第18話 嫉妬
認められない――(志保の場合2)
「いらっしゃいませ」
「三週間ぶりね。やっぱりここは落ち着くわ」
「ありがとうございます。何かございましたか?」
「いえ、この間ね、主人の一周忌だったの。それで遺品の整理を少ししたら、主人の日記が出てきて…なんだか分からなくなっちゃって」
「分からなくなったとは?」
「あ、ううん。何でもない、大した事じゃないのよ」
「そうですか。では、ごゆっくり」
「ありがとう」
主人が日記をつけていたなんて全く知りませんでした。まあ、毎日つけていたというわけでもなかったようですが。
でもあれは、どういう意味だったのでしょう。
「私は、人を殺してしまった」
そう書いてあったのです。あれは真実なのか…まさか。
あの人は虫も殺せないような人でした。そのあの人が人を殺すなんてとても信じらません。でもあれは―――。
介護生活になってから、主人が口にしていたあの言葉は、もしかしたら私にではなく、他の誰かに向けられた言葉なのではないかと、今になって疑問を持ちました。
「すまない」
「許してくれ」
それは、介護をしている私に対しての言葉だと、信じ切っていたのに。でも実は、私を通してあの人は他の誰かを見ていたのではないか。あの言葉は私ではなく、その他の誰かに対する懺悔だったのではないか。でも、だとするとあの人は本当に誰かを殺したという事なのでしょうか、それはいつ、どこで、誰を?どうやって――。
そう考えた私に、ふと10年前の出来事が蘇ります。
1度だけ、あの人が真っ青な顔をして帰ってきた事があります。どうしたのかと尋ねたら、
「会社の女の子が飛び降り自殺をした……」
と言っていました。あれはこの事と関係あるのかもしれない。でも確かに〝自殺“だといってました、〝殺す″という言葉とは当て嵌まらないかとも思うのです。
それから暫く主人は、様子がおかしかったように思います。聞けば自社ビルでの自殺という事だから、同じ会社の子がそんな事をすれば平常心ではいられないのも無理はない、とも思ったので、それほど深くは気に留めていませんでした。そういえばあの日から主人は時々魘されていました。それも関係があったのでしょうか。
「あんな事になるとは思わなかった」
そうも書いてありました。「あんな事」とは何? 何があったというの? 主人は何に、どんなふうに関わっていたのか。本当に主人は人を殺したのか?
でも、何をどう考えてもそんな事は信じられない。それに、そんな事はあってはならない事です。今さら、この平穏な暮らしが乱されるような事があってはならない。主人が人殺しだなんて、あってはならない事なんです。
あんな日記、見なかったことにすればいい。そう思っても、あの言葉が繰り返し私の頭の中に浮かんできて、消え去ってくれない。あの人はもうこの世にいない。だから真実は何も分からないというのに。でも、もし本当に主人がそんなことをしたというのなら……理由は何なのでしょう。
人を殺すには、それなりの理由があるはず。殺すほど誰かと関わるような何か、それは一体――。何があったのか気になって、私はあの日記を読み続けました。
そして、私はそこにあった1行をかき消しました。そこには、「人を殺した」と言うより、認められない言葉が書き記してあったのです。
「私は、ただあの子の笑顔が見たかった。あの子をずっと近くで見ていたかっただけなんだ」
(何なの、このセリフは!)
何度も読みました。何度も、何度も、この1行を繰り返し読んだのです。そこから読み取れるものは一つしかなかった。私は黒いペンを持ってきて、その1行を塗り潰しました。何度も、何度も、繰り返しその文字を――誰にも見られないように。
愛していたわけではない。とっくに冷えた夫婦関係のはずでした。でも、主人が亡くなる前の三年間、不自由な体のあの人の世話をしたのは私なのに。
あの言葉が私に向けられたものではなかったなんて……そんなこと、認められるはずもありません。でなければ私の人生は、何も報われないではないですか。
こんな事は、あり得ない事なのです。
こんな言葉は、絶対に許せない―――。
終
お読みいただきありがとうございます。
こちらのお話しは第3話「忘却の人」と繋がっています。
また第16話「消えない光景」とも関連があります。
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