一一章 兆候
同じ結末を迎えるならどんな道を進んでもいいのではないだろうか。愉しい道、苦しい道、平坦な道、ゴールラインの一瞬間が同じなら、大切なものは何も変らず胸に残るのでは。例えば、自分が死ぬとき、置き換えの利かない大切なひと達が一緒にいるならどんなに険しい道を辿っても刻音は受け入れることができる。
でももし、望まない形に結末が変化していて自分だけがそれを拒絶していたとしたら、それで、自分だけが大切なひとの和から弾き出されているとしたら、受け入れられそうもない。
なんのための回り道だった。なんのための茨道だった。最後に望み通りの一瞬間が訪れる、否、望み通りの一瞬間を引き寄せられる、そう信じていたから歩んでこられたのに。
……みんなに取って、わたしは厄介者だって解っている。
深い深いトラウマたる自覚を得ている。メリアと向き合い話すことができれば家族の和に融け込めるとも解っている。が、それをする勇気が湧かなかった。メリアの存在を介して家族の大半が敵に回っているようで、孤独を癒やしてくれる母でさえどこかで拒絶しているのではないかと憶測して、思い込みを打破できるはずの問答をする勇気も出ず、ただただ母の膝に甘えて眠ることしかできなかった。
魔物討伐の仕事でしか体を動かすことがなくなった。メリアを避けて独りでいるか、母に甘えて眠るか、あらゆる意味で不健康な生活になってゆいた。
尻尾を巻いて逃げた。そう言われても仕方がないほど情けない心情で湯に浸かった──。
その日の朝、刻音はメリアの作ったご飯を味わうことなく済ませて、仕事に出た。姉音羅を誘ったのは母の次に甘えられる相手だった。いつも一緒に働いていた謐納には機微を悟られているようでやりづらかったせいもある。
ハンタ紹介所でD級の仕事を請け負い、モカ村の南の森を抜けると、フロートソアーを遠目に西へ向かう。フロートソアー西の断崖付近が今日の現場で、しばらく移動が続くため話す余裕があった。
「──、わたしにもっと力がついたら、それと、刻ちゃんが慣れてきたら、上のランクの仕事に挑んでみよう」
難しい仕事を避けた音羅が、不満そうにした刻音を慮ってそう言った。
もしものことがあったとき音羅がどう思うか伝えてくれたから、刻音は難しい仕事でなくても構わない気持になっていた。一方で思うところもある。
「そのほうがお母ちゃんに楽させてあげられると思うから、お願いします」
「そうだね」
怠惰な父に代わって家庭教師として働いてきた母の稼ぎは、姉妹全員の学費と家族全員の諸経費に充てられていた。家でも外でも子どもの相手をして、あえて焦点を当てるなら精神年齢が未成年でストップしたかのような父の面倒をみなくてはならず苦労が絶えなかっただろう。神界移住に際して転職した母は働き者として村で有名である。聖水売りから凶悪な魔物の退治、果ては村の雑用に至るまで有給・無給を問わず労働を惜しまない。
「(それこそ、メリアさんと交替でもしないと……。)たまには、ゆっくり休ませてあげたいです」
「刻ちゃんがママにくっつきぼぼしているのはそういうことなんだね」
「え」
「刻ちゃんの相手をしているとき、ママは休めているからよかったね」
……刻は、ただ、甘えたかっただけなんだ……。
それを正直に言えないのは幼い証拠でしかなく、大人の仮面を被った偽りの時間をやり過ごすためである。
……そんな自分に、むかついているのにな。
全てを打ち明けることが難しくても、正直であることはできる。八女納雪のように真白にはなれず、正直にもなれない。
心を映したかのようなコントラスト、大地の裂け目から緑の草原へ目を流す。
「お姉ちゃんは、……」
「ん。何か訊きたいことがあるのかな。いいにくいことならゆっくりでいいよ」
「うん……」
姉音羅の優しさは、生まれた頃から何も変わらないように思える。でも、その変化を刻音は感じている、ような気がしている。
……お姉ちゃんは、大切なひとを、一気に失ってしまった。
もしもの目に遭ったとき。その話をした先程の音羅は、怯えているような、それでいて強い意志を感ぜさせるような、複雑な目差だった。
刻音が生まれる前からサンプルテに出入りし、父と古くから親交があったという相末学、就学時代からの親友とそのパートナ、さらには昔に世話になったというアパートの大家、関わりのあるひとが亡くなるだけでも大きなショックだろうに、音羅は全員を看取った──。
……わたしが同じふうになっても、お姉ちゃんなら……。
そうであるならいっそのこと──。考えてはならないと思いながらも、刻音はそんなことを思ってしまった。
このまま過ごしていては望んだものとは全く異なる一瞬間を迎えてしまう。そうなったら、未練に縛られてこの世を彷徨ったりするのではないか。
……それで、きっと、またみんなに迷惑を掛けるんだ。
たった一人でもいい。想ってくれるひとがいてほしい。それが音羅であるなら、刻音は嬉しい。
……、……なんて、また、目の前のひとの優しさにばかり縋っている。
音羅にさえ想われていれば未練がないなんて噓だ。刻音は今も昔も変らず甘ったれだ。ほかの姉妹の想いは、父の想いは、母の想いは、不要だというのか(?)そんなことはあるわけがない。刻音は、全員の想いがほしい。
……こんなふうに思わせたみんなが悪いんだ……。
