ドロップアウトガール①
偉大なる錬金術師・フルカネッリが、錬金術の簡易起動式――術式――を開発して二〇〇年余り。かつては豊富な知識と高度な技術を必要としていた錬金術は、この術式の登場によって普遍的なものとなり、瞬く間に一般社会に浸透していった。
錬金術は人々の生活に寄り添いながら、時には医療技術を発展させ、時には採掘作業などの助けとなり、そして時には戦争に利用され、数多くの犠牲をもたらすこともあった。そうした歴史を辿りながら、現代では世界的な競技としても、その隆盛を極めている。
獅星学園には学年ごとに三つのクラスがある。
錬金術における大いなる業に準えて『ルベド』『アルベド』『ニグレド』の名を冠したクラス。
人並み外れた才能や素質を有する完成された生徒は『ルベド《赤》』、優秀ではあるが才能の開花には至っていない生徒たちは『アルベド《白》』、いまはまだごく平均平凡な原石たちは『ニグレド《黒》』に振り分けられる。
しかし、今年の一年生にはもう一つのクラスがあった。
それは、大いなる業に失敗し、燃え尽きた灰。
つまりは問題児を意味する『アッシュ』の名を冠したクラスである。
「どうも。これからお前さんを育てなきゃならなくなった御影征太郎だ。よろしく~」
「祈宮葵月です! これからご指導お願いします、御影先生!」
広々とした教室に明るくハツラツとした挨拶が響く。
肩口で切り揃えた髪。あどけない幼さを残した顔立ち。爛々としたブラウンの瞳は、いまだ邪悪を知らない輝きを宿している。
無邪気な希望に満ち溢れた少女。
それが、『アッシェ』クラスのたった一人の生徒・祈宮葵月の第一印象であった。
「あの、先生? このクラスって他に生徒は居ないんですか?」
おずおずと手を挙げながら首を傾げる葵月。
どうやら彼女はまだなにも聞かされていないらしい。
「残念ながらお前一人だ」
「そう、ですか。……もしかして、すんごく特別扱いされちゃってます、わたし!? でへへぇ、そんなに期待されちゃってるのか~、照れますねぇ~」
気持ち悪い笑みを浮かべて自惚れる少女。
――ああ、すごく特別扱いされてるよ。どっちかと言えば悪い方向でな……。
水を差すのも気が引けたので、言葉にはしなかった。
めちゃくちゃポジティブなのか、あるいは単純にドがつくアホなのか。どちらにしても祈宮葵月という少女は大物なのかもしれない。
教卓に広げた彼女の入学試験データに目を落とす。
体力:C+/霊力:SSS(※特記事項有)
技巧:G(※特記事項有)/持久:C/俊敏:B
霊力の数値はずば抜けて高いが、それ以外は平均~平均以下の能力値だった。
特に術式構築の技量を評価する技巧項目がG判定というのは、錬金術師にとって致命的だ。なにせ能力値の最低評価はFと言われているのに、それを飛び越して落下しているのだから。
その主たる理由は特記事項に記されていた。
彼女はそもそも基本レベルの術式さえ構築できないらしく、そこらの一般人よりも才能が無いと判断されてのG判定ということらしい。
普通なら錬金術の学舎に入学なんて到底不可能なレベルであるにも関わらず、なぜ祈宮葵月は入学することが出来たのか?
それは偏に人並外れた霊力量に目をつけられたからだろう。
後から鍛えられる技術と違って霊力量は生まれ持った素質だ。その素質を見逃すというのは、学園としても惜しかったことが伺える。しかし、
「葵月、なんでもいいから術式を使ってみてくれるか?」
「えっ!? あー、はい……じゃあ、ええと、むむ……むむむ、むぅ……」
ぎゅっと目を瞑り、両手を胸の辺りに翳した葵月が、苦い顔をして唸った。
しばらく経ってもなにも起こらず、少女は不安そうに半目でこちらの様子を窺っている。
「なるほどな。もういいよ、わかった」
「あ、あははー、透明な壁! わ、わかりました?」
「うんうん、よくわかったぜ? ほら、ここに壁があるんだよなー」
征太郎が丸めた教科書を縦一線に軽く振る。
それは空気を薙ぎながら、なににも阻まれることなく、葵月の脳天に直撃した。
「あだぁっ!? な、なにしやがるんですか、先生! ぼうりょくはんたーい!」
「我慢しろ。嘘つく悪いガキへのお仕置だから」
「うっ……バレましたか」
後ろめたそうに視線を逸らす葵月に、征太郎はやれやれと肩を竦めた。
「ったく、お前が術式を使えないことくらい知ってる。いまさら悪足掻きしなくていい。ちょっと確認したいことがあったんで、無理でもなんでも試してもらっただけだ」
「確認したいこと?」
