三章 悲劇の海
俯くのをやめて、仰ぎ見る。たとえ緋き星でも、顔を出した朝日に夜闇が逃げゆくと不思議と気持も上を向く。
精霊結晶を両手で持ったアデルは窓際に佇んだ。
(起きているか。眩かろう。見事なものだろう)
わずかずつ進んで橙の空に落ちつく。
(これが、今のトリュアティアだ。着実に、誠実に、皆が歩んできたトリュアティアだ)
協力要請は昨晩にした。アデルは、自分の気持を語るのみだ。
(オレはこの空のもとに生きる民のため、なんでもやろう。この空を離れて旅に出た者がいても、その者が帰る場所を守るために働こう)
当然のように応答はない。
……オレ達は立ち止まれない。立ち止まらない。
一一階の会議室に集まっていたスライナ、カスガと合流して、魔導機構製造について早朝会議を行った。精霊との対話不成立の事実を改めて共有した上で、アデルはスライナに魔導機構の製造を命じた。精霊との対話ができず合意がない中で他神界への空間転移計画を進める苦渋の決断だが立ち止まる選択肢だけはなく、スライナを図面製作室へ向かわせた。
会議室に残ったアデルはカスガと話をした。気が早いようだが空間転移が成功したあとの、彼の仕事の本番、未知の神界での調査についてだ。
「空間転移先でもまず聞込みだ。これはトリュアティア内で行っていた要領で構わない」
「ほかの神界はどんな環境なんでしょう。まさか鉄鋼吹き荒れる危険地帯なんてことは……」
「神が暮らしているのなら極端に生存できぬ環境ではなかろう。お前の想像は行きすぎとは思うが、ないこととも保証はできぬ」
「どんな危険な地へも、わたしは行きますよ」
「民への献身、感謝する」
「アデル様あってこそです。肝心なのは、何を聞込みするか。連携交渉のための土地柄もそうですが、主神となられてるであろうアデル様のご弟妹についてでいいんですか」
連携できそうな弟妹についてカスガには以前から伝えていたが、
「キルア・レッドナー、それから弟ジーン・クライについても調査を頼む」
アデルには一人だけ上のキョウダイがいる。それが姉キルアで、弟ジーンと同じく悪神だ。敵である悪神と連携できるとは考えていないが動向を探るという意味で調査対象だ。
「弟妹は前の通りだが改めて伝えよう。アルマジック・ケルク、ラセラユナ・グラウス、ズリウ・バーンラッグ、リュウェルン・セイクリッド、サリュトーレ・ジェネル、メリア・ハルモニウム、サン・エルライン、アリス・クレセント。以上だ」
以前録ったメモを確認したカスガ。
「皆さん、どこにいらっしゃるか判らないんでしたね」
「ああ」
悪神軍キーリア・アシエントでジーンが副総裁、キルアが総裁を務めると記憶しているものの、どこの神界の軍か、なんのために行動する軍か、詳細不明だ。
……思えば、ジーンはトリュアティアを知っていたな──。
風土も知っているのだろうか。アデルはジーンの行先を詳しく知らないので、ジーンに与えられた記憶とは量的に不均等ではないか。
……オレに向こうの記憶があればカスガの負担が減ったな。
灼熱の大地の荒さを感じてやまない。カスガの負担が少しでも減るよう、アデルは姉弟妹の特徴を知る限り伝えておいた。
「お力や性格など個性的な方方とメモしましたが、お姿を変えられてると混乱しそうですね」
神にはいくつかの力が共通で備わっている。その一つが肉体変化。外見を変える力である。
「アデル様はご姉弟妹の変化形をご覧になったことはありますか」
「ない。それに関する記憶もないな。肉体変化を使われていた場合は、内面を推し量ることになろう。お前の力でなんとか見つけ出してくれ。オレが捜索に乗り出しても構わぬが、空間転移がどの程度の頻度で使用可能か観察する必要はある」
スライナの知識があっても、創造神アースが仕込んだ型破りの設計がないとはいいきれず、空間転移が一度成功したとしても魔導機構が安定稼働するか未知数だ。使用直後に魔導機構が不具合を起こしてアデルが帰還できないような事態になればトリュアティア内の仕事に支障が出るだけでなく魔物など外敵への対処に致命的な遅れが出かねない。当面アデルはトリュアティアを離れないのが賢明である。
カスガもそれをよく理解している。
「無理難題でもクリアしなければトリュアティアは苦境を乗り越えられないのだと思います。気になるデータもあるようですし、各自が全力で挑まなければ」
「うむ。よろしく頼む」
魔導機構製造前後の立ち回りを引続き考えて、大気が温まりつつある頃、解散した。
スライナや技術者が図面を引く図面製作室に寄ってから、アデルは水源対策部を訪ねた。カスガが口にしていたように気になるデータが、約一八〇夜前から出ている。
〔井戸を含めた湧水の総量が減少傾向。〕
いつか観た現象。命を捨てて水属性魔力を補給せんとしたあのときと今とでは状況が違う。スライナのお蔭でどこかに水が隠れているのではないかと考えることもできるし、湧水の量は減ったかも知れないが雲や雪や雨などを含めればトリュアティア全土の認識可能な水は増えている。先達て確認した氷河などを水に換算すればトリュアティアの推定総水量の一部を担えることも判っている。
それでも湧水の減少データを気にしていたのは、源泉涸渇後の生活への支障を懸念した。水がなくなれば明日の生活も危うかった神界宮殿創建当時に逆戻りする。現状を維持しつつも生活向上を図るのが大事だ。近道のない水源拡張問題に井戸整備で対処してきたが、地下水に限界があるとの情報が出たなら別の策を打つ必要がある。昼夜の気温差は未だ五〇度を超え、神界宮殿南西部では火山活動が活発ときているのでいつ旱魃にバランスが傾くか。
……人口増加に水属性魔力が割かれて湧水量が減っているのか。
それを憶測とは断ぜられない。スライナがいうには、生物が生まれるにはそれに適した環境と時間が必要であり、適した環境には木、陽、地、風、そして水の属性魔力が必要で、それらの循環があらゆる生命の源を生み出すそうだ。トリュアティアに満ち足りているのは陽、地、風であるが、植物を司っている木属性と水を司っている水属性が不足している。そのうち水属性のみを取り上げれば、認識可能な水量が現在の約二倍も必要で、通常の生態系であれば知能を持つ生命体が生まれるには至っていない可能性もあり、トリュアティアではそんな生命体の誕生に貴重な水が吸い尽くされている、と、考えることができなくはなかったのである。仮にそれがトリュアティアの実態なら人口が少ないにも拘らず民と民の交流を制限するなどの出生抑制策を打たねばならないということだ。また、今は右肩上がりの食物生産もいつ減衰に転ずるか判らず木属性の補給も課題に挙がっている。幸か不幸か、創造当時から一部下水道が整備されていたトリュアティアは衛生環境が保たれる一方で使用水量の下限が原始的コミュニティより高いので民度を下げないよう神界宮殿は常に前進する思考を求められている。
