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六章 満たされぬ血潮

 

 メリアの魂が新たな命となったことを知ったアデルは、転生体が生まれたレフュラル裏国へラセラユナを向かわせた。が、思わぬ悪魔の襲撃で滅亡、後のララナを預かったラセラユナが聖夫妻に届けることとなった。その数年後ララナとラセラユナが事実上の再会を果たしたのは当時死期を悟っていたラセラユナがララナの様子を観に来たからだったのだろう。

「最初は驚きましたが、お義父様方はじつの両親と親交があったとお話を聞きました。じつの両親がレフュラル裏国の王族であり、聖家は遠い親戚であることも」

「同じ血統だから安心して預けることができたのでしょう」

 と、オトが言った。「実際、こうして立派に育ち、多くのひとを救ってきました。僕もそのうちの一人」

「オト様──」

「メリアさんを治めるための会議を脱線しました。話を纏めましょう」

 ララナを一瞥したオトがアデルを向き直る。「メリアさんの狂気は創造神アースに植えつけられたものであり、アデルさんが生き延びたことに対する執着(しゅうじゃく)によって強化されている可能性がある、と、いうことですね」

 アデルがうなづいた。

 メリアとの約束を果たすならアデルはあとを追って命を絶つべきだったのだろう。その昔のオトと状況が重なるものの、そうはしなかったアデルの後悔と務めはどちらも天秤に掛けられないほど重いものだ。自明の理を感情が受けつけない経験はララナにもある。

「メリアは、世の狂気の典型的人格を与えられたようなものだ。勿論、普段は普通のひとと変らず優しかった。が、ひとたび狂気を解放すると箍が外れて過激な行動を執る」

「っふふ、失礼、笑うのは不謹慎でしょうけれど……」

 オトがララナを一瞥して、「羅欄納さんにもその傾向はありますね」

「左様な行動はしておりません」

「憶えていないのですか」

 憶えているとも。閉まる扉に顔を突き出したり、お腹に刃物を突き立てたり。

「あのようなことはオト様にだけです」

「ふふ」

 と、今度はアデルが笑った。「確かに、似ているかも知れないな」

「お兄様まで」

「いや、狂気ではないにせよな」

 笑みを潜めて、アデルが真剣に話した。「オレが知る限りでも、お前はそういうところがあった。それがお前のよさなのだと甘く観ていたことを否定できない。それが狂気の影響である可能性を感じないでもなかった」

 植えつけられた狂気に転生後まで振り回されているとアデルは考えたくもなかっただろう。悪神討伐戦争末期の暴走を知るまで確証もなかった。

「メリアさんの狂気を治められないとお兄様はいいましたね。確たる理由は」

「輪廻転生機関というものがあるのは知っているな」

「亡くなったひとの魂が新たな生を得るため通過する場所といえばいいでしょうか」

 話が脱線するのでララナは伏せておくが、一度侵入した奇妙な場所だ。

 アデルが話すのは、メリアの魂を追うためスライナから聞いたという知識である。

「輪廻転生機関にはいくつか機能があるという。その一つが、魂の持つ生前の記憶の整理だ」

「魂に残された記憶が転生体に引き継がれないようにするのですね」

「うむ。整理というより消去というべきか。つまり、転生した魂は記憶を失うべきであり人格や感情もそうだ。ところが、」

「メリアさんには、狂気が残っています」

 ララナはメリアの狂気的な言葉を何度も聞いている。メリアが転生していることを考えるとあり得ないはずのことだ。狂気が残っているなら、記憶や経験も残っていると観るべきだ。

「メリアの狂気が残っていないことを幼い頃のお前を観察してオレは断定したが、抑制的に暮らしていたお前の理性によって狂気が抑えられた可能性があると考えるべきだった。悪神討伐戦争に向けた働きかけを懸命にこなしてくれたことに一種の狂気が発せられていたのではないか、とも。メリアが亡くなった事実があり輪廻転生機関を経たことはスライナの調べで判明している。そして、お前は現に狂気に吞まれたことがある。これら事実をもってオレ達の常識が覆されたと捉え、対策せねばならない」

 アデルの示す対策は、「魂滅させるのが最善だろう」

 魂滅とは、〈(はく)〉として地上にとどまることもできないほど魂が破壊されること。直近でララナが知ったのは、終末の咆哮に用いられた生命体に起きた。熱源体の原料となって体と一緒に魂まで失われたのである。

 アデルの示した対策は、魂を何かの原料とする行為ではなく、魂を滅ぼすことそのものだ。アデルなど〈裁者(さいじゃ)〉の力を有する者にはそれができる。

「オレが裁者として創られたのは、メリアの魂を滅ぼすためだったのかも知れない」

 思いつめた様子の兄を、ララナは見つめた。

「創造神アースの悪意に乗ってしまっているのではございませんか。メリアさんの殺害と同じではございませんか」

「戦神をも圧倒する緋色童子の悪神。海中でもなければ力の抑制を受けないメリアは、危険な存在だ。お前がそうという積りは毛頭ないが、事実を正確に認識する必要があるだろう」

 そう話したアデルの前で、オトが突如、本当の姿に戻った。その姿を目にして、

「やはりあなただったか──」

 と、兄が呟いた。

 ……お兄様は、オト様の本当の姿を知っていたのですか。

 ララナは目線でオトを窺う。

「ここまでの話で想像がついたから俺も隠す必要がない」

 ……オト様──。

 本当の姿を知っていたらしいアデルからオトが聞きたいのは、その行動理由である。

「羅欄納が灼熱の大地こと創造神アースの転生体であることは、羅欄納が打ち明けて知ったはず。けど、お前さんはそれ以前に、とっくに知っとった。そう、理由は監視やろ」

 アデルがうなづいたのでララナは驚いた。

「お兄様、そう、なのですか」

「場合によっては魂を滅ぼせるようお前をスライナに監視させていた。メリアの魂の監視もかねていたからな、手間が省けた」

「お高くとまった父親の復活を食い止めるためやろうに、メリア魂滅の結論を出す理由はなんやろね。ララナの魂が創造神アースの魂だけになることのほうが危険やろう」

 オトの問題提起が巧妙な鎌であることをララナは察した。いやに能動的だった創造神アースの人格を引き継いだのはララナのほうだが、二分された魂のうち人格を司る魂を担っているのはオトだ。それを知らないアデルがどう答えるかで真意を炙り出すことができる。

 アデルの回答は──。

 オトがアデルを蹴り飛ばした。ガラランッ。アデルの椅子とテーブルのみならず、愕然と起ち上がったララナの椅子も勢い余って転がった。吹き飛ばされたアデルの右手に回答たる剣が握られていた。

「お、お兄様──」

 ララナは息もできず、棒立ちだった。

 受身を取った鋭い目差から守るように、オトがララナの前に立っていた。

「どういう積りかね」

「現世にとどまる狂気があり、沈めた大地が熱を上げる危険性まであるならば、オレが止めねばならない。話した通り創造期に覚悟したことだ。いまさら迷うことはない」

 踏み込むアデルの剣を右腕で絡め取ってオトが背中に回り、アデルの首に突きつけた。

「さすがはかの者の転生体、と、いったところか。お前のこともオレは調べさせていた」

「悪神討伐戦争終結後からやったか、監視されとることは察しとったよ」

 ララナははっとした。アデルにオトの存在を伝えたのがまさにその頃だった。ライトレス滅亡の際、場にいたみんなを助けてくれたのはオトだと。

 ララナは、アデルを見据える。

「魂にとどまらず、オト様を危険視していたというのですか……。皆さんを助けてくれたひとを、疑ったというのですか!」

「ララナ、お前と同じだ。創造神アースの形質が現れるならオレが滅ぼす積りだった。二人が今のような仲になるとは想定外だったが同じ魂の持主ゆえだろう。その先にどんな未来が待つか。オレは、歴史を繰り返させない」

「俺達が箱庭的世界に要らんちょっかいを出すとでも。監視は観察を伴ってなかったんかね。俺の惰弱さを全く理解しとらんな」

「他者の心の内までは覗けない」

 アデルがオトの腹を打ち、首許に剣を突きつける。同時にララナに左手を向けて魔法弾らしきものを形成してゆく。魔力を感じない。普通の魔法ではない。話にあった星の魔法か。それとも、魂滅に導く裁者の力か。どちらにせよ、ララナを覆う障壁を意に介さないだろう。

「怠惰か否かは関係がない。力を持てば溺れるものだ。かの者でなくとも、かの者の力を有するであろうお前達を生かすことは危険極まりない」

「じゃあアデル、かつてのお前さんがそうしたように、俺は、俺の求める家族のために全力で抗う」

「抗わさせない。これで終りだ」

 ……っ!

 魔法弾らしき球体が放たれた。空間が歪むような圧力を有する高密度の、魔竜を一撃で葬ったような魔法を。

 ……お兄様──。

「羅欄納、避けぇよ、ッ」

「っオト様……!」

 度重なる事実と威力を向けられた衝撃で、ララナは一歩も動けなかった。飛び出したオトが球体に貫かれ、壁に叩きつけられた。球体は宮殿外壁の一部をシーツのように巻き取って突き破り、空の彼方へと飛んでゆいた。

「庇うか。かの者では考えられない行為だがどんな設計が潜むか。制するべきだな」

 アデルが再び魔法弾らしきものを形成、「次こそ終りだ」

 発せられた球体にララナは気づいていたが、次次と脚を凍てつかせる出来事に遭って何もできなかった。

「ほうけとんな」

 何かにぽんっと押されて、ララナは転倒、直進した球体を回避した。

「話は終りやな。行くよ、羅欄納」

 先程の声もそうだが壁際に倒れているオトの声が耳許で聞こえた。そう認識したときには体がふわっと浮いて、ララナは高速でベランダに飛び出した。かと思うと空間転移し──。

 

 

 アデルはララナを追う。と、ベランダへの出入口で竹神音が立ち塞がった。

「手応えがあったはずだが……無傷か」

「無駄に生命力が強いらしくてね。敗残者に追討ちを掛けるのが戦神の遣り方なん」

「灼熱の大地を彷彿とする。何をいっても真実とは捉えられない」

「一つ、いまさらの問をする」

「なんだろうか」

「お前さんの譲れんもんはなん」

「──沈黙の罪」

 一度も身構えることのなかった竹神音が理解した。

「俺もだ。それがたとい大地に焼かれた苦悶であったとしても」

「いつか償う日が来るだろう」

「お前さんの真意が見えたよ」

「そうか。ならば」

 アデルは剣と裁者の力を治め、微笑した。「あとは頼んだ」

「今度、俺の故郷の雪解け水とこの土地の水を飲み比べたいね」

 竹神音の姿が霞のように消えた。

「ほんに摑みどころのない方だ」

 悪神討伐戦争末期、狂気に吞まれたララナを止めた竹神音も同じように飄飄としていた。あのときほどララナが消耗していたことはなく創造神アースの悪意がそのまま竹神音に残っているなら魂の片割れを回収する絶好の機会を逃した恰好だ。よってアデルは竹神音を敵性分子としては観ていなかった。ララナについても同じと言える。竹神音が未知の結界から脱出して絶不調で寝込んでいた頃、魂を取り込み創造神アースとして完全復活することができた。既存の存在すらも本物のように存在させられ、なかった記憶を捏造することさえ容易な創造の力を用いれば、いっそ全快の相手でも魂を奪うことに難はなかったはずなのに、竹神音もララナも互いの魂を奪い合うことをしなかった。二人はお互いを認め合い、創造神アースとしてではなく、現世に生まれた一人のひととして生きてゆくことを選んだのだ。