だからメリアを拒絶し続ける、と、いうのは八つ当りの側面を否定できないが、限りなく本心に近かった。家族の自分より、他人のメリアのほうが大事なのか、とも、思う。それが家族の真意だとしたら自分はなぜそんな扱いを受けなくてはならなかった。厄介者だからか。それはメリアとて同じではないのか。他方、そんな屁理屈を捏ねている自分だから見限られてしまうということを、刻音は理解できている。
……誰かがいっていたな。卑屈なひとは、棄てられるんだって。
かつて学園じゅうの人間を棄てた刻音と人間の心理は似ている。不都合な相手とは疎遠になり会うことが少なくなる。それを魔法で強制的に、しかし自分の認識の中だけでやっていたのが刻音だ。傷ついたのは、いったい誰だ。堂山知代や学園のひとびとだけか。
……、……。
「……」
草原を撫でる風が、保留していた問を思い出させた。
「あ、ごめんなさい、お姉ちゃん。質問なんだけど、もう……」
「……」
「お姉ちゃん……?」
変り映えのない風景を眺めて歩いていたからか、音羅も考え事をし始めていたようで、
……すごい集中力だな。
刻音とは違う意味で、声が聞こえていないようだ。
……大切なひとのことを、思い出しているんだろうな。
幸いにして見晴しのいい草原である。時折後ろを確認し、広範囲の魔力を探知すれば魔物の接近を予測できる。魔物とほとんど対峙したことのなかった音羅より旅慣れした刻音のほうがその辺りに気が回る。
……お姉ちゃんが怪我しないように守ってあげないと。
予測した極端な結末に意識が傾いてしまうが、そんな意識を変えてくれるのも目の前の大切なひとである。
それにしても、である。
……お姉ちゃんが、こんなに考え事をしているのはちょっと意外だ。
などとは、気安さを通り越して無礼な気がして言えなかった。馬鹿にしたいのではなく、音羅が考え事をしている様子を見たことが少なかったせいである。
……前の仕事をやめて、ひとのことを考えなくてもいいはずなのにな。
廉価食品の販売・配達を生業にしていた音羅の悩みと言えばもっぱら貧民のことだったが、先程の目差から察するに今の考え事は亡くなったひとびとに関することだろう。
……優しいお姉ちゃんが思い悩むのは解るけど、そろそろ現場だ。
到着前に注意を促した刻音は、仕事に集中するという音羅に並んで、目的地へ踏み込んだ。
真暗で底の見えない大地の裂け目フロートソアーを東に控え、穏やかな風の吹く草原に息を潜めると、小岩の陰から顔を出す。音羅が左、刻音は右から、南を覗いた。
「あれが今回の魔物なんですね」
「ウシだね」
「草を食べて無防備そうですね」
「時間的にお昼かな」
薄い雲に隠れても眩い太陽。少し早めの昼食か、それとも、
「お姉ちゃんみたいな食べっぷりですぅ」
「こんな早い時間には食べないよ」
「説得力ないですね」
「時間は守るよっ」
「お姉ちゃん同様ご飯のときは誰しもリラックス状態。絶好のチャンスですぅ」
「チャンスとは思うけれど、待って」
「どうかしたんですか?」
「うん。数がね」
指差して数えた音羅が、うなづいた。「やっぱり。依頼内容よりかなり多い」
「どのくらいですか?」
「依頼は〔10頭超〕だね」
「超は超でも五倍はいますね。繁殖したのかな……」
ハンタ協会の調査間隔によっては古い情報が残っていることがある。調査に漏れがあれば依頼内容と実働に差が生じてくることもある。
「引き返して情報更新を促したほうがいいパターンかも知れないね」
「う〜ん、それだと給金がすごく下がっちゃうんですけど」
「安全には代えられない」
「……そうですね」
母を楽させるにはお金を稼げたほうがいいがこの仕事を続けるなら怪我をするような判断を下すべきではない。
……と。
来た道を引き返そうと思ったところで、刻音は探知した。「後ろ、北から魔力が……」
「魔物かな」
「どうだろう。ちょっと待ってください」
穢れを探知できるわけではないので、個体魔力の動きや密集度から推察する。
「数からしたらひとの可能性はあるけど……」
惑星アースと同じように神界にも魔物討伐部隊が存在する。神界宮殿という統治機関所属の兵隊と民間の討伐部隊があり、前者は特に統制の執れた動きをし、民間の部隊も大きく広がって移動することは少ない。
「このまばらな感じは、魔物っぽいです」
「右手は崖だし、後ろにはウシがいっぱいだ。今のうちに西へ退避しよう」
「うん」
魔物を打ちのめす自信があっても正面きって戦うのは愚策だろう。北から迫る魔物が縄張り争いでウシの大群を減らしてくれるかも知れず、そうなれば追討ちを掛けて仕事を達成できる見込みもある。刻音は音羅の退避案を受け入れ、西へ駆け出した。ひとまず様子見だ。十分に距離を取っていたのでウシの大群に気づかれることなく退避でき、じきに訪れた別のウシの群れの動きを見守ることとなった。
「どうやら仲間みたいだね」
「縄張り争いも同士討ちもないなんて……」
見込みが外れた上、勢力が拡大してしまっては手が出せない。
「どうやら情報が古すぎたみたいだ。大人しく引き下がろう」
「解りました」
ウシの大群に見つからないようやや迂回して村に戻ることにした。あちらこちらにある小岩や草木の陰に隠れるようにして北上するのがいい、と、決めて刻音は歩き出した。
「なんの収穫もないなんて残念ですぅ」
日光が遮られて微風の吹く赤道直下。仕事にも散歩にも快適な環境である。
……あれ?
