031 第二王子の噂
それからのキャロルは、より一層忙しい日々を送っていた。ダンに会って貴族社会の情報を手に入れた為、自分の中で立てていた計画を次に進めなければと気が焦る。居酒屋レストでばらまいた話は、ちゃくちゃくと下町で根をはり人々のくちづてにどんどん広がりを見せている。
第一王子のディルクと婚約者であるララの醜聞、でもここには彼らの代わりとなれる人物の名前が上がっていない。平民たちの間では、貴族間の政治闘争など知るはずもない。現在の王の後継者として、二人では不安があるがそれまでだった。
そこにキャロルは、第二王子の存在をちらつかせ始めた。第二王子の話は、居酒屋レストではなく自分で足を使って広めることに決めた。ディルクやララの不満だけではなく、第二王子の話まで同一人物が広げるのは目立ち過ぎる。それに、ヒューの存在も気になっていた。ヒューが第二王子とつながっているのだとしたら、ヒューの知り合いだという居酒屋レストの主人を前に、その話をひろめるのは避けた方が得策な気がする。
第二王子が、王位継承権に対してどう考えているのかわからない。もし、キャロルが第二王子の噂を流し始めて、止められるようなことがあったら面倒だ。そう考えて、キャロルは何も仕事がない日の夜に、またこっそり店を抜け出してレスト以外の居酒屋に出かけていた。
キャロルが暮らしていたランベスは、王都の平民が住む一番大きな地区だ。この地区に暮らし始めてもう十ヵ月が経つ。休みの日には、街を歩きどこにどんな店があるのか見て回った。そうすることによって下町の土地勘をつかんでいった。するとやはり大きな地区だけあって、大小様々な居酒屋が点在していた。レストに限らず、女性が一人でも入っていける店は数多くあった。
キャロルは、お客として居酒屋に出かける時はしっかりとメイクを施す。頬にある傷は、跡が残ってはいたがだいぶ薄くはなっている。傷跡を消すように濃い目にメイクをすれば、遠目からはわからなくなる。
そして、ダンから情報料としてもらった銀貨で買った黒髪の鬘を被る。メイクと鬘で、一見するとキャロルとはわからない。服装もできるだけ派手目の物にし、キャロルとのイメージとは違う女性を演出した。
キャロルは、女将さんたちが静かになったのを確認すると音を立てずに下の階におり、裏口からこっそりお店を出る。この時ばかりは、ヒューに会うのはまずいので新たに買ったフード付きの黒いマントでしっかりと顔を隠すと夜の街を歩き出す。
「今日は、北の方に行ってみよう」
方角を確認して、人通りの少なくなった夜の街を歩く。ヒューと一緒だけど、毎晩夜に歩いているのでキャロルはこの時間に歩くのもすっかり慣れたものだった。たまに、酔っ払い同士が言い合いになったりする場面に出くわすが、基本的にはこの街の治安は悪くない。これは、キャロルも結構驚いていることだった。女将さんにそれとなく聞いてみたが、昔はもっとごろつきや荒くれ者が多かったらしい。
第二王子が騎士団の団長になり、自警団を取り仕切るようになってから街の見回りなどが手厚くなり、問題を起こした者はすぐに処罰されるようになって治安がグッと良くなったのだと話してくれた。
キャロルが知る第二王子は、とにかくすかした男だった。何かに執着するようなそぶりもなかったし、自分が王族であるという拘りも見せてはいなかった。ただ本当に、己の強さだけを追い求めているようなストイックさが印象に残っている。
そんな男が、下町の治安悪化を防いでいたなんていまだに信じられず不思議に思う。国のためを思って動くような人柄でもないはずなのに、どうして下町に手をいれたのか……。考えれば考えるほど、第二王子のアルベルトのことがわからない。
考えに耽っていたキャロルだったが、気が付くと目指していた店の前まで来ていた。今日は、お酒だけではなく食事も食べえられるような大衆居酒屋目当てに歩いていた。目の前の木製のドアから、賑やかな客たちの声が漏れ聞こえている。
