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一四章 刻(2)

 

 メリアは、歩き出す。

(羅欄納さん、これから行きます)

(オト様の許可が下りたようですね)

(はい。予定通り、羅欄納さんには立会人になってほしいのです)

(帰り道も任せてください)

 交替したララナがトリュアティアへ転移すると目が眩むような昼にあってなお眩しい神界宮殿が視界にあった。転移直後再び交替したメリアはララナにお礼を言って、ララナの背丈ほどの円柱型の柱が目印の門へ向かう。そこには──。

「こんにちは、こちらはトリュアティア神界宮殿でございます。ご用向きはなんでしょう」

「……お久しぶりです、エノンさん」

「お久しぶりです、か。えっと、……恐縮です、どちら様でしょうか」

 再会の言葉に戸惑うのも無理はない。肉体が同じだとしても肌色や髪色、表情が異なれば内面の違いを見出して別人と捉える。

 謁見に必須となる名を提示すれば、一瞬で理解できるだろう。

「顔をあげてください。わたしの名はメリア・メークランです」

「っ!」

「アデル・トリュアティアへ取次願います」

「……」

 認識固定によりメリアの凶行が失われて多くがジーンの行いとして上塗りされているためにエノンの一瞬の沈黙は過去を振り返ったものではない。が、

「……名乗りに偽りがないなら、取次できません」

「……」

 民との接触が多く柔和な笑みを崩さない門番天使が険しい表情で剣の柄に手を置いていた。

「記憶はなくとも、その名が何を意味するかは──。神界トリュアティアの一民として、ぼくはその名を忌むべきと考えています」

「アデルさんを手に掛けようとしたことを憶えています」

「あなたは本当に、本物のメリア様……」

「身許証明は容易です。この場に、もう一つ神界宮殿を建てればいいだけのことです」

 創造神アースの捏造した記憶を持たされ真実を忘れ去っても星の魔力を持つ者にしかそれができないことを門番天使エノン・ハンニウェアは知っている。

「取次願います。門番に取次を拒否する権限はありません」

「ぼくはそうと感じませんが、あなたは悪神だと聞いています」

「アデルさんが悪神拒否を布いたのでしたらあなたの判断を認めましょう。アデルさんは生まれを問わず、公正です。天使であるあなたを迎え入れたように。信念を曲げたあなたを、未だここに置いているように」

「っ──……」

 人殺しだけは絶対にしたくない。それは主君であるアデルに申し出たエノン・ハンニウェアの信念であった。その信念を、彼は一度だけ曲げたことがある。戦時の止むを得ない選択だったとは言え信念を曲げてここにいる。ときに己の信念を曲げても守るべきものを守ったと評価されて、ここにいる。

 アデルはひとの心に寄り添い守ることを選んできた。出自にこだわって排斥する体制を作るはずがなく、メリアの謁見は認められるべくして認められる。

「しばし、お待ちください……」

 エノン・ハンニウェアが会釈し、神界宮殿上層へ飛び立った。行先は一九階南東、アデルの私室だ。

(関門をクリアしました。謁見が認められるか、アデルさんが降りてくるか、どっちかになるでしょう)

(お兄様はオト様と私にメリアさんのことを委ねました)

 とは、餅搗きの途中にもララナが話した。

(アデルさんは……わたしを過去とした。これは飽くまでわたしのけじめで、アデルさん達の感情には配慮していません)

(覚悟は既に問いました。ただただ揺れず、自分の心に噓をつかないでください)

(はい……)

 ネックレスを触れると心が落ちつく。

 ……心が乱れたら、また、お力添えくださいね。

 気が狂ったって戻るべき場所に戻れる。

 西門に戻ったエノン・ハンニウェアが「謁見の間への入場を認める」というアデルの応答を伝えた。取次の速さからして即断即決、アデルは何も変わっていないようだ。

 背に刺さる目差に応えずメリアはアデルのもとを目指した。憎まれても、怨まれても、この歩みが未来の自分に確かな答をくれる。この選択が正しかった、訣別が必要だったのだ、と。地殻を固めて作られた美しい内装に、今日をもって足跡を残さない。

 ……アデルさんの魔力が近くなっていきます。

 神界トリュアティア。神界三〇拠点の頂点たるここを死守すべく潜められないその圧倒的な魔力は、民を温かく見守り、ときに激しく救い出す、圧倒的な傘。全ての者が傘のもとにひざまづき、畏れ、敬い、慕い、憧れ、そして支える。別れを告げる者など世界広しといえどもメリアをおいてほかにない。足取りは重く、切なかった。

 

 

 糸主と一緒に部屋の掃除を終えてさっぱりした気分で餅搗きに参加し、夜食の焼餅を完食した刻音は部屋に戻り、着替を手に取る納月、子欄を発見した。

「お姉ちゃん達は今からお風呂なんですねぇ」

「大人数だと順番が大変なんで、一指針として年功序列をアピールすべく、ですよ」

「と、いってますが、納月お姉様は単に眠くなってきたから早くお風呂に入りたいそうです。刻音さんはもうお湯をいただいたんですよね」

「はい、音羅お姉ちゃんと一緒に」

「じゃあ、もう寝られますねぇ、羨ましい」

 瞼を閉じた納月がこっくりこっくりと名案(?)を口にする。「せっかくですし、メリアさんと一緒に寝ちゃえばいいんですよ。いちゃつかせたらお父様に取られちゃいますよ〜」

「っ、そうかもですね」

「刻音さん、妄言に付き合う必要はありませんよ。ほら、納月お姉様もくだを巻いてないで、お湯をいただいてくださいね」

「はいはぁい」

「もう。口実でも体裁を保ってしゃきっとしてください……」

 納月の背を支えて甲斐甲斐しい子欄である。二つの背を見送ると、刻音は寝間着に着替えて自分の枕を抱き、一階へ降りた。向かうは母父の、また、メリアと父の寝室である。

「お邪魔しますぅ、メリアさぁん一緒に──、あれ?お父ちゃんしかいなぁい」

「顔崩壊しとるな。一緒に寝たいならお母ちゃんかメリアに化けたろか」

「要らないですぅ、お父ちゃんはお父ちゃんですからぁ」

「マザコンちゃんやな」

「メリアさんは他人だもん。だからぁ、マザコンにはならないんだもんっ」

「都合のいい理屈やな。本音は」

「マザコンちゃんの刻でもメリアさんは抱き締めてくれますよぉ、んふふ〜」

「ぶれんな、お前さんは」

 父に呆れられてもいい。好きなものは好きである。好きなものを否定されたら不愉快だが、そうでなければ気にしない。

「あ、でも、なんで化けなきゃなんないんですぅ?メリアさんがいるならメリアさんにひっつけばいいことですよぅ」

「しばらく帰らんよ」

「もう夜なのに外へ?」

 モカ村では女性と子どもが寝静まる時間帯。明確に外出を禁止されていないとは言っても、娯楽施設がない村を長時間歩き回る理由はない。

「メリアさん、どこへ行ったんですか」

「そんなに一緒に寝たいん」

「勿論っ」

「輝くお目目がちょっと恐い」

「で、どこへ行ったんですか」

「聞かん子やなぁもぉ。トリュアティアやよ、トリュアティア」

 硬く凍るような未来が見えた気がして、刻音は息が詰まった。

「……。どうしてそんなところへ」

「目ぇ恐」

「真剣に!」

「さあね」

「むうぅ……」

 竹神家最後の障壁たる刻音が受け入れてなんの憂いもなくメリアは家にいられるはずだ。なぜいまさらトリュアティアに行く。昔の関係者と会うためか。なんのために。

「お前さんにも解るんやない」

「解らないですよぅ、縁のなくなったひとに会いに行くなんて」

「初恋でも」

「ん……」

 刻音に取っての堂山知代だ。つらいことは思い出したくもないのに、ときどき想起して懐かしく思うことがある。振られたから別れるしかなかった。嫌って別れたのではないからいくらでも妄想はできる。

