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アイリスはどこか落ち着かない気持ちでホテルに戻ると、すぐに弁護士のバルフォアドのもとに向かい話をしていた。エドモンドと交わした内容をすべて話し終えると、老人はベッドの中で身じろぎすると、思案気な顔で意見を口にした。
「想定通りの反応です。電話でも一貫してマチルダ様と会わせないと言っておりましたから」
「マチルダ様はお加減が悪いと聞きました」
「自宅で療養しておられると聞いています。人と会えない状態ではないようですから、体調の問題ではなく、心身的な衝撃を与えたくないということでしょう」
「それならば、このまま会わない方がよいのではありませんか?」
どのようにいきさつになったのかは、もう因縁を持つ方たちは亡くなっている。それなら、いまさら大叔母マチルダの気持ちを荒立てる必要がないように思えた。遺産を必要としていないのならよけいにそうだ。アイリスはマチルダと会いたかったが、それもマチルダの気持ちを考えると自分は帰った方がよいのではないかと思うようになっていた。今日の食事のときにエドモンドにもう一度そのことを伝え、帰国の準備をした方がよいのかもしれない。
「いいえ、お会いした方がよいと思いますな」
はっきりとしたバルフォアドの言葉にアイリスは顔を上げた。
「それは、なぜですか?」
「マチルダ様の夫のサイモン殿が、そのように言われるのならばお会いしない方がよいかもしれません。しかし、サイモン殿もすでに亡くなられており、この件に関して言える立場の者はいません。いくら子供でも両親の真実など知りえないものです。マチルダ様が考えていることなどわかりはしませんよ。それにあなたがこのまま会わずに帰られたことを知ったら、マチルダ様は後悔されると思いますよ」
「そうでしょうか。報告書にあるようにマチルダ様を拒絶していたのはフォスター家です。エドモンド様が思うようにいまさらではありませんか?」
バルフォアドはアイリスを慰めるように手を取った。
「アイリス様、マチルダ様はあなたの母であるセシリア様と連絡を取り合っていたことは知っておられますね」
「ええ、ポロニャール夫人が話してくれたことですね」
「セシリア様はポロニャール夫人に、もし自分に何かあった場合はマチルダ様に連絡をしてほしいと言われていたそうです」
アイリスは驚きで、言葉なく瞬きを繰り返した。母がそのようなことをポロニャール夫人にお願いしていたとは思わなかった。
「そ、それでは」
「はい。ポロニャール夫人はセシリア様がお亡くなりになったときに、マチルダ様にお知らせしました。マチルダ様は葬儀に参列したかったらしいのですが、兄であるフォスター子爵に遠慮され、ポロニャール夫人に手紙だけを送られたそうです。そこには何かあったら自分に連絡してほしいと書かれており、アイリス様のことを気にかけられた内容だったそうです。マチルダ様はフォスター家を気にされていました。兄である子爵が亡くなられて、フォスター家の現状を今一番に知りたいのはマチルダ様に違いありません」
「そうなのですね」
アイリスは今の話に希望を持った。大叔母マチルダは長年にわたり、フォスター家がどのような冷たい対応をしようと常に気にかけてくれていたのだ。それならアイリスを会ってくれる可能性があった。
「それにエドモンド殿がアイリス様をお食事にお誘いしたということは、フォスター家の現状に思うところがあったのかもしれません。フォスターを名乗る者たちが一切出てこなかったことに違和感を覚えたのでしょう」
アイリスはその言葉を寂しい気持ちで聞き、情けない気持ちで頷いた。フォスターを名乗る者はもういないのだ。もしマチルダと祖父の仲が改善されていれば、もしかしたらマチルダの子息と養子縁組をしてフォスターが引き継がれていたかもしれない。アイリスには、家を断絶してまでマチルダをゆるさなかった祖父の気持ちがわからなかった。
