九章 誤認
着実にスキルアップしているメリアの料理は姉妹の中で評価が高い。いつも通りを意識してか豪勢ではないが今日の朝食も美味である。味噌汁は深みがあり、具材の種類や切り方、量、食感のバランスまでしっかり考えられている。アジの開きにしても外はパリッ・中はふっくらと仕上がっている。炊飯ジャが仕事した白米も少し水分を抑えて硬めに調整している辺りが竹神家風で、
……じつに憎いわね。
仏頂面で箸を進めるも夜月は評価に感情を入れたりしない。
そうではないのが刻音。憎悪や嫌悪の湧いた一瞬間を永遠に刻んだが如く味わわない。水を飲み干すような食べ方は醜いと忌憚なく観察するも、嫌いな妹のその感情に多少共感している夜月である。
「(早く外に行きたい……。)ごちそうさまでした」
と、いつものように箸を置いて刻音が立ち上がろうとするが、
「待ちなさい」
夜月はその肩を摑んで止めた。席が隣なので片手で済む。この行動はイレギュラ。爆弾扱いされているうちの一人でもあるから夜月の行動は皆の肝を冷やす。呼び止められた刻音もびくりとした。
「(まずい、怒られそう。)な、んですか、夜月お姉ちゃん」
「最近のアンタの態度、目に余るのよ」
「(やっぱりだぁ。)なんのことですぅ?」
「とぼけても無駄。自覚があって認めないとか、どれだけ子どもなのかしら」
「一二歳なので立派な子どもですよぅ」
「悪かったわね、自覚した欠点をわざわざつついて、謝るわ、ごめんなさいね」
「(言葉のアラを拾わないでぇ。)何がいいたいのかよく解らないですぅ」
刻音が再び立ち上がろうとするが、夜月は摑んだ肩を放さず立たせない。
「話が終わっていないことに気づけないほど馬鹿だったのトキネって」
「夜月ちゃん、いいすぎだよ。刻ちゃん、話を聞いてみたらどうかな」
音羅が声を掛けたことで、刻音の脚から力が抜けた。
「(音羅お姉ちゃんがいうなら、)うん」
……ワタシのいうことも聞けってのよ。
いらっとした夜月だが音羅には感謝である。刻音は好いている相手の言うことを無視できないので母ララナや姉音羅の言葉には弱い。刻音がいるためメリアがあまり口を開かないが、意見を聞く機会はあるだろう。
メリアと入れ替わっている母と神出鬼没の謐納を除いてこの場には家族全員が揃っている。
「本題よ。全員が感じてることをワタシが代表していってあげますわ」
「(うぅ、ロクでもないことだ、きっと。)なんですかぁ」
警戒心を隠さない刻音に、夜月はまっとうな説教を垂れる。
「体に悪いから飲むように食べるのはやめなさい」
沈黙は一種の驚き。
(や、夜月お姉ちゃんが優しいっ!なんで、なんでっ?刻のこと、好きになってくれたのっ?だとしたら刻っ、あぁっ……!)
……うわキモ。
内心くらっとしている刻音に拒否感が湧くが、話を聞かせるため仕向けたことなので夜月は怺えた。
「大体アンタ、魚の骨はどうしてるわけ」
「え〜っと、なんとなくどうにかなっていますよ、うん」
「体に悪そうね、それ……」
と、いうのは本音だ。「ちゃんと嚙んで食べないと食欲が抑えにくくなるし消化にも肌にも悪いのですわ。女ならもっとゆっくり味わって食べなさい」
「アジだけに?」
「駄洒落を嚙ますとでも思って」
「(ひっ、)思いませんっ!(やっぱ夜月お姉ちゃん恐いぃっ!)」
「ともかくちゃんと嚙むくらいしなさい。でないと歯茎が腐るわよ」
「(っう、歯茎が腐るのは嫌だし、夜月お姉ちゃんが刻にメロメロになってくれたら嬉しいけど、あのひとの料理を味わうのは──、)頑張りますぅ……」
「そうなさい。(ったく、本当にメンドーなヤツね)」
夜月はうなづくにとどめた。刻音を好きになりつつあると勘違いされるのは不愉快だが、
……メリアさんはいえないことだろうしね。
刻音の反感を強めてしまうとメリアは察していてこれまで口出ししなかった。血の繫がらない他人の娘が示した強烈な拒絶によく堪えている、と、夜月は感心した。だからわずかばかりに助力してやった。
「と、オトラ姉様もですわ、しっかり嚙んで食べなさい」
「あはは、おいしいからつい、ね」
「(理由が真逆みたいなものとはいえ)示しがつかないわ」
「なるべく頑張るね」
音羅の返事は無理と同義。大食らいでもない刻音は無理やりに吞みくだすので完食までそれなりに時間が掛かるが、白米とおかずが並べばフードファイタと化すのが音羅である。大食から派生した早食いスキルによって、白米をお替りした上で最速の完食であった。
「音羅お姉ちゃん、今日は刻と一緒に仕事行きません?」
と、刻音が再度立ち上がる。
「いいよ。夜月ちゃん、いいかな」
と、音羅が窺う。
説教が済んで止める理由がないので、夜月は汁椀を仰いで瞬きした。
「ありがとう。じゃあみんな、いってきます」
「いってきます」
音羅と刻音が玄関へ。
「『いってらっしゃい』」
食事の始まりと同じように挨拶が揃う。竹神家のいいところだ。
良くも悪くも賑やかな二人がいなくなって場に沈黙。刻音の影響だけでなく父の姿勢に反発する姉妹が増えたせいだ。静けさの中では、父に反感を持たない納雪ももともとの寡黙さから口を開けない。
多くの姉妹が父への反発を決めたのは、「娘の好意と悪魔の手段を受け入れること」を父が反故にしている現状が大いに影響している。夜月が知る限り、納雪以外の姉妹はみんな、父が受け入れてくれると知ったからこそモカ村に合流した。惑星アースでは各各の仕事や勉強や生活をしており、それらを棄てることになるのだから決断が軽いはずもなかった。ゆえに現状は話が違うと捉えざるを得なかった。おまけに母との肉体共有・人格交替を勝手に決めて父がメリアを娶った。ときに自己犠牲の母であるから父の言うことを聞き入れてしまったのだ。肉体と時間をメリアに貸し与え、父との生活を奪われてまで母が得るメリットがメリア暴走の回避であり母の安全であり家族の安定という理屈は理解できなくはないものの──、娘側に取ってメリアは飽くまで他人だ。他人のために母が月の半分を犠牲にする現状を看過していいのか。そんな疑問も父への反発に繫がっているのである。
要約すると、沈黙と重い空気の正体は、父への好意そのものである。
父は、それを当然のように解っているので積極的に解決しようとしない。父への好意が幻想であり反発心こそが真実、と、意識を掏り替えるためだ。
……どっちが狡賢いのやら。
父は絶対的正義ではない。ときとして家族を裏切ることも謐納の件で察するところだ。たださえ面倒くさい性格の刻音が駄駄を捏ね始めているし、そうした刻音の面倒くささを利用して意識を掏り替えられると皆を子ども扱いしている父に夜月は苛苛させられる。
……掏り替わるわけないでしょ。
夜月以下未成年の姉妹はともかく五女以上の姉妹は成人し自我が強く自分の感情の真偽くらい見定めている。未成年でも、夜月は自分の気持が本物か偽物かくらい判る。そんな姉妹の意識を軽んずるかのように軽薄な策を弄する父に夜月は苛立っている。
「夜月、お前さんもちゃんと嚙んで食べなさい」
と、父が指摘。
……父様、心読んでます。
「何を考えとるか表情でなんとなく解るよ」
「そうですか。(だったら刻音をなんとかして)」
「いくらでも反発すればいいんよ」
「(刻音のアレは面倒くさいんですけど。)ワタシ達も反旗を翻しますわよ」
「ご自由に。俺が気に食わんなら出てってくれてもいいよ。住居の確保くらいはしたる」
「出てゆくなんて誰もいいません。じわじわ包囲して確実に仕留めるということですわ」
「おーオソロシー頑張ってー」
父は全く恐れていない。
朝食をゆっくりと済ませた次女納月が口を開く。
「お父様、いい加減真意を聞かせてくださいよ。みんなの苛立ちは察してるんでしょう」
「真意ね」
父がのんきに味噌汁を啜った。「鈍い子は淘汰されてくんよ」
「メリアさんがいる状況に対して、って、ことです」
「羅欄納が人格交替を認めた上でメリアが竹神家の一員として暮らしてくに当たって変化する環境を指しとる。二日周期の人格交替、食卓の変化、相関図の変化、感情の変化、あらゆる変化を引っ括めての環境ね」
「お言葉ですけど、そんなのに適応するのは普通無理ですよ。勿論、わたしや子欄さんみたいにそれなりの年齢ならなんとかなりますけど、刻音さんや納雪さんみたいに低年齢だと適応力もそこまで身についてないでしょう」
