040 突然の宣告
豪華な馬車に揺られながら、キャロルは女将さんの娘のことを考えていた。王宮でメイドとして働いていたのなら、平民からしてみたら憧れの職業だ。メイドの職場環境まではカロリーナでも把握していないが……下働き中心のメイドは全員が平民だと聞く。その中で、何かいじめのようなものがあったのだろうか?
メイドの仕事を辞めてしまうなんて、それこそ結婚などの理由でもない限りあまり考えられない。実家に帰ってきてから、一年も引きこもっていたなんて相当な何かがあったのだと察する。とても気になるけれど、現状のキャロルでは原因を追究するなんて不可能だし……。しかも、そればかり考えていられない自分もいてもどかしい。
今は、なぜアルベルトが自分を呼びつけたのかを考えるのが先だ。まさか彼の方からキャロルを、呼びつけるなんて予想していなかったので驚きで胸がドキドキしている。それと同時に、やはり姿を消したヒューとビルはアルベルトの部下だったのだと考えると辻褄が合う。
ヒューがキャロルに親切だったのは、自分を監視する為だったのだと結論付けるとやるせない寂しさに襲われる。そうだろうと思っていたし、知っていたはずなのに……。キャロルにとってヒューが、頼りになる友人以上の存在になっていた。それがわかったところで、どうにかなる間柄ではないけれど……。
「ふうー。これは考えても仕方がないことね。今は、何の目的で王宮に呼ばれたのかを考えなくちゃ……」
キャロルから、抑えられない気持ちが言葉になって零れる。言葉にして出さなければ、ヒューのことをずっと考えてしまいそうだった。馬車の窓の外を見ると、ランべス地区を通り過ぎ貴族街に入っていた。カロリーナだった頃、いつも見ていた風景だ。でも今は、懐かしいという思いもなく初めて来た場所のように感じる。まるで、自分には似つかわしくない場所みたいだ。
それもそうかと、自分の姿を顧みる。馬車の窓には、景色と重なるように今の自分が写っている。髪は短いし、化粧っけがなく頬には薄く傷跡も残っている。服装に至っては、着古した白色のワンピース。女将さんの娘さんが着ていたワンピースだった。どこからどう見ても、平民の女にしか見えない。
そんな自分を見たら、何だか肩の力が一気に抜けた。すべてを持っていたカロリーナが、一夜にして何もない自分になったのに一年後もこうして元気に生きている。しかもカロリーナを裏切った二人に、小さくないダメージを与えることに成功した。今更、おたおたしてもしょうがない。
どんなことになったとしても、自分で考えて行動することに変わりない。キャロルは、覚悟を決めて窓の外に見えてきた王宮を見据えた。
久しぶりに歩く、ピカピカに磨き上げられた王宮の廊下。薄汚れた靴で歩いて行くのだが、汚してはいないだろうかと少しの罪悪感がよぎる。カロリーナだった頃が夢だったのではないかと思うほど、なんだか居心地が悪い。無言で歩くこと数分、目的の場所についたのか案内していた騎士の足が止まった。
「カロリーナ様、こちらの部屋でアルベルト様がお待ちです」
キャロルは、案内された扉の前に立ちここはどこの部屋だったのか記憶をめぐる。確か、王の執務室だったように思うのだが……。疑問に思っていたのもつかの間、騎士がノックをした。
「カロリーナ様をお連れしました」
「入れ」
執務室の中から声がする。一瞬、ヒューの声? とキャロルは感じたが扉を開けた先には、王の執務机に座るアルベルト殿下の姿があった。
騎士に背中を押され、入室したキャロルは全く事態が飲み込めない。ここは間違いなく、王の執務室だったはずだ。何度もカロリーナが入室したことがある。でも、なぜ今はアルベルトがその椅子に座っているのだろうか……。
「驚いているようだな」
アルベルトは、座ったままカロリーナを正面から見てそう言った。キャロルは、アルベルトと目を合わせる。久しぶりに見る金色に輝く瞳が、自分を凝視している。それにやっぱり声が、ヒューに似ている。似ていると言うより同じ気がする。
だけど、黒髪が同じだけで同一人物ではない。キャロルは、ヒューとアルベルトの関係性がわからなくて言葉が出てこない。
「おい、聞いているか?」
キャロルは、我に返って返事をした。
「聞いてます。どうして、この部屋にアルベルト殿下がいらっしゃるのですか?」
アルベルトがにやりと笑う。
「流石だな。ここが何の部屋なのかわかっているか」
「当たり前じゃないですか。それよりも、なぜあなたがいるの?」
勿体ぶって答えを言わないアルベルトに、イライラがつのる。
「気の強いのは相変わらずだな。理由は、簡単に言うと俺が王だからだ」
アルベルトは、こともなげに言ってのける。聞いたキャロルは、絶句する。ディルクたちの婚約披露からまだ、二週間しか経っていない。それなのに、アルベルトが王になっているなんて予想外の展開だ。
「意味がわからないって顔だな。まー、お前が下町で色々やってくれたお陰で、こちらも色々あったんだ」
