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 十数メートルの高さの円形の天井にはいくつものシャンデリアが輝き、天井や壁には花や草木、小鳥やこちらの大陸では架空とされている幻獣や神獣などが装飾され、すべて黄金色であった。二階には客席があるようだが、今回の舞踏会では二階は使用しないのか黄金の扉で締められていた。床は明るい木目の板張りが模様のように敷き詰められており、壁にはいくつもの照明がつけられ、会場内は煌々と明るかった。


「まあ、すごい」

 アイリスは会場内を眺めながら感嘆した。 

 贅の限りを尽くした舞踏会の会場は、すでに華やかなドレスと燕尾服を着た三千人もの招待客で騒がしかった。壁際に椅子とテーブルが置かれ、料理が置かれている。黒いタキシードを着た多くの給仕たちが招待客の間を行き来し、壁には警護の者たちが立っていた。ダンスが始まれば、人々は端によることになるが、今は好きな場所で談笑していた。


「かなり厳戒態勢を取っているのですね」

 アイリスはエドモンドの腕に軽く手をかけ、会場の出入口の一つから中を覗いていた。二人の周りには警護の者とホテルの従業員たちが囲んでおり、招待客から二人の存在を隠していた。アイリスがいる場所は会場の中心にある出入口の一つで、主催者側の関係者のみ使用している扉であった。その隣は楽団たちの場所なのか、楽団員が準備を進めていた。

 アイリスは会場内を見回しながら、マチルダやエミリーたちの姿を探したが、これだけの大勢の人の中で探すのは無理な話であった。


「大叔母様たちはどこにいるのかしら」

「母たちはおそらく正面の主賓の近くにいると思いますよ」

 エドモンドがそっと小声で教えてくれる。このような広い会場内でどこにいるかがその家の立場を物語っていた。正面の奥は床が一段高くなっており、そこはまるで小さな舞台があるかのようにアーチ型の仕切りで分かれており、今は赤いカーテンがかかっていた。


「あのカーテンの奥が主賓である王太后陛下と元首にその側近が観覧する場所ですね。あの主賓席に近い場所にいる方々が、各国からきた賓客と国の中でも重要な招待客です。そこから離れればはなれるほど、重要な招待客ではないということですね。母たちは主賓席の近くに案内されているはずです」

「あの主賓席の近くにある機械は何でしょうか?」

 アイリスは大きめな機械に視線を向けて問うと、エドモンドはアイリスの視線をたどり、その機械を見て笑みを浮かべた。

「音声の装置です。主賓の挨拶や言葉はあの装置を通して、会場内の一番遠い場所まで聞こえるようになっています。どうやら、始まるようですね」


 エドモンドの言葉通りに、正面の天井がアーチ型で仕切られている場所のカーテンが開いた。カーテンの奥は小さな部屋のようになっており、豪華な椅子が三脚置かれ、それぞれの椅子の横には小さな丸いテーブルが置かれていた。

 会場の一番奥にある左側の扉が開かれると上品なドレスを着たロビアナの王太后と元首たちが現れ、彼らの登場に会場内から拍手が起こった。そして、元首とともに主催者であるジョンソン・アンダーソンも登場した。


 時刻通りに舞踏会は始まった。

 ジョンソン・アンダーソンの挨拶のあとに元首の挨拶が続くなか、王太后の表情は硬く、険しくさえもあった。アイリスはロビアナの王太后には一度お会いしたことがあった。確かに厳格な方であるが、物事に公平な方だという印象があった。アイリスたちがしっかりと古き伝統あるダンスを披露すれば、評価はしてくれるはずだと考えていた。

 今回の舞踏会は、王太后の望むとおりに古い大陸の形式で行うと告げている。実際は、ファーストダンスだけは古い大陸で行われるダンスを披露するが、それ以降は現代風にアレンジされたダンスを予定していた。今は、セロースの舞踏会でも最初に行われるダンスは古い伝統のダンスを披露するが、その次のダンスは現代風と呼ばれるダンスを踊っている。古き大陸の王国でさえ、全員が伝統あるダンスを踊れるわけではないので、今回の舞踏会でも最初のダンスのみでよいとアンダーソン氏とも話し合っていた。


