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始章 支えられた決断

 

 暗い道を手探りで歩むとき、ひとは、いったいを何を拠り所にしている。

 笑うときに撫で、腹が立ったときに払い除け、涙を零すときに包み、快いときに眺めるそれは、ときとして趣を逸した異質を強いられてしまう。何千・何万株という鉢植えを見渡すと、ときたま(こおり)砂糖(ざとう)といわれるそれを見つけることができる。異質を強いられながら死にゆくそれは哀れまれ、最後には求められることがない。仕方のないことではある。ひとが氷砂糖を救う術を持たず、いくら多くの時間が流れても枯れゆくそれを生かすことはできなかった。枯れてしまったそれをひとは溜息とともに見送って永遠に悲しまない。それは、単なる植物であった。

 ひとは、感情とともに植物を触れ己の心を問うてきた。花言葉と様相によって思索を進め、己の心を見定め、行先を選択してきた。無数の植物を踏みつけてようやく一つの心裏を探り当て、顧みることなく歩んでゆく。

 暗い道で、ひとは、燈を拠り所にすることを憶えた。

 

 

 第一子誕生の日にアポイントメントを取りつけておよそ三箇月後の三〇二四年三月二八日。レフュラル表大国(ひょうたいこく)(りょう)魔地(まち)狭陸(きょうろく)、彼竹神(たけみ)(おと)を連れて(セント)()の本邸を訪れた(セント)羅欄納(ララナ)は友好ムードの会食を終えた。

 育ての両親と妹瑠琉乃(ルルノ)は経営陣として日日忙しい。何事もなく別れられるならそれに越したことはなかった。

 結婚することを伝えた今日だからこそ一つだけ義父母から聞きたいことがあった。実父母と義父母との関係だ。聖本邸を出たララナは立ち止まり、先を歩く彼の背を少し見送ってから義父母を振り返った。

「一度しか訊きませんので答えてください」

「なんだい」

 義父が微笑で応じてくれたので躊躇いが湧き上がった。傷つけるとしても、事実を確かめるためにララナは切り出さなくてはならなかった。

「私の実父母を知っていますか」

 過日オトの指摘があったものの、名前の印象という根拠は不確かともいえた。

 義父の応答は、肯定だった。

「養子と伝えたあの頃とは違って、君は一人の女性として歩み出している。もう伏せることもないだろう。ぼくの父がレフュラル裏国王家の出身だった。その関係で、ぼくは何度か滅亡前の裏国に出入りしたことがある」

「お義父様が自ら」

「ああ。国王……君の両親は、とても優しく、逞しく、頼もしいひとだったと憶えている」

 養子であることを聞いたときはアイデンティティを見失って苦しんだ。実父母を象るように義父母が育ててくれたのは明白で、ララナは頭が上がらなかった。

 ……セラちゃんと話したいことができました。

 実父母と義父との関係に炙り出されるようにして、師匠ラセラユナと実父母との関係がより明確になってきたようだった。

 ララナは、感謝したいひとがたくさんいる。中でも、事実上の孤児となり死ぬ可能性もあった自分の里親になってくれた義父母の存在は大きかった。

「私をここまで育ててくれて、本当に、ありがとうございました」

「顔を上げて。君のお母様は、それは、それは、君によく似ていたよ」

「立派な女性で、立派な母親でもあったのでしょうね」 

 義父の目線と言葉を、ララナはまっすぐに受け止める。

「君も立派な女性になり、立派な親になれる。ぼくはそう信じている」

「お義父様方のように、育てることができるでしょうか」

「ぼく達は親たろうとしただけだ。試行錯誤だった。正しいことばかりを選べた自信は今もない。それは君に限ったことではなく、血の繫がった娘にだってそうだったよ。いつも不安だったし、いつも恐かった。それと同じくらい、いつも愉しくて、嬉しかったよ、家族が増えて聖家は、ぼく達は、幸せだ」

「親たらんとする──、大切なことですね」

 血の繫がりがあろうとなかろうと、子が親を選べないからには子が必然的に求める親でなければならない。それが一般性に則したものである必要はなく、三人の娘それぞれの求める親となることがララナの理想である。

 子がいるから親になれるわけではない。親は子に認められて初めて親になることができる。義父母の考えを受け継ぐなら、ララナは義父母の教育に対する答も用意したい。

「お義父様、お義母様。二人の養子になって、麗璃琉(リリル)ちゃんや瑠琉乃ちゃんの姉として過ごせたこと、私も、幸せです」

「羅欄納──」

 義母がララナを抱き寄せ、感極まって嗚咽を漏らしていた。

 

 

「達者でやるんだよ」

 送り出した養女を見つめて、夫(セント)(つよし)が手を振っている。妻として、母として、(セント)広美(ひろみ)も娘ララナに手を振った。

 景色は移ろえども同じ場所──、聖広美は、唐突にやってきたあの日が脳裏に浮かんだ。

 

「──。その赤子は多くを託されている。立派に育てろ」

 赤子を預けたのは、そんなふうに言った黒衣の女性だった。

 両手で包んだ赤子は脆く爆ぜる爆弾の重みを持ち雨曝しの一輪の花の危うさを秘めている。聖広美は慌てた。

「わたし達がこの子を育てる。なんの冗談」

「冗談をいっている顔に観えたなら貴様は無価値だ。目障りな首を斬り落とせ」

「赤ん坊よ。一つの命よ。大人の都合で盥回し(たらいまわ  )にしていいわけがないでしょう」

「貴様達が断れば別を当たるまでだ」

 ごねているあいだに盥回しにされてしまう。

「貴様達には血を守る責任がある」

「──預りましょう」

「毅さん、……」

 眠る赤子の頰をそっと触れた夫が、決意を漲らせていることにはすぐに気づいた。

「下の子がいたらもっといいかも知れないね」

「……そういうひとよね、あなたは」

 人生設計が多少崩れても吞み込んで、皆が幸せになれるよう前へ進んでゆく。そんな横顔を何度も観てきたから聖広美は彼を選んだ。

 ……でも、やっぱり、恐いわ……。

 腕の中の赤子に宇宙の重さを感じた。測れようはずもない重さを感じてしまった──。

 

 娘達の背中が見えなくなった。

 揃って手を下ろした。

「『達者でやれ』は変じゃないかしら」

「……粗が出たか」

「気を抜くなといったでしょう」

 一両親として、ララナには拭えない感情がある。今日にも家名を抜けてくれることに安心を得たことは否定できない。聖家長女麗璃琉と異なり理屈の解る大人の思考回路を持っているから、感情で吞み込めないこともララナは吞み込むことができる。悪神討伐戦争後、世界を彷徨うようにボランティア活動に明け暮れていたのは、聖家の感情──主に義父母である聖毅と聖広美の感情──を理解した上で家を出ていた。

