028 情報屋
店から一歩外に出たキャロルは、外気の冷たさに驚いた。今日は寒いと思っていたが、外の空気が昨日とはまるで違う。少しずつ、春の足音が聞こえてきたと思っていたがまだまだ春になるのは先のようだ。
マントのフードをしっかりと被り、首元を握りしめて街を歩いて行く。今日は、食堂サティオも居酒屋レストもお休みだ。いつもなら、屋根裏部屋の自分の部屋で、ゆっくりして過ごすのだが今日は街に出てやることがあった。
街を歩きながら、キャロルは目立たぬように周りを歩いている人々を確認する。誰か自分を監視している人がいないかも、さりげなくチェックする。今日は、ヒューやビルに見つかるのは困るのだ。キャロルは、特に誰も自分を監視していないことを確認すると、いつもは足を向けない貴族街へと向かった。
キャロルが普段暮らしている、平民街から貴族街へは歩くと一時間ぐらいかかる。久しぶりに訪れた貴族街は、何も変わることなく整然としていた。街を歩いているのは、主人に頼まれものをされた使用人ぐらいでポツポツとしか人の姿は見られない。それ以外は、大きな馬車道をたまに馬車が行き交うくらい。
まだ冬の寒さが続いているので、貴族たちは屋敷に籠っているのだろう。春になると、もう少し人通りも多くなるし行き交う馬車の量も増える。キャロルにとっては、人通りが少ない方が都合が良いので助かる。
流石に、貴族街ともなればほとんどの貴族がカロリーナの顔を知っている。カロリーナが王宮から追放されてからもうだいぶ経つが、自分がどんな扱いになっているのか全くわからない。それもあって、貴族の誰かに会うわけにはいかなかった。
貴族街に入ったキャロルは、マントのフードが落ちないように首元をしっかりと握り俯き加減で街中を歩いて行く。時折、顔を上げて道を確認しながら進んでいく。わからなかったらどうしようと思っていたが、案外しっかり覚えているものだ。歩きでなんて来たことなかったが、馬車から見える景色をちゃんと覚えていた。
そして、いつも馬車から降りていた場所を見つける。
(いつも、あの噴水の前で馬車を降りていたんだわ)
貴族街の中でも商店が立ち並び、休日には催し物などが行われ賑わっている広場にやってきた。今は冬なので閑散としているが、商店の多くは明かりがついているので店は開いているようだ。キャロルは、商店の立ち並ぶ通りを抜け一本の路地裏に入り込む。
その道は、人が一人通るだけでやっとの狭い道だ。反対側から人が来たら、どちらかが壁にぺたりとくっつかないと行き交えないほど。それほどの狭い道なので、後ろから人が付いてきていないことも確認できる。食堂サティオからずっと、一応人の目には気を付けて歩いてきたつもりなので大丈夫なはずだ。
キャロルは、どんどん細い道を歩いて行く。すると道の途中で、片側の壁に木製の安っぽい扉が見えた。一度その前を通り過ぎて、誰も来ていないことを確認すると「トントントン」と三回ドアを叩いた。
「隠れ家の名前は?」
男のくぐもった声がする。
「何でも屋」
キャロルは、扉に顔を近づけて答えた。すると「キー」と音を立てて木製のドアが開いたので、身をドアの内側に滑り込ませてすぐに扉を閉めた。
「これはこれは、お久しぶりではないですか」
すぐ扉の内側にある椅子に腰かけていた男が、キャロルを見るとそう言った。キャロルは、フードをパサリと落とし男の顔を見る。久しぶりに見るその男の顔は、目つきが鋭く鍛え抜かれた体は浅黒く相変わらずだった。
「あなたもね。私が来なくて寂しかったのではなくて?」
「くっくっくっくっく。お変わりないようで安心いたしました。 ん? その顔はどうなすったんで?」
「名誉の傷よ! ダンはいる?」
「はぁ―。カロリーナ様のお顔に、傷を作るなんて罪深い奴がいたもんだ。もちろんいらっしゃいますよ。さっ、どうぞ中へ」
男が指し示す方向にキャロルは向かう。細い廊下を歩いて行くと、突き当りに扉が見えてくる。さっきの扉とは違い、頑丈そうな造りの大きな扉だった。「トントントン」と三度叩く。
「はい」
