EEランク――1
「二週間後に一匹のブラックドラゴンが我が娘フィアナを襲撃する。そのため、皆も知っての通りではあると思うが、諸君には姫の護衛にあたってもらう。本来ならば神の使いとされるドラゴンに刃向かうなどもってのほかではあるが、異例の事態ゆえ、教団より直々に堕天認定が為された。よって彼のドラゴンは人類の敵である。予言者殿は結末までは視ておられぬ。しかし私は諸君が必ずや――」
……人類の敵、ねえ……よく言う。
集った勇者の中、フランは内心鼻で笑いながら王の演説を聞いた。
どういう事情があるにせよ、教団も踏み切ったことをしたものだと思う。
一昔前までドラゴンは伝説上の生物だった。
ある接触を境にして認知が広がったとはいえ、それを目にした者の数などたかがしれるだろう。この中でドラゴンと剣を手に戦った者など一人もいないはずだ。
交戦自体が赦されていない。
そもそも戦うなどという言葉が人とドラゴンとの間で生まれること自体がまずありえないことなのだから。それだけ圧倒的な戦力差があると言われている。相手は神話上の生き物だった超常の存在なのだ。
果たして、この中で勝算がある者は何人いるのか。
無論、魔王などという途方もない存在と戦えといわれるよりはマシなのかもしれないが。あちらは判っている分どうしようもないくらい絶望的だが、ドラゴンにおいては大概が未知だ。
実際に戦場に立たねば真に脅威を理解することなどできないだろう。
かといって、いざ戦うとなったときに一目散に逃げ出してしまうようではお話にならない。
故に勇者なのだろう。
子供が幼い頃に憧れるような、現実を知らない内の幻想を貫き通してきただけはある人材が集っている。成る程、これでは尻尾を巻いて逃げ出すような輩は少ないだろう。もっとも、全員ではない以上、みっともなく逃げ出す輩はいるだろう。それは間違いない。
いかに高潔であろうと、極限の恐怖――すなわち死を前にして平静を保てる者など稀だ。たとえ勇者であろうと例外はない。あるとすればそれは、狂気。一種病気めいたほどの執念。それを持ち合わせてしまう者だ。勇者の中にはこの手の手合いが多い。尋常ではないほどの妄執に取り憑かれた者ほど、病的なほどにある一線を必死で取り繕う。たとえばそれは正義の名の下に。
よく見てみると中にはSランクの高名な勇者も混じっている。
自分のようなEEランクでは足下にも及ばないような気高さを感じた。
数々の実績があり、それに裏打ちされた実力もある。だから彼らが一番強いということにもならないが、自らの命を省みずに命を投げ出す程度の覚悟はあるだろう。
討伐に成功した暁には王から莫大な報酬が支払われるのだが、フランはそれ自体に興味はない。
ほしいのは宝物庫の奥深くに眠っているだろう宝剣だ。
ただの飾りではないことは事前の調べで判っている。
後はなんとしてもそれさえ手に入ればいい。
他は知らない。
いや、一つだけあるか。
たった一つだけだが。
ランクに裏打ちされた正義感のなさにかすかに自嘲したフランは、『各々準備に励んでほしい』という言葉を聞きつけてその場を後にした。
城の庭園にあたるその場所は今、勇者の意見交換場所として解放されている。
緑豊かな庭園に風が吹き抜け、爽やかな空気が肌をなでた。鼻腔をくすぐる花の香りにほっと一息吐いて、ふりそそぐ暖かな陽差しの下、噴水を囲むようにして設置された椅子に腰掛ける。
そうして偽物の空を見上げ、周囲を見渡した。
周りには勇者から騎士まで様々。
各々が二週間後に備え戦術について言葉を交わし、また旧知の者たちは親しげに言葉を交わし合っている。
フランは特に知り合いもいず――いるにはいるのだが精々が知人である程度だし殊更に仲がいいというわけでもない――単独での戦闘経験が主のため戦術について口出しできることも特にない。手持ち無沙汰で遠くから眺めていた。
時折ひそひそと悪口が聞こえてくるのは気のせいではないだろう。半年ほど前だったか、西域にあるラムタールでの戦の折、フランは少々勇者としてあるまじきことをした。それを知っているものがこの中に混じっているのだろう。
とてつもない醜聞ではあるがフランは特に気にしていない。