弟妹との連携を考えているのは創造神アースに抗うためだが神界の共栄も見込んでいる。例えばトリュアティアでは水の涸渇が予測されているが他神界では大地を沈めるほど有り余っている可能性がありそれを譲り受けることで互いの環境をよくできるという具合だ。ほかにも、金属加工技術が高いトリュアティアなら他神界へ加工製品や製造技術を送ることができ、替りの製品や技術・知識などを交流できる見込みがある。物やひとに限らず無形のものも交流させて互助関係を築けばこの悲劇的な土地で、世界で、生きてゆくことも夢ではない。
空間転移が可能となるまで連携については確たることが言えなかったので、アデル達は魔導機構の完成を待った。アデルは井戸や河川の整備に従事し、ときにカノンの指導をし、アクセルの治癒魔法の試験をして、エノンの観た町の様子を聞き、カスガが走り回った町外の環境を書き溜め、スライナと情報共有して地図に書き起こし、あらゆる情報を繁栄に役立てるべく待時間を有効活用したのだった。
……オレにできることを全てやる。
さまざまな能力を持つひとびとの力を支え、引き出し、引き合わせ、形にしてゆく。魔物が現れず戦闘がなくとも、得意分野でなくとも、なんでもやる。
これまでに与えられた知識や立場を越えて、アデルはようやく真の主神として成長したような自覚を持った。スライナを始めとする仲間や民が存在してこそ成し得た成長だ。
悲劇的な土地なれど得難いものが根づいている。一つたりとも失うわけにはゆかない。
窓から見えるトリュアティアは今、夜闇に紛れぬ蒼い星だ。木木が茂って雨を濾過した地下水が豊富で野生動物の姿も多く南を遠望すれば海があり、空は藍色だ。ここに至るまでに兄と兄の仲間がどれだけ走り回ったかまだまだ判らない。ララナは兄の背を見つめて話を聞いた。
「魔導機構開発の経過をざっくりと話せば鋳造と機械製造に二年、調整に一年半、約三年半だな。少し細かくすると技術者や作業員の大怪我や事故、設計ミスで微調整、誤作動・暴発の危険性、問題を何百と乗り越え、精霊結晶を搭載できる機械をなんとか一つ完成させた──」
金塊の産出からも察せられたことだが、トリュアティアは金属の産出量が非常に多く、機械の材料に事欠かない。技術向上の強固な土台がある一方で作業員と技術者、さらに工場が少なく、機械を一つ製造するのも長い時間が掛かった。見つかった課題が強みの発見に繫がった。工場増設や新たな採掘場の発見・開発を行うことがトリュアティア発展のキーだった。
水はないが金属の産出と加工、機械製造を伸ばせば自活にも他神界連携にも役立つとのスライナの意見を聞きつつアデルは完成した機械を間近にした。逐一製造の進み具合を聞いていたが実物を観るのは初めてだった。
「これがオレ達の未来を創るやも知れぬのだな。不思議な気分だ」
黒い台座と黒い操作盤が無骨に繫がっている。宮殿内部に運び入れたのが夜だからということでもなく、金属製のボディはひんやりと冷たい。
ずらりと並んだ製造関係者の緊張の面持がまっすぐアデルを向いていた。
これでいいのだろうか。できることはやりきった。きっと大丈夫。でも駄目だったら。
手放しで完成を悦ぶ者は一人もいない。
アデルは、スライナを伴って皆の前に立った。
「これが稼動するか、試験することとなる。機械が失敗している可能性もあれば、精霊側との意志疎通ができなかったことにより失敗を招く可能性もある。従って、機械に不備がない限りお前達に非はない。神界宮殿から酒場での祝杯を授けよう。今はひとまず一つの形を造り上げたことに胸を張って皆を労うのだ。よいな」
一呼吸を置いて、皆が返事をし、涙ながらにお辞儀した。
カスガを使いに出して酒場には話を通してある。作業員と技術者を見送り、アデルは機械を置いた宮殿一一階の部屋を再び訪れた。
スライナが操作盤の角に手を置いて、見つめていた。
「まだいたか」
「……昨夜、ラスタ丘の岩清水が涸渇したとカスガ様から連絡がありました」
「そうか。……」
それを知っていたら、祝い酒などとても口にできない。昼も夜も長いトリュアティアで活動しやすいのは、気温の安定した夕方と日が昇ってしばらくした頃。寒夜に優って凍える情報を民に伝えたくはない。
「幸いにして町内の井戸はまだ涸れてません。が、人工河川の水量が減少傾向にあることは変わりません。計算上一〇〇〇星霜以上の余力がある地下水は雨を濾過して溜まるもの。雨量は理想値に及ばず地下水の補給が追いついていない現状、広範囲で繫がっていると考えられる地下水層から取水を続ければ地盤沈下の懸念もあります。従って、町周辺の井戸から汲み上げ続けることが難しい。人工河川の水源たる地下水、一般神の生活用水を汲み上げる各所の井戸、それらの全面閉鎖を前提に公転を約二・五回経た後に周囲の人工河川はもとの荒れた姿に戻ってしまうという概算もあります」
「荒れるまでの経過があろう。河川に汲み上げている地下水の涸渇が不可避なら、建前の閉鎖で将来の不信を買う必要はない。違うか」
「正しい判断です」
「涸渇とその可能性を公表するとともに新たな水源確保計画を公表できぬようなら、頭が使えぬオレに全ての責任を押しつけろ。もとよりオレの責任で全てが動いているのだからな」
「……はい」
知恵者。源泉涸渇問題に関するストレスを最も感じているのは彼女だ。下水道処理の一環で生活用水に使える再生水の開発をも進めてくれているが、そちらもトリュアティアに不足した木属性の関係で安全性を担保できるレベルではないとアデルは報告を受けている。
「涸渇は誰の責任でもない。お前は、誰にも後ろ指を指されぬ多大なる貢献をした。皆とともに胸を張り、自らを労るがよい」
丸くなった背をアデルは軽く叩いて、しゃんとさせた。
「……優しいですわね」
「主神として、仲間として、力あるお前が嘆く姿を見逃せぬ」
それを優しさと言うなら、そうなのだろう。アデルに取っては仕事であり、当然のことであり、連携の一つだ。
「オレは戦闘狂だが、戦い以外にも貢献できることがあるなら勇んでやる」
「ふふふ。さすがはワタクシの、いいえ、ワタクシ達の、主ですわ」
「当然だ」
「ええ、当然ですわね」
