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四章 メリア・メークラン

 

 メークランの神界宮殿に再び訪れたアデルは初会談となった三六四夜前と同じようにミントと向かい合った。魚介類と野菜をふんだんに使って工夫を凝らしたフルコースを最後まで愉しんだことが前回との違い。着飾って饒舌だったミントも違いの一つだ。

 本日アデルが訪ねたのはほかでもない、通商条約締結の調印を行うためである。極限の水不足に悩まされ、スライナが推定するに約一三六億立法キロメートル以上の海水を必要とするトリュアティアに対して、陸地が少なく効率のいい農畜産業を営めないメークランは海水を減らしたく、海水を減らしたあとは勿論、今もエレベータや列車などの輸送・運搬手段がほしい。通商条約の要件を搔い摘まむと、トリュアティアは機械類を、メークランは海水を含む水産資源を取引きすることで折合がついた。

「──、父と母も今日の条約締結には悦んでくれたんです。アデル様のお蔭です、ありがとうございます」

「よかったな。父神(ふしん)ハエトノタと母神(ぼしん)ダハイシワもお前に神界を任せることに一片の悔いもなく、投獄されたメリアも民が幸福であれば本望と応ずるだろう」

「……はい」

 ミントは考えてから言葉を発することが多い。手広い調査を根拠に捉えた理由をアデルはまだ言及しない。

 相変らず空気の動きが少ない食堂。アデルがスプーンを置いたところで、口許を拭ったミントが深刻な面持で告げた。

「通商条約締結の前に、一つ、お願いしたいことがあります」

「なんだ」

「ワタシと、……結婚していただけませんか」

「安定した神界運営の楔となる選択だな」

「では──!」

 告白前よりぱっと明るくなったミントに、アデルは首を横に振った。

 時の止まった海のようなミント。

 アデルにはアデルの思いがある。

「星は皆、細胞のように密接・一連に営むべき、と、ペンを走らせた者がいた」

「……と、仰いますと」

「我が身より出し(いで  )(がく)であるならまだしも、と、オレも思う」

「……」

 理解できまい。現実的な問題へ目を向けさせよう。

「通商条約締結のあとならいざ知らず、夫婦の契りを盾に通商条約を土壇場でメークラン有利とする、侮れぬ賢しさだな」

「いいえ、そんなことは決して。ワタシは、ずっとアデル様をお慕いしていました」

 だからだったのだろう。

 調査で観えた真実がある。

「お前は操られている」

「え。ワタシが、いったい、誰に。精神魔法ですか」

「気にするな。名を得ようとも群衆扱い。知る由もない領域なのだ」

 創造神アースが主役たるこの世界では、ほかの者はいかな力を持とうと認識や能力を知らず知らず制限され脇役・群衆から這い上がれず抗えない立場を強制される。アデルはそれに気づいているから甘受できないが、強制に気づいていない者は抗う以前の問題だ。

「オレは、お前とは結婚せぬ。第一、なぜお前はオレを好いている」

「それは、姉から聞かされたあなたが、大変素晴らしいひとだと知って、実際にお会いして、確信したんです。ワタシの伴侶となるべきお方だと」

「ふむ。一〇歩譲ってその思考を認めるとして、オレはお前を好いていない」

 食事が済み、調印を控えている。切り出すタイミングだ。

「期待をさせては酷だ。はっきりいっておこう。オレはお前を嫌悪している」

「っ」

「事情はあったが姉を海水牢に閉じ込めて五・五回の公転を経ている。功績を掠め取った事実に罪の意識もなく、オレに告げもせず、オレへの好意と結婚を述べるも会食に仲間を招かぬ。配下を大事にせぬ、また、配下に慕われぬ主神を、オレは認めぬ。改めて述べ、付け加えるとしよう。お前は主神の器ではなく、そうであろうとも完成はせぬ」

「わ、ワタシも民のために──」

「黙れ、真の主神に敵うと思うか簒奪者よ。姉を海水牢に入れる際、お前は何を思っていた」

 アデルはミントを眼光で圧倒した。「否定はさせぬ。悦んでいたのだ」

 息を吞んだミントの心理をアデルは暴く。

「聞くに堪えぬ話を民から全て聞き及んでいる。神界宮殿にて創造神アースの手記が見つかりそれによって緋色童子の呪いが配下に伝わるよう仕向けたお前は配下を都市に派遣し呪いを真実として拡散し、民を煽動した。民は馬鹿ではない。後に踊らされたことに気づいた者が多数いた。彼らは真実が噓であることを拡散せんとしたが神界宮殿の兵にことごとく取り押さえられた。言論の弾圧だな。また当然、兵も馬鹿ではない。お前が配下に信頼されぬのは、兵がお前の弾圧令を心から受け入れていなかった。そしてお前が配下を信頼できぬのは配下をのべつ幕無しに手足としたがゆえに離反されるおそれを常にいだいている。お前も馬鹿ではない。内心では解っている。己が誰からも信頼されぬ愚か者であることを──」

「やめてくださいっ!」

 途中、耳を塞いでアデルの言葉を聞かぬ姿勢であったミントが、叫んだ。「ワタシは姉を超えました、確かに、超えたんです、なのにみんなが認めてくれなかっただけじゃないですか。父も、母も、姉すらもわたしの功績を認めていたのに、配下や民は誰一人、ワタシのことを見てくれなかった。そればかりか、ワタシの功績を姉のもののように……。姉こそが掠奪者じゃないですか。呪いくらい被ってくれてもいいじゃないですか!」

 都市での調査で聞こえた民の声にはミントの功績を称えるものもあった。それは、「なぜこんなことになってしまったのか」と、いう落胆の声とともにあった。叫びの通りミントも過去に確たる功績を挙げていた。紡績業と服飾品の開発・振興への尽力である。その功績を奪われたように感じたミントは創造神アースの手記を根拠として呪いをでっち上げることで姉メリアを貶めた。

「それがお前の器だ。苦汁を舐めながらも身を粉できぬなら主神には至れぬ」

「あなたも、ワタシを見てくれないんですか」

「以前触れた服の質には驚かされた。着心地やデザインもそうだ。思うように着飾り自らを表現できる民は豊かにほかならぬ。これらは間違いなくお前の功績だ」

「だったらなぜ」

「お前が民と仲間を裏切ったからだ」

「……それでも、ワタシにも、実績はありました……」

 その点を認めているがゆえにアデルは伝えたいことがある。

「知っているか。オレは無知なのだ」

「え……」

「以前の会食でオレが借りた服と異なり昨今メークランの民は多くがラインの入った服やそれに替わるベルトや棒のようなモチーフがついたアクセサリなどを身につけているようだ。個人の趣味でなければこのところの流行だと捉えられたが、配下が調べて無知なオレに教えてくれた。あれは『潮』を表現したものなのだと」

