表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/29

29

 古き大陸の玄関口と呼ばれるサンデーク港に到着したのは、ニューキャッセスの港を出発して七日目であった。そのあとアイリスたちはサンデークで一泊し、翌日、電車でゴルドに着いた。


「何にもないね」

「マーシュ、はぐれそうだからうろちょろするな」

 イーサンががっしりとマーシュの肩をつかみ、マチルダがいるほうに引きずっていった。


 クラーク家ご一行はアイリスを入れて十一人であった。サンデーク港へは豪華客船の一等船室で七日間を過ごし、一泊したホテルも高級であった。それぞれが思い思いに船旅を堪能し、とてもにぎやかで楽しい旅となった。アイリスの側には常にエドモンドがいて、お互いのことをたくさん話した。時にはエドモンドの兄弟姉妹やマチルダやサムエルが混じり、兄弟たちの子供のころの話や古き大陸の伝説を語り合った。

 ようやくサンデーク港からゴルドまで電車で五時間かかり到着した。ここからディーン城に一番近いディーンカーの町まで車で二時間である。

 クラーク家一行はホームから駅構内に移動し、待合室にあるベンチに座った。駅の中は閑散としており、ほとんど人がいない。電車を降りる人も少なく、降りた人もさっさと行ってしまう。人が多いカサノバの駅に慣れているクラーク家の兄弟たちはとまどったように辺りを見渡していた。


「ねえ、お母さん、何でこんなに人がいないの?サンデーク港はもっと人が多かったわ」

「あら、クロエ。これが普通よ。サンデーク港は古き大陸の中でも大きな港だから人が多かったのよ。あとね、カサノバの人の多さが異常なのよ」

「え、そうなの。なんか寂しいところね」

 アイリスはそんな母と娘の会話を聞きながら、確かにこんなに閑散としていたかと思うほど人がいなかった。どうやら自分もカサノバの人の多さに慣れてしまっていたらしい。


「アイリス、ここからはディーンマーク家が手配してくれていると聞いています」

「ええ、そうです。お迎えの車が来ると思います」

 そのようにエドモンドに答えると、ちょうど建物内に入ってくる中年の男性がこちらを見て頭を下げた。

「まあ、オーラン。あなたが来てくれたのですか?」

 小作頭のフォロットの息子オーランがアイリスの前に来ると、ほっと安心したような顔をした。

「アイリス様、お帰りなさいませ。お迎えに来ました。大人数でいらっしゃると聞いていたので、小型バスを借りてきましたよ。え、ああ!フォスター子爵様!」


 アイリスの隣にいるエドモンドを見て声を上げると、すぐに口を閉じて謝罪した。オーランは畑仕事をしているので大きな体をしており、とてものんきでおおらかな男だ。エドモンドがフォスター子爵にそっくりであったため、びっくりしたらしい。アイリスは噴き出して笑わないようにするのに大変であった。エドモンドは仮面をかぶったかのように表情を変えなかった。どうやらかなりご立腹のようで、ここで笑ったらよけいにすねてしまうだろうとアイリスは笑いをかみ殺した。

 そんなこともあったが、クラーク家一行は無事にオーランが運転する小型バスに乗った。


「アイリス、大笑いしたいのならしてもいいのですよ」

 エドモンドはアイリスの隣の席に座りながら、ぽつりとつぶやいていた。


 オーランが運転する小型バスはゴルドを出発すると、ディーンカーへと向かった。小型バスはゴルドの町を抜けると、道以外なにもない草原の中を走り抜けていく。マーシュにクロエ、そしてイーサンは窓にへばりつき外を眺め、エミリーはサムエルと話をし、ジョージやダニエルもそれぞれ景色を楽しんでいるようであった。


「アイリス、このバスはどこに向かっているの?」

 後部座席にいるマーシュが大きな声で質問してきた。アイリスは少し後ろを振り返ると、全員がこちらを見ていた。


「ディーン城に一番近い町、ディーンカーに向かっています。車で二時間ぐらいです。ディーンカーまでは農耕地帯ですので、畑ばかりでなにもありませんよ。ディーンカーへ到着したら、そこからディーン城には馬車で行きます」