「本心は隠しようがない。竹神さんがぼく達の感情を見抜いているだろう」

「読心の魔法を用いることもなく察して、ひとの望みを叶える──。かつての奇跡の少年が力を保っているのは羅欄納の報告でも判っている」

「君は動じないんだな」

「読まれても問題がないもの」

 聖広美は肝が据わっているのではなく、幅広い調査で竹神音の性格を把握している。

「ひとの望みを叶えることに悦びを得る、一種の奉仕者的思考回路を彼は持っている。わたし達の願いのように汚れた側面を有するとしてもその願いによって実害が減り相対的幸福が導き出されるなら力を振るう」

 巨悪を暴くため自らの罪を厭わなかったのはそのためだ。「例外があるとしたら一〇歳の罪だけ。あれだけがイレギュラであり、以降もまた、表層的観測を除けば彼は奇跡の少年として君臨している」

「誰の望みを叶えているかが問題ではある」

「今は羅欄納の願いを叶えている。それによって彼の望みも叶えていることになるわね。羅欄納がレフュラル裏国で見つけたというじつの両親の言葉も酌んでいるでしょう。加えて、とは、いうまでもないわね」

「そうだね……」

 結果論でもあるが、聖広美達の望みにも応えている。応えていないなら、羅欄納を選んだ理由を「非一般性」などと竹神音は答えなかっただろう。

「羅欄納をなんの躊躇いもなく受け入れた。それを信じて損はないわ」

「……不思議なことがあったものだ」

 と、夫が呟くように言ったから、聖広美は彼の視線を追うように空を見た。

「羅欄納が家に来たこと」

「それも含んでいる。けど、そうじゃない。彼らは……、いったい何者なんだろうね」

 聖広美は首を傾げた。

「……ぼくは羅欄納の両親に会ったことがある」

「あなたがそういったことを憶えているわよ。わたしをニワトリ扱いするのをやめなさい」

「察してくれ」

「馬鹿にしたわけじゃないと」

 なら、どういう意味か。「もう少し推理の材料がほしいわね」

「……提供できそうもない。小さい頃のことだから記憶違いしている可能性もあるんだ」

「独り言なら書斎でどうぞ」

「思わずね。時を経るにつれて身震いしてもいたんだ。竹神さんの姿をこの眼で観てそれが再燃した」

「与太を飛ばすならバーテンダにどうぞ」

「すまない。忘れていい世迷言だよ。強いていうなら、孫の顔をまず見たかったかな」

 なんのことだったのか、聖毅の独り言が終わった。

「羅欄納は自ら来ないけど、呼べば来てくれるわよ」

「そうだね、また時間ができたらね」

 半世紀近く生きているから子時代のように無邪気に将来を思い描くことはできない。子時代にはなかった悪知恵があるから望みを叶える手段がいくらでも思いつく。聖夫妻に不足しているのは時間だった。

 

 次にララナ達を招くことができたのは、それから何十年も経ってからだった──。

 

 

 ひとは五感と感情と知識でもって主観を立て、情報に価値を見出し、近道をし、道草をし、自らの歩む先を見定め、そして、命の平等を失ってゆく。

 平等にこだわるのは却って不自然であることを感情が示している。ひとは接する相手に感情を持ち好悪によって親しみや共感を深め・浅めゆく。状況に理屈をつけて嫌っても話せば好感が湧くこともあり、その逆もある。夫婦であるオトとララナを例に挙げよう。オトに尽くすことで誰かと対立してもララナは気に留めない。ララナに取って重要なのはオトに尽くし、オトのためになっていること。それらの点が満たされていれば誰から嫌悪されても立ち上がれなくなることはない。オトに対する偏った意識は自然であり、そのほか大勢の対立的意識を軽視・無視するような心持はララナの強さである。

 これは、博愛を否定する思考ではなく、平等を否定する思考でもない。ただ、ララナの強みを知るとオトは己の理想の浅はかさを知らしめられているような気がした。平等とは全てに偏りなく接すること。ララナを伴侶とした時点でそれが崩れたといえるからである。

 ならば平等の理想を棄てよう。と、簡単に決められないのがオトであるが、一方でこうは思う。惰弱な自分を懸命に支えてくれるひと達のために何ができるか、と。

 一向にアイデアが浮かばないのは、オトがオトであるからといえよう。

 そんなときにいつも補ってくれたのが同窓生の相末学であった。

「──何か聞きたいお話はありませんか」

 と、配慮した言回しをしてくれるのが彼らしい。

 アイデアがどこから湧いてくるか、あるいは降ってくるか判らないから、オトは彼に話を振ることにした。

「新しい魔導機構のことを聞かせてくれんかな」

「それでは直近から、砂除けの開発について搔い摘まんでお話しますね。──」

 自身が運営する研究所で魔導機構を製造するまでの云云かんぬんを自慢することもなく語れたのは、彼がララナと同じように尽くしてくれているからだ、と、オトは感ずる。

「──。なるほど、自社比一・〇四倍に至るまでの努力は所のみんなの試行錯誤あってこそやな。労ってあげぇよ」

「はい。忘年会や新年会をしたばかりですから、ユノの祝日にチョコレートやクッキなどを差し入れようと思います」

「現代ではユガの祝日といわれるのが一般的やな」

「原義は女神ユノによる祝福だったと思うのでいいんじゃないでしょうか」

「正しくは祭祀(さいし)ね。友チョコだのご褒美チョコだの、ユノがなんの神なんか知らん奴ばっかが商戦を盛り上げとるんやろうけどな」

「多くのひとが愉しむことのできる許容力が、神様の名にあるのかも知れません」

「名前を勝手に使われとるやろうに、献身的な神だこと」

「無数の神体を置いているような神社もありますがあれもそうなんでしょうか」

「人工の像や剣を祭り上げとるだけのこともあるが神の名を被せとるならそうやな」

「付喪神がそこに宿るからですね」

「ん」

 信仰あらば顕現し望まれたご利益を授ける。それが付喪神と呼ばれる者の能力とは、ダゼダダに生まれた多くの者が感覚的に知っていることである。

 オトは相末学との会話をそこで打ち切った。

「しかしなるほど、献身はある種、平等の割振りであるのかも知れんな。自らそれを寄越す変り者もおるが」

 右斜向いの席に座る妻ララナと正面の席の相末学を順に観て、オトは瞼を閉じた。「信仰の厚みに対するご利益しかないと考えるなら、一対一の果報が成立する。じつに人間的だ。俺はそういう解りやすい理屈が好きやな」

「お役に立てたなら何よりです」

「献身的だこと。今日は、ここまでにしよう」

「はい。ではまた訪ねます」

「ん。またね」

 オトは、輝かしい背を見送り、扉を閉めた。

 

