ドロップアウトガール⑤
いよいよ運命の日がやってきた。
葵月の進退を賭けた試合は、開始まで残り一〇分を切ろうとしている。
笑っても、泣いても、結果がすべて――それを思えば、嫌でも気持ちは張り詰めるものだろう。
緊張がピークに達していた葵月は、絶え間なく深呼吸を繰り返し、落ち着かない様子で選手控え室の中を意味もなく旋回していた。
そんな教え子の姿に不安を募らせるのは、彼女をここまで導いてきた征太郎だった。
「そんなにソワソワすんじゃねえ。ここまで来たら後は全力でやり遂げるだけだろ」
「失敗は許されないって思ったら、じっとなんてしてらんないですよー。……あっ、そうだ!」
ぽんっ! と手を打った葵月が、なにか閃いたように目を輝かせ、征太郎を見つめてきた。
なんとも嫌な予感しかしない。
「御影先生! いまからでも二刀流にしましょう! ほら、刀一本で戦うよりも二本のほうが強そうだし! あとなんとなく格好いいですし!」
「いきなりなにを言い出すかと思えば、お前はアホか……」
案の定、葵月は緊張のあまり頭が混乱しているようだった。
「この土壇場で戦い方を変えたりしたら、それこそあっさり負けるだけだぞ。刀一本まともに扱えきれてないヤツが欲張ってんじゃねえ」
「それってつまり一刀をマスターしたら二刀流を始めてもいい……ってことですね!?」
「なんだよ。そんなに二刀流なんてやりたいのか、お前?」
「はい! それなりにやってみたい気持ちはあります! 奥の手、みたいな感じで!」
「お、おう。そうか……」
ぐいぐいと迫ってくる葵月のテンションに少々気圧される。
意外にも「二刀流がやりたい!」というのはただの思いつきではなく、彼女の本心から出た希望でもあったようだ。
刀一本より二本のほうが強そうとか、格好いいとか、そういった頭の悪い動機はともかくとして、本人が望むのであれば指導の選択肢に入れてもいいだろう。
「お前がそこまで言うなら、いずれは二刀流もちょっとくらい教えてやってもいい」
「えっ、本当ですか! わーい、やったー!」
もっとも、と征太郎は無駄にはしゃぐ葵月に水を差す。
「これから始まる試合を一刀で乗り切らないと、二刀を学ぶ機会は得られないけどな」
「うっ! ……なんでそういう現実を突き付けるんですか、先生の意地悪……!」
頭を抱えて部屋の隅っこに座り込んでしまう葵月。
正直、いままでのどんな指導よりも、試合前のメンタルケアが一番の難題だった。
「だ、大丈夫だ! この一週間でお前は間違いなく強くなった。荒削りだが対錬金術用剣術の修得だって間に合っただろ? いまのお前だったら、たとえ相手が天才錬金術師だとしても、勝負にならないなんてことはないはずだ」
根が捻くれている征太郎にとっては、単純な激励の言葉を送るのも骨が折れる。
だから、いま彼女に掛けてやれる精一杯の言葉があるとすれば、それは一つだけ。
「この一週間頑張ってきた自分を信じろ、葵月!」
「……自分を、信じる」
征太郎が絞り出した言葉を反芻して、葵月はゆっくりと振り返った。
彼女は、求めるように手を伸ばして、征太郎のシャツの裾を弱々しく摘まんだ。
「わたし、正直に言えば自分に自信なんてないし、自分の強さを認められません。錬金術師の世界に刀一本で飛び込んで、どれだけ頑張っても、どんなに努力を重ねても、周りの人たちの才能に追いつけるのか不安で仕方がないんです。……夢があるから、夢を追い掛けるために、自分からこの道を選んだはずなのに、心のどこかで自分を信じきれない……!」
「葵月……」
彼女はいつも明るく振る舞っていた。
征太郎がどれだけ厳しいトレーニングを課しても、悪態一つ吐かずに笑ってこなしてきた。
そのせいで勘違いしていた。
祈宮葵月は、己の才能を卑下せず、どこまでも強くなれると、誰よりも自分を信じている少女なのだと思い込んでいた。
一対一で見守ってきたはずなのに、そんな大きな思い違いを抱えたまま、いままで先生ぶって指導してきたのだ。
本当は、自分の才能を認められず、先が見えない暗闇の中で、足掻くために必死だった。
心に巣食った弱音を押し殺すために、常日頃から鍛錬に打ち込んで、闇雲に頑張っていたに過ぎないのに。
ふと視線を交わした少女の顔は、これまでの時間の中で初めて見る表情だった。
きゅっと唇を噛み締め、目尻に雫を浮かべながら、彼女は縋るように言う。
「……先生が、わたしを信じてください……! そうすれば、わたしは『先生が信じてくれる自分』を信じてあげられると思うから……」
「やっぱりアホだよ、お前は」
征太郎は慣れない手つきでに、ぎこちなく葵月の頭を撫でる。
さらさらとした艶のある髪の感触。そして、彼女の抱く不安が、手のひらを通して伝わってくるようだった。
「俺の生徒は葵月だけなんだ。お前以外の誰を信じろってんだよ」
「先生……」
しばし視線を重ねたまま沈黙する。
静寂に包まれた控え室。小っ恥ずかしくて先に顔を背けたのは征太郎のほうだった。
「おっと、そろそろ時間だな! 胸張って行ってこい、ほら!」
「あだぁっ!?」
頭を撫でていた手を離して、バシン! と気合を込めて葵月の背中を叩く。
「ちょ、そういう雰囲気じゃなかったですよね! 先生っていう人は、ほんっとに……!」
ぷんすかと不満そうに頬を膨らませながら、葵月は踵を返して控え室の扉に手を掛ける。
「試合に勝って先生のところに戻ってきます。だから見守っていてくださいね!」
「おう。ちゃんと見てるし、ちゃんと待っててやるから、思うがままに戦ってこい」
そのやり取りを最後に葵月は戦場へと向かった。
小さくも大きな背中を見送って、征太郎は気が抜けたように息を吐き出した。
――……まあ、あの様子ならなんとか大丈夫そうか。
専属教官になってから、あれもこれも慣れないことばかりで、どっと疲れが溢れてくる。
けれど、まあ、そんなに悪くない疲労感でもあった。