中から返事があったことを確認して、キャロルは扉を勢いよく開けた。ここに来て緊張するかと思ったが、そんなことはなく昔の旧友に会いに来たように胸をワクワクさせていた。
「カロリーナじゃないか。無事だったのか! おいおいその顔はどうした?」
中にいた男は、驚いた顔をしてキャロルの頬の傷をまじまじと見る。
「色々あったのよ! レディーの顔を凝視するのやめてくれる?」
「おーおー。その気の強さは変わらないねー。安心したわ」
カロリーナと対等に話をするこの男は、ダンと言い昔馴染みだ。ダンは、ふかしていた葉巻を灰皿に置いて鋭かった面差しを緩める。と言っても、黒い眼鏡をかけているので、瞳が笑っているかは分からないけれど……。口角は上がっているから嬉しく思っているはず。
「それにしてもお前、その髪もその服装もどうした? まるで平民じゃないか」
「生きるために必要だったのよ。これも似合うでしょ?」
「はは。なんか角が落ちたか? 別人みたいだぞ?」
自分ではカロリーナらしさを前面に出してしゃべっていたはずなのだが……。やはりわかる者にはわかるらしい……。人格が変わっているから、別人と言えばそうなのだけれど。
「いい社会勉強をしたってところよ。それよりも教えて欲しいことがあって来たの」
「なるほど……。まともになって帰ってくるなら、うちの若いもんにもその社会勉強とやらを教えて欲しいな」
「煩いわね。それはいいのよ。それよりも情報を教えてって言っているのだけど?」
「金はあるのかよ? あるように見えないんだが?」
「失礼ね。ちゃんとあるわよ」
キャロルは、マントの内ポケットに入れていた布の袋を取り出してダンが座っていた机の上に置く。「ガチャリ」と音がして結構な額が入っているのがわかる。
「へー。その身なりでよく金なんて貯めたな。あのカロリーナが」
今日キャロルが持って来たお金は、平民になってから貯めた全財産だ。と言っても、ほとんどがドレスを売ったお金だけれど……。下町で働いて貰うお金なんてたかが知れている。自分ではもうちょっと貯めたいところだったけれど、これが精一杯だった。
ダンが、布袋に手を伸ばして中を確かめている。
「なんだ、小銭ばかりじゃないか」
「煩いわね。この私が自分で働いたお金なのよ? 金額以上の価値があるわ」
「いや、お金はお金だろ」
ダンは、至極真っ当なことを平然と述べる。キャロルは、情報を売ってくれないのではと内心焦る。だけれど、ここでおたおたする訳にはいかないので強気に出ることにした。
「私とダンの仲じゃない。足りない分は、出世払いにして」
「はぁー? 俺は、そういうのはお断りなんだけどなー。まあ、面白そうだから聞くよ。何を聞きたいんだい?」
ダンは、灰皿に置いていた葉巻を指に挟み吸い始めた。ゆっくり煙をすって味わったあと、白い煙がキャロルの前にくゆる。葉巻の匂いが自分の服に着くのではと顔を濁した。
「聞きたいことは、私のことよ。あの夜会の後、私はどういう扱いになっているのかしら? それと、ディルクとララはその後どうなの?」
「これっぽっちの金で、そんなにたくさんの情報は無理だな。こっちも商売なんでね」
ダンは、キャロルが葉巻の煙に嫌な顔をしたのにも関わらず吸うのを止めようとしない。この男も相変わらずだ。ダンは、裏社会を仕切っている所謂情報屋だ。その他にも、お金さえ出せば客のあらゆる求めに応じる。カロリーナと唯一同等に話せる男だった。
「わかったわ。ディルクとララのことは、私が持っている情報と交換ってことでどうかしら?」
「例えばなんだ?」
「第一王子ディルク派の貴族たちの醜聞なんてどう?」
「はーん。面白いじゃないか。いいだろう、今回は特別だからな」
ダンは、短くなった葉巻を灰皿でもみ消す。キャロルを見て、にやりと悪い笑みを零す。
「完全に丸くなってないようで安心したぜ。俺は、弱っちい女より尖っている女の方が好きだぜ」
「別に、貴方に好かれたくはないわ」
「くっくっくっくっく。そう言うとこだ。よし、話してやるからあっちに座れ」
ダンは、部屋の奥にあるソファーを指さして自分も立ち上がり移動した。