 毀れた刃を身に宿して生き存える道を選んだ。道なき道が待とうと献身の刃で拓き、前進することを選んだ。それが信仰もとい奉仕や願いに報いることであると改めて見定めた。

 竹神家における重要な解決事案を手短に差し挟む。何十年も前からの課題であった魂器過負荷症対策についてだ。不老生者である竹神家──オトとララナを親とする一族──は外傷など外的要因で死亡することはあっても、寿命がなく老衰という人間的自然死が訪れない特性を有している。竹神家は大黒柱であるオトの延命を果たすため大きな犠牲を払った過去があり、犠牲なき解決策の考案は急務であった。それが先日、五女謐納(ひつな)の献身と意識改革によってついに解決の目を見た。今後、人間倫理的犠牲を要する悪魔の手段を頼ることはどうにか避けられ、オトは肩の荷が少し下りた心境であった。

 総歴三〇七五年二月一五日。惑星アース、ダゼダダ大陸中央県田創町では相末学の葬儀が行われた。以前オトが彼に教えたことだが、彼のように、オトも目の前のことから解決せんとしている。魂器過負荷症という一家の大問題を解決できたものの竹神家には依然として二番目の問題、狂気が眠っている。すなわち、ララナの体に宿ったメリアの魂。これについては謐納の意識改革や聖水確保以前から魔法的対策を考えており、理論構築の詰め作業に入っている。

 移り住むためモカ村に通ったオトは、聖水の販路を得るのと並行してモカ村の産業を観察した。特にモカ織物、村民がモカ織と称する伝統工芸品に用いられている魔法技術を観察した。もともと魔力の糸で服を作ることが趣味であったオトは、モカ織も同系統かつ高度な技術で作られていることに興味を持った。それだけなら自ら学ぶことはなかった。メリアの魂器対策に使えるのではないかと推察し、第二夫人となったテラスを介してモカ織の技術を学ぶ必要性を感じた。と、言うのも、オトは魂器(こんき)外殻(がいかく)が傷ついて人格もとい理性に欠損が生じていたが、先日、相末学の老衰死を聞いたその瞬間、魂器外殻の快復を感じ取ったのである。その快復でもって魂器外殻が自己再生することに確信を持ったオトは、ある種の移植によって魂器再生を促進することでメリアの狂気を治められると考えた。必要となる技術のヒントがモカ織だった。魔力の糸で構築するモカ織は織り込みも魔法技術で行われる。この魔法技術を用いて切り取った魂器外殻を糸状にして布のように織り込むことで移植の準備が整う。喩えるなら、皮膚片を網目状にして移植するメッシュグラフトに近い。布状の魂器外殻を移植し、高率の生着と高効率の再生を促す。結論、人格の再生を図ることができる──。

 理論が不完全だったとは言え次女納月、三女子欄の失敗もある。何にも恐れずなんでも完璧にこなすと娘には思われていたがオトは不完全であり恐れることのほうが多い。その一つがララナを失うことだ。そうならないようにできることをやっておかなければならない。

 辺境神界フリアーテノアのまさしく辺境たるモカ村、その一角に家を建て移住したオトは、囲炉裏を囲う席につき、左手、鍋座のララナと向かい合った。魂器再生理論はメリア対策の一案に過ぎないが考案に至った経緯と視野に入った理論、実践すべきことの説明をして、ララナの意見を促した。

 昼食を終えた時間。香る炭のように穏やかにララナが応えた。

「失敗は成功の母ですがこれに限っては再チャレンジが不可能のおそれがございますから失敗を避けたいところです。想定できる範囲の失敗を確実に潰しておきましょう」

「やってある」

「では、私が考えられる範囲で確認させていただきます。治癒魔法理論を傍証として推察しますところ、魂器の一部を切り出すために魂器に裂創を作ることになります。そこでまず二つの疑問がございます。魂器の裂創、つまり一時的な穴が生ずることで魔力を収められない状態となるでしょう。魔力漏出現象が発生した場合の対処はどのようになさりますか」

「溢れ出した個体魔力は魔力還元の法則に従って魂に戻るが、魂器過負荷症の魔力漏出とは異なり体を失うような発熱はせん。強い魔力漏出が起きたとしても魔力融合による魔力の切離しで発熱を防げる」

 魔力漏出に伴う発熱は致命の現象であるから、これを防げるなら問題を一つクリアできたと見做せる。

「では次。現状の魂器の状態よりも切り出した魂器の一部を布状に加工して戻したほうが再生面積が上昇することで再生速度が高まる、と、いうお話ですがここで二つ目の危険性を考えました。加工することで再生を阻害・遅延させ、魂器再生もとい人格再生とは逆行する危険性はございませんか。それから、その危険性が現実となった場合、手のつけようがない殺戮兵器に成り果てていると想定される私をどのように処理なさりますか。順にお答をください」

 意図的な加工をすることで魂の再生機能を害してしまうおそれはないのか。そして、その果ての狂気暴走──、それがヒトに限らず、星など巨大な生命の営みをも破壊することは戦時に証明してしまっている。

「一つ目の危険性、再生阻害や遅延がないか、と、いう点だが、飽くまで創造神アースの転生体たる俺達なら、と、いう前提で、魂を加工しても自己再生機能を阻害・遅延あるいは停止させることはない。従って、お前さんが考えた二つの危険性はないと断言できる」

「安心致しました」

「お前さんの考えた危険性とは別に、魂器再生を待つために封印する手段も考えてはおった」

「封印ですか」

「このフリアーテノアには強大な魔竜がおった。封印の中で成長し、さらなる脅威となって襲いかかってきた」

「封印の中でも外と同じように時が流れている──。魂器の再生も行われると想定でき、そこで魂器再生を待ち狂気を治めるお考えだったのですね」

「魂器加工を施すか否かを問わず狂気に対する策の一つとして封印は常に視野にあるが、じつのところその策はお前さんが暴走する(おそれ)から半ば却下しとる」

 魂器過負荷症の末期症状に陥ったオトを前に万策尽きたララナがメリアの狂気に吞まれて暴走しかけたことがある。オトがララナに寄り添わなければ、あの日に暴走は起きていた。

「ストーカのお前さんには俺が必要らしい」

「言わずもがなですね」

「少しは否定してほしいが……そんなお前さんを封印しようものなら、封印の中で孤独に苛まれて封印解除時に狂気が極まっとるかも知れんし、魔竜の例を鑑みればあらゆる手段で自ら封印解除の手を仕掛ける危険性もあるやろう」