一言発すれば一言返してくれるはずの音羅が無反応だった。また何かに集中しているのかと思いきや足音が聞こえず、隣を歩いているはずの影がなかった。後ろを振り向いた刻音は、木陰で立ち止まって南を見つめている音羅を見つけて独り言を発していたことに微妙な気恥ずかしさを覚え、慌てて駆け寄った。
「お、お姉ちゃ〜ん、どうしたのぉ」
「……」
「お姉ちゃん……?」
「……」
……どうしたんだ。
呼びかけても反応せず、「お姉ちゃん……どうかしたんですか」
微動だにしないばかりか顔色が悪い。何かに驚いた様子だが目線を追っても何もない。
「(なんだろう、なんか恐い……置いていかれそうな、この感じ──。)お姉ちゃん……」
「……」
「お姉ちゃん!」
「っ何、いたっ」
「にゅぐっ!」
音羅は耳がいいひとである。魔物に気づかれないよう、刻音は耳許で少し大きな声を発し、振り向かせたはいいが、ぶつかり合ったおでこが割れそうだ。
思わずうずくまった刻音を音羅が抱き上げた。
「ご、ごめんっ、大丈夫っ」
「うぃいた、いたいぃっ」
「ご、ごめん、本当にっ!」
先程とは別の意味で血相を変えている音羅であるが、
……さっきよりは、血の気が戻ったかも。
刻音は安心した。おでこが痛いが、そっと撫でてくれる姉の温かさは格別だった。
……痛いフリしようかな。しばらくガチだけど。
「刻ちゃん、平気」
「うんっ!あ、痛いぃ」
「どちらなんだろう」
「痛いよぉ」
噓ではないが噓っぽくなってしまったので、話題の切換えを狙う。「お姉ちゃん?さっきはどうしたの。なんかに驚いていたみたいですけど」
「え、あ、疲れているのかな」
隠した様子もなく、音羅が苦笑した。「ぼんやりして、夢でも見ていたのかも」
「もしかして、幻覚とか、錯覚とかですか」
「もしかして、か。あのときの毒が残っているのかな……」
「あ、サソリの。二週間くらい前のことでしたよね」
「生活に響かないくらいの少ない毒が今になって悪さをしたとか」
あの父が魔法で治療したとは言っても音羅を瀕死に追い込む毒だったのなら取り除けないような少量でも作用しそうだ。して、心を煩わせている者の姿を音羅は見ていたのではないか。この世にいない、または神界にいるはずのない人物の影に、驚かないはずがない。
「早く帰ってお父ちゃんにまた治療をしてもら──、っ!」
急速に迫る魔力反応を多数探知して、刻音は音羅を押し倒しつつ空を見上げた。曇天を、雲より厚く覆う影が東へ飛んでゆく。小さな個体の群れだ。
「アブ、かな」
「ハエみたいでちょっと嫌ですね……」
一個体の個体魔力はそれほどではなく斃すのは容易だが無数にいる。大量発生の具合からして恐らく魔物であるから、油断すれば命取り。それに、
「ウシに向かっていきますね」
「あっという間に包み込んでいるね」
観察していると、ウシがいた辺りから光の粒子がちらほら散ってゆく。
「ウシが斃されて……?」
「淘汰かな。魔物のそれは初めて見るかも……」
空の彼方へアブが飛び去ると、ウシの魔物が一頭残らず消えていた。
「あれは、刻の魔法みたいに見えなくなっている、とかじゃないですよね」
「骨も残っていないみたいだ……」
「手を出さなくて正解でしたね……」
「どうやって斃されたんだろうね……」
アブが体じゅうを這い回って──。
「ひぇぇぇ……早く帰りましょぉお?解毒のこともありますしぃっ」
「そうだねっ」
魔物の世界の淘汰は悍ましすぎて、観ていなければよかったと思えてくる。
いそいそと帰路を辿る。アブの襲撃に怯える刻音と対照的に、音羅がどこか浮かない顔でいる。
……幻覚とかでも、変に、気になっちゃうんだろうな。
音羅が見たのは、その様子からして相末学や野原花だったのだろう。もう会えないひとの顔を思い出させられたのだとしたら、否が応でも心が虚空に吸い寄せられてしまう。反射的にそうなってしまうことは刻音にもよくある。
……お姉ちゃん……。
優しい姉が、不憫だ。
アブではなかったが、魔物の接近を感じたら刻音は魔法を使い、音羅を護衛した。
……お姉ちゃんは、わたしが守るんだ。
自分と違って心からひとを大切に想ってきた姉を、刻音は失いたくない。もし失われるなら自分が先でいい、と、思って村に到着したから、
「刻ちゃん」
「んっ……!」
ほっぺにキスをして、頭をそっと撫でてくれた音羅に微笑みかけられて、刻音はポーッとしてしまった。
「いっぱい守ってくれてありがとうね」
「気づいていたの」
「勿論。ぼんやりしてしまって、全部任せて、ごめんね」