 そんな二人をアデルは応援したい。

 けれども、創造神アースの脅威やメリアの狂気を取り除く術が、アデルにも、トリュアティアにも、連携神界にも、ないのが現状だ。

 ……適材適所。個人の持つ力を信じ、委ねるのが、オレの遣り方だ。

 監視によって把握した竹神音とララナの個性。アデルはそれを信ずる。

 それに、アデルはほかにやらねばならないことができた。

 私室の扉を開けると、仁王立ちの妻麗璃琉。

「話は終わったみたいね」

「立ち聞きか」

 つかつかと入室した麗璃琉が、扉を閉めたアデルを振り向いて平手打ちした。比喩でもなんでもなく、平手打ちと同時に雷が部屋を駆け巡った。アデルでなければ感電死しただろう。

「すまない。引き摺っているな、オレは」

「そんなだから生き残らされたのよ」

 アデルは首を傾げた。

 雷を治めた麗璃琉が示すのは、アデルが想像しなかったことであった。

「メリアはアデルのそういうぐじぐじするところ見抜いてたんだわ。それで、苦しめた。メリアって頭がいいんでしょ。心中させるつもりなら、確実に二人が死ねる場所に魔力の穴を作って撃たせたと思うわ。アデルは即死してなかった。狙いを外されてたんだわ」

「たまたまだろう。オレはオレの心臓も狙っていたのだ。それに、アクセルの治療が優れていた。トリュアティアを救うことも含めて、優先順位に従ってオレの治療を優先した」

「違う、絶対」

 と、麗璃琉が断言した。「あたしならあなたを殺さない。どんなに憎んでも殺さないもの」

「リリル……」

「植えつけられた狂気だろうがなんだろうが、制御できてたんなら自分の意志を棄てないわ。それとも、メリアって女はそんなに意志軟弱な子どもだったわけ」

「違うが」

「だったらあたしの想像が合ってる、間違いないわ。あなたが好きな相手をしっかり観てないなんてこともあり得ないしね」

「お前というヤツは……」

 いつでも自信満満な麗璃琉に、アデルは救われている。

「あたしはアデルに抱き締められてるときの手の位置とか、どこまで手が届いてたかとか、はっきり憶えてる。本気で好きなら、そのくらい当然でしょ。メリアだってそう。穴を作るならそこんとこも頭に入れてやる。狂気に潜めて心中させようとしてるって本意は見せかけで、自分の狂気を止めさせたかった。ついでにぐじぐじさせてやるつもりでね」

「意地の悪いことだな」

「女が善意だけでできてるなんて妄言を吐くつもり」

「いや」

 アデルは、女性のさまざまな面をメリアや麗璃琉に教わった。

 にんまりと笑った麗璃琉が、すぐに表情を落ちつけて懸念を示した。

「狂気は残るわね」

「うむ。創造神アースの意図するところだろう……」

「何いってんの、違うわよ」

 麗璃琉が捉えていた部分は、アデルと似ているようで違った。「アデルを生かしたはいいけど、結局自分は死ぬしかなかったのよ。そんなの……」

 ……そうか、そうだな。

 悲しすぎる。悔しすぎる。ニブリオ滅亡やメリアの遺体を目の当りにしたとき、遺された者としてアデルが感じたものに近いだろう。

「メリアの死はジーンの仕業だって聞いてたけど真相は違ったのね。どういうこと」

「瀕死のオレの治療に当たったアクセル、メリア討伐の経緯を各神界に説明したカスガ、そのほか複数存在した現場の者やカスガから説明を聞いた皆が、記憶を失っているのだ」

「それってまさか……。あなた自身の記憶を疑ってる部分があるって、昔、いってたわね」

「うむ」

 皆の記憶を創造神アースが塗り替えてしまったとアデルは考えている。とはいっても自分以外の者からメリアの凶行が失われていると把握したのみで、創造神アースの関与を直接的に探知したのではなく不自然な現実を唯一合理的に説明できるのが創造の力だった。アデルの記憶が塗り替えられていないことなど疑問点に答を得ておらず、スライナに頼れないので真相は関係者の真の過去とともに葬られたも同然だ。

 麗璃琉が転げた椅子を見下ろした。

「あの当時からメイなんかが不殺にこだわってたけど、確かに、ジーンを殺すべきじゃなかったのかも知れないわね。創造神のやり口は、ひどすぎる……」

 一二英雄と謳われても惑星アースに生活拠点を置かなかった複雑な心境。アデルは麗璃琉の目差を追って感謝した。

「戦争を肯定するわけではないが、オレは、お前達が参戦したことをよかったと考えている。ジーンは自分では止まれなかったのだからな」

「あたしも後悔はしてない。ただ、メリアの狂気もジーンの憤りも全部足蹴にしたようなクズな創造神のことはぶん殴ってやりたい。それももう叶わないんだろうけど……」

 麗璃琉が片眉を吊ってアデルを見やり、ドアを示した。「メリアのこと、追ったほうがいいんじゃない。まだ好きなんでしょ」

「……」

「……何よ」

 彼女の手を取って、アデルは向き合っていた。

「大人になったがまだまだ幼いな。試すようなことをするな」

「あんなに昔話聞かされたんだから仕方ないじゃない」

 妬いたのだろう。本心と逆行することがある彼女をアデルはよく理解している。

「引き摺ってはいるが、オレは、二人の女性と付き合うことなどできない」

「解ってたわ」

「だったら試すんじゃない」

「仕方ないじゃんっていってんじゃん」

 臍を曲げる麗璃琉。ほかの女性のことなど考える余裕はない。

「バカンスでもどうだ。前にメークランで新しい水着を買ったといっていただろう」

「何よ」

「二人で行かないか」

「忙しいんでしょ。無理しなくていいわよ別に」

「オレが行きたいのだ。ついてきてくれないか」

「あっそ。お姉ちゃんにも負けないスイーツは」

「急いでバスケットに詰めさせよう。現地のものも取り寄せる」

「仕方ないから行ってあげてもいいわ」

「うむ、ありがとう」

「ふふんっ」

 アデルを見上げて、したり顔の麗璃琉であった。

 

 

 モカ村に空間転移し、あとからやってきたオトの手に引かれてララナは歩いた。玄関から入って扉を閉めてすぐ、そっと抱き竦められて、ララナは、ほっとした。

 ……オト様もご無事で──、ああ、我が家に、無事に帰ってこられました。

 彼に抱き竦められていると心から安心できる。あらゆる負の感情が自然と抑え込まれて、融けてゆく感覚だ。好感の満ちた家、囲炉裏の香、村を響く元気な声や紡織の活気、自然と生きるモカ村の全てが心地いい。

「オト様、ありがとうございます。もう、大丈夫です」

「そう」

 少しだけ腕を緩めて、オトがララナの背中を撫でた。「あの殺意は俺に羅欄納を任せるっていうポーズやから勘違いせんように。大事な話があるといった俺達に勧められた椅子もいわゆるバースツール、話の内容に反してすぐに立ち上がれる形状やったやろ。あれが振りやよ」

 手を下すのが遅かったと言われればそうだが。

「生きているべきではないように、感じてしまいました……」

「そうなるのも無理はないけどね」

「私を危険視したのはお兄様に限りません。姿に違いはありますが同一の存在でしょう」

「どう違ったん」

「私が会ったときは翼がありませんでした」

「地竜のことやね」

 ディテールを聞かずとも余さず観ていたオトは察していただろう。その名が出たとき、ララナがわずかに震えていたことを。

 ──あなたはこの世界を危機に陥れる可能性があります。

 当時は目的に突き進んで恐れ知らずだったが、振り返ってみると危うい出会いだった。

「地竜さんの気配は時折。今も警戒しているのだと思います」

「それが本当やとして、じつの両親の想いを裏切るつもりなん」

 生かしてくれた両親の想いを棄てたくないが。

「が、やないよ。両親のことだけじゃない。羅欄納がおらんと、俺も……」

「オト様も。ん……」

「そう、そう、ぎゅっとしなさい、こちょばくないとこをね」

「ありがとうございます」

 亡き両親の想いとともに、オトの支えになれていることがララナの心を強くした。

「お兄様はオト様を昔から監視していた。オト様はそれにお気づきだったとのこと。昔も今もお顔を変えて会う必要はござりましたか」

「昔は必要なかったし、その流れを汲んだ今回の顔チェンも不要。ただし、昔のには理由があったよ。お前さんが俺の外見に惚れとる可能性もあったわけやから」

「心を確かめる口実。『認証完了』とはそのような意味もござったのですね」

「お前さんの好意を見定めた出来事の一つとは断言しとくよ。ついでをいえば、顔を変えて会わんとあの流れでは不自然。意識共有があって下手にアデルのことを意識するわけにいかんかったからね」

「あ……」

 じつはそちらを重視していたのではないか。アデルがオトを監視していた理由は創造神アースにある。オトは神経レベルで関係情報をシャットアウトしていたからアデルの監視を告げることもできなかった。創造神アースに監視を気取られていたら轍をなぞるように悪意が働くかも知れなかったのでオトの対処は完璧だった。

「オト様は、お兄様のことも守ってくださったのですね。未来改変の主の可能性は消えていないのに」

「あのときからそんなこと関係なかったからね」

「それはいったい……」

「どんくさいのが玉に瑕やな」

「──。自分で察したというのは、少し、躊躇われます」

 過去における未来改変行為をオトは一貫して否定してきた。知らないところで自分に都合のいいようにお膳立てしたといえる某を責めるつもりもオトにはあった。が、自分の考え方より先にララナへの感情を優先していたということなのだ。その感情はララナと同じもの。しかも出逢いのきっかけたる過去の未来改変よりその当時の自らの好意を優先して、未来改変を容認するかのような姿勢で、天邪鬼に徹しながら暗に尽くしてくれていた。

「重ね重ね──」

「そう、そう、ぎゅっとしなさい。いつも俺ばっかり甘えとるからね」

 決してそんなことはないと反論したところで彼とは水掛論に終わる。だから、素直な気持を態度で示した。

 体が火照るような羞恥心で彼から離れたララナは、改まって問題点を挙げる。

「原罪たる狂気をどのようにしたら治められるのでしょう」

「女難の相とか」

「どのような意味ですか」

「あいや」

 オトが微苦笑。「俺に対する世界的倫理かなんかの報復なんやないか、とね」

「繰返しになりますが、いったいどのような意味ですか」

 ララナにはいまいち解らない。

 オトが少しずつ説明する。

「アデル曰く多くの『設計』で世界が創造された。メリアの狂気もそれ。アデルを好くこともそれ。曲りなりにも物語を書いとった俺からいえばそれらは『設定』と言い換えられる。ここまではOKかな」