「そうかね」
と、父が目を向けたのは末妹。「納雪はどう思う」
重い空気の中で話を振られることもなければ自発的に口を開くこともなかった納雪にターンが回った。それは一種の重圧であり、末妹という立場では怯えが生じよう場面であった。納雪は、躊躇いなく答えたのである。
「愉しいです。おかぁさんが二人もいておねぇさん達もいますから」
……ナユキ──。
憂いのない軽やかな笑顔から一転、納雪の表情が疑問に満ち、その目差で見つめられたから皆が胸を摑まれた。
「どうしておねぇさん達は恐い顔しているんですか。おとぉさんが受け入れたからですか、メリアおかぁさんを」
「『!』」
「おいしい料理を作ってくれて掃除や洗濯もしてくれて、それはいけないことなんですか、どうして。恐いことなんてなんにもないです、おかぁさん、とっても優しいから……」
優しいから。その言葉が最も重かった。転生の経緯や母との交替制を表向き受け入れられても、何かに脅えるようにして姉妹は心から受け入れていない。不満が父の態度に発露したのは自然でありながらおかしい。
皆、恐がっていたのではない。が、納雪にはそう観えていたのである。して、よくよく考えてみると、メリアの同居を恐れている部分が確かにあった。
……メリアさんがいることで、ワタシ達は本当に父様と繫がれないかも知れない。
そんなおそれ。メリア本人を恐れているというよりは、メリアがいることで変化した環境へのおそれだ。具体的に言えば、父を慕っているメリアが父の体を貸してくれないこと。父の生存を願い、生存の手段を持っている、さらにはその手段をメリアがいないときには認められたのに、メリアが現れたことで講ぜられなくなったかも知れない。そんなおそれが、姉妹に蔓延していたのである。
「納雪さんのいうことは的を射ていますが」
と、三女子欄が口を開いた。「恐れるのも当然です。みんな、お父様の死を回避できると聞いて集まったんです。その手段をメリアさんが許さないでしょう」
メリアと面しておよそ三週間、突っ込んで話さなかったことに子欄が切り込んでいた。
それに対するメリアの応答は、
「憶えがありません。わたしがいつ、許さないといいましたか」
「え」
切り込んだ子欄が声を漏らしたように、夜月も驚いた。
……メリアさんは、まさか認めてたのか。
心の声を魔法では読めなかったからメリアの内心を全く摑めていなかった。ただ、本人談の過去から父である創造神アースを嫌悪したことが判っており、父と子の異常な繫がりを嫌悪することは明白のはずだった。それが間違った認識であるとメリアの発言は明らかにしたのだ。驚かずにはいられなかった。
夜月は思わず割って入った。
「じゃあ何、この空気って、ワタシ達の勘違いのせいってこと」
「そう、なります、か」
と、メリアが父を窺う。
父は応えずのんきに味噌汁。
……こんの引籠り、そこまで考えてた。
メリアの内心を察していたか、聞いていた。それなのにあえて伏せて娘の反発を看過した。
……噓をつくことで好感度を下げる。単純だが有効だ。
おまけに意識が掏り替われば父としては万万歳だ。男としてどころかヒトとしての好感度を下げつつ、悪魔の手段から娘の意識を遠退けることができ、勘違いを是正することでメリアを受け入れやすくさせられる。
……それに、気になることがある。
謐納との協力で可能となった寛解行為について父が娘に周知した様子がない──。意識改革の場にいた謐納本人と居合わせた音羅、納雪、そして夜月は寛解行為のことを聞いたが子欄の意見からしてどうやらほかの姉妹は聞き及んでいない。恐らく父は、寛解行為のたびに父への嫌悪感を嵩ませるような刷り込みを行うために、徹底的に好感度を下げるような誘導を行ってから伝えるつもりでいる。嫌いな相手のために悪魔の手段を講ずることなどあり得ないし、寛解行為に刷り込みを付随させられれば悪魔の手段に及ぼうと言い出す姉妹を別の姉妹が止めるような空気が醸成されることも計算している。
……ワタシは周知してやらない。
父が黙っていることで自分も得をすると夜月は考えている。敵が減るなら好都合であるし、策を手伝ったことが功を奏して悪魔の手段に及んでくれるかも知れない。
……とはいえ父様が易易とワタシを受け入れるわけもない。往生際が悪いわね。
「眉間の皺はスタイルキープに役立つん」
「役立つなら感謝しますわ」
「俺になら不要やな」
「『感謝するものか』というワタシの気分に共感するひとは挙手してちょうだい」
「『同意です』」
と、納月と子欄。
……スズネ姉様はやはり静観か。ナユキはメリアさん寄だから仕方ないわね。
事実上、姉妹が父に踏み込めない膠着状態が変わらない。勘違いを是正しても、血の繫がらない存在ゆえメリアが竹神家に波風を立てることは十分に推測できる。そうなれば、メリアに敵意が向かう流れも起こり得るが、
(父様、ちゃんと気づいてますの)
父が応ずることはなかった。
「窓口のお姉さぁん、S級の魔物討伐ぅ、お願いしますぅ」
刻音が甘えた口調で要求するのは毎度のことと鈴音や謐納が言っていた。「D級でお願いします」と音羅が要望すると窓口の女性も慣れた様子で対応してくれた。
現場への道中、刻音が不満そうだ。
「音羅お姉ちゃんなら強い魔物をパパッと倒せるはずなのに……。どうして効率の悪い仕事を選ぶんですか」
と、刻音が語気を荒げたのは、夜月に叱られて要求も却下されて不満が溜まったからか。夜月の逆鱗に触れるのは恐ろしいので普段から優しく接している音羅に感情をぶつけるしかなかったのだろう。音羅は刻音の頭をなでなで。
「効率ばかり意識したら駄目だよ。小さなことを積み重ねれば大きな変化になるんだ」
「謐納お姉ちゃんが助けに入ったときのこと、気にしているんですか」
「うん、気にしているよ」
本当に危険な目に遭った。「身の丈に合った仕事があるから。わたしにはあの仕事はまだ早かったんだと思う」
「B級の仕事だったんですよね」
「うん。討伐ともなればA級ってことだったね」
洞窟もとい廃坑に住んでいた蠍型の魔物デザートスピアの討伐は環境も相俟って危険度が高い仕事だった。図らずも謐納が一部を討伐したが音羅は毒を盛られて瀕死だった。
……メリアさんにすごく心配を掛けた。
いざとなれば突撃しか能のない音羅を抱えて迷惑にも思ったことだろう。音羅は、そのことを反省した。無理な仕事を引き受けたら同じ仕事をするメリアや姉妹に皺寄せが行く。低級の仕事を着実にこなして経験を積むのが音羅の方針だ。
「音羅お姉ちゃんの気持も解らないじゃないんだけど、刻の力は知っていますよね。何が来ても大丈夫ですよぅ?」
「(そうかも知れないけれど、)過信は危険だよ」
刻音の持つ魔法が圧倒的な力を発揮することを音羅は知っている。が、不注意が死を招くことも音羅は身をもって体感した。気の緩みは見過ごせない。
「どんな魔物が相手でも隙を衝かれたら無傷ではいられないよね」
「それはそうだけど」
「落とした命は、取り戻せないよ」
「うーん──」
「考えて。想像して。刻ちゃんが死んじゃったら、わたしもみんなも悲しむよ。だから、焦らないで、油断しないで。お願い」
「う、うん……」
諭せば朗らかに受け入れてくれるのが刻音である。「解ったから、もう頭なでないで。わたしだってちっちゃくないんですからぁ」
「仕方ないよ、可愛いんだもの」
「えぇっ、嬉しいけどなんかヤですぅ」
「ふふっ。(バニラの香りが少し濃くなってきたから)そろそろ森を抜けるよ。警戒、警戒」
「はぁい」
気のない返事も、音羅がいる安心感からだ。メリアに反発を続けている刻音の、そんな表情を音羅は守らなければならない。
……侮ってはいけない。
それに、魔物討伐を躊躇している自分がいることを、音羅は気づいている。
……無理もしない。家に、絶対に帰るためには。
三階南の一室は、母やメリアが時折掃除しているだけの空室。今日はこの空室に六人の姉妹が集まった。会の目的は、父とメリアの行動に関する情報を共有して竹神家の状況をどう変えてゆくか考えること。