 会場内は華やかに楽しそうであったため、悪い雰囲気ではなかった。

 アイリスはエドモンドのためにも、そして何よりも自分のためにもダンスを成功させたいと思っていた。レイナと話したことで新しく芽生えた考えに刺激され、これからのアイリス自身の歩む道のためにも、ディーンマーク侯爵としてこのような大切な局面を乗り切れることを自分自身に証明したかった。

 

「さあ、私はディーンマーク侯爵としてなすべきことを行ないましょう」

 アイリスは王太后の姿を見つめながら小さく呟いた。


 乾杯が終わり、ファーストダンスのために場所が整えられていく。人々は左右の端に別れて移動し、中央を開けるとダンスが始まるのを待った。

 アイリスとエドモンドは会場の中心に出るために、周りを警護の者に囲まれながら会場の中に入ると、その時を待った。そしてすべてが整えられ、楽団も準備を終えた。


「みなさま、ファーストダンスが始まります」


 正面の右横に立つ男性の声が音声装置を通じて会場内に響いた。騒がしかった会場内が少しずつ静かになっていく。人々は誰が中央に登場するのかを興味津々と見ていた。新聞にも騒がれていたが、実際は会場にいる招待客にも、誰がダンスをするのかは告知されていなかった。ファーストダンスを披露する者がぎりぎりで決まったため、告知する時間がなかったのだが、予想外にそれが人々の興味を引いてしまっていたようだ。静かな中に大勢の人たちの熱気が伝わってきた。

 アイリスとエドモンドの周りは舞踏会を進行するために、より多くの警護の者たちに囲まれた。警護の者たちが、アイリスたちが通る道を塞いでいる人たちを移動させると、中央に行く道が出来あがった。このときになって、アイリスはすばらしい男性の隣に立つのが、自分でよかったのかと不安がよぎった。過去にセロースの舞踏会に出席した際に下げずむような視線を受けたことを思い出し、心臓が嫌な音を立てた。


「アイリス」

 温かい手に力強く握られ、うつむいていた顔を上げると、エドモンドがあの不思議な銀の瞳を輝かせながらアイリスを見ていた。その瞳は楽しそうに輝き、どこか子供のようにわくわくした顔で微かに笑った。

「ひさしぶりにどきどきしますね。これからあなたとダンスをすると思うと、楽しくてしかたがない」


 その言葉に胸が熱くなり、アイリスは涙がでそうになるのを堪えた。大きく息を吐き出し、背筋を伸ばしてまっすぐとエドモンドの瞳を見た。そして、心から満たされた思いでほほ笑んだ。エドモンドはそんなアイリスから片時も目を離さないと言わんばかりに見つめる。そのまっすぐと見つめてくる視線に勇気を持ち、顔をあげて正面を見た。


「セロース国ディーンマーク女侯爵、アイリス・フォン・ディーンマーク閣下」

 最初にアイリスの名前が高らかに呼ばれた。会場内がざわめきで包まれ、静かであった場所に驚きが波紋のように広がっていく。

「エドモンド・クラーク様」


 エドモンドの名前も呼ばれたとき、大きなどよめきが起こった。ファーストダンスを踊るカップルが古き大陸の貴族であり、それも女侯爵という高位貴族であったことと、その相手が新しい大陸の経済界にその名を轟かせているエディオン海運の若きCEOという意外な組み合わせであることがわかると、会場内が興奮で包まれた。

 いったいどうなっているのかという声が聞こえてくる中で、二人は舞踏会場の中心に向かって歩き出した。


 警護の者たちが並ぶ道を通って二人の姿が会場に現れると、今度は違う意味で大きなどよめきに変わった。二人の姿に言葉なく人々は魅了される。その姿は古き大陸の高貴な者たちの装いであったからだ。エドモンドのアビ・ア・ラ・フランセーズの装いに女性たちから悲鳴に近い声が漏れ、誰もが見惚れた。そして、アイリスの格式のある美しい正装に男性たちは顔を赤らめてあんぐりと口を開き、感嘆のため息をもらした。

