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野良猫リンクスシリーズ

野良猫リンクスの相対性理論

 吉田カンタは、惚けていた。


 全体的に黒をベースにして赤と茶色を混ぜた内装に、シャンデリアが至る所に設置された室内、二人掛けの赤いソファに座り、目の前のテーブルにはジャパニーズウィスキーのボトルにアイスペールなどが置いてある。

 隣には、鎖骨から艶めかしい胸元まで開いていて、生足を惜しげもなく出したミニドレスを着た華奢な可愛らしい女が座っていた。


「カンさん、いつももありがとね」


「何言ってんのぉ、ルカの為なら当たり前だよ」


 吉田カンタは、キャバクラ にいた。


「明日の接待よろしく頼むね」

 吉田は、胸元に目が行かないように言った。


「オッケー、世界的に有名な人がくるんだよね」

 ルカは、軽く答える。


「僕もどんな人かわかんないけど、難しい人かも知れないから初めに謝っとくね」

 吉田は、胸元を見ない様にすればするほど、目が泳いでいる事に気づいていない。


「ねぇ、誰なのよぉ、教えてくれてもいいじゃない」

ルカは、胸元を強調する様に前屈みで吉田の顔を覗き込む。


 胸から視線をわざとらしく外し上を見ながら、

「来てからのお楽しみ!」


「じゃあ楽しみにしとくね、でも物理学の有名な人なんて全然知らないけどね」

 可愛い笑顔で答える。


「うーん、物理学の人ってわけじゃ無いけど、色んなジャンルで有名だよ、会えばわかると思うけどなぁ」

 吉田は、話したくてたまらない、でもどうしてもルカを驚かせたいので必死に我慢した。


 その後、明日のことより、自分の事を必死にアピールしていた。


 吉田は、ルカにベタ惚れしていた。それも十年以上。


 彼は帝都大学の物理学の助教授である。

 実家は、この地区でも有名な資産家の次男で、容姿もそれなりによく、性格も良い。こういった店で彼女を探さなくてもどこでも作れそうだが、どうしてもルカと付き合い、結婚までしたいらしいのである。

 吉田とルカは、お客とキャストの関係性だけでなく、体の関係こそ無いが、プライベートでも付き合いがある。だが中々それ以上の関係には、ならなかった。そんなこんなで十年経っている。


 その吉田が結婚したいルカという女性は、本名夏川りえでシングルマザーである。若かりし時に、結婚をし、子供を産んですぐに離婚をしていた。元旦那に頼る事なく一人で育てる為に夜はキャバクラ に勤めているのである。彼もそれは知っているし、子供にも会ったことはある。


「明日朝早くに、その人迎えに行かなくちゃいけないから名残惜しいけど帰るね」


「うん、わかった楽しみにしてる、また連絡するね」

 そう言って、会計を済まし店を出た。


 外に出ると、店の看板を見ながら、

「はぁ、また好きだって言えなかった」

 十年自分をアピールしているが、一度も告白はしていない。ただの良い人だけは嫌で告白をしたいのだが目の前にすると言えない小心者だった。


「まぁ明日も会えるしいっか」

 だが吉田は、なぜか前向きである。


***


 吉田は眠い中、車で高速を運転していた。

 講師を迎えに空港に向かっているのである。


「はぁ、ちゃんと先生、夜付き合ってくれるのかなぁ」

 今日の講演なんかより夜の接待を気にしていた。


 今日は、帝都大学の百周年記念講演で、世界的にも高名な男を呼んで講演をしてもらうことになっている。そのアテンド役が吉田であった。

 送迎から見送りまで任されている。

 講師は、あまり人前に出ることが好きではなく講演自体も断わられ続けていたが、帝都大学の卒業生の現総理大臣から親交があるというアメリカ大統領経由で何度もアプローチした結果、実現した講演であった。故に粗相はできない。


 空港に着くと、吉田は驚愕した。

 報道陣やファンなのであろう人が、空港のロビーを埋め尽くすように集まっている。


 その講師は、色々なジャンルで有名だが公式で来日することはほぼない。つい最近アイドルとの熱愛スキャンダルがあったり、絶えず世間を賑わしている。そんな彼を皆、一目見ようと駆けつけたのであろう。しかもプライベートジェットで来るという超VIPである。


