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一章 抗する駒

 

「惑星アースでいうところの二七日半を掛けて、オレは星を二周した」

 丘や山、谷を見つければ隅隅まで観て回り、崖を見つけては飛び降りて目視し、水源がないか、アデルは確認した。

「水源問題と関係があると当時は思いもしなかったが、あの頃の景色は赤かったな──」

 

 お世辞にも全てを観察したとは言えなかった。それでも可能な限り探って水源はただ一つと結論した。岩清水で川を成すラスタ丘にほかならない。水属性魔力の分布から想像したが状況がすこぶる悪い。この星、神界トリュアティアは、創造神アースの思慮の欠如か視野の狭さ、それか悪質性を顕した厳酷なる土地だったのである。

 何度も日中の暖気を体験し、取って代わるように訪れる夜の寒気も体験し、神界宮殿に戻った主神アデルは玉座に沈んだ。

 ……ああ、愚かな、愚かな愚かな愚かな、愚かな父だ。

 気を緩めたつもりもないのにそんなことばかりを考えてしまう。

 ……これは、現実逃避だ。

 愚かな父の創った荒涼たる不毛の土地だとしても八〇〇人余りが暮らす土地である。なんとか環境を改善し、生活を向上させなければならない。

 ……しかし、どうすればよい。水源はない。

 トリュアティアはこの集落以外にひとびとの暮らす土地がないことも判った。この集落が壊滅すればトリュアティアはひとのいない星〈無神化(むじんか)(せい)〉になってしまう。ラスタ川が涸渇しないよう維持すると同時に拡張を考えなければならない。が、これも愚かな父のせいか、いや、愚かな父のせいでしかない、アデルには水源拡張の知恵がない。重ねて言うが、これっぽっちも知恵がない。

 ……オレはなんと無知な主神なのだ。これでは単なる戦闘狂ではないか。

 めぼしい外敵が現れないため戦闘能力は宝の持腐れである。形だけの玉座に沈むしかなかった。どっしりと座って威光を放つように瞼を閉じている外面のよさに反して内心の情けなさを自覚できるアデルは一層に憮然とするほかなかった。

 ……恰好をつけたとて解決などせぬ。オレもまったく愚かだな。しかしどうすれば。

 意気消沈のアデルに、あでやかな影が会釈した。

「アデル様、知恵は要りませんか」

「……お前は」

「あら、お忘れですの」

 その微笑は憶えている。スライナだ。

「なぜ牢から出ている」

「出していただけましたのよ、優しい部下をお持ちなんですね」

「口車に乗せたか。お前を牢から出した者は首だ」

「褒賞の間違いですわよ」

 スリットの入ったドレスから覗く太股に籠絡された力自慢が何人いただろう。スライナが片膝をついて述べるのは、

「ワタクシを配下にしませんこと」

「父の差し金たるお前をか」

 愚かな父の、と、付け加えてもいい。「信用ならぬ」

「あなたはワタクシを見縊っているようですわね」

 柳眉を軽く持ち上げたスライナが言う。「ワタクシがここへ来たのはワタクシの意志。あなたを支えたいなどと殊勝なことはいいません。あなたの無知にやきもきしているんです」

「ふむ……」

 忌憚のない意見をアデルは吞み込む。初見の彼女に比べれば心が観えもして父云云はこの際どうでもよくなった。

「水源拡張、または水源確保の知恵が、お前にはあるのか」

「ワタクシを配下にしてくださいな。全てはそこからです」

「一つ問う。お前の譲れぬものを教えろ」

「自由と愛ですわ」

「そのためにここで首を刎ねられても構わぬか」

「働きもしないままではごめんですわね。それ

から改めていいますが、見縊らないことです。愚かな目のもとにワタクシは膝をつきませんわ」

「──よかろう」

 可能性を潰す判断は愚の極みだ。アデルは崩れた脚を立て直す。

「お前をオレの配下としよう」

「悦んでお仕えしますわ」

 スライナがお辞儀して、立ち上がった。「とはいいましたが知恵は貸しませんよ」

「解っている。お前は自由のために『与え』るのだろう」

「愛のためでもありますわよ」

「平然と口にできる神経が理解できぬが、求むものは理解できた」

 それが解りさえすれば信用できる。仮に裏切られるとしたら彼女が彼女自身を裏切るとき、と、アデルは考えて受け入れた。

 背の窓から火を放ったような光が零れた。夜明けだ。

 これから暑くなる。アデルは水源に関する知恵を早速もらうことにした。ラスタ川の視察を求めたスライナを案内するため、アデルは先を歩いた。スライナがときたま立ち止まって凍えるラスタ川が溶けゆくさまを観察し、神界宮殿並びに集落から約一五キロメートル、源泉であるラスタ丘へ辿りついた。なんの変哲もない岩清水。ラスタ川の周辺もちらほらと草木が見えたが源泉の近くには苔が生して集落より空気が澄んでいる。