 二人が並ぶと、多くの人があこがれ、そして夢にまで見た物語の姫君と王子がいた。


 美しい二人が誰もいない中央に出ると、正面にいる王太后と元首に向き合った。

 エドモンドは少し腰を屈め、アイリスはつないでいない方の手でドレスのスカートを軽く持ち、二人は視線を軽く下に向けた。そして、二人は向き合った。その瞬間、あれだけ騒がしかったざわめきが静まっていく。


 この会場には三千人もの招待客とそれ以上に給仕や警備の者たちがいたが、音のひとつもなく、静まり返った。楽団員たちが今かと指揮者を見た。

 そのとき奇妙な静けさと緊張感の中で、カシャカシャという音が大きく響き渡った。


 誰もがその奇妙な音に辺りを見回し、その音の根源を探した。今、まさに指揮棒を振ろうとしていた指揮者は指揮棒を下ろし、困惑げに会場内を見た。すると人々の中から一人の男が中央に飛び出し、アイリスたちに向かって何度もシャッターを切った。カメラを持った男は給仕の姿をしていたが、雰囲気的に給仕には見えず、あきらかに不審者であった。男の登場に会場内が一気に騒然となった。

 その男はアイリスに近づき、カメラを向ける。エドモンドはアイリスをかばい、その男とアイリスの間に立ち塞がった。一気に多くの悲鳴と怒声が響き、会場内を警護していた数人の男たちが、男を取り押さえるために舞台の中央に出てきた。男性はカメラを奪われ、警備の男たちに両腕を拘束される。カメラを持ってこの場に侵入した男は、正面にいる王太后や元首たちをにらみつけた。


「俺たちを中に入れないのが悪いのだろう!われわれは事実を多くの人に伝える義務がある!」

 おそらくこの男は記者なのだろう。取り押さえられたまま、会場の外へと連れて行かれようとしているのを男は抵抗していた。

「写真にとって何が悪い!重要な瞬間を収めているだけだ!大事なことだろうが!」

 そのように喚く男は会場の外へと連れて行かれたが、すでに騒然となった会場はダンスどころではなかった。人々は口々に今起こったことを話し、興奮していた。


「アイリス、大変なことになりました。よりによってあの瞬間を狙って現れるとは、あの者はスクープを取りたかったのでしょう。この騒ぎの収拾がつかなくなっている」

 エドモンドはアイリスの隣に戻り、耳元でささやいた。


 アイリスは会場内を注意深く見ながら、とてもよくない状況にあることを察した。よりによってファーストダンスが始まるというところで、舞台の中央に出てきて写真を撮ったのだ。オーガスト国はあの男を止められなかったことで、古き大陸だけではなく、このニューキャッセスでも無様な姿をさらしたようなものであった。

 この場をどうやって収めるというのだろう。主催者であるジョンソン・アンダーソンは顔を歪ませ立ち尽くし、王太后の側にいる元首の表情は強ばっていた。

 一人の愚か者のために国としての対面は傷つけられ、今回の舞踏会の失敗を意味していた。王太后は表情を変えることなく、静かにこの騒がしい会場を見つめていた。


「エドモンド、オーガスト国側はどうするのでしょうか?」

「‥‥ここまで会場内が大騒ぎになっては別の被害が出るかもしれません。王太后陛下と元首に側近たちはいったんこの会場から避難し、そのあと舞踏会を中止にするかもしれません」

「また、あのような方が出てくると思いますか?」

 エドモンドはアイリスの質問に、周辺を見回して、「いいえ」と短く答えた。

「あの男がここまで入り込んだのは奇跡的だと思いますよ。本当に厳重な厳戒態勢で、給仕や警護の者たちも身元はしっかりとしていたはずです。これ以上はないと思います」 

 アイリスは静かにうなずき、この騒がしい会場内を見渡し、あきれてしまった。


「まったく、なんて騒ぎでしょう」

 アイリスは会場内で今の出来事を熱心に話している人たちにあきれた。誰もこの場を鎮めようという者はいないのかと苦笑しながら、それでもこのニューキャッセスに住む人たちを嫌いになれなかった。何と欲に忠実なことか、あの記者にしてもそうだが、よくも悪くも自分の行動に忠実な人たちだ。