 ミントの表情が、強張った。

「海のない神界では知りようもなかったが潮にもいろいろあるようだな。メークランの民が身に纏っていたものに絞れば黒、青、そして赤が多かった。それらは、海洋生物に取って栄養が少なかったり、貧酸素水塊が原因のものであったり、プランクトンなる微生物の急な繁殖であったり──、いい傾向ではないとのことだ。それをなぜ、服で表現している者が多いか」

 功績を貶めているとの暗示を込めて悪い傾向にある主神業にNOを突きつけた。ミントはもう理解していたのだろう。強張っていた表情が、苦しげにも綻んでいた。

「いかな状況に置かれようと民のため・仲間のためならば死をも厭わぬ。その覚悟をなぜ持っていない。お前は偉業に酔い、酔いを醒ます意見が耳にこびりついた。お前は、成した偉業を誇り、成すべき次の仕事に取りかかればよかった。それだけで、よかったのだ」

 ミントがテーブルに両手をついて、大粒の後悔を零した。

 責め立てるのではなく、アデルはゆっくりと問いかけた。

「憧れもあったのだ。優れた姉を慕う気持も、あったのだ。憎悪し、排斥し、悦んで、その後どう感じたのだ。言葉にしてみよ」

 嗚咽を漏らして、ミントが呟くように答えた。

「虚しくなりました。呪いを真実と捉えてなお恐れながらも姉の心配をしている者が消えることはなかった。超えたはずの姉が、ずっと、どこまでも高いところにいる。その影が、ずっとワタシを覆っている。決して超えられない、そう、思いました。ワタシは逆怨みでみんなを裏切ったのに、それなのに、姉は、ワタシを糾弾するどころか責めることさえ、……」

 立ち上がるやミントが駆け出した。

 アデルはその背を追った。

 ミントが向かったのは海水牢。看守から鍵を奪うようにして海水に飛び込むと、メリアの牢へ入ってゆいた。

 ミントが海水牢から出そうとすると、それまで動かなかったメリアが激しく抵抗し、格子にしがみついて決して動かなかった。海水牢を出れば呪いが皆を襲う。そんな妄言に従っているのではないだろう。功績を奪った認識がメリアにもあり、ミントの暴走を受け入れることにした。ミントの知恵があれば主神となって立派に民を導き守ることができる、と、信じてもいただろう。ミントの流した噓の呪いを、自分が海水牢にとどまることで真実に変えようとメリアは決めたのだ。ミントが溺れそうになりながら格子から離そうとしてもメリアは頑として動かない。

 ……これでいいわけがなかろう。

 アデルは魔法刃(まほうじん)で切断した格子ごと抱きかかえて地上階にメリアを連れ出した。

「アデルさんが、どうして」

「抵抗は無駄だ。黙って座れ」

「嫌です」

「む」

 二メートルほどの格子を振り回してアデルを壁に押しつけたメリアが、背中から海水に飛び込む。が、遅れて海水から這い出たミントと衝突、二人して海水に沈んだ。

 ……何をやっているのだ。

 姉とプラスアルファの重みが顔面にぶつかった酸欠の妹は気絶を免れず、そんな妹を抱えて地上階に戻った姉に、アデルは手を貸した。

「お前も、主神としては完成していないようだな」

 呪いが噓であることも念のために伝えた。

 メリアが真先(まっさき)に尋ねたのはミントが今後どうなるかだった。

「お前達の両親として創られたハエトノタ・ヤノワイ・モリフとダハイシワ・オリツ・トタに働きかけて主神から降ろす。弾圧されて宮殿内に幽閉された民をオレの部下が解放に向かっている。皮肉なことだがミントに求心力がなく難儀がなかった」

「こうなったのは、わたしが主神として及ばなかったからだと考えています」

「姿勢を正すがいい。これほどのことがあってなお妹を想って行動できたお前には成長の余地がある」

「民を蔑ろにしました。呪いが噓だとは、投獄されたときミントさんの表情を観て気づいたのですから主神失格です」

「それでもだ」

 大切そうに妹を抱えたメリアを、アデルは認める。

「お前は海のようだ。過った者を許し、導く器がある。過った者の全てが悪ではないと認め、許す包容力もあろう。荒ぶればオレを押さえつける力もある」

「そ、それは、申し訳ありませんでした」

「責めているのではない。意志を貫かんとする強い心があり、家族や民、仲間を想えばこそ、オレに立ちはだかろうと意志を貫けた。そんなお前を心から誇りに思うぞ、メリア」

「アデルさん……」

 民が真実と捉えるなら噓を受け入れ、罰をも受け入れる。そんなメリアが主神であるべき、と、アデルは考える。勿論、無根の過ちまで吞み込むのはどうかと思うのだが。

「顔を上げろ。胸を張れ。民の感情を受け止めたお前こそ主神の器だ。完成しておらずともよい。誰もが未完の存在だ。それこそオレも完璧ではない。足りないことだらけだ」

 メリアがおもむろにアデルを見上げた。

「アデルさんがそういうなら、そうなのかも知れませんね。でも、わたしは民に疎まれています。もう、とても、海を導く太陽には成り得ません」

「過大評価だったか」

「え」

 幼子にするようにアデルはメリアの頭を撫でた。

「お前は海にも、太陽にも、まだまだ及ばぬが悲観することもない。格子にしがみついた自分を忘れず非難も聞き入れて立てば、いずれ噓を覆せるとオレが保証しよう」

「アデルさんは、ぶれませんね……」

 メリアが小波のようにうなづいた。「頑張ります。しがみついて」

「うむ」

 決意を秘めたメリアの目差を受け、アデルは己の行動の正しさも認めた。

 医務室にミントを預けて廊下で待っていたアデルのもとに戻ると、どのようにメークランへやってきたのか、なんのために来たのか、メリアが問いかけた。それに答える形で、空間転移の魔導機構を使ってやってきたこと、通商条約の内容とこれの締結のためにやってきたことをアデルは伝えて同行を求めた。メリアとミントの両親たるハエトノタとダハイシワの私室を訪ね、アデルはミントの更迭を提案。事の経緯を身近で観てきた両親はミントの噓も知っておりメリアに謝った上でミント更迭案を受け入れ、メリアの復帰を認めた。が、そこでメリアが差し挟んだのは、自分の身に何かあったときはミントを主神にしてほしいという提案だった。死後も視野に入れてメリアが民を守ることを決めている、と、アデルは黙して認めたが、