とはいえ、その内正義感に駆られた人間が何かしら忠告に来るだろう。最悪、今回の作戦から離脱することになるかもしれない。そうなったらそうなったらでフランとしては単独行動をする腹づもりだから大した痛手ではないが、敵と断じられるような展開は好ましくない。可能ならば避けたいところだが、はてさてどうなるやら。
まあ、どう転んだところで自分の立ち回りは変わらない。
そんな風に楽観的に思考していると横合いから声がかけられた。
「えっと……フランさんでいいのかな?」
「フランでいい。それで、何か用か?」
「いやあの、別に用というわけじゃないんだけど……その、宿舎で相部屋の人が君だと聞いてて、それで挨拶に……」
おどおどと顔を俯ける絵に描いたような美形の少年を見て、フランは鋭く目を細めた。
男装の令嬢のようにも見てとれる、まるでどころではないほどに可愛らしい外見。気品あふれる様は御両親の教育のたまものかあるいは生まれか。
柔らかな目尻に癖のある長い金髪。後ろで束ねてあるのが惜しく見えるほどに艶やかな光沢を放っている。思わずさわりたくなるほどに魅力的だった。
……大変だなお前も。
心中で呟き、小さく目を逸らした。
「ああ、よろしく頼む。えっと、名前は?」
「ユーリ・コーファ。ユーリでいいよ」
「ユーリだな。判った。ユーリ、ランクは?」
「あ、僕はAだよ。ユーリは?」
Aランク。努力と根性だけでのし上がれるのはBまでだ。そこから先は相応の実力を要求される。雑魚に敗北する最高ランクの勇者など論外なのだ。いくつかの奇蹟が重なればただの一般人でもSランク程度の偉業を為すことは不可能ではない。過去にそう言った事例があり、渦中のそいつは望まれた結果を出せずに潰れた。勇者に限ったことではないのだろうが、かつがれるだけかつがれて、結局誰もそいつを下ろしてやろうとしなかった。そうして生まれた一つの喜劇は、悲劇だ。当人の望まない出世は災いにしかならない。
数だけはぞろぞろといるBランクとAランクには雲泥の差がある。
おそらくは十代半ばといった年齢であろうユーリがそういう地位に着いているということは、類い希なる偉業だ。なれない奴は一生経っても無理なのだから。
「EEだ」
「EE? 聞いたことないけど……そんなランクもあるんだね」
「まあ、普通はならないからなぁ。自慢じゃないが並大抵の奴は冠されることのない勇者としては最低にあたるランクだな。だから、あんまり俺には話しかけない方がいい。じゃないと、同類だと思われちまうぞ」
そう、普通は呼ばれることすらありえない蔑称なのだ。
もうどうしようもない屑――そんな勇者を指して使われるがあまり公で口にする者はいない。陰で叩くときにはよく口にされるが。
それを知らないということは、さぞや清いところで勇者をやってきたのだろう。
「そんなっ。ボクは気にしないよ」
「……俺が気にすんだよ」
フランは臆面もなくそう言い放ったユーリから目を逸らす。
「え?」
「何でもない」
「そう? でも、よろしくね」
言って差し出された手をまじまじと見て、それからユーリの顔に視線を移す。
笑顔だ。
一切の邪気が感じられれず、純粋な思いを感じた。
「…………」
長いことそうしていたはずだが、ユーリは困惑することもなく、じっと笑顔で待っているようだった。
それを無下にするのがしのびなくて、おずおずと手を伸ばしてしまう。
「……よろしく頼む」
「うん!」
しっかりと握りしめられた手から、ユーリの体温を直に感じる。
温かかった。
離すのが惜しくなるほどに。
それ故に、案じてしまった。
果たしてこの手は、どれほど温かくいられるのだろうか、と。
しかしそれも束の間、考えても詮なきことだと思考を切り捨てる。自分には関係のないことだ。
「恐らくは一段落ついたところだろう。ここで一つ提案がある」
その声に、全員が静まりかえった。
圧力があったわけではない。けれど、雑踏の中にあっても浸透していきそうな、奇妙な透明感があった。それでいて、胃の腑にずんと響きそうな重量感を伴っていた。
居合わせる人間の視線が次々と吸い寄せられていく。
「実力を計り合うためにも、各々手合わせでもどうだろうか?」
――リーダーはこいつで決まりだな。
その姿を見て、フランは確信した。
Sランク勇者の中でも一線を画す《煌剣》の異名で知られるヴァン・シュタインだった。