「ああ、術式を起動させようとしたとき、お前の体内にある内霊力と、お前の周囲に漂ってる外霊力がどう動くか確認させてもらった。結果は、内霊力には僅かな微動が見受けられたが、外霊力のほうは一切活性化することはなく、なんの反応もなし――」
「わ、わざとじゃないんです! わたしなりに術式を起動しようって意識してるんですけど、昔から才能がなくて……ほ、ほんとに、やる気がないとか、そういうわけじゃなく……!」
葵月は慌てたように弁明の言葉を並べ立てる。
きっといままでも周りから誤解されてきたのだろう。彼女の苦悩は彼女自身にしかわからず、大抵の人間には理解されないものだったはずだ。
「疑ってないから落ちつけ。お前のことは大体理解できたよ」
「えっ……?」
ここまでの会話で征太郎は一つの見解に辿り着いていた。
――並外れた霊力量に目が眩んで入学させた学園には悪いが、こいつは文字どおり錬金術の才能ゼロ……後から努力でどうにかなる類じゃないな、こりゃあ。
一般的な人間における才能の最低値は1だ。
その1をどう磨いて、どう伸ばしていくかで、その後の数値はいくらでも変動する。
しかし、最低値がゼロであったなら、いくら努力を重ね掛けしてもゼロはゼロのままだ。
「バカみたいな量の霊力を内包して生まれたから、その反動で本来備わっているはずの機能が欠落しちまってるんだろうな、お前は」
「け、欠落……?」
ああ、と征太郎は頷いた。
「お前には外霊力を感知、操作する機能が備わってないんだ。錬金術ってやつの基本くらいは知ってるな?」
「は、はい……ええっと、霊子と四元素を繋ぎ合わせ、術式を構築する……です、よね?」
自信なさげに目を泳がせながら答えた葵月は、征太郎が返した首肯にほっと胸を撫で下ろしていた。
「基本的に霊子は内霊力から、四元素は外霊力から引き出すものだが、お前の場合は大気中に漂っている外霊力との繋がりが断絶されてると言ってもいい」
「じ、じゃあ! それを直せば、わたしにも錬金術が扱える、ってことですか!」
それは期待の眼差しだった。
征太郎は、心苦しいが首を横に振って、彼女の希望を打ち砕いた。
「欠落だって言っただろ。壊れてるなら直せるが、そこに存在しないものを直すのは、無理だ」
祈宮葵月に錬金術は使えない。
人並み外れた霊力量という天性の素質も、彼女の欠落した才能の前では宝の持ち腐れだ。
少なくとも『錬金術師』としては。
「…………それじゃあ、やっぱりわたし……退学、ですか……?」
「バーカ。お前を退学にさせないために俺が居るんだろうが」
「……うぅ、御影先生」
うるうると目尻に涙を溜めている葵月だったが、一方で征太郎は内心後悔していた。
真面目に指導する気概なんて微塵も持ち合わせていないのに、思わず勢いで熱血教師みたいなことを口走ってしまったではないか。
「けど、よくわかりましたね、先生。わたし、いままで誰にも指摘されたことなかったです。機能が欠落してるんだー、なんて」
「……人の域を越えた霊力を内包して生まれた人間は、代わりになんらかの問題を体に抱えてる可能性が高い。そういう稀有な症例をたまたま知っていただけだ」
彼女のような存在は非常に珍しく、その溢れんばかりの霊力に素質を見出す者は多くても、その素質ゆえに生じてしまった欠落に気付ける者は少ない。だから周囲から誤解されやすく、理解もされず、努力が足りないと罵られてしまう。
なにはともあれ祈宮葵月の現状を把握できた。
今日はそれだけで十分。
「さてと、じゃあ確認作業は終わったから、そろそろ授業を始めるとしますかね」
「はい! よろしくお願いします!」
「じゃあ、ほいこれ」
「? なんですか、これ?」
征太郎が数枚の紙束を手渡すと、それに目を落とし葵月は首を傾げた。
「授業で習う内容を文章にまとめていおいた。教科書と照らし合わせながら理解するといい」
「は、はあ……」
「もしなにかわからないことがあったら、俺が起きたときにでも改めて聞いてくれ」
言うだけ言った征太郎は、教卓に突っ伏して、ほんの数秒後には寝息を立て始めていた。
授業は実質自習だ。いちいち口頭で説明しながら物事を教えるなんて、怠惰に生きることを是とする自堕落人間には似合わない。わざわざ文章をまとめてきただけ感謝してほしい。
――どうせ三ヶ月の教師生活なんだし、楽していかねーとな。
全部終わって、その後で葵月が退学になろうと、そんなのは征太郎の知ったことじゃない。
しっかり給料だけ貰って、とっとと雲隠れしてしまえば、万々歳。これぞ完璧な計画だ。