いつもの笑みを無理なく浮かべたスライナが、アデルの手許に目をやる。
「今も持ってたんですね」
時の精霊結晶。肌身離さず持ち歩き、思いを語ってきた。
「オレこそが嘆くべきであろう。嫌われていては壁に向かって話しているのと大差なく、大きな希望を不完全のままこの機械に託さねばならない」
「灼熱の大地が認識の齟齬を設計していると仮定して、密かに魔力分析を続けてきました」
「む」
唐突になんのことか。「話を聞こう」
「アデル様が時の精霊結晶との対話に向かないことは話しましたわね。ワタクシ達宮殿の者や民も同様。素質及び性格一致のする存在が生まれないような設計を現実に落とし込むことが、かの者にならできる。ならば、『そう認識する設計』もあるのでは、と、仮定したんですわ」
「そんなことが──、いや、可能かも知れぬ。父の創造の力は摂理をも創る。個人の認識をねじ曲げる程度、造作もないだろう」
例えば、悪が美徳、と、設計されたひとの場合、悪魔を崇拝することが普通となる。それと同じように、時属性を別の属性と認識する、と、設計されたひとの場合、それが普通になる。そのように、歪んだ認識も固定できるのが創造神アースの創造の力である。
「精霊が眠っているという理屈はもはや通りません。認識をねじ曲げたとして、対話可能ならとっくに応答してくれたはずで、その対話状態まで認識できないようになっているとしたら、空間転移をさせたくない、と、灼熱の大地が考えていると観て間違いないでしょう。しかしながら現状のトリュアティアは明らかに他神界の何かしらの支えが必要です。アデル様がワタクシやエノン様に続いて数数の仲間を引き込んだように、ピースは確実に配置、いいえ、設計されている。今トリュアティアは他神界への助けを請うべき時期に確実に差しかかっています。それでいて『精霊との対話を認識できないような設計』がされていると考えるのは灼熱の大地の思考に一貫性が欠けますからあり得ないんですわ。従って、ワタクシは独自に魔力分析を進めました。──」
スライナが進めていた魔力分析は、アデル達が時の精霊結晶と対話できないと判明したときから始められた。治癒術者で魔力分析に長けるアクセルを中心として進められたそれは、宮仕えと民に対して行われた。
「──。アデル様以外のひとびとの個体魔力が本当に『時の精霊結晶と相性がよくないのか』という点に的を絞って分析を行いましたわ。相性がよい魔力同士なら同調・対立もしくは増幅を示しますから、時の精霊結晶を近くに置いてその反応が観られるかどうかを入念に、地道に事実確認しました」
「近年、仕事での移動距離が増えたと感じていた。それを調べていたのだな」
精霊結晶は、内包する属性魔力や相性がいい魔力を引き寄せたり、逆に相性の悪い魔力を退けたりしている。その性質を利用し、アデルの持つ精霊結晶を介してスライナが調べたのは創造神アースの設計がどこまで入り込んでいるか、だ。
「結論は先程も触れた通り、認識をねじ曲げてはいない。すなわち、宮仕えも、民も、時の精霊結晶との対話はできません。『性格不一致』は飽くまでワタクシの初期の見立てに過ぎません……」
推測だけでなく入念に調べた結果でもって創造神アースの意図が炙り出された。アデルの周りにスライナやカノンといったピースを配置してトリュアティアの状況を好転させることを設計したように創造神アースは確実に他神界との連携を設計し、時の精霊結晶を配置した。一方で一貫性を欠くかのように「時の精霊結晶との対話をさせない設計も仕込んでいた」ということを、スライナとアクセルが証明したのである。
「──創造神アースの持つ絶対の力、〈創造〉によって『対話が成立しない設計』になっていると考えます」
アデルは驚かない。一つの推測が、じつは当初からあったのである。
「精霊がその意志を伝えられぬよう、言葉を、奪われているのだな」
「お察しでしたのね……」
「カノンとの相性を考えれば自ずとな」
「ただ一人相性がいいといえるカノン様に返事一つ返さなかった辻褄が合うのですわ」
「……」
今このとき、創造神アースを目にしようものなら殴り倒したくなるほどの憎悪が募っていることをアデルは否定しない。スライナからもアクセルからも魔力分析について聞いていない。それが密かに進められていたのはトリュアティアの希望となる時の精霊結晶との対話が「絶対不可能」という過酷な現実に確証を得たとき、機械製造や調整に携わるひとびとの士気が落ちないよう慮ったのは勿論、皆の最後の希望たる主神の心労を増やさないためなのだ。
ひとびとを揺るがし焦がす灼熱の大地は、理不尽にも自らを脅かすことをしない。
「父が面倒を掛けている。すまない……」
「アデル様に取って父であるなら、ワタクシに取っても父ですわよ」
スライナがいまさらの理屈を持ち出した。「ワタクシ達もキョウダイです。連携しましょう、全力で」
「うむ。そうだな」
意志あらば立ち向かうことができる。アデルに取っても皆が兄弟姉妹、家族だ。絶対に失うわけにはゆかない。
「ときに、どちらが上なのだろうな」
「創られた順番からするとワタクシが妹でしょう。エノン様も弟ということになりますか」
「どちらも要領がいい。兄として、お前達の手本になれるよう立派な戦闘狂を目指そう」
「言葉の整合性が問われますが、応援しますわ」
「うむ」
まじめに受け取られてしまってはボケ損である。
……もう少し、冗談の練習をせねばな。
戦闘において疲れは禁物。キョウダイに等しい仲間を癒やせるようにもなりたいものだ。
アデルは密かにそんなことを考えつつ、魔導機構の試験運転となる翌昼を迎えた。稼働の準備を進めた技術者が操作盤に時の精霊結晶をセットして蓋をすると、声を発した。
「以上で準備完了です。アデル様、転移魔導の起動は、こちらです」
「うむ」
操作盤中央の、少し大きな正円形のボタン。数多あるスイッチや取っ手は空間座標固定などに用いる微調整用で技術者が調整済みなので下手に触れない。ここに至るまでに、他神界があろう場所をスライナが観測、空間座標を計算して技術者が機械を調整した。
空間転移の魔導効果が生ずる台座上には神一人分の大きさに作られた円柱形の金塊が置かれている。転移させたそれを数秒後には台座へ戻す。行きと帰りの転移がきちんと稼働するか、これが最初の試験だ。
台座や操作盤は数字に弱いアデルには理解不能なデリケートさであるから、起動ボタンを押すくらいしかできない。可能ならそれも技術者に押してもらえると安心なのだが、
──記念すべき初起動は主神アデルに!