「改めて訪れてよく判った。ここは水属性魔力が濃密だ。源泉があるのだから当然か」

「……」

「何か解ったか」

 源泉をじっと見つめていたスライナを窺うも反応がないので、アデルは赤い空を仰いだ。

「雲一つない。空にも水属性魔力を感ぜぬ。いったい、この神界はどうなっているのだ」

「あまりに水属性魔力がないんですわね」

「オレがいったことと何が違う」

「ワタクシに与えられた青き星の知識と比較すると、と、いう話です。ラスタ川、それを成すラスタ丘の源泉ですら水属性魔力が不足しているということです」

 アデルは腰に当てた手を握り込んだ。

「水が流れるほどには水属性魔力がある」

「ええ、最低限は」

「青き星とはなんだ」

「創造神アースが世界の最初に創造しようと構想した第一星(だいいっせい)のことです」

「第一星……」

 トリュアティアが最初に構想されたものと思っていたのでアデルは少し驚いた。

「トリュアティアとそちら、どちらが先に創造されたのだ」

「構想ですから実際に創ったか不明ですがトリュアティアより先でしょう。仮に創られたのだとしたらトリュアティアがおよそ一〇倍大きいですわね」

「張り合っているわけではない」

「解ってます。比較基準の一つを示したに過ぎませんわ。要点はその先。比較基準から導き出せるのはトリュアティアにおいて空はやや青白くなるのが適正であるということ」

「青白い空、か」

 アデルが観たのは真赤または赤黒い空だった。「想像がつかぬ」

「散乱した光が溶け合って白っぽく見えるわけですが、ふふ、まあその辺りは今後の学習に委ねて答だけ置きましょう。現状、水量があまりに少ないんです」

「具体的にどの程度だ」

「星のスケールは一〇倍といいましたが、水量はその逆、いいえ、それ以上に過酷です」

「水量は一割にも満たないということか。ひとびとが何日使える量だ」

 創造神アースが構想した第一星より広大な土地を持ちながら水量が少ないなら涸渇しやすいということだろう。生活には水が不可欠だ。いつなくなるか考えないわけにはゆかない。

 スライナが細かな説明を開始する──。

「極めて単純な計算ですから正確な計測も今後必要とは考えますが、まずラスタ川の水量について。ラスタ川の幅や水深、底の形から推定すると水量はおよそ一〇〇〇立法キロメートル。ここまではいいですか」

「うむ」

 見た目には量があるようでも数字にするとかなり少ない、と、いう認識でいいだろう。

「では次です。ワタクシの持つ青き星の水の蒸発速度を基に計算すると、自然蒸発は一夜につきおよそ二eマイナス七乗立法キロメートルです」

「うむ──」

「すると、涸渇するまでの時間は三六億()と推定されます」

「うむ……」

「これとは別に取水量による涸渇への加速度が加わります。一人頭の平均使用水量を一夜当り二eマイナス一乗立法メートル程度と仮定、八二六人で使うわけですから涸渇は自然蒸発よりずっと早い計算です。そしてこれには気温や風量などの自然環境、つまるところ涸渇しやすい環境係数が含まれていませんから単純計算より早く涸渇する危険性が──」

「…………」

「ついてきてますか」

「蒸発速度云云から行方不明だ」

「嚙み砕きますでもう少し頑張ってくださいね」

「細かい計算がな」

「解りましたわ。基本となる青き星の数値はワタクシの頭にしかないようですから、飽くまで単純計算ということを念頭に結論のみを伝えます。胸に刻んでください」

「うむ」

 計算内容はともかく、導き出された結論はきちんと吞み込まなければならない。

「約三六五夜を一年と数え、一〇万年で一つ年を取る長命なワタクシ達には、一〇万年を一星霜とする星霜制という年月の数え方があります。星霜制換算で結論を出したいところでしたが、残念なことに、取水を続けた場合ラスタ川は一星霜を待たず姿を消します」

「馬鹿な……」

 誰も、一つも年を取ることなく、涸渇した世界で死を待つ、と、いうことだ。残された時間は、どれだけある。

「答えよ。涸渇まで、あと何夜だ」

「約九八七万夜、すなわち、二万七〇〇〇年余りです」

「──」

 打ち拉がれている暇はないのに、アデルには知恵がない。スライナと比べると与えられた知識も随分と少ないようだ。涸渇しそうなラスタ丘をどうすれば拡張できるのか、ほかの水源を探すにはどうすればいいか、思いつかず、立ち尽くした。

 優雅な手つきで掬い取った岩清水をスライナが口にする。

「んふ、微量のエーテルが含まれていてなかなかおいしいですわね。でも希薄で、あまりに脆弱です。なんて悲しき運命かしら、ひとびとの命を支える水を育んでいるというのに、涸渇すれば憎まれさえするでしょう」