会の内容に入る前に、全八姉妹の人物紹介をすることにしよう。長女音羅は母ララナと同じようなツインテールが特徴の大食い、徒手格闘もできる炎魔法の使い手。次女納月は酒癖が悪いと噂されるグラマなツッコミ担当で、パステルカラが好きな水属性治癒魔法の使い手。三女子欄は黒髪ロングのしっかり者、カレーに目がない闇属性魔法の使い手。四女鈴音は上下関係をはっきりさせたいタイプで、高等部を飛級・首席卒業した無属性魔法の使い手。五女謐納は神出鬼没で寡黙な金髪、剣術指南を務めた刀使いで死属性魔法も操る。六女夜月はモデル業をしていた絶世の美少女、警戒心が強く月属性魔法読心で他者の心を勝手に読み取る。七女刻音は惚れた相手を病ませるほど追いかけるヤバイ体質を持つ竹神家最強のトラブルメーカで刻属性魔法の使い手。八女納雪は雪や霜の観察が大好きな純真無垢、家族以外には聞こえない小声が特徴の氷属性魔法の使い手。それぞれ扱う魔法も異なれば生業や性格も異なる個性派揃いであるが、共通するのは両親への思慕といったところだろう。
さて、それを踏まえて、ここからが本題である。八姉妹がこれまで話していたのは、メリアを受け入れた父は娘八人の好意と不満を一気に解消することが困難と考えて口を噤んでいたのではないかということ。一方で、不干渉を決め込んで八姉妹を苛立たせ──悪魔の手段を回避するため──嫌われる意図もあっただろうこと。そういった要因から父が姿勢を転ずることはないとも考えていた。が、今日の父は姿勢を変えていた。メリアが内心を話すことを止めず隠す気配もなく、納月や夜月の不満に対しては挑発的であった。噤んでいた口を皆に解る形で開いたのだ。苛立たせ、嫌われるという点では効果的なタイミングではあったように思えるが。
真先にメリアの文句を言うであろう刻音と真先に場を整える音羅が仕事で不在のこの会。口を切ったのは夜月である。
「ヒツナ姉様、間違っててもいいので父様の真意に関する見解を聞かせてくれます」
朝食の席にいなかった謐納。ときたま父のように聡いので突然現れたことはさして気にならない。
「口を割りたいのであれば試合で打ち破ってからに」
「ワタシが勝てるわけないでしょう」
以前惨敗したらしく「じゃあナユキでいいわ」と夜月が攻める相手を変えた。「メリアさんと仲良くしてるアンタの意見を聞かせて。父様のことをどういってるかだけでもいい。父様が何を考えてるか窺い知る材料がほしいわ」
「う〜ん、メリアおかぁさんいつも家のことに追われていて自分のことを話す余裕があまりないみたいだったので……」
「改めて訊きますけど、父様のことはどう」
「おとぉさんのこともそんなには」
「ちょっとは話してたってことよね」
夜月がずいっと迫ったので、納雪が目を丸くした。
「納雪さんのお父さんは本当に優しいひとですね、って、いってました」
「……。それだけ」
「う、うん」
「そう……」
「ごめんなさい。夜月おねぇさん元気出してください」
「刻音でも解ることはいいわ。ほかにいい情報はないかしら」
困り顔の納雪の励ましが効いたのでもないだろうがボルテージが上がってかりかりしている夜月。そこで手を挙げたのは納月である。
「一ついいですか。お父様、わざわざ煽ってるじゃないかと思います」
「それも解ってますわよ」
「まあ聞いてください」
と、納月が夜月の肩を叩くように手を振った。「昔もあったんです。子欄さんとかは憶えがあると思うんですけど、わたし達のことを試すために家出をしたり離婚したりもしてみせましたからね」
「離婚って、おかぁさんとですか」
と、納雪がびっくりした。
納月が微苦笑で語る。
「必要とあらば外へ出ることも厭わない。それが我が家のお父様。テーブルに突っ伏しててもできてたことなので口を開かなかったり煽ったりするのは序の口ですよ」
夜月は腕を組んで納月の話を嚙み砕く。
「父様が試してるって話に注目しますけど、今回のことがそうだとして、ナツキ姉様は何を試してると考えましたの」
「さあ、そこまでは。何せ斜め下を行く解答があったりしますし、お父様の手段は苛烈なことも多いので今回の穏やかさでいったい何を試してるのかは推測できません」
「穏やかにも感じないけど、ふーん……。思うに、ワタシ達の推測が行きづまって膠着状態になってることを父様がしめしめと思ってる可能性があるんですわね」
「それはどうでしょう」
と、子欄が反論した。「納月お姉様が真意について尋ねた際、鈍い子は淘汰されるということをお父様はいってましたね。環境というのがなんなのかと続けて尋ねると、メリアさんがいることで変化するあらゆる環境のことだと答えもしました。膠着状態とは謂わば無変化、最悪は腐敗の兆し。そう捉えたとき、膠着状態がお父様の狙いとは考えにくいです」
子欄の考察に、夜月を始め多くの姉妹がうなづいた。
うなづかなかった謐納が口を開く。
「子欄の姉上の見解はわたしの見解に通ずるところがありまする。わたしも、膠着が父上の意図する最上の未来とは考えておりませぬ」
「謐納おねぇさんは、どう思いますか」
と、納雪が尋ねた。「あ、おねぇさんの思うおとぉさんの意図とかじゃなくてもいいんですけど、おねぇさんはこの状況がどうなったらいいと思うかな、って、思って訊きました」
納雪の訊き方が謐納には覿面だった。
「うむ……、わたしは父上が語る必要はないと考えまする」
理詰めな妹謐納の口を割るチャンスを見逃さず、
「その心は」
と、鈴音は促した。「お父さんが口を開かないのは正直いいこととは思えない。みんなもそう感じてきたはずだけど、謐納はお父さんの弁解・弁明が必要ないっていうの」
「いかにも。社会においては往往にしてあること。劣悪な現場を改善・改革するには第三者の目と力が不可欠でしょう」
……その応答がほしかった。
第三者。それがキーと鈴音は思っている。
「は」
と、夜月が首を傾げた。「第三者のメリアさんがいるから問題が起きたんじゃない。重い空気も寛解対策もワタシたち家族が──」
言いつつ、夜月が目を見開いた。気づいたのだろう。父の真意がどこにあるか。
鈴音は納雪の頭を撫でながら意見を纏める。
「つまり、キーはメリアさんだね。お父さんが試してるのはわたし達じゃない」
「……ワタシは受け入れませんわよ」
と、夜月が改めて言ったのは、どちらかと言えばメリアの存在を認め、半ばサポートすらしていた心持だったからである。メリアを拒絶するような姿勢に転じた理由を、鈴音は見抜いている。
「それは刻音と同じだね。お父さんは優しいから気にしないけど見苦しい女はどうだろう」
「……淡淡といわないでくれます」
夜月が溜息混り。「それに、断じてアレとは違いますわ」
「同じだよ。ね、納月お姉さん」
「いっそシンクロですよねぇ」
「ナツキ姉様、覚えておきなさいよ」
「あーらあら恐いですね、姉を睨むなんて」
のほほんと躱した納月が鈴音を向く。「話を戻します。つまるところ、わたし達ができるのは静観ってことですかね」
「お父さんが試してるのがメリアさんって考察が正しいならだけど、気を抜いてもいられないな。お父さんのことだから不意打ち的にわたし達も試験するかも」
「どっち道、注意散漫じゃ排除されるってわけですわね。ワタシ達の立場だと家を追い出されるのかしら……」
「『……』」
家を追い出される。にわかに見えた一筋の運命に皆が沈黙した。内心でメリアに反目する状況、あるいは父に反発した状況を静観するだけでは本当に追い出されかねない。
「喧嘩はしないでほしいです」
と、納雪が意見した。「メリアおかぁさんとも、おとぉさんとも、本当は仲良くしたいのにどうして喧嘩しちゃうんですか。もったいないです、なんかいろいろ、もったいない、です」
主観を軸とした押しつけのような意見でも、我欲塗れの刻音の意見と納雪の意見とでは随分と質が異なる。
沈黙が再び重なった。
日中のモカ村は女性と子の時間。木霊する賑やかな声と機織りの音を森が凛とさせるよう。
納雪の言葉に最初に応えたのは子欄であった。
「納雪さんのように心から受け入れるのはいうより遥かに難しいことですが、納雪さんの見立てが間違っているとは思いません。メリアさんとは解り合えると、わたしは思います」
次に声を発したのは納月である。
「メリアさんに会ったときは突然現れといてなんで家族の一員みたいになってるのか、って、反感というか反発というか、もやもやしましたけど。お父様のことですし、お母様の中にいたメリアさんにずっと心を砕いてたんだろうと思います。それなのに手を取り合うことを拒絶し続けるのは親不孝な気もしますね」
