二、俺の体を返してくれ【18】
教員室に駆け込んだカイルは、すぐさまステイル教師の机へと向かう。
そしてすぐに察した。
彼女の机は何もかもが整理され、全ての私物がなくなっていたからだ。
そこへ偶然入室してきたカルロウ教師を問い詰めて、彼女の居場所を迫った。
要点だけを聞き入れて、言葉半ばに教員室を飛び出す。
定期便の馬車に乗り込む私服姿の女性──ステイル教師の姿を確認する。
間に合うことを祈りながら、カイルは全力で走った。
馬車の扉が閉まり、御者がぴしりと出発の手綱を鳴らす。
ゆっくりと車輪が回り、馬車は前進し始めた。
カイルは馬車を追い抜き、すぐにその前方へと回り込むと、無言で両腕を大きく広げて進行を止める。
突然飛び出してきたカイルに、御者も馬も驚く。
急停止する馬車。
肩をいからせた御者が憤怒の形相で声を飛ばす。
「危ないじゃないか! なんだね、君は!」
荒れる呼吸も整わないまま、カイルは叫んだ。
「ステイル教師!」
数回の呼吸を繰り返し、また息を吸い込んで言葉を続ける。
「出てきてください、話があります!」
御者が背後の車体へと振り返る。そして「やれやれ」とばかりに肩を落とすと手綱を緩め、しばしの休憩に入った。
少しの間を置いて。
馬車の扉が開き、ステイル教師が無言で馬車から降りてくる。
カイルはステイル教師に駆け寄った。
「どういうつもりですか、ステイル教師」
「…………」
彼女は答えなかった。ただジッとカイルを見つめている。
カイルは少し呼吸を整えてから、言葉を続けた。
「今まで育ててきた生徒たちの卒業を見ずに辞めるなんて、あなたらしくないじゃないですか」
ステイル教師は薄く口端を引いて微笑する。
「あなたも他人のことは言えないんじゃない? こんなことをするなんて、らしくないわよ?」
カイルは学校を指差した。
「戻ってください。あなたはここで去ってはいけない人だ。このまま戻って、教師を続けてください」
ステイル教師は無言で首を横に振る。
「ステイル教師!」
「ありがとう。あなたのその気持ちだけ受け取っておくわ」
「どうして──」
「あなたとカイルを町へ行かせたのは私よ」
「でもだからって……!
あの事故は俺たちが勝手な行動をしたからなんです。あの時ちゃんと定期便の馬車で帰っていればこんなことにはならなかった」
「あなたが悔やむことはないわ、アレク君。それを想定できなかった私に責任があるんだから」
「違う! あの事故も──カイルが死んだのも、あなたのせいなんかじゃない!」
その言葉にステイル教師の表情が変わる。驚いたように、
「どうして……そのことを?」
「だから戻ってください、ステイル教師! お願いします!」
カイルは深々と懇願の意を込めて頭を下げた。
だが、彼女の口から期待していた答えは戻らなかった。
カイルの肩にそっと手を当て、ステイル教師は優しく声を掛ける。
「アレク君。少しだけ時間を良いかしら? 連れて行きたいところがあるの」
※
学校からも町からも離れた小高い丘に、ひっそりと建てられた教会と墓地があった。
誰がどこに眠るかもわからないほどの広さと墓標の数でありながらも、カイルの墓標はすぐにわかった。
真新しい墓標で、その周囲には溢れんばかりのきれいな花が飾られている。
その墓標の前に二人で佇んで……。
ふと、ステイル教師が重い口を開く。
「ずっと隠しておくつもりはなかった。このことはあなたが学校を卒業した時にでも教えるつもりだった」
心地よい風が優しく、二人を撫でていく。
墓標に飾られた花々がさわさわと音を立てて揺らいだ。
ステイル教師は言葉を続ける。
「カイルという生徒は私にとって弟みたいな存在だった。常に目が離せなかったの。不器用で、無鉄砲で、冷静さに欠けていて、周囲と一緒に馬鹿やっては一人で反省させられて……。でもね、馬鹿ばかりやっていた彼だけど、内面はとても真面目で良い子だったの」
変な気持ちだった。
自分の名前が刻まれた墓標を前にして、過去形で語られる自分のこと。
俺はここにいるのに……。
「この花、ステイル教師が?」
ステイル教師は静かに首を横に振った。
「私だけじゃなくカイルのご両親や友達からのもあるわ。みんな、心からカイルのことを愛していたんだと思う」
みんな……俺のために……。
カイルは過去を振り返る。
あの時の自分は、今を生きることに精一杯で、周囲を見回す余裕なんてなかった。何もかもを投げ出して自暴自棄になって、友達さえも、卒業すれば二度と会うことはないと考えていた。
自分のことなんて、どうせみんなすぐに忘れてしまうんだろうって……。
「馬鹿だよ、俺。最低だ」
最後の最期まで、ちゃんとみんな手を差し伸べてくれていた。もう死んだというのに、こうして花を飾って忘れないでいてくれる。あの事故の真相のことだって、俺は──。
ステイル教師がカイルの肩に手をのせ、慰めの言葉を掛ける。
「あなたは前を見るのよ、アレク君。彼の分まで聖魔騎士を目指して」
──目指す? こんな姿でいったい何を目指せばいい?
「世界一の聖魔騎士になること。それが彼の夢だったから」
そう。それが小さい頃からの憧れだった。
「彼の夢を、あなたが代わりに叶えてあげて」
違う。叶えるのはアレクじゃなく俺だ。
「私は遠くから、あなたのことを応援しているわ」
カイルはぐっと拳を握り締めた。吐けない気持ちのもどかしさに苛立ちが込み上げてくる。
「違う! それは俺自身が叶えなければいけない夢だったんだ!」
「え?」
呆然と問い返してくるステイル教師をその場に残し、カイルは無言で走り去った。




