友達、男みたいだよ?」
「何!? よし……それをネタに俺への態度改善を図り、安全な食事を……!」
「そっち? ……まあアンタならそうか」
「それ以外に何があると!?」
「お、おぉ。うごめん、ごめんよ、アタシが間違ってた」
女将が、必死さをアピールする俺の頭にポンポンと手を置く。
今、結構深刻なのだぞ。
金払ったのに外で飯を済ませなきゃいけない可能性が出てきてるからな。
楽しみであるのは確かだが、安全なご飯と天秤に掛けると非を見るより明らかに、安全なご飯を取る。
この場所でのエンターティナーは別に沢山あるようだしな。
「取り敢えず、店の場所を教えてくれ」
女将から教わった場所は、まだ足を踏み入れてはいない所だった。
酒場とは反対方向で、城と、後エウフラージアが通う学校も其方側へあるのだとか。
ゆっくりいかなければエウフラージアに追いつける可能性もあるって訳か。
「でも、こんな朝早くからは流石にやってないと思うよ?」
「む、それもそうか。じゃあトレーニングでもしながら店が開く時間を待つか」
「いや、アンタここに何しに来たの。町の探索はもうしたの?」
……。
…………。
……うおおおお! そうであった! 現状が当たり前すぎて当たり前の様に忘れていたが。
「そうであった! ここは俺の知らぬ土地。見知らぬものの宝庫であったな!」
「ちょ、どうしたのさ突然……」
俺のテンションとギアが一気にマックスまで跳ね上がり、その眼はまだ知らぬものを見る喜びを期待する様に輝き、その輝きに女将は若干引いたような顔を見せる。
いや、テンションで言わせて貰えばぬしにそのような顔をされる筋合いは毛頭ない気がするのだが。
「いや、そもそも俺は何故人から聞く事で情報を得ようとしていたのか!」
「ハァ?」
「情報は! 自分で走り回って得るものだろう!」
「はぁ……何か要らないスイッチを押しちまった見たいだねぇ」
いやだから、ぬしにそのような顔をされる筋合いはないのだが。
ただ、今はそんなことを指摘している暇は無いのだ。
「ではな! 女将、夕食は何時だ?」
「30時だよ。晩飯はまともに食べられると良いねぇ」
「おう、分かった! 30時……だな? 30時?」
……? 30時? 今女将は30時と言ったか。
おかしい、地球は24時間で一回転するように出来ていた筈なのだが。
「? どうしたんだい?」
「女将よ、つかぬ事を伺うが、ぬしの感覚で一日とは何時間だ?」
女将は、急に冷めた俺の声色に怪訝そうにしつつ、当たり前の様な口調で言う。
「ハァ? そんなのは万国共通で40時に決まってるじゃないか」
……。
……星が違う。
ちょ、お前コレ。
神様お前、若返らすだけじゃ飽きたらず、足をつける星そのもの代えやがたのか!?