030 キャロルの情報
「お前、それマジなのかよ?」
キャロルは。腕を組んでダンをにらむ。
「嘘言ってどうするのよ。これは、何かあった時のための取って置きの情報よ」
キャロルが、ダンに教えたのはある侯爵の妻の醜聞。侯爵自体も知らない秘密。第一王子であるディルクを、王太子に推している勢力の筆頭がジョンソン侯爵家だ。ジョンソン侯爵家は、ディルクの母親つまり現在の王妃の実家にあたる。
そのジョンソン侯爵家の妻、アニータは不貞を働いていた。アニータが生んだ子供は二人いて、現王妃の他に息子が一人いる。王妃の兄に当たる人物の父親は、実はジョンソン侯爵ではない。しかも相手は、ジョンソン侯爵と仲が悪いと有名なフィリップス侯爵なのだ。元々、アニータとフィリップス侯爵は学園時代に恋人同士だったのだが、ライバル関係にあったジョンソン侯爵の策略によりアニータは恋人ではないジョンソン侯爵と婚約することになってしまった。
当時、アニータは伯爵家の三女で決められた婚約者はおらず自由恋愛を許可されていた。しかし、ライバルの恋人を奪ってやるという意地の悪いジョンソン侯爵に、そそのかされたアニータの父親によって婚約が取りまとめられてしまった。
無理やり結婚させられたアニータが、ジョンソン侯爵を許せるはずもなく夫に内緒で今もフィリップス侯爵との仲を継続している。
「おいおい。そんなこと可能か? いくらなんでも無理だろう?」
「何言っているのよ。貴族の結婚なんて、こんなことよくあることじゃない。男よりも女の方が、隠し通すだけよ」
ダンは、上着のポケットから葉巻を一本取り出して火をつけている。話の内容に、驚いているのか葉巻を吸い出す。
「お前、こんな情報流したら貴族界隈に爆弾落としたも同じじゃないか。あの二人の仲の悪さは本物なんだぞ? ただでさえ第一王子のことでジョンソン侯爵は頭抱えているのに……。それどころじゃなくなるぞ」
「ディルクのことは、この際どーでもいいわ。私の目的は、高位貴族たちの混乱だもの。今の、貴族の勢力図はジョンソン侯爵派かフィリップス侯爵派、それとどちらにも属していない中立派。どうせ、新しく側室を出そうとしているのフィリップス侯爵よね?」
ダンは、キャロルの問いに答えない。沈黙は是ととるべきだろう。
「お前、何するつもりだよ?」
「私は、カロリーナ・ヴィンチェスターよ。王妃になるのは私なの」
キャロルは、ダンと真正面から向き合って言い切る。誰かに宣言したのは初めてで、興奮からか心臓がドクドクと煩い。
「そう言ったって、ディルク王子はもう無理だろ? 陛下の側室にでもなるのかよ?」
「第二王子を王太子にする」
「は? だってお前、こんなことになっても第二王子を支持する勢力なんていないんだぞ? 流石に無理だろう?」
「支持する勢力ならあるわ」
キャロルは、にやりと悪い笑みを零す。
「何考えているんだよ?」
「いいじゃない。ダンだって、私が王妃になった方が美味しいのわかるでしょ? 協力しなさいよ」
ダンは、何も言わず葉巻をふかす。彼の中で、色々な計算をしているのだろう。だがキャロルは、確信している。ダンとは長い付き合いだ。お互いの悪いところも良いところも全てではないが把握している。きっと、この話に乗ってくる。
「そろそろ帰るわ。その前に、最後にこれを頼みたいの」
キャロルは、マントのポケットからハンカチに包まれた宝石類を取り出す。ずっと換金せずにサティオの屋根裏部屋のベッドの下に隠しておいたのだ。
「なんだよこれ?」
「悪いんだけど、これ換金しといて欲しいの」
「はっ? カロリーナ様が宝石を売るのかよ!」
「しょうがないでしょ。お金が必要なんだから。今度会った時に、換金したお金もらえればいいから」
「はぁーわかったよ。今回だけサービスだからな」
「ありがとう。助かるわ。では、またね」
「ああ。またな」
ダンは、キャロルを見送るつもりがサラサラないようでソファーから動かない。キャロルは、ソファーから立ち上がり入って来た扉を開けて外に出る。さっきのダンの最後の言葉で確信した。ダンはきっとキャロルを助けてくれる。
「話し合いは、上手くいきやしたか?」
重厚な扉を出て廊下を進むと、外に出る扉の前で番をしている男が聞いて来た。
「聞きたいことは全部聞けたから、上手くいったといえばそうかもね」
「そうっすか。なら良かった。また前のように、ちょくちょくいらっしゃるんで?」
「それは、わからないわ。ダン次第かしらね」
キャロルは、それだけ言うと木製の扉を開けて外に出た。背後では「またお待ちしてやす」と言った気がしたけれど返事はしなかった。
路地裏に出るとマントのフードを被り直し、貴族街を後にする。今度来るときは、コソコソ隠れて来なくてもいいようになっていたい。空を見上げると、来た時の天気とは変わり曇り空になっている。いつ雨が降ってもおかしくないほど空が暗い。早く、戻ろうと帰路を急いだ。
食堂サティオに着く直前に、ザーと雨が降り出しマントが濡れてしまったが服は無事に済んだ。お店の扉を開けると、旦那さんが厨房で何かを作っていた。もう、夕飯の準備をしているのかと驚く。
「只今、戻りました。もう、夕飯の準備ですか?」
「ああ、おかえり。面白い食材が手に入ったから、試しに作っていたんだ」
旦那さんが、料理中の鍋から顔を上げてキャロルを見る。旦那さんのキャロルを見る表情も、ここに来た時よりも幾分柔らかくなっている。毎日一緒に暮らすようになって、家族の一員になったような感覚がある。だけど、そう思っているのがキャロルだけかもしれない怖さがあって、二人には自分の気持ちを告げていない。
「凄い、いい匂いですね。美味しそう」
キャロルは、店に漂う匂いを嗅いで一気にお腹が空いてくる。
「もうすぐできるから、一緒に試食してみてくれ。あいつも呼んで来てくれるか?」
「はい。喜んで」
キャロルは、ビショビショになったマントを脱いで二階へと階段を上る。二階の扉の前で、女将さんに声をかけた。
「女将さん、只今戻りました。旦那さんが、一緒に試食しましょうですってー」
「はいよー。今行くよー」
女将さんの元気な返事が返ってくる。キャロルは、こんなたわいもない二人との交流が嬉しくてじわじわと心に優しい明かりが灯る。さっきまで殺伐とした会話を繰り広げてきたのに……。本当は、ずっとこの暖かな世界で暮らしていたい。
だけど、ダンの話を聞いて自分は元居た場所に戻らなければと強く感じた。腐りきった貴族たちをどうにかしたいと思ってしまったのだ。ちょっと前までは、自分も同類だったけれど……。だからこそ、誠実さを手にしたキャロルは腐敗を正したいと強く感じた。