 アイリスは大きく息を吐き出した。今、この場に立っているのはディーンマーク女侯爵であり、自分はここに来た役目を果たせていない。


「私はまだダンスをしておりません」

 エドモンドは虚を突かれた顔で、アイリスを見た。アイリスはそんなエドモンドにほほ笑んだ。


「私たちがここに来たのはダンスをするためです。あのようなことぐらいで、こんなに騒ぐことではありません。エドモンド、私とダンスを踊ってくれますか?」


「もちろんです。私のアイリス」

 エドモンドは楽しそうな笑みに変わり、耳元でささやくように答えた。エドモンドの吐息が耳にかかり、ゾクっと震える。

 この人はこんなときに悪ふざけをするのかと、顔を赤らめながら背筋を伸ばして、大きく深呼吸をした。そして、周辺に向かって声を張るようにして語りかけた。

 

「皆さま、お静かに」

 騒然とした会場の中に凛とした声が響いた。大きな声ではなかったが、会場の中央にいるアイリスの声はよく届いた。大きな声で話していた者たちは次第に言葉をつぐみ、そして美しい淑女へと注目した。


「騒ぐ者はいなくなりました。さあ、舞踏会を始めましょう」


 深い森を思わせる深緑の瞳が周辺を見渡し、美しい声が軽やかにそう宣言した。人々はディーンマーク女侯爵に従うかのように、誰もが口をつぐみ、会場内は一気に静寂へと変わった。会場を警護していた者や給仕たちも女侯爵に従うように壁の端に移動すると、楽団の者たちは一斉に楽器を手に取った。

 アイリスとエドモンドは再び軽く正面の方々に会釈すると、元首は当然のように悠然と座り直し、王太后の目がじっとアイリスを見据えた。


 アイリスはちらりと楽団の指揮者へ視線を向けると、指揮者は指揮棒を握り直し、楽団へと向き合った。

 二人は再びダンスを踊るためにお互いに向き合う。大勢の視線を受けながら、アイリスの目にはエドモンドしか映っておらず、まばゆいシャンデリアの光と静寂だけの世界にいた。


 ゆっくりと音楽が流れる。その音楽に合わせて、二人は踊り始める。

 アイリスの体は自然と動き、苦もなくステップを踏んでいく。あのようなハプニングが起こっても乱れることなく、数百回、数千回と練習し踊ってきたダンスは頭で考えるまもなく体が動いた。

 

 ああ、そうなのだとアイリスの中で確信に変わる。これまで自分が積み上げてきたことは、確かな力となって自分の中にあるのだ。そう思うと笑いがこみ上げてきた。このような大勢が見守るなかで、恐れで体が動かなくなることもなく、正確にステップを踏んでいる。今、ディーンマーク女侯爵として、自分に一切の不足など感じなかった。

 幼いころから修練してきたもの、ディーンマーク家の後継者としてのあの苦しい学びも淑女としての学びも、すべて家のためではなく自分のためだったことを、このとき深く理解した。

 アイリスは今、自分自身の力を信じることができた。自分の中にある美しさを信じることができた。


 アイリスは軽やかに踊り、難しいステップを苦もなく踏んでいく。その動きはこの場にいる人たちを魅了した。腕や爪の先まで優雅で洗練された動きであり、ドレスの裾が舞い、袖口のレースが零れるように動く姿さえも美しかった。動きの激しいパートであっても、二人は疲れを見せずに息ひとつ乱れることなく踊る。この場にいる人たちは、一言も発せずに、その美しいダンスに魅了された。