 ……オレには難しい選択だな。

 とも、思った。アデルだって仲間がうまくやってくれるとは信じているが、スライナの試験の頃などと違って自分の代りに主神を任せられる者がいない。いや、主神を任せてもいいと妥協的にも思えないでいる。トリュアティアの主神は自分しかおらず誰にも務められないと考えている。代行ならスライナに任せられようが。

 メリアとの決定的な違いに気づかず、アデルは時の流れを甘受していた──。

 宮殿一八階に幽閉されていたメークランの民を解放したスライナとカスガが合流、ハエトノタとダハイシワ、メリアの復帰を待ち望んでいた配下が立ち会うとメリアが通商条約締結に応じてアデルとともに調印式を行った。

 配下が配置に戻り、ハエトノタとダハイシワを私室へ送った後アデルはメリアの私室である主神の部屋に招かれた。そこかしこにある前主神の私物にメリアが目を留めた。

「あれから一〇〇〇夜を超えて、ミントさんが懸命に働いていたことが判りますね」

「例えばどれだ」

「ほら、こっちの服。綺麗ですね、以前もすごかったのに、さらに洗練されています。紡績と服飾の産業発展はミントさんが最初から計画を立てて指揮を執ってくれたのです。服のことがよく解らなかったわたしは、実物ができるまでこだわる理由が実感できませんでした」

 海水牢を出てから現代の服に着替えたメリアがその服を指先で抓んで感触を確かめる。「柔らかくて温かいのに熱が籠もらなくて涼しい。見た目も美しいですが、低気温・高湿度のメークランではこの機能性が活動の大きな支えになります」

 同じくメークランの現代服に着替えていたアデルはメリアの意見に賛意を示し、テーブルに置かれた新たな服のデザイン案を観る。

「自分の仕事に自信を持つべきだったな。その自信を疑わなければ何をいわれようとぶれることなどなかった」

「ヒトデを取って眺めたことがありました」

「急になんの話だ」

「ミントさんが鈍い色のを取って、わたしは綺麗な青いのを取って、結果、わたしは毒で医務室に運ばれました」

「迂闊だな」

「本当は堅実なのがミントさんです。けど、きっと、鮮やかさに引かれてしまったのです」

「魔が差した。理性が試されたということだ」

 ベランダに出ると、空と海、二つの月を眺めて、メリアが興味津津に尋ねる。

「ところでアデルさんは、トリュアティアでどんな仕事をしてきたのですか」

「知りたいのか」

「知りたいに決まっています。離れてからずっと気になっていたのです。教えてくださいっ」

「そうか。──」

 アデルは、民の把握や神界宮殿建設から始まった自分の活動を詳らかに話した。自慢話ではなかったが、愉しそうに聞くメリアを前にするとなんとなく誇らしい気持にもなった。仲間や民を尊び誇りに思っているその気持を認められたような感覚が無論あったが、それとは別の何かをくすぐられているような感覚も。

「──と、先程の通商条約締結が、今のところ最後の仕事だ。未だ時の精霊との対話ができていないからな、トリュアティアの空間転移がいつまで使えるか定かでないが、可能な限り他神界との関係を築いておきたい」

「志の神界では転移魔導が安定稼働しているとさっき話していましたよね」

「うむ」

 トリュアティアから最初に空間転移できた〈志の神界〉は弟アルマジックが治めており、対話した精霊結晶の了承を得た上で魔導機構を稼働した。

「対話方法や魔導機構の設置はアデルさんの配下の皆さんの知識・経験が活きています。もしもトリュアティアの魔導機構が停止しても連携しなくなったり断絶したりはしません」

「そうだな。皆がよく働いて全てがうまくいっている」

「アデルさんも、皆さんも、わたしが休んでいるあいだ必死に頑張ってきたのですね」

「休養の分、働けばいい」

「海水の供給、逸速くやらせてもらいます」

「こちらも乗物を早く届けられるよう現場を視察しておこう」

 トリュアティアの朝方や夕方のような、心地よい風がいつまでも吹くメークラン。

 隣で微笑むメリアを盗み見て、アデルは、夜空を見上げた。

「一つ、訊いていいか」

「はい。なんですか」

「あのとき──」

 海水牢で再会したときメリアが微笑んで瞼を閉じた。どんな気持だったのかアデルは摑みきれていなかった。再会の悦びなら格子まで泳いできてくれてもよかった。ミントと再会したあとの様子だと当時のメークランの状況が変わると予期してのことでもなかっただろう。

「──お前は、何を思っていたのだ。オレには、全く理解できない」

「それは……」

 言いにくいことか。それとも無意識だったのか。メリアが口を噤んだ。

「まあ、よい。長い時を海中で過ごして意識が朦朧としていた部分もあろう」

 空間転移の魔導機構を獲得して以降、感じてきたことをアデルは振り返る。

「他神界に出て、特に今回のことで身に染みて解ったことがある。灼熱の大地にして時化、創造神アースはオレに必要な知識を全ては与えていなかった」

 息を吞んだような反応があったが、アデルは空を仰いで話を続けた。

「ミントの存在など知らず、メークランの状況にも想像が及ばず。お前がなぜ海水牢に入ったのか、調査しなければ理解できなかった」

 どうせ知識や経験を植えつけるのなら、万事に対応できるよう植えつけてくれればよかったものを。創造神アースの力に頼りきって堕落したいのではないが、メリアが投獄されたことを知りじかにそのさまを目にしてアデルはそう思わずにはいられなかった。

 メリアがまっとうな意見でアデルを諭す。

「本来そういうものではありませんか」

「む」

「知識や知恵、経験というのはヒトは勿論わたしたち神だって、生まれてから少しずつ積み上げていくものです。わたし達は赤ちゃんで生まれたわけではなかったので、時化は時化なりに雨や風という、大自然の厳しさを断片的に教えてくれたのだのと思いますよ」