「はい」

「さて、設定ってのは何か」

「物語を構成する人物や物事の基本的な要素でしょうか」

「ん、そんな感じ。ララナが表現した通り設定は飽くまで基本でしかないから、永遠にキャラクタや物事を縛ることはできへんのやよ」

「設定は変化する、と、いうことですか」

「進化、進展、拡充、なんて言い方もできるかもね。基本設定はモノの過去を記した概要ともいえるからなくなることはないが、その上に別の要素『不確定の未来』が少しずつ重なってくんよ」

「メリアさんに置き換えると、狂気やお兄様に対する愛情の延長線上に実際の過去とは異なる方向の未来があり得て、これからもそうであるということですね」

「ん」

 次にオトが口にしたのは一種の具体案である。「ひとは心を囚われると思いもよらん未来を招き寄せることがある」

「精神支配。いかなる理由でもひとの心を弄ぶようなことは──」

「言葉が悪かった。心が囚われた者のみならず周りの者も同じように運命の激変が起こり得るってこと。早い話、俺がメリアに惚れようとゆうことだ」

「オト様がメリアさんに好意を寄せることで、メリアさんの心・狂気に何かしらの変化を与えて未来を変える。そういうことですか」

「ん」

 それはそれでひとによってはおかしく聞こえよう。一夫多妻制のモカ村に移り住むことを受け入れたとあってオトの恋愛観を特別おかしなことと思わないララナだが、意見はする。

「メリアさんに好感が持てるかどうか確かめるためにお兄様から話を聞いたのですか」

「ご明察、と、いいたいが少し違う」

 オトがララナの頰を指先で撫でた。「第二夫人だ」

 オトが示した人物は、このモカ村に移住することに協力してくれたフリアーテノアの元主神テラスのことだ。

「テラスさんは、この話と関係がございますか」

「実験台とか練習ってわけでもなかったが、経験は活きるやろう。と、いうのも、テラスには二つの人格が備わっとる」

 ララナは初耳だ。デリケートな内容だろうに本人不在で進めていいのか。と、ララナが考える前にオトが説明した。

「テラスからは承諾を得とるから遠慮せず聞いていいよ」

「では、……その、二つの人格というのは」

「お前さんも知る通り、フリアーテノアの主神として生まれ、今はモカ村の一村民として暮らしとるのがテラスリプル、愛称テラス、それが一つ目の人格。二つ目の人格は、ざっくり纏めると外的要因で生まれてテラスと認め合って存在する人格、自称・通称・愛称いずれもリセイだ」

 最初に触れた通り、一つ目の人格たるテラスはオトの第二夫人となっている。

「経験が活きるとはつまりテラスさんを娶るに当たって第二の人格であるリセイさんの承諾を得たということですか」

「二人とも俺を求めてくれたということだ」

 オトがいう経験とは、一つの体に宿る二つの人格から認められること。オトが今回目指すのは、テラスにおけるリセイ、ララナにおけるメリアに認められる、と、いうことだ。

「テラスとリセイもいろいろ大変やったけど、二人ともどことなく似たいい子やし、アイデンティティは間違いなく共通のものがあるからね、俺が好けんわけがない。一方のメリアだが、狂気が羅欄納の体を利用して発せられるならそれはもう羅欄納の一部としてメリアがおるようなもんやろ。魂を二分されて記憶のない創造神アースはともかく、羅欄納の一部なら好けんことないと思うんよ」

「そういうことですか。メリアさんの甘言を拒絶するよう仰ったあの日のこともございますがいかが思しでしょう」

「お前さんが俺にやってきたことと同じ。明らかにおかしな方向に行っとるのを止めるのは好くこととは別やろ」

「ええ」

 偽りの太陽の直撃を受け入れていたり自害しようとしていたオトを説得したことに近いだろう。彼の行いを正そうとすることと彼を好いたことは別問題だ。

 ララナはメリアの魂を棄てたくて持っていたのではなく、狂気を暴走させたくて持っていたのでもない。やや強引な理屈に乗ってみようと思えるのはいいことも悪いことも一緒に経験してきたオトとならやってみたい。どうなるか未知数なので考えられることは考えておこう。

「一方的な好意ではメリアさんを蔑ろにしてしまうのではございませんか。すると、狂気は治まるどころか暴走しかねません」

 オトが嫌われてメリアの狂気を触発・増長してしまったらバッドエンド。オトが万全でメリアの狂気を抑え込めようとも、解決とは程遠い状況になってしまう。

「一か八かやよ」

 と、オトが言った。自信家でもなければ楽天家でもない彼の語りには、納得できる点もあった。

「誰しもそうやと思うけど、好かれる相手にはとことん好かれて、嫌われたらとことん嫌われる。言葉、仕種、におい、滲み出る個性との本能的・感覚的マッチング、俗にいう相性やな。それによる対応を露骨にされるのが俺やよ」

 善性と悪性・好意と敵意・信仰と忌避等等、オトには対照的見方が付き纏っている。ララナが彼に好意をいだくのに対して、彼の古い知人の多くは敵意や忌避の念を向けていた。

「まさしく一か八かですね」

「けど、そうしたい理由がある。せんといかん外的要因もある。俺は主に前者に従って動きたいね」

「オト様のことですから、後者ではござりませんか」

「理性が戻ったからね、制約はあるけど受動的体質で自分を縛る積りはないよ」

 ひとの本望を聞いたり受け取ったりする前にメリアには積極的に接してゆくということか。メリアの本望に寄り添うという難題を、彼なら見事にやってくれそうだから、ララナはオトの言葉に乗ることにした。

「私を助けてくださるのですね」

「俺らしいやろ」

 オトが自然とそうしてしまうくらい、ララナが彼に尽くしてきたということ。ややこしい話だが、ララナの意に副った受動性がメリアへの積極性を包含(ほうがん)しているということだ。

「オト様らしいです」

「それに、勝算がないわけじゃない。アデルから話を聞いて、より強く感じた」

「と、仰ると」

「テラスとリセイには共通点があった。羅欄納とメリアにも、共通点を感ずるんよ」

「共通点」

「アデルもいっとったやろう」

 そんな話をした憶えはあるが言明されていなかった、と、ララナは思う。

「今は自覚の有無は関係ないから気にすることはないよ。問題は気持だ。感覚で捉えた共通点が確かなものなら、俺はきっとメリアのことも、ね──」

「──」

 好きになり、愛し、その行為と好意に報いたくなる。オトはそういうひと。創造の力を使わないようにしていてもこれまでメリアを魂滅させざるを得ない受動的機会があった。暴走に瀕したときが最たるもの。自身の命が脅かされているとき、さらに、自身が命を落としてメリアが暴走することもあり得た状況でも、オトはメリアを魂滅させなかった。それはなぜか。

 ……目の前にいないひとも、消えてしまったひとも、愛せる方ですから──。

 推測力と憶測力を発揮してメリアの愛すべき点をオトはずっと前に見出していたのだろう。ララナはそう思い、また、オトの愛すべき点を知っているから彼の案を全面的に受け入れた。

 とはいえ詰めるべきところは詰めるべきだ。心理的には問題点ばかりのような案にも感ずるので対策が必要だ。

「メリアさんに好意が芽生えたとして、私達との仲を嫉妬される危険性がございませんか」

「ニブリオ滅亡の原因の一端から想定できる地雷やな」

 メリアの発した羨みと妬みは破滅的だ。オトのような多妻の男性は受け入れられない可能性が高いと考えるのが自然である。

「その点は俺に考えがあるから任せてくれていい」

「漠然ですね。じつは具体策がござりませんか」

「地竜だの南極遺跡だの気になるワードもちょこちょこあったが、アデルの話は飽くまで一面でしかない。それでも記憶を拾う取っ掛りにはなる」

 アデルから話を聞いたのは、オトが持つ記憶の砂漠から埋もれた記憶の砂を掘り起こしやすくするためだった。

「オト様しか知り得ない出来事から、メリアさんが狂うことがないと断定するに足る情報を得られたのですね」

「情報の正確性は結果に換える。で、最初にいったことに戻る。任せてくれていいとね」

 自信を覗かせるほどの確信をオトが持っているなら心理面はクリアされていると観ていい。話を進めよう。

「結果創出のための具体的行動を見直しましょう。メリアさんが表に出てくるためには私の理性が障壁になってしまいます。負の感情に染まればよろしいですか」

「却下。モカに被害が出そう」

 狂気を発したメリアは牢を突き破って海中戦と空中戦を経てアデルを心中へ導いた。呪いを抑制する海があったのに相当に過激だ。下手に動き回らせたら周りに害を及ぼす。

「ここで魔法の出番やな」

「適切な手がござりますか」

「いつぞやの、本の中に空間。あのときは空間自体がなくて空振りやったが、『ひと』という『空間』を構成する要素の一種たる魂には空間転移できる」

 いつぞやというのがレフュラル裏国でのこととは解ったが、オトの言うことがララナはほとんど理解できなかった。

「空間座標が判らなければ空間転移は使えません。加えて魂の中ですか、恐らく小さなその空間にオト様が入り込むことのリスクはござりませんか。ご示教ください」

「順に疑問を解消しよう。まず、俺を心配する必要はない。メリアの魂に転移できる程度まで俺の霊体を圧縮すればメリアの魂にもララナにも悪影響は出ん。次、空間座標のことやけど、これについてはアデルの話に少し戻ろう。アデルの話を聞いて不思議には思わんかった」

「何をでしょうか」

「神界三〇拠点の最下級から最上級までを順に経由してからじゃないと渡れん場所〈神条界(しんじょうかい)〉に輪廻転生機関がある。それが創造神アースの設計だ。はい、変やろ」

「ふむ──」

 空間座標の把握について十分に説明したつもりか、彼が応答を待つ姿勢だ。娘にもそうであるように、答を催促するばかりでは彼は満足しないし、当然、答を教えてくれない。

 ……少し考えてみましょう。

 神界三〇拠点は下級神界からも上級神界からも一つ以上飛ばして空間転移することができない。そのルールを逸して空間転移ができるのは回遊神界との空間転移のみであり、現存するものの代表例は神界三〇拠点最下級の神界ジュピタである。そこからも判る通り、創造神アースの設計──世界の仕組──は絶対で歪めることができない。空間座標が判っても辺境神界のフリアーテノアから神界三〇拠点とされる名だたる神界のうちでは最下級の神界ジュピタにしか空間転移できない。さらに、神界三〇拠点を全て経由した場合でなければ輪廻転生機関へは空間転移できない。

 ……フリアーテノアから二九拠点である神界マーズ以上には飛べず戻れず、……!

