第35話 夢か現実か……
いつかどこかで……?――(尚美の場合)
ニュースを見ていたら、ストーカー行為で逮捕されたという男の写真が画面に映し出された。その顔を見て、尚美はドキッとした。
――いつも電車の中で、こちらをじっと見ていた男だ。やはり気のせいではなかった。
あのまとわりつくような視線が嫌で、尚美は電車の時間をずらすようにしていた。けれど、しばらくするとまた同じ電車でその男に出くわした。男は尚美を見て、ニヤッと笑った。ぞっとするような恐怖を覚えた。
画面のアナウンサーが、男は数年前に起きた電車事故にも関与している疑いがあると伝えていた。事故当時、現場を目撃していた男性が名乗り出たのだという。
(怖っ……!)
あの男が、まさか何かをしたのだろうか。そう思うと背筋が凍る。でも、逮捕されたということは、もう2度と会うことはないということだ。
(よかった……!)
ほっと肩の力が抜けると同時に、尚美の頭に、誰かと話している自分の姿が浮かんだ。
――あなたの婚約者は、その男から逃れようとして足を滑らせたとか……?――
それは尚美自身の声だった。誰と?どこで?そんな会話を?ここ一年ほど、どこかの店に通っていたような記憶がある。そう思った瞬間、コーヒーの香ばしい香りがふっと鼻先をくすぐった。頭の中に、見知らぬカウンターでコーヒーを飲みながら話す自分の姿がぼんやりと浮かぶ。
でも、それがどこなのか思い出せない。夢で見たのだろうか?そもそも尚美はコーヒーが特別好きというわけでもない。わざわざ店に入ってまでコーヒーを飲むようなこともない。そういう記憶もない。
なのに――なぜだろう?
その光景は妙にリアルで、まるで何度もそこを訪れていたかのようだ。けれど、もし本当に何度も通っていたのなら、忘れているはずがない。なんだか、おかしな感じがする。
(変なの……)
そして数日後。尚美は、あの事故があったという駅のホームに立っていた。ここから落ちた女性はあの男から逃げようとして弾みで線路に落下したらしい。事故だったとも言える。でもその事故の原因を作ったのは間違いなくあの男だ。
(もしかしたら、自分も同じ目に遭っていたかもしれない……)
そう思うと、ここから落ちた女性がどれほど怖かったか、どれほど悔しかったか、胸が締めつけられた。目頭が熱くなる。尚美は静かに手を合わせた。
――ありがとう――
どこからか、そんな声が聞こえた気がした。
(えっ?)
思わず辺りを見回すと、すぐ隣に立っていた男性と目が合った。以前どこかで会ったことがあるような、不思議な既視感があった。すると男性が口を開いた。
「……あの、もしかして葵の知り合いですか?」
「あ、えっと……いえ」
「すみません。今、手を合わせておられたように見えたので……」
「その、葵さんという女性は……ストーカーに追われて、ここから落ちた方ですか?」
「はい……僕の婚約者でした」
「そうだったんですか……。実は私も、あの男とよく電車で会っていて……ずっと気味悪く思っていたんです。だから、なんだか他人事とは思えなくて」
「……あなたも、そうだったんですね」
男性はうつむき、線路を見つめた。その表情からはあの男に対する憎しみと憤り、そして落ちだ女性への深い憐憫が浮かび上がっている。尚美も視線を同じ場所へ落とす。
「あ、あの、前にどこかで……」
2人同時に、同じ言葉を口にして、顔を見合わせた。なぜかわからない。でも、とても不思議な感覚だった。
「変な話なんですけど……カフェみたいなところで、彼女のことを女性と話した記憶があるんです。その女性が、あなたのような気がして……」
「私も……!でも、カフェなんて行った覚えないんです。けど、なぜかカウンターでコーヒーを飲んでいる自分の姿が思い浮かんで……不思議ですよね」
「本当に……僕も同じなんです」
2人は首をかしげた。これは何なのだろう。デジャヴか? それとも――。
でも、そのカフェがどこにあるのかも、いつ行ったのかも思い出せない。そもそも、本当に存在するのかさえわからない。
夢か現実か。もしかしたら、あのカフェは――異次元への扉だったのかもしれない。
そんな事あるはずがないのに――。
終
お読みいただきありがとうございます。
こちらは短編連作となります。
こちらのお話しは第7話「視線」、第12話「疑惑」、第19話「偶然」、第22話「私を殺した男」と繋がっています。
また第9話「人影」、第14話「罪の意識」、第32話「何もしていない」と関連があります。
合わせてお読みいただければ幸いです。
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