「お前の知恵を使え。この源泉を、ラスタ丘を救え、いや、救ってくれ」

 アデルの要請に、スライナが首を横に振った。

「なぜだ。お前ならなんとかできるのではなかったのか」

「先程もいいましたわ。この源泉は、近いうちに涸れる。水属性魔力がないことが原因です」

「それをなんとかするためにお前を配下にしたのだ」

 無理を言っていることは解っている。水源に関する知識がないアデルは、スライナを頼るほかなかった。

 スライナが腕組し、掌を伝う雫を見つめる。蒸発する雫を想うように瞼を閉じていたが、数分後、アデルを向いた。

「策があるにはありますわ」

「いってみろ」

「水属性魔力を補給します。そうすれば、源泉は涸れない」

「方法は」

「……」

「いえぬか。……」

 スライナが躊躇っている言葉を、アデルは推測した。「オレの体もお前の体もそうであるように、神の体は多くが水、すなわち水属性魔力によって構築されている」

「体重の約六〇%です。平均体重を四六・七キログラムとして──」

「やめよ」

 スライナの意見にアデルはNOを突きつけた。

「民を殺して水属性魔力を抜き取り源泉に補給すれば涸渇を防ぐことができるとお前は考えたのだろう。却下だ」

「それしか手がないとしても」

「本末転倒だ。たかが知れた。お前を解雇する」

「一つの道を選べばほかの道が閉ざされる。あなたは道を選ぶがゆえに手段を選べない立場であることを自覚すべきです」

 主神。多くを生かすため、多くの命を育むため、ときに非情な判断を下して遍く課題をクリアし、ひとびとを栄華に導くべき存在。

「引き返せば、選べた道すら閉ざされますわよ」

「お山の大将ですらないだろうオレだが、民を殺してまで守るべきものはないと考えている」

「それなら、まだ手段はありますわね」

「オレが命を捨てればよいのだ」

 主神として創られた身には大量の魔力が与えられている。スライナのいう一般的体重比から割り出す量より多くの水を保有しているということだ。少なくとも一般神を殺すより多くの水属性魔力を補給できる。アデルは、躊躇わない。

「再びお前を雇う。命令だ。オレを殺して民を救え」

 なんの迷いもない本気の命令。

 アデルを疑うことなく、スライナが見つめていた。

「……譲るところがずれてますわよ」

 両手をふわりと広げてスライナが首を振った。「ワタクシを主神殺しに仕立てたいの」

「創造神アースを介して事の経緯を伝えれば誰であろうが納得する。オレは、民を守るためにこの身を投ずる。それだけだ」

 スライナが俯き、アデルの胸に触れた。

「凄まじい覚悟ですわ。創造神アースの設計ゆえかしら」

「そうだろうな」

「疑問は持たないの」

「民を救うことを間違いと思わぬ」

 主神として覚悟なき言葉を発したりはしない。

「そう、……なら、一つ憶えておいてほしい」

 スライナが顔を上げた。「その考え方は間違っていますわ」

「何」

「民の敬神の意志は深度に幅があるでしょうけど、救いを渇望していたとして、民はあなたの犠牲を求めていたかしら、犠牲を知って、悦んでラスタ川の水を飲むかしら、あなたの身から奪い取った命を、飲むかしら。ワタクシなら無理」

「戯言を。魔力は遍く命だ。見えぬだけで、こうして流れている水も何者かの命である可能性がある。犠牲なき救いを求むは綺麗事だ。オレは、認めぬ」

 アデルはスライナの手を払い除けた。「戯言を弄するお前は犠牲なくしていかに救う。オレ以外に命を捨てる者がいるか。いっておくが、オレはトリュアティアに関係のないお前を犠牲にするつもりもない」

「上手ですわね。ワタクシが犠牲になる可能性を潰しつつ、自分の思う自由を曲げない。幸いですわね、ここに来てなお、水源確保の手はあります」

「犠牲があるだろうがな」

「ワタクシは試したかった。犠牲を伴っても我を通す、あなたの強さを」

 スライナが、不敵に微笑んだ。「合格です。それでこそワタクシが仕えるに相応しい」

「何をいっている。知恵を渡さぬ配下は解雇だ」

「でしたら問題ありません。知恵を、そして、ワタクシの力を使いますわ」

 今一度掬い取った岩清水にスライナが口づけをする。と、掌の岩清水が見る見る膨張して小川に流れ込む。

「──何をした。水属性魔力が、増えている」

 目を疑う光景だった。アデルの持つ知識には、魔力がひとりでに増える現象はない。

「これはワタクシ固有の力」

「固有の」

「あなたにもあるでしょう」

「戦闘に特化したものだ」

「本当に戦闘狂なんですわね」

「呆れたか。オレは無力だ」

「神とて人間と大差なき存在、向き不向きがあります。補い合うことで住みよくなるのが、ワタクシ達が生きるこの世界ですわ」

「違いない」

 スライナの掌から滝の如く溢れる水を眺めて、その先を見据える。「川が広がろうか」

「涸渇に抗うことはできますわ」

 スライナの力を使っても水源を拡張することができない。ひとびとの未来を保証できるほどの対策を講ぜねば焼け石に水。焦燥するアデルに、スライナがウィンクしてみせた。

「見縊らないことです」

「ほかにも策があるのか。それしか、などは却下だ」

「犠牲を強いても涸渇がやや遅れる程度で非効率的です。あっちを見てくださいな」

 右手の湧水をそのままにスライナが左手で指したのは、ラスタ丘の頂点より奥、だろうか。

「向こうに何かあるのか」

「この源泉自体、何か妙だと思います」

「ふむ。説明してくれ」

「岩清水というのは元来、山などに降った雨がゆっくりと濾過されて湧き出たものです」

「知らぬ。どういうことだ」

「ラスタ川ほどの水量を得るためには、この丘は大きさが足りないんですわよ。それも、多少の緑があるとはいえ土を観ても乾燥しきっている」

 言われてみるとスライナの指摘通りだった。水属性魔力の含有量からそれを察していたからスライナの言わんとしていることをアデルは理解した。

「確かに妙だな。涸渇寸前とのことだが、滾滾と湧き出ている。集落周辺もこの辺りも雨が降ったという話はない。ラスタ丘の土壌に含まれた水を濾しているとすると、とっくに涸渇していてもおかしくないのではないか」

