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RIVER-SIDE-CAFE   作者: 麗 未生(うるう みお)
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第3話 忘却の人

「夫」というより「主人」――(志保の場合)

 最近の私の日課は散歩から始まります。朝起きて、まず、家の近所を1時間程かけてゆっくりと歩いて回るのです。長年、連れ添った夫が昨年他界しました。夫婦仲は良くも悪くもありませんでした。でも近所ではおしどり夫婦だとよく言われていたようです。まあ、人は勝手な想像でいろんなことを言いますからね。実際、取り立てて喧嘩をした事もなく平和な毎日でした。子供は男の子が3人、今はもうみんな独立して家庭を持っています。孫も全部で5人います。

 

 孫は可愛いとは思いますが、正直子守りをさせられるのはご免被(めんこうむ)ります。斐甲斐しく面倒を見ている友人などを見ると感心するのと同時に、不思議に思えてしまう有様です。何が悲しくてこの歳になってまで子供に振り回れなければいけないのか、と。息子達家族と仲が悪いわけではありません。嫁達ともお互い干渉しない適度で良い距離を保っていると思っていますので孫や息子達の家庭事情に口出す気もさらさらありません。嫁だってその方が楽に決まってます。その代わり困った時だけ頼ってくるなよ、とは思っていますが。こういうのを冷めている、とでもいうのでしょうか。

 

 散歩道の途中に、小さなカフェがあります。随分と前からあったようですが気が付きませんでした。散歩を始めなければ、ずっと気がつかないままだったかもしれません。

 

 主人が死んだとき、私は心の片隅でホッとした事を覚えています。勿論、息子達にそんな素振りは微塵も見せていません。彼らは母親像というものを勝手に描いていますから。私もそれに応えるべく合わせてきましたので、私を良妻賢母だとでも思っているのでしょう。時々そんな理想を嫁に押し付けていないかと気になる事はありますが、それも口にはしません。余計な事は言わないに限ります。私は争わず自分が心穏やかに過ごせればそれでいいのです。

 

 主人はどちらかと言えば亭主関白でした。でも横暴と言うほどの物でもなく、我慢できないという事もなかったので、適当に合わせていました。揉めても楽しくありませんからね。ただ、夫という言葉よりは〝主人“という言葉の方が私にはしっくりくるのです。それでも3年前、主人が脳梗塞で倒れ、半身不随となった時は絶望しました。勿論、不自由な体になった()()()()()()()()、ではなくこの人の世話をこれから一生看なくてはいけないのかと、自分のこの先の人生を嘆いたのです。

 

 まあ、それでも昼間はヘルパーさんが来てくれて、思っていたよりは大変でもありませんでした。主人も自分が動けない事に引け目を感じていたようで、それほど我儘を言う事もありませんでした。それは、私としてはちょっと意外でしたけれど。もっと、横柄になると思っていましたので。


「ありがとう」


「すまない」


そんな言葉を発するようになりました。主人の口からそんな言葉はそれまで聞いた事もありませんでしたので、最初のうちは私も少し戸惑ってしまいました。でもそれを聞くと私も主人が少し可哀相になって、世話をする事もそれほど苦にならなくなりました。思えば、この3年間が一番夫婦らしい生活をしていたのかもしれません。


「本当に、すまなかった。許してくれ…」


それが主人の最期の言葉ですが、ちょっと意味が分かりませんでした。そんなに謝られるほどひどい仕打ちをされた覚えもありませんから。主人は倒れるまでの自分の在り方を反省していたのでしょうか。今となっては言葉の真意は分かりませんが、正直なところどうでもいいです。何はともあれ、終わった――私はそう思いました。主人の世話をそれ程苦とは思っていなかったにも関わらずどこか解放感を覚えました。

 

 そう言えば、主人はコーヒーがとても好きでした。私には豆を挽いて淹れたコーヒーもインスタントもまるで同じ味に思えるので、その良さは分かりません。でもそれを思い出して何回目かの散歩の途中、そのカフェに入ってみました。


 小洒落た店内にはマスターが1人、特に愛想が良いわけでもないけれど不愛想という感じでもありません。メニューには沢山のコーヒーの銘柄が書かれていましたが、よく分からないので取り敢えずブレンドを頼みました。口に入れた瞬間、美味しいと思いました。コーヒーを飲んで美味しいと思ったのは初めてでした。


「美味しい…!」

「ありがとうございます」


思わず声を漏らすと店主が小さな笑顔を浮かべて応えました。

 それから私は1ヶ月に1、2度、このカフェに立ち寄るようになりました。メニューを見て迷いながらも結局、同じブレンドを頼んでしまいます。

 もし、コーヒー好きの主人と来たら、きっとあれこれ蘊蓄(うんちく)を並べ立てだろうと想像して苦笑してしまう事もしばしば。

 

 でも、主人が元気で生きていたのなら、2人でこんな店に入る事もきっとなかったでしょう。

人は忘却の中にいる人の事を何となく美化してしまうものなのかもしれません。

まあ、でも、それは有りでしょう。思い出は奇麗な方が生きて行くのが楽ですからね。


「ご馳走様。今日も美味しかったわ」




お読みいただきありがとうございます。

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今後ともよろしくお願いします。

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