「あのときこうしていたら。あのときああしていたら。形はどうであれ、メリアはそれをどうにかしたいんよ」

「お別れ、いいに行ったんでしょうか」

「さあね」

「さあね、って。……むん!」

「んぼっ」

 刻音はダイブし、父の頰を両手で挟み上げた。

いきなり(いひらり)跳び込んでくんな(ろひろんれふんりゃ)

「アデルさんってすっごくイケメンだって聞いていますけどぉ。別れのはずが惚れ直しちゃって復縁を迫る展開があるんじゃないですかぁ」

「それがどうしたん」

 と、喋りにくそうな父がはっきりと言った。「俺は復縁してくれても構わんがな」

「はぁ?何いってるんですかぁ!メリアさんはもう刻達のお母ちゃんなんですよぉぉぉ!」

「引き止めたいならそうしぃ」

「っ」

 平気な顔で言葉を発せられる父が羨ましい。「恥ずかしいですよぅ、そういうの……」

「散散拒否った相手に猫撫で声で抱きついていた娘がいた気がするのだが」

「むぅぅ、恥ずかしい場面を思い出させないでくださいぃ、嬉しいことなんですからぁっ」

「何パーくらい嬉しかった」

「ヒャクパーっ!」

「恥ずさの欠片もないやんか」

「嬉しさには敵わないですぅ」

「メリアもそうかもね」

「……」

 父が平気な顔をしていられるのは自信があるからか。どんなイケメンが相手だろうと、必ず自分が勝ってメリアを取り戻せる、と。戻ってきたメリアが悦んでくれる、とも。

「自信過剰ぉ。鏡を見直したほうがいいです」

「見直す必要もない。俺には不安しかないよ」

「どういう意味です?」

「そのままの意味。で、行くの、行かんの」

 両頰を挟むのをやめて、刻音は父の胸にうづもれた。

 ……家の匂いがする。

 メリアはきっとこの匂いにやられているのだろう。刻音だって、この匂いが好きだ。ここにはいつでも自分の居場所がある。そう信ぜられるのは──、

「……」

「あんまり遅くなると外出させたくなくなるかもよ」

「急かさなでくださぁい、もおぅ……」

 基本的に家を離れずグータラしている父が、待っていてくれる。今は謐納との約束もあって家を守ってくれる。

「……送ってくれますか、トリュアティアに」

「夜に未成年を外へ出すんやから、そんくらいはするよ」

 刻音はぴょんっと立って、父を見下ろした。

「早くしてくださぁい」

「はいよ」

 

 

 辿りついた謁見の間。遠目にした影は忘れかけていた存在感が弾け、輝いていた。思わず、思わず──、足が軽くなった。

 歩幅が一気に縮まって貼りついたように動けなくなったのは、彼の横にもう一つの影が現れた。

「よく来てくれたな、メリア」

「アデルさん、……お久しぶりです」

 ネックレスを触れつつ、メリアは彼を見つめた。

 創られた感情と関係。嘲笑われていた過去。足跡などなかった。そのはずなのに、なぜだろう、心地よく胸が高鳴る。なぜだろう、息ができなくなるほどの怒りが込み上げてくる。

「アデルさん、そっちのひとは」

「彼女は──」

「アデルの妻、麗璃琉よ」

 アデルが紹介するまでもなく、影が名乗った。「事情は聞いてる、アンタが元妻メリア。お姉ちゃんよりセンスがいいわね」

 ……羅欄納さんの義妹にして、リュウェルンさんの転生体。やはり、美しいですね──。

 その気品はメリアとともに創造された兄弟姉妹の一人、お洒落が好きな美人リュウェルンの転生体であることも影響していることだろう。身に纏う物を選りすぐった麗璃琉の自信に満ちた表情にはつい敬ってしまいそうな威力がある。

 皮肉だろうか。アデルは時を経てメリアとは別の妹を選んだ、と、いえる。

 ……。

「黙ってないで用件をいいなさい。暇じゃないことくらい元主神なら知ってるでしょ」

「はい……。今回は、…………」

 口を開いたものの、モチが詰まったかのように途中で言葉が出てこなくなった。

 お別れ。

 帰るべき場所がある。

 アデルと別れて帰るべき場所に帰る。

 そう、それだけでいいはずだ。いいはずなのに、

 ……どうして、言葉が、出ないのですか。

 息苦しい。モチも石も詰まったかのように、口を開けてもたった一言が発せられない。

 ……さようなら。そういうだけなのに。それだけのことなのに、どうして……。

「アンタのことは、」

「っ」

「お姉ちゃんとオトに任せたってアデルから聞いてる。そうやって体を借りてるならお姉ちゃんと和解できたんでしょ。ま、お姉ちゃんだったら大体のこと笑って許すわね、馬鹿だから、自分が傷つけられても平気な顔でいられるのよ」

「……」

「普通の人間が文句いうことも、本当は嫌なことでも、さらっと吞み込める。それが、アンタが体を借りてるひとの悪いところよ。アンタ、そこに付け込んでない」

「……」

 メリアは何も答えられなかった。反論の余地ならいくらでもある。ララナは嫌嫌交替しているのではない。メリアの自由を守り、支えてくれ、なおかつそのことに悦びを覚えているひとだ。ララナは、メリアのような偽善者ではない。ひとに尽くしているふりをして、破壊と殺戮に笑っていたような狂人ではない。彼女の犯した罪があるとすれば、いつもひとのことを想いすぎて自分の大切なものさえ擲ってしまうことがあり──。

「今の生活に満足しなさいよ」

 と、麗璃琉に言われて、メリアは自分の矛盾に気づいた。

 ……わたしは、羅欄納さんの罪を知っているはずなのに。

 自分を差し置いても、自分の大切なものを明け渡してでも、ひとに尽くしてしまうララナ。彼女にメリアは甘えているから、ここにいる。彼女が誰より大切にしているオトに苦しみを強いて、ここにいる。

 ……。

 オトとララナにメリアを委ねた時点で、関係に終止符を打ったことをアデルが伝えていた。一方的な別れになることを知りながらけじめをつけたのだ。オト、ララナ、八姉妹、みんながいるモカ村の家にメリアは満足すべきだった。一方的でも、自分の心の中で訣別を済ませればよかった。なのに、メリアはここにいる。

「いまさら顔を出してなんのつもり。アンタに真摯に向き合ってるお姉ちゃんを嘲笑ってるのかしら。ま、そうしたくなる気持は理解するわ、あたしも散散足蹴にしてやったもの。馬鹿は馬鹿を引き寄せる。馬鹿馬鹿しいとはこのことね」

「……羅欄納さんを非難するのはやめてください」

「反論する暇があるなら本心をいいなさいよ」

 ピシャッと、メリアの眼下に雷が弾けた。「あえて時間を問わないわ。ただ、本心をいえないようなアンタに時間を搾取されるお姉ちゃんは哀れね、いい気味だわ」

「……羅欄納さんはそんな──」

「ララナさんは、ララナさんは。お姉ちゃんのことなんてどうでもいい。とっと自分のこと喋りなさいっていってるのよ」

 屋内でありながら黒雲が立ち込め、電光がばちばちと目を眩ませる。

「はっきりしないヤツって大嫌いなのよ。さっさと喋れ」

「……」

 こうまで煽られて、なぜ口が開けない。ある意味ではお膳立てだ。なぜ言葉が出ない。

「ふんっ。真性の馬鹿みたいね。アデル、追い出しましょ、時間の無駄だわ」

「そうだな」

「っ──」

 そう言われても仕方がないと解っていても、冷淡に感ぜられたアデルの言葉に、メリアは拳を握っていた。

 これまで黙っていたアデルが、問いかける。

「何か話があるなら聞く。話がないなら、ここで謁見は終りだ」

「待ってください!」

 玉座を立とうとしたアデルを制するも、「……」

 言葉が、一向に出ない。

 ……どうして……!