と、皆が推すものだから断れなかった。
……こういった責任の取り方もあろう。
皆の努力が実らなかったとしても、精霊との許可がなかったり機械の不備があったりしたのではなく、戦闘狂がどこか変なところをさわってしまったから誤作動した、と、責任を被ることができる。
……うむ、それで行こう。
皆が納得するかはさておき、アデルはそのように考えて、……精霊よ、頼んだぞ。
ボタンをかちりと押した。
台座に変化が生ずる。
……時属性が集束していく。
固唾を吞んで皆が様子を見守る。
金塊を包む紫色の帯状光が強まり、やがて、金塊を覆うように収縮、直後に放射した。
弾けた光に目を眩ませたあいだに、
「金塊が!」
「ない!」
室内を水飛沫のように跳ね回った魔力の光余光が消えると金塊の消失を皆が認めた。どこかの空間に送り込めた。無事に戻れば正しい空間座標に送れたか判る。
……さあ、戻ってこい……。
念ずるようにしばし待つと、台座に再び変化が生じた。先のように時属性魔力が集まり、光が灯ると一点に収縮、
……頼む──。
ぱっと弾けた紫色の光。
水飛沫な余光。
アデルは、逸速く台座の前に出て、息を吞んだ。
「ある……。金塊が、あるぞ」
精霊との対話が成立しない中で成功した。
そのように気が逸りそうになる。だから、段階を踏む。
金塊は中が空洞で、叩けば穴が空くほど脆く作られていた。気圧や温度、環境変化の影響を受けやすくして、空間転移の精度・空間座標の正確性、また、転移先の環境を調べるためだ。想定通りの転移先なら金塊に著しい変化が認められず、一回目の試験を成功と見做せる。
「外見は変わっていないな……」
アデルは金塊を触れ、その温度を確かめる。
「やや温まっているようだが、極端ではないな」
凹みや膨らみがなく、濡れた様子がなく、感触も変わっていない。空間転移した先は想定した通りの地上であり、トリュアティアと大きな環境変化がないと推察できる。それでもって、一回目の試験運転は成功だ。
……が、試験運転は二回ある。次が失敗なら、ひとを飛ばせぬ。
一回目は謂わば練習中の練習。肝心なのは、二回目の試験運転。最も飛ばさねばならないもの、生命体で試す必要がある。
「次だ」
と、アデルは指示を出した。まさか実験でひとを飛ばすわけにもゆかない。現れたのは、畜産業者に曳かれてやってきた一頭のヒツジ。食のみならず繊維や皮、土地改良の材料などに成り得て、水属性魔力を保有している貴重な資源でもある。
台座にヒツジが乗せられると、アデルは除けた金塊を触れ、再び起動ボタンの前に立った。
……もし声が聞こえているのなら、どうか頼む、精霊よ。
皆の熱視線に怯えたのだろう。ヒツジが後退りしたか否かのタイミングでアデルは起動ボタンを押した。
光に消えたヒツジの無事を、皆が拳を握って祈る。
瞬きにして数回分だろう、時が経っていた。実際にはアデルを含め多くの者が瞬きもできず台座を見つめていた。
……頼む、無事で、帰ってきてくれ……。
不安要素を並べたら切りがない。
あえてそこには目を瞑り、断行した。
台座に、あの光が集まる。
……頼む……。
水飛沫な余光に、目が眩む。
逸速く光の奥を見定めたアデルは、握り潰した金塊を手放して、駆け出す。
「……ヒツジがいる」
余光を蹴飛ばすようにしてヒツジを抱き上げたアデルに、スライナが歩み寄る。ヒツジに、異常はない。息がある。生きている。いくつか漏れた吐息のあと、皆の嘆息と歓声が重なってゆく。
アデルは結果を伝える。
「完璧な成功だ。皆の者、……よくやった」
アデルの目差を受けた瞬間、皆が水飛沫のように悦び、結束を顕すように踊り出した。
「やりましたわね……!」
「ああ、やった。皆のお蔭だ……。(精霊よ、お前もだ。協力に、心より感謝する)」
皆の興奮に当てられ暴れるヒツジを畜産農家に返したアデルは、スライナが挙げた手にハイタッチした。
「お前にも、感謝してもしきれぬな」
「その感謝、皆と分ち合いませんこと」
踊る皆を示し、スライナが笑った。アデルはうなづき、知りもしない踊りの和に融けた。
空間転移の成功が悲劇の始まりでもあったことをアデルはそのとき知る由もなかった。
初起動日から魔導機構に不具合がないことを観察・確認すると、早速カスガを送り出し、他神界の調査を本格化した。カスガだけでなく、カスガの下につかせていた部下も投入して調査の手を広げた。
到達順に一箇所ずつ交渉し、アデルの弟妹が主神を務める神界にトリュアティア製の機械を配置、現地で精霊結晶を調達して空間転移ができるよう整備した。各主神との交渉を進めて食料品や衣料品、名産や人材、技術や原料などを交流させる通商条約を結んだことを「連携」と捉えて、六つの神界とのこれを成立した。
神界の内訳は、アルマジックの治める「志」、アリスの治める「薀」、ラセラユナの治める「添」、サリュトーレの治める「守」、ズリウの治める「関」、リュウェルンの治める「優」である。これら神界がトリュアティアと同じく神界三〇拠点と呼ばれる要衝の括りに入っているとはラセラユナから仕入れた情報である。敵性分子と対抗する神界三〇拠点の一部と早期に連絡を取り合える関係になったのは悦ばしいことと言えた。
問題は優の神界の次、七番目に到達した神界で、名はメークラン、メリアの治める神界であった。通商条約の交渉が始まって五〇夜を経て進展がなく、メークラン側に空間転移の機械を搬入することもできていなかった。それまで参謀たるスライナがトリュアティアに残って各神界との互助関係を深める調整内容を提案し、それを各神界へ伝えたカスガが折衝していたが、メークランでの交渉が進まない理由をカスガがはっきりと口にしないことからスライナが現地に赴くこととなった。そうして数夜後、スライナから耳を疑うような報告を受けたアデルは自ら出向くことを決めた。