「いわれてみると、そうだな」

 納得できる考え方だ。大人の姿で創られたアデル達がばぶばぶ言っていたのでは主神の活動が困難だった。おまけに中身と外見がちぐはぐで不気味だったことだろう。

「アデルさん、じつは少しだけ抜けていますね」

「水溜り如きがいってくれるな」

「池くらいには成長していると思います」

「ほう、冗談にうまく返したものだ」

「冗談だったのですか」

「お前も抜けている」

「っふふ、仲がいいですね」

「当然だろう、オレ達は──」

 兄妹キョウダイだ。そう言おうとしてアデルは舌がつんのめった。何か違う気がした。

「アデルさん。主神として提案があるの。聞いてくれますか」

 メリアがアデルを向き直った。

 吞み込んだ言葉の違和感を頭の片隅に置いてメリアと向き合ったアデルは、衝撃を受けることとなった。

「わたしと、永遠の契りを交わしてください」

「……は」

 自分でも驚くほどアデルは間の抜けた声が出ていた。しかし、頭の片隅に置いた違和感がすっきりと消えてもいたのである。

「オレは、お前の、兄だぞ。何をいっているか、解っているのか」

「そうですね。近親者での契りなんて、普通ならあり得ないことでしょう。わたし達は、普通とは違います」

「血が繫がっていない。理屈は理解するが」

「理屈ではないのですよ」

 メリアの笑みは真昼の太陽を宿したかのように美しく輝いていた。「わたしは、アデルさんと契りたいのです。誰よりも、民と仲間を想うアデルさんを、放したく、いいえ、我儘なことかも知れませんが、誰にも、渡したくありません」

 続けてメリアが告白するのは、先程のことだ。「アデルさんが海水牢から連れ出したとき、わたしは、本当は、迷っていました」

「迷った。何をだ」

「ミントさんのためにとか神界宮殿や民が混乱しないようにとか、それまで確かにそう考えて投獄を受け入れていました。アデルさんに抱き締められて、久しぶりに地上の空気を吸って、アデルさんと対峙して、貫いてきた選択が揺らぎそうに感じて格子を振り回していました。揺らいではいけない、揺らがない、と、示すように暴力に及んでしまいました。そうでもしなければ、アデルさんの胸に跳び込んでしまいそうで、恐かった……」

「そう、だったのか」

 胸を衝くような言葉が、次次、雪崩れ込んできていた。

 ……オレは、妹のメリアを──。

 それがいつからなのか判るはずもない。ひょっとすると、そう、悪質な設計かも知れない。

 だのに、彼女の輝く笑顔に釘づけになる。胸がくすぐったくて、爪先が落ちつかない。今すぐこの場を立ち去って、雄叫びを上げながら走り回ってしまいたい衝動が沸き立っている。不快感ではない。体を突き動かすようなこれは民を守るという意志にも匹敵する、強くて優しい感情だ。

「一つ、訊いていいか」

「二つ目ですね」

「む。いいではないか、先のはお前が答えていないのだから」

「そういうことにします。なんですか」

 微笑む彼女から意識的に目を外して、アデルは空を仰いで言った。

「契りは、今後の通商条約をより優位とする策謀ではあるまいな」

「いけませんか」

「強かだな」

「トリュアティアにもいいことだと考えています。アデルさんがわたしとの繫がりを公に示すことで、海水の出現を不気味がらず好意的に受け入れてくれる民が確実に増えます」

「お前はお前で侮れぬな」

「罠に掛けるつもりなんてありません。通商条約の前文にある通りです。

〔我我は、常に互いの神界を想い、皆の心に尽くすべく、これを締結するものである。〕

 素晴らしい思想だと感銘を受けたのです。皆さんが皆さんを想って生きる。それが当り前の世界をわたし達の手で作ることができるなんて、興奮するものがあります」

 アデルは依然として空を仰いで、

「一つ、訊いていいか」

「三つ目、ですよ」

「いいから聞け」

「っふふ、なんですか」

「お前は、オレを──」

「申しません」

「ふむ」

「ですから、アデルさんも仰らなくていいのです。でも、こっちからも、一つ、伺います」

「いわなくていいのだろう」

「はい」

 そう言いながら塀に上がったメリアが、アデルの正面に躍り出て言った。

「わたしを、好きになってください」

「っ、──馬鹿者」

 風が吹き抜けた。煽られて塀から落ちるのではないかと心配で、アデルはとっさに彼女を抱き竦めていた。

「それは質問ではない。要望というのだ」

「あ、そうですね。っふふ、ちょっと、どきどきしています」

「こちらは冷や冷やもしている……」

 ベランダに下ろしたメリアと目が合って、アデルは微苦笑した。

 昼のような青いグラデーションを眺めた二人は、再会までの時間を埋めるように、同じ風を浴びて、同じ空気を吸っていた。

 ゆっくりと時間を過ごすことがアデルにはなかった。いつも仕事をしていた。じっとしていたら落ちつかないかと思いきや、時間が過ぎてゆくことに不思議と幸せを感じていた。これが創造神アースの設計した出来事であるなら、たまには粋なことをするものだと感心してやらないでもない。だが、恐らく設計ではない。

 ……父は、この幸せをきっと知らない。

 知っているなら悲劇的な土地に子を放り込んだりしない。アデルはそう思った。

 星星が少し傾いた。

 どさっ。

 部屋の物音に気づいてアデルとメリアは後ろを振り返った。部屋に、図面を抱えたミントがいた。出てゆこうとした瞬間に一部図面を落としてしまったようだ。

「どうしたのだ、こそこそと」

 声を発したアデルに対して、メリアが目振る間に駆け寄ってミントを抱き締めた。

「お姉さん──」

「ごめんなさい、ミントさん」

「謝らないで。ワタシが全て悪かったんです。アデル様に散散いわれて目が覚めました」

 ミントがアデルを一瞥、私物を見渡す。「ワタシの部屋に戻しますね。あれだけのことをして私室拘留という恩情を賜ったんです。拘留が解けたらすぐにも貢献できるよう準備します」

「何か必要なら遠慮なくいってください。どんな形であれ、主神の重責を担ってくれたこと、感謝しています」

「っ……。恐れ入ります」

 落ちていた図面を拾ったメリアがミントの私物運びを手伝う。

「アデルさん、申し訳ありませんが、この辺りで一旦」

「構わぬ」

 姉妹で話したいこともあるだろう。アデルは邪魔するつもりがない。

「あ、今度、正式にトリュアティアをお訪ねします。そのとき改めてお話しましょう」

「待っているぞ」

 ミントの私物を持ったメリアが退室して、アデルは手持無沙汰となった。トリュアティアに帰還するために経由する〈優の神界〉の魔導が起動するのはもう少しあとの予定だ。

 たまにはこんなときがあってもいい。メリアと過ごした余韻か、潮風が煌めいていた。

 神界宮殿前。空間転移を待つアデルは、思わぬ来訪者と接触することとなった。

「む……」

 予定より早く余光が弾けた。それも魔導とは質の違う転移の光であった。何事かと思えば、余光を振り払うように現れたのは姉キルアであった。

「やあ、アデル。元気かい」

「悪神のお前がなぜここにいる。自分の神界はどうした」

 連携済みの主神と情報交流して悪神が住むとされる神界があることが判った。未だ発見に至っていない神界ライトレス。悪神であるキルアとジーンが飛ばされ、二人が率いる悪神軍キーリア・アシエントの根城と推察された神界だ。そこではアデルとの接触なくして空間転移の技術を得たのか。