「祖父はなぜ大叔母様と仲たがいをしたままだったのでしょう。フォスター家をなくしても、大叔母様を許さなかった理由は何だったのでしょう」
バルフォアドは少し考え込むように視線をそらすと、長い間ディーンマーク家の弁護士として仕えた彼は困ったような表情を浮かべた。
「あなたの祖父であるジェームズ様のお気持ちはわかりませんが、お亡くなりになる前にお話をする機会がありました。そのとき、永遠などなく、いずれは消えるものもあるとおっしゃられた。長きにわたり爵位をつないできたフォスター家ですが、一族の終わりもあると言いたかったのかもしれません」
その祖父の言葉がアイリスの心に深い影を落とした。それはフォスター家だけではなくディーンマーク家も同じであった。ディーンマーク家にはもう自分しかいない。それなら、ディーンマーク家を終わらせる役目を担うのは自分だということなのか。私が当主でなければ、そんな思いが湧き上がった。
アイリスの両肩にぐっと錘がのっているかのように重かった。バルフォアドはうつむくアイリスの手を離すと、親しみを込めて肩を撫でた。
「アイリス様、大丈夫です。マチルダ様はあなたを受け入れてくださる。それにせっかくこの新しい大陸に来たのです。他の世界も見ていただきたい。この新しい国を、この活気のある自由な世界を、この国に住む方々を見てください。世界はセロースだけではない」
アイリスは顔を上げるとバルフォアドがやさしい瞳で見ていることに気がついた。そのように慰められ、少し肩に力を抜いた。普段生真面目な老紳士が茶目っ気たっぷりにウインクすると、にっこりと笑った。
「さて、さっそく冒険の始まりですね。今晩はクラーク家のご子息、経済界の中でも名高いエドモンド殿とのディナーです。新しい世界に出る覚悟はありますか?」
アイリスの体がかっと熱くなった。あのようなすばらしい容姿と知性を持った紳士と食事をするのだと考えると、今から緊張で体が震えてきた。
「さあ、あまり時間はございませんな。ご用意をしないといけません」
アイリスは時計を見て、あわてて椅子から立ち上がった。
アイリスは自分が持ってきた服を見て頭を抱えたくなった。
祖母が亡くなったことで喪に服して、ずっとシンプルで地味な色の服を着ていた。今回の旅に持ってきた服も白のブラウスとグレーのスカートに、ワンピースは黒やグレーのものがほとんどで華やかな服は一枚もなかった。ポロニャール夫人にベージュならよいのではと言われて、唯一飾りのない落ち着いたベージュのワンピースを持ってきていた。
アイリスはニューキャッセスに着いてから、あきらかに自分の服装が時代遅れであることに気がついていた。時代遅れどころか、あきらかに周りから浮いていた。この都市の女性たちが着る服に比べると、形も色も古くさく野暮ったい服装であった。だからといって新しい服を買ったとしても、自分には似合わないような気がした。
「ディナーでこのグレーのワンピースでは、さすがに失礼かしら」
ドレスコードを考えると、アイリスが持ってきているワンピースの中でベージュのワンピースを着ていくしかない。アイリスはベージュのワンピースに着替えると、鏡に映る自分の姿にため息が出そうになった。
「このワンピースはとてもよいものだから、きっとしっかりとした令嬢に見えるわ」
鏡を見ながら自信なさげに頷き、いつも通りに髪を後ろにまとめて結わき、首元までボタンを締めるとリボンを結んだ。いつも身に着けているブレスレットと、祖母から譲られたネックレスをつけることにした。ディナーであるのだから、あまりにも質素な出で立ちでは誘ってくれたエドモンドにも失礼であろう。いくら喪に服しているとはいえ、このぐらいの装飾品は礼儀に反しているわけではない。