「馬車?車じゃねえの?」

 イーサンはとても不思議そうな顔をして質問した。不思議そうなのはイーサンだけではなく、マチルダをのぞいた全員であった。


「はい。ディーン城は森林地帯の中心にあるのです。その森林地帯は国が定めた特別地区で、自然を壊すことが禁止されています。そのため舗装された道がありませんので、車では走りにくいのです。それに自然動物も多いので、車はよほどの緊急事態でないと使いません」

「へええ」

「深い森ですから、車よりも馬車の方が移動に便利なのですよ。ディーンカーでも馬車を使っている人の方が多いぐらいです」


 全員が感心した声を出すと、小型バスは農耕地帯に入った。地平線まで麦畑が広がっており、青空と麦畑しか存在しない世界であった。アイリスは見慣れた麦畑を眺めていると、だんだんと帰ってきたという実感が出てきた。エドモンドはずっと窓の外を眺め、その美しい光景に魅入っているようであった。


「アイリス、ここはもうディーンマーク家の土地なのですか?」

「はい。この辺り一帯はディーンマーク家の土地です。あちらの南西の地帯では綿花を栽培しています」

「ここは見渡す限りの麦畑ですが、その地帯は見渡す限りの綿花の畑なのですか?」

 窓から目を離すことなく聞いてくるのが、どこか子供っぽく、アイリスはくすりと笑った。

「そうです。綿毛を付ける季節ですと一面が真っ白になって壮観ですよ。今度見に行きましょう」

「ええ、見たいです。綿花を布に加工している工場も見学させてください」


 エドモンドはアイリスの方を見ると、少年のように目を輝かせた。再び、楽しそうに窓の外を見つめた。それはエドモンドだけではなく、気がつけばあれだけ騒がしかったバスの中は静かになっていた。それぞれが窓の外に釘付けになり、広大な景色を見つめていた。

 アイリスはたまに遠くの方で見える人の姿に、従業員たちが今日も働いているのだと誇らしく思った。もうこの辺りの土地はディーンマーク家のもので、アイリスにとって大切な故郷であった。しばらくバスは麦畑のど真ん中を走ると、遠くの方にディーンカーの町が見えてきた。

 小型バスはディーンカーの町に到着すると町中を神殿に向かって走らせた。普段、ディーンマーク家の馬車は神殿の厩舎に止めてあるからだ。


「すごく古い建物ばかりだ」

 サムエルは顔を赤らめてつぶやいた。イーサンも食い入るように建物を見つめている。アイリスはそんな姿にほほえましく思いながら、前を向くとなつかしい神殿が見えてくる。町は二階建ての小さな家が立ち並び、学校も病院も役所に警察もある。もちろん商店も多くあり、かわいい外観の店も多かった。