「あたし達は対立者、悪の神だよ。ついでだから挨拶をしようか」

「お前は軽薄ではないと解っている。装わず本心を語れ」

「眩しいねぇ、見てらんないや」

 わざとらしく両手で目を覆ったキルアが、首を振って赤い髪を潮風に載せ、きりっとアデルを視る。

「ちかぢか祭が始まるよ。警戒するんだね」

「祭とはなんだ」

「文字通りさ。人間が御神体に供物を捧げるような、伝統的な祭さ」

「悪趣味な」

 それを知っているキルアが主謀者か。「お前はなぜそれを知り、オレに伝えた」

「解るだろう。アンタだって姉弟妹を可愛がってる」

「お前を可愛がった憶えはないが一応理解した」

 妙にも感じた。「オレがここにいるから来たのか」

「いや、たまたまいただけだよ。あたしはメリアに会いに来たんだ。同じ緋色童子として積もる話もあるからね」

「何──」

 アデルは耳を疑った。キルアが齎した情報は、創造神アースの設計にほかならなかった。

 

 

 創造神アースの設計により、同人が書いたとスライナが認識できる手記をミントが捏造、呪いのデマを拡散した。すなわち、ミントは創造神アースの陰湿な設計の一部であり、メリアの呪いは噓でしかない。それがアデル達の結論だった。ミントの自供でそれが真実として捉えられた。そのはずだった。

「──緋色童子は、ミントさんの認識誤認による作り話もとい創造神アースの噓ではなかったということですか」

 慌てて尋ねたララナに、窓際のアデルがうなづいた。手記は虚実を織り交ぜていた。創造神アースの質の悪い設計だった、と。

「キルアは緋色童子について創られた当初から知っていた。お前もキルアとは浅からぬ関係であるから為人(ひととなり)は知っているな」

 悪神討伐戦争における立役者〈一二英雄〉の一角がキルア。同英雄の一角であるラセラユナとともにララナはキルア達を戦争に導いており、その間に親交も深まっていた。

「キルアさんは楽天家のようでそのじつ悪神の世界に対する情熱と知識を持っています」

「して、優しい奴だ。核心に及ばないまでも、無知なオレに解るよう教えてくれた」

 

 

 キルアが述べた緋色童子は、アデルも一通り読んだミントの妄言もとい創造神アースの質の悪い設計の一部を汲んでいた。

「──では何か、緋色童子は創造神アースの意図が確かに組み込まれた存在なのか」

「アンタは腰を抜かすこともないだろうから、見せてやろう」

 キルアがアデルの顔に翳したのは、右手。内側から皮が弾け、アデルの眼前まで何かが膨張して、止まった。底知れぬ躍動感と威圧感から戦闘向きの能力であることを悟ったアデルは、じっくりと観察した。

「形はほぼ右手のままだな。しかしお前の顔が透けて見えるこの半透明の物体は、魔力探知で捉えられぬな」

「これがあたしの呪いさ。あっ、さわるな」

 触れて確かめようとしたアデルから離れて、手をもとに戻したキルアがふぅっと息をつく。「アンタ、いま死にかけたよ」

「何」

「あの手に触れると簡単に死ぬのさ」

「呪い……。納得だ」

 アデルは、メリアの赤い髪と肌を想起した。「メリアもお前と同じ手を持っているのか」

「知らないね。ただし、あたしの力と同等もしくはそれ以上のものが仕込まれていてもなんら不思議じゃない。あの子がここに送られたことがもう特例だからね」

「どういう意味だ」

「アンタは知らないのか──」

 腕を組んだキルアがすっと半眼になって、アデルを視た。

「アンタ、メリアとできてんの」

「卑俗な物言いをやめないか」

「悪神をなんだと思ってる」

「倫理逸脱を厭わず悪を体現する神だな。と、話はここまでだ」

 転移魔導の光が集まり始めた。

「ちょい待ち」

「むっ」

 光から遠ざけるようにアデルを引き寄せたキルア。その間に魔導の光が弾けて消えた。

「座標固定型なら次の機会を待ちなよ。あたしと会うことは、今後ないかも知れないからね」

 長丁場の予定であったから転移魔導を数回用意してやってきた。話をする余裕ならある。

「祭とは、お前がオレ達を襲うということか」

「それについては警戒しなともういったね」

 キルアが話を戻す。「で、どうなのさ、メリアとは」

「契ることとなった」

「アハンウフンするのかい」

「そこまでは考えていなかった」

「ウブだねぇ、長兄のくせにぃ」

「たわけ」

 アデルは姉の頭を軽く叩いて、「兄妹間で行うことではない」

「結婚の意味にとどまるってかい。子を遺す行為、息苦しい言い方をするなら各神界の未来の担い手の創出が延長線上にあるだろ。勿論、多様な意志が許容されてるが、自由で不自由な結論もあるんだから周囲に主神同士の子を望まれる重責ってもんもあるだろうさ」

「お前はそういうことに詳しいのだな」

「アンタが疎すぎるだけだよ。で、結婚後は一緒に住むのかい。主神だから無理だろ」

「よってお前のいう行為もできぬが悲観すべきことなどない。同じ志のもと同じ未来を目指してともに働くことができるのだ」

「潔癖だねぇ」

「メリアが求めるならオレにも用意くらいはある」

「そりゃ失敬したよ、すまないね。でもそうかい、ならいいや」

 キルアが微笑して、神界宮殿を見上げた。「とにかく警戒しな。アンタはアンタの大切なもんを守りきるんだよ、いいね」

「いわれるまでも──、いないか」

 神界宮殿の影に転移の余光が跳ねている。メリアに用があるようだったがアデルに伝えれば済むことだったのだろう、キルアが宮殿内に転移した気配はない。

 ……大切なもの。

 民。仲間。そして、メリア。

 ……当然、守る。それしか、オレにはできぬ。

 荒事となればアデルの領域だ。誰が来ようとも絶対に守り抜く。アデルは今までと同じようにそう考えていた。

 