 ネックレスを触れる手が固まり、息苦しさの中に道標のぬくもりを思い出す。

 ……帰らないと、いけないのです。こんなところで、立ち止まっていては──。

 だというのに、どうしても、漣のような熱が治まらない。

 ……アデルさん──。

 打ちつける漣に脚が堪えきれず、膝をついた。

「わたしは……わたしは、アデルさんを……──!」

 

 

 ケーキのデザインに修正を加えた。その内容をメリアに報告すべく一階に下りた音羅と夜月は、パジャマだったはずの刻音が普段着で囲炉裏の横に立っているのを発見した。

「刻ちゃん、どこかへ行くの」

「不良ね」

「不良じゃないもんっ」

 と、刻音が夜月に反論して、寝室からのっそり現れた父を向いた。「ほら、ヒキコちゃん、早くしてくださぁい」

「その言葉が通用するならヒキコになっとらんわ」

 父が指先をひょいと上へ動かすと、刻音の姿が忽然と消えた。ケーキを描いた紙を隠さなくて済むのは助かるが。

「空間転移かな。こんな遅くに刻ちゃん、どこへ行ったの」

「トリュアティアやよ」

「え。ママのお兄さんが治めている神界」

「今や羅欄納を介した親戚に近いから、いつ訪ねてもいい気がする。ちなみに、向こうは昼のはずやから不良には当たらんかもよ」

「そんな相関図と注釈はどうでもいいですわ。メリアさんはどこかしら。お愉しみの頃かと思ってましたけど……」

 と、夜月が寝室を見て戻り、「いないようね」

「トリュアティアへ小旅行やよ」

 父の応答で、音羅は気づく。夜月も気づいただろう。

「刻ちゃん、メリアさんを追ったってこと。どうして」

「追うのが好きな子やからね」

「同性でもストーカで捕まりますわよ。どういうことか白状しなさい」

 夜月が迫ると、父が両手を挙げて、

「まあ、刻音だけでは不安やな」

 と、下げた。それと同時に音羅と夜月は私服になっていた。

「何このミイラを巻いた布な服。ワタシのキャリアを下げたいなら正面から来なさいよ陰険」

「普通の服やん」

「ミニスカは。白デニムは。沈んだ鈍色、しかもこれ、」

 夜月がスカートを軽くタッチして、「キッズでもあるまいにパンツイン。アクティブに太股を見せるのがカッコいいのよ、隠してどうするの、SBね」

「えすびーは新種のエビが何か。おいしそう!やっぱり夜月ちゃんはグルメなんだね」

「センスがババアの略よ、姉様は黙ってて」

「それをいうならSO、センスはおじいさんなんじゃ」

「それをいうならSJやSZだけどセンスが古いならOS(オールドセンス)で間違いでも……むっ、煩い黙れ先に進まない」

「一度乗ってくれたのにひどい……」

「で、父様なんなのよこれ」

「いいんよ、それで」

「どこが」

「夜月ちゃん、ストップ、ストップ。話が進まないから」

「姉様も変なストップ掛けてましたわよ」

「ご、ごめんね、だけれど」

 音羅は父を促す。「この恰好ならトリュアティアに飛ばしてくれるんだよね。お願い」

「ワタシは行くとはいってませんけど」

「一緒に行こう。刻ちゃんといっぱい仲良くなるチャンスだよ」

「踏み潰して結構。モザイク必須のコーデで出歩くくらいなら──」

「おやすみ〜」

「あっ、ちょっ、パパ寝ちゃ駄目だってば、夜月ちゃんも待ってっ」

 立ち去ろうとする二人の手首を音羅は摑んだ。「パパ、早くお願い」

「いってらっしゃい」

「あ、だからワタシは──、って、もう着きましたわね」

 文句を言っているあいだに竹神邸の居間から見知らぬ白一色。「トリュアティアかしら」

 後ろを振り返った夜月がその手を伸ばして摑んだのは、刻音の後ろ首だった。

「わぁっ、夜月お姉ちゃん!どうしてここに?」

「刻ちゃん、追いつけてよかった」

「音羅お姉ちゃんまで」

 小高い丘。眼下に町が広がっている。先程まで眼前にあった白一色は、改めて振り返れば大きな塔であることが判った。

「これが神界宮殿かな」

「母様やメリアさんが話していた外観と一致するわね。トキネ、事情を話しなさい」

「この神界の装置かお父ちゃんが転移させてくれないと帰れないし仕方ないですぅ。──」

 メリアがアデルとの復縁を考えているのではないかと疑って刻音はトリュアティアに訪れたようだ。

「ふうん、アンタの愛は浅いわね。メリアさんを信じてないのかしら」

「し、信じているけど、……待っているだけなんて、不安だもん……」

 音羅は、俯いた刻音の顔を上げさせた。

「大丈夫だよ。メリアさんなら連れ戻さなくたって戻ってきてくれる」

「お姉ちゃん……うん、刻もそう思う」

「けれど、メリアさんの気持を直接聞けないと不安だよね」

 父や母、八姉妹、竹神家へのメリアの想いは普段の行いからも判然としているが、心中の件からあり余るものと察せられるアデルへの気持は本人の経緯説明にとどまっている。根掘り葉掘り訊きづらかったというのも確かだが深掘りしそびれた感を拭えない。