「仰る通りです」

「少しは否定せぇ」

「私はどんな手段を用いてもオト様をお助けする所存です」

「その俺の手を煩わせることになるわけやけど」

「そのようなことにならないよう、私も封印は遠慮させていただきます」

「時空間術式なんかを組み込んで時空の連続性を遮断すればその遠慮も不要やけど──」

 封印された空間の時間を止めてしまえばララナが時の流れを感じ取れず、狂気が深まることもない。その際は、封印前に一部切除した魂器を封印の外で加工・再生し、再生が終わったら封印を解除して切除箇所に戻す、と、いうような手順も想定できるが、

「お前さんがおらんと家の中の仕事が手に負えん上、稼ぎ手の中核がいなくなるわけやから家計が逼迫して飢えるアホが現れるね」

「無職のオト様が真先に飢餓に陥ります」

「その通り。俺に労働意欲はない」

 万年ヒモ。そも、食わずとも生きられるオトは、ララナがいなければいろいろなことをメンドーの一言で放棄して万年床に沈む自信がある。

「それに、娘が全員合流したら地獄でしかない」

「図らずも女所帯です。お心、お察しします」

 男嫌いのオトとしては息子に囲まれるのも嫌なのであるが、何人もいる娘に気を遣うことも否定できない。

「話を戻そう。魂器再生、ひいては、メリアの魂に対する策だ」

「ほかに問題点や危険性がございますか」

「メリアの過去だ」

「過去──」

 メリアが狂気に染まってしまったそもそもの原因。それが、過去にある。

「一度あることは二度、二度あることは──、とは、よくいう。魂器再生がうまくいったところで、乗り越えてない過去と同じ状況か似たよう状況に直面したとき、メリアが再び狂気に吞まれたら意味がない」

 メリアの過去を深く知って、対処する必要がある。

「オト様は把握していらっしゃりますね」

「お前さんの命が懸かっとるからね、手段を尽くして入念にやろうと考えとる」

 オトは改めて意見を仰ぐ。「メリアの過去、探っていい」

 どんな罪も犯す。穿鑿もその範囲。そう決めてはいても話を通しておきたい。

 微笑のララナが動ぜず答える。

「亡くなっているひとのことです。転生体と表せられる私の承諾は必要ないかと存じます」

「それもそうなんやけどね。メリアの過去はメリアだけの過去やないから」

「と、仰ると、お兄様の……」

 メリアは生前、ララナの義兄であるアデルの妻であった。メリアの狂気の要因としてアデルとの関係が影響したことも十分に推測できる。メリアの魂器に働きかける術を編み出して狂気を治められる可能性が見出せたものの、魂器に働きかけるに当たってメリアの抵抗を受けるだろう。強制的に魂器に働きかけてもいいが抵抗のさなかララナに害を及ぼさず精密な魔法を行使するのは困難だ。なので、メリアの抵抗を治める対話を講じたい。それにはメリアとアデルの関係を知り尽くす必要があるとオトは考えた。

「お兄様への根回しなら、私に伝えることなくオト様は行われるでしょう。何を意図した伝達ですか」

「アデルに会うとなると麗璃琉に遇うこともある」

「……」

「お前さんがアデルと麗璃琉の関係を慮ってメリアの魂についてアデルに秘してきたことは想像に固い。俺の行動が思慮を台無しにする」

「オト様はそれでも行動なさるのでしょう」

「まあね」

 妻の承諾を必要としない。が、オトはララナに本音を伝えておく。

「理性が復活したからね」

 簡単に言えば、ララナに対して不必要に慎重になっている。

「前はどう押しつけがましく行動しとったっけ。理性の快復がこんな形で行動に影響するとは正直予想外やな」

「っふふ、世の中には不思議なことがたくさんございます。自らの心はその一つ。オト様のお心も同じです。愉しんで参りましょう」

「……変らず前向きやね」

 出あった当時から知っていたことだが、オトがともに()りさえすればララナはいざというとき前向きだ。オトはマイナス思考なので行動に詰まるとその姿勢に救われる。

「お兄様の承諾も得て参りましょう。不安を残していてはなりません」

「ん。アデルと会うことにしよう」

「オト様が、ですか」

「先の言葉を覆すかのような反応やな」

「約五一年前のご自分のお顔を憶えていらっしゃりますか」

 過去における未来改変をアデルが主導したか探ったときのこと。オトは姿を変えてアデルと会い、悪神討伐戦争当時ララナが出逢ったオトの顔に変化があるか試験した。

「お前さんの記憶は修正されんかった。その結果からしてアデルの関与はないと判断していいと思うが」

「お兄様も混乱するかと思いますので、初見当時のお顔を再現していただきたいのです」

「肝心なのはメリアとの関係やもんね」

 顔云云で時間を割くのは無駄。オトはララナの意見を聞き入れ、姿を再現した。

「どちらさまですか」

「ボケんな」

「問題なく再現していらっしゃりますね」

「少し髪を切った状態ね。魔力還元体質で不老生者ってことくらいは想像できるやろうから、老化はほぼ省いた」

「お兄様もオト様と認識できるでしょう」

「ってことで、早速行くかね」

 四月にはこの家に子どもが集まる予定だ。神界トリュアティアに行き、アデルの承諾を得て準備万端整えてメリアの狂気に向き合いたい。

 

 

 ララナはオトの手を取って、神界トリュアティアに空間転移した。夜に染まった賑やかな町を抜けて門へ行くと、門番天使との挨拶をそこそこに謁見の手続きをした。神の変化の乏しさを顕した白一色の内装を眺めて案内されたのは主神であるアデルの私室。部屋中央のテーブルセット、本を片手に長脚椅子に座っている義兄アデルを前に、ララナとオトはお辞儀した。

「ララナ、オトさん、よく来てくれた」

「お久しぶりです、お兄様」

「ご無沙汰しております。前回は早早の退室、申し訳ございませんでした」

 お詫びもそこそこにララナは切り出す。

「大切なお話がございます」

「オトさんも同伴でなんだろうか。これに座るといい」

 本を閉じると床から生やすようにして作った長脚椅子をアデルが勧めた。

 アデルの斜向いにララナ、向いにオトが座った。

「さて、どちらから話を聞けばいい」

「僕から話しましょう」

 と、オトが進んで口を開いた。「前妻メリア・メークランについて聞きたいのです」

「オトさんからその名を聞くことになるとは思いもしなかった。理由を聞こう」

「結論からいいます。羅欄納さんを助けるためです」

 小首を傾げたアデルに、オトが穿った見方をした。「アデルさんはなんのことか察していますね」

「ララナがメリアの魂を持って生まれたからだな」

 アデルの応答に驚いたララナを横目に、オトが察した経緯を語る。

「昔話です。レフュラル裏国における悪魔襲撃の際、両親がラセラユナさんに預けて羅欄納さんが生き延びられましたが、ラセラユナさんがタイミングよく駆けつけていた理由は」

