沈黙の外交 ー 覇権の転換点
招待状という名の「懇願」
マリアナ海溝での「所属不明艦消失事件」から3日後。
S.O.D.U(戦略海洋開発隊)司令部には、米海軍第7艦隊司令官・アンダーソン中将からのホットラインが鳴り止まなかった。名目は「日米安全保障条約に基づく緊急協議」。しかし、その実態は「お前たちは一体何を作ったんだ? 教えてくれ」という悲鳴にも似た懇願だった。
天城少将は、受話器を置くと、不敵な笑みを浮かべて部下に告げた。
「会談を受ける。場所は横須賀沖、米第7艦隊旗艦『ブルー・リッジ』艦上だ。ただし……送迎のヘリは断れ。『雅津風』で向かう」
52ノットの外交官
会談当日。横須賀沖に停泊する米旗艦『ブルー・リッジ』の甲板では、アンダーソン中将と幕僚たちが、到着予定時刻に合わせて海を見つめていた。
「日本の新型駆逐艦で来るそうですが、予定時刻まであと10分しかありません。まだレーダーに影もありませんが……」
部下が言いかけたその時だった。
「司令! 本艦右舷、急速接近する目標あり! 速力……ご、50ノットオーバー!?」
水平線の彼方から、白い波濤を切り裂く「矢」のようなシルエットが現れた。
超高速駆逐艦『みやつかぜ』だ。
通常なら1時間はかかる距離を、わずか数十分で踏破。雅津風はブルー・リッジの真横につけると、まるでスポーツカーが急停車するようにピタリと波を静めた。その優雅で、しかし凶暴なまでの機動性能に、米兵たちは息を呑んだ。
テーブルの上のカード
『ブルー・リッジ』の会議室。空気は重かった。
アンダーソン中将は、単刀直入に切り出した。
「天城少将。貴国が開発したその……『北斗打撃群』。スペックが異常だ。レールガン、レーザー、そしてあの潜水艦。同盟国として、技術データの共有を強く要求する」
天城は紅茶を一口すすると、静かに答えた。
「中将。これは防衛省の管轄外、S.O.D.Uの独自装備です。安保条約の適用範囲外、いわば『ブラックボックス』でしてね」
「そんな理屈が通るか! 世界のバランスが崩れる!」
アンダーソンが机を叩く。
天城は懐から一枚のメモリチップを取り出し、テーブルに滑らせた。
「……ですが、我々も鬼ではない。これは『レールガンの砲身冷却システム』の一部データです。これがあれば、貴軍のズムウォルト級も、多少はまともに撃てるようになるでしょう」
それは、喉から手が出るほど欲しい技術だった。アンダーソンが手を伸ばそうとすると、天城はその手を軽く制した。
「ただし、条件があります」
「条件?」
「北斗打撃群の運用に対する、米軍の『完全なる不干渉』。そして、我々の演習海域からの恒久的な立ち退きです」
技術という「餌」で、外交の主導権を握る。これは対等な同盟ではない。技術的優位による「管理」の始まりだった。
「以上」の重み
取引が成立し、会議が終わろうとした時、アンダーソン中将はずっと喉につかえていた問いを投げかけた。
「最後に一つだけ聞きたい。あの時、ソナーが一瞬だけ捉えた『8隻目の影』……潜水艦『しんえん』についてだ」
天城が足を止める。
「我々の最新鋭原潜でも、深度800mが限界だ。だが、君たちの潜水艦は、マリアナ海溝の淵……深度2,000mの領域にいたという解析結果が出ている。人間が乗って、そんな深海にいられるはずがない」
アンダーソンの声が震える。
「公式スペックでは『潜航深度2,000m』となっているが……本当の限界深度はどこなんだ?」
天城は振り返り、薄く笑って答えた。
「中将、公表スペックにはこう書いてあるはずです。『2,000m 以上』と」
「……!」
「『以上』の意味をご存知ですか? 2,100mかもしれないし、日本海溝の底、8,000mかもしれない。あるいは……」
天城は人差し指を唇に当てた。
「海に『底』があると思っているのは、人間だけかもしれませんよ」
その言葉を残し、天城は退室した。
残されたアンダーソン中将は、背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
「以上」という言葉。それは、この海に米海軍が逃げ込める「安全な深さ」など、もうどこにも存在しないという死刑宣告だった。
・「みやつかぜ」のデモンストレーション
会議の前に52ノットを見せつけることで、「逃げることも追うことも不可能」と物理的に理解させました。
・技術供与という名の首輪
レールガンの冷却技術(S.O.D.Uにとっては型落ち技術)を渡すことで、米軍に「恩」を売りつつ、S.O.D.Uへの不干渉を約束させました。
・「以上」のブラフ
潜航深度をあえて曖昧にすることで、米海軍は今後、世界のどの海域でも「足元の深海に『しんえん』がいるかもしれない」という恐怖に怯えることになる。




