ドロップアウトガール③
「もっと肩の力を抜いて。軽く脇を締めて、ゆっくり重心を落とす。脚はもう半歩分ほど開いた方がいいな。……よし、少しはマシになってきたか」
「っ~~~~! せ、せんせぇ……」
「なんだよ? 急にへにゃへにゃと腑抜けた声出しやがって」
「だ、だって、さっきからぺたぺた触られてぇ……その、まだ肩とかはいいですけど、脇とか内腿は、ちょっとこそばゆくて、恥ずかしいというか……」
「……………………」
しばし黙考して、たしかに傍から見たらセクハラ教師に見えるかもしれない、と嫌な現実に気付かされた。うら若き女学生の身体のあちこちに触れまくるのは、いくら指導の一環といえご法度なのだろうか? ……きっとご法度なのだろう。傍目から見た事実だけを並べてみたら、ただの変態野郎でしかない。
鍛えられたしなやかさと、女の子らしい柔らかさ。
葵月の瑞々しい太腿の感触を思い出して、いまさら頭を悩ませる征太郎なのだった。
「……すまん。ちょっと配慮が足りなかった。決してやましい気持ちはなかったです、はい」
「あ、いえいえ、悪気がないのはわかってるので、大丈夫です。先生はいまのわたしに必要なことをしてくれてるんですよね?」
それはもちろん、と首肯する。
「葵月は刀を振るうときの型が滅茶苦茶だから、まずはそこを矯正しないことには始まらない。荒削りとはいえ剣筋は悪くないし、基本の型をきっちり作り上げて精錬すれば、きっといまより強くなれると思う」
「……ありがとうございます。だったら、わたしも我儘は言えません。さあ、わたしの身体を好きなだけ触ってください!」
「その言い方はやめろバカ」
誤解を招きそうな発言にため息を返しながら、改めて葵月の立ち姿を確認する。
握り締めた打刀を正眼に構え、腰を低く落とした姿勢。軸となる右足はしっかり大地に根付いており、一方で引いた左足はいつでも動かせるよう余裕を持たせてある。全身の力は流れるように緩んでいて、変に強ばったりはしていない自然体だ。
夕日を背に浮かべ、野外訓練場に佇むその姿は、なかなか様になっている。
「その状態が基本だ。そこから状況に応じて八相や霞といった各種構えに移行する。全身の力は必要なときに必要な部分に込めるだけでいい。しっかり体に染み込ませて、意識しなくてもいまの状態を作れるようになれ」
「は、はい! なんとなくコツは掴めた気がします!」
葵月の呑み込みの早さは目を見張るものがある。
当初は少々ぎこちない構えだったが、何度か繰り返すうちに体で覚えたらしく、どんな状態からも即座に基本の型に移行できるようになっていた。コツを掴めた、なんて自分で言うだけのことはある。
この分なら試合までの一週間で、彼女を十全に仕上げられるかもしれない。
征太郎は腰に提げた武骨な刀を引き抜くと、守勢の構えを取りながら葵月と向き合った。
「よし、それじゃあ掛かり稽古もしてみるか。どこからでも好きに打ち込んで来ていいぞ」
「わかりました!」
葵月は大きく深呼吸をして、全身に巡る気を整えた。
ダン! と一息に大地を蹴り上げて、イノシシのごとく征太郎へと肉薄する。
「……せい、やあ!!」
激しい衝撃と共に両者の刀がぶつかり合った。
葵月の一撃は、速さに特化した軽やかさであったが、そのくせ鍔迫り合ってみれば確かな重さで押し込んでくる。
征太郎はビリビリと手が痺れるのを感じながら、彼女の力を逆利用していなした――が、
「で、りゃあぁああ!」
捉えた相手を逃がすまいと、葵月は既に次の一閃を振り抜いていた。
激しく火花が散り、高らかな金属音が耳朶を揺らす。
「うおっと! はは、やっぱりいい太刀筋してるよ、お前は」
「……手足が流れるように動く。この体が、こんなに自由に動かせるなんて、わたし知りませんでした!」
「ただ闇雲に振り回すのとは全然違うだろ。その感覚が掴めたのなら、それでいい」
葵月は実に楽しそうな顔で、絶え間ない斬撃を繰り出し、襲い掛かってくる。