キャロルは、戸惑うことなく戸を開けた。中は、遅くまで働いていたのだろう男性客で賑わっている。お酒が進んでいるのか、顔を赤くし機嫌がよさそうな客が多い。店のドアが開いたくらいじゃ、誰も気にはしなかったが一歩キャロルが店の中に入ると一瞬で注目の的になった。
キャロルは、空いていたカウンター席に向かった。テーブル席に座る客たちは、キャロルをチラチラと見て一緒に飲んでいる仲間と目配せをしている。あのべっぴんは、一体誰だ? というように。
「ここよろしいかしら?」
キャロルが座ろうとした席には、両隣に男性客が座っていた。一人は、お髭を蓄えたガタイのいいおじさん。もう一人は、彼女と一緒に飲んでいる若い男だった。
「おう、もちろん」
おじさんは、大ジョッキを手にご機嫌だ。
「あっ。はい、どうぞ」
おじさんとは反対に座る若者は、ちょっと顔を赤らめてキャロルが座るだろう椅子を引いてくれた。
「あら、お兄さん親切にありがとう」
キャロルは、色気のはらんだ笑顔を彼に向ける。すると彼は照れたように頬を赤らめて、キャロルに見惚れていた。
「もう! 私の話聞いてた?」
若者の彼女は、自分の彼氏が他の女性に見惚れているのが面白くなかったのか彼の手の甲をつねっている。
「いたっ。聞いてたよ。なんだよ、もう」
若者は、残念そうにキャロルから視線を外すと彼女の方に向き直っていた。そんな二人のやりとりを見つつ、キャロルはふふと微笑むと彼が引いてくれた椅子に腰を下ろす。今のキャロルは、完全にカロリーナ仕様になっている。
この方が大胆になれて、夜のお店では役に立つのだ。最初のうちはぎこちなかったキャロルだけれど、回数を重ねるうちになんだか楽しくなってきている。カロリーナの性格もしっかり自分の中に根付いている証拠だ。
「すみません。赤ワインとワインに合うおつまみをいただける?」
キャロルは、カウンターの中で忙しく手を動かしている店主に向かって声を掛ける。
「ワインだったら、今日はクラッカーのチーズと蜂蜜のせがありますよ」
「じゃー、それでお願い」
キャロルが、そう返事を返すと店主は手際よくおつまみを作り始める。その仕草を見ながらも、キャロルは前後左右にいる客たちの話し声に耳を傾けていた。後ろでテーブル席に座って話す男性客たちは、日ごろの仕事の愚痴や妻の愚痴などを話して盛り上がっている。
左隣に座ったおじさんは、一人で来ているのかビール片手に夕飯を黙々と食べている。右に座っていた若いカップルは、男性がしきりに彼女を慰めていた。どうやら、彼女は何かの面接に落ちたのかずっとそのことを嘆いている。
「お待たせいたしました。ワインとおつまみになります」
「ありがとう」
キャロルが座るカウンターの上に、ワインとおつまみが乗った皿が置かれた。ワイングラスを持って、一口口に含む。下町のお店にしては美味しいワインだ。おつまみのお皿に目を移してクラッカーを一枚手に取る。
クラッカーの上には、クリームチーズがたっぷり乗りその上に黄金色の蜂蜜がかかっている。キャロルが、前世で好きで良く食べていた料理だ。材料さえあれば簡単だから、家でお酒を飲む時に作って食べていた。
一口では流石に食べられないので、蜂蜜が垂れないように半分だけ口に入れる。蜂蜜の甘さとチーズの酸味が絶妙にマッチして、最後にクラッカーのサクサク感が溜まらない。口の中が幸せな内に、更にワインを一口飲む。いくらでも飲めてしまう。
前世の自分は、お酒は好きだがそんなに強い訳ではなかったので嗜む程度だった。だけど、カロリーナはかなり早くからお酒を飲む習慣があったし夜遊びには飲酒がつきものだったのでかなり強い。
お酒が強くて味が分かる人に憧れを持っていたキャロルだったので、その点に置いてはカロリーナの長所だと思っていて自分も楽しんでいる。今日もワインが美味しくて幸せだと思っていたところで、右隣に座るカップルから都合の良い会話が聞こえてきた。
今日は、かなりラッキーだ!