「止めないよ。思いきって訊いてみよう」

「……うん、お願いします。一緒に会いに行きましょう」

 刻音がうなづくと、夜月が溜息をついて神界宮殿を見上げた。

「巻添えだけどワタシも行かざるを得ませんわね。ふむ。この鈍色を理解しましたわ」

「夜月ちゃん、どういうこと」

「白一色の町並に白デニムは埋もれますわ。まあ、ミニスカは色次第でしょうけど」

「白い服だとメリアさんに見つけてもらえないかも知れないってことだね」

 音羅も全身鈍色の服装で、白一色の背景に目立っている。

「──急いだほうがいいわね」

 二度目となるが音羅は「どういうこと」と夜月に訊いた。

「メリアさんから見つけやすい。それはつまり距離が離れていることを想定してますわ」

「近くにいれば判るものね」

 近くにいる今だから音羅達は迷うことなく見つけられたが、刻音の私服は少し明るめの色合で遠くにいたら発見が難しいだろう。

「父様はワタシ達がメリアさんに追いつかないことを想定した。要するに、メリアさんが神界宮殿から出てこず、そこからこっちをみることも想定していた」

「それって……」

「メリアさんがアデルさんに籠絡されるってことですっ?」

「籠絡は少し違う気がしますけど、それに近い状況ね。アンタが推測したように、メリアさんが元夫アデルに復縁を迫るか惚れ直すかした場合、うちには戻ってこない」

「そんな……」

 推測していたこととは言え、刻音がショックを隠せない。

 刻音の手を引いて音羅は歩き出した。

「急ごう。入口はどこだろう」

「姉様、逆。こっちにアーチがありますわ」

「あ、ありがとう、急ごう」

 夜月が見つけてくれた入口から神界宮殿の中へ踏み込むと、

「おや、アナタ方はどちらから入られましたか」

 背後から声が掛かって音羅達は振り返る。と、ばさっと翼をはためかせて降り立った少年が顔を迫らせる。

「入場手続きはお済みでしょうか。お済みでない場合、無許可侵入と見做して捕縛させていただきますが」

「て、天使さんだ……」

 白い翼にどことなく清らかな空気。と、初めて見る天使に感動している場合ではない。訝られていることに対処せねば。

「あの、ちょっと急いではいるんですが無許可とか侵入とかではなくて」

「姉様、そこはかとなく不審者臭を漂わせないでくださる」

 堂堂とした姿勢を崩さない夜月が、少年天使を見上げて微笑む。「ワタシ達は主神アデルの妹の子どもですわ」

「妹のお子様……。あ」

 少年天使が音羅の顔を見て思い出す。「アナタは音羅様ですか」

「はい、音羅です。あれ、わたしを知っているんですか。(どこかで会ったのかな、)ごめんなさい、憶えていなくて……」

「謝らなくていいんですよ。ララナ様が抱っこしていらっしゃった折、音羅様は眠っておられましたから」

 通りで憶えていないはずである。母に抱っこされていたときというと、生まれて間もない頃だろうか。

「身許証明完了ね。その音羅の妹で夜月といいますわ」

「お姉ちゃん達の妹の刻音ですぅ」

「なるほど、皆様、アデル様の妹であらせられるララナ様のお子様ですね。……もしや、メリア様のあとを追ってこられたんです」

 メリアの来訪を知っているなら好都合だ。

「メリアさん、まだここにいますか」

「はい。今頃は謁見の間、アデル様に拝謁しているかと……」

 少年天使の表情がわずか曇ったようだった。刻音の心配が晴れるか気になるが、この少年天使の抱えるものも気にならないではない。

「メリアさんがアデルさんと会うと困りますか」

「えっ……いいえ、そういうわけでは……」

「明らかに動揺してますわね。アデルを殺そうとしたからかしら」

 と、夜月が揺さぶると、

「事情をご存じなんですね」

 少年天使がうなづいた。「アデル様は万一にも敗北を知らぬ方です。それでも、メリア様の攻撃に一時昏睡するほどの傷を負われたとのこと」

「メリアさんが本当にそんなことを……」

 と、刻音が呟いた。メリア本人から過去の話を聞いていたのに信ぜられない部分があった。普段のメリアにひとを傷つけるような言動がなかったからだ。

「メリア様の力は本物でしょう。悔しいですがぼくでは及ばない、圧倒的な神の力です」

「絶対の存在が脅かされた過去がある。その事実を体感した記憶がないからこそ不確かな憶測で心配が深まるものよね……」

 ……パパが寝込んだときみたいに。

 誰に屈することもなくなんでもこなせる超人であると疑わなかった頃には、父にありもしない空論の強さを求めたことがあった。空論は空論だ。現実とは違う。見つめ直した現実でこそ本物の燈を灯すことができる。

「天使さん、名前はなんというんですか」

「エノン・ハンニウェアと申します」

「エノンさん、わたし達と一緒に来てくれますか」

「身許はぼくが証明します。手続きはもう必要ございません」

「あ、いいえ、そういうことではなく、わたし達と一緒に謁見の間へ行ってくれませんか」

「え……」

「心配なんですよね、アデルさんのこと。その状態じゃあわたしなら仕事に集中できません」

「音羅様……、あ」

 躊躇うエノンの背中を刻音が押して歩き出した。

「早く行きましょぉ〜、心配なら心配と早く伝えに行くんですぅ」

「刻音様……、そうですね。わ、解りましたから、翼は押さないでください」

 翼が自由にならないと歩きにくいのだろうか。

「姉様のお節介からトキネのごり押し。嫌なコンボね……」

「ほら、夜月お姉ちゃんも」

「ワタシにまでコンボらないで。一人で歩けますわよ」

「皆様、こちらです」

 夜月が刻音を振り払うようにして歩き出すと、エノンが先導を始めた。

 音羅達はエノンが導く上階へ踏み出したが、

 ドォッッッ!

「何……!」

「きゃっ!」

「刻ちゃん!」

 足を取られる強烈な横揺れ。壁に手をついた夜月の後ろで転びかけた刻音を音羅は支えた。

「地震?」

「いいえ、この揺れは……」

 刻音の疑問にエノンが首を振った。「何か、似ている……」

「似ている。何がですか」

「説明している時間が惜しいです。ひとまず退避します」

「神界宮殿は崩れないんでしょう」

 と、夜月が指摘するが、エノンが刻音を抱えて退避を優先。その後ろに音羅と夜月が続くと説明があった。

「神界宮殿はアデル様の魔法で一度崩壊しています。外敵の排除のためならアデル様は手段を選びません」

「外敵……、メリアさんのことですか」

「可能性は高いです」

 主神アデルが許可しなければメリアは入場できなかっただろう。謁見したメリアが何かしらの理由でアデルの反感を買ったか。

 ……もしかすると──。

 アデルに匹敵する力を持つメリアが、暴走した可能性もある。

 エノンに導かれて外へ出た音羅達は、直後、

「また……!」

「刻ちゃん、摑まって」

 先程より強烈な横揺れだ。ふと上空を仰ぐと、

「あれは……!夜月ちゃん、刻ちゃん伏せて!」

「音羅様もです!」

 神界宮殿上層の壁が砕けて降り注いでいた。剣を翳したエノンが瓦礫を衝き崩し、誰もいない脇へ弾き飛ばした。

「危なかった……。皆様、ご無事ですか」

「夜月ちゃん、刻ちゃん、大丈夫」

「ったく、だから中のほうが安全と……」

「怪我はないですよぅ」

「二人とも無事みたいだね。エノンさんは」

「ぼくは平気ですが……」

 剣先が折れ曲がっている。エノンの剣捌きは並外れているが、次に同じことがあったら捌ききれるかどうか。

「音羅お姉ちゃん、上みて!」

 と、刻音が突然叫んだから、音羅は視線を上げる。

 と、視線の動きに従って流れる景色が、スローモーションになったかのように錯覚した。肌が震える。感じたことのない大気の震動のせいか。

 やがて両眼が捉えたのは白一色のトリュアティアに影を落とすモノ。桃色と黒色が塗り変わる奇怪な髪のメリアとその両脇に形作られた巨大な剣であった──。

 

 

 やや時を遡り、メリアはアデルに感情の全てを曝け出そうとしていた。

「──そのあとをいえば、引き返せなくなるわよ。覚悟はいいのね」

 と、麗璃琉が挑発するように。

 メリアは、すんなりと口が開いた。

「わたしは、アデルさんを……諦められません!」

「いいわね、すっきりした」

 麗璃琉が雷を纏った金属の杖を右手に握り、歩み出た。「力づくでどうぞ。亡者のアンタ如きがあたしから奪えるものがあるならやってみるといいわ。何ひとつあげないけどね」

 メリアの鼻先を抜ける横一線とともに空間を裂くような雷が駆け抜けた。

「逃げるなら今のうちよ。あたしは、あたしのものに手にを出す奴を許さない」

「アデルさんは、誰のものではありません」

「綺麗事ね。アンタはアデルがほしくそこにいるんじゃない」

「っ……」

「そうでなければ泥棒猫宣言なんてしないわよ」

「……」

 言われた通りだ。何も違わない。泥棒猫だ。今のアデルには妻がいる。なのに、のこのことやってきて感情を振り翳している。オトに対しても同じだった。ララナがいることを知りながら迫っていた。オトが受け入れてくれたから、ララナの寛容さがあったから、それらをいいことに、当り前のように幸せを享受していた。