「かつて命の危機に瀕した父上が、虚空を見つめたことがありまする」
と、謐納が次いだ。「母上から当時のことを伺うと、父上は暴走しかけた母上を治めていたそう。暴走はいうまでもなくメリア殿の浮上によるものでした。母上が手放すことがなかったメリア殿の魂に、母上とともに意識を傾け、救おうとしておられたのでしょう」
「父様ってそうよね、馬鹿馬鹿しいほど勝手に疲れ果ててる。ワタシ達が見てないところで動いちゃって、見てるとこに限ってダラけてる」
と、夜月が皮肉っぽく苦笑した。「反感が消えたわけじゃないけど、ワタシもナユキの意見に同意する。ナユキにも解ることを理解できないだなんていえないし、下手に反発を続けたらメリアさんが負媒とやらで暴走してこの家を木端微塵にしてしまうかも知れませんわ。スズネ姉様、ヒツナ姉様、二人はどうするんですの」
「もとよりメリア殿を悪人と思っておりませぬゆえ、皆が危険な選択をせぬ限りは歩みを合わせましょう。鈴音の姉上はいかに」
「わたしも謐納に同じ。ただ、そういっちゃうと意見を翻しちゃう可能性もあるってことなんだけどね」
この場ではメリアとの融和路線で話が纏まりつつある。鈴音が懸念しているのは、この路線に逆行しているであろう刻音の存在である。
「わたしとしては、刻音の意見を切ることもできないなぁ」
「惚れっぽいヤンデレは追い出す方針でいいんじゃないですの」
「さすがにそれは容認できません」
夜月の暴論をまじめな子欄が否定した。「刻音さんも家族の一員。過激なことをいうお父様ですが誰を排除したいとも思っていません」
「その証拠に『淘汰』といってますしね」
と、納月が子欄の意見を補完すると、夜月が鬱陶しそうに手を振った。
「解ってますわよ。うちにはトキネっていう手枷・足枷の権化がいるということがいいたかっただけですわ」
「刻音おねぇさんは、どうしてメリアおかぁさんを避けているんでしょう」
と、まっさらな納雪が言った。「刻音おねぇさんも優しいのに──」
首を傾げないようにみんなが我慢しただろうが、納雪の意見を最後まで聞こう。
「──なんだかかわいそうです、メリアおかぁさんには素直になれないみたいで」
「(刻音が優しいかどうかはともかく、)納雪の意見はときどき鋭いな」
と、鈴音は称賛した。「刻音は本能的というか、まあ、すぐに他人に深入りしちゃうところがあるから少し意外ではあるよね」
父に惹かれただけあってメリアは寛容なひとだ。個を尊重する意識も強く、血の繫がらない謂わば義理の娘となる八姉妹に対して平等に接していることは家事全般から感ぜられる。その辺りの感想を鈴音は並べることにした。
「メリアさんってお母さんから家事を教わったみたいなんだけど、お母さんの細かさをそのまま教わって吸収できるのってじつは軽くヤバイと思う。みんなは気づいたかな、わたし達の洗濯物、結構な分別をされて洗われてるんだ。ほら、わたしの服を嗅いでみて」
袖をみんなに嗅がせて、「自分の服の香りと違うよね」と、訊くと皆がうなづいた。みんなが違う香りを纏っている、と、この会より前に気づいていたのは鈴音と子欄くらいだ。
「好みの香りや手ざわりが違うからね、サンプルテで暮らしていたときからみんな違うんだよ、洗剤と柔軟剤。使い分けも大変だけど、洗剤しか使わない音羅お姉さんみたいなタイプもいるし、全自動でも頭こんがらがるのが普通だ。けどメリアさんはわたし達が合流した当時からやってた。子欄お姉さん以外誰一人やってこなかったことをね」
「わたしもすぐには覚えきれませんでした。料理にしてもそうですね」
と、子欄も気づいたことを話す。「味噌汁はお椀ごと食べる直前に味噌を溶いてますが適量かつみんなの好みに合わせた味噌を使用しています。焼魚も味つけの段階で海塩と山塩を使い分けているようです。無論、それもわたし達の味の好みに合わせてです」
「ワタシは気分で抜くときもあるわ」
と、夜月が呟くように。「そういうときオトラ姉様に食べさせてる。そしたら大体オトラ姉様がいうわけ。自分のに比べて料理の味が薄い、ってね」
「と、いうことは、音羅お姉さんはとっくにメリアさんの細やかさに気づいてるってことだ」
と、鈴音は指摘した。「そういうとこからメリアさんと仲良くやっていけるって音羅お姉さんは判ってたんだろうな」
「さにいう鈴音の姉上も察していたのでしょう」
「いやぁまあ、取り入るための策でお母さんから逐一情報をもらってやってるに違いない、って、最初のうちは疑いの目で観てた」
論理的な結論や確信を得るまでは信用しない。不用心な者を除けば誰でもそうだろう。
「取り入るための策にいつまでも口添えするとは思えないから、お母さんがメリアさんを信頼しているのは間違いない。体を貸していることからもそれは解るね。同時に、メリアさんがしっかり覚えて家事全般をこなしてるとも考えられる。そういうのって、ちゃんと覚えようと努力しないと覚えられないものじゃないかな。って、わたしは思う。どちらにせよ、メリアさんの人格は保証されたようなものだね」
「メリアおかぁさんは優しいひとですよね、やっぱり」
納雪がにこにこと。「きっとすぐ仲良しですね刻音おねぇさんもっ」
「納雪さんの希望的展望が実現してほしいもんですね」
と、納月が苦笑した。
ほとんどの姉妹がメリアのよさに気づいていた。メリアを受け入れないことで父への一種の不満を表していただけ、と、いうのがこの場の五姉妹の真相──。刻音もきっとそう。メリアを毛嫌いしているのはいつもの刻音らしくないが、受け入れる可能性はあるだろう。
夜月が疑問符を示す。
「もしかしてトキネ、こっち来る前になんかあった。頭を撫でられただけで惚れるような尻軽ヤンデレのくせにメリアさんの心配りに無反応ってちょっと変じゃなくて」
「それについては鈴音さんが知っていそうですね」
子欄が皆の目を向けさせる。「一緒に旅をする中で、刻音さんの変化を観ませんでしたか」
惑星アースで一人旅をしていた鈴音に、一人は何かと不便という理由で刻音がついてきていた。姉妹間で特別に仲のいい二人というのでもなく道連れのようなものだったが、刻音の奇行を鈴音はいくつも観た。
「変化、あったといえばあったかも」
「例えば」
「あの惚れっぽさだからね、あちこちで気になる男女がいて接触してたんだよ」
気になる男女とは男女のペアという意味ではなく、気になる男性と気になる女性、両方が存在したことを意味している。刻音の惚れっぽさは性差なく発揮されるので余計に厄介だ。
「刻音の妙な押しの強さを恐がったり気味悪がったりして相手が逃げることが何度もあった。モカに来る前にも何人かに迫ってたから、また振られてたんだろうな」
「それって……」
夜月が呆れぎみに、「失恋カウントが増えただけで変化ないですわよね」
「まあね。──ただ、」
鈴音も思い返して話すうちに気づいたのだが、「メリアさんと初めて話した日に刻音がいってたんだよね、メリアさんのこと気味悪い、って。刻音ってアレだけど、あまり悪口とかいわないタイプだったから『あれ』って、思ったんだ」
それについて納月が推測した。
「振られたときにそういうこといわれたんですかね。振られ慣れてて立ち直り早くても一応女の子ですし、振られた際の言葉でノックダウンしたんじゃ……。で、傷心のままモカに合流したらメリアさんがお父様を独り占めしてる、と、思い込んだとしたらお母様の立場も考慮して毛嫌いしてもおかしくはない」
「要はトキネがまた自爆してた、しかも今回は継続的、と。あぁぁメンドっ」
と、夜月が優雅に足を投げ出して座った。「メリアさんが悪魔の手段を受け入れてるふうなのも気に掛かるってのに、あのアホのせいで考えが纏まりませんわ」
悪魔の手段を行使するために帰ってきた夜月はそうなのだろう。刻音の心境・動向はトラブルの発信源として注視する必要があるものの、それとは別に、
……そろそろ直さないとね。
鈴音は、夜月の誤認を指摘することにした。「メリアさんが悪魔の手段を受け入れてないって夜月は思い込んでたんだっけ」
「それはみんなも同じでしょう」
「みんなとは誰のことですか」
