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鬱陶しい。

そんな想いで一杯になる。

だって、もう1週間も降りっぱなし。

いくら梅雨の時期だからって、こう毎日毎日雨ばっかりだと、気も滅入ってしまう。だからといって、何度溜息をついても仕方ない。

傘の柄をきゅっと握りなおし、雨の街へと踏み出す。


近道するかな。

少しでも早く建物の中に入りたくて、会社までの道のりを短縮しようと考えた。

いつもは使わない路地裏の細い道を進んでいく。

この道を使うことで、軽く5分は短縮できる。

いつもこの道を使えばいいのかもしれないけれど、陽が射さずちょっと薄気味悪いから、あまり好んでは使いたくなかった。。

それでも、この鬱陶しい雨から少しでも早く逃れたくて、思い切ってこの道を選んだ。


「…やっぱり、やめればよかったかな…?」

もう陽が昇っている時間だというのに――いや、今日は雨だから陽は射していないんだけど――この薄暗さは何なの?

今にもどこからか何か飛び出してくるんじゃないかと内心ビクビクしながら歩く。

それでも、建物が入り組んでいるせいか、あの鬱陶しいほどの雨の勢いが弱いのには感謝した。


ほとんど脇目も振らずに歩いていると、急に何かが目の前を横切った。

そして――ぶつかった。

「きゃっ」

その拍子で転びそうになるところを支えてくれたのは、今しがたぶつかった人物の腕だった。


「随分、可愛らしい悲鳴ですね」

聞き覚えのある口調に視線を上げると、同じ部署で働く後輩の姿。

「眞野女史のことだから、もっと男らしい悲鳴かと思った」と言葉を続ける。


助けてくれたのは正直ありがたかった。

この雨の中で転べば、仕事に行く前にスーツは台無しだろう。

でも、ぶつかった相手が悪かった。


彼―楢谷柊也ならたにしゅうやは仕事も出来る3つ下の後輩だ。

密かに彼のファンクラブなるものが存在してることも知っている。

そんな社内のアイドルに―例え下心がなかったとしても―接触したとなると…想像するだけで恐ろしい。

とりあえず、この場所が人気のない場所でよかったとほっと胸を撫で下ろす。


それから「ん?」と首をかしげる。

今、楢谷くんはしれっと失礼なことを言わなかった?

『もっと男らしい悲鳴かと思った』

――まあ、確かに社内では男勝りって言われてる。

だからってそんな言い方はないんじゃない?


抗議しようと顔を上げると、思ったよりも近い場所に楢谷くんの顔はあって、びっくりした。

「眞野さん、大丈夫ですか?」

心配そうな瞳。

何も言わないわたしを心配してくれたんだろうか?


「だ、大丈夫よ。さ、急ぎましょう」

体勢を立て直し、歩き出そうと試みる。

「?」

でも前に進まない。

気が付くと、楢谷くんの腕がわたしの腕を掴んでいる。

いくらビル街の谷間で、雨が降り込まないといっても、全然濡れないわけじゃない。


「楢谷くん、濡れちゃうよ?」

そういって腕を振り解こうとするけど、やっぱり男の人の力は侮れない。

「…楢谷くん?」

何も言わない楢谷くんの表情は傘で隠れて見ることが出来ない。


どれくらい時間が過ぎたのか、楢谷くんは大きな溜息を一つつくと「すみません」と謝り、腕を離してくれた。

傘に収まりきらなかった、お互いのスーツの袖は、しっとりと水を含んで重くなっていた。


わたしは楢谷くんの行動に驚き、何一つ言えないまま、会社への道を急いだ。

二人とも会社まで一言も話さなかった。


…結局近道をしたにもかかわらず、会社までの時間はいつもと変わらなかった。


2004.03.02(5)初出

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