 事前の打ち合わせで、待ち合わせはロビーではなく、指定された駐車場で待ち合わせする段取りだった。


 車から出て待っていると、空港の係員に案内され、長身の顔の整った赤茶色の髪の男と小柄な柔らかそうな茶色の髪の可愛らしい青年が何やら揉めながらやって来た。


「あれはぁ、インチキだよぉ」

「お前が弱いだけじゃん」

「絶対僕が勝ってたよぉ」

「お前におれが負けるわけないじゃん…… あっ、あの人じゃないか」

 吉田に気づき、手を振っていた。そして二人に駆け寄り、

「長旅お疲れ様です。私は身のお世話をさせていただく、吉田カンタと申します」

 彼は、講師がこの国の言語を話せる事を知っていたので、普通に母国語で挨拶した。


「やぁ、はじめまして、俺はリンクス、で、こっちが虎之介、よろしく」

 二人は、輝かしく笑っていた。

 帝都大学は、国内で入学することが最難関と言われる大学であり、卒業生には、政治家、官僚、世界の名だたる大企業の社員や様々な場所で活躍する人間を輩出している大学である。この大学を出れば将来を約束されるとまで言われている。

 そんなステイタスを持った大学なだけに周年講演はどうしても世界的に著名な人間を招待したかった。


 リンクスは、世界中をマーケットにするコングロマリット企業のバーンスタインコーポレーションCEOであり、彼自身も、文学、芸術、音楽、物理学、発明家、などなど色々なジャンルで活躍し、名だたる賞は、ほとんど取っている。そして余り人前にでないという神秘性もあった。ちなみに虎之介は、リンクスのSPである。


 なので、今回リンクスを帝都大学の百周年記念の目玉として講演の講師に招待したのである。


「ねぇリンクスぅ、講演なんて出来るのぉ?」

 虎之介は、リンクスが心配である。


「話すだけだから、誰でも出来るだろ」

 リンクスは、仕事ではあまり深くは考えない。


「いったい何の話すんのさぁ」


「現代物理学って言われてるんだよなぁ、うーん日本人は、アインシュタイン好きだから特殊、一般相対性理論交えて宇宙物理学とかその辺を話せばいいんじゃないかなぁ、うーん、どうだろう有名過ぎてつまんないかなぁ」


「へぇ、そりゃ誰でも話せるよねぇ」

 虎之介は、恐らくよくわかっていない。


「ねぇリンクスぅ、お菓子いっぱいあるよぉ」


(腹立つわぁこいつ)

 リンクスは、そう思った。


 二人は、開演まで控え室で待機する。

 控え室の半分は、聞いたこともない名札付きのお祝い花で埋め尽くされていた。

 美味しそうなお菓子も山程置いてあり、講演のプレッシャーもなくのんびりしていた。

 もう間も無く、呼ばれる時間だ。


***


 会場は、そんなに広くはなかったが、立ち見含めて二千人以上は入っていた。

 ステージ上のリンクスは、威風堂々としており、ちょいちょい笑いも取って話をしていた。

 話の内容は、結局、アメリカ大統領の話から始まり政治経済の話、自社の最新技術の話がほとんどであった。

 講演自体より、その後の質疑応答の方が盛り上がりはあった。

 今までの女性スキャンダルの質問が殆んどであったが、相手に迷惑をかけないレベルでは、話していた。

 そんなこんなで、退場する時にはスタンディングオベーションで見送られていたのである。


 虎之介が舞台の袖に待機しており、

「何だよぉ、アイーンなんちゃらの人の話なかったよぉ」


「何だよアイーンの人って、それは白塗りの殿様だろ、アインシュタインだよアインシュタイン!」

 リンクスは、意外に日本のテレビをよく見ていた。


「少ししただろ、GPSの話とかさ、あれ重量は、空間と時間を歪ませるって言う一般相対性理論の考えと特殊相対性理論から、衛生と地上の時間の誤差修正をやるんだからさ……」


 虎之介は遮るように、

「ふーん、この後の懇親会って美味しい物たべれるのかなぁ」

 虎之介は、よくわからないことは、興味がない。

(ほんと噛み合わないなぁ)

 リンクスは、溜息をついて控え室に戻っていった。


 控え室に着くと色々な来賓が挨拶にやってきたが、適当に相手をして、吉田に懇親会場まで送らせた。


「吉田くん、懇親会さぁ、顔だけ出して帰ってもいい?」

 リンクスは、せっかく日本に来たのであるから、行きたい所が色々あった。

「ダメです!二次会までセッティング済みなので」


「えぇー嫌だよぉー、知らないおっさんの付き合いは」


「…… お願いしますよぉ、僕の一生がかかってるんですからぁ」

 吉田は、焦っていた。

 ルカに連れていくと言ってしまった以上絶対連れて行かなければならない事情がある。

「明日、どこでも連れて行きますから、なんとかお願いしますよぉー」

 必死に頼み込む。


「…… わかりました、吉田くんも立場がありますもんね」

 立場なんぞ考えてはいない、ルカの為だ。


「はぁ、ありがとうございます」

 ホッと一息ついた。


 その後、高級ホテルの宴会場で懇親会は、行われた。

 経済界、政治家、芸能人などの面々が集まり、皆、リンクスに挨拶に来るが、彼は、適当に対応して、何とか面倒な宴を乗り切った。おかげで、食事をとる暇もなかったが、SPで連れてきた虎之介だけは、高級な料理を腹一杯食べてご満悦である。

