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 この一週間、アイリスはどこか落ち着きなく、心にあらずといったふわふわした気持ちで過ごした。

 大叔母にあたるマチルダに会うために海を越えてニューキャッセスに行くために、アイリスは渡航の準備を進めた。最初にやることはディーンマーク家に仕える主だった者たちを集め、自分がいない間の事業と城の管理に関して采配をすることであった。


 執事のロベルトにディーンマーク家が所有する三つの城と四つの屋敷に関わる権限を与え、フォスター家が所有する二つの屋敷はフォスター家の執事であるマルクスに権限を与えた。もともとこれまでも彼らが実質的に管理をしており、アイリスは彼らから報告を受けて採決を行っていた。今回、緊急時には二人の判断に任せ、アイリスの許可がなくても実行してよいことにした。何かあったとしても、二人の執事の采配に何も心配はしていなかった。

 それに、アイリスが住むディーン城以外の城や屋敷は、それぞれ曾祖父の代から使えている者たちが住み込みで管理している。すでに高齢の者が多く、今後の城と屋敷の管理をどうするのかという悩みはあるが、信用を置ける者たちであった。

 今回、アイリスは改めて城や屋敷を管理する者たちの年齢を知り、現実を突きつけられた形となった。彼らには子や孫たちもいるが、彼らの後を継ぐという話しは聞いたことがない。働き盛りの者たちは農作や綿花に関わる事業のほうに就いており、城や屋敷には臨時の手伝い程度であった。あとは主婦や小さな子供がいる母親などが短時間で稼げる仕事として、城や屋敷の仕事をしに来ることがほとんどであった。

 若い人たちは単調な田舎が嫌になり、王都に行くことが多くなっている。若者は刺激の多い都会にあこがれ、多種多様な仕事に就けることに魅力を感じているのだ。しかし、王都に出て働いて数年で戻ってくることが多いので、アイリスは若者が土地を離れてもそれほど危機感はなかった。

 王都や華々しい都会で働くことは魅力があるかもしれないが、賃金が安く、時に未払いということもあり、思っていたよりも生活が楽ではないからだ。ディーンマーク家が経営する会社で働く方が賃金も高く、安定しているためほとんどが戻ってくる。そうであっても若者を土地に留めるには、今の仕事以外に新しく考えないといけないだろう。城や屋敷に関わる仕事で若者たちの仕事になるものがあればいいのだがと、そのことを頭の片隅に留めた。


 あとは会社の主力の事業である農作の方は、小作頭のフォロットに任せれば問題はないだろう。彼の四人の息子たちはそれぞれ地区を分けて担当しており、その地区で働いている者たちの上司という立場に立ち、数百人いる従業員をまとめていた。経理面ではフォロットの弟が担当しており、庭師セスの弟も経理面の主任として働いている。綿花の事業の方は庭師セスの子供たちがそれぞれ役職につき、大きな問題は発生していなかった。

 執事のロベルトや小作頭のフォロットに庭師のセス、そして祖父の代から仕える者たちがいたからこそ、若いディーンマーク家の当主でも事業がうまく行われている理由でもあった。彼らがあまりにも優秀であったことが、若い世代で直接アイリスを支える者たちがいない事態にもなっていた。

 そして、アイリスはいつも当主としての自分の力を疑い、彼らの期待に応えることができているのか自信がなかった。


 アイリスはすべての準備を整え、出発の日を迎えた。

 灰色の飾り気のないワンピースを着て、黒髪をきっちりと結い上げ、黒い靴を履いた。腕には当主である証の腕輪と時計をはめると、小さくため息をついた。

 出発をする前に行かなければならない部屋がある。アイリスは少し重い気持ちで部屋を出ると、城の中でも一番奥にある部屋に向かった。この奥の部屋に行くときはいつも緊張し、息苦しさを覚える。扉には鍵はかかっておらず、少しかび臭い部屋の中に入り、扉の近くにあるスイッチを押すと部屋の中が明るくなった。ゆっくりと奥に向かうと、アイリスの足音だけが響いた。