 親戚夫婦に赤子のララナを届けたラセラユナが実父母と険悪な関係だったとは考えにくかった。夢だったオトとの暮しに仕事に将来、と、考えることが山積みで自身の過去について詳しいことを訊きに行っていなかったララナは師匠ラセラユナに感謝したところで思考を止めていた。オトが考えを巡らせてくれたお蔭で察しがついた。

「お兄様が指示を出していましたか」

「兄弟妹の転生体を追っていたラセラユナさんでも遥か昔に亡くなったメリアさんの魂が死後世界誅棺(ちゅうかん)へ流れたことを前提に注目するのは困難。そこから予告なく飛び出したメリアさんの魂を認識するのはさらに難しい。メリアさんが亡くなった当時、場に居合わせたであろうアデルさんとアデルさんの指示を受けた者でなければ誅棺入りも誅棺脱出も認識できない。なお、誅棺観察は配下の〈知恵者(ちえしゃ)〉が行っていたでしょう」

「オトさんは素晴らしい洞察をする。仰る通りだ」

 アデルの応答で、オトの推測したことが事実と判明した。

「オレはメリアの魂を追っていた。いや、……監視していた」

 ……!

「魂が狂気に染まっていると知っていたから」

「それも仰る通りだ」

 惑星アースでアデルが兄としてララナと生活した真意を、監視という言葉が暴露している。

「お兄様は私を、見守っていたのではなく……」

 そうと判っていたからオトはララナにアデル訪問を言い出したのか。メリアの過去に触れれば、幼い頃の兄妹の思い出に傷が入ると。

 それにとどまらず、アデルの意図の奥までオトが見抜いている。

「狂気を触発した悪神討伐戦争末期に同行していないため監視は一時的です。全耐障壁を授けたとはいえ内的要因で自滅し得る羅欄納さんから離れることができたのはメリアさんの狂気に染まらないと信じたのでしょう」

 オトの推察にアデルがうなづいた。

「誅棺から出た時点である程度の不安は取り除かれていた。あとは、メリアの転生体が幸せであるなら、あるいは、その幸せに貢献できるならいいと考えて昔のように接触した」

 昔のように。どのような生活を営んでいたのか。どのような出来事があったのか。アデルとメリアのそれを聞くのが今回の目的である。動揺はあるがララナはアデルを促す。

「お二人はどのように出逢い、暮らし、結ばれたのですか。そのあと、何が起きたのですか」

 アデルがオトを視た。

「問題を振り返ろう。ララナを助けるためだったな。……オレの見込みが甘かったのか」

 多分の後悔が問にあった。

「それは知っているでしょう」

「……信じたくはなかった。大事ないと判断していたのだ」

 悪神討伐戦争末期、ララナがメリアの狂気に吞まれて暴走したことを。

 その出来事を知る者の多くがララナ本人の罪とした狂気暴走には、自身の判断ミスが大いに影響したとアデルが捉えている。

「ララナに改めて訊く。メリアの狂気を治めるために、過去を知りたいのか」

「……」

 ある頃から感じていたメリアの存在。狂気でしかない存在。そんな存在がまさか自分の中に眠っているなどとは知りもしなかった頃に描いた理想が、ずっと胸にあった。その理想は自らの行動で潰えていた。けれども、圧倒的な力を持つオトの葛藤や苛立ちや悦びや愛情に触れ、殊にメリアとのことは理想を実現したいとララナは思ったのである。

「私の手で守れたものは数えるほどと考えています。手を伸ばしすぎて、腕を擦り抜けていったものばかりだと考えています。ですから、せめて手の内にあるものや腕の中にいるひとは確実に守りたい。大風呂敷を広げず、それでいて、初心に還りたいのです──。可能な限りの手を尽くします。お兄様の話を聞くことを第一歩とします」

「……、……そうか。決意を固めているようだな」

 アデルが両手をぐっと固めて、膝に置いた。

「メリアの魂を、棄てずにいてくれたことを、まず、感謝したい」

 そう言って頭を下げたアデルが、「だが」と、顔を上げて、ララナの目を視た。

「恐らく、狂気を治めることはできない」

 アデルを見つめ返し、ララナは改めて問う。

「メリアさんの狂気をオト様と治め、救います。どうか、過去を教えてください」

「話したくないなら構いません」

 静かに決然たるオト。「命が懸かっている。承諾なくとも調べますので悪しからず」

「強い姿勢だ……」

 アデルが苦笑して、次には微笑む。「オトさんに取ってララナが、ララナに取ってオトさんが、大きな支えになっているということだな」

 過去を話すか否か。しばらくしてアデルが口を開いた。

「メリアの狂気は、オトさんが推察した通り、『生前のもの』というのが重要だ。死んだことや死の要因が魂に悪影響したということではないんだ」

 ……どこか、話が違いますね。

 夫であったアデルには訊くまいとして真相を確かめてこなかったが、ララナが神界を巡るうちに聞いた話ではメリアの狂気は後の悪神総裁ジーンに殺害されたことによる。アデルの話とはかなりの相違がある。

 立ち上がったアデルがドアへ向かう。

「長い話になる。予定をキャンセルしよう。エノン」

「はい。ご用命は」

 門番天使ことエノン・ハンニウェアが入室し、「予定のキャンセルと仰ったようですが」

「これより宮殿内に誰も入れるな。また、部屋に誰も通さぬように」

「承知しました」

 エノン・ハンニウェアがお辞儀して退室、ドアが閉まると、アデルが窓際へ向かった。決意しても口を開くのが難しかったことを、沈黙の時間から察した。

「……神界の中でも要衝として機能する神界三〇拠点しんかいさんじっきょてんの一つトリュアティア、同じく神界三〇拠点の一つメークラン。二つの神界は、〈灼熱(しゃくねつ)大地(だいち)〉こと創造神アースに選ばれた主神、オレとメリアによってそれぞれ治められていた。現代から約一五億年前のこと。主神となる前のオレとメリアは出逢うべくして出逢った──」

 

 

 無限に続く闇の中のような、逆に、壁に塞がれて行場(ゆきば)がないかのような、不可思議な場所の、声高らかな青年の前であった。

「さあ、我が子らよ。貴様達には主要な星を委ねよう。己が気の赴くままに治めてみよ」

 生まれたばかりとて、アデルとメリア、それからほか九名のキョウダイは青年こと創造神アースに創られたがゆえに無知でなく、言葉を解することに難がなかった。

 一番に行動したのは長姉キルアであった。

「気の赴くままって、テキトーにやっちゃっていいの」

「ああ、構わぬ、好きにやれ」

 と、創造神アースが応じた。これが父親の姿勢か、と、アデルは思うも反対意見を述べる者がおらず特に意見したいこともなかったので口を閉じていた。

「じゃ、その星とやらに案内してよ」

 と、言ったキルアに応えたのを皮切りに、創造神アースがにこやかに、また声高に、状況を吞み込んだ各人を空間転移させてゆく。

 その様子を、消極的または慎重な姿勢で遠目に観ていたのは、アデル、メリア、ジーン、アリスの四人であった。生まれたばかりなのに不思議なものだが、顔・名前・立場の認識が一致しており会話も自然と始まっていた。