何度も問題がないか鏡を見て、ドキドキする心臓を抑えながら、アイリスは用意を整えると七時前にロビーに降りた。このホテルは中級クラスであるため清潔でそれなりにきれいではあるが、ロビーもフロントも小さく、華美なところはないビジネス的なホテルであった。アイリスは普段から無駄な出費が好きではなかったため、今回の旅行に関してもホテルのランクを下げていた。執事のロベルトやポロニャール夫人からはいい顔をされなかったが、ここのホテルでも十分だと感じている。バルフォアドには申し訳ないと思ったのだが、バルフォアドも自分ならこのようなホテルに泊まるし気楽であるから問題ないと言ってもらえたので、このホテルにした。しかし、今はもう少し高いホテルにしておけばよかったと後悔していた。
ロビーに入ってきた紳士はこの場にまったくそぐわなかった。上品な出で立ちや、あきらかに仕立ての良いスーツを着こなし、物語に出てくる貴公子のようであった。
「こんばんは。アイリス・フォン・ディーンマーク嬢」
「こんばんは、エドモンド様。お迎えにきていただきまして、ありがとうございます。それと私に敬称は必要ありません。アイリスとだけお呼びください」
緊張しながら手を差し出すと、エドモンドは慣れているのか流れるようにその手を取り、エスコートをした。敬称は必要ないと言ったのは、この大陸では、エドモンドの呼び方があまりにも時代錯誤に感じられたからだ。
「それでは、私のこともエドモンドとお呼びください。外に車を止めてあります。どうぞ」
アイリスは心を落ち着かせて歩き出した。必死に淑女としてのふるまいに気をつけながら、エスコートに従い、ホテルの前に止まっていた車の助手席に座った。そう、後部座席ではなく助手席であったことに少し驚きながらも、そんな態度を出さなかった。
「さあ、行きましょう」
エドモンドは自国では見たこともない最新の高級車の運転席に座った。エドモンド自身が運転するのかとアイリスは驚きながらも、自由な国の人らしいと思った。アイリスの周りでは運転手付きで車に乗る人の方が多いが、ニューキャッセスでは自分で運転する人の方が多いと聞いていた。その時々で使い分けているとも聞いていたが、エドモンドは気さくな人柄なのだろう。
ちらりと横顔を見ると白皙の横顔に見惚れてしまいそうになり、慌てて視線をそらした。
エドモンドはアイリスがこれまで出会った男性たちの中でも群を抜いて容貌がよかった。エディオン海運のCEOという社会的な立場もありながら、受付の対応の件ですぐに謝罪したことから人を軽んじるような人ではなかった。このような素晴らしい男性なのだから、きっととても女性にもてる人であろう。
アイリスはふと、この人は結婚をしているのだろうかと気になった。でも、もし結婚しているのであれば、このように女性と二人で食事をされないのではないかとも考える。
そもそも今回の食事は大叔母の話をするためにセッティングされたものだ。純粋に食事を楽しむためのものではない。そう考えたとき、急に胃が重くなってきた。それなら結婚されていたとしても奥様に不義理なことをしているわけではなく、一族の問題を解決するためにしかたないと問題になるようなことではないだろう。
このような素晴らしい男性と食事をするということに、どこか浮かれていた気持ちが急激にしぼむ。
アイリスの心は右に左にと大きく揺れ、いろいろな考えで頭がいっぱいになってきた。
「ニューキャッセスに来て、いかがですか?セロースとは違うでしょう?」
エドモンドに話しかけられて、アイリスの心臓はまたどきどきしてくる。
「ええ、人が多いことに驚きました。それに建物も乗り物にも驚きました。本当に自国とは違っています」
「オーガストはこの三十年で急激に成長した国です。特にこの十年での首都カサノバの街並みの変化は、住んでいる私たちでさえも驚くほどですよ。競うように高層ビルを建て、大勢の人が首都に移り住みました。今、わが国だけではなく、ニューキャッセスの大陸中で好景気に沸いています」
広い道路にはたくさんの車が走っているのを横目で見ながら、エドモンドの会話に耳を傾けた。ニューキャッセスの発展は目まぐるしく、それに比例して人口も増加している。それに伴いディーンマーク家の事業である農作物の小麦は近年、隣国だけではなく、ニューキャッセスの国へも輸出するようになった。
