終章、君が想う聖魔騎士【6】
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そよそよ、と。
優しく肌を撫でる風を感じて、カイルは静かに目を覚ました。
白い天井。
心地よいベッド。
そして、聞き覚えのある声。
「目、覚めましたか?」
声のする方へと目を向ければ、ベッド脇には白衣姿のラフグレ医師がいて、穏やかな表情でこちらを見下ろしていた。
カイルはぼんやりとした思考でぽつりと訊ねる。
「……ここは?」
ラフグレ医師はニコリと微笑んで、
「天国です」
「そうか……」
「あ、いやあの、嘘です。冗談です。ここは候補生寮内にある治療室ですよ」
取り乱すラフグレ医師の姿は初めて見た気がする。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
カイルは自分の右手を眼前へと運ぶと、それをジッと見つめた。
「俺……生きているのか?」
「──みたいですね。あの失血量からして、あなたは死んだとばかり思っていたんですが……。
なんか、奇跡的に生きちゃっているみたいですね」
「奇跡で生きたら悪いのか?」
首を傾げながら曖昧な表情でラフグレ医師。
「医学的にあり得ないことをこうも堂々と見せられますと、正直『化け物』としか言いようがありません」
カイルは自嘲するように笑って半眼で呟く。
「化け物、ねぇ……」
ラフグレ医師が気楽にポンと手を打つ。
「あぁそうそう。化け物といえば──」
「オイ」
「あなたがやらかした騒動に巻き込まれた聖魔騎士の犠牲者がけっこういらっしゃるみたいですよ。色んな国の王様たちがその被害に頭を悩ませていました。まさか候補生以外の死傷が出るなんて前代未聞のことですからね。ずいぶんと派手にやりましたねぇ」
他人事のように明るく言うラフグレ医師。
カイルは右手で顔を覆う。
「犠牲となった聖魔騎士には家族を持っている奴もいたかもしれないな」
そして深くため息をつく。
「俺……きっとすごく恨まれるだろうな」
懐かしそうに微笑してラフグレ医師。聞こえるか聞こえないかの声で呟く。
「まるでシン聖魔騎士みたいですね」
「──え?」
本気で聞こえず、カイルは覆った右手を浮かせてラフグレ医師に視線をやり、顔をしかめて問い返した。
首を横に振ってラフグレ医師。
「いえ。なんでもありませんよ」
「あーそうかい」
どうせ大したこと言っていないんだろう、と。カイルはそれ以上の問い詰めを諦めた。
「…………」
しばし呆然と、白い天井を見つめる。
何拍かの沈黙を置いた後、カイルは再びラフグレ医師に問いかけた。
「──なぁ、ラフグレ医師」
「はい?」
「ラフグレ医師が思う聖魔騎士って何だ?」
きょとんとした顔でラフグレ医師。問い返してくる。
「僕が思う……聖魔騎士、ですか?」
「あぁ」
ラフグレ医師は考え込むように虚空を見上げる。
しばらくの間どこぞに視線を置いた後、ラフグレ医師はカイルに視線を戻した。
当然のような顔で答える。
「王の為に平気で命を投げ捨てる人たちが目指す職業、とでも言っておきましょうか。医者である僕から見れば『ふざけんな馬鹿野郎、命を粗末にするな!』って感じですけど。
ま、聖魔騎士が王を守ってくれているからこそ、この世は安定するのかもしれないですね」
カイルに向け、ニコリと微笑む。が、
「──とは言うものの、あなたみたいに前代未聞の問題を引き起こす聖魔騎士がたくさんいたら、『この世界は大丈夫なのか?』と、逆に心配になってしまうのは僕だけでしょうか?」
「喧嘩売ってんのか?」
「たくさんいれば、の話です」
「嫌な奴」
そこで一時、会話は途切れる。
しばらくして、カイルは思い出したかのように腹に手を当て呻いた。
「刺された腹が痛い……」
「自業自得です。痛くても傷が癒えるまで我慢してください」
すごくまともに医者らしい言葉で返してくるラフグレ医師。
こっちも負けじと患者らしい言葉で我がままを言う。
「痛み止めは無いのか?」
「強力なヤツを三本ぐらい打っておきました。死ななきゃいいですね」
「てめぇ、それでも医者か?」
「冗談ですよ」