 数千人もいる会場の中で、まるで二人以外に誰もいないかのように、華やかで壮大な音楽と中央で光を浴びて踊る二人だけがいた。


「エドモンド、楽しいわね」

 アイリスは踊りながらエドモンドにそう語りかけた。会場内を好きなように動きながら、このときアイリスの世界にはエドモンドしかいなかった。二人の息があった動きは、エドモンドが次にどのように動き、どのようにアイリスの踊りを支えてくれるのかもお互いにわかっていた。手を伸ばせば、そこにエドモンドの手があり、左へステップを踏めば、エドモンドも同じ速度でステップを踏んだ。


「ええ、楽しいです」

 ステップを踏みながら、エドモンドが笑顔になるとアイリスの心臓が嬉しさに高鳴り、いつまでも踊っていたと思った。

「もうすぐ終わってしまいます」

 曲が最後のパートに入り、ダンスも終わりに近づいてきた。このすばらしい時間が終わろうとしていた。もう少し踊っていたいし、エドモンドと一緒にいたい。そんな心からの望みに、アイリスは出会ったときから恋に落ち、もう彼と一緒にいることを初めから決めていたのだと自分の心を知った。


「残念ですね。でも、これからはあなたのパートナーは私です。好きなだけふたりで踊りましょう」

 エドモンドの言葉は夢の話ではなく、確かにある未来の話しであった。

  

 曲が終わり、最後のバイオリンの音が止まると、二人は向かい合いながら動きを止めた。音もダンスも終わったが、会場内は静寂に包まれていた。

 二人は音一つ立てることなく、正面にいる王太后の前まで歩いていく。王太后はゆっくりと椅子から立ち上がり二人を迎えた。二人は王太后から十歩ほど離れたところで立ち止まった。

 アイリスは右足を左足の後ろに持ってくると、深くプリエし、視線を下に向けた。美しいカテーシーに静かな会場の中で感嘆したように漏れた声は一人や二人ではなく、驚くほど大きかったため、人々はこの神聖な場面を穢したくないと慌てて口をつぐんだ。

 そして、隣にいるエドモンドも 左足を後ろに下げて膝を曲げ、深く体を曲げて見事な礼をした。王太后は二人の完璧な礼を見て、感嘆の息を吐き出すとゆっくりと言葉を続ける。


「ディーンマーク女侯爵、素晴らしいダンスでした。まさか、あなたがこの場に来るとは思いませんでした。しかし、古き大陸の中でも古の一族であり、私たちの中でも幻の古き血筋の方よ。あなたは無礼な者たちをゆるせるのですか?」


 アイリスは視線を王太后へと向けると、ほほ笑みを浮かべた。ロビアナ王太后の頑な表情を見て、確かに祖父母たちも礼儀にはとても厳格で、そして少し意地悪でもあったことを懐かしく思い出した。彼らはどのような場所であろうと、虎視眈々と権威を守るために行動する。王太后がすんなりとこの国の対応を許すはずがないことはわかっていた。しかし、王太后もこの状況を良いと思っておらず、今回の外交の件も含め、お互いにゆずれる妥協点を探していたことであろう。その鍵を握っているのはアイリスであり、今、この場面であった。

 アイリスはまっすぐと立つと、両手をお腹の下の辺りで重ねた。


「ロビアナの王太后陛下、古き大陸とこの新しい大陸の国々との交流は始まったばかりでございます。お互いを知るには時間が必要であり、つたないことも起こりうることでしょう。お互いに行き違うこともあるでしょう。でも、私はどのようなことがあっても彼らと手を握り、新しい世界に進みたくなりました」


 王太后の深い皺に刻まれた顔がぴくりと動き、一瞬、笑いそうになったのを見過ごさなかった。どうやら合格点をもらえたようであった。

 アイリスは、この一カ月間の驚くべき日々を思い出しながら、そのまま続けた。


「古き世界と新しき世界はとても近くなりました。そしてそれは、私たちの価値観が崩されることなのかもしれません。この流れは、これから古きものを飲み込んでいくかのように大きくなっていくでしょう。ですが、古きものが消えてなくなるのではなく、新しいものと交わり、その中で古きものも生きるのだと思います。古き一族の最後の者として、新しい時代の幕開けに心から喜びを申しあげます」