 キルアの注意喚起を余所に、トリュアティア並びに連携中の他神界に目立った変化はなかった。酔っ払った民が暴れたとか、放牧中のウシが逃げ出したとか、兵同士が力比べ中に怪我を負ったとか、そのくらいだ。強大な魔物が現れても兵や主神が対応して民に被害が及ぶことはなかったし、低級の魔物ならどう転んだって兵が押し負けることはなかった。

 そうこうしているあいだにもアデルとメリアは会食を重ね、ときに寝所をともにして身も心も近づいた。主神として創られたアデル達に子ができるかどうかその当時は不明であったが、アデルとメリアは互いの仲とトリュアティア・メークラン親交の誓いを立て、子を成すことにした。互いに忙しい身で、メリアに関しては緋色童子の呪いに関する()()を一部民から払拭できぬままでは時間を取りにくかった。時間が合い、心が合えば、未来をより見据えた。

 トリュアティアと他神界の関係は一層に増えて深まってゆいた。中でも豊富な海水がトリュアティアの救いとなったことからもメークランやメリアとの関係は深かったが、自分で思うよりずっとアデルはメリアとの相性がよかったのである。互いに仕事好きで、離れていても仕事ぶりを思って励み、寂しく思わなかった。会えばよく食事をして、ぶらついた互いの神界のよさを語らった。

 それは、それは、愉しい時間であった。苦悩の絶えない世界でも笑い合えた。

 仕事はなお順調でメークランとの連携成立後六五〇〇夜余りでトリュアティアは神界三〇拠点との連携を結ぶに至った。さらに一五〇〇夜を経ると辺境神界と唯一繫がる神界ジュピタを介して、二〇を超える辺境神界との通商条約を結ぶことに成功した。

 

 アデル達は、到頭、そのときを迎えることになる。

 アデルとメリアに子はなかったが、トリュアティアの空が赤から青まで移り変わるようになり、メークランでのメリアへの偏見はほぼなくなり、ミントも本来の辣腕を揮って皆から認め直されつつあって、神界運営に支障を来すような出来事は起こらなかった。

 そんなときであったから、辺境(へんきょう)神界(しんかい)〈ニブリオ〉から帰ったカスガの急報にアデルは頰を打たれた気分だった。

「──ニブリオが滅亡、だと……」

 神界が機能していない。民がいなくなり無神化星になった。豊富な魔力が失われ、資源が失われた。滅亡とは、そういうことだ。

 ニブリオは昨夜連携したばかりだった。辺境神界との通商条約は神界ジュピタの主神が担当しているが、互助の観点からトリュアティアを含む神界三〇拠点全体で多くの人材や資源の交流を始めていた。ニブリオの遺産があるとすれば出向中だった人材と運び出した資源のみ。

「原因は不明ということだったな。何か思い当たることはないか」

「転移魔導が起動するまで荒れ果てた地表を探ってはみたんですが、何も……」

 昼だというのに、謁見の間は寒夜に閉ざされたようだった。

 今や部下を持つカスガも、膝をついて無念と恐怖を吐露した。

「あれは、たぶん人為的です。町も自然も破壊され、ひとが残らず殺められる……あれが自然災害の爪痕だとしたら、不自然を通り越して不気味でしかありません」

「うむ……」

 もう少し早くニブリオに出向いていたら、カスガも得体の知れない何かに襲われていた。滅びた町に横たわった数多の亡骸には異様な傷があったのである。

 ……祭──。

 このことなのか。供物を捧げるなどというものではなく大災を疑う規模であるが、一つの星を滅亡させることなど人為的にできるものなのか。戦闘狂のアデルでも非力・無抵抗な相手への暴虐を目的としないがために想像がつかなかった事態だ。

「カスガ、ご苦労だった。しばらく暇をやる。英気を養うがよい」

「はい、そうします、ありがとうございます……」

 その背も、足取りも、疲れきっていた。

 アクセルをカスガのもとに向かわせたアデルは、ちょうど医務室に現れたスライナを会議室にいざなった。

「行儀が悪いですけど、立ち聞きしてました」

 席につくことなくスライナが切り出した。「異常事態ですわね」

「何か思い当たるか」

「アデル様は」

「一つある」

「恐らく、ワタクシと同じですわ。せ〜ので答合せしますか」

 アデルは首を横に振った。とてもそんな気分ではなく、思うところを真剣に切り出す。

「オレと同じ力が使われた可能性がある」

「星の魔法、ですわね」

「誰が称したかいまさら論ずるまでもないことだな。星の生命力を操る、強大かつ禁断的な古代の魔法だ」

 古代の、などとありもしない古の時代をくっつけて表現するのも誰ぞやの設計。

「使えるのはアデル様と誰です」

「悪神ジーン・クライ」

「アデル様の弟──」

 創造時点で敵性なので兄弟関係を深刻に捉える必要はない。問題なのは魔法のほう。

 星の魔法がどんな魔法かと言えば、星の生命力を用いた魔法の総称であり、破滅的な魔法ばかりでもない。例えば、神界宮殿。これは、星の魔法で地殻の一部を変質・再構築したものなのだ。アデルがそれを一瞬にして作り民心を摑まなければ、トリュアティア内部どころか他神界との助け合いが成立しなかった。