「そこが医者じゃねぇって言ってんだよ。それにしても……」
めまいするような感覚に襲われ、カイルは額に手を当てた。
「なんか……頭が……変な気分だ」
「あぁ、それは気にしないでください。『忘却の薬』による副作用です。あと──そうですね。だいたい二時間後にはきれいさっぱり記憶が吹っ飛んでスッキリしていると思いますよ」
「…………」
少し、考える間を置いて。
「はぁ!?」
カイルは勢いよくベッドから頭を起こした。
気楽にハタハタと手を振ってラフグレ医師。
「だって王様から命令されちゃったんですから、やっちゃうしかないでしょう?」
「やっちゃうな、ンなもん!」
「しかしまぁ、自業自得と言いましょうか。もし僕がエバリング国王だったら、そんな反抗的な奴は事故に遭ったあの時点で抹殺しちゃってますけどね」
「オイ、医者が何言っている」
「それにしても抹殺されなくて良かったですね。なによりあなたのおかげでエバリング国と敵対する国が撲滅されたようなもんですからねぇ。殺してしまうわけにはいかないでしょう。
まぁ、だからではないですが、褒美として『カイル』という人格を消して別の記憶を植え付け、『エバリング国に忠実な聖魔騎士』として迎え入れてあげようと──」
「ちょい待て」
「はい?」
「今、さりげなく『人格を消して』って言葉が含まれていなかったか?」
「えぇ」
「それって俺は消されるってことだよな?」
笑顔でにっこりとラフグレ医師。
「はい。二時間後には『さようなら』です」
「──って、ふざけんなコラ! 『さようなら』言っている場合じゃねぇだろ!」
ラフグレ医師が袖をまくって腕時計を確認する。
「あ。もう二時間切っちゃっていますね。正確にはあと一時間四十一分三十八秒五──」
「きっちりかっちり正確に時間計ってんじゃねぇよ! 忘却の薬に対する解毒剤は?」
「エバリング国王が解毒剤の存在を考えないと思いますか? 全部捨てられたに決まっているでしょう」
「解毒剤ってどんな薬だ? どうすれば作れる?」
ラフグレ医師は顎に指を当てると、虚空を見上げて気楽に答える。
「そーですね……。西大陸の最北端に生息するアポレナラチテンという薬草が今のところ有力ではないでしょうか。ま、今から探しに行ったところで大陸を渡る前に記憶が吹っ飛んでいますけどね。ははは」
「『ははは』じゃねぇよ! 笑い事か!」
「だって他人事ですし」
拳を固めてカイル。
「コイツ殴りてぇ……すっげー殴りてぇ」
「苦情は僕にではなくエバリング国王へどうぞ」
カイルは諦めるようにため息を漏らした。絶望的に片手で顔を覆う。
「俺、今度こそ確実に死ぬんだな」
くすり、と。ラフグレ医師が笑う。
「さて、それはどうでしょうかね。あなたは医学界を覆す化け物ですからねぇ。また復活しそうな予感がしますけど」
「記憶……どうにか残らないのか?」
「それはあなた次第ですよ」
言って、ラフグレ医師は床に置いていた一本の黒い魔剣を拾い上げると、それを無情にカイルの傷のある腹の上に放り投げた。
「──痛ぇっ!」
たまらずカイルは悲鳴をあげた。痛む腹に手を当てようとして、腹の上にある黒い魔剣の存在に気付く。
「え? この魔剣はいったい……?」
ラフグレ医師はずれた眼鏡の位置を人差し指で正した。真顔で答える。
「エリさんから預かった物じゃなかったのですか?」
「え?」
その黒い魔剣を見つめ、カイルは記憶を探る。そして、
「あぁ、そうか。そうだった……」
「死にかけていたあなたを治癒してくれたのは、その『お守り』ですよ」
お守り……。
その言葉に、カイルはようやく思い出す。
【このお守りは俺が預かっておくよ。イベントが終わったら必ず返しに行く】
魔剣を手に取り、ぐっと握り締める。
「エリに……返しに行かないとな」
歯を食いしばり、カイルはベッドから無理やり上体を起こした。
ふと、その視界の隅にラフグレ医師の背中が入る。
彼は背中を向けてベッドの脇に腰を下ろしていた。顔だけをくるりとこちらに向けて、楽しそうに、
「おんぶしてあげますよ」
その背に蹴りを見舞って、カイルはドスのきいた声で拒否した。
「断る。車椅子よこせ。自分で行く」