「で、引っ込むつもり。アンタが汚い女ってのは変わらない。それだったら、泥塗れにぐらいなったら」

「……」

「黙ってないで根性みせなさいよッ!」

「っ!」

 再びの横一線。今度は、近接の杖が胴を捉えてメリアを壁へと飛ばした。

(この雷は、普通ではありませんね。アデルさんが羅欄納さんに与えたという全耐障壁を貫通しています)

(かつての蘇生強化の影響に加えて、お兄様の力で魔法をサポートしているのでしょう。一般的な化神の雷と侮らないことです)

(羅欄納さん──)

 メリアは勢いのまま壁を突き破って外へ飛び出した。(わたしは……甘えすぎました)

(オト様とメリアさんの願いであるなら私は拒絶しません)

(お二人に、羅欄納さんと音さんに、苦しみを強いていてもですか!)

(お兄様のことを忘れられないことをいっているのですね)

(音さんに抱き締めていただいたのに、羅欄納さんに受け入れてもらったのに、あまつさえ、たくさんの子どもを持てる、そうと判ったのに……衝動を抑えられないのです)

 自然とアデルを思い出していた。少ないはずの思い出が鮮明に思い出されて、こびりついて離れない。

(忘れたいのに、忘れられないのです……!)

(では、暴走してください)

(……!)

(現世の肉体を有する私が、全面的に許可します)

 暴走する。それが何を意味するか。ララナが知らないはずがない。けれども、

(メリアさんはもう知っているはずです。あなたの狂気がいったいなんなのか。何を求めたものであるか。刻音ちゃんを鏡として、自らを映し見たからこそ、お兄様と会うことを決めたはずです。中途半端で終わるつもりですか)

(羅欄納さん……)

(私は、オト様のためなら暴走致します。オト様がお嫌でも、オト様に疎まれても、暴走致します。私の想いを伝えるためなら、オト様が幸せになってくださるのなら──。メリアさん)

(──はい)

(私やオト様を想うなら、子を想うなら、ここで、思いのままに全てを決してください)

(──はい!)

 また、甘えてしまった。縋ってしまった。付け込んでしまった。

 創造神アースの設計だとしても、メリアは、止めようがなかった。

 ……帰りたいのです。心から、みんなのところに──!

 二人の異性に対する感情が鬩ぎ合って、体が内側から弾けて、なくなってしまいそうだ。

 完膚なきまでに過去を断ち切らなければならない。彼女には敵わない、と、敗北を認めなければならない。自分はアデルの妻ではない、と、自覚しなければならない。そのためには持てる可能性の全てで立ち向かい全否定されなくてはならない。可能性の全てを摘まれて初めて、己の全てをなくして初めて、あの家に、戻ることができる。

 ……そうですよね。

 待っていてくれる彼に噓はつけない──。

 甘えか。ならば、我儘だ。麗璃琉がいうように振りきればいい。最初から汚れきっていた、泥棒猫だ。いまさら汚れることを気にしてどうする。

 ……憎い……あなたが、憎いのです!

 相対するモノを全て破壊し尽くさねば、気が済まない。自分を殴り飛ばした彼女を見据えてメリアは渾身を両手に込め、放つ。己の声すら潰すような圧を放って、巨大な二振りの剣が空間を揺るがした。その剣先に、討ち滅ぼすべき憎悪の対象が、二人いる。

 

 

「噓でしょう。何よ、あれ……」

 夜月が呟いた。

 今まさに神界宮殿に突きつけられたのは、神界宮殿よりも巨大な剣。

「あれが、メリアさんの、星を滅ぼす魔法……!」

 言葉を失った夜月の横、音羅も息を吞むばかりで脚が動かなかった。ダゼダダを襲った偽りの月に似た恐ろしいまでの負の感情がそうさせる。いや、それだけでもない。そもそも魔力の量が桁外れなのだろう。偽りの月がダゼダダ大陸を滅ぼすほどの威力を有していたとして、巨大剣は十数倍、あるいは数百倍なのではないか。正確な値は判らない。途轍もない圧迫感を纏いつつも巨大剣は魔力を発していない。不知得性の星の魔力を用いているからだ。それが、頭上に二振りも存在している。魔力を感じないのに、巨大な岩で押し潰されつつあるかのように音羅は戦慄が止まらない。

 ……慄えて、いる、場合じゃない。逃がさないと!

 退避しようにも逃げ場などない。どうする。どうすればいい。

 ……夜月ちゃんと刻ちゃんだけでも。方法は!

 神界宮殿に巨大剣が接触した時点で余波がここに到達するかも知れない。その余波だけでも体が木端微塵にされそうな予感がして、膝が折れそうだった。意図せずその脚を支えたのは、刻音の呟きだった。

「メリアさんは、きっと、嫉妬している。それで、すごく、早く──……」

 巨大剣に隠れたメリアを仰ぎ見つめるようにして、悲しげだった。

「刻ちゃん……」

「アデルさんと今の奥さんに、会ったのかも知れません。……悔しくて、憎くて、仕方なくなったんだと思います」

 片想いと失恋を繰り返してきた刻音には、嫌というほどの絶望感があった。

「刻ちゃん、気持が解るんだね」

「刻も、そうだから。それで、たくさんのひとをいないことにしてきたから……すごく解ります。でも、メリアさんはきっとそれだけじゃないです」

「それだけじゃない、って」

 暴走しているであろうメリアの心境が、音羅は判らなかった。

 刻音は悟っているのだろう。時折、口を噤んで、感情の爆発を抑えている。苦しかろう胸を押さえて、少しずつ、口を開いた。

「メリアさん、悩んでいるんだと思います。お父ちゃんや、お母ちゃんや、刻達のこと、大好きな気持が噓じゃないから……だから、大好きだった、ううん、大好きなアデルさんのこと、忘れられなくて、刻達、新しい家族への気持と、板挟みになっているんだと思います」

 ……そうだとしたら、あの剣は、どういうことなんだ。

 天体規模の破壊を目的とする巨大剣。振り翳せばひとなど容易く消し飛ぶだろう。憎き相手を滅ぼすためでも、愛するひとさえ巻き込む刃を向けるものだろうか。

「メリアさんは、本気じゃないのか」

「その見方は危険ですわね。明らかに殺意がある」

 夜月の予測は音羅と同じだ。「あれが神界宮殿に接触した時点で、ワタシ達もタダじゃ済みませんわよ」

「……逃げ場はないね。夜月ちゃんと刻ちゃんは、何がなんでも守るからね」

「いい」

 と、刻音が思わぬ拒否を示したので、音羅は目を見張った。

「どうして」

「お姉ちゃん……、刻も、もう、限界……!」

「っ──!」

 理性を手放すまいとするように、刻音が両拳を強く握り込んでいた。

 

 

 ……アデルさん──。

 視線が合った目に揺らぎはない。その右手に剣を持ち、構え、メリアの双剣にも劣らぬ星の魔力を込め、爆発させんとしている。

 ……わたしの知るあなたの魔力を遥かに超えている。これが頂点の神の力。

 メークランでは発揮することができなかった最上級格神アデルの実力。民の敬神の思いを力に換える、トリュアティア主神の本領。

 それがどうした。たかが一主神。矮小の一言に尽きる。それに劣るなら凶行に及ぶことなどなかった。暴走を食い止める力がアデルの存在にはなかった。今も昔も力関係は変わらない。星を滅ぼすメリアと星を守らんとするアデルでは矛盾の域にもない。

 ……終わらせる。

 メリアは、迸る憎悪を双剣に送る。善神とてこれを悪神の力とは感ぜられない。創造神アースに創造された狂気の権化、絶対的悪、この力を止める者など、誰一人いない。

 

 

震わせ(ふる    )双剣萼(ソウケンガク)!全てを滅ぼせーーーッーー!」

 メリアの叫びと同時、

「みんな止まればいい……!」

 腹の底から出した低い声で、刻音が両手を振りかぶっていた。

 図体と不釣合の速さで動き出した巨大剣が、直後にはぴたりと止まった。それにとどまらず巨大剣が斬り崩した神界宮殿の壁材が崩落することなく空中で停止し、音羅と夜月、エノンまでも身動きできなくなっていた。

 ……刻ちゃんの魔法だ!