 

 王太后は会場に来てから強ばった表情しかしていなかった。その強ばった表情が初めて、優しいほほえみに変わった。王太后は会場内の招待客へと目を向け、はっきりと告げる。


「古き大陸とこの新しい大陸との交流を示す素晴らしい舞踏会が始まりました。ディーンマーク女侯爵とクラーク氏のファーストダンスはとてもすばらしいものでした。さあ、私たちの舞踏会はまだ始まったばかりです。私はこの新しい幕開けを心より祝福します」


 王太后の言葉にどっと会場を揺るがすほどの歓声が湧き上がった。たくさんの拍手と歓声にアイリスは驚いたが、エドモンドの視線を感じて、アイリスはすぐに次の行動に移った。

 拍手と歓声は鳴りやまなかったが、この場から退場するために正面にいる王太后や元首たちにドレスのスカートを持って腰を少し落として挨拶をすると、エドモンドとともに端に向かった。二人の動きと同時に中央には数組のカップルが出てくる。次にダンスを予定していたカップルが、まるでこれまでのことが仕組まれた段取りであったかのように、タイミングよく出てきた。


 エドモンドが周りに気づかれないようにジョンソン・アンダーソンに視線を向けていたことは、アイリスも気づいていたが、このタイミングは見事であったとしかいいようがない。

 アイリスとエドモンドは多くの警護の者たちに囲まれ、一旦、会場から離れるために案内に従い廊下に出た。招待客たちが二人に気づき、周りを囲もうとしたからだ。そうなれば、また会場内が乱れ、せっかくの雰囲気が台無しになるところであった。

 会場から出ると廊下には人がいないことから、ここは招待客が立ち入れない区域なのだろう。二人が出てきた扉からジョンソン・アンダーソンが出てきた。


「ディーンマーク女侯爵閣下」

 ジョンソン・アンダーソンはアイリスに敬意を表すように、右手を胸に添えた。

「この度は心から感謝いたします。わが家を、いいや、わが国を救っていただきました」

「どうなることかと思いましたが、無事に済んでなによりです。次にダンスをする方々が登場したことでうまくまとまりましたね」

 アンダーソン氏は、なぜか負けたと言わんばかりにエドモンドの方を見た。


「あれはエドモンドに言われていたからです。閣下がダンスを踊ったことで、王太后陛下は今回の舞踏会を認められるだろうと言っていたのですよ。私たちはファーストダンスの後、王太后陛下が席を立つ可能性が高いと思っていた。そうなれば、次のダンスはないとね。しかし、エドモンドからは次のダンスを行なうことになるから準備をするようにと言われていました。あのとき、エドモンドの視線から次のダンスをするタイミングが来たことがわかり、指示を出したのですよ」


 アイリスは見事な采配をしたエドモンドに、驚きと称賛をこめた視線を送った。エドモンドはアイリスの視線を受けて、にっこりと笑いアイリスを熱心に見つめた。そんな二人にアンダーソン氏は小さくため息をついた。


「お二人は本当に息の合ったすばらしいダンスでした。さて、お二人が会場に戻れると、また騒ぎになりそうです。この先にはわがホテルの自慢の庭園があります。今は立ち入りを禁止しており、誰もおりません。そこで少し時間をつぶしていただけると助かりますな。少し経てば、客たちも落ち着くだろう」


 アイリスはエドモンドと顔を見合わせ、にこやかに承諾した。

「ええ、それではすばらしい庭園を散策してきます」

 アイリスが手を伸ばすとエドモンドがエスコートをするために手を握った。従業員が庭園を案内するために先を歩く。その後ろに従って歩き始めると、アンダーソン氏が思い出したかのように声をかけてきた。


「ああ、それと最後のほうはお二人にもご出席していただきたいので、会場に戻ってきてほしい。いくらすばらしい庭園で楽しいでしょうが、そのことは忘れないようにお願いしたい」

 どこか揶揄する言い方に、二人で小さな声で笑い合った。






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