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「よくもやってくれたな」


 ランドルフは扉の隙間に体をねじ込むと、扉の前で邪魔をしている大型のタンスを片手で押していく。まだ、部屋の中に入ってこられるほどの隙間は開いていないが、少しずつタンスや椅子にテーブルが横にずれていき、このままでは扉が開かれるのも時間の問題であった。


「これをどけろ。今ならひどいことはしませんよ」

 薄い青い目が二人をにらんだ。

 アイリスはディベロ夫人と手を握りながら、彼から距離を取るために後ろへと下がる。そして、深く息を吐き出し、これからどうするのかを必死で考えた。


「あなたのいうことは信じられません。私はあなたの言う通りにしたではありませんか」

「‥‥あなたは何をしたのだ」

 ランドルフはタンスや椅子を力で押しのけながら、顔は恐ろしいほどの形相でアイリスをにらんだ。

「何のことですか?」

「あなたがしたのだろう?そうか、あなたの力だな。ディーンマーク家の当主なら可能だろう。そうだろう?」

 今まで見たことがないほどの悪鬼のような形相に、アイリスは言葉を失った。


「よくも、私の口座を凍結させたな。私の銀行口座がすべて使えなくなっていた。私にこんなことをするのは、あなたぐらいしかいない」


 アイリスは驚きながらも、必死にその驚きを表情に出さなかった。もちろん、アイリスがしたことではない。何かの手違いか、それとも誰かが行ったのかはわからないが、ランドルフは口座が凍結されたことで、無一文に等しい状況になっているということだ。アイリスはディベロ夫人の手を離すと、近くにあった椅子を握りしめた。


「何の話ですか?私は知りません」

「ディーンマーク女侯爵閣下、私はあなたの権威を侮っていませんよ。あなたの配下はたくさんいるでしょう。その配下にでもやらせたのですか?ディーン地方はすべてあなたの支配下だ。あなたはたくさんの富と権力を持ち、大勢の配下がいる。わたしはそんなあなたが本当に憎かった」

 ランドルフは近くにある邪魔な椅子を足でけると、椅子は横に転がった。ぎしぎしとタンスから音がし、扉の隙間が広がっていった。 


「支配下?あなたは何を言っているのですか?時代錯誤も甚だしいわ。もう昔と違うのですよ。ディーン地方の人たちは私の会社に勤めてもらっているだけで、民ではないのですよ」

「そんな言葉で誤魔化せませんよ。表向きはそのように見せているだけでしょう。あれだけ耳元で囁いたのに、あなたは結局、私の言いなりにならなかった。あなたさえ、私のいいなりになっていれば、国を出ることもなかった。あなたは、ただディーンマーク家に生まれたというだけで、楽をして巨万の富を得ている。私は次男というだけで何も受け取れないというのに、頭がいいだけで美しくないあなたがすべてを手にしている」


 アイリスは「楽をしている」という言葉で、急に怖さも忘れて怒りが湧き上がってきた。ディーンマーク家に生まれたからこそ「楽」という言葉からは無縁であったのに、何も知らない者が勝手なことを言う。幼いころからどれだけ重責に耐え、勉強をしてきたことだろう。学問だけではなく、礼儀作法にダンス、絵画や音楽に至るまであらゆるものを身につけなければならなかった。当主になると決まってからは、それに経営と事業の仕事までやらなければならなかった。

 普通の貴族の子たちよりも多くの勉強をしてきたと自負があった。


「あなたは、なまけていらっしゃいましたものね」

 アイリスは椅子から手を離すと扉に向かい、タンスに力を込めて扉のほうに押した。扉の隙間に体を挟んでいる状態のランドルフは、小さなうめき声を上げた。


「なに?」

「仕事に興味がなかったではありませんか。楽してお金を得ようとして投資に失敗されていましたね。それも当然でしょう。たいした勉強もせず、物事も知らずに適当に投資されるのですから、失敗するのは当たりまえです。得られなかったのはあなた自身の問題でしょう?」

