モフモフの呪いを受けた騎士は、王女の愛に救われる
これは、呪われた一人の騎士と、一人の姫の物語。
レオン・アークライトは、かつて王国にその名を知られた若き騎士だった。
強さ、気高さ、忠誠心──
どれを取っても非の打ち所がない、誇り高き男。
だが彼には、誰にも言えぬ秘密があった。
異国の戦場で受けた呪い。
それは──
「女性に触れられると、モフモフの小動物になってしまう」という、奇妙かつ屈辱的なものだった。
──誇り高き騎士が、ふわふわの小さなモフモフに変わる。
その姿を見た人々は、最初こそ無邪気に笑った。
「かわいい!」
「珍しい!」
「なにこれ、抱っこしたい!」
無遠慮に伸びる手。
悪気のない笑顔。
だが──
誰もが、レオン自身を「人」として見ようとはしなかった。
珍しいものを見た子供のような目。
おもちゃを欲しがるような手。
それらは、レオンの誇りを何度も踏みにじった。
恐れられるより、憐れまれるより、辛かった。
「存在」を軽んじられる苦しみ。
レオンは、やがて人を避け、心を閉ざしていった。誰も近づけないよう、冷たく、無愛想に。人々も彼を恐れ、避けるようになった。
──そして、彼は孤独になった。
それでも、王への忠義だけは捨てられず、城に留まり続けたレオンに一人の少女が近づいてきた。
王国第三王女、アリシア・グランフィリア。
美しく、聡明で、なにより人をそのまま受け入れる心を持った女性だった。
「あなたが、レオン・アークライト様ですね?」
初めて出会った日、彼女は輝くような笑顔を向けた。それは恐れでも、興味本位でもない、ただまっすぐな親愛と敬意に満ちていた。
──どうして、この人は俺を怖がらない?
戸惑いながらも、レオンの心は静かに、温かく揺れた。
初めて出会った日から、城内でアリシアを見かけるたびに、レオンの胸は不思議と温かくなった。
気づけば、彼女の姿を探す自分がいて──それが恋なのだと、レオンはまだ知らなかった。
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そんなある日、王都に戻っていた貴族カイ・アルスハルトが、アリシアに接近してきた。
カイは、王族との繋がりを持ちたいと考え、堂々とアリシアに告白する。
「アリシア様。どうか、私と共に未来を歩んでいただけませんか?」
しかし、アリシアは柔らかくもはっきりと断った。
「申し訳ありません。私の心には、まだ誰もいないの。……そして、あなたにも応えられないわ」
カイの顔に一瞬、薄暗い怒りが走った。
だが、彼は笑顔をすぐに作り直した。
「では、せめてお友達として、森を散歩しませんか? 今日、特別な花が咲いている場所があるんです」
怪しい誘いだった。
だが、王城の敷地内であり、護衛も近くに控えているなら大丈夫だろう。アリシアは慎重に考えた末、うなずいた。
「……わかりました。少しだけ、ね」
そうして、アリシアはカイに連れられ、森の奥へ向かった。
だが、護衛たちの目をかいくぐり、カイはアリシアをさらに深い森へ誘った。 そして、人目のない場所まで来ると、彼は豹変した。
「アリシア様、あなたは俺のものだ。誰にも渡さない!」
カイは狂気じみた目でアリシアに迫った。
アリシアは即座に後退る。
「やめなさい、カイ!」
だが、カイはアリシアの腕を掴み、無理やり引き寄せようとする。 抵抗する彼女の声は、森の奥に吸い込まれ、助けを呼ぶこともできなかった。
(誰か──!)
アリシアは必死に叫び、もがいた。
そのとき──
「アリシア様ッ!!」
森を裂くような叫びと共に、レオンが現れた。
その顔は普段の冷静さを捨て、怒りと焦りに満ちていた。
レオンは剣を抜き、カイに突きつける。
「その手を離せッ!」
カイは驚き、アリシアから手を離した。
レオンはすぐにアリシアのもとへ駆け寄り、彼女を抱きとめた。
「大丈夫か……!」
無我夢中で、アリシアの体を抱きかかえる──
その瞬間。
──ピカーンッ!
眩い光が二人を包み、レオンの体がふわりと軽くなった。
次の瞬間……
レオンの体は、ふわふわの銀色の毛に包まれ、丸っこく小さな姿になっていた。
ぴんと立った三角の耳、つぶらな琥珀色の瞳。ふさふさとした尻尾が背中から覗いている。
体は手のひらに乗るほどのサイズで、ふかふかとした毛並みはまるで最高級の羽毛のようだった。
見る者の本能をくすぐる、思わず抱きしめたくなる可愛らしさだった。
アリシアは驚きのあまり、言葉を失った。
「レ、レオン……?」
レオンは、モフモフの体でうなだれた。
こんな形で、自分の呪いを知られてしまうとは──!
