026 素直になれない
キャロルは、今日も忙しく食堂サティオで働いていた。夜の仕事を初めてから二週間が経過している。朝も夜も働いているから疲れはするが、若さでなんとかなっている。それに、一日中忙しく働いていると余計なことを考えなくていいので精神的に凄く楽だ。
「お会計お願い」
「はーい」
キャロルは、お昼の最後のお客さんの会計を済ませる。最初の頃は、電卓も何もない世界なのでお釣りを間違えないかヒヤヒヤしていたが、今では手慣れたものだ。お客さんの手にお釣りを握らせると、元気に言葉をかける。
「ありがとうございました。また来て下さいね」
「おうよ。またなー」
お客さんは、満面の笑みでお店のドアを開けて仕事に戻って行った。キャロルは、お客さんを見送ると食べ終わった後のお皿を下げてテーブルを拭く。
「旦那さん、女将さん、お昼終わりましたー」
厨房の中に向かって叫ぶ。
「はいよー。キャロルも、片づけたら少し休みなー」
遅い昼食を、中で食べている女将さんから返事が返ってくる。キャロルは、他のテーブルが汚れていないかチェックして床にもゴミなどが落ちていないか確認する。
「よし。夕方まで、大丈夫かなー」
キャロルは、独り言を呟く。極まれに、中途半端な時間にふらりとお客さんがやってくることがあるが殆どない。午後の昼時間が終われば夕方までは暇になるので、少し休んだ後は夜の仕込みに入る。
キャロルは、カウンターの端に置いた紙袋を手に取り溜息をつく。
(今日も渡せなかった……)
実は、ヒューとビルに買った蝋燭をまだ渡せていない。彼らは、お昼を毎日食べにくるわけでないし、来る時間もまばらだ。来たから渡そうと構えていると、そういう時に限って忙しい時間だったりする。とにかくタイミングが合わない。今日こそ絶対に渡そうと思っていたのに、残念ながら今日の来店はなかった。
「はぁー。何か、いつも渡せない……。夜の時に渡すしかないか……」
困った顔で紙袋を見ては思案する。夜は毎日合うから、渡せないこともないのだけれど……。いつも無言で行き帰りを歩いているだけなので、キャロルから声を掛けずらい。サティオでの方がビルもいるし、話しかけやすいと思っていたのだが……。
カランカランとお店の扉が開いた音がした。キャロルが振り返ると、なんとヒューの姿があった。
「悪い。まだいいか?」
珍しく、今日はヒュー一人での来店だった。
「えっええ。平気よ。好きな席に座って。旦那さんに聞いて来るから」
キャロルは、今まさにヒューのことを思っていたところだったのでびっくりして心拍数が上がる。
「旦那さん、ヒューさんが一人来店したんですが、大丈夫ですか?」
厨房の椅子に座って休憩していた旦那さんに声をかける。
「ああ、日替わりだったらまだ残ってるからすぐできる。他のだとちょっと待ってもらうな」
「わかりました。注文聞いて来ますね」
キャロルは、ヒューが現れた動揺を悟られないように平常心を心掛けてホールに戻る。ヒューは、端にあるテーブル席に座って窓の外を眺めていた。
「お待たせ。日替わりだったらすぐにできるそうよ。その他だとちょっと時間もらうみたい」
「じゃー、日替わりで。人が引けてる時間に悪いな」
「たまにいるから大丈夫よ。ちょっと待ってて」
キャロルは、もう一度厨房の中に入るとすでに旦那さんは調理の準備をして待っていてくれた。
「日替わりでいいそうです。お願いします」
「ああ。わかった」
旦那さんは、フライパンを火にかけて調理を始める。キャロルは、透明なグラスに水を注いてヒューのところに持って行った。ヒューの座るテーブルにお水のグラスを置くと、そうだとカウンターのテーブルにある蝋燭を思い出す。
今しかないと思うのだけれど、何て言って渡そうか考えあぐねてしまう。なかなかテーブル前から動かないキャロルを不審に思ったのか、ヒューから声を掛けてきた。
「何だ? 何か用か?」
ヒューは、グラスに手をかけてグイっと水を一気に飲む。キャロルもそれを見て思い切って切り出した。
「えっと……あの……」
キャロルは、後ずさってカウンターまで走っていくと紙袋を手にヒューのテーブルに戻ってくる。ヒューは一体なんだ? と訝しんでいる。
「……いつもヒューにお世話になってるでしょ? お礼って言うか……。とにかく貰って。要らなかったら捨てていいし」
キャロルは、はっきりしない態度に自分で気持ち悪くなってくる。最終的にやっぱり可愛くないことを言ってしまった。
「突然何だ? 別にお世話してるつもりもないが?」
そう言いながらも、ヒューは紙袋を開けて中を見ている。
「蝋燭? なんで蝋燭なんだ?」
「その……職人通りに行った時に見つけて。香りを楽しむ蝋燭なの。これはネロリの香りで、効能もあるのよ」
「へー。蝋燭にそんな使い方があるのか。で、効能は?」
「ネロリは、優しい気持ちになるの。いつも淡泊なヒューにぴったりでしょ?」
キャロルは、ふふんと挑戦的な笑みを浮かべる。心の中では、素直にいつもありがとうって言いたいのに言葉が出てこない。
「優しい気持ちねー。俺よりお前に必要なんじゃねーの?」
ヒューも、にやりと意地悪い笑みを溢す。
「何よそれ。私が優しくないみたいじゃない」
「はいはい。キャロルは、優しいよな」
ヒューが、初めてキャロルのことを名前で呼んだ。いつもお前とかおいとかだったのに……。しかもふっと、表情を和ませる。いつもの意地悪な笑い方じゃないから何だか落ち着かない。胸がざわざわして心が乱される。
(なんなのよ。この気持ちは……)
「あれ? もう一個は?」
キャロルは、ハッとしてヒューを見る。ビルの分の説明をしていかなかった。
「もう一つは、ビルの分。レモングラスの香りで気分リフレッシュよ。渡してくれる?」
「何だ、自分で渡さなくていいのか? こっちが本命だろ?」
「ちっ違うわよ。ヒューに渡したかっ、そうじゃなくて……。もう、とにかくビルにも渡してね!」
キャロルは、余計なことを口走ってしまい慌ててしまう。顔も熱いし、もうヒューの前にはいられなかった。
「そっ、そろそろできたはずだわ。厨房見て来る」
キャロルは、顔を俯けて厨房へと走っていく。こんなはずじゃなかったのにと、自分の気持ちに混乱していた。





