三、あの頃にはもう戻れない【7】
カイルとリーダー格の男は同時にその人物へと目を向けた。
ラフな格好をしたどこにでもいそうな老人が一人、カイルに拍手を送りながら近づいてくる。
見た感じ、歳は七十代後半か。いや、見た目に似合わず若者然とした足腰は、本当の年齢を不詳とさせた。白髪頭にシワのある顔、痩せた長身、どこか威圧のある雰囲気。
老人はカイルの前でぴたりと足を止めた。
カイルは警戒して身を引き、老人との間に微妙な距離を置いた。
老人がご満悦した表情で喜びの声をあげる。
「今の戦い、観戦席でとくと見せてもらった。いや実に素晴らしい。君は大変素晴らしい生徒だ」
ハッハッハと、老人は陽気に笑う。
(誰だ? コイツ……)
カイルは怪訝に首を傾げ、問いかけるようにリーダー格の男へ目を向けた。
リーダー格の男が無言でお手上げをして肩を竦める。
カイルは老人へと視線を戻した。
すると老人がずずいと詰め寄ってくる。
びくり、とカイルは身を震わせて逃げるように一歩後退した。
「な、なんだよ。俺に何か用か?」
急にニカッと白い歯をむき出して笑う老人。カイルの手を無理やり掴んで握手を交わす。
──ん?
カイルは握手を交わした手に違和感を覚え、片眉を吊り上げ顔をしかめた。
老人が変わりない笑顔で告げてくる。
「なぁーに。ただの老人じゃよ」
言葉とともにカイルにしっかりとそれを持たせて、老人は手を退いていった。
カイルは握手した自分の手に視線を落とす。
持たされたのは小さく丸められた紙切れだった。
老人はカイルの肩を軽くぽんぽんと叩くと、声を落として意味深な言葉を呟く。
「待っておるぞ」
「え?」
何が? と言わんばかりの表情で、カイルは手の中にある紙切れと老人を交互に見つめる。
老人はそれ以上何も告げることなく背を向けると、上機嫌に笑いながらその場を去っていった。
「…………」
理解できずに首を傾げるカイル。
再び手の中の紙切れへと視線を落とし、それを広げて見てみる。
気になったのか、リーダー格の男がカイルに駆け寄ってきた。
「なんだったんだ? あの爺さん」
「さぁな」
カイルは紙切れに視線を落としたまま肩を竦めてみせる。
リーダー格の男がカイルの持っている紙切れに気付き、
「ん? なんだそれ。何か渡されたのか?」
「あぁ」
なぜか親しげに──というより、興味津々に覗きこんでくるリーダー格の男。そして、
「ふーん」
リーダー格の男は紙切れに書かれてあった一文を読んで、何かを悟ったように数度頷きながら笑みを浮かべていった。
「な、なんだよ。何かわかったのか?」
訊ねると、リーダー格の男は老人を真似るようにしてカイルの肩を軽くぽんぽんと叩いた。
「良かったな、選ばれて」
「は? 何が?」
「選ばれたんだよ、聖魔騎士に」
「誰が?」
「お前が」
「俺が?」
カイルは思わず自分で自分を指差した。
リーダー格の男は顔を背けるようにして踵を返すと、何も言わずに歩き出した。
「あ、おい! 待てよ!」
引き止めるカイルを無視するように、リーダー格の男は背中越しに手を振る。
「あーぁ。お前に喧嘩売って損したよ。とんだ引き立て役やらされちまったぜ」
「…………」
哀愁漂う彼の背中にどう言葉を掛けてやればいいのかわからず、引き止めた手を宙に浮かせたままカイルは呆然とした。
追うにも追えず。
一人、闘技場の中心に魔剣とともにぽつんと佇む。
その脳裏をぐるぐると駆け巡るさっきの会話。
『選ばれたんだよ、聖魔騎士に』
『誰が?』
『お前が』
『俺が?』
無意識に口からブツブツと小さな声がこぼれる。
「俺が……聖魔騎士……俺が……」
選ばれた?
俺が?
聖魔騎士にだと?
瞬間、冷水をかけられたように意識がハッとした。複雑に入り組んでいた思考がようやく一つの答えを叩き出す。
「なっ! ってことは俺、聖魔騎士決定なのか!」
ちょっと待ってくれ。
聖魔騎士に選ばれることはすごく嬉しいが、その前に片付けなければならない問題が山ほど残っている。
(どうしよう!)
脳裏を過ぎる、町で拉致してきた銀髪男のこと。
(まさかこれも奴が仕掛けてきた罠だというのか?)
向こうの打ち手が早すぎる。こっちはまだ何一つ解決も準備もできていないというのに……。
カイルはおろおろとその場を右往左往し始めた。
(ってことは、さっきの老人はエバリング国王──)
そして重なるように思い出す、銀髪男の言葉。
『王が選べば、その者は聖魔騎士だ』
やばい。
カイルは蒼白になってその場に立ち止まった。
(これじゃ完全に崖っぷちだ)
拉致されなかったのがせめてもの救い。何か手立てを考えるんだ。このままアレクの体で聖魔騎士にされるわけにはいかない。
(魔剣が扱えない聖魔騎士なんて前代未聞もいいとこだ。俺、確実に敵国の聖魔騎士に殺される!)
今すぐ逃げよう。逃げるんだ、どこか遠くに。
カイルはその場を駆け出した。
──が、すぐに足を止める。
重いため息を一つ。
めんどくさそうに振り返って、地面に突き刺さったままの魔剣へと目をやる。
(どうしよう、あの魔剣……)
あれはシン聖魔騎士が愛用していた魔剣だ。あんな貴重な宝物をこのまま放置しておくわけにはいかない。
(あの魔剣の呼び声に応えたのは俺だし、せめて黒い木箱の中に入れておかないと色々と後悔しそうだ)
仕方なくといった足取りで、カイルは元居た場所へと引き返した。
魔剣の傍に辿り着くと、もう一度魔剣の柄に手をかける。
そして思いきり地面から引き抜いてみた。
「…………」
やはり抜けない。
もういいや。
カイルは諦めて柄から手を離す。
その瞬間だった。
フッと、魔剣がそこから姿を消す。
「え?」
受け止めきれない現実を目の当たりにし、カイルは何度も瞬きを繰り返した。
片腕で目をごしごしと拭って、再び目を見開く。
「ええぇぇぇぇっ!」
変わらない現実にカイルは焦るように両手をわななかせた。
「き、消えた!? そんな馬鹿な! あり得ねぇだろ、消えるなんて!」
頭を掻き掴んでオロオロとする。
「夢? そうか、あれは幻だったのか? 俺は幻を見ていた。そうだ、そうに違いない。いやでもまさか、そんな、嘘だろ。どうしよう……」
青ざめた顔して、カイルはその場に膝を折って地面に愕然と座り込んだ。
そして天を仰いで助けを求めるように泣き叫ぶ。
「頼む! 誰でもいい! これは夢だって言ってくれ!」