三、あの頃にはもう戻れない【21】
カイルは真顔になって片眉をぴくりと吊り上げた。問いかける。
「お前、ただの医者ってわけじゃなさそうだな。いったい何者だ?」
ラフグレ医師が意味深な微笑を浮かべ、かけていた眼鏡の位置を人差し指で正してフフと笑う。
「僕はエバリング国の王宮専属医師であり、研究医ですよ」
カイルは顔をしかめた。
「なに?」
「ですから、王宮専属医師──」
「聞こえなかったわけじゃねぇよ。俺が訊きたいのは、あの時なぜ普通の医者を偽っていたのかだ」
ラフグレ医師はにこりと笑って、
「僕も監視役の一人ですから」
「監視役?」
「えぇ、そうです。エバリング国がシン聖魔騎士の息子を何の縛りもなく他国に放置すると思いますか?
経緯をご説明しますと、ある日アレクが国王にこんなお願いをしてきました。
『皆が学ぶことを自分も学びたい』と。
まぁ、スパイの意味でも他国の実力を知る良いキッカケになるのではと思いましたが、しかし我々エバリング国からすれば、それは非常に危険な賭けでした。
そこで国王はアレクに『ある約束』をさせ、聖魔騎士養成学校への入学を許可したんです」
「約束?」
「えぇ。その『ある約束』というのが、己の正体を隠し、与えられた環境で学び、秘儀を一切使わないということです」
「ひぎ?」
首を傾げるカイルを見て、銀髪男が呆れるようにため息をつき、肩を落とす。
「受け継いだ秘儀も忘れてしまったというのか」
カイルは銀髪男へと目を向け、半眼で呟く。
「忘れたというより、全然記憶にないんだが……」
次いでラフグレ医師も銀髪男へと目を向け、申し訳なさそうに言う。
「あの、フェイラ宰相」
銀髪男──フェイラ宰相は不機嫌に答える。
「なんだ?」
「少しの間、席を外していただけませんか? 僕がカイルと話しますので」
「…………」
一時考え込んでいたフェイラ宰相だったが、やがて無言で部屋を出て行った。
カイルはフェイラ宰相が去っていった方向を目で追い、ラフグレ医師に訊ねる。
「宰相? 宰相だったのか? あれ」
ラフグレ医師はにこりと笑って、
「えぇ。フェイラ宰相です」
「宰相って、あれだろ? あの──なんでこんなところに?」
問いかけに、ラフグレ医師はカイルに人差し指を向けた。
「予想外のことが起こってしまいましたからね」
「え? 俺?」
「はい」
「あーそうか。俺とアレクが入れ替わっているからか」
「はい」
「元に戻る方法はあるのか?」
「さぁ。わかりません」
顔を曇らせてカイル。
「わからないだと?」
「えぇ、わかりません。なにせ魔法ですから」
「魔法?」
「魔法ですから」
きっぱりとラフグレ医師は言い切った。
曖昧に首を傾げて納得するカイル。
「へぇ……。よくわからんが」
「ところで、カイル」
「ん?」
「なぜこのような形で拉致されたのか、理由はおわかりですか?」
種明かしでもするかのように、ラフグレ医師はポケットに入れていた物を取り出し、カイルに見せた。
「あ、それ!」
カイルはハッとしてラフグレ医師の手から早々にそれを奪った。
それはラドラフ国王からもらったスーヤの宝石だった。
急いで後ろに隠して動揺した声で訊ねる。
「な、なんでお前がこれを持っているんだ? 俺は──」
「黒い木箱の中に隠していたはず、でしょう?」
「なぜそんなことまで知っている?」
ラフグレ医師はにこにこと笑ったまま、ぴっと人差し指を立てて答える。
「ですから、さっきから言っているでしょう。僕も監視役の一人だと」
カイルは戦慄を走らせ、ラフグレ医師から一歩身を引いた。
「な、なんだよそれ……。俺を監視しているのは一人や二人じゃないってことか?」
「あなたは常に我々の監視下にあることを忘れないでください」
瞬間、その言葉でカイルの脳裏をあの時の記憶が蘇った。
白い封書の中にあった五枚の写真の一つ──校舎の中でアレクがラフグレ医師に胸倉を掴んで怒りあわらに口論していた写真──がフラッシュ・バックする。
(そうだ! あの時、俺──)
授業をサボって候補生校舎の裏庭で空を眺めていた時、校舎の中からそんな言葉を耳にした。ごたごたに巻き込まれるのは面倒だったので聞いていない振りをしていたのだが……。
カイルは声を震わて訊ねる。
「俺を……これからどうするつもりだ?」
「そうですね。戻る方法がわからないものをいつまでも放置するのは危険だということがわかりましたので──」
と、ラフグレ医師はちらりと一瞬だけカイルの持つ宝石へと目を移し、言葉を続ける。
「このままあなたを王宮へと連れ戻って、すぐにエバリング国の聖魔騎士になるべく儀式を済ませてもらいます」
「もし……俺が聖魔騎士を断ったら?」
正確には魔剣が扱えないので『断られたら?』が正しい言い方だったかもしれない。
ラフグレ医師はにこりと笑って、
「さきほどもご説明したでしょう? あなたがいるからエバリング国が大国なのだと。
ここまで拉致されてしまったらあなたに選択の余地なんてありません。
もし断るようなことがあれば、一生牢獄暮らしが待っていますよ」
「冗談じゃねぇ……!」
その場から逃げ出そうとするカイルの肩をラフグレ医師が捕まえる。
「今更逃げても無駄ですよ」
窓を指で示して、
「ほら。もう出港しちゃいましたから」
恐る恐る、カイルは窓へと振り向いた。