そんな少女を微笑ましく思いながら、もう動きは見切った、と征太郎は内心呟いた。
速さも力も十分。
しかし、まだ完成された剣士と呼ぶには程遠い。大事なのはここからだ。
「直線的で素直過ぎる。それじゃあ俺には届かない」
「う、ぐ…………ッ!?」
真上から振り下ろされた刀を弾き返し、征太郎の返す刃が葵月の胴を斬り裂く。
制服に標準搭載されている霊子防護が大きく削られ、葵月はふらりとその場に膝をついた。
「むう……負けました……」
「大丈夫か? 霊子防護を貫通するほどの威力ではないし、怪我はないと思うんだが……」
「体は無傷でピンピンしてますけど、心はなかなかダメージ負ってますよー」
征太郎が手を差し伸べると、葵月は不満げに口を尖らせながら、手を取って立ち上がった。
「錬金術師相手に負けるならともかく、純粋な剣術勝負で負けるのは、さすがに悔しいです」
「仮にもセンセイなんでね。さすがに生徒相手に負けるわけにはいかねーって話だ」
「あの、それで、先生……どうですか? わたし、今度の試合に勝てそうですか?」
真剣な表情で訊ねてくる葵月。
ここまで明るく振る舞っていたが、やはり内心は不安で仕方がないのだろう。
実力が証明できなければ〝退学〟だと告げられたのだ。平静でいられるほうがおかしい。
「勝負に絶対なんてものはない。どんなに強いヤツでも負けるときは負けるし、どんなに弱いヤツだってまぐれ勝ちを拾うことはある」
「それは、そうかもしれませんけど……」
いまいち浮かない顔だ。葵月にとって納得のいく答えではなかったのだろう。
勝負である以上結果がすべてだ。ここで征太郎が「勝てる」と言えば勝てるわけではないし、一方で「負ける」と言ったとしても勝てない理由にはならない。それでも現状から算出される厳しい現実を突き付けてほしいというのであれば、
「……気休めなしで言っちまえば、お前が勝てる可能性はほぼゼロと言っていい」
葵月が息を呑んで、きゅっと唇を噛んだ。
半ば察してはいたのだろうが、だからといって笑えるはずもない。
「相手は弥勒院校長が直々にスカウトするほどの錬金術師だ。学園のデータベースを探って、件の対戦相手――雪代六花の資料を漁ってはみたが、まさしく天才と言うべきものだった。並大抵の生徒じゃあこいつの相手にはならんだろうさ」
「……………………」
「ったく、西園寺のおっさんも大人げねえって話だよ」
肩を竦めて苦笑する征太郎。
葵月はなにも答えず、息すら押し殺して、ただ俯いていた。
少し意地が悪かっただろうか? だが、現実を知ることは、勝つために必要な一歩でもある。
「そんな暗い顔してんじゃねえ。くだらない話は終わりにして、さっさと次の指導に移るぞ」
「……勝てる可能性はほぼゼロだって、いま先生がそう言ったじゃないですか! それなのにわたしは頑張らなきゃいけないんですか?」
「当たり前だろ。俺はお前が勝つって信じてるから、こうして戦うための術を教えてんだ」
「え……?」
怒り、悔しさ、諦め――葵月の胸に渦巻いていた感情が、行き場を失くしたように崩れた。
きょとんと目を丸くしながら、葵月はようやく顔を上げて、征太郎と目を合わせる。
「いや、あの、先生の言ってること、全然わかりません!」
「いまはまだ勝てる見込みが薄い。だったら、これから勝算を引き上げればいいだけだろ」
「……どうして、先生はわたしを信じてくれるんですか……? 頑張ったところで簡単に負けちゃうかもしれないですよ……?」
「おいおい、いまからもう負けるつもりか? こんなとこで退学になっていいのかよ?」
葵月がブンブンと首を振って否定の意を示す。
「嫌、です! わたし、勝ちたいです。先生が信じてくれるなら、なおさら勝ちたいです!」
「だったらそれでいいじゃねえか。結果なんて出てから受け止めればいい。いまはやれること全部やり尽くして、その先で試合に勝った自分のイメージでもしとけ」
「試合に勝った……自分のイメージ……うぇへへ、うひひひぃ……」
「やっぱやめろ気持ち悪い!」