メークラン訪問当日。
空間転移魔導で飛ばされた先は神界宮殿前。足許以外が見渡す限りの水で埋め尽くされていた。海。スライナの知識で初めて知ったそれはアデル達トリュアティアの民が喉から手が出るほど欲しているものであった。そう、メークランはトリュアティアに取って生命線と成り得る交渉先だったのである。けれども、選りに選って交渉が停滞してしまった。
……メリア。いったい、何がどうなったらこうなるのだ。
海のど真ん中に浮かぶようにして建った神界宮殿。それを建てたメリアを訪ねたアデルが案内されたのは、地下牢だった。海水に沈んだ牢に息ができる空間はない。メリアはまこと生きたまま海水に沈められて、瞼を閉じたまま動かない。
……こちらを向け。
拳を固めすぎないように意識して、格子を手の甲で軽く叩いた。鈍い音が大きく響いて、格子がわずか歪んだ。海中では話すことができない。アデルはせめてメリアの眼を見たかった。
アデルの立てた音に反応してメリアが瞼を開けると、見えているのか、見えていないのか、かすかに微笑んで、再び瞼を閉じた。ほかにひとのいない海水牢はヒトデが揺れるのみで、どれだけ待ってもメリアが次に瞼を開くことはなかった。
……なぜだ。なぜ、こんなことに──。
交渉が進まなかった理由がスライナの報告ではっきりしていた。メリアが現主神ミントに座を追われていたからだ。おまけにミントはメリアを憎悪しておりメリアと関わりのあるアデルやその関係者を毛嫌いしている。カスガやスライナを投獄こそしなかったが交渉に応ずるつもりがミントにはなかったようだ。
……惨い目に遭わせたものだ。
主神ミントはメリアの妹という肩書も持っている。メークランとともにメリアの妹として設計され配置されたのだろうミントを、アデルは妹の一人として記憶していない。そのこともあって、ミントが憎悪する原因は判っていない。
メリアの身に何が起きたのか。妹ミントになぜ投獄されなければならなかったのか。主神としては半ば越権行為であったが創造神アースの設計を認識している者として投獄の真相を知る必要があるとアデルは感じた。
主神となるべく創られたメリアが溺死することのない強靭さを備えているのは不幸中の幸いだが、
……話を聞かねばな。
胸がざわざわとしたアデルである。いくらメリアが穏やかな性格でも感情的な理由で投獄されたなら抵抗くらいはしたはずだ。ところがメリアは、格子の近くにはおらず、牢の奥のほうで身動きせず、事態を受け入れているようだった。どうしたらそんなことができる。
……オレならば一瞬も無理だな。
無駄な時間を過ごすなら、民のためにやれることをしたい。
地下牢から上がったアデルは、頰を伝う海水を首を振って払った。
「こちらをどうぞ」
地下牢に入る前はいなかった女性がタオルを差し出していた。
アデルは、礼を言わずタオルを受け取り、髪を拭いつつ問う。
「お前がミントだな」
「ご存じでしたか」
「見誤ったか」
「なんのことです。あの、せっかくお越しになったんです。お食事にご招待させてください。通商条約の交渉もしたいんです」
……報告と齟齬がある。
ミントはアデルに対して敵意を向けていない。いっそ好意的で交渉に前向きのようだ。
……これが本心なら、カスガやスライナに迫真の演技で接したということだな。
アデルはミントの態度を観た瞬間に侮れないと警戒し、悟った。メリアが乗り越えなければならない壁としてミントが創られたであろうことをだ。
メリアは乗り越えられず投獄されてしまった。アデルに置き換えるなら、スライナの試験に合格できず知恵をもらえなかった場合に起こったことかも知れない。
ミントの案内で宮殿一九階の浴室と服を借りて着替え、同階の食堂に招かれた。
アデルの住むトリュアティアの神界宮殿にもあるような広い食堂だ。宮殿一九階という階層まで同じであるが用途は少し違うよう。アデルは仲間を集めて結束を固めるため食卓をともにする。ここにはミントとアデルしかいない。料理や装飾は豪華であるのに、動きの少ない空気と向かい合う大きな食卓であった。
トリュアティアは昼。メークランは夜。燭台に照らされた明るい食卓で目立つ空席は話のタネになる。スライナの報告を、アデルは活かす。
「夕食、いや、夜食だろうか。両親は席をともにせぬのか」
「今はアデル様をお招きしていますから」
「衣料品の生産が盛んなのだろう。この服、トリュアティアのものより質がいい。オレのことを気にして優秀な配下を蔑ろにしているならむしろ迷惑といっておく。オレは交渉に来た。皆の意見を広く聞きたい」
「……素晴らしいお考えですね、ワタシもそう思います」
ミントがフォークとナイフを置いて話した。「みんなの意見を聞くなら、下の食堂がいいでしょう。ここには、みんな来ませんから」
「お前は主神だ。呼べば来るだろう」
「……お聞きした通りの方ですね。自信に満ちた、強いお方」
アデルはミントの節目を射抜く。
「誰の文句だ。オレの配下は他神界で上司を立てるような不作法をせぬ」
「……配下の方に全幅の信頼を──。……アデル様のことをいっていたのは、姉です」
「そうだろうな」
メリアと話したことはほとんどないが、アデルの行動を把握している創造神アースに創られたメリアが「アデルの性格を熟知している」と設計されているなら、ミントに伝わったとしてもおかしな話ではない。しかし自分が関知しないところでキョウダイでもない者が自分のことを深く知るよう設計したであろうどこぞの大地がアデルは不快でならない。
フォークが進む中、アデルは観察を話す。