 巨大剣が止まったのは幸いだが、刻音の暴走は始まったばかりだ。その両手がさらに振られると停止した一振り目の巨大剣が空の彼方へ吹き飛んでゆき、死角となっていたメリアの姿が見えた。

「メリアさんッ、こっち見て!」

 ひとも、物も、自らの意志や物理法則に従って動けない中、刻音がメリアに呼びかけた。それに、メリアが反応し、刻音を見下ろした。ぞっとするほどに美しく、吸い込まれそうなほどに底のない見開かれた目は、血飛沫が渦巻いている。

 ……正気じゃない!

 巨大剣を新たに出現させられる危険性もあれば、それ以外の魔法で襲われる危険性もあるだろう。アデルとその妻から目を引き離すことができても、刻音が危ない目に遭っては意味がない。

 ……動け!動け……!

 指一本動かせなかった音羅は、

「世話が焼けますわね」

 と、背中を押されて、

「わぁっ、動いた……!」

 すぐさま刻音を抱き締めた音羅は、メリアと目が合った。迫ってくる様子は、ない。

「正気を取り戻しつつあるのかな」

「どうかしらね」

 夜月が隣に並んだ。「ったくトキネ、ワタシ達まで止めるんじゃないわよ。無駄な消耗を強いられたじゃ──、って、聞こえてないわね」

「そうみたいだね」

 刻音の視線はずっとメリアを捉えている。

 ……たぶん、刻ちゃんは今、わたし達が全く見えていないんだ。

 アンテンこと対象型暗点固定。以前と同じような状態になっているなら音羅達が声を掛けても届かない。刻音を拒絶したからとか、刻音に嫌なことを言ったからではない。

「恐らくはメリアさんのことしか見えていない。ひどいヤンデレね、このアホ……」

「そういわないであげて。お蔭で、あの巨大剣が一つなくなったんだ」

「メリアさん本人には通じていない……。桁外れの魔力を有している証拠ね」

 刻音の操る刻属性の魔法は全てのモノの時を止める。自身の神経であったり心理であったり自分以外のモノであったり、さまざまなモノを対象にし、敵・味方関係なく、刻音の認識に基づいて効果が及ぼされる。夜月が扱う鎮静の魔法で打ち消すか、刻音の魔法を弾くような強大な魔力がなければ逃れる術がない。

「刻ちゃんの魔法が通じなかったの、初めてだ。どんな魔物も簡単に止めていたのに……」

「父様や母様なら平気でしょうけどね、ワタシも、初めて見ましたわ……」

「でも、剣は止まってる」

「ええ……」

 メリアの魔力が優れていると考えられる一方、そのメリアが作り出した巨大剣は止まっている。そこに見出せるのは、刻音がメリアを意図的に魔法に掛けていない可能性だ。とにかく、メリアは自由に動けるだろう。それとは別にもう一つ問題がある。

「これほど広範囲に効果を及ぼして、さらにはあの巨大剣を一振りとはいえ吹っ飛ばしたからには、トキネの消耗は激しいはず。長続きはしませんわね」

「もう一振り、なんとかしないとね」

 神界宮殿の破壊を食い止め、音羅達自身は勿論、アデルとその妻、この神界に住むひとびとを危険から遠ざけなければならない。

「できますの」

「協力してね」

「……トキネの魔法のように面的時間停止ならなんとかなる。でも、あの巨大剣は中身もしっかり詰まった古代の魔法よ。鎮静で打ち消しきれるレベルじゃないわ」

「大丈夫。わたしが蹴り飛ばす」

「原始的。それで済むなら苦労がなさそうだけど、──ふっ」

 夜月がツッコむも、サポートをしてくれる。「ワタシがあの巨大剣の真下まで送り出す。姉様は蹴りまで力を温存かしら」

「そういうこと」

 夜月が氷を作り出せることは知っている。その氷で音羅は巨大剣に迫り物理的に排除する。

「勝算は薄そうですわね。ただの蹴りでは刻音の時空間固定すら解けるとも思えない」

「ただの蹴りじゃないよ。お姉ちゃんの蹴りだもの」

「説明になってませんわ」

「動かなきゃ何も変えられないよ」

「それは……当然ね」

「わたしを信じて。やってみなきゃ、やれることも判らないんだ」

「……ええ、そういう姉様の姿勢、ミイラな服でも目に留まるわ」

 夜月が右手の指先を構える。「メリアさんの妨害があり得る。チャンスは一回よ」

「うん」

「ワタシの判断で氷の足場を動かす。絶対に振り落とされないで」

「解った。始めて、夜月ちゃん」

「……いきますわよ」

 パチンッ!

 夜月が指先を鳴らすと音羅の足下に氷が生まれる。空気中の水分を固めて作り出したそれは加速度的に迫り上がった。

 ……誰も傷つけさせない。メリアさんに、誰も奪わせない!

 

 

 こんなことがあるのか。生まれて一三年に至らない少女の魔法が、双剣萼の片割れを排除してしまうとは。

 ……刻音さん。

 見つめる目差は、荒波へ飛び込むような無謀さと向こう見ずな感情そのもの。

 ──わたしを視て!

 今にもそんなふうに叫び出しそうな、何を棄てても求めてくれそうな、そんな目差を無視できようか。究極的破壊を退ける感情を、どうして無視できようか。

 ……でも、まだ。

 終わっていない。

 ……あなた達に敗北しなければ、わたしは一生、海水牢だ……。

 何を押しても待とうと決めた。待てども待てども現れなかったアデルへ、狂気のままに熱意を向け続けた愚かな海水牢。時化のような激情を潜めて凪のふりをし、無限の高みに立つアデルに寄り添うも限界がすぐに訪れた。最初から離れ離れだった。空と海とは相容れない。水平線と青空が交わろうとも距離は縮まっていなかった。設計のまま歩んで心中を企てたメリアはどこへ向かうこともできず永遠に海水牢だった。

 誰も助けてはくれなかった海水牢。

 今は、違う。

 

 一緒に死んでほしかったのではない。殺してほしいほどの苦しみを理解してほしかった。首を絞めてくれたあのひとは、汚れ役になってでも望みを叶えてくれると示した。

 一緒に生きてくれる──。

 息苦しさとともにメリアはそう悟った。

 

 背中を押してくれるひとがいる。受け入れてくれたひとがいる。見つめてくれるひとがいる。

 海水牢にいては出逢えないひと達がいる。

 ……抜け出したいの。この冷たい檻から。

 暴走が必要だ。設計のままでない、自らの意志が。それこそが檻を破る唯一の手段だ。

 ……動いて!

