三、あの頃にはもう戻れない【10】
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『十七時に校門前』
ラドラフ国王に渡された紙切れにはそう書かれてあった。
「厄介なことになってきたなぁ……」
カイルは紙切れをくしゃりと丸めて握り締めると、空を見上げて絶望的に呟いた。
西の空は朱色に染まっており、十七時が近いことを知らせている。
もう逃げることはできない。
カイルは指示通り、校門前に佇んでいた。
──いや、正確には隠れていたところを捕まって無理やりそこに立たされた、である。
ありとあらゆる物影からチラチラと見え隠れする数人の人影。
校舎からはたくさんの見物生徒がこちらを見て騒いでいた。その屋上の金網には猿のようによじ登り、望遠鏡で興味津々に覗いている生徒の姿も見える。
(いくらなんでも騒ぎになり過ぎだろ、これ)
とは思ったものの、実際自分も体が入れ替わる前までは、屋上の金網によじ登る一人だったことを思い出す。
それだけ聖魔騎士に選ばれるというのは憧れの的なのだ。
(普通に選ばれていれば素直に喜べたんだが……)
アレクの体であるということ。
そして、それに関わるエバリング国の存在。
(事態がどんどん最悪な方向に転がっていく)
やっぱりヤバイよな。いや、ヤバイなんて言葉で済まされる問題じゃない気がする。
逃げよう。今ならまだ間に合う。
カイルは恐る恐る確認するように背後を振り返った。
さきほどからチクチクと背中に突き刺さる鋭い視線。カイルをここに立たせたのは他でもない、闘技場で喧嘩したリーダー格の男である。
彼は仁王立ちでカイルの後ろに佇んでいた。
「…………」
そんな彼と目を合わせること、しばし。
「なんだよ」
「いや、別に」
不機嫌に返されて。カイルは慌てて首を振り、正面へと向き直った。
リーダー格の男がカイルの心を見透かすようにして訊ねてくる。
「まさかとは思うが、逃げ出そうなんてふざけた事を考えていたわけじゃないだろうな?」
カイルはギクリと身を震わせて、動揺ある声で口早に答える。
「いやまさかそんな。滅相もない」
「これで聖魔騎士を断るような行動を起こせば、どうなるかわかってんだろうな?」
ぱきりぱきりと指の関節を鳴らす音が聞こえてくる。
「選ばれなかったオレを侮辱することになるんだぞ」
「わ、わかっている。もう逃げないよ、絶対」
という理由でカイルはここに立たされているわけである。
だけど言われてみればたしかに、彼の言っていることは正しい。そこはカイルも納得していた。憧れの聖魔騎士になりたい。それはこの学校にいる生徒全てが願っていることだった。
(──しかし)
と、カイルは内心で呟く。
(俺を襲ったあの銀髪男にこういう事態を知られたら、絶対ヤバイことになりそうなんだよなぁ……)
背中に悪寒を走らせて身震いする。
時刻が十七時を回ったのだろう。
ふと、蹄鉄と車輪の音が近づいてくる。
音の正体がわかったのか、一斉に背後の生徒たちが騒ぎ始めた。
徐々に見えてくる立派な装飾を施した白い車体と二頭立ての白馬。品のある御者の人達が背筋をピンと伸ばし、こちらに向けて馬車を走らせていた。国王の大切なお客様をもてなすにはこれ以上の贅沢はないというほどのお迎え馬車だ。
カイルは思いっきり口端を引きつらせ、逃げるように仰け反った。
「ふ、普通の馬車でいいんだが……」
馬車はカイルの前で横付けると、ぴたりと停車した。
御者台から二人の御者が降りてきて、馬車の扉を左右に開く。
おおっ! と。背後の生徒たちから、憧れと歓声があがる。
外も豪華なら中も豪華。
馬車を見ればラドラフ国王がどんなにカイルとの面会を待ち望んでいるのかよくわかる。
あまりの待遇にカイルは逃げ腰で一歩退いた。
扉を開けた二人の御者がカイルに向けて深々と紳士的に辞儀をする。
「どうぞ、中へ。アレク様」
期待に気圧されたカイルは短く悲鳴をあげて、その場からさらに数歩後退った。弱々しく首を横に振って、
「や、やっぱり俺……お断りします。ラドラフ国の聖魔騎士」
脱兎のごとく逃げ出そうとして──
どこに隠れていたか、見覚えのある二人の有力候補生どもに両腕を捕らえられ、カイルは逃げられなくなった。
そんなカイルの目前に、胸を張ったリーダー格の男が仁王立ちで立ちふさがる。射殺すようにニコリと危ない笑みを浮かべて、指の関節を鳴らす。
「まさか聖魔騎士を断ろうなんて考えてないよな? アレク」
カイルは蒼白な顔して冷や汗を流し、焦りある口調で口早にまくし立てる。
「お、おお俺、まだやらなくちゃならないことがたくさんあって──」
「あるわけねぇだろ。行ってこい!」
どすっと、リーダー格の男から激励とは思えぬほどの重い一撃を鳩尾にくらって。
カイルは苦痛に呻きながら、二人の候補生に引きずられるようにして無理やり馬車に乗せられた。