「ううん、お姉ちゃんが一緒で嬉しくて、愉しかったから、お礼なんて……」
「そっか。でも、ありがとう。また一緒に行こう。今度はお姉ちゃんが守るからね!」
「……うんっ!(お姉ちゃんは、こんなわたしにも分け隔てない)」
その優しさを受け取っておきながら、自分が先に失われればいいと考えているのは、ひどいことかも知れない。
……嫌われたくない。
どんなにひどい姿勢でいても見守ってくれた音羅に。
自宅前だ。メリアが、中にいる。
屁理屈かも知れない。でも、少し、前向きに考えてみよう。モカ村の家は、生活一新の象徴ではないか。家族全員とメリア、第二夫人テラスリプル、ひょっとするとそれ以降も増える妻を迎え入れるために父が建てたのではないか。ここが竹神邸であると刻音は教えられたが、小さな村で表札はなく「竹神の血筋だけの家」だなんて誰も言っていない。あえて指摘するなら母だって竹神の血は流れていないわけで、それなら父の妻もしくはそれに類する存在に広く門を開くべきだ。否応なくそれを受け入れなくてはならない娘の立場でありつつも、娘であるがゆえに刻音は部屋という逃げ場を父に用意してもらえた。家の掃除を隈なくやっているメリアも、姉妹が使っている部屋までは入ってこない。最低限のプライベートが守られているのに、父とメリア、合致した二人の想いを引き裂くような真似をしていいものだろうか。父の不幸を望んでなどいないというのに母のいない不満を隠す盾のようにして他人メリアを邪険にして、それで、父の幸せを望んでいることになるのか。母は。母は、刻音をどう思っていた。大切なひとの幸せを娘が潰そうとしていた状況をどう感じていた。
……お母ちゃん……。
たった一言、伝えればいい。
……メリアさんを、受け入れる。
そう言えば、母父の幸せを守り、大好きな姉に反目せずに済み、妹のように素直になれる。偽りの仮面を棄てて、大好きな家族に大好き、と、言える。
「──お姉ちゃん、わたし……」
「勇気、振り絞るんだね」
両頰を包む温かい手に支えられて、刻音は、
「うん……」
我が家の玄関を開いた。
変に飾るな。なるべく自然に、いつも通りの自分で。
「ただいまぁ」
踏み込んだ居間では、納月、子欄、夜月がなぜか同じミニスカートを穿いて、納雪、鈴音、父、メリア同席の茶会(?)を開いているようであった。
……、……。
「刻ちゃん……」
詰まった胸。押し出された言葉が、口から零れる。
「なんか愉しそうですね……。へぇ、刻がいないあいだに余所のひとと仲良くしていたんですね、お姉ちゃん達」
怒りが抑えられない。
……そうじゃない。こんなことをいいたいわけじゃないんだ……。
けれども、どうしようもなく苛立った。最初から母父の想いを酌み取って行動していたであろう姉妹を前にすると。
……素直に酌み取れたみんなが、──羨ましい。
姉というのは、夜月に限らず妹の心を読めるのだろうか。
「刻音さん、それに音羅お姉様も戻りましたので、ほかの六姉妹で話したことを伝えます」
と、子欄が言ってくれた。話し合いの場に引き込んでくれようとしている。そうと解ったものの、刻音は、
「お湯いただくから今は……」
萎縮したような、尻窄みの反応で場を去ろうとしていた。
「っふふふ、アホ犬が尻尾巻いたわね」
夜月はいつでも挑発的だ。「***⁑*****」
刻音は一時言葉が聞こえなかった。
……ダメだ、前みたいになったら……。
聞きたくなくても、聞かなくてはならない。
「目を逸らして逃げ回って、あとはどうするのかしら」
見透かされている。あとのことなんて全く見えていないと。
「解ったようなこといわないでください……。魔物退治で疲れたの。服も汚れたから着替えたいし」
「ほら逃げた」
「逃げてないッ!」
「刻ちゃん、落ちついて」
……お姉ちゃん……。
音羅の声がなかったら、遁走の足を止めることもできなかった。
「今日は魔物が多くて、刻ちゃん頑張ってくれたから疲れているんだよ」
「ふうん。それだけが理由じゃないって顔に出てるけど」
……夜月お姉ちゃんは鋭いな。
とことんまでに神経を逆撫でしてくる。
「まあ、まあ、」
と、納月が手を合わせて場を和ませた。「ひとまずお風呂に入らせてあげましょう。刻音さん、汗を流したら話を聞いてくれるんですね」
一時的な退避を許して、気持を治める時間を与えてくれた納月に、
「……、……うん」
刻音は、なんとかうなづいた。
浴室に急いだ。体を湯で流してすぐさま湯船に飛び込んで、頭まで浸かって、
