035 第二王子アルベルトの事情 sideアルベルト
しばらくアルベルトの話が続きます
テッドベリー国の騎士団の執務室では、この国の第二王子であるアルベルが側近のビルから異母兄の婚約者のお披露目に関する報告を受けていた。
「もう凄かったですよ。最後はアルベルト殿下を王太子に! って大合唱だったんですから」
茶髪で普段から軽い印象のある部下は、報告内容が心底面白かったようで終始馬鹿にしたような笑いが止まらない。
「貴族たちの動向はどうなっている?」
アルベルトは、金色に輝く瞳で部下を睨みつけると質問を投げかける。
「何そんなにイラついてるんだよ。もういい加減、お前は腹を括るしかないだろ!」
「俺は望んでなんかいなかった! 今の地位で充分だったんだ!」
「悔しくないのかよ! お前は王子として、この宮殿に生まれた時からいるんだよ。それをいないかのように扱われて! 俺は、お前以上に王になるべきだと思う人間を知らない」
アルベルトは、ビルから視線を外すと黙り込んでしまった。しばらくの間、沈黙が執務室を支配したが耐えられなくなったビルが先に口を開く。
「悪かったよ。貴族たちだけど、ジョンソン侯爵の派閥はもう無理だな。こうなってしまっては、流石にディルク王子を庇い切れない。フィリップ侯爵の派閥は、この波を利用して勢いついている。あわよくば、この機会にジョンソン侯爵の派閥も取り込むつもりかもしれない」
「ジョンソン侯爵は、王宮に出て来ているのか?」
アルベルトは、さっきとは違い報告を聞きながら冷静に貴族たちの動向に考えを巡らしている。ディルクのことがなくとも、現在の貴族たちは少し前に流れたある噂で大変な混乱に陥っていた。
「来ていない。自分の後継者だと思っていた息子が不貞でできた子だと知ってしまったんだ……。妻も一切の外出を禁じられて、顔を見た者がいないそうだ」
テッドベリー国において、二大派閥の一つにヒビが入りこの機を逃がすまいとジョンソン侯爵家の後釜に収まろうとする者が出てきている。ジョンソン侯爵家の派閥に属していた家は、どう動くべきなのか右往左往していた。二つの派閥に属していない、中立の立場を貫く家たちはこの騒動を静観している状態だ。今の王になってから動いたことのなかった派閥の均衡が崩れたのだ。
「このまま静観したら、フィリップ侯爵家の一人勝ちか?」
アルベルトが、投げやりにビルに訊ねる。
「そうだろうね。フィリップ侯爵はこの機を逃さないだろ。きっと、末の娘を側室に召し上げさせる。王との歳の差、三十歳。あの嫉妬深い王妃が黙っているかねー」
「わかった。一人にしてくれ」
アルベルトは、ビルの言葉を受けて難しい顔のまま机の上に置かれた書類を手に取った。一人にするべきなのだろうと諦めたビルは、静かに執務室を退出する。一人になったアルベルトは、先ほど手にした書類を机に投げ出す。椅子から立ち上がり窓辺に寄った。
窓から見えるのは、自分が幼少期から暮らす王宮の中でも一番小さな建物。豪華絢爛な建物の中の隅に位置するそれは、生まれた時から虐げられていた象徴とも言うべき物だった。
だが、アルベルト本人は特に不満を抱くことなく今日まで生きてきた。傍からみたら、忘れ去られた王子だったかもしれないが当の本人は充分楽しく暮らしていた
自分を産んでくれた母親が、平民であることや自分を産んだ後に父親に捨てられ王宮から出された話も、意地の悪い貴族や家来たちの噂話で知っていた。物心付くか付かないかくらいの幼い頃は、父親に認めてもらいたい母親に会いたいと寂しさを感じていた時もあった……。しかし、色々なことが理解できる年頃になると、そんな感情は無くなっていた。
なぜなら周りにいた人間に恵まれていたのだ。王子が育つ環境としては、恐ろしく少ない人数であったけれどみな自分にとってかけがえのない人ばかり。赤子の頃から育ててくれた乳母は、もう亡くなってしまったけれどたくさんの愛情を彼女からもらった。
その乳母の旦那は料理人で、王族が食べるような豪華な食事ではなかったけれど温かくて素朴なご飯をたくさん食べさせてくれた。唯一、王から与えられたのは、常に中立的立場にいる辺境伯の老公だった。「こやつから剣を教われ」と言われ、朝から晩まで剣の稽古をさせられた。
なぜ、自分が剣を身に着けなければいけないのか、最初はわからなかったが大きくなるにつれてその意味も理解した。自分がこの王宮で生き抜くためには、強くなるしかなかったのだ。後ろ盾など何もない自分だったのに、王妃にとっては面白くない存在だったようで、命の危機は何度もあった。運が良かったのか、周りにいた人間たちが優秀だったのか、今生きてこの場所にいるのは不思議なくらいだ。
それでも、自分が王になりたいとは一度も考えたことなどなかった。王である自分の父親を見ていると、子供ながらに幸せだと思えなかった。自分の息子を、必死で立派な王太子にしようとしている王妃を見ていると滑稽だとさえ思っていた。
自分は、母親が住んでいたあの街を守り周りにいる人たちが幸せでいられたらそれで良い。そう思っていたのに、運命の歯車は自分が王になれと迫っている。
始まりは、悪女で有名な異母兄の婚約者であるカロリーナ・ウィンチェスターだ。異母兄に意味のわからない理由で、処刑を命じられはしたが最初から殺すつもりなどなかった。あの場で殺してしまっていたら、不味いのは自分だとわかっていた。いくら評判の悪いカロリーナであっても、なぜ牢屋に入れて後日裁判にかけなかったのだと文句を言われただろう。だから少し脅したら、牢に連れていくつもりだった。
それなのにあの場で、騎士団の団長である自分を睨み付けながら「人間は生きている方が辛い」と堂々と言ってのけた。自分が聞いていたカロリーナ・ヴィンチェスターとは何かが違うと興味が沸き、普段だったらやらないことをしてしまう。
彼女が言うように王宮から追放したら、どうするつもりなのか確認してみたくなった。それに、自分の手を離れて牢に連れていった後、彼女がどうなるのか正直わからないということもあった。このまま、死なせてしまうのは惜しいと感じてしまったのだ。
また、本当なら女の顔に傷を付けるつもりなどなかった……。だけどこのまま逃がす為には、異母兄や彼女を狙う奴らにそれならば仕方ないと思わせる必要があった。多くの者が見ている前で、令嬢の顔に傷を付け王宮から追放したと広まれば処刑したも同然の仕打ちだ。
そうやってカロリーナの要求通りにしてやったのだが……。それが大きな間違いだったと気づいた時には、もう取り返しがつかなくなっていた……。
カロリーナ・ヴィンチェスターの顔を思い浮かべる。あの目力と気の強さ、そして生意気な態度、どれをとっても可愛いとはお世辞にもいえない。だけど、彼女の隠していた素顔を知ってしまいこんなに関心をもつなんて思ってもいなかった。
――――彼女の思惑に乗ってやってもいいと思うくらいに。





