041 夫婦の反応
王の執務室を出ると、扉の横でビルがキャロルを待っていた。
「話は終わった? キャロル。あっ、違うか。カロリーナ様か」
久しぶりに見るビルは、自警団の服装ではなく王宮騎士団の制服に身を包み、悪びれもせずにおどけた調子でそう言った。キャロルは、そんなビルをギロリと睨む。
「どっちでも良いわよ。好きに呼べば。それよりも、やっぱり第二王子の部下だったのね。ところで、ヒューは?」
キャロルは、ヒューが姿を見せないので気になって聞いてしまう。
「はっ? あっ、そうなっちゃう……。そのうち会えるんじゃないかな?」
ビルは、なんだが突然歯切れが悪くなり顔を背ける。キャロルが、どういうことなのか更に聞こうとするが阻まれてしまう。
「それよりも、サティオに一度帰るでしょ? おやっさんたちにも説明しないとだし。王宮の方もバタバタしてて、早くカロリーナ様に来てもらいたいんだよ。なので、急いでいきましょう」
そうビルが言うと、王宮の出口へと歩きだしてしまう。キャロルは、仕方なくついて行くしかない。それ以降も、ビルは何も話す気がないのか、全くキャロルの相手をしてくれず問答無用で馬車に押し込まれる。ビルも一緒に乗って来るかと思ったが、彼は別に馬で馬車の横を並走していた。
キャロルは、馬車の中で複雑な心境だった。自分の思い通りに王妃になれることが決まったけれど、余りにもあっけなさ過ぎてこれが現実なのか信じられないくらい。なぜだがわからないけれど、素直に喜べない。
「こんな一足飛びに王妃になるだなんて……。現実味がなくて何か裏がありそう……」
規則正しい馬車の車輪の音に交じって、キャロルの独り言がおちる。疑ってばかりいても仕方がないから、王宮に行く前にやらなければいけないことを考えることにした。
サティオがある時計台の大通りまで馬車で送ってもらうと、ビルがキャロルの後を付いてくる。
「もう付いて来なくても大丈夫よ?」
「いや、今日王宮に行ったことでカロリーナ様の存在が明らかになったから、護衛の為に俺が付くことになったから」
「えっ? 私、誰かに狙われているの?」
「まー、都合が悪い奴がたくさんいるから一応ね」
キャロルは、ビルに言われて確かにと納得せざるを得ない。ざっと考えただけでも、フィリップス侯爵や自分の父親であるウィンチェスター侯爵がいる。命までは取られはしないだろうが、貴族籍を抜いた娘が突然王妃になると聞いたら何をするかわからない。
今まで、権力闘争が渦巻く貴族社会から離れていたので気が緩んでいた。これからは、王妃になることが決まったのだ。命を狙われるのは日常茶飯事になる。気を引き締めなければとキャロルは改めて感じた。
サティオに着いたのは、もう日が落ちて夕ご飯客で忙しい時間帯だった。それなのに、店が開いている気配がない。キャロルは不思議に思いながら店の扉を開けると、女将さんと旦那さんが店のホールの客席に座っていた。
「只今帰りました」
キャロルが、そう声を掛けると二人が驚いたように一斉に自分を見る。
「あー良かった。帰って来てくれた」
女将さんが、安心したように肩をなでおろしている。女将さんの前に座っていた旦那さんは言葉もなく、うんうんとただ頷いていた。
「ご心配おかけして申し訳ありません! もしかして、お店お休みにしたんですか?」
「ああ。今日はもう仕事にならなくて……。そんなことより、キャロルが無事で良かった」
女将さんが、キャロルのところに寄ってきて微笑んでくれる。そんな女将さんを見て、キャロルはじわじわと込み上げてくるものがあった。
「ご、ごめんな……さい……。わ、わたし……」
こんなに心配してくれるなんて思っていなかったので、キャロルは動揺してしまう。一緒に暮らすようになって家族のようだと感じはいたけれど、それでもしょせんは一年にも満たない関係だ。キャロルはそう遠くない内に、ここから出て行くことを決めていたので別れる心の準備はできていた。