 小型バスは神殿の前に止まると、みんなはなぜかおそるおそるバスから降りた。


「サンデークとかゴルドとかは十階建ての建物とか街並みもオーガスト国のいなかと変わらない感じだったけど、ここは違うな」

「イーサン、ここは妖精の村みたい」

「ああ、それだ。童話の挿絵にあった妖精の村みたいだ。家がよく似ているぜ」

 そんな兄弟の話にマチルダは肩を震わせて笑った。

「その童話のもとになっているのが、この地方なのよ。だから似ていて当然よ。いくつかの有名な童話の発祥がディーン城にまつわるものや、神域の森に関わるお話なの」

 マチルダの話に驚くのは兄弟姉妹全員であった。マチルダはちらりとエドモンドを見ると、にんまりと笑った。


「あなたがアイリスのことを好きになったのは、当然のことかもしれないわ」

「どういう意味ですか?」

 さすがに不満そうな顔をする息子に、マチルダは楽しそうに笑った。

「あらだって、あなたが小さいころとても好きな童話があったでしょう。一角獣と森の女王のお話よ。森の女王のことが大好きでしかたがなかったじゃない」

「‥‥ええ、確かにとても好きなお話でした」


 アイリスは一角獣と森の女王という童話のことを知っていた。古き大陸でも、とても有名なお話だったからだ。

 森の女王は妖精の女王であった。女王は深き森に民とともに暮らしていた。ある日、その森に魔獣の群れが現れ、森を荒らし、深き森に住む民たちを食べてしまった。森の女王は、人よりも永く生きるため長きにわたり民たちを守ってきたが、魔獣には敵わなかった。そのとき空から幻獣である一角獣の群れが深き森に降り立った。一角獣は魔獣を追い払う代わりに、この深き森に住みたいという。森の女王は民と森を守るために一角獣と約束を交わした。一角獣が住むことで深き森は神域の森と呼ばれるようになったというお話である。


「あの童話のもとになっているのが、ここディーン地方なのよ。森の女王はディーンマーク家の娘で、娘は一角獣にディーンの地を守護してもらえるように契約したのよ。一角獣は深き森を住処と定め、魔獣からディーンの地を守った。ディーンマーク家は一角獣の住処が荒らされないように、深き森を人の手から守ってきたのよ」

 マチルダはちらりとアイリスのほうを見た。

「森の女王はアイリスの先祖ということね。森の女王は黒髪に深緑の瞳をしているでしょう。ディーンマーク家の直系はその色を持って生まれてくる。あなたは森の女王が大好きだったから、アイリスを好きになるのも納得していたのよ」


 エドモンドの白皙の顔が珍しくも真っ赤になった。片手で顔を覆い、アイリスから顔を背ける。そんな姿を思わずまじまじと見つめていると、エドモンドの耳がさらに赤くなった。


「あんなに赤くなっているエドモンド兄さんを初めて見たよ。確か、森の女王は兄さんの初恋だったような」

 ジョージが呟くと、ダニエルがやめてやれと言わんばかりに首を左右にふった。

「もうそれ以上の暴露はやめたほうがいい。あとが怖いぞ」

 ジョージがすっと口を閉じた。あとでエドモンドから怒られるのを恐れてか、他の兄弟姉妹もエドモンドから黙って目をそらした。


「あれ、みなさん、どうしましたか?こちらに馬車があるので乗ってください」

 オーランの後ろにはオーランと似た顔をした二人の中年の男性がいた。オーランの兄弟たちだ。兄弟姉妹たちは微妙な空気から逃れるように、一斉に馬車へと向かった。ディーン城には三台の馬車で向かうことになった。









「エドモンド、機嫌を直してください」

 馬車に乗ってもアイリスから顔を背けているエドモンドにそう話しかけた。エドモンドは小さくため息をつくと、ちらりとこちらを見た。


「すみません。機嫌が悪いわけではないのです。ただ、ちょっと恥ずかしいだけです。お母さんがあのように暴露してしまったので‥‥‥」 

「森の女王が好きだったのですね。そういえば、庭園でもその名前を出していましたね」

 また、エドモンドの顔が赤くなった。アイリスはそんなエドモンドがかわいいと思い、にっこりと笑った。森の女王は確かにディーンマークの初代と言える女性であった。


「森の女王は、ディーンマークがこの地を治めることになった最初の君主だと言われています。でも、伝説的な方なので実在した方かわからないのです。何と言っても千年前のことですから」