「この大陸での発展はすばらしいものですが、人が増えたことにより食糧難が課題のようですね」
エドモンドが意外そうな表情でちらりとこちらを見ると、小さく「ええ」とつぶやいた。
「農作地を増やしていますが急激な人口増加で間に合わず、古き大陸の国々からの輸出に頼っています。よくご存じですね」
「ディーンマーク家の事業は農耕です。主に麦を栽培しています。国内だけではなく隣国にも販売しておりましたが、近ごろニューキャッセスの国からも取引が来ましたので詳しく知ることになりました」
ディーンマーク家の土地は国内有数の農耕に向いた豊かな土地である。かなりの生産数があり、近年は豊作のため過剰気味であった。アイリスは農作地の縮小よりも過剰な分を外国への輸出に踏み切った。
「ディーンマーク家の事業には、あなたも関わっているのですか?」
アイリスはエドモンドの方へと視線を向けると、不思議な色合いの瞳の視線と重なった。
「私がディーンマーク家の当主でありますので、事業の代表者ですわ」
エドモンドが驚きの表情になり、一瞬、言葉を詰まらせたようであった。それほど驚くことだろうかと、アイリスは内心首をかしげた。
「それは、つまりあなたが事業をされているということですか?」
「はい。ディーンマーク家は会社を立ち上げて事業を行っております。こちらの大陸の言い方をするのならば、私はその会社のCEOでしょうか」
「驚きました。それは、とても興味深いお話ですね。もっとお聞きしたいところですが、目的地に着いてしまったので後ほどまた伺いましょう」
車は高級ホテルの敷地内に入ると玄関の前で止まった。ドアマンが車のドアを開けたので、アイリスは車から降りた。エドモンドがアイリスの側に来ると一緒にホテル内に入った。
「このホテルの最上階のレストランは夜景がすばらしいのですよ」
「ここは五つ星のファーストスターホテルですね。すばらしいホテルだわ」
大きなエントランスやロビーは王宮をイメージしているのか、少しクラシカルで重厚な雰囲気がある。赤い絨毯に幅三メートルはありそうなシャンデリアが豪華さを演出していた。アイリスはエドモンドに導かれるままエレベーターに乗ると最上階へと上がった。
「すばらしいですね」
地上二十階の建物は近代的な建造物でありながら、内装は古き大陸の貴族の屋敷を思わせる重厚な雰囲気にしていた。重厚な雰囲気はあくまでもコンセプトであったのだろう。最上階のレストランは雰囲気ががらりと変わった。天井もテーブルも給仕をしている者たちも現代風であり、照明は見たことがない装置が使われていた。
圧巻なのが一面ガラス張りの窓であった。すばらしい夜景の眺めに息を飲む。どこまでも建物が続き、夜だというのに昼のように明るい世界は自国では見ることが叶わない景色であった。この夜景こそがこの国の繁栄を物語っていた。
アイリスたちは夜景の見える席に案内され、席についた。他の席には色鮮やかな美しい服装をした女性たちが座っていた。自分の服装がみじめに思えるほど野暮ったく、この場ではあきらかに場違いであった。しかし、この場にいる女性たちの装いは斬新ではあるが慎みのない服装が多く、とてもではないがアイリスには着ることができない服ばかりでもあった。
エドモンドは給仕にオーダーを終えると、穏やかな表情で話しかけてきた。
「バルフォアド氏のお加減はいかがですか?」
「ええ、痛みはよくなったと言っておりました。少し安心しました」
「それはよかった。このような遠い場所までお二人でいらっしゃって、このようなことになってしまい心細いことでしょう。何かありましたら、すぐにご連絡ください」
「ありがとうございます」
「あなたにいろいろとお尋ねしたいことがある」
アイリスは小さくため息をつきそうになるのを耐えながら、エドモンドにとってはさぞ疑問に思っていることがあるだろうと思った。さて、いったい何から話をしたらよいのかと迷う。
「お答えできることであれば、お答えしますわ」
「それでは、フォスター子爵から母のことをどのように聞いていましたか?」