「ねーどう考えても私を落とすなんて信じられないんだけど。他の候補者の人たちも見たけど、私みたいに可愛い子なんていなかったのよ! 仕事だってちゃんとするのに! 王宮のメイドに私を雇わなかったの絶対に後悔するんだから!」
「分った分かった。きっとメイド長の見る目がなかったんだよ。それに、リリーが王宮で働かない方が僕は一緒にいられるから嬉しいし」
「もー、ヘンリーったら。私のこと好きなんだから」
彼氏が彼女のご機嫌とりに成功したようで、さっきまでずっとグチグチ言っていた彼女の機嫌がよくなったようだ。
「そうよ、リリーさん。王宮で働かなくて正解よ。きっと可愛い子は採用されないようになっているのよ。だって私も落ちたもの」
キャロルは、ワインを手にしながら彼氏越しに彼女に話掛ける。二人は、突然話に入ってきたことに驚いてはいたが、仲間だと思ってくれたようで彼女が話に乗ってきた。
「えっ? お姉さんも王宮メイドの面接落ちたの? 信じられない、こんなに美人なのに……」
「リリーさんも充分可愛いわ。ほら、きっとあの方がいるからじゃないかしら?」
「えっ? あの方って?」
「王太子の婚約者よ。意地悪で有名じゃない。きっと自分よりも美人な人は採用しないようにとか言っているのかもね」
「確かに、あり得るかも!」
彼女は、キャロルの言い分に納得がいったのか落ちて悔しそうにしていた顔がすっかり平常モードに戻っている。
「可愛いから落ちたなら仕方ないかー。それにしても本当に王太子の婚約者って嫌な女ー。そんなのを婚約者にしちゃう王太子も最悪だけど! もっと他にちゃんとした王子っていないのー? 私、今の王太子嫌なんだけどー」
リリーは、溜息をつきながら声高に呟く。
「あら、知らないの? 実は、王子ってもう一人いるのよ? 次男なんだけど、その王子の方ができる人らしいんだけど、妾の子らしくって日陰の存在なのよ。本当に可哀想」
キャロルは、ワイングラスの縁に指を乗せてつつつーとなぞる。いかにも気の毒そうな顔で艶めいている。
「なー姉ちゃん、その話本当なのかよ?」
左隣に座っていたおじさんが、話に割り込んでくる。どうやら一人で食事を楽しみながらキャロルたちの会話を聞いていたらしい。
「あら、本当よ。第一、この街の治安が良くなったのって騎士団の団長が第二王子に変わってからって聞いたわよ。下町の治安まで気にかけてくれる王子なんて素敵よね」
キャロルは、ふふふと色気たっぷりの顔でおじさんの顔を見る。おじさんは、ドキッとしたのかちょっと頬を赤らめている。
「えっ? 何その話。私知らないんだけど!」
「妾の子らしいし、あまり大っぴらにはしてないのかも。だって今の王太子に、実はできる弟がいたなんて知られるの恥ずかしいじゃない。しかもそれが妾の子だなんて……」
「私、弟王子の方に王太子になって欲しいー」
リリーは、キャロルの話を完全に信用している。おじさんの方は、まだ疑わしそうな顔をしているが調べてもらったらわかることなので問題ない。王族の家族構成に興味がない平民でも、新聞屋や商いをしている人ならきちんと知っているはずだ。
ただ、第二王子の存在が王太子という地位に結びついていないだけなのだ。実は、王太子が第二王子の方が適任なのだと頭に植え付ければそれは大きな波となる。
「隣の息子が、自警団に入っているから聞いてみるかな」
横のおじさんが、ポツリと呟いている。キャロルは、今日はこれで充分だとワインを飲んでお疲れ様と自分を労った。





