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視線

結局、いつもの時間に会社に着いた。

エントランスで傘をたたみ、エレベーターホールの方へ歩く。


同じ道を進んできたせいで、楢谷くんとは一緒に会社へ着いた。

さすがに同じ部署へ行くのに、無視するわけには行かないので、並んで歩く羽目に陥る。

誰かに見られたら、あらぬ誤解を招くかもしれないと心の中で警戒しつつ…。

だけど、これといって会話らしい会話はなく、ただ同じ方向に歩いただけのことだった。


エレベーターホールでぼんやりとしていると、ぐいっと腕を後ろに引かれた。

危うくバランスを崩しそうになる。

(なんだか、今日はこんなことばっかり…)

そう思いつつ、またもや楢谷くんに助けられた。


「眞野さん、大丈夫ですか?」

楢谷くんは苦笑している。

まあ短時間のうちに同じようなこと繰り返したら、そりゃ笑われるよね。

「ありがとう」

とりあえず、お礼を言う。でも――今度はわたしのせいじゃない。


後ろを振り向くと、同期の津田伊都紀つだいつきが立っている。

「伊都紀。危ないじゃない。転んだらどうするのよ?」

腕を引っ張ったのはこいつに違いない。

「あら、唯香ゆいかがぼんやりしてるからじゃない?」

しれっと言い返される。

確かにぼんやりはしてたけど、急に腕を引っ張ったのはそっちでしょ?

そう言いたいのをぐっとこらえる。

言い返したが最後、伊都紀にかかると十倍になって返ってくるのは今までの付き合いで十分身に染みている。


「で、何の用?」

とりあえず、営業用スマイルを浮かべる。

すると、また腕を引っ張られ、ホールの隅へと連れ込まれる。


「ねえ、何で王子様と一緒に出勤してるの?」

王子様とは言わずと知れた楢谷くんのこと。

社内のアイドル的存在である楢谷くんにはファンクラブなるものが存在し、その会員から『王子様』と呼ばれているのを、その会長である伊都紀から、耳にタコが出来るほど聞かされている。

そして、抜け駆けは禁止ってことも。


「何でって、たまたま一緒になっただけよ」

――そう。それは事実。

何年か一緒に仕事をしてきたけど、一緒に出社したのは初めてだった。

夜も一緒に帰ったことはなかったと思う。

ただ、転びそうになったのを助けてもらったことや、その腕を数瞬捕まれたままだったことは言えない。

言えないっていうか、そんなこと言ったら…殺される…。


「ふ~ん…」

訝しむ伊都紀の視線が怖い…。

昔から彼女には嘘はつけない。

いや、嘘を付いてるわけじゃないんだけど…。


「眞野さ~ん、エレベーター来ますよ?」

絶妙のタイミングで、楢谷くんの声が掛かる。

(助かった~)

伊都紀から離れ、エレベーターの方へと歩く。

その背後に感じる視線が痛い。

逃げるようにして、エレベーターに乗り込む。


「津田さん、何の用事だったんですか?」

楢谷くんが顔を覗き込むようにして、聞いてくる。


「ん?なんでもないよ」

まさか、本人に「あなたのことを話してました」なんて言えない。

それに不用意に近付かないで欲しい。

ここは外と違って、ファンクラブの目が厳しいし。


「本当に?」

それでも、食い下がるように聞いてくる。

そんな楢谷くんとの間に一歩距離を取る。誤解されるのだけは勘弁してほしいし…。

「なんでそんなこと聞くの?」

とりあえず、逆に聞いてみる。


「え?あ、いや、えっと…」

なんだかいつものハキハキとした態度と違い、煮え切らない。

そんなこんなでエレベーターは目的の地に着く。

そのまま楢谷くんから離れ、机に向かう。


とりあえず、仕事モードに気持ちを切りかえる。

――でも、なんだか仕事中もどこからとも知れない視線が痛かった…。


2004.03.09(5)初出

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