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「赤信号みんなで渡れば怖くない」

作者: マリモ艦長
掲載日:2026/10/03

いつもお世話になっている信号機。片時でも彼らのことを考えたことがあるだろうか。 新型ゲーム機を血眼になって求める群衆と信号機のお話です。ぜひ一度ご覧になってください!

 彼の目に映り込む赤信号の光は、ぼんやりとしていた。いったい幾つの信号機をくぐったただろう。昨日は丸山交差点の赤LEDに、急用の道中をひどく妨害されたことをよく覚えている。



 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」。これは1980年代当時、一世を風靡した漫才コンビがそのネタの中で唱った交通標語だ。「注意一生、怪我一生」「車に飛び込め、元気な子」「気にするな、どうせ婆さん先はない」といった文句とともに語られた。交通量の増加に伴い多発した事故への対策として、人々は安全意識の向上に長年努めてきた。交通標語も、その一環として意識の醸成に貢献をしてきた。


 信号機とはほぼ毎日の関わりがある。一定の時間を経ると赤、青、また赤と変わるもの。歩行者用ボタンを押すとたちまちそこを通してくれるもの。テンポのよい効果音で横断を促してくれるときもあれば、全くの無音でただただ日常が流れているときもある。予定のない機会だとサッと色が変わる癖をして、急いでいる時に限り延々と焦らしてくるような感じがする。



 今日は幸いにも祝日だ。わずらわしい日々の勤めを一辺に棚に上げて自由を満喫できるのだ。いつもならこの曜日に働いていることを思えば、最高の気分だ。そして記念すべきことに、本日こそが超新型ゲーム機の発売日なのである。これをどれだけ待ち侘びたことだろうか。ハチ公であってもこれほどまで待つことはできなかったであろう。という訳で早速都会まで出かけることにする。


 俺はいつも電車に乗っているんだ。この路線の車両はオンボロだが、車窓から見える景色は最高だぞ。鼻高々になってみる。この世で会社勤めほど嫌なことはない。こうして自由に過ごせる休日は、実に気分がいい。


 降りた駅から数個の横断歩道を渡れば、お目当ての販売店だ。高鳴る鼓動を胸に、踊る心を落ち着かせつつ駅の舎屋を出る。ところがどっこい、はるかに見える店のあたりは人でごったがえしているではないか。何故もっと早く出発しなかったんだろうと頭をかきむしる。こうしちゃいられない、一刻でも早く店頭へ着かなければならない。暴れる手提げカバンを引き寄せながら真っ先に駆け出すも、信号は赤だ。待てど暮らせど色は変わらない。この時間があれば鍋を半杯は食べられるだろう。

「さっさと通しやがれ!」

苛立ちを吐き出してやるも、ヤツはシカトをしてきやがる。生意気な野郎だ。一日中しかめっ面で突っ立っているだけのくせに何様だろうか。埒が開かないのでもう一発かましてやろうかと体を乗り出したところ、信号の色が変わった。どうやら恐れをなして道を開けたようだ。再びゲーム機を目指して息を荒らげる。今日のためにどれだけの苦闘があったかを思うと労を惜しむ気配などない。同じ目的地と思しき、群衆の中で前に前にと脚を回転させ、多少の肉弾戦を持ち前の体幹で競り勝ち、わずかな隙間を手を伸ばしてかき分ける。ようやく集団の最前線を捉えそうだ、というところでまた「ヤツ」が現れた。ゲーム機が売り切れてしまう…。途方に暮れていたところ、何やら背後の男が声をかけてくる。デブだ。

「アメちゃん、いりますか?」

丁度頭がくらっとしていたので快く受け取る。

「前、どうぞ」

お返しに一歩前を譲ってやる。彼は増田というようだ。中々気前のいい奴も世の中にはいるものだ。彼が前にいると壁になって楽々と進めそうだ、というのは野暮ではないと言っておこう。信号はまだ変わらない。車両は律儀にサッサと走路を辿っている。横断歩道は空のままだ。太陽は条理を知らず刻々と角度を上げていく。それでも、まだ希望を捨ててはいない。


 信号が変わった。衆愚は一斉に飛び出していく。懸命に体を揺らす増田を盾に、悠々と、しかし心はじんわりとした焦りとともに、前に進む。あれだけ待ち望んだ幸せを、逃すなんてことはないだろう。

 どうやらこれが最後の信号機だ。スクランブル交差点を渡れば、ついに目標の販売店だ。ここからだと店内の様子も少しずつ伺える。人知れず、ようやくの思いで表情が緩み安堵が浮かんできた。こんなに望んだゲーム機を逃すなんてことがあるはずなんてない。駅前にいた頃と比べると、車の交通量が減ったような気がする。街路樹で休む小鳥のさえずりにも耳が引き寄せられる。増田も少し安心しているように見える。その時、交通整理で店頭にいたオレンジの制服に身を包んだ店員が声を張り上げた。

「残り在庫数15台となります。お早めにお買い上げください!!」

直ちに群衆は混乱に陥った。ここにいるだけでも15人は優に超える。ましてや店内の客数を考慮すると尚更だ。このままだと売り切れてしまう。ヤツは相変わらず寄生虫に食われたような色遣いの顔面で通行を阻んでいる。

「行かせてくれ!!」「今回だけだから!!」「早く変わってくれ!!」

奴婢たちの悲痛な嘆願も虚しく、交差点の番人はことごとく無視をする。後方で誰かが叫んだ。

「今行くしかない!!!」

激しい怒号、けたたましいクラクションが鳴り響く中、白線を飛び越える。走行中の車なんぞ新型ゲーム機と比べたら大したことなんてない。大の大人達が白線をぐいぐいと切り裂いていく。宝物はあと少しのところで手が届く。

 振り返るとさっきまでの勝ち誇ったような佇まいのヤツが、いかにも無念というように取り残されている。いい気味だ。


 愚かな人間たちは終に対岸に到達してしまった。興奮の余り、道を踏み外してしまったのである。


 増田を追い抜き、メガネのおじさんを追い抜き、坊主の球児を追い抜いた。先頭で店内に滑り込み、人混みに飛び込む。ラスト3個から1つを手にした。万感の思いとともに、殊勝の口付けをした。


 伝説によると、彼らは未だに赤信号に苦しめられているらしい。果たして、あの日買ったゲーム機を楽しむことができたのであろうか。




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