と、子欄が首を傾げた。
夜月が希しく目を細めた。
「いわずもがなでしょう」
明確な意見をせず相手の意見から引用してあたかももとから同意見であったかのように振る舞う。そうやって相手の懐に入り込んで本音を引き出させるのが夜月の手口だがこの場では全く無意味だった。なぜなら、手口が有効でも意見が的外れだったからである。
そこを正したのは、理詰めの謐納である。
「知っての通り〈融合〉が寛解行為となりまする。──」
「ちょっ、ヒツナ姉さ、っ……!」
融合とは、父と謐納のあいだで密かに開発・実践された魔法で、魔力を切り離すことで魂器過負荷症を防ぐことができる。悪魔の手段と異なり無限には行えず、現状は父の魔法技術と謐納の魔力が揃っていなければ使えない手段だ。ただし、悪魔の手段と異なり誰が犠牲になることもなく安全に使用でき、有効性が証明されている。これを鈴音達は謐納から聞いた。融合と悪魔の手段、前者を選ぶのが普通だが──。
……やっぱり夜月だけは、後者だ。
「これを用いれば皆──」
「ちょっと待ちなさいってば!」
と、謐納の口を塞ごうとした夜月を、鈴音は後ろ手に拘束した。
「何。痛いでしょ」
「だったらちゃんと席に座ろうか」
鈴音は夜月を座布団に押しやり、両肩をぽんと叩いて見下ろす。「何をそんなに焦ってる」
「……別に」
「夜月はほかの姉妹に知られたくなかったわけだよね、融合について」
「べ、つに」
「喉に魚の骨が刺さってるんだ。お茶でも飲んだら」
「ふん、要らないわよ」
苛立ちが出やすい子である。苛めてはかわいそうだ。
「気づかないかな。謐納から融合の話が出た時点で納月お姉さんと子欄お姉さん、そしてわたしから、『それ何』って質問が飛んでもおかしくない状況なんだよ」
「……知ってたわけ」
驚きを苛立ちに潜めた夜月の横で、謐納が口を開いた。
「意識を改めた後、皆に伝えました」
「コラン姉様のあれは、そういうことだったのね……」
と、夜月がぽそり。子欄のあれ、とは、父の死を回避できると聞いたという発言のこと。子欄を始め、多くの姉妹は新しい手段である融合について聞いた、と、いう意味であって、悪魔の手段を父に受け入れられたと聞いた、と、いうことではなかった。その点の夜月の認識は、ほかの姉妹と違ったことを呟きが示していた。
「遠回しな表現はいろいろ配慮してのことと思ったけど、余計なことを──」
「余計なことって何、夜月」
「……そんなこといったかしら」
「聞こえたひと、手を挙げて」
納雪の声に慣れた一家が夜月の小声を聴き漏らすはずがない。
「はい、全員一致」
鈴音は全員の手を下ろさせて自分も席につき、夜月の考えを紐解く。
「こう考えてたわけだよね。『魂器過負荷症に悪魔の手段が必要と思い込んでるバカな姉妹を脱落させよう』」
「妄想ね」
「自白してたの、自分で気づいてない」
「いつどこで誰が自白したっていうのかしら」
「さっき、お父さんとメリアさんがいた朝食の場で、夜月が、だよ。メリアさんが悪魔の手段を受け入れてるふうの意見をしたとき、夜月、こういってたよ。『この空気ってワタシ達の勘違いのせいってこと』って。達ね」
「それは……」
「融合のことを知ってるってバレたら教えないわけにはいかないから、自分がみんなと同じ勘違いをしてるって思わせておきたかったんだなあ。で、少なくとも融合を知らないはずの姉妹を競争から脱落させようとしてたわけだ」
競争のタイトルは父争奪戦といったところだろう。
「融合のことは知ってるだろうと思って──」
「さっきの言葉とちぐはぐになってる」
「メリアさんが悪魔の手段云云話したときコラン姉様だって驚いてたでしょうが」
夜月の目線を受け、子欄が答える。それでもって、夜月の誤認が是正される。
「融合という安全性の高い寛解行為も謐納さん曰く子を成すに等しい気持的なハードルがあるとのことでした。それを受け入れてくれないのではないかと考えていたから、メリアさんの姿勢に驚いたんですよ」
「そんな……」
夜月が言葉を失った。それはそうだろう。自分がそうだからほかの姉妹もそうだ、と、夜月は思い込んでいたことがあるのだ。それこそが、父への想いの性質。
「夜月さんはまだ脱してないわけですねぇ」
と、この場の最年長納月が哀れむ。「わたしも、子欄さんも、それで痛い目を見た憶えがありますから偉いこといえませんけど、それ、お父様が一番嫌いな性質ですからね……」
「……」
「そんでもって、その性質でほかの姉妹を陥れようとか考えてるとしたらマジで勘当もんですけど、夜月さん、それでも続けます」
ずっと苦笑ぎみだった納月がふと真顔。「家族としての忠告です。大好きなひとに永遠に突き放されることになっても、続けます」
「……」
俯き、黙り込む夜月に、納月が微笑みかける。
「好き嫌いはともかくわたしはお父様を敵に回すなんてゴメンです。おまけに追い出されたくもない。家事を押しつける相手がいないとやってけないんで!」
「それは蛇足です……」
溜息ひとつ、子欄が夜月を向く。「夜月さんのそれは、お父様やお母様の記憶を継承しているわたし達に共通した性質です。自分の重心をゆっくりと固めて己の心をしっかりと射抜いてください」
「……」
父への禁断の感情。そんな自分の感情と同じものをみんなも持っているとの思い込み、さらにはみんなを陥れようとしていた夜月。妹の心も読んでいたから思い込みに拍車が掛かった。それを指摘されただけでも言葉を発することができなかっただろうが、夜月の場合、父への感情が別の何かである、などと考えもしなかったことが言葉を発せられない主たる要因だろう。子欄が伝えた通り、自分の心を見つめてしっかり射抜く時間が夜月には必要だ。
……まあ、夜月なら大丈夫だ。
その警戒心は自分勝手な性格の象徴ではない。頭が悪いわけでもなければ心配りができないタイプでもないのだ。そんな夜月ならいずれ自分の心を見定められるだろう。
「と、少し話が脱線したけど」
主催者として鈴音は会を締め括る。「夜月も刻音も含めて、みんなで動こう。今回の件は、メリアさんだけの問題じゃない。紛れもなく、わたしたち竹神家の問題なんだ」
メリアへの試験を実行中でも、父は八姉妹に目を配っているだろう。迷いの多い夜月や反発心の強い刻音を省いて話を進めたら、父は一家の結束に対してよくない動きをする危険性がある。そう考えた鈴音と全く同じふうに考えて動くことはないだろうが、俯いた夜月も、ほかの姉妹も鈴音の提言にうなづいたのだった。
音羅と刻音にもここまでの話を共有すことにした六姉妹は、ひとまず解散、各各の時間を過ごすことにした。
姉妹会議が解散後、喧嘩を始めた納月と夜月の仲裁をした子欄は巻添えを食い、納雪が審判の美脚対決をした。勝敗の行方はともかく、自身の気持を見定められていない夜月が少しだけ気力を養っていることを認めて子欄は密かにほっとした。そこは、グータラ者の父が同席する居間で、
「何やら愉しそうですね」
と、メリアが台所からティーセットを運んできた。「みんな一休みしませんか」
「気が利くわね、いただきますわ」
「少し喉が渇いたところです。わたしももらいます」
夜月が左斜向い、納月が向いの席につくと子欄も席につき、納雪を夜月の右手につかせた。美脚対決中に面白がっていた鈴音も納月と夜月のあいだに移動した。
「お茶請けはありますか」
「はい。こっちに」
と、メリアが隣空間から取り出したのはスコーンとクッキ、それから台所から持ってきたショートケーキである。
鈴音が口を開く。
「ケーキなんてあったっけ」
「朝に作ってみました」
メリアが照れ笑い。「羅欄納さんから教わりつつ作ったのでお試し品なのですが、よければどうぞ」
「いただきますっ」
と、納雪が真先にケーキに手を伸ばした。夜月と納月も、ケーキを選んだ。
「ま、既製品よりは手作りよね」
「ですね。と、いいつつなんですがスコーンやクッキは既製品ですか」
「はい。ケーキが失敗したときのためにと仕入れておきました」
そうは言うが観たところケーキは上出来だ。
子欄もケーキを受け取り、一口いただいた。
「生クリームが少しへたれている感じはしますが、昔の既製品なら軽く超える味ですね」
「ところどころ食感もあって、」
鈴音が評価した。「あ、層のとこにフルーツが入ってるんだ。試作なのに凝ってるね」