 ララナは自分のおかしさにやっと気づいた。第二九拠点どころか頂点であるトリュアティアへララナは直接飛んでいた。さらには、神界三〇拠点の全てを経由してもいないのに輪廻転生機関へ転移したこともある。回遊神界の性質を持たないフリアーテノアや惑星アースから転移していたので世界の仕組を無視した転移はララナだからできたことと考えるのが筋である。

 ……オト様が()とご示教くださったのは、そのことだったのですね。

 ララナの目線を受けてオトがうなづいた。

「回遊神界からでも輪廻転生機関には直接転移できん。恐らく、創造神アースの魂を持つがゆえフリーパス状態でララナはどこにでも転移できるわけやよ。その理屈が俺にも当て嵌まるとさっき証明した」

「そういえば、私、先程は空間転移をしておりません」

 ララナは気が動転して見過ごしていた。トリュアティアからモカ村にはオトの空間転移で移動した。ララナと同じくオトも常識を覆す空間転移を使ったのだ。共通点は創造神アースの魂を継いでいること。これらが暗示しているのは、空間であるなら魂の中でも転移できること。

「魂とは魔法力を管理する重要器官やな」

「その重要器官は体内にあり、魔力を収納しております。体内にあること、収納できるスペースがあることがすなわち空間である証拠ですね」

「そう。魔法学的な復習になったかね」

「ご指導ありがとうございます」

 ララナがお辞儀したところで居間に移動し、各各の席に落ちついて仕切り直した。

「俺達が使える特殊な空間転移を〈特異転移(とくいてんい)〉と仮称しよう。この特異転移を用いてメリアの魂に入り込んだら、俺の魔法の出番やね」

「少しですが想像がつきました」

「いってみぃ」

「魂は霊的素地。霊体も同質。同質であれば攻撃も可能ですがメリアさんの狂気を煽る選択肢は端からございません。よって、魂の中に霊体で入り込んで行うのは対精霊と同じ要領の対話以外にあり得ません」

「ご明察。やから、対話手段そのものは魔法とはいわんかもね」

 対話に必要なものは双方の誠意と真心。心構えもしていないメリアにそれを求めては対話にならないのは言うまでもない。見えない心を探り当てるため、互いに歩み寄る努力をすることが理想的で、オトはその努力をメリアから引き出さなければならないということでもある。ときに繊細に、ときに大胆に、対話を進める勇気が試される。言うなれば、

「魔法は心です」

「俺だけの持論とも思わん」

「私に染められたところもござりませんか」

「っふふ、さあね」

 お茶を濁したオトだが、少なくとも出逢った当時はこのような笑みを見せなかった。心から愉しそうで、穏やかで、どこか切なさを残している。ララナには、それが何より尊い。

「さて、悪い状況も考えんとね。最悪の想定は二つ。対話失敗と狂気の発露だ」

「メリアさんがこちらに興味を示さないというケースもございましょうか」

「それは最悪の想定への第一歩かもね。そこへ踏み出してまった場合、興味を引くための取っ掛りを探すことになるか」

「その点はお考えがござりましょう」

「第一歩はいい方向へ進むやろう。摑みが九九%うまくいくと思うから」

「幾度と暴走を止めたオト様との思わぬ対面ですからね」

「そこからは減点方式やね。興味を引いて話をするなか可能性の芽を潰すたび減点だ」

 メリアが求めるのは依然としてアデルであることが想定できる。なので、対話でいきなり擦り寄るような真似をしてはかなりの減点だ。男女関係に限らず意見・考え方・性格の不一致もじわじわ響く。メリアが望むであろう未来を否定するたび、ララナの可能性も潰れてゆく。

「今すぐ私が狂気に吞まれることはないと存じます。ゆっくり作戦を立てませんか」

「何いっとるん」

 オトが積極的に消極性を見せた。「解決可能の問題を先送りにするのが一番メンドーやよ」

「すぐにも取りかかられますか」

「ん。作戦ならとっくの昔に立ててある。モカに移り住んだことだってその一つだ」

「初耳ですね」

 あるいは、第二の人格を有するテラスとの接触は経験を積むための一手だった、とか。

「多くの考えを巡らせてくださったのですね」

「酌み取る難儀はあるやろうけど、俺の全てを知った気になっとったんならまだまだやね」

「精進致します」

「ん、その心意気との巡りあいこそ至幸」

「こちらこそ」

 オトがうなづき、ララナに体を向けた。

「肉体保存は俺が反射発動型でやるから、羅欄納はこれからいうイメージと転移に集中していいよ。ってことで、さ、やろう。俺は未だ受動的やからね、期待には可能な限り応えるよ」

 共同作業。ララナは嬉嬉としてオトに体を向けた。

「位置は判るやろう。イメージして。メリアの魂、真球を両手で包み、温めるように」

「はい。……──」

 瞼を閉じ、指示に従って集中する。イメージすることは魔法の初歩だが、これほど心を込めて、全身の神経と血を巡らせるように意識を高めたのがララナは初めてのようにも感じた。

「あったまってく真球の中心。そこへ橋を架けよう」

「──」

「架けられた橋に俺を送って、そのまま見守って」

 声と気配が胸に馴染む。馴染んだ彼を、奥へ、奥へ、見送る。

「──」

「──」

 オトの気配が消えた。と、同時に肉体保存の魔法が発動し、オトの体が柔らかな赤い余光に包まれたことを確認。ララナはメリアの魂に特異転移したであろうオトを見守るイメージを高めた。魂の中を覗く手段は、現状ない。魔力探知では魂を捉えられないのである。ララナの推測であるが、星の魔法と同じように通常の魔力探知で捉えられない魔力を用いて魂は空間を成している。ララナがその魂の位置を摑んでいるのは魂から魔力が発せられた際に間接的にその輪郭を捉えているに過ぎない。

 アデルの話を聞いてララナはより深く理解した。ひとには限界がある、と。悪神総裁となったジーンに対抗するためララナが多くの土地へ出向き仲間を集めたように、最上級格神であるアデルでもときに他神界まで赴いて連携を強め、多くの仲間と協力して広大な土地を開発・守護してきた。

 ララナがいま頼り支えるのは家族。最たる存在がオトである。

 オトは多くのことを先に考えて動いていた。家族の和を守りたいというララナの願いに応えていたに違いなく、そんな彼ならなんとかしてくれる。そんな確信が尽きないからこそ丸投げにはしない。彼が求めていることに、ララナは応える。

 ……オト様、よろしくお願いします。こちらから、しっかりと見守っています──。

 

 

 行けども行けども光はなく。

 ここはまるで、あの頃の闇のようだ。

 生まれよう。

 狂おう。

 果てよう。

 そのようなことを誰が望んだ。

 メリアは、どれも望まなかった。

 生まれたから息をした。

 狂っていたから抑え込んだ。

 道が途絶えたから死に導いた。

 メリアは、何一つ自分から選んでいなかった。ただ一つ、アデルを愛することを除いて。

 アデルは、民に優しく、仲間に優しく、信念を貫くひとだ。性質としてはジーンも同じだろうか。メリアはアデルに惹かれた。彼が善神だったからかも知れない。対立を宿命づけられた存在であるからいざとなれば彼に殺されることを望める気もした。事実、そうなった。

 大切な記憶が残っている。トリュアティアで雨乞いとして始まった年初祝雨祭、アデルと眺めた大輪は肌が震えるほど美しく、狂気さえ打ち震えるようであった。微笑み合うと、自分の望みとして宿命を受け入れることができた。

 メリアが抱えている緋色童子の呪い、狂気。

 転生し、闇の中にあっても、呪いは降りかかっているように感ずる。海底たる闇の中にあって自らを制する檻があり、遥か頭上に闇の殻がある。檻に触れることもできなければ闇の殻を破ることもできないのに、海上の光を求めている。狂気を膨らませて闇の殻を突き破るも負の感情が弱まった途端、重りをつけた拘束具で牽かれるようにして沈下する。檻の外に闇の殻が立ち塞がる。重い重い岩礁が伸しかかったかのように身動きが取れなくなる。海上の光は、途方もなく遠い。

 体を支配したとき、同じ顔に妨害を受けた。体の主導権を握っている人格が消えれば、自由になるだろうが──。

 ……。

 そんなことを考えていたメリアのもとに眩い橋が架かった。

 ……これは──。

 搔き消えるようにして檻が見えなくなって、メリアは一瞬動揺した。橋を進む影を捉えて身構えると無理にでも冷静になった。

「なぜ、ここにあなたがいるのです」

「もう気づかれた。無音歩行はここでは無意味かな」

「──唯一の光の中に存るものに気づかないはずがないではありませんか」

「それもそうやね」

 闇から浮上するたび機敏に邪魔した張本人は存外鈍いのか。

 闇の殻は魂の輪郭。魂の中は闇に満ち、どこからか架かった橋の輪郭をなぞるようにしか光が存在しない。

「元気とかやる気とかの『()』ってのは、性格とか性質とかって意味らしい」

「なんですか、突然」

「狂った気と書いて狂気やな」

「わたしのことを知っているのですね」

 どこで調べたかなど魔力分析すれば、

「(──魔力を感じないなんて……、)魔力潜行ですか」

「いや、単純に、ここにはないんよ」

 どういう理屈だろう。メリアは持ち得る知識で対応できない。時代が流れ、魔法技術が進化しているのだろうか。それにしては、想像の域を超えすぎている。

「あなたは、何者ですか」

「化物。自称やけどね」

「少し合点はいきました」

 自称のディテールは今は不問だ。他者と違う性質を持つと彼が認識していることが問題だ。認識しているということは、その認識に従って自らの性質を研ぎ澄ますこともできるということ。メリアの浮上を食い止めた力も、そうして研ぎ澄まされたものだろう。油断ならない。

「危害を加えるつもりもないし、ここには魔力がないから俺は何もできん」

「星の魔法を知っていますか」

「警戒する必要はないけど気になるなら星の魔力で探知してみぃ。上位魔力やから二〇属性くらい感ぜられんはずもないやろう」

 既にやった。確かに彼には魔力を感じない。

 魔力を持たない彼では橋を架けられずここに来ることもできない。橋の向こう側に仲間が存在する。

「さて、」

「話を進めようとしないでください」

「名乗るくらいはさせてほしいんやけど」

「必要ありません」

「聞かば調べに(わづら)はし」

「……」

(めい)(じゅ)なり、弔旗(ちょうき)なくば滞り、煩はしきこと(よど)の如し」

「そういうことです」

 ひとは、ただの数となる。が、名は、ひとの重みそのもの。最期を聞けば伸しかかる。

 彼が瞼を閉じた一瞬の隙を衝き、

 ……押し通ります。

「ちょい待ち」

 急接近したメリアをひょいと躱した彼は、橋を行こうとするメリアの手を引いて闇へ引き戻した。

「んっ」

 魔力がないのになんという力だ。メリアは全く抵抗できなかった。魂の中だからか。だが、曲りなりにも創造神アースに創られた第三創造期の神、事実上原初の神であるメリアを軽く制せられる者は少ない。