キャロルは、アルベルトの言葉にいちいち驚いてしまう。
「やっぱり……ヒューとビルにずっと私を監視させてたの?」
「言っとくが、結果的にそうなっただけで計画的ではない」
「なによそれ! 意味がわからない」
「説明するのが面倒だが……修道院に入ったところまでは見届けたが、そっから先は気にしていなかった。正直、そこからどうにかできると思わなかったからな」
アルベルトの話を聞いていると、二人がキャロルを監視するようになったのは偶々だったように聞こえる。そんなことがあるのだろうか……。
「まあ、それはどうでもいいんだ。本題は、カロリーナ・ジェンナー辺境伯令嬢として俺の妃に迎えたい。異論はないよな?」
キャロルは、驚き過ぎて言葉が出てこない。やっとの思いで反論する。
「ちょっと待って下さい。話が飛び過ぎています。まず、なぜジェンナー辺境伯が出て来るんですか? それに、いきなり妃って……」
「あんな騒動を起こしといて、王妃になりたくないなんて言わせないぞ。ジェンナー辺境伯は、カロリーナが貴族に戻るための名前だ。ウィンチェスター侯爵の奴、お前を貴族籍から抜いていた。今となっては、それも丁度良かったが」
アルベルトは、淡々としゃべっている。キャロルにとっては、想定外のことだらけでどこに突っ込んでいいかわからない。
「突然のことだらけで、頭が追い付きません。そう、そうだわ! アルベルト殿下が王になったのはどうしてなの? ディルクやララはどうなったの?」
「あー、それも説明しないとか……。婚約披露で国民の支持が得られない二人に見切りをつけた王が、その責任をとって引退し俺に王位を譲った」
「そんなに簡単に王位を譲るなんて……」
キャロルには、にわかに信じられない。王は、第二王子アルベルトをいないように扱っていたはずなのに……。カロリーナでも知らない何かが二人にはあったのかもしれない。
「俺が王になるに当たって、貴族どもを黙らせるためにジェンナー辺境伯に後ろ盾になってもらった。それと、この騒動の元になったカロリーナを王妃に添えることで反対勢力を押しやった」
アルベルトは、意地悪な笑みを浮かべる。さぞや、苦い思いをした貴族たちがいただろう。キャロルは、アルベルトが話した情報を頭の中で整理する。ジェンナー辺境伯は、この国における防衛の要を司っている。名を馳せた騎士を多く輩出している家柄で、隣国との境界線を守っている家門でもある。そんな家門であるため、派閥に属することなく中立を保ち独立した地位を築いていた。王家さえも、軽々しく命令することができない家門だった。そんな家が、アルベルトの後ろ盾になるなぞ貴族たちにとってみれば脅威だ。
そして、極めつけがカロリーナとの婚姻だ。自分でもわかってはいた。新しく王に立てるのならば、その妃は自分以上に都合がいい存在はいない。アルベルトに見合う、高位貴族令嬢はすでにもう婚姻しているか婚約者がいる。なによりも、カロリーナ以上の女性を用意するなんて他の誰にも不可能なのだ。
そこまで考えて、こんなに上手くことが運ぶことに怖さを感じる。確かに自分が王妃になるために今まで生活してきたが……。あまりの展開の速さに、気持ちが追い付いていかない。だけどここで止まることなんて許されない。
「理由は理解したわ。妃にはなるわよ。私しかいないんだから。でも、今日の今日じゃないわよね?」
キャロルは、このまま王宮での生活を始めることに抵抗があった。自分が望んでいたこととはいえ、サティオの夫婦に説明しなければいけないし、レストの旦那さんにだって話をしなければいけない。
突然、アルベルトが椅子から立ち上がるとキャロルの前に歩いて来た。一体何事かと身構える。すると、アルベルトがスッと手を伸ばしてきてキャロルの頬に優しく触れる。
「悪かったな。だいぶ薄くなってるが、まだ跡が残ってる」
キャロルは、謝られると思ってなかったし傷のことなんて忘れていたので動揺してしまう。
「こっ、これは仕方がなかったし、いいわよ。私が自分で言ったのだし……」
「一目でもう生きていけないと思われる必要があった。あそこにいた騎士たちにも様々な派閥のやつらがいたからな……」
アルベルトは、キャロルのことを罪悪感が滲む表情で見る。こんな表情をする彼を見たことがなかったし、少なからず自分の夫になる人が、無感情に女性を傷つけられる人じゃなかったことに安堵する。
「一度、街に戻るだろう? ビルを付けるから準備ができたら王宮に来て欲しい」
アルベルトの傲慢な態度がフッと緩んで、口元を緩ませた。その表情を見たことがある気がするけれど……。ヒューとアルベルトを混同している自分にイライラが募る。きっとそうあって欲しいと思う自分の妄想に過ぎない。頭を振って、気合を入れた。
「わかりました。私、国民のための王妃になります。それでもいいですか?」
「ああ。楽しみにしている」
アルベルトが、キャロルに期待の眼差しを向けた。