 攻撃に利用すれば星の魔法ほど強力なものもない。端的に言って格が違うのだ。

「星の魔法を操るための魔力を〈星の魔力〉と仮称します。星の魔力が神界宮殿を形成していると考えていいはずですが、神界宮殿には魔力を感じません」

「地殻を成す地属性魔力を不知得性たる星の魔力に変質させるため、認識できなくなる。下級魔力の干渉によって探る通常の魔力探知では不知得性魔力を捉えることはできない」

「それすなわち魔法が使われたとしても」

「カスガのように結果は確認できるがな、魔力探知できないためその光景を観ていたとしても天変地異にしか捉えられない」

 それこそが星の魔力と星の魔法の脅威である。アデルのカリスマ性を神界宮殿という形で示し続けている不可思議な力は、別の方向性を示せば災禍と認識されてしまう。

 さすがのスライナも常識を外れた魔法の存在に頭を抱えたか、しばらく口を噤んでいた。

「対抗できるのは、星の魔力を操れるアデル様ですわね」

「相違ないが、どこにジーンが現れるかは予測不可能だ。以前報告した通り、神界ライトレスには空間転移の技術がある。お前がくれた知識もある」

「メリア様の主神復帰の日でしたわね、姉のキルア様が空間転移で現れたと。悪神勢力がこちらと同程度の転移手段を持っているだろうとも」

 懸念すべきはスライナの持っていた知識である。神界三〇拠点は上級・下級の神界を一つずつ順に空間転移する必要があり、一つ以上飛ばして転移できない。第一拠点のトリュアティアから第二拠点の志へ、第八拠点のメークランから第七拠点の優へ、と、いう流れで転移でき、普通であればトリュアティアからメークランへは一回で転移できないが、その仕様を無視して相互に空間転移が可能なハブ駅ならぬハブ神界が存在する。神界三〇拠点の最下級ジュピタに代表される〈回遊(かいゆう)神界(しんかい)〉である。アデルは弟妹との連携を求めて通商条約を結ぶのと併行して、創造神アースに抗う深い知恵を培うため数多の星を効率よく探索することを目指し、スライナの提案でハブ神界であるジュピタとの連携を目指していた。これが実現した現在、辺境神界であろうと回遊神界であろうと空間座標が判明すればジュピタから自由に空間転移が可能だ。

 神界ライトレスの存在を共有してくれたラセラユナによれば、ジュピタ同様ライトレスも回遊神界で、他星(たせい)──ほかの星──との空間転移に縛りがない。

 スライナが壁に凭れた。

「神界ライトレスについてはワタクシのほうでも調査員に調べさせていましたが、ラセラユナ様以外は主神でもほとんど名を知りません」

「オレたち善神の勢力が敵対者たる悪神の本拠地とその動きに過敏になるのは当然のこと。その心理を利用し、ライトレスに関して知識を与えられた数少ない存在に情報を集中することで連携神界全体を誤誘導する設計か」

「可能性が大いに。『神界ライトレス』は正式名称と断定できないともワタクシは考えます」

 先に触れた通り、神界三〇拠点と呼ばれる主要な神界とは既に通商条約を締結、各主神とアデルは顔見知りである。肉体変化で姿が変わっていたとしてもキルアやジーンがいれば個体魔力の強さで判るだろう。「神界ライトレス」というのが正式名称ではなかったとしてもキルア達は神界三〇拠点に存在していないと観ていい。そうなると回遊神界として宇宙のどこかを漂っていることになる。スライナでも知らないことを語れるはずがなく、知る術がなければ知りようもない。ライトレスは謎のベールに包まれている。

「アルマジックやラセラユナ、サリュトーレやユアラナスはどうだった」

「連携した主神は聞込み済みですわ。情報通で知られるアルマジック様達も名前を知るにとどまって、空間座標・環境・内情などを知る者はいません」

 空間座標が判らないということは、隠れられたら攻め込む隙がないということだ。スライナによればライトレスがどこを漂うか割り出すことは理論上可能とのことだが、ライトレスが創られた空間座標や目撃された空間座標が判明していた場合であって、現在はそれら情報を集積できていない。仮にジーンがニブリオ滅亡を成したのなら回遊神界ライトレスの設計を悪用した急襲が可能であり、その脅威は神界三〇拠点最上級のトリュアティアにも及び得る。

「そもそも論ですが、星の魔法が用いられた可能性はまだ推測の段階。アデル様がニブリオに赴き、星の魔法が使われたか否か、魔力環境分析を行うことを提案します」

「魔力環境は不変ではない。急ぐ必要があろう」

「ワタクシも同行します。調査員に指示を出して悪神ジーン並びに悪神キルアに関する情報提供を他神界に求めましょう」

 知らぬ間に滅亡させられる星がほかにも出ないとはいいきれない。スライナが予定を調整して、ニブリオを確認すべくアデル達はただちに出発した。

 トリュアティアから転移したのは、他神界との中継地点として日頃世話になっているハブ神界ジュピタ。アデル達の来訪を待っていた主神ニニアクゥイト・オヌオブテズ・ジュピタ──以下主神ジュピタ──とアデルは軽く挨拶を交わした。

「お前のほうは大事ない」

「うむ。時が惜しい。ニブリオに飛ばしてくれ」

 立ち止まらなかったアデルとスライナを、社交的な主神ジュピタも引き止めなかった。

 植物に包まれ苔が生した独特の魔導機構に乗ると、アデルとスライナは空間転移した。帰りの転移が発動するのは、主神ジュピタの奨めで一分後となった。

 滅亡した神界ニブリオ。飛ばされたその地に、

「『……』」

 二人とも言葉が出なかった。時がない。転移魔導が発動する前に意見交換したく、アデルは状況への驚きを口にする。

「なんだ、これは」

「火山性のガスなどとは違いますわね……」

 精神的疲労に加えてカスガが青ざめて帰ってきた理由は環境悪化。当初のトリュアティアより涸れ果てた大地は罅割れている。が、欠落しているのは水属性だけではない。

「ありとあらゆる自然魔力が消え、空気までなくなっている……」

 神でなければ窒息している。宙を漂う瓦礫と歪んだ空が、果てしなく黒い。

「重力が崩壊・分散し、太陽の光を散乱する大気まで失われ……と、解説は控えます。アデル様、星の魔力は」

「……」

 これを成した者の推定をアデルは否定したい気持もあった。否定するには、星の魔力が見つからないのが一番であった。

「おのれ……」

「……、あるんですわね」

「うむ……」

 時間経過のせいか魔力が分散・汚染されてジーンのものとまでは断定できなかったが、魔力のそこかしこに邪悪な気配を感ずる。

 ……これは、〈負媒(ふばい)〉だ。

 邪心の増大によって能力が強化される、悪神の持つ魔法。それが負媒だ。それで強化された魔力には邪悪な気配がしばらく残る。

「悪神だ。これをやったのは、ジーンであろう……」

「解りました……」

 間もなく転移魔導が起動、アデル達は神界ジュピタに戻った。台座前、太い根に腰を下ろした主神ジュピタが落ちついた声で出迎える。

「ひどいものだ。お前達が来る前にぼくも観てきたんだけどね、どうしたらあんな環境になるんだろうってくらい荒廃していた」

 大きく分ければ、創造神アースがその力を揮う〈創造期(そうぞうき)〉といわれる時代であった。中でもアデル達兄弟姉妹が創られたのが第三創造期だ。ニブリオ滅亡が確認されたこの時代はスライナや主神ジュピタが創られた第四創造期に分けられている。次次創られているであろう創造物をどこまで弟妹と呼ぶかはともかく歩みをともにしているなら仲間だ。主神ジュピタを始めとする多くの仲間の不安と疑問にアデルはこたえてゆく必要がある。