「そうなのですね。千年か‥‥森の女王の子孫があなたなのですね。きっと、森の女王はあなたのような人だったのでしょう」

 熱のこもった瞳で見つめられ、アイリスの方が恥ずかしくなってきた。でも、森の女王が好きだと言っていたのは、少し面白くなかった。

「あら、あなたは私ではなく、森の女王が好きなのですね」

「森の女王は、子供のころにあこがれた女性です。あなたは、私の愛する人です。からかわないでください」

 はっきりとした言葉にアイリスの心は満たされ、そして恥ずかしくもあった。馬車は何もない草原から木々が生い茂る深き森に入った。


「ここからが特別区です。ディーンマーク家の私有地で、許された者しか入れない森です」

「ここが伝説の場所なのですね。都会では見ないすごく濃い緑だ。耳をすませると鳥の声でしょうか?それとも何かの動物の声でしょうか?けっこう騒がしいのですね」

「ええ、たくさんの動物が住んでいます。もちろん、一角獣もいますよ」

 エドモンドは大きな木々によって陰っている薄暗い道を眺めながら小さく笑った。

「アイリスもかわいらしいことを言うのですね。おとぎ話の話をされるなんて、確かに伝説の一角獣がいてもおかしくない雰囲気です」

「あら、エドモンドは一角獣をいないと思っていらっしゃるの?」

「童話に出てくる幻の獣ですからね。一角獣は遠い昔から伝わっている架空の話でしょう?でも、そんな不思議な話が出てくるほど、この地は美しいということですね。地平線まで続く麦畑も真っ青な空もこの深い森も、長い間ディーンマーク家が守ってきたものなのですね。アイリス、私の判断は間違っていなかったことにほっとしています」

 エドモンドの言葉にアイリスは首をかしげた。エドモンドは森からアイリスに視線を向けた。


「この場所からあなたを離してはいけないということを、この地に来てよくわかりました。あなたが守りたいものはとても大きくて重いものだ」


 エドモンドの言葉にアイリスはそうは思わなかった。誰もが自由であり、どこにだって行っていい。それが新しい大陸に行ったからこそ思えたことであった。


「エドモンド、それは違います。誰だって、どこに行ってもいいのです。自由なのです。もし、この地を離れたとしても、一角獣はとがめないでしょう。彼らこそ自由に生きているからです」

「アイリス」

 何も縛られることはないと、ようやくわかった。誰もが好きに生きればいい、好きなだけ自分でクリエイトしていけばいいのだ。


「私が自由に望んだ先が、この場所だっただけです。だから、あなたも自由に選んでください。もし、オーガスト国にいたいというのでしたら、それでもいいのです」

「あなたは別々に暮らしていいというのですか?」

 エドモンドは少し怒った顔をした。アイリスは少し焦った気持ちで、エドモンドの手を握った。

「そうではなく、例えば一カ月ごとに行き来するのはどうでしょう?今月はセロースで、来月はカサノバに住むとか、お互いに一緒に行き来するとかはどうですか?両方の場所で住むのです」


 これはアイリスが必死に考えた案であった。エドモンドはきょとんとした顔をすると、何も言わずにアイリスを見つめた。あまりにも何も言わないので、アイリスは不安になってきた。それなのに、エドモンドは盛大に吹き出すと大笑いしたのだ。声を出して笑い、涙まで浮かべている。


「なぜ、笑うのですか?」

 こちらは真剣に考えたのにと、さすがに険しい顔をした。エドモンドは笑いを収めると、軽く目を閉じた後、大きく息を吐き出した。ゆっくりと銀の瞳が開かれ、アイリスを甘く見つめる。

「笑ってすみません。そんなこと考えもしませんでした。本当にこちらだとかあちらだとか、こだわる必要ないのですね。それが自由というものなのですね。そう、あなたと一緒に両方の地に住めばいい」

 どこかふっきれたのだろうか、エドモンドは肩の力を抜いた。そして、悪い笑みを浮かべた。


「もちろん自由に選んでいますよ。この古き大陸でやりたいことがあるのです。あなたは私のパートナーだ。いろいろと知恵も力も、それこそ侯爵の権力で手助けしてくださいね。ニューキャッセスと古き大陸でもっと貿易を進めたいと思っています」

「ええ、それは私も望むところです」

 

 そのとき、後ろの馬車で大騒ぎの声が聞こえた。この馬車は狭いのでエドモンドと二人だけだが、後ろの馬車は六人乗りの馬車である。ジョージやダニエルたちの男性陣が乗っており、その後ろの馬車にはマチルダたち女性陣が乗っていた。