彫りの深い顔立ちに鍛え抜かれた肉体。幾多の傷は、かつての青臭さを匂わせるが、彼を侮るような人間はまずいない。その身に纏われた鎧は蒼穹を彷彿とさせる突き抜けるような蒼。その背に背負う大剣は燃え上がる紅蓮のような紅。正反対の色ではあるが、それが何よりも合致して見える。
歴戦の勇士を思わせるその様は、見かけ倒しでは決してない。
この勇者の中で最も信頼できるとすれば彼だと、フランは考えていた。
実際に目にしてきた偉業があればこそ、だ。
誰もが口々に賛成の意を表する中、フランは静かに立ち上がり、視線の隙間をかいくぐるようにして庭園を後にしようとし、
「君は反対か?」
ヴァンに呼び止められた。
立ち止まり、背中越しに返答する。
「いや、賛成だ」
「ならどうして?」
「興がのらない」
「それだけか?」
「目立つのは嫌いだからな」
「なるほど。私としては君と手合わせできないことが残念で仕方がないのだがね」
「それは褒め言葉か?」
鼻で笑って歩き出すが、思い当たって立ち止まる。
「ああ、一つ提案がある。今夜の襲撃、俺は後方――できれば誰もいないところから迎撃したい。そこでブレスを拡散させるから、拡散したブレスを各個で撃破。そういう流れで片をつけたい」
「取り計らおう」
即答かよ。
今度こそフランは庭園を後にした。
出て行ったフランの背を見送ったヴァンは小さく苦笑した。
「不器用なのは相変わらずか。君はいつもそうだな」
誰かが英雄となった影で、英雄になり損なった者は必ずいる。
どこかで誰かが損な役回りを引き受けねば成り立たない世界を歯痒く思う。特に、勇者などという職業に就いている者ならば尚のことだ。Sランクの勇者とEランクの勇者。同じ戦場で手に手を取り合ったところで、讃えられるのはいつも名の知られた者だ。
富や名声が欲しくて勇者になったわけではないが、金がなければ旅はできず、名声がなければ信用がない。ただ勇者であれば人々から全幅の信頼を受ける時代ではなくなったのだ。
それが彼には悲しかった。
光があれば闇もある。
幾多の戦場で生き抜いてきたヴァンは知っている。
殺すことが悪ではない。
殺さぬことが正義ではない。
正義とは、悪とは、常に誰かの視点が織り交ぜられ、より多くに支持された方が正義にもなるし、悪にもなる。
ブラックドラゴンの一件についても同様だ。
彼が悪などと誰に断定できる。
それでも。
「心に墓標を立てるとき、すべからくそれは悪である」
ならば。
正義とは。
「自ら抱いた理念を貫き通すことではないか」
だから、彼は揺るがない。
幼子の命を脅かすブラックドラゴンと戦う。
敵意ある者ならば衝突は必死である。
しかし必ずしも命のやりとりが必要などとは決して思わない。
だからといって、武器を持たずに話し合いに応じることができるほどに彼は勇ある者ではない。
それでも彼は勇者だった。
どうしようもないほどに勇者だった。
シルヴィ・ストレイアはフランが庭園を出て行く姿を睨みつけて呟いた。
「また逃げるのね、あんたは」
「どうしたんだいシルヴィ? そんなに怖い顔をして」
「別に。なんでもないわよ」
「そうかい? ならいいんだが」
微笑を浮かべた優男に適当な返事をしながらシルヴィは練武場に向けて歩き出す。
そこで手合わせをするという話になり、今は全員で移動する最中だ。
決戦は二週間後。一人の力だけで抵抗できるはずもなく、必然的に強いられるのは各々の連携によるチームプレーだ。初めて顔を合わす者も多い中、互いの力量も知らずに戦いに臨んでは信頼関係など築けるはずがなく、戦場で足を引っ張りかねない。適材適所。自身の役割をきちんと把握し、弁えることが必要なのだ。
なのに、そんな当たり前のことをフランは怠ったのだ。
ありえない。
赦されることではない。
弱いわけではないのは知っている。たぶん自分では勝てないということも知っている。
だからといってドラゴン相手にどうにかなるはすがないというのに。
まるで必要ないといわんばかりのフランが腹立たしくて仕方ない。きっと自分のことなど覚えていないのだろう。自分はこんなにも彼を憎んでいるというのに。
きっとあいつはまた逃げる。ならばこの作戦から外すべきだ。
シルヴィはそう考えていた。
今夜の襲撃までにヴァンへ報告しよう。そう考えて、足早に練武場へ向かった。