エドモンドの質問はアイリスにとって痛いところを突かれた質問であったが、アイリスの立場を正確に伝えるきっかけでもあった。アイリスは少し息を吐き出すと、視線を下に落とした。
「正直に申し上げて、私は三週間前まで大叔母様がいらっしゃることを知りませんでした」
「知らなかったと言われますが、ここに来たということはどなたから聞いたのでしょう?」
「ええ、一度も祖父やフォスター家の者からも聞いたことがありませんでした。私は大叔母様がいることを弁護士のバルフォアド氏から聞いたのです」
ちらりとエドモンドの方を見ると、眉をひそめてこちらを見ていた。
「あなたはお母さまからも聞かれていなかったのですか?母の姪であり、母にとって一番近い血縁者ですよね。あなたのお母さまは今回のことをどのように思われているのですか?」
アイリスはその質問で、大叔母マチルダが自分の子供たちにほとんど何も話していないことがわかった瞬間であった。
「私の両親は、私が十一歳のときに交通事故でなくなりました。母は亡くなっております」
エドモンドは口を閉ざし、沈痛な表情になると視線を下に向けた。
「それはお気の毒でした。すみません、不用意なことを聞いてしまいました」
「いいえ、もう十年前のことです。私は母から大叔母様の話を聞いたことがありませんでしたし、フォスター家の方々はもう誰もおりません。二カ月前に祖父がなくなったことで、一番近い血筋の者は私だけになりました」
「誰も?」
エドモンドは絶句し、そのあと絞り出すような声で聞いた。
「ええ、誰もおりません。フォスター家の血筋の者は私と大叔母マチルダ様とあなた方しかいないのです」
エドモンドの表情からして、とてもショックを受けているように見えた。
「ようやくわかってきました。親戚がいないというのなら、フォスター子爵の葬儀を執り行ったのはあなたですか?」
「はい、私です」
エドモンドは深く息を吐き出し、少し物思いにふけるかのように遠くを見つめたが、すぐにアイリスへと視線を戻した。
「それなら母が子爵の葬儀に呼ばれなかったのも理解できます。あなたは母の存在自体を知らなかったのですからね。それなら、今頃になって弁護士はなぜ母の存在を知ったのですか?」
「弁護士バルフォアド氏は、わが家に長く勤める侍女頭であるポロニャール夫人から話を聞いたそうです。そうでなければ、知らなかったことでしょう」
エドモンドの視線が探るように見てくる。アイリスは視線を上げて、エドモンドを見ながら答えた。
「フォスター家の者ではない侍女頭が、なぜいまさら母の話をしたのでしょうか?その前にその夫人は母を知っていたということですね」
「ポロニャール夫人の一族はわが家に代々勤めており、夫人も信頼できる者です。フォスター家とディーンマーク家は古くからの付き合いがありましたので、私の母と父は幼なじみでもありました。ポロニャール夫人は幼いころの母もよく知っておりました。母がディーンマーク家に嫁いできたことで、ポロニャール夫人は母の侍女になりました」
「ポロニャール夫人はフォスター家の内情を知っていたということですね」
「ええ、これは夫人から聞いた話ですが、母は亡くなるまで祖父に隠れてマチルダ様と手紙のやり取りをされていたそうです。母はマチルダ様と連絡が途絶えるのを危惧して、自分に何かあった場合はマチルダ様に連絡してほしいとポロニャール夫人にお願いをしていたそうです」
エドモンドの表情が変わり、探るような視線はなくなった。ただ、とまどいを隠せずに視線をさまよわせた。
「母があなたのお母さまと連絡を取り合っていたのですね」
「はい。十年前に私の両親が亡くなったときにポロニャール夫人がマチルダ様に連絡をしました。マチルダ様は訃報を聞き、母の葬儀に出席したかったそうですが、祖父に遠慮をしてセロースに戻らなかったと聞いております」
エドモンドは少し考え込むような顔をしたが、話を続けた。
「ポロニャール夫人は今でも母と連絡を取り合っているのですか?」