「まったく、子供のように騒いでいますね。おそらく、この森の姿にマーシュとイーサンが興奮しているのでしょう。ここはまさにおとぎ話に出てくる森のようですからね」

 エドモンドはあきれたように言うが、アイリスはにぎやかな声がここまで聞こえてくることが楽しかった。

「もう少しでディーン城が見えてきます。そうしたらもっと喜ぶでしょうね」

「そうでしょうね。まったく、もう少し落ち着いてほしいですね。すみません、弟たちが」

 そんな謝罪の言葉を言っている端で、後ろから大声が聞こえてきた。


「騒ぎすぎだ」

 エドモンドがさすがに怒った表情をした瞬間、もっと後ろの方からも女性の悲鳴ともつかない歓声があがった。

「え?あの声はクロエですか。いったい何をしているのか」

 クロエの歓声がここまで聞こえてきた。そして、すぐ後ろの馬車でマーシュやイーサンの声だけではなく、サムエルやダニエルの叫びまで聞こえてきた。

 アイリスとエドモンドは顔を見合わせて、何事かと窓を開けて、外を見た。すると、後方から何かが駆けてくる音が聞こえてきた。その音は複数聞こえ、音がどんどんと大きくなっていく。

 馬車は駆け足程度で走っており、木々で囲まれた緑の道を走っていた。アイリスは窓から顔を出し、後方を見た。そして、次第に後ろの光景が見えてくるとぼう然とした。濃い緑の道にきらきらと輝く光があふれてきた。


「アイリス、どうしたのですか?」


 隣にいるエドモンドの声がしたが、アイリスは外の光景に目を奪われ、声を出すこともできなかった。それは普段多くても数頭しかみることがない一角獣が、大群となって馬車の横を走っていたのだ。後方の馬車二台の周りを囲み、並走している。馬車を操っているオーランの兄弟は呆然としている。馬車からマーシュやイーサンが身を乗り出し、一角獣に手を伸ばして叫んでいた。マーシュたちだけではなく、反対の窓からはジョージにダニエル、そしてサムエルも窓から身を乗り出して一角獣を見ていた。


「一角獣が」

 先頭にいた真珠色の一角獣が後方の馬車を追い越し走ってくる。そして、アイリスの窓の近くを走った。

「本当に実在していたのか」

 エドモンドはぼう然と呟いた。あっという間にアイリスたちの馬車の周りを一角獣たちでうめつくされていた。こんな光景を見るのは初めてであった。それはまさに創世記に出てくる光景のように、どこか素朴で力強い姿であった。


「なぜ」

「アイリス、あれは幻獣ですか?一角獣が本当に」

 並走して走っている一角獣と目があったとき、アイリスの脳裏に一つの話を思い出した。


「エドモンド、一角獣です。でも、これほどの数が姿を見せるなどありえないのですが‥‥」

「すごい、何頭といるのでしょうか‥‥まだ、まだ後ろから来ています。もしかしたら、百頭近くいるのですか」  

 アイリスの隣でエドモンドが窓から顔を出し、疾走する一角獣たちを近くで見て子供のように声を上げた。一頭の一角獣が窓に近づき、アイリスの近くでまるで挨拶をするようにブルっと鳴いた。その姿を見て、アイリスがとても小さいころ、父が一角獣のことで話してくれたことを思い出した。とても幼いころなので、なぜその話を父がしてくれたのか覚えていない。そう話をしてくれた父の顔もうろ覚えであった。


「一角獣が現れるのは、ディーンマーク家の一族の前だけなのです。そして昔からディーンマーク家に伝わる話の中で、一角獣たちは当主が戦いに勝利し帰還したときに現れるといわれています」