「メリアは信頼していたに違いないな」
「どういう意味ですか」
「灼熱の大地、いや、ここでは海が荒れることを示すという時化とでもいうべきか、お前は時化こと創造神アースに創られた神の一人だろう。『脇役』を自覚していないのか」
「……ワタシは──」
「返答が遅い。お前は主神であろう。自らのことをなぜ考えて話す。反射的に答えられぬほど自分を理解できていないのか、それとも猫を被っているのか」
「……その、」
「またか」
「わ、ワタシは……、……」
ミントが、俯いた。
「気にすることはない。お前は主神として完成していないのだ」
アデルは咎めたつもりもないが、スライナがいたら容赦がないと言われそうだ。
ミントにも褒めるべき点があるだろう。アデルは食事をじっくり味わっている。鯛のマリネとアボカド、トマト、ラディッシュなどが層となった前菜はひんやりとした口当りとスパイスが効いて、じつにおいしい。海があることからも推測がついたが水産資源が豊富でこれをしっかりと活用している。トリュアティアには魚がほとんど存在しない。植物が少なく動物も貴重であるから油はなおさら貴重だ。スパイスの類もこれほど上手に使われていたことがなく、食べたことのないソースがまた濃厚でおいしい。一皿に未知が凝縮されている。いったいどれだけのひとびとの努力と技術が載っているのだろうか。ひとびとの生活が豊かになり精神性も磨かれていることが想像できる。
これはなんだ、と、たった一品で、アデルは密かにカルチャーショックを受けていた。メークランも創造神アースが創造したのだからトリュアティアと大きく変らず悲劇的な土地だったはずである。魔力環境を分析しても、それを窺い知ることができる。水属性が極限に多い一方でほかの魔力が少なすぎる。これでは魚が育っても動植物は育たないはずではないのか。だが、植物も豊富に育っている。
「こうして見事な前菜がある。トリュアティアにはない調理技術が磨かれている。服もそうだな。この着心地が民にも行き渡っているようだとは、配下から聞き及んでいる。地上のような空間を海底に作ることで民は平和に暮らせるようだとも。そこまで整備できたのは、主神たるお前の実力だ。俯かず胸を張ればよい」
アデルの言葉を聞いて、ミントが少し顔を上げた。
「通商条約のこと、これまで断っていて申し訳ありませんでした」
「メリア投獄と因果関係がありそうだな」
「はい」
ミントが膝に手を置いて、アデルをまっすぐに視た。
「先程、アデル様が仰ったことにも関係があります。仲間、ワタシの配下のことです」
「話してみろ」
「はい」
アデルが料理を食べ進め、ミントがメークランの現状を順序立てて話した。
事の始まりは約一八二五夜前、メリアが投獄されたことに遡る。メリアは民との信頼関係を築き、配下ともうまくやっていた。神界宮殿の仕事が尽きることなく回り、水産資源の活用と海底での都市開発を推進したことで民が潤い、主神メリア並びに神界宮殿は信を得ていた。ところが、メリアに呪いが掛けられていることがメリアの配下の調べで判った。
得体の知れない力で周囲の者を不幸に陥れる〈緋色童子〉と謂う呪いは生来のものらしい。らしい、と、濁さなければならなかったのはミントも未だ半信半疑だった。メリアは主神としてよく働いていて呪いを振りまくようなそぶりがなかった。第一、メリアが不幸を振りまいていたならとっくにみんなが不幸になっていなければならなかったが、生活が向上して幸せになった者ばかりだ。
けれども、呪いの噂を耳にした民は一様に恐れたのである。呪いという得体の知れない漠然とした力も相俟って恐れは一瞬にして広まり、メリアの更迭を求める声が高まり、次第に、メリアの処刑を求める声まで上がり、それが、ミントにも抑えられないほど加熱した。
「──呪いについて記された書物は、創造神アースの記したものでした。〔緋色童子。これを活かすことはできぬ。生かすは悪行。後に恐ろしき凶報があろう。〕と」
ミントが隣の空席からテーブルの上に置いたのがその手記である。
アデルは一皿を平らげたところであった。席を立ち、フォークとナイフの替りに手記を手に取り付箋の頁を開いた。ミントが話した通り呪いの内容だ。凶報の具体例も記されている。
〔血を吐く者、心の臓が由なく止まる者、老い立ち上がれぬ者、四肢が切断され──〕
「……食事に差し支えると思いました。でも、アデル様にしかこんなことは伝えられない。ですから、早く、アデル様に来ていただきたかったんです」
「なるほど」
手記を閉じて、アデルはミントの不可解な行動を解釈した。「民に反旗を翻された恰好のメリアを観ていたお前は、配下に対する懸念をもいだいた。オレの配下をことごとく追い払い、ときに姉メリアへの憎悪を演ずることで、メークランの異常事態、すなわちメリアの呪いについて主神であるオレ一人に伝えることにした。メリアの呪いに関する情報が下手に伝われば、こうして食卓につくことなくオレに絶縁される、と」
「騙し打ちのような真似だとは、解っています。アデル様が姉の呪いを受ける危険性があったことを、ワタシは判っていたんですから」
それでもアデルを騙し打ちに掛けたのは、なぜか。
「まあ、いい」
アデルは呪いを気にしない。「この本は借りていく。本音をいえば今日にも牢から出してやりたいところだが、オレ一人で呪いをどうにかできるとも考えていない」
呪いへの対処はスライナの領分だろう。それに、アデルはまだ引っかかるものがある。
「ミントよ」
「はい、なんでしょうか」
「付箋がいくつか貼られている。お前はこの手記を読み込んだのか」
「呪いの効力や効果範囲について、それから、解呪に繫がりそうな文言があるところに付箋をして何度も読み返しました」