「蜂蜜漬けのフルーツを使っているので生クリームは糖を控えました」
「砂糖が少ないと保水しづらく状態を保つのが難しいそうです」
「その分しっかり攪拌したつもりでしたがまだまだでした。次はもっと頑張ってみます」
と、反省するメリアの腰にはエプロン──。子欄は尋ねる。
「もしや自力で攪拌したんですか」
「はい」
それは大変だ。一〇人分の味つけをする忙しい朝に、普通ならやる気にもならない労力が求められる。
「電動の攪拌器を使えばあっという間です。時短になりますし、使ってみてはどうでしょう」
「ありがたい提案ですが遠慮しますね」
と、メリアが断る理由は、「なんだか愉しかったので、練習もかねてもっとじっくりやってみたいです」
「(……、)お母様も電動を使いませんから家にはないでしょうね。買いませんか」
「いいえ。今あるもので十分ですし、生クリームの抵抗感を手で覚えたほうが技術が身につきやすいそうです」
「そうかも知れませんね。(全然、苦にしていないんだな)」
家事全般を。
今のメリアを観ると、幸せそうな表情とともにサクラジュの花のように髪色が咲いている。台所や掃除中に見かけるメリアも、その髪色になっていることがある。家事全般をこなしているときと今このときとで、共通する感情があるということを示している。都合よく捉えるなら過去に失ったものを取り戻した幸福感なのかも知れない。そうであるなら、誰もが持つ感情を持ち、それを表現することができる普通のひとと見做せるのではないか。
「紅茶もおいしいです」
と、納雪が笑うと、メリアもつられて笑った。その昔の音羅に通ずる納雪の笑顔に周りは自然と笑顔になる。
子欄はほかの姉妹と目配せ。存外早くメリアの受け入れができそうだという感覚を共有した。前向きになれば悪いところが目につかない。そも、メリアには悪いところがなかった。あったとすれば姉妹側の色眼鏡や偏見だ。
……何事も心次第。
メリアの存在が障壁のように感ずるのは紛れもない事実だが、メリアが寛解手段を全面的に認めているなら手間は日程の摺り合せくらい。その手間を省けばメリアとのあいだにではなく姉妹間でごたごたが発生するだろう。寛解行為の可否を問う交渉に比べれば省くような手間ではなく、父の延命が掛かっているので積極的に詰めてゆける。
ケーキを食べ終えたところで、子欄は改まって口を開いた。
「メリアさん。不在にしている音羅お姉様と刻音さんを除いた姉妹で先程話しました。わたし達は可能な限り、メリアさんと協力していく方針で動こうと考えています。これはお父様の延命にも関わることなので、メリアさんの意見を聞かせてください」
具体的にどこまで寛解行為を認める方針なのかメリアから聞きたいところである。謐納の魔力が不足して安全な手段を進められなくなったとき最後に頼れるのは悪魔の手段となる。それを行う考えがほとんどの姉妹には存在しないがいざというときの決断は両親にも予測できなかった。障壁と成り得ようメリアが父娘間のその行為をどこまで容認できるか・できないかはしっかりと聞き届けなくては。
メリアが答えた。
「わたしは朝食のときに話した通りです。音さんの延命に関わることなら全面的に認めます。ただし……」
「何か条件がありますか」
子欄の問は、姉妹全体の緊張を潜めていた。
メリアの条件はこうであった。
「お互いに望む行為であることを、わたしは願っています」
「逆をいえば、望まない行為は許さないということ。例えばなんですか」
「どちらかが強要する行為です。これは主に男性である音さんに心懸けていただきます」
と、メリアが父を向いた。「延命行為を強いることは、絶対に許しません」
髪は桃色のままだが、メリアが怒りにも似た表情で父を牽制している。
ティーカップを持って穏やかなものであるが、父の言葉は厳しい。
「既に強制させた身やからこの場で首を落としてくれてもいいよ」
「それは──」
メリアが俯く。一瞬にして髪が水色に染まった。「──彼女が身を挺したのはわたしが暴走しようとしたときのこと。わたしの暴走を止めていなければ音さんは抵抗するだけの力を是が非でも残していたでしょう」
子欄も見た、父の魔力が漏出したあの日のことだ。メリアのいう彼女が誰なのかは家族内では言わずと知れている。
「メリアに責任はないよ。抵抗力を残しとけんかった計算ミス、延長線上にある行為への無抵抗、いずれも俺の責任やからね。あれ以前から覚悟を決めようとしとったことも察しとったんやし土壇場の家族の決断も踏まえて俺が警戒すべきやった」
父がティーカップを仰いで、「メリアの考え方なら俺を許したらいかんな」
「……」
黙り込んだメリアを横目に、子欄は指摘する。
「それをいうなら娘側にこそ責任があります。責任の掏り替えです。お父様も痛烈な批判をしました」
「あの言葉を引っ込めるつもりはないが、状況と選択の責任を持つよ。お前さん達が批判を受け入れとったとしても同じだ」
全面的に父親・男である自分のせい。父はそう考えているのである。
「さて、そうなると自然とメリアは娘側についてお前さん達をあらゆる面で守る側につくわけやから悪魔の手段は絶対なしって決定でOKやな」
……お父様はもともとその考えだった。……そうか──。
娘を傷つけることへの絶対的な抵抗。音羅、納月、子欄に憎悪を植えつけるほどに強かった父の意志は、今このとき、メリアを介して竹神家全体の決定となるまで貫かれた。
「いつぞやの容認発言は噓だったわけ」
拳を握った夜月は、六姉妹会議の中で否定しようとした企みを隠すこともない。「期待して合流した娘の気を知りながら、よくもまあ易易と掌返しをやってくれましたわね」
「そのときは本音やったんやけどね」
と、父が言ったから、子欄達は驚いた。それは紛うことなき父の迷いであった。吐露された迷いは、葛藤ともいえる。
「いろいろ考える。俺自身の延命で何を得られるかは勿論、誰が救われて、どれだけのひとが負の感情に苛まれるか。羅欄納は、メリアは、娘は、どうなれたら幸せか、俺とどう存れたら幸せか。どれも主観的で独善的なもんやから絶対の正解はないし考えるだけ無駄のようにも思うけどね。この経過はまあ、省いてもいいな、特別な意味があるわけでもない」
父が、結論を述べる。
「みんなの、最愛のひととの将来のため」
「『……』」
皆が口を開けなかったのは、父の与えたかった将来が一娘から失われたことを知っている。
……わたしは──。
「お姉ちゃん、どうかしたんですか?」
刻音に呼ばれて音羅は我に帰った。
「ん……、あははっ、お昼は何かなって思ってね」
「さっき食べたばかりなのに、お姉ちゃんはホントに食いしん坊ですねぇ」
「えへへ、ごめん、ごめん」
討伐対象の住処が近い。音羅は、自身の注意を研ぎ澄ませるとともに、
「気をつけて行こう」
「うんっ」
隣を歩く妹が、突如いなくなるかも知れない。ともに歩めると信じていたひとが、突然いなくなるかも知れない。魔物がその道を塞ぎ、あるいはひとを奪うかも知れない。
……もっと、しっかりしないと。
心を締めつける惑いを振りきるように、草原を進んだ。
「──、これは俺の主観やから誰にでも当て嵌まるわけじゃないけど、愛し合っとるのに触れ合えんのは寂しいからね。俺の知り得た選択肢を、お前さん達から奪いたくはない」
父の優しい眼光に、誰も反論できなかった。
「俺はね、お前さん達の感情の全てを否定するつもりが、今はない。その根底に羅欄納の感情があるとしてもないとしてもそう。俺を好いてくれとることは少なからず嬉しいとも感ずる。けど、それと悪魔の手段は別問題。親は未来を願っとるもんやよ」
皆が反論できない。父の優しい言葉が胸に沁みたというのもあれば、そんな父だからどんな手を使ってでも守りたかった、と、いう意志もあった。それらから目を背けることも、できなかった。
「それに、」
と、ティーカップを置いた父が、「──いや、これは機会が来たらにしとこう」
父が口を閉じたので、子欄は意見する。
「お父様は、今も昔も、いろいろ考えてるんですね」
「伊達にテーブルにくっついちゃおらんよ」
「それならもう解っているはずですが、わたし達に取っての第一の幸せはお父様の生存です。わたし達自身とお母様がそれを強く望んでいることは先刻承知ですが、今やメリアさんもそれを強く望んでいるでしょう」