「ポロニャール夫人がマチルダ様に連絡をしたのは、後にも先にも私の母が亡くなったときの一度だけだそうです。そのときにマチルダ様からは、何かあったら自分に連絡をしてほしいといった内容の手紙が届いたそうです。ポロニャール夫人は祖父ジェームズが亡くなった後で、ようやくマチルダ様のお言葉を思い出したそうです」
「なるほど」
エドモンドはまいったと言わんばかりに額に手を当て、ため息をついた。
ちょうど食事が運ばれてきたことで、エドモンドは一旦、この話を止めた。食事中に話すには重い話だと思ったのだろう。どうにか今回の件の発端を話せたことで、アイリスは少し気持ちが楽になった。
食事が始まったが、気まずい雰囲気にエドモンドともなかなか会話ができなかった。エドモンドも同じなのか、どこか浮かない表情で食事し、会話がしづらいようであった。それはおそらく会話がどうしてもフォスター家の話題になってしまうからだろう。
「そう、車の中でお聞きした話をしたいのですがよろしいですか?」
エドモンドがぱっと明るい笑みを浮かべた。
「事業の話でしょうか?」
「ええ、あなたがCEOを務める会社の話です。事業内容は農耕とおっしゃっていたが、具体的な話を聞かせてください」
楽しそうなエドモンドに引っぱられるようにアイリスも肩の力を抜いて、ディーンマーク家の事業の話をした。主に麦の生産と綿花の生産をしていることを説明しながら、アイリスは自然とエドモンドとの会話を楽しんでいた。古き大陸での需要と昨今の経済状況や生産物の傾向、エドモンドは知識も経験も豊富でお互いに話が合った。
「ずいぶん古き大陸のことが詳しいのですね」
「ええ、エディオン海運では古き大陸との貿易も行っていますので、情報収集しているのですよ」
その言葉にアイリスは少し身を乗り出した。麦を輸出しているといっても船の関係上、量はそれほど多く輸出できなかった。それに綿花で作られた布や綿も主力製品として販売を広げたいと考えており、ニューキャッセスへ輸出も考えていた。しかし、そこで問題なのが輸送方法である。
「古き大陸とも取引があるのですか?麦だけではなく、綿や綿の布の輸出も考えておりますが、輸送中に注意が必要な品ですので計画は止まっているのです。とても興味があるお話です」
アイリスの言葉にエドモンドが少し身を乗り出した。
「面白いことを考えていらっしゃるのですね。わが社の船は最新の技術で造られております。輸送中の温度管理も可能です」
「まあ、綿は気候や温度に左右されやすいので、温度管理ができるのであれば、もっとお話をお聞きしたいです。あとはかさばる物ですので圧縮ができる方法があればいいのですが」
「圧縮に関してもご紹介できる会社がありますよ。いろいろな物を運びますからね。梱包に関しても改善しています」
「梱包に関しても詳しくお話を聞かせてください」
アイリスはつい興奮した口調で話すと、エドモンドは初めて声に出して笑った。その笑顔にアイリスの心臓は落ち着かなくなった。
「失礼しました。事業の話でこれほど女性と楽しく会話ができるとは思いませんでしたので」
その言葉にアイリスはさっと血の気が引いた。自国では女性が事業の話をすることをよく思われないからだ。特に貴族の娘であれば、父や兄弟たちにたしなめられる。アイリスもパーティーや国の式典で散々軽蔑したまなざしで見られ、陰口をたたかれた。それはアイリスが若い女性であったということも理由の一つであった。
「失礼しました。出すぎた話をしました」
顔色の悪く謝るアイリスに、エドモンドは少し首をかしげた。
「失礼などと、とても楽しい会話でした。あなたはなかなかの事業家ですね。古き大陸のそれも貴族でありながら柔軟でいらっしゃる。あちらの頭の固い男性たちに見習ってほしいとさえ思いました。これは失礼しました。気分を害した発言であれば、おゆるしください」
アイリスを認めるような発言に、アイリスの方が驚いた。そのようなことを初めて男性に言われたからだ。