「地下牢なら民に影響が及ばないと考え、投獄したのか」
「はい。姉の承諾は、得ています」
「そうか」
一つ合点が行く。メリアが投獄に応じたのは民に呪いの影響が及ぶことを恐れたのだ、と。
「まだ読んではいないが想像がついた。海水の中では呪いが発揮されないのだな」
「っ……さすがですね、アデル様。その通りです、その手記に記されていて……」
「誰でも想像がつくだろう。接触程度の効果範囲なら宮殿内の一室に隔離すれば済む」
アデルは確信を深め──、手記を手にしたまま、「食事の途中だが、オレは一旦帰還する。通商条約については改めて配下と詰めてもらう」
「待ってください!」
ミントが慌てて立ち上がった。「もういらっしゃらないおつもりなんですか」
アデルは鼻で笑った。
「戦神は戦場で遍く怨嗟を受ける。オレの意志は呪いになど屈服せぬ」
「では、どうして」
「作戦会議といったところだ。オレも解呪の方策を練る。同時に、お前の許で空間転移魔導の準備を進め、通商条約の締結を目指せ。無論、魔導に用いる機械の提供はこちらが行う」
先の一皿から感じ取った豊富な水産資源とそれに関わる優れた知恵と技術をアデルは是非ともトリュアティアに招きたい。併行してメリアの解呪を成せるなら万万歳である。
「アデル様、一つ、お訊きしても」
「なんだ」
「アデル様は、どうして、そんなに必死に動いてくれるんですか。最悪、死んでしまうかも知れない呪い。みんなが恐れている呪いなんですよ」
「二度もいうつもりはない。お前も主神ならばもう少し頭を使うのだな。失礼する」
会釈するミントの顔など見ず、アデルはもう一度牢に足を運んだ。手記を濡らせないのでメリアとは会わなかったが、物言わず揺れる海水を語りかけるように見つめていた。
予定通り宮殿前に立ったアデルは、空間転移の光に包まれてトリュアティアの宮殿内に戻った。この瞬間移動はまさしく魔法的で不思議だがそんなことは今はどうでもいい。時の精霊に感謝を伝え、待機していたスライナを伴うと私室で自分の服に着替えて本題を切り出した。
「──お前のいう通り、ミントは怪しいな」
先日、スライナが報告に交えて話していたことがある。それは、ミントが何か重要なことを黙っている、と、いうことであり、アデルはその一端を感じ取ってきた。
「ミントは虚実を織り交ぜて話している節がある。オレが思うに、」
「確証はないんですわね」
「それだけ侮れぬ相手ということだ。続きだ。オレが思うに、メリア投獄の経緯は概ね事実だろう。この手記を渡しておく。呪いについて書かれている」
「これ、かの者の字では……」
「話が早い。その手記に──」
アデルが話すより先に手記をぱらららっと捲ったスライナがものの数秒で情報を得た。薄い冊子のような手記だがアデルには真似できそうにない速読である。
「メリア様は緋色童子という呪われたひとだったんですね。それで、呪いを振りまくだなんて話になって投獄を」
投獄された理由を詳しく知らなかったスライナが納得の色。ミントから聞いた投獄の経緯を改めて伝えたアデルは、考えを話す。
「呪いを恐れた民の意に逆らえず投獄を受け入れたことが事実だろう。が、全てメリアが積極したこととは思えぬ」
「ミント様が民を煽動したと考えているんですね」
「不可解なことがある。オレは海水牢で濡れた服の替りに先の服を借り、ミントがコックに用意させた前菜を食べた。メリア投獄が約一八二五夜前という話からしてもミントの話からしてもあれらの土台にはメリアの働きがあったと考えてしかるべきだ。メリアの働きは民や配下が信を置くほどであったとミントも述べている」
「不可解というのは」
「オレは、服と前菜について称賛した。主神であるミントの働きがあってこそだ、とな」
「ミント様はなんと」
「だから不可解といっている」
「今日のアデル様は少し短気ですわね」
「理解できているお前にわざわざ説明するのは煩わしく思……、いや、すまぬ、確かに、短気になっているようだ」
アデルは説明不足の自覚があった。胸がざわざわして仕方がないのだ。「説明しよう。ミントは、」
「大丈夫ですわ、理解してます」
自分が称賛されたとき、その功績にメリアが関わっていたことをミントは話さなかった。まるで自分が称賛されてしるべきと言うかのように、メリアの功績を認めないかのように、
「もしくは、メリアの功績を奪いたかったがゆえに」
「なかなか鋭い観察と考えます。確証はありませんがその線で話を進めるならこの手記の発見者も気になりますわね」
「メリアの配下だとミントがいっていた」
「文脈で」
「はっきりそう口にしたが、それがどうかしたか」
「神界宮殿で『配下』と聞けば『主神の配下』と受け取るので、過去の話の途中なら『メリア様の配下』と意訳して聞きますね」
「ふむ、そうかも知れぬな。重ねて、それがどうしたのだ」
「アデル様を無知と侮っているならまだしも頼った側のミント様が『メリア様の』といったなら誇張に取れます。事実無知なアデル様にさえそこはかとなく含みと取られるきっかけになった言葉であると考察しますわ」
「無知を二回いったのはお前の含みか」
「いつ賢くなりました」
「含みではなく事実を示したのだな」
「聞き手に対する念押しとジョークです」
「オレしかいない場での念押しは必要か」
「試練を緩慢にしてくれるよう願いつつどこかで観ているであろう灼熱の大地に笑ってもらうことが大事ですよ」
「そこまで突飛な視野はなかった。笑っていることを願うとする」
創造神アースに笑われると思うと腹立たしいが、戦闘以外のことは速やかに配下を頼るアデルなので、スライナの目線と指摘は素直に受け入れた。
