三、あの頃にはもう戻れない【16】
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今日の風はやけに重苦しい湿気を感じた。
さっきまで晴れていた空はどこへやら、今は厚い灰色の雲に覆われている。
カイルは自分の名が刻まれた墓標の前に佇んでいた。
相変わらず、自分の墓には真新しい花が飾られている。
それをしばらく見つめた後。
カイルは墓標に語りかけるように口を開いた。
「なぜ、こんな最期を選んだ?」
もちろん墓標から言葉が返るはずもない。
それでもカイルは一息の間を置いて語り続ける。
「俺を助けるなんて馬鹿だぜ、アレク」
独り言をこぼしているみたいで、カイルは小さく自嘲した。
空を見上げる。
もうすぐ降り出しそうな空だ。
こっちの気分まで沈みそうになる。
「君が思う聖魔騎士、か……」
風が、カイルの金色の髪を撫でていった。
墓標へと視線を下ろし、確認をとるように訊ねる。
「俺がその答えを見つけてもいいんだな?」
ふわり、と。
誰かの墓標に飾られていたであろう花びらが一枚、風に乗ってカイルのところまで飛んできた。
カイルがそっと手を差し出すと、花びらはまるで意思があるかのように手の中へと舞い降りる。
手の中の花びらを見て、カイルは微笑した。
「お前らしい答えだな……」
「誰と話していたの? アレク君」
突然背後から声をかけられ、カイルはびくりとして慌てて振り向いた。
「──ステイル教師」
見慣れたスーツ姿のステイル教師に、どこか懐かしさを覚える。
でもたしか彼女は学校を辞めて実家に帰ったはずじゃ──
「どうしてここに?」
訊ねると、彼女は当然とばかりに答えを返してきた。
「教師が生徒に会いに来るのは変かしら?」
相変わらずな人だな。
カイルは微笑して首を横に振った。
「いえ。彼もきっと喜んでくれていると思います」
彼女がフフと笑う。
「あなたがそんなことを言うなんてね」
「え?」
カイルはきょとんとする。
「あの事故以来、あなたは随分と変わったわ」
「そんな風に見えますか?」
彼女はカイルの隣に立つと、風で少し乱れた髪を耳にかけて答えた。
「えぇ。あなたのことを、ずっと人形だと思っていた」
「人形?」
「誰にも心を開かず、話さず、何の感情も示さず、喜怒哀楽が欠落した人間の形をした可哀想な人形。
──そう思っていた」
「そうですか……」
「もしかしたらカイルがあなたを変えてくれたのかもしれないわね。
あの子は出会った頃からそんな力を秘めていた。不思議な子だったわ。強いんだか、弱いんだか。結局それは最期までよくわからなかったけど……」
ぽつり、ぽつりと。
雨が降り始める。
彼女は昔を思い出してか、墓標を見つめて懐かしそうに微笑んだ。
「実は私もあの子に変えてもらったの。
女だからと周囲に嘗められて、聖魔騎士に選ばれることなく教師として生きることとなった私を、失意の底から救ってくれたのがあの子だった。
あの子と出会った時、あの子は私にこう言ったの。
『僕の夢は世界一の聖魔騎士になること』だと。
子供の言う事だから大それた夢を語るのは仕方ないと思ったけど、でも……。
あの子の言葉を聞いた瞬間、私の忘れかけていたモノが蘇ってきたわ。私の前を塞いでいたものが全部ぱぁっと消えてなくなったの。
もしかしたらこの子が未来を変えてくれるのかもしれないって。
でもまさか、こんな形で彼を失うことになるなんて……」
彼女の頬を涙がつたい、流れ落ちていく。すぐに頬の涙を拭って、彼女は言葉を続ける。
「ダメね。もう泣かないって……振り返ったりしないって、決めたばかり──」
皆まで聞かず、カイルは黙って彼女の腕を掴んで引き寄せると、そのまま抱きしめた。
呆然と声を漏らすステイル教師。
「……アレク君?」
「泣きたい時は思いきり泣けばいい。俺の恩師はそう言っていました」
カイルはステイル教師のことをそう表現した。きっと名を言っても彼女には伝わらない。だからアレクとしてこの場を演じ、言葉を続けることにした。
「一つだけ、質問してもよろしいですか?」
彼女はフッと微笑すると、静かに頷いた。
「えぇ。いいわよ」
「ステイル教師が思う聖魔騎士とは何ですか?」
間を置いて、彼女は答える。
「私もカルロウ教師も『教師』よ。あなた達を間違った道へは導かないわ」
カイルも微笑する。
「それを聞いて安心しました」
「ねぇ、アレク君」
「はい」
「少しの間、あなたの胸を借りてもいいかしら?」
カイルは彼女の背を優しく二度叩いて、
「この雨の中なら誰も気付きませんよ。ステイル教師」
その言葉に、彼女はカイルの胸に顔を埋めると激しく泣き出した。