一瞥すると、メリアがうなづいた。子欄は父を見つめて、「わたし達の気持、とっくに知ってますよね」
何を幸せと感ずるかは自由。まだ見ぬ誰かを愛するならそちらを第一に考える可能性も勿論あると認めた上で、今は、父に関わることが幸せだ。
「わたし達はお父様に比べれば浅はかで考えが足りません。これまでに何度もそう思い知らされてきましたから間違いないでしょう。でも、固い意志を譲らないと思っていたお父様でも葛藤することがあった。お父様が思うより、わたし達のほうが強いところがきっとあります。その一つがお父様への想いです」
自身のものと思って射抜いた感情が母のものだったと知って愕然とした過去を踏まえ、子欄は後悔していたことがある。
「納月お姉様と二人で暮らして家事全般を押しつけられて、『ああ、なんだか懐かしい』と、振り返る過去がいくつもありました。わたしはやはり、どうしようもなくだらしがないお父様や納月お姉様が好きなんです。わたしの働きを密かに観ていてくれて、ありがとう、って、いってくれるお母様や音羅お姉様が好きなんです。……性質は違えど、こうして口で伝えることを恐がっていたことをわたしはずっと後悔してました。想いの向かう先、みんなに伝えることのできないような想いは本物じゃない、と、嘆きもしたんです」
当時のことを取り上げるなら、嫌いと言われて射線ぶれするような重心の定まらない想いだった。その程度では、父にも、誰にも、届きはしなかった。子欄はそう考え至ったのである。
「ひとは一人を愛すべき。直接口にしたことはなかったと記憶してますが、お父様はそう思ってわたし達を育ててくれたんでしょう。でも、器量があって、パートナがそれを許しているなら何人でも愛せばいいじゃないですか。お父様が体現者ですよ」
母とメリア、それからモカ村の第二夫人テラスリプル、父は三人を愛している。恋多き父は過去に遡ればもっと多くの女性を愛してきただろう。父にはその器量がある。ゆえに母もメリアもテラスリプルも咎めないのである。
「広くいえば好きという心も愛ですよ。わたしは、その気持をどれ一つとして闇に埋もれさせたくはない。心にもない『さようなら』は、もういいたくありませんから……、わたし達のこと、もっと信じてください。お父様への想いだけで潰れるほど、もう弱くはありません」
随分と長い時間が掛かったが、重心は揺るがない。父がなんと言おうと子欄は父や家族への想いを隠し通そうだなんてもう思わない。ちゃんと伝えて、受け入れてもらえるように努力しようと考えている。その気合を信じてもらえなくても諦めない。
「女を舐めんなってことよ」
と、ぼそりと言ったのは夜月。
「夜月おねぇさんがなんだか怒っているけど、おとぉさん、正直がいいです、これからは」
とは、納雪が言った。「前もいったのにすぐに約束を破ったから。よくないです、そういうの」
「納雪は口を出さんでいいよ」
と、父が制するが、今日の納雪は無垢に突進するだけでもなかった。
「わたし、おとぉさんにいわれた通り学園に通って解ったことがあります。世界にはいろんなひとがいて、いろんな考え方があるってことを、です。わたし達の家で普通のことがみんなには変なことでした。けどわたしは、おとぉさんがいて、おかぁさんがいて、新しいメリアおかぁさんもいて、おねぇさん達がいて、もしかしたら妹もできるかも知れなくて、それがわたしは嬉しいから、思ってます、変でもいいや、って。否定しないんですよね、そういう、わたしの気持」
「知恵をつけたか。ちょっと前まで白無垢みたいやったのに、染まるもんやね」
「今は今しかない、です。それなら、みんなが嬉しいことをしたいって思います」
納雪の言葉に、父が微苦笑した。
「あんな荒っぽい言葉からよく酌んだ。……うん、否定しんよ、お前さんの気持は、俺も感じとることやから」
みんなが嬉しいと思うようなことをしたい。父と納雪とのあいだで以前どんなやり取りがあったか定かでないが、父を諭すような学びが納雪にはあったようだ。
「万事休すよね」
と、夜月が宣告。「父様の逃げ道はなくなった。諦めて投降してくださいな」
ずいっと、皆が迫るわけではなかった。ただ、心持としては初めて父を追い込んだような気にはなっていた。実際、父が観念したように眉を顰めていた。それが表情に反してとても愉快そうで、ほんの一瞬あれば、開きかけた口から何かしらの主張が聞けたかも知れなかった。選りに選ってそのとき、玄関がガララッと開いたのである。
「ただいまぁ」
「『っ!』」
みんなが息を吞んだ。
三和土から框を上がって居間に踏み込んだのは、刻音だ。あとから音羅も入ったが、なんというタイミングだ。
「なんか愉しそうですね……」
首を傾げた刻音が、みんなの手許、ティーカップやケーキ皿を観察した。「へぇ、刻がいないあいだに余所のひとと仲良くしていたんですね、お姉ちゃん達」
刻音の瞳に迸る怒り。
……こうなったら、下手に弁解するだけ無駄だ。
本来甘えん坊で、メリアに甘える可能性が十分にあったのが刻音だ。恐らくは最初の拒絶で引っ込みがつかなくなっている。それなのに話し合いの場を蹴らせ続けては周りからも歯止めを利かせられなくなってしまう。
子欄は口を切る。
「刻音さん、それに音羅お姉様も戻りましたので、ほかの六姉妹で話したことを伝えます」
「お湯いただくから──」
「っふふふ、アホ犬が尻尾巻いたわね」
挑発的に夜月が制した。「ガキの中のガキよね。目を逸らして逃げ回って、あとはどうするのかしら」
「解ったようなこといわないでください……」
刻音が浴室のほうへ歩いてゆく。「魔物退治で疲れたの。服も汚れたから着替えたいし」
「ほら逃げた」
「逃げてないッ!」
「刻ちゃん、落ちついて」
音羅が刻音を宥めて夜月を見る。「今日は魔物が多くて、刻ちゃん頑張ってくれたから疲れているんだよ」
「ふうん。それだけが理由じゃないって顔に出てるけど」
夜月がなおも挑発するので、納月が手を鳴らした。
「まあ、まあ、ひとまずお風呂に入らせてあげましょう。刻音さん、汗を流したら話を聞いてくれるんですね」
「……、……うん」
納月の確認が功を奏したか、むすっとしながらも刻音が応じてくれた。
「じゃあ、わたしも刻ちゃんとお湯いただきます」
と、音羅が刻音の背中を押して浴室へ向かった。
脱衣室の戸が閉まったのを確認して、子欄は息をついた。
「刻音さんをなんとか席につかせることができそうですね」
「あのヤンデレ、タイミング最悪ね」
「話せば解ることもあるだろうし、夜月はあんまり突っかからないように」
と、注意した鈴音が父を向いた。「話を再開するけど、わたし達の気持を否定するつもりがない、すなわち受け入れることと同義だとわたしは捉えた。その主張、ちゃんと守ってくれるよね。刻音を納得させるにはそれしかないと思うし」
鈴音の意見は、子欄、納月、夜月、納雪の意見でもある。
「メリアがこの家で平穏に暮らしていけるようにしたいと思っとるが、刻音は反発を続けるやろうな。俺が刻音を受け入れる選択肢は今んところない。その上でいうが、俺が生存できとれば最善の状況、とは、俺は思っとらん」
「どういう意味。メリアさんはお父さんのことを求めてるっていうのに──」
「そうやとして、メリアの欲求は俺に限っとらんもん」
メリアが戸惑う。
「子どもをほしがっていることを仰っているのですか」
……子ども──。
家族構成はさまざまでパートナに求めるものもさまざまだが、メリアが子を求めたことはごくごく自然な気持だろう。
メリアがおもむろに機微を語る。
「わたしは……、昔から、アデルさんとの子を欲していました。それが叶わないと解って、音さんが受け入れてくださったあのときから、わたしは音さんの子を欲していました。音羅さんを始め、わたしを受け入れてくれる子がたくさんいて、本当に幸せで、幸せだから……。その中心にいる音さんがいなくなっていいわけがないでしょう」
その思いでいたから、大変さを口にすることなく家事全般をこなしていた。
「音さんがいてくださらなければ、わたしの暴走を誰が止めるのですか」
「暴走する予定があるみたいやな」
「その、……」