「──、アデルよ。貴様はトリュアティアを治めるという話になっている。受け入れるのか」

「知らぬ。オレはただ敵を駆逐できればそれでよい。治める云云に興味がない」

 ジーンの問に、アデルはまじめに不誠実だった。

「あの、アデルさん」

 メリアがおずおずと口を開いた。「敵というのは、なんですか。魔物、とか」

「知らぬ。トリュアティアを襲う者なら全てだ」

「役目を担うつもりはあるんですね」

 と、メリアが苦笑するので、アデルはまじめに睨んだ。

「文句があるのか」

「い、いいえ、その……」

「アデル、そう見つめてやるな。貴様は目つきが悪い。威嚇しているようにしか観えない」

「黙れ。〈キーリア・アシエント〉行きのお前にいわれる筋合はない」

 悪神の軍であるキーリア・アシエントをキルアとともに纏めることが決まっていたジーン。善神が暮らすトリュアティアの主神となることが決まっていたアデルに取って、ジーンは既に敵の一人という認識であった。

「ふっ、……貴様は、創造神アースのいい手駒だな」

「どういう意味だ」

「理解できないのは、貴様が愚かなのだ。そういう摂理なのだろうがな」

「……」

 愚か。弟からの明らかな侮蔑の言葉に、アデルは悔しさを感じなかった。

 現代から振り返るなら、この当時のアデルはジーンの言う通り、創造神アースの手駒でしかなかった。善神と悪神の対立構造になんの疑問もいたかず、創られた意志のままに語り動いていた。己のものと疑わない意志が己の正義を成すものと信じていた。

「ではな。兄として尊敬はできぬが、達者でやれ」

 と、ジーンが手を振り、消極・慎重組で最初に場を去った。

「貴様達は行かぬのか」

 創造神アースが手招きした。「責任放棄もいいがな、ここにいても何もないのは確かだ。何せ我が何も創っていないのだからな」

 何がそんなに愉しいのか、声高だ。アデルは創造神アースに反感を持っていた。

 地面も碌に捉えられない不可思議空間は、創造神アースの言葉を裏づけている。アデルは壁ともつかぬ黒い背景に背中を預けて言った。

「メリア、アリス、お前達はどうする」

「あでるさんは」

 と、アリスが窺う。「神界三〇拠点の中でも随一の要衝として創られたトリュアティアに行かないなんてことはないんですよね」

「ああ、行く。だが、どうもな」

「気乗りしないんですか」

「自分でも解らぬ。妙な心地だ」

 新たな地でやってゆけるかとか、主神を担えるか不安だとか、そういう気持ではない。あたかも経験済みかのように仕事の内容が頭の中に入っており不安は皆無。だが、自分の意志と立場に齟齬を感じている。

「その気持、なんとなく解ります」

 と、メリアが言った。「なんなんでしょう、この感覚。主神となることが決まっている。家族や配下のひと達の顔も名前も知っている。仕事の内容も、これからやるべきこともなんとなく。なのに、わたしがわたしの意志でそれをやってきたとか、わたしの意志でそれをやりたいとか、思っていないような気がして……」

「そうなのか」

「あ、あれ。アデルさんは違うんですか」

 感覚のずれがあったことにメリアが驚いた。

 そんなメリアにアデルは驚かされて、自分の感覚を伝える。

「オレはトリュアティアの主神に就く。それはオレの意志でやることだ。が、お前も感じているだろう、主神の仕事は統治であって外敵の駆逐ばかりではない。敵性排除をしたいオレの配置が不適当という話だ」

「外敵排除以外はしたくないんですね」

「オレは戦闘に向いている。それだけだ」

「アデルさん……」

 その目差は哀れみか。なんの哀れみだ。その目を避けるようにしてアデルは歩き出した。

「埒が明かない。オレも行く」

「……気をつけて」

 と、メリア。それまで誰にもそんな言葉を投げなかったのに。

 アデルは少し振り返って「お前もな」と空間転移に身を委ねた。

 そこは夜闇の自然界。植物がなく凍てついた広大な土曝しに、アデルは足をつけていた。

「トリュアティアだな」

 記憶通りの場所だ。創造神アースがトリュアティアを創り、遍く知識とともに景色の記憶もアデルに与えたのだ。同じように、この神界に住む者はアデルの顔を知り主神と仰ぐ。見たこともない相手を信奉するなど不気味だが事実は事実。否定したところで先に進まない。

 不可思議な現実を普通のこととして受け入れたアデルの前に記憶にない一体の竜が現れた。最初からそこにいたかのように巨体とは思えぬ動きで翼をふわりと折り畳んで地に降り立っているので創造神アースにゆかりがある者と判断できた。

「失礼します。不才(ふさい)地竜(ちりゅう)といいます。わけあって手を取り合える仲間を探しています」

「あいにくやるべきことにも着手していない身でな、力になれそうにない」

「重ねて失礼を。ほかのひとを当たりましょう」

「互いにやるべきことの多そうな身だな。お前も励むがいい」

「あなたも。それでは」

 土埃もほとんど立てずにふっと飛び立つ身のこなし、瞬く間に点となり消失する飛行速度。

 ……底知れぬ力を感じた。可能なら戦ってみたかったものだな。

 アデルは道草せず歩き、遠目にしていた集落に到着、さらに北へ進んで〔神界宮殿建設予定地〕の看板がある小高い更地に辿りついた。メリアも言っていたようにやるべきことが判っている。今まではこの看板を求めて歩いてきたと言ってもいいくらいにそれしか考えておらず、次にやるべきことは看板を見てすぐに判った。

「ふっ──」

 地に手をつけ、神界宮殿を構築する。地中からごごごっと筍のように伸びた白一色の神界宮殿はまこと夜闇を貫く光。集落のひとびとの目に留まり、あっという間に人集りができた。神界宮殿を一瞬のうちに建てる圧倒的魔力と技術を示し、ひとびとを引きつけたのである。それが永遠のカリスマ性を顕す主神として、初めての仕事であった。

 ひとびとを引き連れて神界宮殿の中へ入ると、宮殿内部の造形美を鑑賞して上階へ向かう。内装はアデルの意のままに作り変えることができる、と、最上階である二〇階に到着するまでに何度か実演した。ひとびと、とは表現するが神界に住んでいるのでみんな(かみ)という種族である。ただ、アデルのような強大な魔力もなければ魔法も持っておらず人間とさして変わりない〈一般神(いっぱんじん)〉である。最上階にある謁見の間に到着すると彼ら一般神が口口にアデルを称賛した。やれ素晴らしい魔力だ、やれ美しき風貌だ、やれトリュアティアは安泰だ、エトセトラ、エトセトラといったふうに聞き飽きるほどであった。