「敵性分子が創造神アースに限らなくなった」

「詳しく聞かせてくれるかい」

「無論だ。スライナ」

「ええ、説明は任せてくださいな」

 蔓状植物の生い茂る自然豊かな神界宮殿──。魔導機構の台座から降りてスライナが膝をついてニブリオの状況を説明すると、主神ジュピタが提案する。

「三〇拠点全体に話を伝えるなら、ハブ神界の主神たるぼくが担当するのが最も速い。任せてもらえるかい」

「願ってもないことですわ。ジュピタ様、よろしくお願いします」

「アデルもいいかい」

「無論だ」

「じゃあ、内容を確認しよう」

 主神ジュピタが脚を組み直した。「負媒を使う悪神、恐らくはジーン・クライの操った星の魔法によってニブリオは滅ぼされた。ジーンは回遊神界ライトレスを拠点として神界三〇拠点全域に不規則な急襲を行い、ニブリオのように滅亡させることが可能。これに対抗すべく連携済みの神界の結束を強め、情報の収集・共有をしていく。これでいいかい」

「付け加えてくれ。星の魔法に対抗できるのはオレのみゆえ、ジーンの情報やライトレスの空間座標が見つかればすぐにもトリュアティアへと。さらにライトレスにはオレの姉で悪神軍キーリア・アシエントを率いる悪神キルアがいる。ジーンの直属の上司に当たり、ジーンの動きに無関係とは考えにくい。キーリア・アシエントの動きも注視してくれ」

「解った。スライナ、お前は思う点がないかい」

 スライナが顔を上げた。

「負媒の痕跡によって容疑者が悪神に狭まったに過ぎず、アデル様の魔力分析でもジーン様の星の魔力と特定するには至っていません。ニブリオを襲った者を断定せず、関係者から事情を聞くための捜査と捉えて動いてほしいんですわ」

「悪神やキーリア・アシエントに接触しても事を構えないよう伝えよう。ほかには」

「邪心に支配された悪神が凶行に及んだとして、少し、気になっていることもあります」

 何かの気づきに繫がる可能性があるので疑問を共有すべきだろう。そうアデルに促されて、スライナが口を開いた。

「なぜ、ニブリオがこのタイミングで狙われたんでしょうね」

 それは、この場にいる三者共通の疑問であった。神界三〇拠点を快く思わない者の仕業なら神界三〇拠点のいずれかへの襲撃をもっと早くに行っていただろう。辺境神界が神界三〇拠点と関わりを持つことを快く思わない者も同様にもっと早く行動を起こし、襲撃の意図を明示するため最初に連携した辺境神界へ攻撃を仕掛けたはずだ。それらではないとするとニブリオ内部などもっと細かいところに動機があると推測がつくが、果して何がトリガか。

 主神ジュピタの推測はこうだ。

「ニブリオは緑豊かな星だったからね。滅亡による心理的作用を狙ったのかな」

 ニブリオの自然はジュピタに匹敵するものだった。ニブリオとの連携を取りつけて戻ったカスガの勧めでアデル達も趣を味わった。水の豊かなメークラン、緑の深いジュピタ、それらに引けを取らない目指すべき未来像が、ニブリオにはあった。トリュアティアもいつかそんな景色を手に入れたい。そんなふうに思ってすぐに想像も予想もするわけがなかった荒廃だ。しかし目を背けてはならない。

「犯人達あるいは犯人は力を誇示することで、敵視しているであろうぼくらのショックを狙い、敵わないとか恐ろしいとか思わせて優位に立とうとしている。いうまでもないかな、ぼくらと連携したばかりのニブリオを狙った意味もそこにある」

「脅しですわね」

「これ以上は他神界と連携するな、とね。向こうに取って狙い目だったはずだ。タイミングについては、連携が順調に進んでいるさなかの不意打ち、と、捉えればどうだい」

「目論見は達成されました。ワタクシ達は敵性分子の力が圧倒的と捉えました。同じ力を持つアデル様がいなければただちに降伏すべきとワタクシも考えます。アデル様の力を知らない辺境神界の主神や民もまず連携を拒否する向きになります」

「犯人をとっちめるまでその流れは仕方ないかもね。幸いにしてこちらにはアデルがいる。対抗のため早急に事実を伝えるのが得策だね」

 主神ジュピタが足許の蔓を生長させ、宙を舞わせた葉に蔓先で一挙に傷をつけてゆく。蔓の乱舞が止まるとアデル達が伝えたい内容が葉に記されていた。主神ジュピタがよく使う伝達手段葉書(はがき)だ。アデル達が内容を確認してGOサインを出した。

 空間転移の座標調整を終えた主神ジュピタがふと口にしたのは、答の遠い疑問であった。

「ニブリオよりハブ神界であるここを狙うほうが多角的にダメージが大きい。けど、それは犯人に取ってなんらかの意味でマイナスが大きかったんだろうね。ま、犯人を捕まえたほうが早く答が出るから葉書にも書かないわけだが」

 アデルとスライナは、主神ジュピタにそれぞれうなづいた──。

「はいこれ、お前達の分。トリュアティアまで送るよ」

 葉書をくれた主神ジュピタに見送られて再び魔導機構に乗ると、瞬く間にトリュアティアの神界宮殿前に帰還したアデル達であった。

 荒廃を目の当りにしたアデルは、トリュアティアに戻れたことに心底安心した。胸いっぱいに吸える空気がある。仰げば心の落ちつく広い空がある。踏み締めれば押し返してくる力強い大地がある。見渡せば、皆が築いた尊い流れがある。

「まだまだ暑いトリュアティアの昼だがな、これですら得難いものなのやも知れぬ」

「ええ……。守りましょう、必ず」

「うむ。……」

 メークランのお蔭で海水から水属性の補給ができ、トリュアティアの環境は一気によくなっている。その努力が星の魔法の前では容易く消し飛んでしまう。

 ……負媒──。

 トリュアティアであのような魔法が使われれば頂点の名折れである。

 皆を守るためならなんでもやるつもりだが、改めて戦意を固めなければならない。ジーンの直接関与やキルア及びキーリア・アシエントが絡んでいるかは主神ジュピタにも伝えたように未知数である。防衛の任に就いている者にニブリオ滅亡の事実と要警戒のみを伝え、各部門の長には対ジーンなどの想定を伝えていざというとき混乱しないよう心構えを求めた。

 

 

 

──四章 終──

 

 

 

 

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