036 父親と息子 sideアルベルト
「自由気ままな人生も終わりか……。それも悪くないだろう」
アルベルトは、決意を新たに振り返り執務室のドアへと向かう。扉に手をかけてドアを開けると、そこには壁にもたれかかっているビルがいた。
「なんだ、いたのか」
「決めたのか?」
ビルはアルベルトと目が合うと、いつもとは打って変わって真剣な表情で聞いてきた。
「決めた。玉座を取りに行く。お前がたきつけたんだ、最後まで付いて来いよ」
アルベルトは、ニヤリと笑っている。
「当たり前だ! よし! よく決心した!」
ビルは、嬉しそうに自分の拳を手のひらに叩きつけている。
「陛下に会ってくる。お前は、騎士団を集めておけ」
「はっ!仰せのままに」
ビルは、アルベルトとは逆の方向に走って去って行った。アルベルトも王宮の廊下を足早に歩く。二十四年間、きっと一度も訪れたことのない部屋に向かっていた。目的の部屋の前に来ると、部屋の番をしている騎士が二人立っている。
「団長! 陛下とのお約束でしょうか?」
「いや、約束ではないのだが……。少し話があって。いいか?」
「はい。どうぞお入りください」
アルベルトは、見張りの騎士に疑問を覚える。陛下に訊ねることもせずに自分を通すなんて、警備上問題があるとしか思えない。
「騎士団の団長だからといって、確認も取らなくていいのか?」
「団長が来た時は、何があっても通せと言われております」
アルベルトは、部下の返事に驚く。一度もこの部屋に来たことがないのに……。なぜ、そんなことを見張りの騎士に言っているのか理解できなかった。それでも、最初で最後になるのだしその訳も聞けばいいとノックをした。
「誰も通すなと言っていたはずだ!」
中から、陛下の機嫌の悪い声で返事があった。
「騎士団団長、アルベルトです」
「――――入れ」
入室の許可が下りたので、アルベルトは陛下の執務室の扉を開けた。中に入って室内を見ると、正面の大きな執務机に座る陛下が目に入る。
「突然の訪問、申し訳ありません。少しお話があり参りました」
アルベルトは、頭を下げて丁寧な言葉をしゃべる。こうやって、自分の父親である男と相対するのは初めてのことだ。頭を上げて陛下を見ると、何を考えているのか分からない顔で自分を真っすぐに見据えていた。
「お前が来るのなんて初めてだな。話とは何だ」
「今日を持って、私に王位を譲ると宣言して下さい」
アルベルトは、金色の光輝く瞳で父親の目を見てはっきりとそう告げた。室内は、静寂に包まれる。お互い目を逸らすことはなく、瞳の中の意思を探っているようだった。
「お前が自らそれを望むのか? お前には無理だ。足りないものが多すぎる」
陛下は、静かに淡々とそう述べる。アルベルトが思っていたのとは違う返答だった。自分はもっと、馬鹿にされ笑い飛ばされると思っていたのだ。
「誰に言われた訳でもありません。今の状況を見て、自分しかいないと思いました。陛下もそう感じているのではありませんか?」
アルベルトは、陛下の顔を見て何となくそうなのではないかと感じてしまった。言った自分でもそんなはずはないと思うのに。なぜだが、勝手にそう訊ねていた。陛下は、虚を突かれたように一瞬ではあったが顔を歪めた。暫くののち、静かに言った。
「――――そうだな。俺は、お前がそう言うのを待っていたのかもしれない。だが、今のお前では貴族たちが納得しない。後ろ盾が何もない」
「世論は私を支持しています。貴族たちも民衆の声を無視はできません。中継ぎ要員だとしても、ディルク殿下ではもはや無理です。それに貴族の派閥が崩れた今、この状況を刷新できる誰かが動かないとフィリップス侯爵の思う壺になってしまいます」
「お前でそれができるのか? どうするつもりなんだ?」
「カロリーナ・ヴィンチェスターを妃に迎えます。私が持っている武力と彼女の持っている社交術で収めます」
陛下は、眉を寄せて考え込んでいる。
「カロリーナ・ヴィンチェスターか……。あの娘は、難しいぞ。良薬にも悪薬にもなる娘だ。ディルクのやつは、それも分からずに手放してしまったがな……。それに、父親によって貴族籍から抜けたはずだぞ?」
「ヴィンチェスター侯爵が手放したのなら好都合です。ジェンナー辺境伯の養子にしてもらいます」
「あのじじいに気に入られたか。ジェンナー辺境伯が、お前の後ろ盾になるのならみな何も言えないな」
陛下は、アルベルトの話を聞き思案している。
「全てが揃っています。陛下、ご決断を!!」
アルベルトは、帯刀している剣の鞘に手をかける。いつでも抜く覚悟でここに来た。話し合いで決着が付かないのならば、力付くで王位を奪うつもりだった。
陛下は机の上に両ひじを立て、手を組みそこに顔を寄せて考えている。何かを思い出しているみたいだ。
「わかった。王位はお前に譲る。そして俺と王妃は離宮に引っ込む。ディルクは、好きにしてくれ。もうあいつは駄目だろう」
陛下の言葉が信じられなくて、アルベルトは拍子抜けしてしまう。こんなに簡単に納得するなんて思っていなかったのだ。
「なんだ、その顔は。信じられないのか?」
陛下が、今まで見たことがないような穏やかな顔で自分を見て笑っている。今までずっと考えていたことがあった。聞く機会などないだろうから、きっと分からず仕舞いで終わるのだろう諦めていたことが……。今を逃したらもうきっと聞けないだろうと、思い切って訊ねる。
「ずっと聞きたいことがありました……。今まで、俺を守ってくれていたのはあなたですか?」
「そうだな。きっと、お前とこうやって話すのは最初で最後だ。教えてやろう。お前が死なないギリギリを守っていた。王妃の目をかいくぐっていたから、最低限しか助けてやれなかった……。すまない」
陛下が、自分に向かって頭を下げている。自分の目が信じられないと同時に、何とも言えない想いがこみあげる。
「……母を……。愛していたんですか……」
陛下はアルベルトを見て、フッと寂しそうに視線を外す。
「……ああ。愛していた。俺が愛した唯一の女だ」
そう言って寂しそうに陛下は、笑った。





