一、託された願い【16】
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「──アレクは元に戻ったのか? ラフグレ医師」
ラフグレ医師が部屋を出ると同時、その言葉は飛んできた。声がした方へと目を向ければ、部屋前の廊下にフェイラ宰相が厳しい表情で佇んでいる。
ラフグレ医師は後ろ手で静かに部屋のドアを閉め、
「これは貴方が思っている以上に厄介なことかもしれませんよ? フェイラ宰相」
「どういうことだ?」
「彼は元には戻りません」
フェイラ宰相は顔をしかめた。
「元に戻らないだと?」
「えぇ」
ラフグレ医師は眼鏡を人差し指で軽く押し上げ、
「これは人格障害でも記憶の混濁でもありません」
微笑し、言葉を続ける。
「あの実験が祟りましたね。どうやらアレクは潜在能力を使ったようです」
フェイラ宰相は片方の口端を歪めて舌打ちした。
「あの忌々しい特殊能力か」
「おそらくタイミングとしては横転事故の直後。第一発見者の話では、アレクは馬車の下敷きになって事切れていた少年の手を握ったまま気絶していたそうですからね」
「やられたな」
「完全に精神が入れ替わっていますね。国王へのご報告はいかがなさいますか?」
「アレクをここまで成長させる為に莫大な資金を費やしている。そんな報告を国王にすれば私の首が飛ぶ。お前もだ、ラフグレ医師。
すぐにその『カイル』とやらの人格を消せ」
「残念ですが、アレクの体はカイルという人格に完全に支配されています。人格を消滅させることは不可能です。たとえ記憶を消して新たな記憶を植えつけたとしても、何らかの精神的ショックあるいは外的ショックで元の記憶は簡単に目覚めてしまうでしょう」
「何をしても無駄だと言いたいのか?」
「何をしても所詮は一時しのぎだと言いたいのです」
フェイラ宰相は再び舌打ちして顔を背けた。
事務的な口調で淡々とラフグレ医師は言葉を続ける。
「彼を明日、退院させてもよろしいでしょうか?」
「…………」
フェイラ宰相はしばらく無言で考え込んだ後、
「いいだろう。学校に向かわせろ。関係者には軟禁しておくよう言っておく。お前はくれぐれもその『カイル』とやらの行動には充分注意しておけ。奴が他国の手に渡れば一大事だ。
暗殺処分するかどうかについてはこれから検討する」
「わかりました」
一礼して、ラフグレ医師は彼の去っていく後ろ姿を静かに見送った。