「勝利し帰還したときですか?」

「戦いに勝ち、この地に帰ってきたディーンマーク家の者を祝うために姿をみせるのです。私の父が教えてくれました」

 アイリスの胸はどきどきしてきた。父は不思議な一角獣のことを、そのあとこのように話してくれた。


「もう今では戦いなどありませんが、それでも一角獣はディーンマーク家を守護しています。だから、慶事のときは城に旗を掲げると、大勢で祝いにくると言っていました。でも、もう長いこと旗が掲げられることはありませんでした」


 後ろでまた歓声が上がった。マーシュとイーサンの声がここまで聞こえてきた。

「城だ!」

「すげえ!」

 

 深い緑の森の中から白い城壁が見えてきた。アイリスは城壁を見て、帰ってきたのだと実感が湧いてきた。


「エドモンド、ディーン城が見えてきました」

 巨大な城がその姿を現した。その姿を見て、エドモンドは今度こそ完全にほうけた顔をした。雄大な城に向かって一角獣たちが駆けていく姿は、奇跡の光景であった。そして、先頭にいた一角獣がふわっと宙に浮いた。その後ろに従っていた一角獣たちも次々と浮くと、空を駆けた。


「うわああ!」

 マーシュの声が響き、アイリスもあっけにとられ、その光景を見ていた。一角獣たちが青空に真珠の体を輝かせ走り抜けていく。ディーン城に到達すると、一角獣たちは城の上空を走った。一角獣たちはディーン城の先端にはためく旗の側を次々と通り過ぎていく。大きく風にあおられてはためく旗は、ディーンマーク家の旗であった。アイリスの目にはっきりとディーンマークの旗が見えた。


「旗が」

 このときの気持ちをどう言えばいいだろうか。ディーン城に勝利の帰還を告げる旗が、青空にはためいていた。

「旗が掲げられている」


 アイリスは、父が一角獣の話をした後に続けた話を思い出した。旗を掲げたのはアイリスが生まれたときだと、そのときも一角獣は十数頭姿を現したのだよと。今度、ディーンマーク家の旗を掲げるときは、アイリスが結婚するときかな。まだ、まだ先の話だなと話した父の笑った顔が色鮮やかに蘇ってきた。


「アイリス」

 エドモンドがそっとアイリスを優しく抱きしめた。アイリスは嗚咽を上げ、涙が流れた。

 馬車は坂を上がっていき、ディーン城へと近づいていく。一角獣たちは次々と空を埋め尽くすように頭上を飛び、さらに最奥の深い森へと消えていった。最後の一頭が森の方へと消えるころ、馬車は城門を通り、ディーン城の玄関口が見えてきた。


「ああ」

 ディーン城から旅立ったのは一カ月以上も前のことであったが、まるでもっと長い旅を終えたかのようであった。しかし旅立ったときのように、ディーンマーク家を守ってきた者たちが城の前で並んで立っていた。

 巨大な古い城の前で大勢の老いた者たちが並び、アイリスを待っていた。


「あなたは多くの者たちに愛されているのですね」

 エドモンドの温かい腕の中で、その光景を見ながらアイリスは胸がいっぱいになった。また、涙が流れた。それは悲しみの涙ではなく、嬉しい涙であった。


 ああ、そうか人は嬉しくても泣けるのだ。

 私は故郷に帰ってきた。


 馬車はゆっくりと城の前で止まった。エドモンドはアイリスから離れると、ハンカチを手渡した。

「どうぞ」

 差し出されたハンカチを見て、アイリスはエドモンドの顔を見た。

「さあ、涙をふいて、みんながあなたを待っています。アイリス、行きましょう」

 まるでアイリスに忠誠を誓う騎士のように告げた。アイリスはハンカチを受け取り涙を拭くと、大きく息を吐き出した。もう涙は流れていなかった。

 馬車の扉が開かれる。エドモンドが先に出て、手を差し伸べた。アイリスはその手を取って馬車を降りた。


 後ろからにぎやかに二台の馬車が到着した。そして、その馬車からはじけるようにマーシュやイーサンが飛び出してくる。それは次の馬車も同じであった。クロエは興奮したように降りてくると、なぜかミアが泣きながら出てくる。マチルダは呆れた顔で子供たちを見つめ、エミリーは腰が抜けて地面に座り込んでいるサムエルの側に行った。