「ええ。この岩清水はラスタ丘だけで成り立っていないということです。つまり、」

 スライナの指先が次に指したのは、

「地下に、何かあるのか」

「地下水です。井戸を掘ることで水不足を解消できる可能性がありますわ」

「イドをホル。そんなことができるのか……」

 効率よく広範囲を確認するためアデルは地上しか魔力探知をしていなかった。無知を曝すなら、水は地上を流れるものという認識しかなかったせいもある。地下に水があるとのスライナの指摘は盲点だった。

「と、なると、このラスタ丘の源泉も涸渇しないかも知れませんわね。水源が地下にあるなら謂わばここは自然の井戸ですもの」

「──お前、じつは最初から判っていてオレの知識を試したな」

「どうでしょうね」

 艶っぽい微笑みは余裕の顕れ。

「上上だ。それくらいでなければ、知恵者は務まらぬのだろう」

「度量の大きな主に恵まれてワタクシは幸せですわね」

「知識も知恵もないオレは不幸か」

「いいえ全く。補い合えるのでむしろ幸福です」

 と、言ったスライナが微笑みのまま、不意に横転しそうになった。

「無事か」

「……はい、大丈夫ですわ」

 アデルが支えなければ小川に落ちていた。スライナの右掌の湧水が弱まりやがて止まった。

「その力、どうやら代償があるようだな」

「魔法と同じですよ。精神力をちょっぴり消費します」

 表現が確かなら顔色が悪くはならない。精神力の著しい消耗は命を削ることもある。

「犠牲にするつもりがないといったはずだ」

「ワタクシはあなたの配下。トリュアティアとはもう無関係じゃありません」

「そうだとしても。オレは、オレの身以外を削るつもりがない」

 信念だろうか。これもまた創造神アースの設計というヤツだろうか。アデルは、スライナを抱えて歩き出した。

「『イドをホル』というのを、民に手伝わせよう。お前は次の仕事に備えて休め」

「忙しい主神ですこと」

「配下の働きに報いぬのでは主神の器にないと考える。誇るべき民と配下に誇られるべき存在が主神だ」

「そういうの、ワタクシの好みです」

「配下ともあろう者が主神を侮るな」

「ふふふ、いささか尊大ですこと」

「それもまたオレだ」

 自分以上の魔力を持つ者がこのトリュアティアに存在しない。アデルは力強く歩まねばならない。虚勢ではなく、己の意識を高めるため尊大な振舞い(ふるま  )もしてみせる。

 神界宮殿に帰還したアデルは、土木作業に馴染のある民を集めて井戸掘りの仕事を与えた。井戸掘りには井戸掘りの専門作業員がほしかったが、何分、人口八〇〇人余りの小さな集落である。アデル同様に井戸という言葉を知らず、専門の作業員は当然のように存在しなかった。集落の中にも存在した地下水をアデルが的確に探知する一方、スライナの持つ井戸作りの知識と技術が作業員に広まると作業効率が急上昇した。

 作業すること八二一夜。アデルの求心力とスライナの指導、それから民の協力の甲斐あって渇水の心配がなくなるほど集落は潤い、初めての雨が降るとかなりの低頻度ではあるものの以降も雨が降るようになった。ラスタ丘やラスタ川の周辺、農場だけに根づいていた緑が少しずつ広がり砂煙を含んだ乾いた風が変化の兆しを見せ、空が橙色を含むようになっていた。

 歩みを止めれば涸渇の未来を引き寄せるおそれがある。井戸もとい水源が足りないと感じていたアデルは、スライナや作業員と一緒に集落の外へ出て、地下水による河川整備を進めた。井戸の整備が進んで改善されてゆく集落の魔力環境に引かれてやってくるであろう魔物を警戒しての堀作りをかねていた。

 一五〇〇夜超を掛けてアデル達は集落を町と呼べるまでに進化させた。周囲をぐるりと囲う川を作り上げ、生活水の充実を図るとともに陸棲の魔物の侵入を妨げる堀として機能させたのである。敵性分子たる魔物の排除は戦闘狂ことアデルの仕事であるが、そもそも戦闘が必要にならないよう集落を保護することが重要とのスライナの意見を聞き入れた造成事業だ。

 最初の井戸掘りから二三〇〇夜超を経ると、アデルの出番が唐突にやってきた。神界宮殿の一室で井戸の図面を書き起こすスライナについていると、肌がじりっと焼けつくような感覚にアデルは襲われた。図面から目を離して振り返ったスライナが口を開く。

「アデル様、どうしたんですか」

「感じないか。強い魔力が近づいてくる」

 遅れて気づいたスライナが腕を組む。

「これは……、()属性魔力を持つ個体。まさか魔物。と、いうにはあまりに──」

「魔力分布の広さは巨体を示す。そしてこの速度、恐らく竜だな」

「竜、ですって」

 スライナが驚くのも無理はない。アデルも驚いている。

「翼で空を飛ぶのは立つ羽の竜、〈翌竜(よくりゅう)〉だな」

 創造神アースに与えられた知識の中に感覚を裏づけるその情報があった。地竜と名乗った彼は穏和だったが、創造神アースの差し金なら次なる竜まで無害とは限らない。

「スライナ」

「ええ、宮殿(こっち)は任せてくださいな」

「くれぐれも気をつけろ」

 吹抜けの窓に足を掛けていたアデルは背で応じて、一九階から地上に跳び降りた。西部門番エノンに守りを固めるよう伝えると、迫る魔力反応に近い町北部の河川敷で待ち構えた。時を置かず、太陽を背負うような巨大な影が空から近づいた。そのときには、アデルは影の正体を把握していた。