「いいえ、自国では女性が事業家であることはあまりよく思われません」
「それは、あなたの国はもったいないことをしている。あなたの見る目はなかなかに確かであります」
その誉め言葉にアイリスは恥ずかしくなった。
食事を終えて、デザートがくるころには思っていたよりも楽しい時間を過ごしていた。ここまで男性と気兼ねなく話をしたのも初めてであった。
エドモンドはコーヒーを飲みながら、ふと表情に陰りを帯びた。
「事業家であるあなたがフォスター家の遺産の話をしたいと言われることに、興味が湧いてきました。最初はフォスター家の遺産が負の資産で、あなたが困っているのではないかと思ったのです。あなたはとても若い女性だ。事業をしているようには見えませんし、働いたことがないようにも見える。そんな女性が遺産といわれても困るものでしょう」
エドモンドの正直な言葉にアイリスは苦笑した。アイリスも両親が健在であれば、ディーンマーク家の事業に携わっていなかったであろう。エドモンドが再びフォスター家の話題に戻ったが、当初とは違い、エドモンドが公正な考えを持っている人だとわかり、思っていることを話すことにした。
「フォスター家の資産はすばらしいものです。ですが、あなたがおっしゃるように手放しによろこべるものではございません。二百年以上の年数がたった屋敷に、フォスター家にこれまで仕えてきた者たちもおります。そう簡単に売却できるものではございません」
ちくりと皮肉ると、エドモンドは素直に謝罪した。
「確かに売却など浅慮でした。あなた以外にフォスター家の者たちが誰もいないとは思いませんでしたので、警戒してしまったのです」
「わかっています。ええ、でも本当に誰もいないのですよ」
フォスター家の誰もいない屋敷を思い出し、アイリスはぽつりと呟いた。広大な屋敷は使用人によって管理されているが、主を失った屋敷は荒涼としていた。あのまま放置すれば、少しずつ朽ちていくだろう。
「フォスター家の管理は今どのようになっているのですか?」
「私がしています。屋敷の方はフォスター家に仕える執事がおりますので、任せております」
エドモンドの表情に苦渋が浮かんだ。眉間に皺を寄せ、首を左右に振った。
「どうも、あなたに負担が大きいようですね」
そして小さく「だから使用人たちが心配しているのですね」と呟いた。アイリスは紅茶を一口飲み、一番聞きたかった話を切り出した。
「あなたはこのままフォスター家のことをマチルダ様にお話されないのですか?」
その質問に対して、エドモンドの銀とグレーのまじりあった不思議な瞳は穏やかであった。エドモンドの顔はどこか観念したような表情になった。
「‥‥そういうわけにはいかないでしょう」
「それでは」
「母をうとんじた当時の者たちは誰もいなく、あなたのお母さまさえもいない。残るのはめんどうな遺産のみ。それをあなた一人に押し付けるわけにはいかないでしょうね」
めんどうな遺産と言い切った言葉から、それこそ新しい時代を生きる者の価値観だと思った。これまで当主たちが守ってきたフォレスター家の資産など、彼にとって本当に過去の遺物であり、守っていくものではないのだろう。アイリスは静かにフォスター家が滅びる運命を確信した。しかし、それをマチルダの子供たちに対して責める気持ちも憤る気持ちもなかった。
祖父は大叔母マチルダの家族をうとんじてきた。セロースの貴族としての伝統や尊厳を教えるどころか、これまで一切のかかわりを絶ってきた。彼らの世界はこの大陸にあり、新しい時代の価値観で生きている。古き世界の価値観など彼らには関係のない話であった。
「私から母に今回のことを話しましょう。その結果をあなたにご連絡をします」
エドモンドの言葉にアイリスの体から力が抜けた。よかったという思いと、大叔母マチルダと会う希望が見えたことへの安堵だった。そして、心の隅ではまだエドモンドとつながりがあるということへの喜びがあった。
「ありがとうございます」
まだ見ぬ大叔母のことを思いながら、アイリスは一歩前進したような気持ちであった。