「本当に、何者ですか」

「警戒したいならしてもいいけど無駄に疲れるからやめようね」

 闇に正座した彼が、正面の闇を掌で示してからお辞儀した。

「改めまして、竹神音と申します。これより何卒よろしくお願いします」

 茶頭か何かか、洗練された美しい所作だった。

「何を勝手に、名乗っているのですか」

「……」

「……なんですか」

「……」

 竹神音が微動だにせず見つめていた。

 どうにも居心地が悪い。

「見ないで、ください……」

「どうして」

「どうしてって、それは……」

「ほら。座って話さへん」

「……」

 瞬きの少ない瞳。これほど見つめる瞳は、いつ・誰以来か、否、あるいは──。

「うん。これで落ちついて話せるわね」

「……」

 メリアは、思考することなく、竹神音の正面に正座していた。

 ……わたしは……。

 こうして面した以上、名乗るべきだろう。名乗らせて名乗らない不徳を避けたい。玉座を退いたいま名乗るべき名は、

「メリア・ライトレス・ウオイキャです」

 竹神音がアデルのような仏頂面で、

「ウオイキャは逆さ飛ばし読みのアナグラムか」

「……」

 ウオイキャをアルファベット──uoikya──にして並べ替えると、メリアを表現した言葉が見えてくる。

愛欲(aiyoku)……。ひとの名前を言葉遊びの道具にするなんてひどいですよね。なぜそれをあなたが知っているのでしょう」

「幼子が考えそうなことやな、とね」

「時化をからかっていますか」

「存外ファザコンなん」

「……」

 必要もないのに庇い立てするような態度になっていた。これも設計だろうか。

「狂気の話に戻ろうか。最初からメリアに狂気が植えつけられとったことは知っとる」

「……それも、なぜ知っているのです」

「過去のことをアデルからも聞いた」

「──。も」

「植えつけた張本人やから知っとる」

「ん……」

 竹神音が何者か、メリアは真の意味で理解できた。

「っあなたが時化……」

 その力に納得がゆく。アナグラムも名づけた本人なら知っていて当然だ。

 ……今は、冷静にならなければ。

 なぜ竹神音、否、創造神アースがここにやってきたか。冷静に対応しなければ力で押しやられてお終いだ。

「すまん、語弊があったな」

「なんの誤解が生まれたと」

「お前さんが亡くなってから時間が経った」

「それはなんとなく想像していました」

「時化がやんだことは」

「っ……アデルさんが、遂げたのですか」

「自滅やよ」

「そう、でしたか……」

「力を持つと往往にしてあることやろ。お前さんもそう」

「ええ……」

 湧き上がっていた怒りや憎悪が、荒れた海に揉まれた藻屑のように見えなくなってゆく。目の前の男性と創造神アースは別人と判るし、理解もできる。

「あなたは転生体なのですね。羅欄納さんと魂を分け合ったことが原因ですか、魔力こそ感じませんが時化とは雰囲気が全く違う」

「そうやね、前世と随分変わったかも知れん。とはいえほとんど使ったことはないものの取引して創造の力を借りとる状態やから自滅の可能性がないわけじゃないね。経緯や努力を完全否定してなんでもかんでも思い通りにしてまう阿呆の極みやよ、あれは」

「……。あなたは、自滅はしないと思います」

「なぜそういえるん」

「……、……」

 狂気。それがなんなのか、メリアはじつはよく解っていない。例えば、汗を流して体温調節などをしていることを知っていても、どこのどんな細胞で成る器官がどのような循環によって機能しているか一回一回調べない。心のうちに最初からあった狂気が騒ぐたびに、それがどうしてそうなるか、どうして心にあるか、知ろうともしなかった。あったからある。なくならないから仕方ない。それだけ。

 竹神音は自分の力を理解している。強要でもされない限り使い方を誤ることはないだろう。メリアは狂気の使い方を誤ってきた。竹神音も言った通り狂気は狂った気なのだ。そんなものに正しい使い方があるほうがおかしい。役に立たない、と、檻の中に押し込めるしかない。

「狂気が役に立つ・立たんを考えとるん」

「読心の使い手、いいえ、創造の力ですか」

「そんなことに創造の力なんか使わへんよ」

「どんなことに使うのです。襲撃ですか」

「メークラン襲撃はジーンの仕業じゃないと気づいとったんやね」

「ジーンさんはそういうことをしないひとでした。少なくとも、昔は」

「ふむ。じゃあ、後にジーンが悪神総裁となって多くのひとを苦しめたことはなんとなく察しとるわけやね」

「ジーンさんは時化に吞まれて海底まで沈んでしまったのでしょう」

 竹神音が言う創造の力と精神構造を同じくしているのが創造神アースだ。創り出した生命の重みを感じていない。

「経緯や努力に意味はない。大事なのは、結論や結果。創造神アースが求めるのはそれなんでしょう。ジーンさんは罠に嵌まって破滅の結論を出した。それだけです」

 自分と同じだとメリアは嫌でも解る。アデルとの心中を考え、ともに果てる。それは、創造神アースの描いた既定路線。ジーンの場合は悪神として民を苦しめることがそれに当たる。

 メリアは最後の最後で抗った。アデルが生き存えたことは竹神音の言葉で判然とした。創造神アースに少しは抗えたと思うも、これすら規定路線なのではないかともメリアは思う。

「あなたは時化の記憶を持っていますか」

「何か聞きたいことがあるん」

「現代も、設計通りなのですか」

「個個の選択による分岐、数多ある未来、それらを運命と称する。運命のいくつかを想定して許容範囲のものに運んだ、と、いう意味なら設計通りやな。『アデルが苦しめばいい』」

「!──」

 抗った。メリアはそれが本心の積りだった。その裏で苦しむアデルを望んでもいた。「わたしを失うことで、彼は……苦しんだでしょうか」

「そこも許容範囲」

「そう、ですか……」

 つまり、苦しんだ。それも含めて、創造神アースの設計を外れてなどいなかった。

「論証を聞かへんの」

「メークランの被害から、少し推測がつきます」

 ジーンに化けていたであろう創造神アースとこれの率いた悪神が殺害したメークランの民は人口の約三分の一、正確には七万七九二二人とされている。メリアが注目したのは下三桁。

「滅亡当時ニブリオにいたひとの数が一万一九二二人でした。何か関係があると思います」

「いい読みやよ。滅亡時のニブリオ住民数とメークランの想定人口増加数の和、それがメークラン民の死亡者数だ」

「罰、と、いうことですか。ニブリオのことは百歩譲って納得できますが、想定人口増加数とはなんですか。時化の想定したメークランの人口増加数ですか。なんでその数だけ死ななければならないのですか、創造の力でいくらでも捏造できる数を。理不尽な……!」

「創られたとて生きとるなら無価値でもないやろう。生まれてなかったとしても、命の可能性にもまた価値があると思うけどね」

「それはそうですが、」

「時化と同類やね」

「なぜ」

「ひとの命が単なる数字にしか感ぜられとらん」

「わたしはそんな、ことは……」

「お前さんも解っとる通り、時化は結論や結果を重視して経過なんかほとんど無視なんよ。そこから推測はつかんかね」

「つきません、ついたとしても納得は……」

 家族や友、愛する者との暮し。殺された民も遺された民も等しく悲しみを刻んだ。

「時化を冒涜するためにとっとと結論を暴露したるが、メークランの成長度を判然とさせることを時化は意図したんよ」

「……え」

「手段はどうかと思うが、遺された民の数はお前さんが努力した結果を示すということだ」

「な、そんな……。だとしたら──」

 ニブリオの住民数が上乗せされて殺された襲撃は紛れもない罰だった。罰は報い。報いは行いに対するもの。と、いうことは、ニブリオ滅亡は回避できた可能性があったということであり、それは──。

「じつはお前さんが死んだあと、トリュアティアも襲われたんよ」

「っ被害は」

「アデルは触れてなかったが、加害者側としての時化の記憶によれば四八人」

「アデルさんがライトレスに侵攻した際、殺された悪神の民も、確か……」

 四八人。

「ひとの命を玩具みたいに……」

「いえた立場か」

 ……。

 竹神音に指摘されるまでもなく解っている。ただ、創造神アースの行動はどうしても認められない。

「ひとは本質を変えられんよ。お前さんが狂気に生きてくしかないのと同じだ」

「時化も同じですか」

「あれはもう死んどるけどね」

「わたしも死んでいます」

「そうやね」

「じゃあなぜ本質がどうのこうのなどと話したのですか」

「死んでも変わらんかと思ってね」

 メリアは膝の上の手を握った。

「でしたら、わたしは闇の殻を破って肉体を得ます。わたしは狂気による結果を、被害を、与える存在として生きていかなければならないのでしょう」

「それがお前さんのやりたいことなん」

 そうではない。創造神アース亡き今、メリアが善行に励んでも世に特別な変化を齎せられないだろう。ならば狂気と成り果て、恐ろしい荒波を世に知らしめる役割に徹する。メークランとの関わりがない今、全ての罰をこの身に背負えるだろう。

「最後に一つ、訊いてもいいですか」

「なんかな」

「アデルさんは、今、独りですか」

「新たなパートナがおるよ」

「……、…………」

「邪魔するん」

「邪魔なんてしません」

 アデルが幸せならいい、と、綺麗事は言えない。生きてもらいたかったのは本音だが、心の底では一緒がよかった。ニブリオを滅亡させ、本性を暴露したメリアには、アデルと生きる道はなかった。消極的理由の心中未遂だった。死ぬべきは、自分一人だった。

「けど、一人も嫌やろ」

「けど、とは、なんですか」

「一つの星を滅ぼし、多くのひとの命を奪い、それでも狂気が消えることのない危険な自分。そんな自分を受け止めてくれるのはアデルやと思ったんやないん。本当に諦められるん」

「本当に推測ですか。まるで心を読んでいるように──」

「俺ならそう思った」

 ……このひとは……。

 いったい、なんなのだろう。

 闇の殻の中、すぐ近くには外に出るための眩い橋、創造神アースの転生体という男性、対座して話す自分──。

「出口が見えていて、……」

「ふむ」

「そう、あなたを油断させて突破できさえすればわたしは自由になれる」

「そうやね。力で押せるようならやってみてもいいよ。少なくとも数回は俺に怨みがあるやろうし、選択を尊重しよう」

「……」

 怨みは肉体の主導権を奪い返されたことで発生していると彼は推測している。

 メリアは、力では押せないと解っている。魂の中ゆえに魂の強さが力を示すのだろう。磨いた力も原罪たる狂気すらも役に立たない。

「どうやったら俺を突破できるか教えたろうか」

「え」

「知りたそうな顔しとるやん」

「それは、そうですが……」

 それを教えたくない立場ではないのか。いや、そうでもないのか。創造神アースの転生体でも彼はどうやら彼なりの行動をしている。対座も、かの創造神アースでは考えられない。

「あなたの目的はなんですか」

「それはここに来てこうして話をした時点で察してもらえたと思ったが、存外鈍いん」

 仏頂面はアデルで見慣れている。敵意のない表情ということを解っている。行動こそ意志。竹神音。彼は、アデルに程近い。

「それなら……どうしてわたしを引き止めたのですか。突破しようとしていたわたしの意志を尊重してくれてもよかったのではありませんか」

「いろいろ聞いたがアデル主観でのことやからね。こうやってじかに話をせんと解らんこともあるやろ」

「理屈は解りますが。あなたはわたしを善性に誘導しようとしています」

「バレたー」

「ん……」

 わざとらしい反応。竹神音は、こんな反応もするのか。失笑を堪えてメリアは問う。

「わたしが浮上するたび止めに入ったあなたです。わたしの魂を収める肉体の主たる人格、羅欄納さんが、あなたに取って大切なひとなのでしょう」

「あの子の中にあるもの全てを否定する積りがない。俺は創造神アースとは違う、と、自分からいっても信用ならんやろうからあえていわんが、」

「いっていますね」

「口が滑ったので聞かんかったことにして。ともかくね、知らず知らず積み重ねたもんとか、生まれながらに持っとったもんとか、生まれる前から持っとったもんとか、そういうもん全部引っ括めて生きてくしかないんやからね」