 ……翼はあれども魔竜(まりゅう)だったか。

 近づいてきて初めて気づいたが魔物固有の魔力穢れ(けが  )を持っている。姿形は翌竜のそれであるが、定義としては魔物の一種・魔竜だ。

 逆光で見にくいがその眼が川を捉えていると認めてアデルは魔竜の着地を許した。

 ドゥゥゥゥーーーンッ!

 地を割る着地だった。水飛沫が集落まで撥ね、景色が霞む。

 瞬く間に吞み干される川の水は魔竜の体温によって蒸発もしてゆく。黒い巨影は赤い空を禍禍しく揺らめかせていた。

 アデルは、魔竜に宣告する。

「お前の望みは聞くまでもないな。喉が潤っただろう。退くならば黙って見送る」

 魔竜の眼が、アデルを向いた。

「神とて矮小よな。我を魔物と侮るか」

「それなりの力を持つ者と認めて交渉している」

「ふっ」

 不気味に笑うや、「ほざけ」

 体温を急上昇させる魔竜。辺りを漂う水蒸気が弾けて消えた。「ここはいい土地だ、我の望む気候、熱水、乾いた大地、全てが揃っておる。戯言に尻尾を巻くわけがなかろうが」

「交渉決裂だな」

 魔竜の影に気づいた民が表に出て声を発している。悲鳴ではなく、明確な言葉だ。魔竜と対峙したアデルへの──。

「ふふふ、餌が吠えておる。皆、糧にしてやろう」

「民に手を出すか」

「感謝してやろう。餌を蓄えてくれたことにな」

「そうか。問答は終りだ」

 言うや、全長三キロメートルはあろうかという魔竜の首にアデルは体当りを仕掛け、北へと押しやった。

「ッ!」

「聞こえていなかったならすまなかった。もう一度いう、黙って去れ」

「ぬっ!」

 翼を広げて転倒を防ぎ、宙へ舞い上がった魔竜が太陽が如き体熱をアデルに集中させる。

「焼け散れッ!」

「焦げもせぬな」

「グォぁッ!」

 魔竜が放った熱線をアデルは片腕で反射し、魔竜の右翼を撃ち抜いてバランスを崩させた。前に倒れた魔竜の顔面を拳で凹ませると、続けざまに頭頂の一角を蹴り折ってさらに北へ追いやった。

「お、のれ!」

 再び翼を広げて宙へ舞い上がろうとする魔竜だが、アデルは、その頭上にいた。

「お前には二度も驚かされた。もう見ることはない」

「ッ!」

 アデルが両手でもって放った黒い球が魔竜の顔面を捉えて地上に叩き落とし、圧し潰した。

「お前如きが奪えるものなどトリュアティアには何一つない。水を返してもらう」

 〈リカランスの粒子(りゅうし)〉を放って魔竜が跡形もなく消えると、黒い球が貫いて亀裂の入った大地から間欠泉のように水が噴き出した。地上に降り立ったアデルは、恵みに浴する。

「上上だな」

 源泉が出現したのは嬉しい誤算だ。奪われた水属性魔力は討伐した時点で世界に還元されているので実害は堀の一部破壊にとどまっている。形あるものは壊れる。壊れたものが必要なものなら、直せばいい。