……なんで、こうなっちゃうんだろう。
あぶくに悲憤を込めた。気が遠退くような感覚がして、
「刻ちゃん」
「……お姉ちゃん」
音羅に抱き竦められていた。湯から顔が出て、詰まった胸が姉の体温にほぐされてゆく。
「……苦しいよね。素直になれないのって」
「うん……」
「わたしも、いいたくてもいえないこと、たくさんあるよ」
「お姉ちゃんも……?」
感情的で素直で隠し事のないひと。そんな音羅の言えないことを引き出すのが躊躇われたから、刻音は感情だけ窺った。
「お姉ちゃんも、苦しい?どうしたら、素直になれるのか、解らないです……」
「わたしも解らないや。いえないなら、まだいわなくてもいいのかも」
「……いいたくなったら、いえばいいってことですか?」
「みんなは聞いてくれる、って、刻ちゃん、きっと解っているんだよね」
「……うん」
あの夜月でさえ話を聞く耳はあるはず、と、どこかで信じている。家族だからなのか、それとも、別の要因かは判らないが、信じている。
「わたしがいえるのはやっぱり前を向いていたほうが歩きやすいってことくらいかな」
「ポジティブシンキング?」
「うん。あと、そうだなぁ、高いところを目指すことも大事だとは思う」
「上昇志向ですね」
「ただ、どちらにしても自分がどこにいるのか判っていないと進めないんだ」
「そんなことあります?」
「うん。あるはずの足場がなかったことに気がついたりする」
「……」
「空がどこまで続いているのか判らないから、近くをきちんと観るのも大事だね。体は勝手に浮き上がったりしないし、つらいなら階段やエレベータを使ってみてもいい。進むペースがみんな違うから無理をしないのも大事だ。そうしているうちに昨日より少し前や上にいる。遠いと思っていた場所にも、そうやって少しずつ近づけるものなんだ」
音羅の考え方は、刻音と全く違う。限界が遥か遠くにあって、超えるまで判らないと知っている。ペースを守ってゆっくり前進・上昇してゆくから疲れることなく限界を目指せる。限界を超えたそのとき、ひとは達成感とともに殻を破ったことを捉えているだろう。
「……お姉ちゃんは、ホント、すごく前向きなんですね」
「柱や標識にぶつかっちゃうからね」
「っはは、なんですか、その喩え。なんか変ですぅ」
「けれど、そうでしょう」
「……そうですね」
後ろ向きでも、下向きでも、迫る障害物を見定められないし、疲れやすい。障害物を躱すにせよ、壊すにせよ、それを見定めなければ行動に移れない。最後の一瞬間を望ましいものにしたいなら、視線を上げるべきだ。後ろ向きになったり下向きになったりするより大変でも、ずっと疲れにくい。
「あ、でも今は足下の確認もしようね」
「足下の確認?」
「刻ちゃんはどこにいるんだろう。どこにいるのか判らないなら、スタートラインを振り返ってみるといいよ」
「あ……」
よくよく考えてみるとスタートラインがどこにあるのか見失ったまま意識してこなかったように刻音は思う。母父の想いのもと生まれて、家族に温かく、一部冷たく迎えられた。それがスタートラインだろうか。
少し違うような気がした。生まれて間もない頃のことも勿論無意味ではないはずだが、それとは別に価値観の起点となっているものがスタートラインだからだろう。自分がどんなことを求めてどんなものを正しいと感ずるか、その起点を探る必要がある。
……難しく考えると、よく解らない。けど──。
家族には愛されていたはずだから、その愛を何倍にもして大好きなみんなへ返したい。それができないから苦しい。どうしたら、できるようになるだろうか。そのヒントこそ音羅を始めとする姉妹の姿勢だろうが、歳の近い姉はその姿勢が尖っていたように思う。
……お姉ちゃん……夜月お姉ちゃんは──。
近頃のことに刻音は思考の取っ掛りを得た。常に挑発的な夜月に気持を聞いてもらえると信ぜられたのはなぜか。ほかの家族と同じようにメリアを受け入れる姿勢を見せていたからか。
……何か違う気がする。
そもそも、なぜ夜月は刻音を嫌っている。そもそも、なぜ刻音は夜月を最初に消していた。夜月が嫌なことを言ったからか。
少しずつ振り返ってみて、刻音は見たいものが見えてきた。
……夜月お姉ちゃんは、心を見透かしてくるから。
だからその言葉が耳に痛い。しかし当の夜月は家族の和をはみ出していない。昔はそうでもなかったように感ずるが、先程の居間での様子は、完全に融け込んでいるようだった。
……ひょっとして、刻と同じ……?