 この部屋には代々のディーンマーク家の当主とその家族の肖像画が飾られている。アイリスは壁に飾られた無数の絵を見つめながら、両親の肖像画に向かった。

 アイリスにとって両親の姿は、時とともに少しずつ曖昧なものになっていった。両親との思い出も多くあるはずなのに、いつのまにかアイリスが思い出すのは祖父母との記憶ばかりであった。今ではこの肖像画だけが両親を思い出すことができるものであった。


「これからニューキャッセスに行ってきます」


 壁に飾られた両親の絵を見つめながら、顔が自然と下にうつむきそうになる。この部屋に入るといつも考えてしまう。なぜ、自分がディーンマーク侯爵なのかと。そして、時に思ってしまう。ディーンマーク侯爵でなければどうしていただろうかと。

 部屋の正面の壁にはディーンマーク家の旗が飾られていた。幻獣である一角獣と剣の図柄をディーンマーク家の紋章として使用しており、旗には虹色に輝く優美な肢体にも関わらず獰猛に前足を上げ、何かに挑んでいるような猛々しい一角獣が描かれていた。

 アイリスにとってこの音のない静かな空間が、まるで棺の中にいるように感じられた。

 この部屋だけではない。この城自体が棺のようだ。ここは過去の遺物であり、そのうち人が入らなくなり朽ちていく場所になるのかもしれない。

 あの旗が掲げられる日は訪れることはない。


「どうかお守りください。お導きください」


 アイリスは両親や祖父母に祈りを捧げると、期待と不安をいただきながら、これからの旅に決意をした。大叔母マチルダに会うことが一番の目的であるが、アイリスはこの旅を通じて自分が感じている

この漠然とした不安が何であるのか見定めたいと思った。

 アイリスはもう一度、両親と祖父母の肖像画を見てから部屋をあとにした。



 小さなスーツケースを持ち、中央の階段を下りると城の玄関口にある大きな扉が左右に開かれていた。すでに外には二十人ほどの人たちがアイリスを待っており、執事のロベルトを始め、他の城や屋敷を管理してくれている人たちに、庭師のセスやカタード神官に侍女頭のポロニャール夫人を含めた五人の侍女たちもいた。

 城の前には馬車が止まっており、馬車の前には弁護士のバルフォアドがいる。アイリスはゆっくりと扉を抜けて外に出ると、長い間この城と土地を守ってきた者たちが右側にきれいに整列していた。アイリスは馬車に乗る前に心から信頼している人たちの前で立ち止まった。


「行ってきます。どうぞ、留守中のことお願いします」

「お任せください」

 執事のロベルトが答えると、他の者たちも同時に少し頭を下に向け、視線を下げた。

「アイリス様」

 名前を呼ばれ、フォスター家の執事のマルクスに視線を向けると、マルクスは一歩前に出た。

「こちらを」

 マルクスは美しい寄木細工の小箱を差し出した。

「これは?」

「旦那様のものでございます。亡くなる前までその箱を手元に持っておられました。どのようなものが入っているのかはわかりませんが、きっと旦那様にとって大切なものであったのだと思います。どうぞ、マチルダ様とご一緒に見ていただければと思います」

「おじい様のものなのですね。箱の中をマチルダ様と見ても良いのでしょうか?」

「アイリス様、もう文句を言われる方はおられません」

 アイリスはマルクスの親しみを込めた言い方に少し笑うと、その小さな箱を受け取り、手提げかばんの中に入れた。マルクスは満足そうな笑みを浮かべると後ろへと下がった。


「アイリス様、いってらっしゃいませ。どうぞ、この旅であなたさまに幸あらんことを祈ります」

 執事のロベルトが右手を胸に当てると、他の者たちも祈るように右手を胸に当て、少し頭を下に向けた。アイリスは小さく頷くと、馬車に乗った。そして、馬車の近くにいたバルフォアドが乗り込むと、馬車はゆっくりと動き出した。


 馬車は城から離れていくと、雄大な古城の前に老人たちは移動して並び、いつまでもこちらを見送っていた。アイリスは窓からその様子を眺めながら、どこかその光景が切なく思えた。次にここに自分が帰ってきたとき、誰もおらず、一人だけで城の中にいる自分を想像してしまった。アイリスには古びた城も老人たちの姿も、まるでディーンマーク家の終わりを象徴しているかのように見えた。