 刻音の魔法を押し破るように、双剣萼を少しずつ前進させてゆく。

 杖を構えた妻を庇うように夫が剣を構えている。それを観て、なおも漣のような熱が押し寄せてくる。夢見た生活を送る夫妻を、破壊したい。

「メリアさん戻ってきて!」

 ……っ。

 氷の足場を得て音羅が迫っている。

 ……急いで破壊を──、しかし破壊したとて何も得られない。敗北しなくては──。

 ほんのわずかな躊躇いに、

「ハァアーーーーーッ!」

 迫り出した氷の勢いと両手に灯した炎の加速、さらには、繰り出した右脚を覆う氷の威力でもって双剣萼を中央から突き破って、音羅の気勢が天空を衝いた。

 ……こ、こんなことが──!

 赤と青の美しい軌跡が、地も海も空も繫ぐようだった。

 夫妻に敗北するはずが予想を裏切られた。

 ……これが、……。

 力強くて、逞しくて、寛容で、設計通りには動かない世界。狂気も破壊も打ち破る、優しい世界。

 ……これが、わたしの求めた世界──。

 メリアは、無造作に両手を振るう。「震わせ双剣萼。完膚なき敗北を……」

 打ち破られたばかりの萼を象る巨大な剣。これで、決着をつける。

 

 

 メリアがふらついている。精神力を使い果たしたのだろう。

 ……正念場だな。

 再出現した巨大剣がアデル達を睨んでいる。アデル達に向けられている感情はほんの一部。あれは謂わば、怨みと慈しみ。狂気に身を委ねて生き、死をも企てたメリアの、全ての者への感情だ。

「いいじゃない──、振りきった馬鹿は嫌いじゃないわ」

 麗璃琉の両手が震えている。そこをそっと触れて強がりを共有したアデルは、町を守る広範囲の障壁を広げた。

「俺達は、ここで終わる積りがない」

「支えてあげるわ」

「よろしく頼む」

 示し合わせる必要もない。翳した剣は麗璃琉が打ち据えると雷を纏い、アデルの意志のままに空を裂いた。

 星と星がぶつかったかのような強烈な衝撃波がトリュアティアを襲う。町がどうなっているか把握することは難しいが、巨大剣が落ちるよりは破壊を免れる。

 麗璃琉とともにアデルは叫ぶ。

「『消し飛べッ!』」

 ありったけの魔力を注ぎ込んだ剣がぶつかり、雷光と火花に融けるようにして巨大な二振りが消えてゆく。

 ……崩れていく。俺達の、過去が。

 握る手に新しい未来がある。

 別れ──。一度は怒った。二度は悲しんだ。怒り悲しんだのは何もしてやれなかったから。三度目は、苦しいものになる。

 膝をついた麗璃琉を支えて、アデルは。

 ──また会えたら、そのときは、受け止めてくださいね──。

 消えたはずの二振りを見つめる。またも現れたのだ。メリアにはまだ余力があったか。

「(いや、余力ではない。全てを受け止めよ。そういうことであろう。)まだ、オレ達には、超えねばならぬ過去がある」

 消せない過去だ。項垂れながらもメリアが両手を振り翳している。限界を超えて、命すら削っているだろう巨大剣。

 比べて、足許に弾かれた剣は小さく、毀れて使い物にならない。浮遊する巨大剣の威圧感と裏腹に世界が沈黙して、メリアの呟きが、己の応答が、いやに響いた。

「あの方達に、娘に、真剣に、向き合いたいのに、あなたを思い出す……」

「うむ……」

 アデルだって、そうだった。麗璃琉を妻としながら忘れたことなどいっときもなかった。それは確かな過去だ。彼女を想い、忘れられなかった思い出だ。設計に振り回され続けている、愚かな過去だ。それでも、愛おしい過去だ。しかしこれが互いの未来を脅かしているのなら、やはり忌むべきものだ。

「お前を放した積りで、お前に直接伝えてこなかった。卑怯なオレでは戦神とも名乗れぬ」

 引き止める麗璃琉を背に庇い、アデルは起つ。

「民の信仰のもと、オレとともに──」

「いい加減……わたしから離れてっ……!」

 命を棄てるように迫る二つの轟音から、アデルは目を逸らさない。

 

 

 アデルの意志が障壁となって神界を包んでいる。その意志に触れた双剣萼が融けてゆく。

 これが生来より繫がっていながら離れ離れを設計されていた頂点と第八拠点の宿命。どちらに転んでも、幸せで、不幸で、どうしようもなくこぼれる。

(わたし、の、負け、です……)

(メリアさん)

(羅欄、納さん……、──)

 メリアは全力を尽くした。あとにも先にもないほどに、暴走した。一度は予測外に、二度は妬ましい夫婦に、三度は揺るがぬ元夫に、一目瞭然の敗北を喫した。

 現世に繫ぎ留める糸が切れたように、メリアは意識が遠退く。だが、まだ、手放せない。

 ……まだ、話したいことがあるの──。

 

 

 壁に穴が空いている。激情も、轟音も、過去も、全てが融けて、空気が澄んでゆく。

「(さらば……、)さらばだ、メリア……!」

 落ちゆく彼女の新しい未来を、幹を伝う雫のような赤と青の軌跡も祝福している。

 

 

 まさか、二度ならず三度までもあの巨大剣が現れるとは思いもせず途中は成行きを見守るほかなかったが、唐突に落下を始めたメリアを認めて音羅は急いだ。かすかな精神力を費やして加速し、メリアを抱き留め、刻音のもとへ下りた。精神力を使いきって命をも削っているだろうがメリアは意識を保っているようだ。

「音羅さん……、ありがとうござい、ます……」

「無事でよかったです」

 いつかの後輩のように息はつらそうでも暴走は鎮まっている。もう大丈夫だ。

「……刻音さん」

「……」

 メリアが目を向ける前から刻音が見つめたまま。「……」

「刻音さん……」

 メリアが立ち上がることはできそうもない。言葉がなければ意志疎通ができない。

「…………」

 沈黙を続ける刻音に、夜月がつかつかと迫った。

「返事くらいしなさいな」

「あいたっ」

 刻音を小突いてさりげなく鎮静魔法を掛けた夜月が、メリアへの配慮を見せた。

「や、夜月お姉ちゃんっ?どこ行っていたんですかっ」

「……そんなことよりメリアさんのこと。迎えに来たんでしょう」

「刻音さんが、わたしを……」

「そう。一人で行ってしまったから……。ワタシ達が同行して正解だったわね、こんなことになっているとは」

「ごめんなさい……」

「謝罪ならトキネにして」

 夜月がメリアの前に刻音を押し出した。「アンタも早くなさい」

「……メリアさん」

 暴走を治めたメリアはいつも通りの表情で、しかし髪は青色と桃色を混在させている。刻音がおずおずと接したのは狂気に身を委ねたメリアを警戒したのではなく、何を話していいかここに来て迷っているのだろう。

 その心を手繰り寄せるように、メリアが先に口を開いた。

「刻音さん、迎えに来てくれて、ありがとうございます」

 メリアが手を取ると、刻音もじわっと握り返した。

「……メリアさんは、…………」

「……はい」

「メリアさんは、もっと欲張ってもいいです」

 刻音の言葉に、目を見張ったのはメリアのみならず。

「刻だったら大好きなひとを傷つけたくない。メリアさんだって同じはず。それでもメリアさんはそうしようとした。正直に答えてください。そんなことしたのは、アデルさんと別れたかったからですよね」