「話を戻すが、手記がどのように発見されたか疑わしいものだな」
「アデル様のいうように疑ってはみますが、ワタクシ、この手記を偽物とは思いません」
「オレは父の字を知らぬ」
「ワタクシも初めて見ましたから、そうと認識してるに過ぎません。精霊と対話不可能、などと理不尽な設計をした前科がありますからね」
「お前の認識をねじ曲げていると」
「この手記をかの者の字と誤認させることは簡単でしょう。となれば、」
「その手記はミントが創作もとい捏造した可能性があるのか」
「ええ」
スライナの知恵が窮地のトリュアティアを救ってきたとアデルは感じている。信頼感は当然強い。が、それを見越してピンポイントで誤認に誘導するような仕込みを創造神アースならやってしまえそうだ。仕掛ける側の大変さとしては、南極遺跡の手の届く範囲に精霊結晶を一つ置いておくことと変わらないだろう。仕掛けられた側としては、手記が創造神アースのものと信じてしまった場合ミントの言葉も鵜吞にせざるを得ず、メリアを海水から出すことはできない。通商条約交渉は進むがアデルはそれだけでは納得できない。
「最初の発見者がメリア様の配下だったというのが真実だとして、そうなるように誘導することが妹であるミント様なら容易。それもまだメリア様の信が失われていない頃のことで、ミント様への転移的信頼感もあってより簡単」
「お前も相当に短気だな」
「苛立っていることは否定しませんわ。アデル様の妹。なればワタクシに取っても似たようなもの……」
生きながら海に沈められている近親がいることに怒りを禁じ得ないのである。笑いを提供するのは無慈悲な試練を抑止するためだ。
……過酷なれども笑って進んでくれる。
スライナのポジティブ思考にアデルは賛同して話を聞く。
「〔海中にて呪いは無力化する。〕など手記の文言は都合がよく、筆者が疑わしい。緋色童子というのは、この手記の定義に照らせばトリュアティアにも生まれているのですわ」
「そうなのか」
「読み上げましょう」
スライナが取り上げた内容は、
〔緋色童子はその身に緋きを示す。〕
と、いう文言である。
「緋きを示す。メリアは確かに赤髪と赤みがかった肌だが、なんだ、その杜撰な設計は」
「ですから、灼熱の大地の手記であることに疑いが湧いたわけです。かの者ならもっと際どく残酷な仕込みを行いそうなものではありませんか」
「同意だ。して、都合がよすぎる無力化の話はどうなった」
「トリュアティアにも緋色童子が存在しています。緋い髪、緋い目、緋い肌、なんて括らなくても、皆、緋い血を持っているではありませんか」
「灯台下暗し、かつ、頓知のようなものか。お前のいう通りだ」
「海水が存在せず緋色童子が存在しているのでトリュアティアは呪いによって誰も彼もが不幸に巻き込まれているはずです。はて、灼熱の大地の創り給うたこの星の魔力配分による不幸以上の不幸が、いいえ、呪いが、どこに存在しますか。答は、」
「存在しない。同意だ」
アデルは、スライナの論理でもって確信を持った。「手記の正体は知らぬがメリアにも灼熱の大地の試験があった可能性が極めて高い」
「ワタクシがアデル様にしたような」
「ミントが手記を見つけさせるなり、民を煽動するなり、ひょっとすると、民に呪いの噂を拡散するなりした際に、試験が生じていたのだろう。ミントの行為を見咎め、ミントが内心に潜めた憎悪を見抜き、断罪するか、許容するか、二択で合否が決まる」
試験会場に遅れて不合格、と、いうのがメリアの現状だろう。投獄されたとき初めてメリアはミントの憎悪を感じ取ったに違いない。民の意も重く伸しかかって、一層、抵抗の意志を削がれたことだろう。そこでまた別の何かを試験されていたとも捉えられないでもないが、メリアの性格からして、そこまで追い込まれたら自分に非がなくても受け入れてしまう。投獄への合意は、恐らくは事実だ。
アデルは、拳を握って宣言した。
「メリアを救い出す」
「え……」
「どうした。通商条約が掛かってもいるが別に考え事があったか」
「──いいえ。ただ」
スライナがむふふと微笑んだ。「仏頂面のアデル様も素晴らしいですが、熱いアデル様も、それはそれで麗しいですね」
「どういう意味だ。オレは理不尽な目に遭っている妹を救いたいだけだ」
と、言いながら、また、笑うスライナに見つめられながら、アデルは自分の言葉にちぐはぐさを感じてもいた。
……噓ではないのだが。
理不尽な目に遭っている妹を救う。状況の描写として正しく、自分らしい考えだと太鼓判を捺してもいい。が、何かが心とずれている。
ずれの正体は判らなかったが、アデルはそれからカスガを呼んでスライナとともに通商条約交渉に向けて作戦を練った。そこにはメリアを海水牢から出す計画も含まれていた。緋色童子云云はメリアを陥れるためのミントのはったりと捉えていたが念のため調べ上げ、対策を立てることにした。
基本は、これまでのようにカスガが通商条約交渉に赴いた。ミントの目を交渉の場に向けさせるのが目的である。カスガとミントが神界宮殿で交渉中に、カスガ以外の調査員を引き連れたスライナがメークランの海底都市に赴いた。スライナと調査員は、メークラン製の民族衣装を身につけた上で肉体変化による変化形で潜入し、メークランの内情・メリア投獄の経緯に関する民の認識を探った。併行して、前主神メリアと現主神ミントとで統治がどう変化したか細かく洗い出してゆいた。
時間は掛かった。通商条約の交渉に紛れて行うことは勿論、ミントを主神の座から退けることも視野に入れた情報収集なので隙がないよう入念に行った。
全ては、灼熱の大地を沈め、時化を止めるために。
──三章 終──