 淑女が本音を言うことは恥ずかしいことだと思い、これまで何も言わなかったが、今は怒りがアイリスを動かしていた。


「そうやって、あなたは常に私より上だと思っていた。醜い本性が出たな。男性たちがあなたを嫌っていたのは、そういうところだ。その醜くやぼったい容姿で、誰が相手にするか。金がなければ誰も相手にしない」

 昔のアイリスなら、そのランドルフの言葉に傷ついていただろう。しかし、エドモンドがアイリスの努力を認めてくれたことで、彼らの言葉で傷つくのは違うのだとわかった。


「あなたたちはそればかりですね。口を開けば、美しくない、やぼったいばかりです」

 アイリスはランドルフを真正面から見据えた。

「愚か者。卑劣な人間が何を言っても、その言葉には価値などありません」


 ランドルフの顔が赤くなり、暴れるように体を動かし手あたり次第蹴り始めた。タンスが大きく動き、アイリスはその勢いにうしろへと尻もちをついた。扉の隙間が大きくなり、ランドルフが通れるほどに広がった。

 薄い青い瞳が憎々しげにアイリスをにらみつけ、とうとう部屋の中に入ってきた。そして、ランドルフはアイリスへと手を伸ばした。


「だめよ!」

 その声が響くと、ランドルフに向かって花瓶が投げられ、ランドルフはとっさによけた。ディベロ夫人が近くにあるものを手当たり次第に投げつけていく。思わぬ人からの反撃でランドルフが動けないうちに、アイリスは立ち上がって戦うために近くにある椅子を持ち上げた。

 投げるものがなくなったのか、ディベロ夫人の反撃が止まると、ランドルフがゆっくりとアイリスとディベロ夫人の両方に注意しながら近づいてきた。


 突然、扉の方から轟音が響き、大型のタンスが大きくずれると扉が開かれた。


「取り押さえろ!」


 号令とともに男性たちが次々と入ってくると、男性たちは俊敏にランドルフを取り押さえた。アイリスはあっけにとられ、その光景を見ていることしかできなかった。そして、タンスやテーブルがどけられると完全に扉が開き、複数の男性たちが入ってきた。よく見るとランドルフを押さえている男性たちも、あとから入ってきた者たちも全員、同じ服装をしていた。


「警察が来たわ」

 ディベロ夫人はそう呟くと、その場にへたりこんだ。


「大丈夫ですか?」

 制服をきた男性にそう尋ねられ、アイリスはようやく椅子から手を離し、その場にへたりこんだ。ここにいる制服を着た人たちは警官なのかと思うと、力が抜け、急に体が震えだした。それはディベロ夫人も同じなのか、過呼吸のように息が荒かった。それを見た警官と見られる男性が扉の外に向かって、大声で指示をすると部屋の中に飛び込んでくる男性がいた。


「アイリス!」


 アイリスの名前を呼びながら必死な形相で部屋の中に入ってくると、辺りを見回してアイリスを見つけ、まっすぐと向かってきた。そのときランドルフは連行されるために立たされ、二人の警官に囲まれている状態であった。ランドルフは警官たちの一瞬の隙をつき、一人の警官の手を振り払うと、怒りの形相でアイリスに向かって飛びかかってきた。

 アイリスは反応ができずに、迫ってくるランドルフを見ているしかできなかった。しかしアイリスの前からランドルフの姿が見えなくなり、代わりに大きな体が覆いかぶさるように前を塞いだ。温かい腕に包まれ、一瞬、目の前が暗くなり、音が途切れ、何が起こったのかわからなくなった。すぐに光が戻り、ランドルフと二人の警官がもみ合う姿が見え、大声が聞こえてきた。


「‥‥エドモンド」

 アイリスは震えながら、自分を抱きしめている人の名前を呼んだ。いつも整えられている髪は、今は乱れ、アイリスにも聞こえてくるほど彼の心臓の音が激しかった。エドモンドがランドフルから守るように、アイリスの盾となり、腕の中に囲っていた。