「驚かせて、すまない……! だが、君を救いたかったんだ……!」
震える声で、レオンは言った。
そんな彼を、アリシアはそっと抱き寄せた。
「ありがとう、レオン。……あなたがどんな姿でも、私は、ちゃんと『あなた』を見ています」
その一言が、どれほどレオンの心を揺さぶったことか。
それから、ふたりは少しずつ距離を縮めていった。
レオンが無愛想に突き放しても、アリシアはにっこりと笑った。
モフモフになってしまっても、アリシアはそっと隣に座った。
──彼女は、ただ、ありのままのレオンを見てくれた。
それは、レオンにとって奇跡だった。
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そして、二人にとって運命の夜が訪れた。
満月の静かな夜、森の湖畔。
アリシアは、レオンの前に立った。
「レオン様……」
小さな声。
でも、揺るぎない意志がこもっていた。
レオンは、無意識に一歩後ずさった。
怖かった。
また触れられれば、モフモフに変わるかもしれない。今度こそ、彼女まで失ってしまうかもしれない。
──そんな恐怖が、体を縛りつけていた。
だが、アリシアは、無理に手を伸ばさなかった。そっと、胸に手を当てると、真っすぐな瞳でレオンを見た。
「私は、貴方のすべてを愛しています」
その言葉は、澄みきった湖面のようだった。
偽りも、打算もない。ただ、心からの想い。
「どんな姿でも、どんな呪いに縛られていても、私は変わらず、貴方を愛しています」
レオンの胸に、温かいものがじわりと広がった。
心の奥深くに隠していた痛み。
凍てついていた孤独。
それらが、アリシアの言葉に、少しずつ溶かされていく。
──信じてもいいのか?
震える心で、レオンは自分に問うた。そして、決めた。もう、逃げない。アリシアの愛を、信じると。
「……触れても、いいですか?」
アリシアが、そっと問いかける。
レオンは、小さく、けれどはっきりとうなずいた。
アリシアの手が、そっと、レオンの頬に触れた
──ピカーンッ!
まばゆい光が、二人を包み込む。
レオンの中に絡みついていた呪いの鎖が、音もなくほどけていく。
恐怖も、痛みも、孤独も── すべて、アリシアの愛が溶かしてくれた。
そして……
光の中から現れたのは、モフモフの姿ではなく、漆黒の髪と鋼の瞳を持つ、誇り高き騎士の姿──本来の、レオン・アークライトだった。
「……アリシア」
レオンは、涙ぐむアリシアをそっと抱きしめた。
「君だけが……俺を救ってくれた」
アリシアは微笑み、彼にぴったりと寄り添った。
「おかえりなさい、レオン様」
満月の光が、優しく二人を包み込んでいた。
──こうして、モフモフの呪いは解かれた。
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それから数日後。
王城の庭園に、花が咲き乱れる季節。
レオンは、アリシアを呼び出した。
騎士団の制服ではなく、きちんとした礼装を身にまとった姿で。
「アリシア」
レオンは、真剣な眼差しで彼女を見つめた。
「俺は、ずっと孤独だった。誰にも、必要とされないと思っていた」
アリシアは静かに聞いていた。
「でも……君がいてくれた。君が、俺を救ってくれた」
レオンは真剣な眼差しでアリシアを見つめ、後ろに隠し持っていた花束を差し出す。
その中には色とりどりの花々が混ざり合っていた。彼の手元で目を引いたのは、ひときわ美しい一輪の白い花だった。
そして、レオンは片膝をついた。
「アリシア・グランフィリア。俺と共に人生を歩んでほしい」
レオンの声は、震えていた。
怖い。
拒まれるのが、怖かった。
でも、アリシアだけには、この想いを伝えたかった。
アリシアは、ふわりと笑った。
それは、レオンが生涯忘れることのない、最も美しい笑顔だった。
彼女は微笑みながら、その花束の中から、一番美しい花を手に取り、彼の胸ポケットにそっと差し込んだ。
「はい、喜んで」
笑顔の中にも、涙をにじませながら、アリシアは手を差し出した。
レオンは、その手を取った。
もう、何も怖くなかった。
この温もりがあれば、どんな運命でも乗り越えられる。
──そしてふたりは、永遠を誓った。
青空の下、風が祝福するように吹き抜けた。
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