表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/19

深海の不感症

2026年6月。太平洋、マリアナ海盆付近。


 S.O.D.Uの原子力潜水艦『しんえん』は、深度400メートルの浅深度を、静かに流していた。


 発令所コントロールルームでは、副艦長がモニターの数値を見ながら呟いた。

 「艦長。本艦のチタン複合装甲は、磁気探知機(MAD)を完全に無効化しています。上空の哨戒機にとっては、我々はただの海水と同じです」


 影山艦長は、読みかけの文庫本を閉じて頷いた。

 「ああ。だが、過信はするなよ。磁気は消せても、質量は消せない」

 「質量、ですか?」

 「そこに『物』がある限り、叩けば音が鳴る。……向こうが、マナー違反の『ノック』をしてくればの話だがな」


 その言葉が終わるか終わらないかの瞬間だった。

 ヘッドホンを耳に当てていた水測員が、顔を弾かれたように上げた。

 『キィィィィィン!!』

 艦内に、甲高い金属音が響き渡った。

 アクティブ・ソナーだ。敵が自らの位置を曝け出してでも、無理やりこちらを見つけるための「音の暴力」。

 「探信音接触! 強力です! ……捕捉されました!」

 水測員が叫ぶ。

 「本艦の右舷後方、距離4,000! 所属不明潜水艦、シエラ・ワン!」

 副艦長が息を呑む。

 「馬鹿な、磁気反応はないはずだぞ!?」

 「偶然通りがかったか、あるいは『影』を見られたか……。だが、向こうはやる気のようだ」

 影山は表情一つ変えずに、静かに命じた。

 「第一種戦闘配置」




水の音、死の音


 艦内灯が赤色レッドライトに切り替わる。

 その赤色灯の下で、水測員が再び戦慄の声を上げた。

 「トランジェント! ……注水音、聞こえます!」

 ゴウッ……!

 ソナーのスピーカーから、敵艦が魚雷発射管に海水を流し込む、独特の低い唸り音が漏れ聞こえる。それは、引き金に指をかけた音と同義だ。


 影山が即座に反応した。

 「取り舵一杯! デコイ、1番2番、発射用意!」

 「シエラ・ワン、発射管開放! ......発射! 魚雷来ます! 2本!」

 「感度強し! アクティブ・ホーミング! 本艦に向かってきます!」


 敵の魚雷は、正確に『しんえん』のチタンボディを狙っていた。磁気は関係ない。彼らは物理的な「音の反射」だけを頼りに、殺意の塊を送り込んできたのだ。

 だが、影山はあくびが出そうなほど冷静だった。

 「……騒々しい客だ。丁寧にお帰り願おう」

 彼は天井を見上げ、冷徹に言い放った。


 「メインタンク、急速注水。

 緊急潜航。深度、1,500」




深淵への逃走


 「急速潜航! 深度1,500へ!」

 『しんえん』の船体が大きく前傾する。

 海水を飲み込んだ黒い巨体は、滑り台を落ちるように深海へと突き進んだ。

 500メートル、600メートル、800メートル……。

 通常動力潜水艦なら船体がきしみ、圧壊の恐怖に震える深度だ。

 だが、『しんえん』の強靭な船殻は、ミシリとも言わない。

 「敵魚雷、追尾してきます! 深度900……1,000……!」

 水測員がカウントする。

 敵の魚雷も必死に食らいついてくる。だが、物理法則は平等で、そして残酷だ。

 深度1,200メートルを通過した瞬間。

 『パァァン……!』

 『ボコォッ……!』

 スピーカーから、空き缶を握り潰したような破裂音が2回、連続して聞こえた。

 「……敵魚雷、ロスト。圧壊しました。水圧に耐えられなかったようです」

 「シエラ・ワン、追尾停止。深度800で停止しています。……これ以上は潜れないようです」


 『しんえん』は深度1,500メートルの暗闇にピタリと静止した。

 頭上700メートルに敵がいる。だが、敵にとってこの場所は、絶対に手の届かない「異界」だった。




100%のアドバンテージ


 「さて」


 影山は指揮官席で足を組み直した。

 「安全圏からの『教育』の時間だ。一方的に殴られる恐怖を教えてやれ」

 発令所の空気が変わる。防御から攻撃へ。

 ここからは、完璧な儀式の時間。


 「1番発射管、戦雷ウォー・ショット用意。ワイヤー誘導。……目標、シエラ・ワン」


 クルーたちの声が、リズミカルに響き渡る。


 操舵員:「深度、姿勢、安定。……Ship's ready!」


 射撃指揮盤:「目標データ入力完了。射撃解、算出。……Solution ready!」


 発射管室:「1番管、注水完了。回路導通。……Tube ready!」


 水雷長:「兵装システム、オールグリーン。……Weapons ready!」


 副艦長が振り返り、影山の目を見る。


 「All ready !」


 影山はモニターに映る、動けない敵潜水艦の光点を見つめ、静かに呟いた。

 「Set.」

 「セット!」

 「てッ!」

 「Fire!」

 ボスゥン!

 圧縮空気の衝撃と共に、超空洞魚雷『黒龍』が深海の闇へ解き放たれた。




慈悲という名の警告


 放たれた魚雷は、敵艦の真下から垂直に上昇していく。

 敵のソナーには、地獄の蓋が開いたような轟音が聞こえているはずだ。回避運動など無意味。彼らの限界深度より遥か下から、死神の手が伸びているのだから。


 「魚雷、目標まで距離500……300……」

 水測員がカウントダウンする。命中まであと数秒。

 「……今だ。デトネート(起爆)」

 影山が短く命じた。

 水雷長がスイッチを叩く。

 「デトネート!」


 ズドォォォォン……!


 目標の敵艦から、わずか100メートル手前。

 『黒龍』は命中する直前で自爆した。

 直撃はしていない。だが、至近距離で発生した強烈な衝撃波が、敵艦を激しく揺さぶり、ソナーを焼き切り、乗員たちの鼓膜を震わせたはずだ。


 「シエラ・ワン、スクリュー音乱れています! 混乱している模様!」

 「機関最大! 逃げていきます!」


 影山は、怯えて逃げ去る敵の音を聞きながら、再び文庫本を開いた。

 「いつでも沈められる、ということだ。……国へ帰って、上官に伝えるといい」

 深度1,500メートルの静寂の中、『しんえん』は再び誰にも気づかれない幽霊となり、暗い海へと溶けていった。

冒頭で「磁気探知機は効かないが、アクティブソナー(音波)は質量に当たる」という弱点?を提示し、

そこからの逆転劇を描きました。


個人的には、「 ships ready 」のくだりが描けてよかったです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