 ……何をいまさら。オレが主神と知っていたであろうに。

 目にする前から。わざわざ称賛する理由はなんだ。主神を仰いでいると示すためか。敬神の意志を示さねば恩恵に与れないとでも思っているのだろうか。

 ……一般神、力なき者達だ。

 平凡な思考しか持たない矮小な存在だとしても、そこから何が生まれるかは未知数だ。未知を生み出し得る彼らを守るためにアデルは存在する。そのために主神となり敵性排除に限らずあらゆる仕事をこなすことが決まっている。

 アデルは玉座の前に立ち、創造神アースを真似して声高らかに告げた。

「本日は宴だ。これよりオレの導くトリュアティアの栄華をともに祝おうぞ。食に携わりし者は存分に腕を揮うがいい。相応の褒美をやる」

 正当な仕事に相応の褒美をもらえばひとは自信を持ち世界維持に意欲を燃やせる。神界宮殿を作るとともに玉座脇に掘り上げていた金塊を示して料理人を雇ったアデルは晩餐を速やかに開催し、集まったひとびとを一層に引きつけた。

 アデルは料理を前に玉座から動くことなく、ひとびとの観察に時間を割いた。自分が守るべき存在、その顔と魔力を全て憶えた。個人を把握できるようにしたのは先のことを考えていたのではなく、そうすべき、と、やっただけだ。

 晩餐が終りに差しかかったとき、アデルの前に一人の女性が歩み出た。

「お初にお目に掛かります、主神アデル」

「愉しんでいるか」

「勿論。ワタクシ、スライナといいます」

「何が目的だ」

「あら、警戒心のお強い方ですのね」

「違うな」

 アデルは、スライナを観た。「お前はつい先程ここへ忍び込んだ」

「人聞きが悪いですわねぇ、宴の最中もひとの出入りはたくさんあったじゃありませんか」

「そうだな、一般神ならいい。が、」

 アデルは神界宮殿を建てる前、集落の一般神も漏れなく憶えた。「お前はいなかった」

「家にいただけで存在を否定されてしまうだなんて悲しいですわ」

「安心しろ。屋内の魔力も細大漏らさず把握している。お前はどこにもいなかった」

 アデルとスライナのやり取りを伺っていた一般神がにわかにざわついた。

「騒ぎになってしまったかしら」

 あでやかなスライナ。身動きせずとも人目を引いている。

「オレを籠絡するつもりだったか。残念だったな」

「違いますわ」

 色香漂う声でスライナが否定した。「ワタクシの目的はあなたの配下になること。記憶が、そう示していますのよ」

「なるほど」

 創造神アースに創られた者の中でもスライナはアデルの配下としての役目を与えられたということであろうが、「この場で信ずることはできぬな。お前は監視下に置く」

「構いませんわ」

「うむ」

 アデルは玉座を立ち、「力に自信がある者は集まるがいい。神界宮殿及び集落警備の任と、相応の報酬を与える。中でも優れし者はこのスライナの監視につける」

 アデルの一声ですぐ集まった力自慢。競って序列がつくのもすぐのことだった。

「カリスマですわね」

「当然のことだ。これがオレの役目なのだからな」

「そうですわね」

 スライナが微笑し、「このひと達、ワタクシが指揮してもいいかしら。こう見えて指揮能力には自信がありますわよ」

「何をいっている。お前の監視員も入っている」

「あら。じゃあ、信用を得られるように頑張りますわ」

「お前にやる仕事はない。地下牢に入れておけ」

 集まった強者がスライナの背を押した。

「さあ、行くぞ不審な女」

「あらら、解りましたわよ。押さないで。ちゃあんと歩きますから」

 崩れぬ微笑を三名が護送すると、残された者にアデルは神界宮殿と周辺地域の見回りなどを命じた。

 ……スライナか。妙な輩が入り込むものだな。

 創造神アースの差し金とは明白。役に立つ人材は使うが言葉にした通り彼女に仕事を与えるつもりはない。敵性なら創造神アースとて排除する。

 ちょっとした武道会を挟んで晩餐が終わり、片づけに入った一般神を見守っていたアデルの前に、次は少年が現れた。この少年も最初は集落にいなかった。晩餐の途中から入り込んだその風貌には大きな特徴がある。

「初めまして、アデル様」

「背中の翼。お前は天使だな」

「はい。創造神アースの指示でアデル様を伺いました」

 ……また父が。

 単純なお膳立てと考えられないから不信感をいだいてしまう。スライナに続いていったいなんの目的か、と。

「名はなんという」

「失礼しました。エノン・ハンニウェアといいます。是非、ぼくを取り立ててください。お役に立ちたいんです」

「役、か」

 アデルは問う。「──なんでもやるか」

「はい。あ、いいえ」

 エノンが一つ断った。「ぼくは、人殺しだけはしたくありません。ひとびとを守りたいんです」

「(父の差し金ゆえ、演じているとも、芯が硬いとも。もう一つ正直を試そう。)よかろう、安月給だが西部門番を命ずる」

「っありがとうございます!」

 心からの笑顔だった。

 神界宮殿を訪ねる者を足止めし、必要に応じて事務作業を行う地味で大変な門番の仕事。先程集った強者の一部にもそれを命じたが、多くがアデルの側近を熱望していたために嬉しそうではなく、また、最前線で戦えないことにがっかりしていた。

「ついでだ、見渡せる限り門周辺の掃除もしておけ」

 と、アデルは試しに箒を投げ渡したが、エノンは受け取った箒を大事そうに抱えて、

「任せてください」

 と、笑った。

 ……エノンに関しては、信用してもよさそうだ。

 神界宮殿を出入りする者の身許確認や持物チェックなど門番の平常業務はやはり地味。だが有事となって万一防衛戦や籠城戦となれば極めて重要な防衛戦力となる。

 ……筋肉のバランス、魔力の強さ、何より、このエノンは力を秘めている。

 創られたのは今日だろうが、筋肉のバランスは創造神アースのエノンに対する熱意の良質さを示している。また、天使の中でも一部の者しか使えない先天性魔法〈聖裁(せいさい)〉の力がエノンにはあるようなのだ。普段は閑職である門番となっても修業を欠かさないと見込めることや、いざというときの戦闘能力も期待できる。門番に適任だ。

「では早速、清掃任務に参ります。失礼します」

「うむ」

 お辞儀したエノンが走り去った。

 晩餐に参加していた一般神を案内係に任命したアデルは、集落へ視察に出た。創造神アースの空間転移で訪れたときに気づいたがこの神界は寒い。また、日中は暑くなる。創造時の設計であることは未体験の日中に関する記憶からも想像に固いが、問題は創造神アースの設計云云ではない。