「すごい、すごい、物語の世界だ!一角獣が僕の顔を見たのだよ。それで一角獣がにんまり笑ったんだよ!ぜったい、あれはにんまり笑った顔だ!」

「うおお、すげえ、すごくでかい、きれいな城だ。城壁がかっこいい、最高」

 マーシュとイーサンは飛び跳ねるように城を見ている。そして、地面に座り込んでいるサムエルは涙と鼻水まみれの顔で城を見つめ、声を上げて号泣した。


「本当にすごい、いや、え、本物の金持ちってすごすぎる」

「ジョージ、さっきから意味のわからないことばっかりいっているぞ。まあ、常識がぶっこわれたからな。ああ、もう盛大にぶっ壊れた。ふふふ、ああ、笑える。俺たちの大陸を新しい大陸だっていうけど、俺にとってこっちの大陸が未知の新しい大陸だよ。本当に信じられない。あんなのがうようよいるのかよ」

 普段は無口のダニエルが壊れたように笑い出した。ジョージも一緒に笑った。


「はあ、もう私こっちに住みたいなあ。本当に王子様が出てきそう。今、あの城の中からようこそとかいって、めちゃくちゃかっこいい王子様が出てくるのよ」

「クロエ、あなた何を言っているの。それから、ミア、あなたはいい加減に泣きやみなさい」

「でも、でも、お母さん。私、涙が止まらないのよ。今までの自分が本当に馬鹿だったわ。今までの自分がとても狭い見方していたことがわかったわ。だって本当に一角獣がいたのよ」

 マチルダは大騒ぎしている子供たちを見て、あきらめたように額に手を当てた。


「アイリス様、お帰りさないませ。お待ちしておりました」

 ロベルトはほほえみを浮かべ、左手を胸に当てた。他の者たちも口々に帰還を喜ぶ言葉を告げると、同じように左手を胸に当てた。アイリスは一人一人の顔を見て、万感の思いでディーンマーク家を守ってきた者たちに告げる。


「留守にしていた間、ご苦労さまでした」

 アイリスが声をかけると、ロベルトたちは目礼した。そして全員が扉の前から移動し、左側に並んで立った。アイリスの前に城内への道が開けた。ディーンマーク家を守ってきた者たちは左手を胸に当てたまま、頭を下げた。


「ご帰還をお慶び申しあげます」

 老いた者たちは口々に祝辞を述べた。アイリスは小さく彼らにうなずくと、エドモンドと並んで大きく開かれた扉へと歩いた。後ろからにぎやかで騒がしい声と足音とともに着いてくる気配がした。アイリスには、それがとてもおかしくて、うれしくて笑みが自然と浮かんだ。


「すみません、アイリス。家族が騒がしくて」

「いいえ」

 

 アイリスは扉の前で立ち止まった。強く握られた手を感じ、アイリスは隣にいる愛しい人を見た。銀の不思議な瞳がこちらを見つめていた。その瞳は好奇心と楽しさで輝いていた。

 アイリスはしっかりと顔を上げ、初めて当主としての自覚を持って城の中に歩みを進める。巨大な城の中に若く明るい声が響き渡る。新しいものに興奮し、未来を夢み、力強く可能性を秘めた声が響く。  

 巨大な城に今、命が灯った。




 

 このときディーンカーの町でも百頭近い一角獣の姿を目撃され、前代未聞の大騒ぎになった。しかしこの先、長きに渡ってディーン城に何度も旗が掲げられた。たくさんの旗が掲げられ、その度に深き森にいるものたちは姿を現し、慶事を祝った。

 ディーンカーの町の人たちは、深き森にいるものたちが姿を現すとお祝いをして楽しんだという。








これで物語は終わりになります。

お読みいただきまして、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