 本当にとてもばかげたことだ。この城を離れるのは長くても一カ月ほどのことだというのに、そんな短い間で親しい者たちがいなくなるはずがない。それなのに心の奥底では不安と嫌な予感だけが消えず、ふっとニューキャッセスに行くことが恐ろしくなった。

 馬車は細い道を下へと下っていくのを見て、ようやく窓から視線を外した。


「アイリス様、これからの予定をよろしいですかな?」

「はい、バルフォアド先生」

「これから予定通りに列車に乗り、港に向かいます」

 

 アイリスがいる場所は大陸の一番西にある王国セロースの中でも北よりに位置しており、近くに鉄道も通っていない田舎である。セロースは大陸の中でも一番古い王国で、時代遅れだといわれてきた。そんなセロースの中でもアイリスの住む土地は、古き一族が治める古き土地と呼ばれ、ディーン城を中心に広大な森林地帯が広がり、数多くの神話伝承が残された特別地区でもあった。国が定めた特別地区ではディーン城の周辺一帯の自然を壊すことが禁止されている。この土地を守るディーンマーク家の権威は強く、よそ者には住み慣れない風土のため、この土地に来る者は限られていた。そのため交通の開発も遅れていた。


「ここから一番近い駅ですとゴルドですね。ディーンカーで車に乗り換えて行きましょう」

「ゴルドから列車ですね」

 ここから一番近い駅は城に一番近い町ディーンカーを通り抜け、さらに二時間以上もかかるゴルドという町に行かないとない。ディーンカーまで行けばバスも車も走っているので、馬車は置いて車に乗り換えることになる。城からディーンカーの町までは森林を壊さないため、道路の整備を行わず、昔ながらの馬車で行き来していた。

 ディーンカーでは農耕地帯のせいかちょっとした移動なら車よりも馬車を使う。都会から来る人たちはいまだに馬車を使っていることにとても驚き、田舎だとあきれていた。


「先生、あちらの大陸の発展はすごいと聞きましたが、わが国の王都など田舎に見えるとか聞きました」

「建物だらけで、高層ビルが立ち並んでいると聞きますよ」

 

 馬車は小高い崖の道を降りると深い緑の森に入った。馬車がすれ違えるほどの道幅の道を通りながら、高層ビルというものに想像がつかなかった。


「閣下、夕方にはサンデーク港に到着します。サンデークで一泊をして、明日は大型客船に乗ります」

「先生、この旅の間は閣下をおやめください。アイリスとお呼びください。あちらの港に着くのに六日かかると聞きました」

 最近はとても性能の良い大型船が造られ、外航が楽になったと聞く。四十年前は二十日ほどかかった船旅が、今では半分以上も日数を短縮することができるようになった。ニューキャッセスの国々の目覚ましい科学技術の発展に、古き大陸の国々はもう追いつくことなどできないほど格差が生まれていた。

 この二十年で古き大陸と新しい大陸ニューキャッセスとの関係も変わってきた。お互いの大陸の特産物を輸出入するようになり、貨物船が頻繁に往来するようになった。


「ええ、それではアイリス様とお呼びしましょう。昔はもっとかかりましたから、六日で着くなど早いものですよ。あちらの港に着いてから、そこからまた電車で首都カサノバまで二日はかかる日程ですよ」  

「長旅ですね」

 確かに長旅ではあるが、昔であれば一カ月以上かかった道のりも、今では船に電車や車などの交通手段があるため十日以内で着くことができるようになったのだから便利な世の中になったものである。


 薄暗い森の景色を眺めながら、これからのことを考えると今から心臓がどきどきして落ち着かなかった。ニューキャッセスには弁護士のバルフォアドが一緒に着いてきてくれることもあり、これからの首都カサノバまでの旅も心配はなかった。すでに乗り物やホテルの手配を含めて、すべては執事のロベルトとバルフォアド氏で手配をしてくれていたからだ。

 それに大叔母のマチルダとの連絡もバルフォアド氏が取りあってくれていた。ただ一つ、アイリスが不安に思うことは、マチルダが嫁いだクラーク家の反応が悪いことであった。マチルダの子供たちがフォスター家をよく思っていないという話は不安であったが、カサノバに着いたら連絡をとってみるしかないと言われていた。

