一、託された願い【18】
「つまり、今もこうしてアレクは俺の体で生活しているわけだよな?」
その問いかけに、ラフグレ医師は困ったように首を傾げながら曖昧に答える。
「まぁ、そういうことになるんでしょうね……」
「『なるんでしょうね』?」
「なります。はい」
「…………」
適当に返事してくるなぁ、コイツ。と、カイルは彼を睨みながら、半ば無視するように自分に言い聞かせる。
「まぁコイツとココで言い合っていても何の解決にもならないしな。──よし。とりあえずアイツに相談でもしてみるか」
「そうしてください」
「いや、ちょっと待てよ」
「はい?」
問い返してくるラフグレ医師の顔を、今度は怪訝な目つきでカイルは睨みやる。
「ところで、ずっと訊きたかったんだが。
なんで俺だけココに入れられたんだ?」
ラフグレ医師は「わからない」といった具合にお手上げしてみせた。
「さぁ? なぜかあなただけ面白いように問診にひっかかるものですから、入院が長引いた。ただそれだけです」
「それだけだったのかよ……」
力なく、どこか安心した声でカイルは床に座り込んだ。
「じゃ最初からそう言ってくれればいいじゃないか」
「何を、です?」
「俺はアレクだって」
「言った方が良かったですか?」
「こんなのいつ告知されようと一緒じゃねぇか……」
なんだよ、くそ。と、カイルは愚痴をこぼしながらも、どこか安堵のため息を吐く。
だが、ある疑問がふと脳裏を過ぎった。
「ん? 待てよ」
「はい?」
「じゃ、そうなるとアレクは先に自分の体がこうなっていることに気付いたということになるんだよな?」
「そうですねぇ。そういうことになるんでしょうね」
「何が『なるんでしょうね』だ。お前、俺に嘘を言ってんのか?」
問われ、ラフグレ医師は困ったように笑う。
「そう言われましても……。僕は彼の担当医じゃないので実はそんなに詳しくわからないんですよ。医者同士の情報交換とでも言っておきましょうか」
「『言っておきましょうか』じゃねぇだろ。ガセ情報だったら承知しないからな」
「いえいえ、大丈夫です。彼は学校にいます。これは間違いありません」
「本当に本当なんだろうな?」
「えぇ。家族が迎えに来たのを僕はこの目で確認していますから」
「ふーん、家族が……。ちょっと待て」
「はい?」
「家族は誰もアレクのことに気付かなかったのか? 自分の息子の様子が変だなぁとか」
「さぁ? 僕は担当医じゃありませんからね。そこまでは知りません」
「あーそうかい」
ダメだコイツ、話にならねぇ。と、カイルは投げやるように会話を終了させた。
が、またふと疑問を覚える。
「ん?」
「まだ何か?」
首を傾げて問い返すラフグレ医師に、カイルはしかめ顔で自分に指を向けた。
「で、俺は? 誰も迎えが来ない俺は天涯孤独の身か?」
「ま、そういうことになるんでしょうね。ははは」
「笑って言うんじゃねぇよ」
「他人事ですし」
「いや、たしかに他人事だろうけど。言われたこっちはすっげぇ腹立つんだけど」
「今日は退院日ですよね?」
「あぁ。誰かに連絡は──」
「一人で帰るのは寂しいですよね、ははは」
「『ははは』じゃねぇよ。一発殴らせろ、てめぇ」
「手を繋いで一緒に帰って差し上げましょうか?」
「うるせぇ、一人で帰れる」
「どこへ?」
「どこって……」
言葉を詰まらせ、カイルは悩んだ。どこへ帰ろう……。
「なぁラフグレ医師。学校から俺宛てに封書か何か届いてないか?」
「封書、ですか?」
「あぁ。届いていたなら、きっと退学届けの書類が入って──」
「あ、その件でしたら学校からオッケーの返事をもらっていますよ」
「おっけーの返事?」
「はい。反省文を書けば問題ないそうです」
カイルはずるりと肩を滑らせた。
「な、なんだよそれ。本当にそれだけで許されるのか?」
「何か不満な事でも?」
「い、いや別に……。じゃ、とりあえず俺は学校の寮に戻ってみるよ」
ラフグレ医師はにこりと微笑んで、
「では、学校に戻られるということですね?」
「あぁ。もしかしたらアイツも俺の寮に戻っているかもしれないし、この件についてはアイツとじっくり相談しながら二人で何とか解決策を考えてみることにするよ」
「そうですか。では、これを──」
そう言って、ラフグレ医師は白衣のポケットから一枚の名刺を取り出した。
カイルに差し出す。
「何かありましたら、またいつでもこれを持ってここに来てください」
受け取って、カイルは名刺をジッと見つめる。そして一言。
「──って、何かあったら何かしてくれるのか?」
「相談しかできませんが」
「相談だけ?」
「はい。相談オンリーです」
「他に選択肢はないのか?」
「えぇ。特に何ができるわけでもありませんから」
このヤブ医者め。カイルは彼を一睨みした後、ため息をついた。
「ま、無いよりはマシか」
カイルは名刺を手に立ち上がる。
すると、突然ラフグレ医師がピッと人差し指を立てた。
「人生、何が起こるかわかりませんからね」
「うるせぇよ!」
言い放ち、カイルは早々と退院の準備を始めた。