 民の歓声に迎えられたアデルは、西部門番エノンの持ってきたタオルで顔を拭った。

「アデル様、魔竜討伐、お疲れさまです」

「お前にもできることだ」

「ぼくはまだまだ修業中の身です」

「弛まぬ心構えが己を作る。励むがよい」

「はい!」

 歓声やまず。タオル片手に神界宮殿に戻ったアデルは苦笑のスライナに迎えられた。

「深刻そうな顔はなんだったのかしら」

「地竜のような強さをわずかながら期待した。ゆえに少し驚いた。魔物とはいえ竜の形であれほど弱い。ひどく驚いたのは、力を隠し持ってもおらぬことだ」

「魔物と比べられては地竜も迷惑では。この世界の守護竜といわれる存在ですもの」

「オレは無論知らなかったがなるほど、力量差に納得だ」

 体格が半分にも及ばなかったが地竜の力量は魔竜の比ではないとアデルは一目で見込んだ。

「ワタクシはてっきりあなたが窮地に追いやられるかとドキハラしてましたのに」

「どきはら。激闘を望んだが圧勝こそ役目だ」

「多少お馬鹿なところがあるのも納得ですわね」

「うむ」

 否定しない。スライナがいなければ、アデルは早早にトリュアティアの民を失ってしまう。

「オレはオレの仕事をこなした。お前はどうだ」

「民が全滅する危険性をさらっと排除したアデル様に仕える者として当然」

 と、スライナが図面を広げた。「完成していますわ」

「次の整備を皆に伝えに向かおう」

「解りましたわ」

 うなづいたスライナが、「あら」と、アデルの後方に目をやる。アデルはつられるように振り返った。

 大事そうに槍を抱えた一人の青年が、アデルの前で脚を止めた。

「あ、あの、しゅ、しゅ主神アデル様っ」

「『ああのしゅしゅ主神アデル様』とはなんだ」

「す、すすすすいませんっすいません!」

「まじめに切り返さないでおあげなさいよ、大人気ないですわ」

「ついな」

 青年の緊張感がピークに達しているようなので、少しだけ気を和らげてやろうとしたのだが失敗だ。アデルを怒らせたと勘違いしたのか、青年が土下座している。

「ふむ──。話があるのだろう」

 宮殿出入口のアーチの奥に覗く西部門の目印として子どもほどの高さの柱がある。その脇に佇んでいたエノンがお辞儀した。彼が通したなら青年は不審者ではない。アデルは青年の手を引いて立ち上がらせると応接間に通した。テーブルセットについても緊張の解けない青年に、スライナに淹れさせたお茶を勧めた。

「さあ、飲め。(飲んでしまえ、一思いにな)」

 ふるふると震わせながら、なんとかティーカップに口をつけた青年がお茶を啜ると、

「ぶふぁあぁぇっ!」

 吹き出した。「ら、らんでしゅか、これっ、まっずぅぅぅぅうぅ……!」

「失敬ですね」

「いいや、まずいだろう。スライナの出すものはなんでもな」

「ひどい主ですこと」

「お前の腕が悪い」

 スライナが作ったものより子どもの失敗作のほうがおいしいだろう。

 内心笑い出しそうだったアデルは、すっかり震えが止まった青年にタオルを渡した。

「使い回しで悪いが拭え」

「あ、ありがとうございます、アデル様」

「お前はトリュアティアの同胞だ。様はよせ」

「いや、それ以外になんと呼べと」

「アデルさんでいいんじゃありませんか」

 遠慮する青年にスライナが催促。「アデル様のこだわりはともかく名乗ってはどうかしら」

「そうでしたっ」

 小脇に抱えていた槍を膝に置いて、青年がお辞儀した。「ぼく、わたし、おれ、いや、ぼ、ぼくは、カノンといいます」

「普通に話せばよい」

「す、すいません。……お、おれ、牧場で働いてる、カノンっていいます」

「知っている。個体魔力で民の存在を把握しているからな」

「こ、光栄です」

 話すのはこれが初めてだがアデルは一方的に知っていた。名乗った通りカノンは牧場で働いている。牧場主の息子としてこれまで平穏無事に暮らしてきた。ボランティアで井戸掘りに何度も参加している誠実で働き者の青年だ。そんなカノンがなぜ槍を持ってやってきたか。

「オレの配下になりたいという話か」

「どうしてそれを」

「武器を持って訪れ、オレを前に緊張していた。暗殺者なら得物選びから間抜けだ。戦闘部門への志願だろう」

「トリュアティアを守りたくて来ました。志願すれば入れてもらえるって前から聞いてて、それで、さっきのアデルさんの戦いを目にして、これだ、って、思ったんです」

「ふむ」

 動機は解った。アデルはカノンの持つ槍の具合やカノンの体つきを観察して意見する。

「お前は戦闘経験が皆無だな。向いているとも認められぬ」

「アデル様、一般神の心を折るすげない指摘をするものではありませんわ」

 と、スライナが言ったが、

「いいんです」

 と、カノンが受け入れた。「おれ、確かに、経験ないし、たぶん、いや、絶対、弱いです」

「でしゃばると水源に帰しますわよ」

「お前もすげないではないか。何を望むかは自由だ」

 アデルはスライナを制して若人を見る。「先の戦いを観たなら解るだろう。あの程度の魔竜でも民を滅ぼし、無神化星にさせる力を持っている。敵性分子を排除するには圧倒する力が必要だ。また力以上に圧倒的な殺意が必要だ。お前には、それがない」

 魔物とて生きている。知性はなくとも、アデルはそれを知らぬわけではない。一つの命を奪うには相応の判断基準が必要であり、覚悟も必要だ。民の命を奪われぬためという基準さえ満たされていれば、ひどく単純ではあるが「敵性分子に揺るがぬ殺意を向ける覚悟」も決まる。アデルはそれが自分らしいと感じているし、それでなければトリュアティアに資することができないとも考えている。対するカノンはどうか。命を奪うための判断基準はおろか、力も身についていない青さである。

 カノンがうなづき、アデルを視た。

「解ってます。でも、おれ、これから修業して絶対に強くなります。アデルさんほどじゃなくても必ず、みんなを守れるように、強くなりますから、どうか、お願いします!」

 そう言って、カノンが深深と頭を下げた。

 強さへの憧れ。などという、甘い考えではないだろう。下げた頭の奥で、何かがぎらぎらと滾っているようだった。

 ……強い意識。

 アデルの敵性分子排除の意識と似ている。違うのは動機か。アデルは、トリュアティアに生きる全ての民を守るための意識だが、カノンのそれはもっと小規模、内向きのようだ。

 アデルはカノンを射抜くように応じた。

「申し出を断る」

 カノンがぽかんと口を開けて、我に返ったように声を発した。

「なぜ、なぜですか。おれが弱いからですか」

「話にならぬ。お前は口では皆を守りたいといいながら、意識の中では一点しか視ていない」

「っ」

 両手で槍を固く握って俯いたカノンを、スライナが微笑で見下ろした。

「槍で突かれたような顔ですわね。ワタクシでも解りますわよ、あなたの意識には自己防衛の意識が強くあると。それが何から来るかまでは……、はて、どうか知りませんが、アデル様の判断に賛意を示しますわ。カノン様、あなたは誰も守れません」