 深い森は暗く、小高い山の頂上にある城は遠ざかっていた。


「めずらしいわ」

 アイリスは少し離れた草木の影にたたずむ二頭の馬に息を飲んだ。

「どうされましたか?」

「ええ、先生。ほら、あそこに」

 アイリスが外を指さすと、バルフォアドが指さす方向を見て息を飲んだ。この国の国名の由来になっている幻獣であり、ディーンマーク家のシンボルでもある一角獣が二頭姿を現していた。

 神や精霊の存在を人々は見ることはなくなってしまったが、現存する神話は古き大陸にいくつか残っていた。その一つがこの地に住まう一角獣である。この辺りが特別区になっている理由は、この地に住む最古の幻獣が存在するからであった。


「何と幸先のよいことだ」

 バルフォアド氏の弾んだ声を聞きながら、二頭が消えるまで姿を見ていた。二頭の姿が見えなくなると、まるですべてが幻であったかのように時代に埋もれた城も見えなくなった。

 アイリスは素晴らしい幻獣の姿を見ても心が晴れることはなかった。それを物語るかのように、バルフォアドに知られないように小さくため息をついていた。








 あなたは八日後にニューキャッセスに着いたら、腰を抜かすほど驚きますよと言われても、アイリスは信じなかっただろう。


「すみません」

 アイリスは大柄な中年の男性に睨まれ、慌てて端によった。あまりの人の多さに目が回りそうで、すぐ近くにいる老紳士にここからどうするのかと視線を受けた。シルクハットを被った老紳士は半ば呆然とし、見たことがないほどの人波に圧倒されていた。

 オーガスト国の首都カサノバに到着し、二人は列車から降りてから呆然自失であった。田舎者どころではない、自分たちのまったく知らない別世界に来てしまったのだ。

 サンデーク港からの船旅は予定通りに新しい大陸に到着し、目的地の首都カサノバへも予定通りの日程で到着した。


「すごい」

 この言葉を何回言ってきただろう。西の港サンデークから大型船に乗ったときからもそうであったが、新大陸の港を見た時にはあまりにも自国との違いに言葉もなかった。サンデーク港が時代遅れの古びた港に見え、豪華客船だけではなく大型船やタンカーがいくつも泊まった巨大な港に驚きを通り越して震えてしまった。

 新しい港、新しい町に建物、そして高速で走る鉄道と古びたものが何一つもない世界に、アイリスはニューキャッセスの港から首都カサノバまでの道のりの間も、この世界に馴染むことができなかった。見たことがない機械ばかりでとまどいながら、とにかくバルフォアドと二人で何とかカサノバまでたどり着いた。


「信じられない。何とだらしない格好か」

 カサノバは温かい季節に移り変わり、かなり気温が高くなっていた。バルフォアドは黒のスーツに中にベストまで着ているので暑いのか、額に汗を滲ませていた。ターミナルの中を行き交う人の中にはシャツ一枚に膝までの短いズボンを履いている人もおり、アイリスたちが着ている服装とはまったく違っていた。女性たちも布地も薄く肌を露出した服装が多かった。アイリスのように首元まできっちりとボタンを留めて、長袖にくるぶしまである長いスカートを履いている女性などいなかった。

 二人は普通にひざまでの長さのスカートを履いて、足を見せている女性にショックであったと言える。


「今日は何か国の式典でもあるのだろうか」

 老紳士は額から汗を流しながらあまりの人波に顔色を悪くした。アイリスはバルフォアドの様子を気遣いながら、辺りを見回し、少し離れた隅の方にベンチがあるのを見つけた。年老いたバルフォアドにとって、この長旅は体力と気力ともに消耗したのだろう。昨日から顔色が悪く、疲れを見せていた。若いアイリスでさえもあまりのカルチャーショックに体力だけではなく、精神的にも疲れを感じていた。 

 バルフォアドなどアイリス以上に精神的な疲れを感じることだろう。

 