「その一部として存在しているならわたしをも受け入れるということですか」

「早い話そういうこと。羅欄納は俺より計算ができるタイプやからある程度の取捨選択はできるやろう。ただ、お前さんの狂気みたいに背負わされたもんもあって、それを棄てようと思ってもできんことだってあるわけやよ。俺だってそういうもんが何個もあるし、それを受け入れられる相手としかうまくやってけん。と、まあ、そういうことだ」

「傷の舐め合いのようですね」

「哀れか」

 竹神音は違うと考えている。「一人じゃどうしようもないことが起きたら助けを乞うんやない。助けを求められたら救いたくひともおるんやない。継続したそれを否定的・悲観的に観ることはないと思うよ。場合にもよるやろうけど、正しく表現するなら支え合いやよ」

「アデルさんが築いた連携神界(ミリオンタ)のように。創造神アースに抗するため、他神界との互助関係構築を目的に通商条約を結んでいました」

「あれほど幅広く結べるもんならいいけど、そればかりでもないやろ。性格的な意味じゃなくて、素質や生まれた環境なんかで個個には確実に相性がある」

 宿命も含めばそう。メリアはアデルと確実に相性がよかった。肝心なところでボタンの掛け違いが起きるようにも運命づけられていただけで、うまくゆいた可能性はゼロではなかった。互いに不器用なところがあって行き違いになってしまった。

「傷の舐め合いなんて表せられる関係は、悪意や怠慢がない限りは概ね相性のいい相手がごくわずかな場合やろ。悪評なんて無視していいと俺は考える。所詮蚊帳の外の部外者やからね、いいたいようにいわせりゃいい。他者の不幸をつついたり幸福を妬んだりして自分の立場を忘れられるんやろう。お幸せなことやわね、刹那的なそれが一番の哀れと気づかんわけもないのに目を瞑れるんやから、そんな無神経になりたいもんだわ」

「清清しいほど辛辣ですね」

「綺麗事で納得できる状況なん」

「……、いいえ」

 竹神音と対座できた理由が、メリアは少し解ってきた。「あなたも、かなりの狂気を持っているのですね」

「娘が深い傷を負った。生きるために、悪魔の手段に及んだからね」

「あなたの生きる現代には伝わっていないのでしょうが、神の中では当り前のようにあったことです」

 娘・息子に限らなければいくらでも聞く話だ。「あなたが欲望のままに行ったとは思えません。それこそ悪魔の中では欲望塗れの中で解消される問題、魂器過負荷症でしょう」

「ご明察」

「創造神アースの魂をもってしても零れるほどの魔力。外の世界でわたしの狂気を食い止められたわけですね」

 魂器過負荷症を寛解してまで生きたのは、メリアの魂の容れ物となっている肉体の主人格たるララナを竹神音が失いたくないと思っているだけでなく、ララナも竹神音を失いたくないと思っている。竹神音は優れた洞察力と能力、さらには凶悪なまでの魔力を有している。それだけの力を得るには相応の鍛錬や向上心が必要であり、そんな彼を支える者も多く存在するだろう。そして、そんな支えを蔑ろにする彼なら見放されている。彼は、支える者にきちんと心を配り、ときに守っているに違いない。

 その彼が、メリアの前にいる。その真意は、メリアを救うことにあるだろう。狂気として浮上するたびにメリアを止めたのはララナをあらゆる意味で守る意味もあれば、メリアの狂気による被害を食い止め、メリアの罪を増やさないためでもあったのだ。

「どうして。わたしだけのためだなんて思いません、でも、わたしは飽くまで敵性分子。取り除けるなら取り除きたいはずです」

「創造の力は思い込みすら反映する。それが発動しとらんことでもって察してね」

 竹神音には、メリアを排除する意志が全くない。「先にも触れた通り創造の力なんか使うこともないわけし、狂気を除去する理由がない。感情の一部やからね」

「正気ですか」

「滅亡を招いた凶悪さなのに、とか、心中を図ったのに、とか、思っとるん」

「わたしは──」

 この狂気を、除去できるなら除去してしまいたい。危険な思考に導く狂気をたかが感情の一部と割りきれない。

 竹神音は、違う。

「これもまた先に触れたが俺だって狂気やよ。ひとを殺したこともある。悪魔の手段にも及んだ。嫌悪されるようなことをいくらでもいったしやってきた。それでも、俺は死にたくないし、生きたいと思っとる。そんでもって、過去の全てを俺は放棄したくない」

「わたしは、それほど強くないのです」

 抑え込むしかない狂気。

「一度は強くなったんやない。少なくとも、強くなろうとしたんやない」

「……、アデルさんに、受け止めてもらおうとしたことですか」

 竹神音がうなづいた。

「お前さんに取っては生まれたときからあるもんってだけで狂気は誰もが持ち得るもんやよ。つまり、あとから生ずることもある」

「っ」

「そう捉えられへんのは、どうして」

 言われて初めて気づいたことであった。けれどもメリアは思い当たる答があった。

「わたしは、そもそも、ひとに、本音を伝えられなかったから、です。狂気を知られたら嫌われる。判然としているでしょう。それに限らず、嫌われるようなことはいわないようにしようと気をつけて、気をつけすぎて、いつの間にか本音を語れなくなっていたのです」

 保身に趨ってしまった。庇うように狂気を覆い隠してしまった。打ち明けていたら何かが変わったかも知れないのに。

 居住いを正した竹神音が、真剣に話す。

「狂気は狂気やけど、お前さんの場合、狂気の反対が正気とするのは正しくないね」

「対義は正気でしかないでしょう。あなたは、なんだと思うのです」

「正気とは正常な判断力を保った状態。なら、そのもとで起こる遍く感情は正気といえる」

「曲論です」

「詭弁じゃなく」

「同じでしょう」

「違うね。お前さんも、あるいはアデルも見えとらんことが一つある」

 竹神音が示す。「お前さん達を創った創造神アースにまとも精神構造があったと思うん」

「!」

 メリアははっとした。竹神音にまたも気づかされた。

「そう、まともな精神構造があれば、狂気の反対が正気と額面通りに考えられる。創造神アースは俯瞰するための駒を創っとっただけで、言葉を正しく理解して植えつけとるわけもなく、ましてや、個体ごとの対義語設定の正確性を担保できる知性を持っとったわけでもないよ」

「優れた知性があるなら、経過や努力も、大切にしますよね」

「組み込まれた社会にもよると思うが、成果主義は個性を殺しかねん」

 竹神音の意見に、メリアは賛成だ。

 と、思いきや、竹神音が意見を修正する。

「狂気についても、俺は間違っとると思うね」

「例えば……、どう言い表せられると思いますか」

「我慢の限界」

「……、……思い当たる節があります」

 ニブリオの住民数は滅亡時の死亡者数とほぼ同数である。メークランが襲撃されて亡くなったひとの数は竹神音の証言からもニブリオ滅亡時の住民数が組み込まれていた。が、それがそもそもおかしいのである。狂気を植えつけたのは創造神アースであるから、思うままに狂気を揮って殺し回ってもメリアは罰どころか褒美を与えられてしかるべきではないか。

 それらから考えられるのは、メリアの狂気がじつは全く別の何かだったということ。竹神音はそれを我慢の限界と表した。メリアが表するなら、

「わたしは、構ってくれないアデルさんに苛立っていました。わたしは、『我儘』……」

「それを抑えたのはなんで」

「わたし達を創ったそのひとが我儘そのものの存在で、その存在のせいで迷惑を被ったわたし達がいると判っていたからです」

 創造神アースのようになっては駄目だ。そう思うも我慢の限界が訪れてしまった。他者、特にアデルが振り向いてくれないことに苛立って思うままに暴れたのである。

「そうか、ふむ。やけどまあ、我儘というなら、みんなそうやないの」

 竹神音が注目したのは、生きとし生けるモノ全てに通ずることである。

「愛されたいと思うのは自然やん。食欲も睡眠もそう、自然の欲求が満たされんかったら苛立つし、それが続けば疲れもする。そんなことも解らん奴らには馬鹿と叫んだればいい。世界創造の神が許さんでも俺は許すよ」

「馬鹿、と、──。でも、欲を満たす行動は理性的であるべきで、わたしは誤った……」

 竹神音がメリアのよく知るひとに焦点を当てる。

「アデルは植えつけられた記憶や感情や知識に従って広く仲間を守ることにした。それが傍目に我儘に観えんだけでアデル自身は自分のやりたいように、我儘に振る舞っとるんよ。それで経過も結果も良好なら我慢するのは間違いだ。創造神アースの肩を持つわけじゃないけどね、お前さんは我慢したからこそ間違った」

「でも……わたしには確かに狂気もあるのです」

 ニブリオ滅亡の光景は、いま思い出しても興奮する。道や山が破裂したことに慌てふためき逃げ惑うひとびと、そんなひとびとを無慈悲に吞み込む大地の亀裂、立つことも難しい世界でただ一人救いを与えられたメリアのもとにひとびとが助けを求めてやってきた。──誰一人、助けなかった。メリアは多くの死を浴びて、愛欲にも似た感覚を得ていた。

「常軌を逸しています。我儘も、そっちに働いたら狂気でしかないのですよ」

「感覚を疑ったことは」

「……え」

「嫉妬に駆られた、怒りに任せた、星を滅亡させた、それら事実で、自分の行動が狂気ゆえのものと色眼鏡で振り返った可能性は」

 竹神音に与えられた何度目かの気づき。「振り返ってみ。道や山を破裂させたとき心臓が高鳴ったのは、助けを乞うひとびとを見棄てて息が乱れたのは、自分への失望やしたらいかんことをしてまった恐れからじゃなかったか」

 眩い橋のようが照らす彼の輪郭のように、あのときの自分の姿が鮮明になってゆくようにメリアは感じた。

「笑ったのは、本当に狂気か。自らが挑むべき山や進むべき道を破壊してまったことに目を瞑るために、自分の心を偽るために、取戻しができんことをする前の自分を諦めて零した感情を、笑ってごまかしたんやないか。長ったらしかったね、要するに、自己暗示やよ」

「──」

「思い込んで、自分の真影を隠して、本当の自分を騙して、現実と理想の相違を吞み込んだんやないか、ってことやよ」

 眩い橋のようにはっきりと、かつての自分の心が蘇ってくる。メリアはそれを、──。

「違いますよ、あなたはひとがよすぎるのではないですか。そうですよね、だって、実害があるのですよ、確証のない数が、それだけの名の重みが、失われたのですよ、ほかでもないわたしの手で、行為で、くだらない嫉妬で!」

 叫ぶように言葉を連ねるたび、メリアは、感じていた。眩い橋が光を失ってゆくように、過去の心の輪郭がぼやけてゆくのを。そして、

「じゃあ狂気として生きるほかないってことやな」

 その言葉を聞いた瞬間、かたっ、と、何かが外れる音が聞こえた気がした。

 竹神音が自分の胸に手を当てて言った。

「俺を殺してここを出ればいいよ」

「……それほどの力はありません」

「無抵抗の俺ならやれるやろうに試しもせんと。あの橋を渡れば晴れて自由になるのに」

 一層に、橋が光を失って、彼の輪郭がぼやけるとともに、表情の翳りが判然としてゆくようだった。

「ここで終わらせれば俺に邪魔されることもなくなるわけやし、全くもって万万歳やろ」

 竹神音のそれは失望で、挑発だ。「失敗は既に示した。我儘におなりなさい」

 メークランに飛ばす前、創造神アースもメリアに同じことを言っていた。自分の思うままにメークランを治めよ、と。時化に吞まれると考えた。ゆえに、メリアは最初から、創造神アースの意に反していた。