素直に言わないだけで、本当は家族の和に入りたかった。それで、今は素直でいる(?)もし昔からそうだったとしたら、刻音に存在を消されたとき夜月はどう感じたのだろうか。それでどのような態度を執ったかは刻音も知っているところだがそれ以前に、家族の和に入りたがっていたはずの夜月が最初から刻音に悪態をついていたとは考えにくいのではないか。それで刻音が夜月の存在を消すような事態が起こるわけがないのである。
……なんで、わたしは夜月お姉ちゃんを消したんだっけ。
記憶が曖昧だが、推測も立てば、……記憶が、掘り起こせそう。
「見えてきたかな」
「……、……うん」
「もう少し、歩いてみよう」
「うん。……」
今は独りではない。温かく包んでくれる音羅がいるから、嫌なことを振り返れる。
……そうだ──、そう、夜月お姉ちゃんに──。
幼い刻音はまこと幼く、母を消したことを認識するまで、自覚なく記憶すら消していた。消えた相手に纏わる記憶をも消し、失った記憶と現実との整合性が保たれるように、自分の都合のいいように記憶を偽っていた。夜月が消えたのは刻音に取って嫌なことを言ったから。それは、間違いない。けれども、
……それが全てじゃない。
嫌だったから消した記憶がある。音羅のいうような障害物、確たる思い違いを見定めたくなくて自分の蒔いた種を刻音はなかったことにしていた。すなわち、
──夜月お姉ちゃん大好きっ!ぎゅ〜っ!
……っ、刻は……。
ふと蘇った記憶が、胸を震わせた。……そう、刻が──。
──あぁもう。少しは距離感を考えてちょうだい!
……嫌がるお姉ちゃんに、無理やりくっつき続けたんだ……。
夜月が苛立って、言い放った。
──アンタなんて、一生大嫌いですわ。
…………。
愛されることが当り前だと思い込んでいた。好きと伝えれば同じように相手が好いてくれるとも。ひとには、それぞれの距離感があって、誰もが刻音のようにべたべたしたいわけではない。母父や音羅は幼さゆえのものとして刻音の行為を受け入れ、あるいは嫌でも許容してくれたのだろう。
惑星アースで一緒に旅をするとき、鈴音に言われたことがあった。
──必要なものなんかは自分で調えて、絶対わたしを頼らないで。
あらゆる場面で鈴音の言葉は効いてきて、旅先での洗濯であったり買出しであったりは自分で率先してやった。鈴音もそうしており、各自の私物が手許を埋めていたから物理的な距離を詰めることが難しく、結果的にスキンシップも少なかった。それが定常となっていたからか、
……甘えさせてくれる音羅お姉ちゃんにも、こんなに接していなかったな。
荷物があったのでもない。仕事現場への移動中はほとんど散歩状態で、魔物の襲撃を警戒していたとしても腕を組んだりするくらいの余裕はあった。それを一度もしなかったのは、鈴音との旅で無意識に培ったことだった。
拒絶も、消失も、誰より先に夜月が教えてくれていた。極度に接触しないよう、鈴音が遠回しに矯正してくれた。子欄や納月は胸のうちを察して話し合いの場に呼んでくれた。そも、メリア受け入れ以前にみんなが刻音のことを無視して話し合いをしていたはずがない。だから却って素直になれなかったのであって刻音はみんなへの信頼を棄てたわけではなかった。
……夜月お姉ちゃんだって、刻が無自覚な自分に気づくまで離れずにいてくれたんだ。
家の中で妹に無視される異常な状況下だ。両親に言ってすぐに離れることもできただろう。なのに、ちょっぴりキツいお灸を据えるまで近くにいた。だから、刻音は夜月を信じた。それがもし報復だったとしても、刻音は夜月を改めて信ずる。
……ほかのみんなも、メリアさんのことだけを考えているんじゃない。
一方的に拒絶している刻音をどうすれば家族の和に戻せるか、考えてくれている。協力が不可欠なメリアと話し合う必要があるから一緒にいることが多いのだ。素直になれない刻音は、それを観るたび自分の成長のなさに苛立って反発してしまった。
「やっぱり……刻は、すごく小さくて、幼いですね……」
「見定まったかな」
「……うん」
刻音のスタートラインは、冷たくあしらってきた夜月への態度だ。そこで失敗していたからずっと拗れていた。一つ一つ見つめ直したらそうと解った。見つめ直す勇気がなかったのは、夜月が恐かった。成長しない自分では強気な夜月に太刀打ちできないと反射的に思っていた。それも、思い込みだ。
「刻は……少し、少しだけだけど、成長、していますよね?」