「大地は、いつもこうなのか」

 メインストリートを歩いて一般神に訊いたのは、足下、乾ききった地面のこと。

 一般神の一人が申し訳なさそうに言う。

「すみません、寒いですか。トリュアティアの夜は年がら年じゅうこんな感じで……」

 トリュアティアや一般神が創られてから太陽が昇ったことがあったか疑わしく、多くの月日を経てはいないだろう。年がら年じゅうと一般神が表現したのは創造神アースが「年がら年じゅう夜は寒く昼は暑く大地が乾ききっている」とトリュアティアを設計し、一般神にその記憶を与えたからにほかならない。

 アデルもそうであるようにこの世界は作り物、謂わば箱庭だ。が、アデルは息をし、生きている。一般神もそうだ。寒さ・暑さを感ずれば疲労する。疲労は体を弱め、心を折る。申し訳なさそうにしているのが設計による態度だとしても、アデルを心配する気持もあれば、不都合なこの土地に不満が湧くこともあるということだ。

 アデルは、一般神に応ずる。

「構わぬ。お前達はどうなのだ」

 アデルを筆頭とする神界宮殿が治める、と、大仰に言ってもトリュアティアは人口八〇〇人強の小さなコミュニティであった。長たるアデルの陣頭指揮で変化してゆくが、アデルは自分が戦闘特化であることを知っているし、ここに至るまでは敵性排除のみをしたいと本気で思っていた。知性などほとんどない。困っている一般神がいると聞いて(救わねば)と自然に思ったのであるがどうすればいいかとんと思いつかなかった。それならまずは困っている一般神の素直な意見を聞く。聞いているうちに解決策が浮かぶこともあるだろう。箱庭ゆえか行き当りばったりにならざるを得ないが立ち止まっているのは性に合わない。

「お前達はこの大地で暮らしていく。オレもそうだ。果してここは住みよい場所か」

「……恐れながら、アデル様、作物がほとんど育たず大変です」

 罅割れた大地に種や苗を植えても育ちそうにない。集落に辿りつく前も草木は見当たらなかった。土地が痩せていると嫌でも解る。

 ……妙だな。

 与えられた知識通り、トリュアティアは自然魔力の濃度が高い。晩餐で出された料理の数数を振り返れば一定の作物や家畜が育つ土壌も存在しているだろう。が、探知した魔力を分析してみると、水属性魔力が極端に少なく、取水できる水源と思しき場所は一箇所しかない。

 ……民に噓の色はない。オレが記憶や知識の見落としている。いや、それはない。

 創造神アースに与えられたトリュアティアに関する記憶を何度振り返っても、水源に関する記憶がすっぽ抜けている。

 ……父よ、どういうことだ。

 主神として働くようアデルを創ったのに情報を漏れなく伝えなくてどうする。解決策へ導く知識もそうだが、まさか創造神アースは記憶を与えなかったのか。意図はなんだ。試験か。

 ……まあ、よい。水源問題は解決せねばならぬ。

 続いて農場や牧場を視察、水がほとんどないことを確かめて、探知の答合せをかねて、

「最も大きい水源へ案内しろ」

 と、アデルは命じた。

 凍えながらも案内してくれた一般神の努力の傍で、アデルは密かに落胆した。

 ……目にしてより明白となった……馬鹿な。これが、トリュアティア最大の水源だと。

 星が約二二・五度傾く頃、辿りついた。それは、たかだか数十メートルの丘〈ラスタ(きゅう)〉から生じた岩清水。日中に蒸発したのか下流は川にすらなっていない、現在は凍りついて汲むこともできないこれが、トリュアティア唯一・最大の水源だと言うのだ。

「トリュアティアは乾季にでも突入しているのか」

「いいえ、あの、これが普通でして……」

 ……普通、だと。

 見渡す限りの荒野。この岩清水とそれによって生じた小川のほかに水が見当たらなかった。零下の気温なのに、大気中の水分が少ないせいかアデルは喉が渇いている。

 一般神も同じような状態なのに、それを普通と言った。

 ……父よ。あなたというひとは、なんと愚かなことを。

 眉を集めるしかなかった。

「あ、アデル様、すみません、このような川しかなくて……」

「お前達が悪いのではない」

 気を害したと思わせてしまったか。アデルは眉を離して一般神を労う。

「案内ご苦労だった。宮殿へ戻る。此度の労に金塊で報いよう」

 遅蒔きの説明ではあるが、一般神が用いる金貨や銀貨と比較して金塊には五〇から五〇〇倍の価値がある。一般神が安堵の表情を見せ、帰途を先導してくれた。アデルはその背を追いつつ己の無知をいたく嚙み締めていた。

 ……新たな水源を見つけるほかなかろうが、どうすれば探せるのか。

 帰途、広く魔力探知を掛けてみた。一般神の目や認識から零れた水源があるのではないかと可能性を探るも、めぼしい水属性魔力を探知することができず、岩清水で成る〈ラスタ(がわ)〉しか水源がないことが明白となった。水属性魔力がなければ雨が降らない。トリュアティアの人口が少なくても不老である神神の命綱とするにはラスタ川は痩せすぎている。金塊では命を繫げない──。

 アデルは神界宮殿に戻るとエノンを始めとする強者に警備を任せ、トリュアティア全土を駆け巡った。ひとえに水源を探すためであった。

 

 

 アデルの話を聞いてララナはつい首を傾げた。

「メリアさんが出てきたのは最初だけでしたね」

「気が早い」

 とは、オトの苦言。「アデルさんは順を追って話しているでしょう」

 当時を思い出すように、アデルが窓に手をついて夜空を見上げていた。

「オトさん、フォロ感謝する。この話を早く済ませてしまいたい気持がないわけではないが、無関係ではないのだ」

「とのことです。羅欄納さん、気長に聞きなさい」

 暴走を食い止めるためオトが分身を放ってくれた当時、弱体化に追打ちを掛けて魂器拡張を拒む力と自由を奪ってしまったことを、ララナは忘れたことなどない。

 ララナは反省した。メリアの狂気を治めるための説得あるいは説諭を失敗しないためにはアデルの話をしっかり吞み込む必要がある。オトがいて今すぐ暴走するということはないので気長に話を聞こうとは思うものの気が急いてしまっていた。

「中断させて申し訳ございません。続きを聞かせてくれますか」

「ああ。……お前の気は解っているつもりだ。ゆえに省けはしない。しっかり聞いてくれ」

「はい──」

 まだまだ長い話であった。席を寄せて手を握ってくれた鼓動に心を落ちつけ、ララナは前を向いた。

 

 

 

──始章 終──

 

 

 

 

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