05.あれ?そういえば俺たちのカバンは?
撤退の判断を示した風間くんは正しかった。
階段を上り、石造りの通路をしばらく進むと、遭遇したのは一匹の小さな生き物。
ダンジョンと言っていた風間くんの言葉を借りるなら魔物とでもいうのか。
羽とツノを生やした、1m程の体長の空飛ぶヘビ。
現実離れした姿の生き物に身構えるクラスメイトと、突然目の前に現れた大人数にたじろぐヘビ。
おかしな膠着状態を破ったのは、先頭集団にいた体育会系の男子の一人。
「オラァァアア!」
雄叫びを上げながら躍りかかる彼の攻撃を、ヘビはこともなげにひらりと躱すと、頭部から伸びるツノですかさず反撃し、彼の腕を深々と抉った。
「痛ってえええ!」
彼の上げた悲鳴に、どよめきが広がった。
見てわかるほど一気に、クラスメイトの腰が引けていく。
当たり前だ。
僕らは力を与えられたからとて、それを平気で振るって戦うことができるような育ち方はしていない。
誰も傷付きたくないし、ましてやあのヘビのツノ。運が悪ければ死……
誰もそんな目には遭いたくない。
でも――
「まったく、何で拳で殴りかかってんだよ、バカヤローが。
オレが見本見せてやるよ」
そんな僕ら一般人の常識を軽々と越えてくるから、僕はキミらのことを『主人公』だと心の中で呼ぶんだよ、火川くん。
「土宮! 頼めるか?」
火川くんはこちらに顔を向けると、他の誰でもなく、何故か土宮さんに助力を願う。
指差している先、怪我をしている男子の手当だろうか。
「大丈夫、できると思う」
土宮さんは応え、怪我をしている男子の元へ駆け寄ると手をかざす。
「お願い、エグイン!」
その声に合わせ、彼女の背後に幻影が浮かび上がる。
柔和な微笑を湛えた豊満……というより、球体の女性の姿。古代西洋人の様な衣を纏い、手には稲穂を持っている。
幻影が微笑のまま稲穂を振ると、その穂先からキラキラと黄金色の光の粒が怪我をした男子の上に降り注いだ。
「け、怪我が!」
誰かが上がる驚きの声のとおり、男子の怪我は瞬く間に肉が盛り上がり塞がっていく。
なかなかにグロい。
「「土宮さん凄い!」」
その力の行使に、クラスメイトから喝采の声が上がる。
その喝采を切り裂く様に、火川くんが声を上げる。
「それじゃあ次は、オレの番だな!
パイモン!」
どこからともなく、派手なトランペットの音が鳴り響いた。
その音色に合わせる様に、輝くラクダに跨り
貴人の幻影が現れる。
豪奢なマントを纏い、頭上には王冠。手には巨大な曲刀を持った、まさに“眉目秀麗”の言葉を体現したような美丈夫。
その幻影が曲刀をヘビに向かって指すと、何もない空間から現れた、猛る炎の猟犬がヘビを目指して疾駆する。
ヘビは先ほどと同じ様にひらりと身を躱そうとするも、猟犬の猛追を捌ききれず、あえなくその身を炎に包まれた。
「「す…… すげー!」」
数人の男子が驚嘆の声をあげている。
彼らの視線の先にもはやヘビの姿はない。
圧倒的な火力の前に、超常の炎が消えた後には消し炭しか残っていなかった。
「火川すげー!」
「アキラくんかっこよかった」
「ワンパンなんて、さすが火川!」
クラスメイトが賞賛を口にしながら火川くんに駆け寄っていく。
「ざっとこんなモンだ。
お前らだって、ちゃんと力を使えば、これから余裕だぜ」
小さな戦いの大きな勝利だった。
火川くんの実践は指標となり、クラスメイトに戦い方と力への自信を植え付けた。
クラスメイトは勢い付き、戦いに戸惑うことなく、我先にと挑戦と経験を積んで行った。
「…… 悪魔の名前、か」
土宮さんと火川くんが声に出していた聞き馴染みのない単語。
それは、みんなが与えられた力の冠する名前だそうだ。
あの部屋で与えられ、知らされたその名前を宣言することで、力を行使できるらしい。
皆が消えた絶望と怒りに駆られて、像を蹴り倒した――あの時、僕の中に入って行った謎の光。
もしかしたら、アレで僕にも何か力が宿ったんじゃないかとも思ったけど……
(名前なんて……)
ただの光に、そんなものあるはずもない。
火川くんの出した悪魔の幻影が、曲刀を振って炎の猟犬を出した様に、名前を言わなくても動作で力を出せたら――
「―――― ッ!」
「どうしたの、ユウタくん?」
声にならない叫び声を上げかけた僕に気付き、少し前を歩いていた水波さんが振り返った。
「だ、大丈夫。ちょっとつまずきそうになっただけだから」
右手を隠しながら慌てて誤魔化す僕。
「たぶん、後もう少しで地上だと思うから、頑張ろうね」
僕の様子を特に不審に思うこともなく、水波さんは励ましの言葉をかけ、再び前を向いて歩き出した。
その様子を確認し、僕は隠した右手を前に出す。
人差し指の先に、ビー玉程度の大きさの紫の炎が浮かんでいた。
ただ、なんとなく試してみただけだった。
火川くんの悪魔の幻影の動きを真似て、指を振ったら突然現れた紫の炎。
思わず隠しちゃったけど、コレ、別に隠す必要なかったような……
燦々と輝く紫の炎。
マッチを消すように手首を振ると、炎はフッと消える。
もう一度、炎が出るように念じながら手首を振ると、再び指先に炎が灯った。
(マッチやライター代わり程度の力、言ったところでバカにされるだけだろうし、隠したままでいいか)
そんなことを考えながら、僕は炎を消し、クラスメイトの後に続く。
既に皆、5回目の階段に足かけていた。
つまり……
「やったー、地上だ!」
「助かった!」
「ようやく家に帰れるよ」
歓声を上げるクラスメイトに続いて、僕も階段を上り切り、何時間ぶりかの空を見上げる。
すっきりしない曇天が広がっていたが、それでも重苦しいダンジョンの天井に比べれば何倍も気持ちいい。
大きく伸びをしながら、明日からの夏休みに思いを馳せる。
とりあえず、積みゲーの待ってる家に帰って……
あれ? そういえば俺たちのカバンは?
振り返れば、ぽっかり空いたダンジョンの入り口。
そこは今朝まで校舎があったはずの場所。
もちろん、カバンを置いていた教室の姿形もない。
「嘘マジ!?アタシ、定期ないと帰れないんだけど」
クラスメイトの悲鳴に似た叫び声が響く。
ダンジョンから帰還した俺たちの前に、次は自宅への帰還と言うミッションが立ち塞がった。