問掛けに、音羅が力強くうなづいた。
「いろいろ悩んで、素直になれないところもいっぱいあると思う。でも、わたしをたくさん守ってくれた。優しく、逞しく、立派になったよ」
「っ……うんっ!」
ゴールラインは、どこだろう。音羅曰く、それはきっと見えないのだ。ただ、多少なりとも想像して、そこへ行きたいと願うことはできる。目指すは、家族の和。それも、竹神家らしい和だ。刻音は、それを思い描き始めている。もしかしなくても、その想像図はみんなと合致しているだろう。
……そのためには、まずは──。
髪を洗ってさっぱりして浴室を出ると、音羅に背中を押してもらわず、刻音は自らの意志で居間に入った。
「揃ったね」
と、鈴音が声を発した。先程はいなかった謐納が加わり、同席できない母以外は家族全員が揃っている。囲炉裏の居間ではあるが円卓式の席次だ。音羅が席につくと刻音も席に向かう。いよいよ、メリアとの対話に臨まねばならない。が、その席につくために、先んじてやらなければならないことが刻音にはある。
「じゃあ、お父さん──」
と、家族会議の開催を促そうとした鈴音を、刻音は制する。
「その前に、ちょっと時間をください。お願いします……」
頭を下げて。
「何やら心境の変化があったみたいだね」
と、鈴音が父を一瞥。次に、「どうしようか」と、刻音を視る。「誰との時間が要る」
その視線は、刻音の機微を酌んでいた。刻音より先に旅に出て、何もかも自分でこなしてきた鈴音は、スタートラインを見つめ直すことも、ゴールラインを思い描くことも、ずっと昔にできていたのだろう。
刻音は、夜月を窺う。
「ちょっと、部屋で話せないかな」
「ここじゃ駄目なわけね」
……、……。
刻音は、意図して心を閉じていた。心を読ませたら意味のないことだったから。
「……いいわ。悪いけど待っててくれるかしら」
と、夜月が立ち上がり、
「行ってきぃ」
と、父が応じた。
夜月と話したいことは何か、全てを察せられる者はいないだろう。決意を宿した面持のみが判然としており、後押しするような気持で皆が刻音の背中を見送った。
音羅が口を開く。
「パパ、……」
「勇気が足らんな」
「ごめん……場合によっては治療をお願いしたくて」
「前の毒が残っとったん」
「その可能性もあってあとで話があるんだ」
「いいよ」
と、オトがうなづいた。
「音羅さん、大丈夫ですか」
メリアは彼女の額に手を当てた。「熱はありませんね」
「その手の症状じゃないやろ。毒は完全に抜いたはずやけど、懸念が残っとるしな」
と、オトが言うから、話を掘り下げたく思ったメリアだが。
「今は刻音のことを待とう」
「……はい」
浮かない表情ではあるものの音羅に病的な兆候はない。刻音本人が乗り気で竹神家全員が揃った今でなければ対話が難しくなるおそれがある。この機会を逸すれば、
……家族揃って誕生日を祝ってあげられなくなってしまいます。
誕生日祝いには、ララナと八姉妹だけでは足りない。そこにオトがいるか・いないかが刻音の気持を大きく変える。オトの参加は、メリアと刻音が打ち解けなければあり得ない。
……なんとしても、みんなでお祝いを。
メリアは、その一心だった。
言葉遣いやきりっとした風貌、美形揃いの姉妹の中でも六女夜月は一際目を引く。一歳半程度の年齢差しかないのに、けして悪い意味ではなく歳の離れた雰囲気があり、そのせいもあって刻音は恐がっていた。性格やひととの接し方、距離の取り方も違いすぎて、どうやって接すればいいか判らなかった。顔を合わせると鋭い刃のような言葉しかもらえないというのもひどく恐い点だ。なぜなら、竹神家の厄介者だと自覚させられ、孤独を突きつけられてしまう。自信を失い、勇気を削がれ、立ち位置すら見失って、未来を望めない。それはそうだ。凍える夜も輝かせるような六女が現実を照らし出してくるのだ。どうやったって逃げ場などなかった。恐いに決まっている。しかしそれ以上に恐いこともあった。
……わたしは、気持悪い噓つきだ。
その現実を受け入れることが、最も恐いことだった。誰からも愛されないという事実を受け入れることに等しかった。安全圏から踏み出せないがゆえに誰を愛することもできず、恋すらまともにできないと自ら認めることでもあった。
自信に満ちた姉にはどうやったって太刀打ちできない気持悪い噓つき。