その後、二次会に行くのではあるが、吉田と虎之介の三人だけで飲み屋が集まる繁華街のテナントビルの前に来ていた。

「吉田くん、三人だけ?」


「はい、そうですが、不都合でも?」


「いや無いけど…… やる意味はないよね」


「意味はあります!」

 吉田にはある。


「そっ、そっか、じゃあ行こうか」

 リンクスは、早く終わらせるつもりだった。


 そして、三人は、テナントビルのエレベーターに乗り吉田の行きつけのキャバクラ 『キャット』に向かった。

 扉を開け店に入ると、何人もの黒服が、

「いらっしゃいませ、ようこそキャットへ」

 と声高らかに出迎えた。

 煌びやかに着飾った女が狭い通路に並びお辞儀をしている前を通り、VIPルームに入る。

 部屋の中は、大きなシャンデリアに黒基調の落ち着いた部屋であった。

 扉は、ガラス張りで外から何人も中を覗いているのがわかる。

 三人は、ソファに腰掛けた。


「吉田くん、付き合うの一時間だけだよ、一時間!」


「わかりました、それでいいです」


 その時、扉が開き、ルカと二人の綺麗な女が入ってきた。


「はじめましてぇ」


***


 リンクスは、悩んでいた。これは、本当に接待なのかと。

 明らかに、キャストや黒服は、興奮して接待してくるが、アテンダーの吉田カンタは、隣のルカに夢中である。


(そういうことか)