「エドモンド」

 アイリスはもう一度、彼の名前を呼ぶと、エドモンドの体がブルッと大きく震えた。そして、アイリスを強く抱きしめる腕は小刻みに震えていた。

「また、失うのかと思った」

 その言葉はとても重く、アイリスの心に届いた。


「私は大丈夫」

 エドモンドの背中に手を回し、慰めるように抱きしめるときつく抱きしめ返される。周りには大勢の人がいて大騒ぎだというのに、まるで世界に二人しかいないかのような不思議な感覚であった。この人は震えるほど自分のことを心配していたのだと思うと、泣きたいような、それとも笑いたいようなおかしな気分になる。

 エドモンドはアイリスの顔を心配そうにのぞき込むと、ようやく心から安心したように泣きそうな表情になった。


「アイリス、どこか怪我は?大丈夫ですか?」

 エドモンドの声はしっかりと聞こえているが、周りの声はよく聞こえなかった。エドモンドの近くに警官が来ると、何かを言っている。アイリスは目をぱちくりしながらその光景を見ていた。


「ええ、そうですね。アイリス、歩けますか?」

 エドモンドはその警官に返事をすると、抱きしめていた腕を離そうとした。このままの方がいいのにと思っていると、張りつめていた緊張の糸が切れたかのように、エドモンドの姿が歪んでいく。


「アイリス?アイリス」

 名前を呼ばれるが返事ができずに、その声も次第に遠くなっていった。どんどんと世界が遠くなっていくと、目の前が真っ暗になった。












 アイリスは目覚めると、それはどこか見覚えのある天井であった。

 日の光をまぶしく感じ、少し目を細めながらぼんやりと部屋の中を見渡すとベッドの側で椅子に座っているエドモンドと目があった。お互いにぽかんとした顔で見つめ合っていると、先に動き出したのはエドモンドの方であった。


「アイリス」

 エドモンドはアイリスの顔を覗き込むと、安心したように軽く目を閉じて息を吐き出した。アイリスは少しずつ何があったのかを思い出し、ここがクラーク家の屋敷でアイリスが滞在している部屋であることがわかると、今までのことが夢だったのかと思った。


「いったい、どうなったのでしょうか?」

「アイリス、よかった」

「エドモンド、ここは現実ですか?それともランドルフ様のことが夢だったのですか?」

「いいえ、今も昨日起こったことも夢ではありません」 


 アイリスは言葉なくまばたきを繰り返した。ランドルフが扉を壊して入ってきたときの恐ろしさは、思い出すだけで震えそうになる。あれが現実ならば、あの後どうなったのだろうか。あの場所にエドモンドが助けに来てくれたところまでは覚えている。

 アイリスが不安そうな表情をしていたことに気がついたのだろう。エドモンドは安心させるように少しほほ笑んだ。


「大丈夫です。すべて終わりました。ディベロ夫人も無事ですし、ランドルフは捕まりました」

「終わった‥‥私はあの場所で気を失ってしまったのですか?」

「そうです。驚きました。本当に心配しました」

 エドモンドの顔色は悪く、よく見ると髪の毛は乱れており、シャツもよれよれであった。


「あなたはディベロ夫人とともに病院に搬送され、医師に診てもらいました。それで怪我もなく問題なかったので入院の必要はないとのことで、帰っていいことになった。ただ、医師からは疲労がたまっていると言われましたよ。あなたをこの屋敷に連れて帰ったのですが、目を覚ますことなくいままで眠り続けていたのですよ」

「まあ、疲労‥‥」

「ダンスのレッスンとパーティーのプレッシャーもあった上に、ランドルフのこともあって倒れたのでしょう。気分はどうですか?」

 

 ダンスのレッスンの疲れと言われると自覚があった。アイリスは心配させたことを申しわけなく思った。

「はい。とても良いです。すっきりとしたというか、疲れもとれたようです」

「それはよかった。十四時間以上も起きなかったので、本当に心配しました」

「え?そんなに眠っていたのですか?今、何時なのですか?」

 

 エドモンドは小さく笑うと、アイリスの手を握った。

「今は十時近くです」

「まあ、驚きました」

「気分がいいのでしたら、食事をしたほうがいいですね。アイリス、 あなたは昨日から何も食べていない」

 食事と言われたが、その前に昨日、一体何があったのかが知りたかった。ミアのことも聞きたかったので、昨日のことを聞かない限りは食事も喉に通らないとエドモンドに言うと、エドモンドは深いため息をついた。 


