第10話 誕生日
甘いケーキ――(美穂の場合)
明日は私の誕生日だ。でも、うちでは10年前から誕生日のお祝いをしなくなった。父も母も、きっとどうしたら良いのか分からなかったのだろうと思う。
だから、私は、「もう誕生日のお祝いしなくて良いよ」と言った。両親は私のその言葉に少しホッとして、そして少し申し訳なさそうな顔をした。
十年前の今日、私は姉と約束をしていた。当時、私は中学3年生、姉は私より10歳、年上で既に社会人になっていた。誕生日当日は毎年家でお祝いをする。だから、その前日に姉が一緒にプレゼントを買いに行こうと言ってくれたのだ。うちの両親は共働きで、忙しい人達だったので、幼い頃からいつも姉が私の面倒を見てくれていた。私は姉が大好きだった。いつでも、どこに行く時も姉の後ろをついて回った。
そんな姉も大学を卒業と同時に、会社の近くの小さなマンションを借りて1人暮らしを始めた。私は少し寂しかったが、姉の門出をお祝いした。それに姉は何も言わなかったが、姉には恋人がいるらしいという事に気付いていた。
私は久しぶりに姉に会えるのが楽しみだった。あれは2時間目が始まった時だった、教頭先生が私の教室に走ってきて私は呼び出された。そこで知らされたのは姉の死だった。その日の朝、電話で約束を確認したばかりだった。姉の声を聞いてから、まだ2時間ほどしか経っていない。その声はとても明るかった。
姉は勤めていたビルから飛び降りて死んだと聞かされた。そんな事、ある筈がない、朝、話した姉の声はいつもと少しも変わらなかった。自ら死を選ぶ筈がない、私も両親も絶対にそんな事はない筈だと訴えた。でも聞き入れては貰えなかった。
姉は仕事でトラブルを抱えていて、悩んでいたと会社の人が証言したらしい。そんな様子を見たことは一度もなかった。でも、姉は我慢強い人で、人に弱みを見せないところがある。一緒に暮らしていなかった私達は姉の最近の様子は見ていない。だから、気付かなかったのだろうと言われた。
私達はその現実に打ちのめされた。翌日の私の誕生日は姉の通夜になった。その現実は到底、受け入れられるものではなかった。
その年から私の誕生日祝いは無くなった。翌年、両親は迷っていたのだと思う、私の誕生日祝いをしてあげたいが、姉の事を思うと辛いという思いがあったのだろう、だから私は自分からああ言ったのだ。私自身、辛いと言う気持ちもあったから。
そうして、十年が過ぎた今、明日で私は姉が亡くなった歳と同じ歳になる。そして今日は姉の命日。私は最近見付けた、お気に入りのカフェに来ている。
初めて来た時は友達と一緒だった。その友達は、何度も来ているらしく、コーヒーがそれほど好きでない彼女がここのコーヒーだけは本当に美味しいとよく言っていた。私は姉がとてもコーヒー好きだった事を思い出して1度連れて行って、とお願いしていたのだ。
一口飲んで、本当に美味しいと思った、もし、ここに姉がいたら、と思ってしまう。瞼の中に美味しそうにコーヒーを飲んでいる姉の顔が浮かんだ。
10年が過ぎても私はまだ、姉が自殺したなどという事は信じていない。誰が何と言っても、そんな事は信じない。例え、姉が死にたくなるほどの悩みを抱えていたとしても、あの優しかった姉が私の誕生日の前日に命を絶ってしまうわけはない。私との約束を破る筈がない。もし死を選ぶとしても、絶対に別の日で選ぶはずだ。それに姉は自ら死を選ぶような弱い人では決してなかった。私は今もそう信じている。きっと両親も――。
「どうぞ…」
その声に顔をあげると、マスターが目の前にいた。そしてテーブルの上にショートケーキが置かれていた。
「明日、誕生日なのですよね。1日早いですけど」
そう言ってマスターは微笑んだ。
「でも、今日は……」
姉の命日だ。マスターには姉の話をした事がある。
「きっとお姉様も美穂さんがお誕生日をお祝いしないのは、悲しく思っておられますよ」
その言葉を聞いた途端、不意に涙が溢れた。
姉が死んでから、私は泣かなくなった。そして思った、ああ、私はずっと我慢していたのだ、と。泣いている私を見てもマスターは何も言わなかった。
一頻り泣いてから、私はケーキを口に運んだ。
「美味しい…」
ほんのりとした甘さが口の中に広がった。一瞬、笑っている姉の顔が見えたような気がした
「マスター、ありがとう。ご馳走様」
終
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こちらのお話しは第6話「離れられない」、第8話「睨む女」と花蓮蓮があります。
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