「はい」

「お父ちゃん、それを知っていて送り出したんですよね」

「ええ……」

「だったら、別れることなんて最初から必要なかったと思います」

「え」

 メリアと同じように、音羅も「え」と口にしたかった。夜月も心のうちではきっと同じだ。

 理解が難しかった言葉の意味を、刻音が叫ぶように説く。

「好きなひとをいきなり嫌いになんてなれません。好きって気持も消そうとして消えるわけがない。全部、持っていたっていいじゃないですかぁっ!」

 ……刻ちゃん──。

 刻音の言葉はいつもストレートだ。幼い頃の自分を思い出すような、飾り気のない言葉には心の素直さも顕れていて、音羅の胸に刺さった。同じように刺さったのだろう、メリアも言葉を失って刻音を見つめるばかりだ。

「ねぇ、メリアさん。アデルさんを好きなままでも、お父ちゃんも、刻も、たぶんみんなも、嫌だなんていいませんよ。だって、お父ちゃんだってお母ちゃんとメリアさんを一緒に抱き締めてきたんだと思うから。そんなお父ちゃんだから、メリアさんだって好きになったはずだから、いいじゃないですか、引き摺っても、いいじゃないですか、それがひとを好きになるってことなんだから、いいじゃ、ないですかぁ……」

「──」

 メリアの葛藤にとどまらず父の感情にも刻音は目を向けていた。それが真実かどうかは定かでないが、過去を嚙み締めるように瞼を閉じたメリアの表情は見る見る軽やかになって、髪が桃色ひとつに塗り変わってゆいた。

 ……青色は、不安の顕れだ。

 不安を欠片も残すまいとするように、刻音がぼろぼろと切り出した。

「誰を好きでもメリアさんは二人目のお母ちゃんだから、安心して帰ってきてぇ……」

「刻音さん……」

「それで、刻と遊んでくれたら……すぅごく、すっごく嬉しいですぅぅ」

「勿論でっ勿論ですよ、遊びましょう、刻音さん」

 刻音の素直な気持に、メリアが顔を伏せて何度かうなづいて、聞こえないほど小さな、涙声があった。

「ありがとう……ありがとうございます、本当に──!」

 引き寄せ合った二人の手が、きゅっと結ばれてゆく。度合は違えども消耗激しい二人であるから、よたっと支え合った。しばらく手がほどけることはないだろう。ほどけそうでもきっと放さないに違いない。

 ……よかった……本当に。っ……。

 事態の収束に音羅は息をつき、気が抜けて座り込んだ。隣に屈んだ夜月が背中を摩ってくれた。

「むちゃしすぎですわ」

「本気を出さないとみんなが危なそうだったからね」

「余力を残しなさいよ」

「メリアさんを下ろす力は取っておいたよ」

「自分の身を守る余力くらい取っておけという意味ですわ。それに、触れたらどうなるかも判らない攻撃魔法に生身で突撃なんて。逃げ道のない状況でもなければ断固却下しましたわ」

 厳しく優しい指摘をくれる妹。危なっかしかったというのも素直な感想だろう。

「ちゃんと魔法で守っていたよ」

「薄衣で刃物に挑んだようなものよ。逃げられる状況なら全力の一回目でも却下するわ」

「……ごめんね」

「丈夫な体に生んでもらってよかったわ。父様と母様に感謝して」

「うん、そうするよ」

 ひしと抱き締め合うメリアと刻音を眺める。

「トキネの言葉に異議はありまして」

「ないよ。夜月ちゃんは」

「癪ですけど」

 不敵な笑みは前向きな賛意だ。

「だよね。パパもママも、メリアさんが幸せならいいっていうと思うもの」

「メリアさんが父様と別れることを選んでいたら、または、ここに住むことになっていたら、漏れなく母様もいなくなってましたわよ」

「……あ」

 完全に失念していた。「いわれてみると、びっくりだ」

「はあ……。メリアさんがモカに落ちついてくれそうで安心しましたわ」

「夜月ちゃんはママっ子だったんだね」

「一人でも欠けたら……家族は破綻するからよ」

 夜月が父のような半眼で口にした。

 その意見に、音羅は賛成だ。一人たりとも失っていいはずがない。今は、メリアもその一人だ。母と肉体共有しているからというだけでなく、父の支えになっているだろうから。それに何より、音羅もメリアに家にいてほしい。夜月の考えを正すきっかけになってくれたこと、拒絶されがちだった刻音を受け止めてくれたこと、父に、竹神家の和に心から惹かれて、勇気を出して踏み出してくれたこと、全てに音羅は感謝している。

「何はともあれ、よかったね、二人が仲良くなれて」

「それでこの距離」

 メリアを下ろした音羅は一〇メートルちょい離れていた。疲れ果てて倒れそうだったので、メリアと刻音に気を遣わせないように。

「耳が利くから話は聞こえるけど、変な気を回す必要がありまして」

「水を注したくないもの。わたしはメリアさんがいいひとだから迎え入れたいって思ったけれど、刻ちゃんはそうじゃなかった」

「板挟みの感情を察して受け入れたわけじゃなく、トキネも最初、姉様と同じように受け入れたんだと思いますわ」

「気持を解ってもらえたかどうかは大きいと思うよ」

「距離感が変わるわね。トキネはいろいろとオーバだけど、ワタシの気を察したことについては悪い気がしなかったわ」

 刻音を扱き下ろす夜月でもそうなのだ。同じような経験がある二人が通じ合えばなおのこと親しくなるだろう。血は繫がっていなくても親子になることだってできるはずだ。メリアはもとから母親になりたがっていたし、刻音もメリアを母と呼ぶようになったのだから、関係発展は日を待たない。

「血の繫がらないひととの絆を育めたのは、刻ちゃんに取って大きな成長だよね。嬉しいな」

「血縁云云を加味せずメリアさんを家族として扱うなら、結局トキネは家族内の関係しか築けてないわけだけどね」

「厳しいな」

「血縁者との関係しかないよりはマシって認めてやってもいいとは思いますわ」

 素直でない言い方だが、ずっと抱き締め合っている二人を観ると、夜月の言葉はあながち間違いではない。

 ……依存、か。

 刻音がメリアを受け入れたことは間違いない。一方で、家族や他者に対する過度な愛情表現の末にやっと築いた関係となれば依存して相手を庇うことが目的化したりすることもある。それが父母のように支え合う関係かと言えば疑問で──、と、思考途上で音羅は気づく。

「あれ。二人とも眠った」

「そのようね」

 近づいてみると、二人の腕が少しだけ緩んでいる。音羅と夜月が話しているあいだに疲労がピークに達したようだ。

「仕事の帰途、幻覚を見た姉様をトキネが守っていたという話でしたわね」

「それに加えてさっきの魔法だったからね」

 度重なる精神力の消耗は体に応える。一撃に全力を込めた音羅よりも刻音のほうが疲れているかも知れない。

「夜月ちゃんは平気」

「平気よ。姉様を送り出すのに全力を出すまでもありませんし」

「じゃあ、二人を抱っこして帰ろう。よっと」

「もう元気とは。姉様の体力は尋常じゃないわね」

「ふふっ、鍛えているからね」

 魔力に頼りきっていないから言えることだ。

 ……──。今も、経験は活きているんだな。

 遠い日日が、立ち上がる力をくれる。

 刻音を抱っこするとメリアが目を覚ました。眠たげな表情に混沌たる葛藤はない。新たな燈を灯す桃色が一層明るく、彼女の底抜けの優しさを象徴していた。

「帰りましょう、わたし達の家に」

 

 

 

──一四章 終──

 

 

 

 

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