「そうですね。では、ざっと事のあらましを話しましょう」


 エドモンドはクロエから連絡を受けたときのことから話し出した。

 最初、異変に気がついたのはマーシュであった。マーシュはアイリスとミアがいないことに気がつき、クロエと二人で店内を探した。奥にある部屋まで探しに行ったところ、ミアが倒れているのを見つけ、ミアからアイリスがさらわれたことを聞いたという。そして、マーシュはすぐクロエに兄たちに連絡するように言うと、自分はアイリスの後を追ったとのことだった。


「マーシュは建物の外まで追いかけましたが、アイリスを乗せた車は走り去るところでした。すぐにその車のナンバーを覚えて店に戻りました。その後、クロエとミアを連れて屋敷に戻り、私に車のナンバーを教えてくれました」

 最初のクロエとマーシュのすばやい対応が、あれほど早くアイリスが攫われた場所を特定できた一つの要因であった。


「本当に二人には感謝しかありません。でも、とても早く私たちを見つけてくれたことに驚きました」

 アイリスはそれが不思議でしかたがなかった。あの場所はディベロ夫人の屋敷ではなく、夫人も知らない屋敷であったのによくわかったものだ。


「アイリス、私はランドルフ・クリスティンを調査しているとあなたに話しましたね」

「ええ、ランドルフ様が国を離れてどうしていたのか、あなたが教えてくれました。私も彼の現状を教えてもらっていたので、彼に誘拐されたあと、冷静に対応することができました」

「それはよかったです。じつは、ランドルフのことはディーンマーク家にいる執事たちにも連絡して調べてもらっていたのです」

 そんな話は初耳であったので、アイリスは素直に驚いた。執事のロベルトやポロニャール夫人と何度も電話で話したが、そんな話を聞いたことがなかったからだ。


「私は彼らからそんな話を聞いておりません」

「当主であるあなたに内密にしていたことを叱らないでください。私は母からあなたとランドルフの婚約解消のときに何があったのか、詳しく聞いていました。ランドルフのことはあなたにとって深い心の傷であり、そして過去のことです。あなたがあの男と関わる前に対応し、あの男に近づかせまいと思っていました。私はあなたの執事と連絡を取り合い、今度こそランドルフを捕まえる算段をしていました」


 三年前の婚約解消した件で、エドモンドたちにもある程度のことは話していたが、まさか詳しく知っているとは思わなかった。あのような醜聞といえる事柄を知られることの恥ずかしさと、セロースの上流階級で美しくないと言われてきたことを知られて気分が沈んだ。セロースの男性たちの言葉をエドモンドはどのように思っただろうか。


「兄弟たちに話をし、イーサンやマーシュには屋敷の中のことを注意するように言ってありました」

「そういうことだったのですね。だからマーシュはあれほど早く動けたのですね。ディーンマーク家の者たちにも感謝こそすれ、怒ることなどできません」

 アイリスは情けない気持ちでそういうと、エドモンドは視線を下に向け、話を続けた。


「そういってもらえて安心しました。三年前のあなたに起こった事件も含め、ロベルト殿たちが再度徹底的にランドルフのことを調べました。彼にはあなたの事件以外にも詐欺や恐喝がありましたが、証拠不十分で捕まることはありませんでした。彼が貴族であったことも捕まらなかった理由ですね」

「ええ、わかります。いまだにセロースは王侯貴族の権威が強いので、よほど確かな証拠がなければ警察も深く踏み込むことができないのです。わが国の大きな問題です」

 アイリスは憤然とした気持ちで非難した。


「今回、ディーンマーク家の者たちがもう一度、セロースでの悪事を調べ、証拠を集めることができました。そして、その証拠を警察に提出し、被害にあった女性たちは被害届を出したことで、警察は動きました。ランドルフはセロースで容疑者となりました。ロベルト殿が、ランドルフが容疑者であることを記した公式な書面をもって、昨日こちらに到着しています」

