虹
同じ部署で働く以上、ましてペアで仕事をする以上、接触する機会が多いのは当たり前。
今までそんなこと気にしてなかったのに…。
「眞野さん、この書類お願いします」
…視線の先には楢谷くん。
別にさ、どこにでもいる男の子だと思うのよ?
確かに格好いいとは思うけど。
仕事も出来るし、人当たりもいいし。
確か、痴漢に遭って困ってる同僚を助けてあげたことがきっかけで、王子様なんて呼ばれることになったのよね。
その現場に居合わせたのが伊都紀で(その子に痴漢のことで泣きつかれて、一緒に出勤してたらしい)、その行動に感動してたっけ。
「眞野さん?」
再び、楢谷くんに名前を呼ばれる。
「あ、え、何?」
完全に自分の思考に没頭していた。
「眞野さんが仕事中に考え事なんて珍しいですね」
楢谷くんが小さく笑ってる。
…悔しいけど、笑顔がかわいい。
「はい、この書類お願いします」
わたしの前に書類が差し出される。
相変わらず仕事の早い…この書類の作成を依頼したのは、昨日の終業間際だったはずなのに。
「ん、ありがとう」
書類を手に取り、パラパラとめくる。
ざっと見ただけだけど、いつものように見やすくまとめてある。
楢谷くんと組んで仕事をすると、いつも楽をさせてもらってる気がする。
「いつも悪いわね。でも、助かる」
「いえ、このくらい。眞野さんには最初の頃からお世話になってますし」
楢谷くんがこの部署に配置されたとき、いわゆる教育係だったのは、実はわたし。
数ヶ月もしないうちに、使える新人になってくれた。
もともとの彼の資質が伸びただけなんだろうけど、おかげでわたしの評価も上げてくれた。
それ以来、何かと仕事上で組まされることが多い。
今回もあるプランを二人で計画しなくちゃいけなくて、それに必要な書類の作成を彼に依頼したところだった。
仕事上で二人でいるときには何も気にしていなかった。
でも、あの雨の日以来、時々何か言いたげな視線にぶつかる。
その視線の意味はあえて問わなかった。
「じゃ、こっちの仕事済ませちゃうね」
楢谷くんがくれた書類を元に自分の仕事に集中する。
期限が差し迫っているわけではないけど、できれば余裕を持って仕上げたかった。
楢谷くんも自分の仕事に戻ったみたいだった。
やがて、お昼の休憩時間がやってきた。
いつもは社員食堂で食べるんだけど、楢谷くんやその取り巻きの視線が痛くて、今日は違うところで食べるつもりだった。
どこにしようかな…考えをめぐらす。
思いついたのはあの場所だった。
エレベーターで最上階まで行き、そこから非常階段で屋上へと向かう。
梅雨の時期も終わりに近付いてきているのか、あの日の頃のように、毎日雨ばかりということも少なくなってきている。
それでも今日は小雨が降ってたんだけど、お昼休みの前には上がっていた。
屋上といっても、ベンチがぽつんと一つ置いてあるだけの何もない場所。
昔、誰かが置いたんだということは聞いたことがある。
でも、人気はない。
本当にただの屋上だから。
空調の吐き出し口があってうるさいし、境界にフェンスがあるわけでもなくて、会社はここへの出入りは禁じているから。
ここを教えてくれたのは、先輩だった。
大きなミスをして、落ち込んでるときに、ここに連れて来てくれた。
高いところから見る景色は心を和ませてくれるのよって。
それから時々ここに来る。
ベンチに付いている雨の雫を持参したタオルでふき取り、座る。
ぼんやりと目の前に広がる景色。
そこに不意に影が出来た。
「…楢谷くん…」
彼が立っていた。
彼の後ろの空には虹が架かっていた。
2004.04.06(5)初出