 聞こえた何かの音は、諦めの音だ。梯子を外した音だ。遅蒔きに判ってしまった。その音はまるで輝かしい橋を落としたかのような轟音となって響いた。それは、翳った道や山の破裂した音のようだった。取返しがつかない。全身に痛みを覚えて、覆い隠された心が、軋んだ。

 ……──。

 メリアは立ち上がり、橋を振り向く。

「……」

 やめてくれと懇願するひとびとを散散いたぶった。それこそが真影と受け入れた。だというのに、竹神音に手を出せない。振り向けもせず、視ることも難しい。それはなぜか。

 ……──、そうです、きっと、そうなのです。

 考えて、メリアは、やっと解った。

 梯子を外して、轟音を立てたのはメリアだ。彼ではない。それどころか、本当は、橋はまだ輝いていて、彼の輪郭ははっきりとしていて、濃い影に隠れた表情は未だ柔らかい。創造神アースの転生体であり創造神アースのように俯瞰する眼を竹神音は持っている。けれども明らかに違うことが一つある。それは、アデルとも明らかに違う点であり、メリアが、絶対的に求めているものだった。

 ……このひとは、ずっとわたしを観ています。

 それが仮にララナへの想いを介したものであっても、新しいパートナがいるアデルに会いに行き亡き妻の絡む過去をわざわざ聞き出したのだ。そうして竹神音は何を観察していたか。メリアの行動であり、その痕跡であり、おもいではないか。創造神アースによってメリアへの愛情を植えつけられていたはずのアデルでも受け止めることを躊躇った狂気になんの躊躇いもなく踏み込み、こうして話をしに来た。

「あなたは、わたしをどうしたいのですか……」

「手を差し伸べん理由があるん。目の前で海に沈んどるひとがおるのに」

 ……!……、……このひとだけは──。

 竹神音の目はメリアを捉えて離れていない。

 メリアは感じた。何をしても手に入れたかったもの・手に入らなかったものがここにある、と。

「あ、そう、そう」

 思い出したように竹神音が言う。「やられる前に一つ、贈り物をしとこうかね」

「……っ」

 竹神音の両手が紡ぐのは、光る糸のようなもの。高位ゆえか魔力を感じない。光の糸は次次編まれて、やがて一枚の羽織となってメリアの肩に掛けられた。

「受け取って。お前さんも感じた通りに世界は寒くもある。阿呆な男と与太話をした思い出に触れれば多少の波も凌げるやろう」

「……」

 薄ぼんやりと輝く羽織は、闇の中、橋よりも温かく光っているように感ぜられた。これを持って橋を渡るのか。彼を殺めて。

「あなたは──」

「これが最後の言葉だ」

「あなたはわたしを──」

「思うままにいきなさい。以上で、こちらからのお話は終──」

 振り返りざまに羽織を投げつけて飛びかかったメリアは押し潰すように彼の首を絞めた。

「ここまでしてなんで諦めるのです……!最後まで、ちゃんと聞いて……っ!」

 倒れた拍子に羽織がずれた。遮っていた彼の目差が刺さった。指を、緩めてしまった。

 その間に竹神音が、

「ありがとう」

 なんの感謝か。メリアは目を逸らしていた。

「俺はね、自分でいうのもなんやけど、好かれたら嫌われるのが難しい体質なんよ。相手の気持がどうであれ、執着させてまう」

「わたしは、あなたの策に嵌まったのですか」

「そうかもね。嫌なら今すぐ首を絞め直して。俺は抵抗せん。ただし、俺を逃すならその限りじゃないとは憶えといてね」

「……卑怯な方ですね、あなたは」

 時化よりもひどいそれは、メリアの起こしたものをも吞み込む天変地異のよう。

 メリアは言葉を向けつつも、ずれ落ちていた羽織を自分の顔に押し当てていた。

「柔らかい生地……、温かいのに、通気性がよさそうで、軽くて、まるで、ミントさんが作ったあの生地みたいです」

「それは俺達が住んどるモカ村の伝統工芸品を参考にしたもんやけどね」

「(……それにしても、)この香りは。とても優しい香り、でも、興奮して、不思議……」

「本来は染料になる木の実の香りやったりするんやけど、それは俺の魔力で作られとるから」

「魔力がないのではなかったのですか」

「魔法は心。魔力はそれを表すもんやから、お前さんとの会話で生まれたのかもね」

「……」

 狂気を煽るような、それでいて安心する不思議な香り。メリアはこの香りを知っている。メリアを励ますように闇の殻から時折降り注いでいた香りだ。 その正体は、彼か。

 メリアは用心する。羽織を竹神音の顔に押し当てて目差を塞ぐと彼の首許に顔をうづめて。

「(やはり、同じ、)甘い香り……」

「お前さんもそう感ずるんやね」

「さぞ多くの女性を籠絡したのでしょう。顔に似合わず遊び人なのです」

「もう妬いとるん」

「そんなでは……」

 目差が隠れていれば平気。高揚していない。いや、いつでも平気であるし高揚もしない。ましてや惹かれてなんて、と、メリアは思ったが、彼の胸に跨っている自分をひどく破廉恥に感ずる。一方で、この密着をずっと──、とも。海底熱水のような感情を感ずる。それに増して感ずるのは、アデルに身を添わせているときさえ沸き立っていた、別のひとを求めるマグマ。

「わたし、肉体を持ちたいです」

「なんで」

「これは霊体です。(──、)感覚を得づらいではありませんか」

「そうかね」

「ふぇっ」

 一瞬で上下逆転。押し倒したメリアの首を、竹神音が羽織で軽く締め上げていた。

「っぁ……」

 痛くはない。少しだけ苦しくて、ときどき息を吸える感覚が気持いい。竹神音の絞める力が絶妙で、何をしなくても心地いい。軽く運動したかのように全身が高揚してゆく。海水牢でも息苦しさは嫌というほど味わったが、この息苦しさは、物の数秒で癖になった。

「快感ならいくらでもあげられるけど不満あるん」

「(ばれて──)……ぅっ」

 創造神アースに俯瞰されるのは嫌いだった。見くだされている感じがして。

 ……だめです、これは。でも……。

 竹神音に見下ろされるのは心地いい。求めているものを全て与えてくれる。そんなあり得ない妄想も叶えてくれそうな目差が突き刺さって、心地いい。

「曰く遊び人で申し訳ないが、俺があげられるもんならなんでもあげる」

「な、んでも……」

「ん。お前さんが嫌でなければ何回でも来て、何個でもあげる。もう、独りで戦わないで(戦わんで)。お前さんの世界には、俺のほかにもおるんやから」

「──」

「安心してお待ちなさいね、メリア」

「……はい」

 竹神音に両頰を包まれると、それは、それは、暖かくて、高鳴る息と胸に真影を重ねて素直になれた。

 

 先程逢ったばかりの青年に完全にしてやられてしまった。創造の力で感情を操作されてしまったのだろうか。何もかも彼の思うままだろう。メリアは闇に正座して、光の橋を渡る彼に手を振った。

 橋は消え、闇の殻はまこと闇の殻に戻って、外の世界の気配は完全に遮断された。

 ……いいのです。彼は、また会いに来てくれるのですから。

 時の感覚もない。闇の中を漂いようやく得た光の羽織。宿る香りを胸いっぱいに吸うと、見つめてくれるひと・心を傾けてくれるひとがずっといたことを確かめられた。

 ……また、会いましょう、音さん。

 

 

 肉体にオトが戻り、「ふうっ」と、息をついた。

「おかえりなさいませ」

「ただいま」

 いつもの調子で迎えたつもりのララナだが声が弾んでいた。胸が軽くなっているのだ。対話の結果をおのずと察せられた。

「うまく話し合えたのですね」

「彼女曰く籠絡したともいえるかもね」

 微笑が重なる。

「オト様は、メリアさんのこと、いかが思われますか」

 第二夫人テラスとの関係のようにオトとメリアの関係をララナは認めたい。ただし、オトがララナのために好感を装ってメリアと接したのなら、いずれ二人とも不幸になるだろう。そうならないようにララナはオトの気持を確認しておきたかった。

 聞くまでもなかった。

「俺はあの子を好きやよ。相性もよさそうやし、安心して」

「相性ですか」

「いうまでもないやろ。お前さんが気を失うアレ・コレやよ」

「ふぇ……」

 霊体でもそういった行為はできるということか。ララナは存じない。

 羞恥に俯いたララナを余所に、メリアとの接触を経て思ったことをオトが口にした。

「ある意味、納得いったことがある」

「なんでしょう」

「創造神アースの魂の半分とともに転生したメリアの人格こそが、お前さんの性格の基底にあるんやろうなぁ、とね」

「なんと……」

 思いもしない指摘にララナは言葉が出なかった。

「メリアは我慢強く創られとる。それでいて狂気を植えつけられとるから欲求も相当に強い。ララナの肉体はそういうふうに創られたわけやないから押し寄せる高揚に耐えられずよく気を失っとる。過敏な体質もあると思うがメリアの魂の影響やろう」

 ララナの感覚を付け加えるなら、気を失って目が覚めたあと、調子がよかった。オトが言うには、肉体を通じてメリアの欲求が少しずつ満たされていた。調子良好と感じたのはメリアの人格が浮上する可能性が低くなっていたことが影響している。それらの影響はララナに負の感情が満ちたときに比べれば大きくないが、手持の魂を管理する魂鼎(みこと)としての能力が働いて魂の状態を敏感に感じ取れていたということである。

「左様な仕組でオト様との時を失っていたとは。難儀な体です」

「メリアと羅欄納の体質的な繫がりを推察できたから悪いことでもないよ。狂気は狂気じゃなかったともね」

 メリアが狂気と称せられた何かを植えつけられていたことをオトは気づいていた、と。

「創造神アースの記憶を探ったのですか」

「そんなところやね」

 と、応えて、突如、オトが星の海を広げた。見渡せる宇宙と無重力的な浮遊感も何度目か。外では口外禁止とした創造物の破壊に関わる話をするつもりなのだろう。

「記憶の砂漠でいくらでも探りようはあるけど、他人の過去を探ることと同様にプライバシの問題もあるから、ほとんどは羅欄納を介して推察した」

「正当な手段ですね」

 ララナが内心も丁寧語であることに言及し、生まれが上流階級ゆえであろうとオトは以前推測した。推測に続きがあったらしい。

「羅欄納が生まれ持った創造神アースの魂に記憶や人格はなかった。未練たらたらのメリアの魂を引き寄せて転生した創造神アースの魂は、メリアの魂を保護し、半ば取り込んで羅欄納の主たる魂器として機能した。そうして羅欄納はメリアの基底的な性質を強く継承した。内心の丁寧語もそれと似たようなもんと考えれば納得がいく。アデルの話にも幾度と登場した」

「設計、ですね。私が生まれたのも創造神アースの設計ということでしょうか」

「メリアの転生体としての設計が機能したんやろう。死亡が既定路線やったメリアについては転生体としての人生も設計されとった。その中に、抑制的前世を残した設計があったと考えるのが妥当だ。口語での、特に、俺に対する様づけなんかもね」