 リンクスは、この状況を理解した。そうと分かればこちらの手のひらである。イタズラ心に火がつき、吉田をからかおうと決めたのである。

 黒服を呼び、高いシャンパンを頼み、みんなで飲み干した。

 虎之介は、既にキャストの膝枕で熟睡している。

 リンクスは、立て続けにもっと高いシャンパンを頼み、またすぐに飲み干す。

 さらにその次も。

 吉田の顔色が変わるのがわかり、リンクスはご機嫌であった。


「リンクスさん、もうそれぐらいで」


「いやいや、まだ全然酔わないんですよ。まだまだ飲みますよぉ」


 吉田も自腹の覚悟を決めたのか、やたらに飲むペースが上がった。

 二十本はボトルが空いた頃にはVIPルームにいた人間皆、泥酔して呂律も回らない状態になっている。

 そうなると人間本性が出るのであろう、キャストの二人は、リンクスに密着し、ホテルに着いて行くとアプローチをかけている。

 虎之介は、既に白目で床に転がっている。


 その時突然、吉田は、大声で、

「ルカぁー!好きだぁ、結婚前提で付き合ってくれぇ!」

 と告白していた。


「絶対に嫌やーーー!」

 大失敗だった。


 吉田は、一瞬で酔いが覚めたかのように、急いで部屋を出て帰って行った。

 リンクスは、唖然として見ているしかなかった。

 吉田が帰ってしまい、ルカと少し話をしていたが、ルカは下戸でお酒を飲んでいなかったみたいで吉田のことをかなり心配していた。

 そして何かあったら連絡して欲しいと電話番号を渡される。


 帰る時に数百万の精算だけ残っていた。

 そしてオセロットに殴られるのを想像しながらカード決済し、虎之介を背負ってホテルに帰ったのである。


***


 次の日朝、吉田は迎えに来ない。

 リンクスと虎之介は、ホテルのルームサービスでモーニングを食べていた。

「吉田さん、来ないねぇ」


「あんなに、はっきり振られればショックなんだろ」


「なんでぇ、振られるのぉ」


「そういうもんさ、キャバクラ ってとこは」

 とはいうもの、少し罪悪感もあり、そして今日一日、足がないのも不便である。

 リンクスは、出るまで吉田に電話をかけ続けた。


「…… も、しもし、すみませんできれば今日は…… 」


「吉田くん約束は約束だよ、昨日の精算も私がしたんだからね」


 吉田は、はっ、とした、精算の事は忘れていたのである。

「すみません今から行きます」

 電話が切れた。恐らくすぐに準備して慌ててくるのであろう。


「虎之介、今から来るってさ」


「やったぁ、それじゃあ夢の国行けるねぇ」


「それは、今度だ」


「えー、楽しみにしてたのにぃ」


***


「本当に申し訳ない」

 吉田は、昨日の事、今日の約束の事に対して平謝りをしている。


「来たんだから謝る必要はないだろ」

 リンクスは、笑顔で答える。


「じゃあ行こうか」


「どっ、どこへ?」


「俺の行きたい所だろ」


 三人は、渡船場から船に乗り、アートの島と呼ばれる小さな島にやってきた。

 二日酔いの吉田に船は地獄であった。


 島は、二百人程の住民しかいないが、風光明媚な景観に、島の所々に、アート作品が飾られ日帰りの観光としては人気がある。

 自転車をレンタルして、ゆっくり一周するのが、この島の楽しみ方らしい。


「吉田くん、自転車借りよう」


「リンクスさん、残念ながら僕は自転車に乗れないんですよ」


「じゃあ借りて練習しよう、じゃなければ昨日の精算、大学に請求するけどいい?」


「…… わかりましたよ、でも乗れないですよ」

 渋々、自転車を三台借りる。普通のママチャリであった。


 吉田は、何度も乗って何度も転んでいる。

「だから、無理ですって」

 とうとう地べたに腰をついて息をきらしている。


「そんなんで子供にどう教えるんだよ」


「別に子供もいないし、無理に乗る必要なんてないでしょう」

 吉田は、項垂れている。


 その時、

「カンちゃん、教えてあげようか?」

 そう言いルカと娘のマドカがこちらに歩いてくる。


「…… ルカ!」

 吉田は、明らかに狼狽している。それもそのはず、昨日あんなにはっきり振られるのである。地面についていた腰をあげ、そこから逃げようとした。


「カンちゃん!まだ逃げるの?」

 ルカは、大声で叫んだ。

 吉田は、足を止めて、

「僕は逃げてない!十年間ずっと…… 」


「…… ずっと、何?」


「ずっと、大好きなんだよ!君にはっきり振られようが、これから何十年先も変わらないんだよ!」

 見苦しく涙と鼻水を出しながら大声で叫んだ。


「やっと言った」

 ルカは、明らかに喜んでいる。


「き、昨日も言ったじゃないか」

 吉田は、ルカの反応がわからない。


「酔っ払いの告白は受け付けていません」

 ルカは笑っている。


「…… えっ、どういうこと」

 吉田は、テンパっている。


「あぁー、焦ったいなぁ、物理学やってんのに何でそんなに想像力ないんだよぉ、彼女の顔見ればわかるじゃん」

 リンクスは、イライラしている。


 吉田の顔がみるみる生気を帯びてくるのがわかった。


「もう一度言って、私とマドカの前で」

 ルカは、娘マドカと手を繋いで、目の前の頼りなさそうだが優しい目をした華奢な男を見ていた。


「夏川りえー!マドカー!絶対絶対、幸せにするから…… 」

 吉田は、大きく息を吸っている。


「僕と家族になってくれませんかぁー!」


 ルカとマドカは、吉田に向かって走り出し、三人にで抱きしめあった。

 十年の思いの分、中々離れる事はなかった。


 それを暖かく見ていたリンクスは、

「見てみろよ虎之介、彼らの時間は今、すっーごくゆっくりに進んでいる、俺たちの何分の一だろうな」

と言った。


「そんなわけあるもんかぁ、全部一緒だよぉ」

 虎之介は、三人を見て微笑ましく思っているが、リンクスの言っている意味はわからない。


「これももちろん相対性理論だろうね、そうだろ、なぁアインシュタイン!」


 その後、吉田は、二人に自転車の練習に付き合ってもらい、最終の船が出るまでには乗れるようになった。


「自転車楽しいだろ?人生みたいで」

 リンクスは、三人に向かって言った。

「はい!倒れないようにするには、走り続けなければいけない…… アインシュタインの名言ですよね、これからも三人で一生懸命走り続けます」


 やっと三人は、本当の家族になったのだ。

 リンクスと虎之介は、微笑ましく見ていた。




「リンクスぅ、オセロットから電話だよぉ〜」


「頼む、いないと言ってくれ」


―野良猫リンクスの相対性理論、終わり―

野良猫リンクスの望郷のスピンオフとして書いてみました。


リンクス、虎之介が大活躍する野良猫リンクスの望郷も読んで頂けると幸いです。

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― 新着の感想 ―
両想いの人と居る時間がゆっくりってのわかります。相対性理論もそう考えるとロマンティックだなぁ。あと虎之助君がかわいいー。
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