 アイリスは人を避けながらスーツケースを持って、バルフォアドを連れて隅にあるベンチに向かった。老紳士はようやくベンチに座ると、大きく息を吐き出した。

 ここがカサノバで最大のターミナル駅で、この人が途切れることなく行き交う状態が当たり前の日常であることを二人は知らなかった。


「すみません。驚いた。こんなにすごいとは思いませんでした」

 老人は汗をぬぐいながら、どこか呆れを含んだ声音で呟いた。

「本当ですね。ここまで差があるとは思いませんでした。ここはまるで物語に出てくる未来世界のようです。私たちは異世界にでも来てしまったのでしょうか」

「異世界ですか」

 最近、セロースで流行っている別世界に迷い、そこで大冒険をする小説があった。アイリスはそこに書かれた高度な科学が発展した近未来の世界がおとぎ話のような世界だと思っていたが、作者は夢物語で書いていたのではなく、カサノバを参考にして執筆したのかもしれないと思った。

 新しい大陸の急激な発展は目まぐるしく、この大陸には三つの国があるが、その中でもオーガスト国は飛ぶ鳥を落とす勢いのある国だと聞いていた。若い国はエネルギーと自由に満ち溢れ、近代化の波は加速し続けていると言われている。


「先生、予約しているホテルに行きましょう。そこで休憩した方が良いと思います」

「そうしましょう」

 老紳士はゆっくりと立ち上がると荷物を持ち、再び二人はおそるおそる歩き出した。ターミナルにあるいろいろな店舗を横目で見ながら、何とか迷いながらもタクシー乗り場に向かう。途中でタクシー乗り場を人に尋ねながら、巨大なターミナルから出ることができた。

 そして、ターミナルの外は天にも届くほどの高いビル群が立ち並び、もう言葉もなくあきれかえった。


「これはまあ、すごい。たくさんの車が走っている。ビルばかりだ」

 バルフォアドは深いため息とともに、首を小さく左右に振った。アイリスは列車の窓からこの街並みを見ていたが、近くで見ると迫力があった。もうどこかこの非現実的な光景に、感情は麻痺しているのかもしれない。

 ただ一つ良かったと思うことは、この大陸の言葉が共通語と呼ばれる言葉で話されているため、古き大陸で使用している共通語が通じることであった。もし言葉も通じなかったら、アイリスとバルフォアドはニューキャッセスの港に着いた時点で旅をあきらめて自国に帰っていただろう。


 タクシー乗り場で車に乗り込むとホテルの名前を告げて、ようやく二人はほっと息をついた。

「お二人は外国の方ですか?どこから来たのですか?」

 明るい雰囲気の運転手からそう話しかけられ、アイリスが返事をした。

「ええ、セロースから来ました」

「へえ、お隣の古き大陸からですか。あちらは古い国が多いですからね。それではこちらは騒がしくて落ち着かないでしょう」

「そうですとも」

 バルフォアドは苦笑しながら答えると、運転手はミラー越しにこちらを見て少し笑った。

「あなたたちのような厳格な雰囲気がなつかしいですよ。うちのじいさんもあちらの大陸の出身で、とてもきっちりとした服を毎日きていましてね。こちらではシルクハットなど普段かぶっている人などいませんからね。じいさんは質素で派手なことが嫌いな人でしたよ。本当になつかしい」

 運転手の言葉にアイリスは自分の着ているワンピースを見つめ苦笑した。確かに、ここでは自分の服装は時代遅れの田舎者であろう。

 車は大通りを走ると、ビル群の中で何十階あるのだろうかと思うほどのひときわ高いビルが見えてきた。


「これはなかなか難しいかもしれませんな」

 バルフォアドの言葉にアイリスはちらりと老紳士を見た。

「先生?」

「いや、マチルダ様のご夫君は事業に成功されましたが、それよりもご長男の方が経済界で有名な方だと聞きます」

「マチルダ様のご長男はすばらしい事業家なのですね」

 アイリスは、はとこたちが何をしているのかを聞いていなかった。知っているのは名前と年齢だけである。

「はい。マチルダ様のご夫君が起業した会社ですが、その会社を急速に拡大させ、短期間でニューキャッセスの富豪の仲間入りを果たせたのは、そのご長男の才覚があったからだと聞いています。しかし、私は新しい国で成功を収めたとしてもたいしたことではないと思っていましたが、はて、私は考え違いをしていたようです」