「っ、アンタに何が解るっていうんだ!」

 カノンが起ち上がり、スライナを睨みつけた。「おれは──!」

「追いつめられて言葉を荒げる。精神が貧弱ですわね」

「っ……」

 カノンが、再び俯いた。「おれは、そんなじゃ……」

「強くなりたい気持は解りますけど、そのままでは己を正しく理解できませんわよ」

「十分だ」

 おもむろに立ったアデルはカノンの背を押して応接間を出た。

「カノンよ。帰って気持を整理するがよい」

「……」

 うなづく元気もない背中。申し出を断られたのとは別の、何かを失った者のそれであった。

「アデル様、容赦ありませんわね」

「お前もな」

 二人がそこまでしたのは、共通の意識を持っていた。創造神アースの差し金──、もとい、うまくゆけばあの者は強くなる。

「一般神も侮れぬな」

「あの槍は形見ですわね」

「恐らく肉親だな。これまで民は一人も死んでいないのだから、無論、設計だろう」

「創造神アースがそんな仕込みをしているなら、カノン様はトリュアティアの命運を握る重要な存在に成り得るということですわね」

 創造神アースが何を考えているかなどアデルにもスライナにも判らない。が、一つ言えるのは、トリュアティアという一つの箱庭で皆が生き抜くために必要な駒がいくつも配置されていて、その駒をアデル達がしっかり活かさなければならないということ。また、そうしなければ確実に害を被る者が生ずるということだ。おかしなようだが、アデルとスライナすら駒だ。

 図面が置き去りの応接間に踵を返すと、スライナが切り出す。

「この際ですから、考察を深めませんこと」

「水源確保の件か」

「創造神アースの意図についてですわ」

「だろうな」

 カノンの存在が、思考のトリガになった。

 日中だ。計画伝達にはそれほど時間を食わないし、井戸整備の作業員は神界宮殿の仕事に専従しているので無理なスケジュール調整を強いる心配もない。作業員の消耗を考えると重労働に適した時間ではないので、思考を巡らせよう。

 応接間で井戸の図面を取ってアデルの私室に移動、テーブル席で向かい合うとスライナが話を始めた。

「創造神アースの意図。これが民の中にも入り込んでいることを考えると、もとから強い力を持ったワタクシ達のような存在のみが繁栄に大きな影響を及ぼすと括るのは早計ですわね」

「当然といえば当然だな。ひとは成長する。オレもお前と出逢って一つ成長した」

「ワタクシも同じですわ」

 化学反応。ひととひとの関わりはそれに似ている。アデルの持つ戦闘的魔法の知識を用いて表現するなら合体魔法だ。完成された二つ以上の魔法が一つとなり単体より強力になるのだ。自他ともに認める戦闘狂アデルと知恵者スライナが出逢って互いを認め合っていなければ水源涸渇を避けられず、トリュアティアは滅亡の一途だった。

「ワタクシとアデル様のような関係ならよしとしてますが、カノン様のような存在に関してはイレギュラな気もしないではありませんわね」

「カノンは微弱な電流のようだ。流れる方向を間違えば無駄にエネルギを失う」

「ワタクシとアデル様は導体ですわね」

 飽くまで喩えだが。

「逆境を知らねばひとの痛みにも鈍感になろう。お前の言葉にはその意図があった」

 追いつめられて云云。スライナに密かに試験されたときのアデルも、ついスライナにぶつかってしまった。アデルは少し前の自分を見る気分でカノンの背を見送ったのである。

「気づきがあればカノンは強くなる。ここで問題なのはそれによって起こることを父、創造神アースが何を意図して起こそうとしていたか、だ」

「トリュアティアという箱庭を俯瞰する創造神アース。アデル様を中心とした多くの者の関わりの中に、観たい出来事があるのではなくて」

「その一つがカノンの動きか。お前はそれを、細かく分析しているのか」

「ワタクシのような意地の悪い女を配置し、かつ、そんな女を寛容に配下としたあなたがいるんです。被虐趣味、いいえ、創造神アースの主観ですから加虐趣味かしら」

「悪趣味だ」

 ひしひしと感じていたことではある。創造神アースはアデル達を駒として扱い、苦境ばかりの箱庭に配置して俯瞰している。それでも穏便な表現で、すげない言い方をしてしまえば、リアルタイムの悲劇を見物している、と、いうことになるだろう。