メリアが反論できないのは、
……予定じゃない。たぶん、予感があるんだ。
狂気に染まる予感。その原因は、
……刻音さんだな。
一〇〇%の歓迎と祝福。それがなければ暴走の危険性を排除しきれない。竹神家で唯一まっこう対立している刻音をどうにかしなければ、
……よりよい将来を期待できない。
自身の危険性を予感していて、子を授かることなどメリアにはできないのだろう。それは生まれてくる子を中心とした思考では無論ない。今のまま子を授かれば刻音との関係はより悪化し、好転の目を失う。そうなればメリアを支える大黒柱を中心に竹神家全体も崩れゆく。まさしく、メリアと刻音が波風そのものとなってしまうのだ。
……やっとみんなで暮らせるんだ。
目も合わせず啀み合うばかりの関係にはなりたくない。手を取り合いたい。
子欄は宣言した。
「刻音さんを、わたし達が説得します」
「半ば取引って感じですかね」
と、納月が解釈した。「導火線に火を点けた爆弾のように刻音さんが居座っているせいでメリアさんが暮らしにくくなってる。そこで、いい感じに鎮火した刻音さんをメリアさんの前に引き摺り出すのがわたし達の役割といったトコでしょうね」
メリアがその場の姉妹に目を配る。
「みんなは、それでいいですか」
わざわざそう訊いたのは、応答がメリアへの最終的な拒絶と成り得たからである。が、
「勿論いいです」
と、納雪が真先に手を挙げた。それに続いて、夜月も控えめに。
「あのアホが暴走したらワタシの荷が増えるので、確実にアナタの前に引き摺り出しますわ。ナツキ姉様、コラン姉様、スズネ姉様もいいですわね」
「『はい』」
「いいよ」
ここにはいない音羅や謐納が反対することはないだろう。
「姉妹の意志は決まりました」
子欄はメリアの問に答える。「わたし達はメリアさんを竹神家に迎えたいです。そのために動くことをここで約束します」
うなづく姉妹に、メリアが両手を合わせて応ずる。
「みんな……、ありがとうございます!」
「ただし最後はメリアさん次第」
と、鈴音が注意を促すと今度はメリアがうなづいた。
「解っています。できることを全てやって、心を開いてもらえるようにします」
その気合は家事に観られるように一過性のものではない。
……何か気づきがあれば、刻音さんはメリアさんを受け入れる。
確証もないのに、子欄には確信があった。どうせだから、確証を得ようか。
「メリアさん、少し早いですが、昼食の準備をしてくれませんか。味噌汁を全員分」
「味噌汁をですか。それは構いませんが、子欄さん、カレーじゃなくていいんですか」
「(ん!)カレーの予定があったんですか」
「子欄さんに限らず好きなようですから、七夜に一回は組み込みたいと思います」
「わたしは毎夜でも嬉しいですよ、ドライでもパンでもなんでも来てください!」
「コラン姉様、相変らずね……」
と、夜月が呆れて真意を見破る。「試験はいいのかしら」
「う……、そうですね。(味見に与りたいがここは私欲を抑えなくては)」
「味噌汁は試験なんですか」
と、メリアが夜月の言葉に反応したので、子欄はしっかり説明して──、台所へ移動した。大人数で押しかけられないので、子欄が代表してメリアの横につき「普段通りの味噌汁を」と指定した。
鮮やかな手際だった。
……お母様の体でもこれはメリアさんの経験によるものだろう。
最初から全てうまくできたわけがない。素早く的確に仕事をこなすため、失敗を重ねながら学んでゆく。誰もが経験し挫折することもある下積みを彼女はやり遂げたのだ。
「──どんなところに気をつけて作っていますか」
と、いう子欄の問に、調理中のメリアは手を止めず、すらすら答えた。
「具材の処理は根菜から、葉物は最後がベーシックです。料理に使えない部分は堆肥行きの籠に入れてあとで外へ。具材が粗方煮えたらこうして各汁椀に湯を少量注いで──」
父、メリア、八姉妹専用の汁椀を使い分けており、具材が煮えるまでに味噌を入れてある。
「音羅お姉様、鈴音さん、刻音さんが赤味噌。納月お姉様、謐納さん、夜月さん、納雪さんが白味噌。わたし、お父様、メリアさんが合せ味噌ですね」
「はい。音羅さんと刻音さんは濃いめに。納月さん、鈴音さん、謐納さん、夜月さん、納雪さんは薄めに調整しています」
よって、味噌の量も異なる。
「お父様のには出し粉末が入ってますね」
「強めにと以前ご要望をいただいたので。本当は煮出したいのですがコンロの数とみんなの味の好みの兼ね合いでこうなりました」
「お父様はなんと」
「朝から手間を掛ける、と。むしろ粉末抜きでもいい、と。でも、やはり好みの味をお出ししたいので、可能な限りの手を掛けています」
「ひょっとして、その粉末は自分で……」
「はい、コンブを砕粉しています。煮干をお出ししたこともあるのですがなんとなく苦手そうな雰囲気でしたので、それからはコンブで一貫しています」
「(わたしもそこまでは知らなかったな……。)完璧ですね」
その昔に父が作ってくれたカレーの材料に顆粒のコンブ出しが入っていたか。その流れか、料理に手間暇を掛ける母は主に乾燥コンブを出しとしていた。
……お母様から聞いたなら雰囲気云云の観察は不要だ。
主婦仕事を事細かに教えたであろう母には、意図したか否か、穴があった。が、メリアは自分でしっかり学んだのだ。この家で生きてゆくため、父に気持を伝えるために──。
具材が煮えたら、沸騰が治まった湯を注いで味噌を溶く。
「沸騰した湯に味噌を入れないのは出しが飛ばないようにですね」
「出しよりは風味ですね。三つの鍋を置くことができませんので効率の問題も大きいです」
コンロは二つ。「鍋に味噌を入れて沸騰直前までは持っていきたくて、前はこうして──」
メリアが右手を振るってひょいと作り出したのは白い板。
「(お父様と同じなのか、魔力を感じない。)魔法ですか」
「星の魔力で作った鉄板のようなものです」
「例の……」
星を滅ぼしたときも用いた星の魔力は戦闘から日常まで幅広く使えるようだ。
「これを熱して鍋を三つ並べて調理していたのですが……」
「お父様に叱られたんですね」
「そうなのです」
父はとことんまでに魔法の無駄遣いを嫌っている。
「最初は無駄が多すぎて音さんにも羅欄納さんにもたくさん叱られました」
「お母様にも」
「掃除などは主神時代にやったことがありませんでしたから、雑巾掛け一つ取っても粗が多かったのです」
「(お母様が叱ることはなかなかない。)よく堪えましたね……」
「頑張りましたっ。羅欄納さんには感謝してもしきれません」
……、……いい笑顔だな。
メリアの姿勢は母と似て異なり幼き父にも似ている。昔と変らず厳しい父母がここまでにしたのだ。両親の厳しさに触れたことがある子欄はメリアの忍耐力と学習意欲を評価したい。
味噌を溶き終わって、大きなお盆に汁椀を載せたメリアが微笑む。
「できました。どうでしょう」
「文句なしの合格です」
「ありがとうございます!」
服の好みや元主神の肩書に反して質朴な笑顔は狂気と縁遠く大罪の過去も噓ではないかとの印象を子欄に与えるほどだった。
……この笑顔を知って、お父様達は受け入れたんだろうな。
ひとを想う色が、髪のみならず自然と溢れている。
けれども、
……メリアさんは、確かに怯えている。
心中を図るほど強い狂気だ。御し難いとメリアが自覚していないわけがない。アデルは生きていたが父を始め竹神一家を傷つけない保証がなく、きっとそのせいで暴走に怯えている。安心と平穏から遠く、不憫にも神経が擦り切れる暮しになるだろう。
……善悪・表裏・白黒はっきりしない。メリアさんもそうだったんだ。
幼い頃は理解しがたかった父の態度、その考えにときに協力していた母の姿勢を、今は理解できる。つらい過去を背負って歩んでいるひとがいることを知り歩み寄る心を持つことが両親の教育の終着点のように子欄は感じたのである。だから、メリアを爪弾きにはしない。
皆の前でも宣言したメリア受け入れへの協力を、子欄は改めて見定めた。差し当たって、
……注意深く、刻音さんの説得に当たらなければ。
家族の和にメリアの笑顔も加わったらどれだけ素晴らしいことか──。過信や盲信ではなく同調したのでもなければ感化されたのでもなく、子欄は素直にそう思ったのである。
──九章 終──