だけど、女将さんや旦那さんには何の話もしていない……。二人を悲しませる想像ができていなかったのだ。自分勝手だったカロリーナと何も変わっていない。自分に怒りが込み上げる。
「キャロル、どうした? やっぱり王宮で何かあったのかい?」
女将さんが、心配そうにキャロルを気遣っている。何から話せばいいのか……。
「はいはい、ごめんよー。色々あったけれど、悲しむことじゃないよ」
女将さんとキャロルの中にビルが割って入って来た。
「なんだ、ビルかい……って、その格好は何だい!」
ビルの姿に女将さんが驚いている。
「どう?どう? 王宮騎士団の制服、格好いいだろ?」
「お前、王宮の者だったのか!」
旦那さんが突然、怒り出す。
「えっ? ちょっと待って。普通、凄いって褒めてくれるところじゃないの?」
「うちは、王宮とは関わるのはごめんだよ」
女将さんまでも機嫌が悪くなっている。キャロルは動揺している場合ではないと、一度大きく息を吸って呼吸を整えた。
「女将さん、旦那さん、黙っていたことがありました。申し訳ありません。初めから説明させてもらってもいいでしょうか?」
「何か理由があるだろうことは気づいていた。でも、いつか話してくれるまで待つつもりだったんだ……」
女将さんが、キャロルを見て複雑な表情を浮かべている。あまりいい話ではないのだと分かっているような、苦々しさを忍ばせていた。
「いいだろう。聞かせてくれ」
旦那さんが、キャロルの目をしっかり見てそう言った。どんなことでも聞くという、覚悟を持った瞳だった。
キャロルは、意を決してうやむやにすることなく本当の自分から説明を始めた。実は、貴族の娘でしかも悪女で有名な、カロリーナ・ヴィンチェスターその人が自分であること。一年前に王太子の婚約者だったのに、その立場をララ・ヴォーカーによって奪われ貴族社会から追放されてしまったこと。だけど、王太子妃になることを諦らめられなかったから今までずっと下町で生活しながらもその機会を伺っていたことを話した。
「じゃーなんだい。キャロルが、カロリーナ様なのかい? 王太子妃になるのかい? 全然、悪女なんかじゃないじゃないか!」
「女将さん、びっくりするところはそこなんですか……」
「だってそうだろう? どこが悪女なんだい? ビルだってそう思わないのかい?」
「いや、まー。俺も驚きましたけど。あのカロリーナ様が、普通に下町の食堂で働いているんだから」
女将さんは、キャロルの話を聞いて怒り出すかと思いきや意外なところが気になったようだ……。悪女云々については、人格が変わってしまっているので厳密に言うと別人な訳なのだが……。前世の話を出すと、ややこしくなりそうだし一気に嘘くさくなってしまうので割愛する。
「それで、今回王宮に呼ばれたのは、どうやらこの国の王が変わったらしくて……。私に王妃になってもらいたいそうです」
「キャロルが、この国の王妃になるのか?」
旦那さんは、信じられないと言ったように衝撃を受けている。
「そのように今日、打診されました。私は、この街に住む人々のために王妃になるつもりです」
女将さんも旦那さんも、話のスケールに付いていけないのか呆気に取られている。
「それは、騙されているとかじゃないんだね?」
「はい。それは安心してもらって大丈夫です。実はこのビルが、今の王の側近だったんです」
「ビルがかい? いつもチャラチャラしているビルが?」
「女将さん、酷くないですか? 俺、いつも真面目に働いてましたよ」
「はぁー何だかもう、話についていけないよ」
女将さんは、大きな溜息をついている。
「黙っていてすみませんでした……。それで、ここを出ていかなくてはいけなくて……」
キャロルは、さっきからずっと言えなかった言葉をやっと言った。どんな反応をするのか怖くて、二人の顔を見られなかった。