「一方で創造神アースは救いの駒も配置しているのですわ」

「井戸がなければ民が命を落とした。お前が救いになった」

「魔竜を討伐するのは容易ではありませんでした。つまるところワタクシや民に取ってはあなたが救いです。さて、西部門番にエノン様を進んで雇ったでしょう」

「エノンについては人格・能力の認め、将来性を期待した」

「論理的でない部分も含めてアデル様の見立ては正しいでしょう。神界運営における駒を見抜く観察眼や判断力は戦闘能力と同じくらいに感覚的でそれゆえに信頼性が高いです」

「意識していなかったが主神である以上は当然のことだな」

「ふふふ、やっぱり少しお馬鹿さんですわね」

 からかうも、「そんなあなただからいいんですね、きっと。創造神アースも愉しんでいるでしょう」

「家族の苦しむ姿を愉しむとは、まったく度しがたい父だ」

「創られた存在に血の繫がりなんてないんですけどね」

「解っている。だが、オレやお前、民は間違いなく、苦境の中で結束すべき家族であろう」 「アデル様……。好みですわ、そういうの」

 スライナが微笑む傍で、アデルは、じつは自分の言葉を不思議に思った。

 ……家族か。

 そんなことは今の今まで思いもしなかったようだったのに、突然、口を衝いて言葉が出た。それが自分でも驚くほどしっくり来たから余計に不思議だった。

 ──気をつけて。

 ふと、別れ際のメリアの言葉が頭を過った。

 ……彼女も()()だな。

 家族だ。アデルはそう思う。

 彼女はあのときアデルと同じような意識を持っていたのだろうか。だから、心配の言葉をアデルに向けたのだろうか。今頃どうしているか定かでないが、アデルと同じく弄ばれるようにして苦境を生きている可能性がある。

 ……どうか、無事でいてくれ。

 無意識に合掌して、アデルは俯いていた。

「アデル様、どうかしまして」

「いや、」

 顔を上げると先の言葉を自然と振り返る。「カノンに取ってオレ達が導体なら、オレ達に取って父は、」

「ずばり、大地」

「灼熱だがな」

 微笑を合わせる。と、スライナが両手を合わせて目を丸くした。

「アデル様が笑いましたわ」

「何やら面白かったのだ。不快だったか」

「快いです。胸が軽くなったようですもの」

「そうか」

 と、答えながら笑みは消えた。スライナのように、にこにことは笑えない。

「いつかお前の笑い方を教えてもらうか」

「無理です。アデル様は仏頂面がお似合ですよ」

「オレもそう思う」

 勘案することが多い。水源の確保は少しずつ進んでいるが万全とは言えず、暗躍(?)している創造神アースの意図やこれからの行動は注視すべきであるし、各神界の主神などを務める弟妹のことも気に掛かってきた。

「思えば訊いたことがなかったな。お前は灼熱の大地と顔見知りなのか」

「その代名詞、気に入ったんですのね」

「トリュアティアを水で満たす。その目標を父に重ねてみようと思ったのだ」

「水に沈めてしまおうと。しかし面識の有無はいまさらですわね」

「エノンは直接いわれてやってきたようだがお前はそうではなかったのだな」

「ええ。と、いうか、可愛い顔をしてこの世のトップと面識があるだなんて、エノン様は只者ではありませんわね」

「状況によってはオレに匹敵する戦闘能力だろう」

「ちょっと驚きです」

「さておき、そうか、お前は面識がない」

「ええ、いまさらなどといっておいてなんですが知りませんわ。気づいたらトリュアティアにいましたもの」

 アデルやメリア、ジーンなどと違って、スライナは言葉通りいつの間にかトリュアティアにいた。アデルが民全員を把握したあとになってトリュアティアに直接配置されたのである。創造の力は距離を問わないのだろう。創造神アースがトリュアティアにいる必要がないために、創られた側のスライナは親たる創造神アースを見たことがなかったのである。

「遅きに失したが投獄のことを謝ろう。灼熱の大地の手先と考え、何をするか測り倦ねた(あぐ    )

「そんなこともありました。せっかくの心ですから受け取りますわね」

 スライナは度量が大きい。「創造された存在は知識や記憶を植えつけられてますから面識の有無はほとんど意味を成しません。質問の意図はなんでした」

「そこまで深く考えたのではなかったが、記憶の範囲が気になってな」

 アデルは創られたその瞬間から、トリュアティアの存在や戦闘技術など自身の行動に必要な最低限の情報を記憶していたが、散り散りになった弟妹の行先をほとんど知らない。その多くがアデルと同じく主神となるべく創られたのでそれぞれ別の神界に飛ばされたことは想像がつくが詳しい行先が判らない。スライナが創造神アースと顔見知りであるなら直接言葉を聞いた可能性も広がるため、弟妹の行先のヒントを得ているのではないかと考えたのである。

「順序としては、創造神アースと面識のあるエノン様に尋ねるのが先ですわね」

「お前は何も知らないと」

「お力添えできず申し訳ありませんが」

「構わぬ。これは知恵ではなく記憶の領域だ」

 今年、人口が一一〇〇人を超えているトリュアティア。将来さまざまな人材が育つだろう。その中に他神界の調査などを行える者が現れれば弟妹捜索の仕事を与えればいい。

「記憶の領域ですか」

「事実を知るか知らぬかの違い、と、いう意味だ」

「うまい言回しに感心しました」

 無知なアデルの基準に合わせた評価であったが。微笑むスライナを連れてアデルはエノンを訪ねた。エノンもアデルの弟妹について知らないとのことで、収穫はゼロだった。

 ……可能ならば連携できるとよいのだが。

 灼熱の大地に立ち向かうにはアデルといえども単独では心許ない。弟妹との結束を固め、トリュアティアで育てた人材を活かせば、皆が立派に生きられよう。生命というひとびとの財産。一つとて取り零したくないので、どんな手も講ぜねばならない。

 

 

 

──一章 終──

 

 

 

 

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