「ロベルトが到着しているのですか?」

 アイリスは思わず大きな声を上げてしまった。あまりにも早い到着だったからだ。

 一週間前にロベルトからニューキャッセスに向かうとの話は聞いていた。こちらに来る理由はフォスター家の屋敷に関する資料を持ってくることと、帰国をするためにもいまだに体が万全ではないバルフォアドを助けるためだと聞いていた。もしかしたら、本当の目的はランドルフが容疑者であるという書面を持ってくることだったのかもしれない。アイリスの頭の中で瞬時にいろいろなことがつながっていく。


「まあ、何てことでしょう。すごいタイミングですね。ロベルトが書面を持ってこなければならなかったということは、彼はまだセロースの国籍なのでしょう?つまり、その書面がなければ、この国では裁けないということですね。彼を捕まえても、セロースに彼の身柄を引き渡さないといけないことになります。でも、セロースの法律上、罪人か容疑者であれば、他国での刑法で裁きを認められます。ロベルトが持ってきた容疑者であることの証明書をこの国に提出しましたか?」

 エドモンドは嬉しそうににっこりと笑った。


「正解です。さすがですね。警察が踏み込む前に、国の機関に提出しました。これで、あの男はこの国で裁かれることになりました」


 アイリスは、それならランドルフのことは決着がつきそうだと安心した。もしセロースが介入すれば、ランドルフが正しく裁かれるかはわからなかったからだ。なぜならセロースは、オーガスト国で起こった事件に関しては裁判をすることができないからだ。今回の件は、セロースで行ってきたことよりも罪が重いはずだ。これをなかったことにされるなど、アイリスは我慢ができないところであった。


「ディベロ夫人はどうしていますか?」

「ディベロ夫人は三日前にあの屋敷に連れてこられ、睡眠薬や強い安定剤を飲まされていたようです。幸いなことに期間が短かったので、すぐに健康を取り戻されるでしょう。私たちはランドルフを調べる過程でディベロ夫人のことも詳しく調べていました。そして、ディベロ夫人にも命の危険があることも知り、少し前に夫人の義息子であるリチャード・ディベロ氏とコンタクトを取り、情報を共有していました。あなたが連れて行かれた屋敷を特定できたのもディベロ氏のおかげです」


 アイリスは興奮のあまり、つないでいるエドモンドの手をつよく握ってしまった。エドモンドがなだめるように優しく、握り返してくれた。


「あの屋敷はディベロ夫人のお金を使ってランドルフが秘密裏に手に入れたものでした。リチャード・ディベロ氏は夫人の財産を把握していたので、私たちから話を聞いてすぐに夫人の財産とお金の流れを調べてくれました。リチャード・ディベロ氏は、そのとき初めてランドルフに夫人の財産の四分の三がすでに渡っていることを知ったわけです。そこで彼に渡ったお金がどのように使われたのかも調べました」

「そんなに多く‥‥」

 アイリスはランドルフの欲の強さにあきれた。金額はわからないが相当の額だったに違いない。


「ほとんどのお金が投資に流れていたことと、屋敷を購入していることがわかりました。あの日、マーシュから連絡を受けてすぐに、私はバルフォアド氏とディベロ夫人の弁護士であるエバンス弁護士に連絡を取り、状況を説明してディベロ夫人に連絡を取ってもらうように依頼しました。そのあと、警察に誘拐として通報し、マーシュが見た車のナンバーも話しました。ダニエルはランドルフを見張っていた者から見失ったという連絡を受けて、その者にランドルフを探すように指示し、ジョージはリチャード・ディベロ氏に電話で状況を説明して、夫人を保護するように話しました」

 

 アイリスは話を聞きながら興奮した。クラーク家の兄弟たちの見事な連携と判断が見事であった。アイリスが想像する以上に物事は迅速に動いていた。


「それで?どうなったのですか?」

「エバンス弁護士からもリチャード・ディベロ氏に連絡が入り、すでに三日前から夫人が屋敷にいないことが発覚しました。ディベロ家でも大騒ぎだったそうです。リチャード・ディベロ氏は夫人の行方不明の捜索と誘拐の可能性もあると警察に通報しました。もちろん、ランドルフのこともすべて話したそうです」