それを認めた。そうしたら、どうしたことか、過去の情けなさを簡単に掘り起こすことができた。その情けなさが誰を傷つけたかも明明白白だ。おかしなことに卑下せねばいられないような現実が自信にもなった。さまざまな点で相違があって、たとえ打ち解けることができなくても夜月に手が届かないわけではないと解ったからだ。
「……」
「話って何かしら」
夜月と音羅が使っている二階南の部屋に入ると、夜月が催促した。「尻尾巻く様子はないけど、あの場からの逃走とは見做せる。そんなことに協力しないわよ」
「そんなんじゃないから、待ってください」
退室しようとする夜月に声を掛けた刻音は、深呼吸して切り出す。
「謝りたいんです、昔のこと」
「いつのこと。多すぎて憶えてないわ」
「刻が……わたしが、生まれてすぐのことです」
間髪を容れず頭を下げた。「ごめんなさい、お姉ちゃんの気持、無視してくっついて、挙句存在を一方的に消して、無視し続けて……ごめんなさい!」
「……そんなこともありましたわね」
お洒落なコスメや洋服の並ぶスペースに、夜月が立つ。「とっくに時効ですわ」
怒りの沸点が低く、気に障ったことに対して容赦のない夜月が、過去の仕打ちをあっさりと水に流していた。失礼ながら、刻音は驚かずにはいられなかった。
「時効って、ホントに?気にしていないってことですか」
「こっちだって散散ガン飛ばしたりしてましたわよ」
「そ、それはまあ……」
神経反射のレベルで夜月を恐れてしまうのはたださえ強い眼力で睨まれてきたせいも大いにあるわけで。
「喧嘩両成敗ってわけじゃないけど相殺されてるんじゃないかしら。ま、足りないっていうなら継続してあげる」
「ひぃっ」
「噓よ」
「今の眼光は噓じゃですぅ心臓に悪いぃ」
「これでなかったことにしてちょうだい」
「う、うん、……?」
勇気を振り絞って謝ってよかった。そうしなかったら、夜月の心境を聞くこともできなかっただろう。とは思ったものの、夜月の言葉に刻音は違和感を覚えたのである。
「なかったこと……。それをいうのは、普通ならわたしのほうなんじゃ……」
刻音に取っては消しても消せない罪深い過去である。被害者たる夜月の立場であんなことを言うのは変ではないか。
「あの件は、……」
モデル立ちながら、夜月はばつが悪そうだった。「ワタシが狭量だった。現に、オトラ姉様や父様は消えてなかったんでしょう」
「う、うん……」
「母様だって、わざわざ苦言を投げなければ消されなかったはず。嫌いって感情だけでワタシは拒絶した。アンタがその先どうなるかなんてこれっぽっちも考えずにね」
冷たい態度はお灸ではなかったということ。
「だから、なかったことにしたいんですか」
「いっそ記憶を失えれば、シンパシ感じて仲良くなれたかもね」
夜月はひとを消したこともなければ、記憶を消したこともない。
「お姉ちゃんはやっぱり強いですね……。(恐いけど……、でも、お姉ちゃんは、)こうして話を聞いてくれたから、わたしは、仲良くなれるんじゃないかって思います」
「残念ね。アンタを大嫌いなのは変わってませんわよ」
と、言った夜月だが、こうも言うのだ。「アンタが思うほどワタシは強くない。浅ましくもアンタを切り棄てて生き延びたんだから──。それでも、この傷や弱さがなければ手の届かないものがあるから、ワタシは全て持っていきますわ」
夜月の強さは、弱さを認めているから。
「アンタにもその覚悟があるなら、仲良くなれるかもね」
「覚悟は、まだ、全然足りないかも知れないけど……頑張ります!」
幼い頃のように無理やりではなく、夜月に近づけた気がして、刻音は素直になれた。「お姉ちゃんは恐いけど、すごく、カッコいいです」
「アンタの姉よ。対照的でなくてどうしますの」
自信に満ちた、挑発的な笑みだった。
刻音は、もう一つ、勇気を振り絞る。
「生まれた頃は、ホント、アホみたいにかるがるしくいっていたから、もう一度、今、お姉ちゃんにいいたい」
「……いってみなさい」
「──」
深く息を吸って、「カッコいいお姉ちゃんが大好きです!」
「いわれるまでもない」
鼻を鳴らすようにした姉に、これまでのような恐さは微塵もなかった。
……わたしは、独りじゃないんだな。
突っ撥ねるような目差が、刺すように教えてくれた。
「さ、行くわよ。アンタはアホだけど、やればできると認めてあげますわ」
「っ、うん!」
もう一度、さらなる勇気を振り絞ろう。その先にこそ、まだ見ぬ一瞬間が待っている。
──一一章 終──