「それはどういうことでしょうか?」

「金は誰もがほしいもの、ですからフォスター家の財産に交渉にのると思っていたのです。それだけフォスター家の財産と爵位はとても魅力的です。ですが、あのビルの持ち主であるならば、いらないと言ってくるのもあながち本心かもしれませんな」

 バルフォアドは窓から外を指さし、一番高いビルを指さした。


「あの建物を所有しているのですか?」

 確かに何十階建てかわからないほどの高層ビルを所有しているのなら、かなりの事業を運営しており、そして大富豪に入るであろう。

「クラーク家の事業のCEOはマチルダ様のご長男であると聞いています。あのビルがその会社であります」

 アイリスは困惑を隠せずに、バルフォアドを見た。

「そうであったとしても、私がお話したいのはマチルダ様ではありませんか」

「ええ、おっしゃる通りです。アイリス様に本当のことをお話します。マチルダ様への連絡はすべてお子様たちによって阻まれております。マチルダ様に直接はまだ連絡が取れていないのです」

 先生の言葉にアイリスは衝撃を受けた。ニューキャッセス行きが決まってから、バルフォアドから大叔母マチルダに連絡を取ってもらっていた。アイリスは確かに、バルフォアドからクラーク家がフォスター家を良く思っていないとは聞いていたが、問題なくマチルダと会えると思っていた。まさか、まだ直接マチルダとは連絡が取れていないとは思いもよらず、このことに一抹の不安がよぎった。


「それでは先生とお話をしているのは、マチルダ様のお子様たちということですか?」

「ええ、そうです。あちらの言い分は、マチルダ様は体調がすぐれないとのことで、そのような話はショックを受けられるので話をすることができないとのことでした。すべてはご長男のエドモンド・クラーク様と話をしている状態ですな」

 エドモンド・クラークという名前にアイリスは緊張した。自分とははとこの間柄であり、さきほどの話に出てきた事業を成功させた大富豪である。どのような方なのだろうかと考えながら、彼が言ったマチルダがショックを受けられるということが気になった。


「ショックを受けられるとはどういうことでしょうか?」

 バルフォアド氏は少し憂鬱そうな表情になった。

「正直なところ詳しい話は直接エドモンド様に聞くしかありませんが、これまでフォスター家との断絶を考えると、私たちの知らないことがあったのかもしれません」

「確かにおじい様が最後まで許さなかったというのであれば、いろいろな確執があったのは間違いないでしょう」

「ええ、アイリス様。エドモンド様以外のご兄妹も含めて、あちらはとても頑なな雰囲気なのですよ。こちらをよく思っていないようです。そうは言っても、それはフォスター家との遺恨であり、アイリス様とは関係のない話です。アイリス様がというよりも、フォスター家をどのように見ているのかによって交渉は難しくなっていくでしょう」

 アイリスは、はとこたちの様子に複雑な気持ちを持ちながら、ポロニャール夫人から聞いた大叔母マチルダにまつわる話を思い出していた。そしてひそかにやりとりをしていた母とマチルダの関係を考えると、マチルダがフォスター家からつめたくされていたことはわかっていたが、実際はアイリスが思うよりももっとひどい扱いをされていたのかもしれない。


「それではマチルダ様にお会いするには、エドモンド様に話を通さないといけないということですね」

「そうなります」

「エドモンド様とお会いできるのですか?」

「三日後にアポイントメントを取っております。まずはそこが第一関門でしょう」

 

 いきなり車のクラクションが鳴り響いた。二人は会話を止めて何事かと前を見ると、どうやら運転手が横入りをしてきた車にクラクションを鳴らしたところであった。あまりの騒がしさに、バルフォアドは頭痛がするのか額に手を当てた。

 アイリスはマチルダと必ず会うのだと固く決意した。大叔母マチルダから母や祖父の話を聞きたかったからだ。そのためにも、まずはエドモンド・クラークを説得しなければならないようだ。アイリスは静かに自分を奮い立たせた。





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