「それで警察が捜査に乗り出したのですね」

「ええ、警察はアイリスとディベロ夫人の二人が行方不明なことにランドルフが関与していると判断しました。リチャード・ディベロ氏はディベロ家が所有する家に人をやって調べさせたが、そこにはいないことがわかり、最後の望みとしてランドルフがひそかに購入していた屋敷ではないかと警察に通報しました。警察も車のナンバーからランドルフが所有者であることを割り出し、アイリスに関しては彼が実行犯と見なしました。私たちの方でも独自に動いていました。ダニエルが雇っている興信所の者にランドルフが購入した屋敷に行くように指示し、その屋敷でランドルフの姿を確認させました。その情報を警察と共有し、それによって警察がその屋敷に突入することになったのです」

「もう、何と言ってよいのか」


 あの数時間の間で、まさかこれほどの動きがあるとは思ってもみなかった。しかし、エドモンドたちの機転の利いた対応がなければ、最悪なことになっていたかもしれないと、いまさらながら怖くなった。エドモンドも警察が突入したときの現場を思い出したのだろう。軽く首を左右にふり、深くため息をついた。


「ええ、本当に危ないところでした。私とダニエルがあの屋敷に着いたときには、警察が屋敷を取り囲み、屋敷の中に入っていくところでした。屋敷の中にはランドルフ以外に三人だけしかいなかったそうです。警察が突入し、二階に上がったときに、壊された扉を開けて中に入ろうとしているランドルフを見つけました。警察は慎重に気づかれないように近づき、そして、あのように取り押さえたというわけです。私は一階にいたのですが、居てもたってもいられずに警官の制止を振り切って二階に行きました」


 アイリスは胸に手を当てて、何度か深呼吸を繰り返した。アイリスとディベロ夫人がぎりぎりのところで助かったのは、本当にエドモンドたちの知恵と迅速な行動力、そして運がよかったとしか言いようがなかった。


「本当に無事でよかった」

 アイリスの手を握りながら祈るように言う彼に、胸が熱くなった。エドモンドが助けにきて抱きしめられたとき、愛しているのだと気がついた。


 ノックの音が聞こえ、入ってきたのはマチルダであった。マチルダはアイリスが目を覚ましているのを見て、にっこりと笑った。


「アイリス、目が覚めたのね」

「大叔母様‥‥」

 マチルダは手に食事を乗せたトレーを持っており、まっすぐとベッドのそばまで来た。手を握り合っている二人の姿を見て、ほっとした表情を浮かべた。


「エドモンド、もうアイリスも目が覚めたのだから少し寝てきなさい」

「しかし‥‥」

 躊躇している息子に母親はじろじろと上から下まで見た。

「あなた、ひどい姿をしているわよ。昨日は警察での事情聴取で帰ってきたのは遅かったし、ほとんど寝ないで事後処理をしていたのでしょう。この屋敷に帰ってきたら、今度はアイリスの側から離れない。そんなよれよれの姿だと嫌われるわよ」

 

 白皙の美貌は確かにくたびれていたが、かっこいいのは変わらないのだから嫌いにはならないとアイリスは内心思った。しかし、マチルダの言葉が気になったのか、ぎょっとした表情をすると、そっとアイリスの手を離し、椅子から立ち上がった。少し顔を赤らめ、ちらりとアイリスを見た。


「アイリス、今日は一日安静にしてください。あとはお母さんに任せます。お言葉に甘えて、少し寝てきます」

「そうしなさい。起きたら、ダンスの練習をするのですよ」

 

 マチルダの容赦ない言葉に、エドモンドは一瞬固まり、そのあと苦々しい表情になるとがっくりとうなだれて部屋を出て行った。そんな息子をやさしい目で見つめ、マチルダはゆっくりとアイリスに振り返った。


「アイリス、お腹が空いているでしょう?」

 マチルダの言葉に、アイリスはゆっくりと上半身を起こした。






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