「あ──」

 ララナの内心の丁寧語、さらに、オトを様づけすることを始めとした他者を呼捨てにできない性格まで全て、創造神アースがメリアの転生体に施した設計である、と。

「それが真実なら、創造神アースの創造の力は自身の魂にすら影響を与える強力なものだったということですね」

「創造神アースの魂といえども半分やし、ざっくりといえば力も半減しとるやろう。そこに、生前の・万全の魂で創った設計が飛び込んでくれば押し負けるのは当然。創造の力は、それほど強いってことやな」

 アデルを始め多くのひとびとに不条理や理不尽を強いた創造神アース。己の魂の両断という不測の事態と派生したあらゆる事態で報いを受けたとも言えるだろう。

 その事実でもってオトが懸念していることを、ララナは察した。

「私達は、本当に創造神アースの創造物を破壊できるのでしょうか。再生の暁の破壊について終末の咆哮のあとにすべきとオト様は仰りましたが、創造神アースが万全の魂で放った創造物の耐久性を上回る破壊力を魂の片割れである私達は持ち得ない、と、私の人格の件から類推できます」

 創造神アースの魂の片割れたるララナは、万全の創造の力で設計されたメリアの人格に影響されてしまった。これは、生前の創造神アースが創造したあらゆるものと創造神アースの魂を半分しか持っていないララナ・オトの力の差を歴然と物語る事象だったのである。仮にララナとオトが力を合わせたとしても持っている力はそれぞれ別物で、創造神アースの片割れの魂を纏めて一つの魂として機能させられるわけではないので、万全の創造物に太刀打ちできない。

「予想外はいくらでもあると思うが」

 と、オトが可能性を示す。「俺は以前から魂器過負荷症を寛解し得る手段があり、その手段を講ぜられる人物がおるとも伝えてきた。前向きに捉えるならそんな人物が二人おって、手段も二つある」

「二つの手段と、その手段を持つ二人──。そちらは創造物破壊に関わる話ですか」

「判らへんかった。魂器過負荷症も魂の設計や世界構造の設計から来る症状なんやよ」

「なるほど──」

 トリュアティアを開拓するに当たってアデルが仲間の知恵や力を集めたのと同じだ。設計由来の魂器過負荷症を超える力がこの世界には存在する。それを、創造の力の一部を覆す力と捉えるなら、創造物破壊が不可能と悲観するのは早い。

「魂器過負荷症の寛解手段は悪魔の手段も含めると現状三つあるわけやよ。それらは設計も含まれとるけど、思わぬ相性が見つかれば想定外の手段も考えられる」

「魂器過負荷症寛解を成せるひとが、創造物破壊も担うことができるのですね」

「まだ可能性の段階やけどね、前向きに捉えようと思う。そう、魂器過負荷症を乗り越えることが創造物破壊への第一歩、とね」

 魂器過負荷症の寛解手段は、謐納が持っている。

「そうですか、謐納ちゃんが──」

「壊死治癒刀、魔力の融合による寛解やな。それ以外にも、少なくとも最初に示した一つ目の手段を持つ人物については想定外の存在と考えとるから」

「謐納ちゃん以外の人物の根拠はなんなのでしょう」

「俺が考え得る手段のうち、最も()()()()()からやよ」

 根拠としては曖昧なようだがその手段が魔法であるならどうだろう。それも、知得性の二〇個の属性魔力を用いない、星の魔法のような強力な魔法だとしたら。

 ララナははっとした。思えばつい最近、星の魔法以外に魔力を感じない魔法的現象を見たことがある。

「音羅ちゃんが魔力の感じない炎を操っていました。あれは、もしや二〇属性外の魔力を使って──。音羅ちゃんの魔法といえば、シ魔法、でしたか」

「古い話をよう憶えとったね」

 そう、オトが一度だけ言っていた。

「いいえしかし当時の音羅ちゃんは魔力を操っていることが判りましたから、先の音羅ちゃんの炎とは全くの別物……。シ魔法とはなんなのですか。謐納ちゃんの壊死治癒刀もそれと考えられますが、まさか音羅ちゃんも創造物破壊を担えるのですか」

「音羅、それから誤解があったなら訂正するが謐納にも創造物破壊は無理やね。前は急ぎで省いたんやけど、祀魔法(しまほう)については説明しよう」

 祀る魔法と書いて祀魔法。用いる魔力は一般に浸透している二〇属性も含むが、それぞれの呼び名は違うそう。祀ると言いつつも祀られる側の神すらも祀魔法の影響を受け、ときに害を被る。創造神アースが〈原始(げんし)魔力(まりょく)〉と〈原始(げんし)魔法(まほう)〉と総称したものの一つである。祀魔法を成すものも含め、二〇属性は創造神アースが世界を俯瞰するために集めた原始魔力のことであり名前を変えて認識しやすくなっているだけで、決してそれが世界の全てを構築しているわけではない。

 その上での説明だが、音羅が扱っているのは〈熱源(ねつげん)〉の魔力で、熱源を自在に操るもの。音羅は感覚的に操っているので炎や氷の魔法のように捉えているが、魔法の原動力となっているのは音羅の心である。その関係で近辺に存在する炎属性魔力まで操ることがあるため、ララナが最初に観た魔法のように魔力を感ずることもある。一方、純度の高い心で操るほど、認識できる魔力が入り込む余地がなくなる。

「いうなれば、祀っとるのは己の信ずる『おもい』ということになる。心に呼応して強大な力を発揮するわけね」

「得心がいきました」

 ララナを本気で憎み、本気で想っていたから、あのとき音羅が発した炎は強大ながら魔力を発しなかったのである。

 二〇属性も祀魔法と成り得るのだから、創造神アースが認識しやすくしていなければあらゆる魔法が超常現象のように認識される世界もあり得たということだ。

「一〇〇〇年ほど前に刷られた『こころのまほう』。著者は、一〇〇〇年も昔に魔法の本質を捉えていたということですね。感銘を受けるわけです」

「話を戻すが、そういう性質上、他物を壊すことに重きを置いてない音羅や謐納は創造物破壊に向いてない」

「心が伴わなければ祀魔法を具現化できないからですね」

「やはりというのか可能性がゼロとまではいわんけど、そういうこと。一方、創造神アースの創造の力は原始魔法であって祀魔法ではないな」

「細分化するなら唯一絶対の『創造の力』というところでしょうか」

「そんな感じ」

 総称としてはいずれも原始魔法。音羅が司る魔力が熱源なら、創造神アースが司ったのは創造ということになるか。

「謂わば概念ですね。概念を司る存在としては精霊や妖精が挙げられます。このような認識でよろしいですか」

「音羅は熱源を、創造神アースは創造を、って、感じで今はOK。精霊は霊的生命体として、妖精は物的生命体として概念を具現化する存在やね。二〇属性魔力に染まったりして衰退した存在も多いけど、偏った概念を司っとるから研ぎ澄まされて、上位のもんになると二〇属性では対抗できへんほど強い」

「なるほど……」

 ララナは一つ考え至った。「認識しやすいよう集めた二〇属性を基に世界が構築されたのであれば、二〇属性魔力以外を持って生まれ、それを操れるひとは育たないでしょう。しかし、世界を物的・霊的に具現化するがゆえに原始魔力を持ち得、操ることも可能の領域に達している存在がいる。魂器過負荷症寛解や創造物破壊、いうなれば、設計を打ち崩すことができるのは、上位の妖精や精霊、並びにそれらを創造した創造神アースの転生体であるオト様と私、ひいては子達なのですね。原始魔法の概念、祀魔法や創造の力、名称や種族こそ違えど用いるのが不知得性の原始魔力であるなら同義の力と考えられます……!」

 オトが深深とうなづいた。

「ふぅ、ここまで長かったな」

「おや、試験だったのですね」

「小テストみたいなもんやけどね。どの道、創造物自体の捜索に人手が要る。仲間を募る必要が依然としてあるわけやから、妖精や精霊に限らず人材探しをする必要があるわけやよ」

「ユアラナスさんに捜索の手を増やすよう要請します」

 創造神アースがオトの体内で大人しくしていても創造物はどこかで悪影響を及ぼしているだろう。創造物破壊に不可欠な人材を、丹念に探す必要がある。

「さて、ここまで話せば解る通り、祀魔法は俺達もとっくに使っとるね」

「特異転移がそれなのでしょうか」

「あえて二〇属性を省いた祀魔法を示すなら魂鼎の力とかもやね」

「オト様の無音歩行もでしょうか」

「おぉ……」

「当たりましたか」

「まあ、ここまで聞けば気づくか」

 ララナが特別鋭いわけではない。

「オト様のものが祀魔法なら謐納ちゃんのも。納月ちゃん達にも何か……。納雪ちゃんはよく精霊が見えるようですが、ひょっとすると」

「音羅や謐納以外はまだまだやよ。音羅達にもまだ伸び代があるし、気長に観とこう」

 家族全体をよく観察しているオトの意見は間違いないだろう。

 星の海が窄んで、木炭の香りが心地よい居間に戻った。

「メリアさんの問題は解決されたと考えてよろしいですか」

「概ね。俺が嫌われんようにしんとまた暴走する可能性はなくないわけやし、逆の可能性も出てきとるわけやから楽観視もよくないね」

 逆の可能性とは、オトに好感を持ったためにメリアがララナの肉体の主導権を得て現世で動きたくなるであろうこと。

 それについてララナは意見がある。

「肉体の主導権は適宜譲り合えばよいのではございませんか」

「ひとがいい、か」

「なんでしょう」

「あいや、ララナとメリアはやっぱ似とると思っただけやよ。さっきの意見、メリアの主導権への欲求が増幅しかねんけどいいん」

「オト様の裁量にお任せします」

「丸投げ」

「私とメリアさん、一体(いったい)二心(にしん)の存在と添う覚悟をされたのでしたら責任の範囲です」

「恋愛ごとに責任云云をいわれたくないが」

 オトが微笑した。「お前さんの努力に報いたいわ」

「そちらには異議を申し立てます」

「なん」

「努力しているのはメリアさんもです」

「同意を示すよ」

 魂器に押し込められているメリアは常に海底にいるようなもの。そうして独り海底で狂気を持て余している。負の感情や悪しき行動に趨ってしまうなら感情を発露する場が必要だ。その場所は、メリアが求めたオトであるべきだろう。

「オト様もまんざらではござりませんよね」

「まあね。男性と違って女性は素直でいい」

「麗璃琉ちゃんや瑠琉乃ちゃんは少し違うように感じます」

「無論、偏った主観やよ。でも俺は男より絶対女性のほうが好きやから」

「っふふ、そうですね」

 恋多きひと。それがオトである。何度もその過去に触れた上で彼を選んだララナであるから彼らしくて幸いである。

「オト様も我慢なさらないようにお願いします」

「よく解っとるね、そう、我慢はいかんよ、何事も」

 メリアの存在がそれを如実に顕している。爆発的な動きを促す設計はさして変わることがない。張りつめた糸は切れ、緩んだ糸はもつれる。星をも滅亡に追いやる狂気とならぬよう、感情を持て余すことがないよう、適度に自制して、適度に気を抜かなくては。

 

 

 

──六章 終──

 

 

 

 

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